Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
『電光石火に銀の靴』は名曲ですね!!!
久しぶりに泉谷君の懐かしい話が聞けました。彼とはうまく引けないエレキギターで一緒にやっていたりしていあの時代が懐かしいです。繊細な人ですが、自己表現力が昔から強烈な人なので、芸能界で活躍ができたと思っています。これからも元気なところを見せつづけてほしいものです。次回の対談も楽しみにしています。
フォ-クもロックも素晴らしい曲を作る泉谷しげるは天才だ。
熊本地震の為、崩壊した南阿蘇鉄道の応援の為に当町の駅前広場でライヴをしてもらいました。自分が前座で客を温めておきましたが、泉谷さんの一曲目が「イメージの詩」だった事に衝撃。ステージから目が合い「ええええ?拓郎ですか?」と口を動かして言ったら、苦笑いでした。また阿蘇ロックを続けて下さい。
スラップ訴訟の事聞いた時の泉谷さんの反応😂
反省できなかった「奴ら」が嫌いがフォークのモチベーションだってのはリアルな感じがして良い話。
【電光石火に銀の靴】とか【褐色のセールスマン】なんかを聴くと、否が応でも「やったるで!」って気分になりますよね。
湾岸戦争の頃、所さんと泉谷さんのラジオが最高に良かったの思い出します
「こんな事が俺達が生きてる間に起こるとは思わなかったね」って言ってたのを記憶してます。
@@もずけいた 私が覚えているのは、「爆弾でなくドル紙幣を投下した方いい、いや電化製品だ、冷蔵庫をバラまけば戦争にならない」ってなトークです今は...難しいですね
若い人にとって泉谷しげるは役者かな?それなら一度、泉谷しげるのアルバムを聴いてみてほしい。バカみたいに全部良い。
泉谷さんが山口美江さんのよだれを手を出してくれよって言った回ですね!
「白雪姫の毒リンゴ」が好きでした🍎
神回と言うものでしょう。礼儀正しい言葉遣いの泉谷さんが素敵です。維新の信者にも見習って欲しい
言う者は知らず知る者は言わず、って戦争でもそうなんですね。
博士は凄いね。昭和サブカルの語り部として、たけしですら博士の一対象にすぎないとすら思える。近いうちに物凄い仕事をするんじゃないか。
ハズレ無し
泉谷しげるさんが普通に語っているの初めて拝見しました😁
白雪姫の毒リンゴは凄い印象的だった。
面白い
かっこええよなあ
70年代の世代断絶の話が興味深かった
「戦争をやったやつら(親世代)のいうことを何故聞かなきゃいけないのか?(23分50秒ごろ)」深いな!
泉谷さんと博士は、1960年代以降を語る上で最高のタッグですね。敗戦、敗北を認めない反省なしのメンタルは、バブル敗戦も認めない、自虐史観とか歴史戦とか言うおかしな言葉を使うおバカさんたちに受け継がれ、またこの国を不幸にしようとしていますね。大阪市長もその同類です。
サムネおーけんかと思ったw
やたらと戦争当時を美化してた軍人の多くは後方勤務、ての保阪正康さんも言ってたような。
拓郎さんも若い頃にライブで帰れコールされてマジギレしてる音源残ってますね。
泉谷はずっと都市の音楽しか歌ってこなかったよね。なのに青森出身を名乗ってたのは笑える。/ 歌詞が純文学的なのは寺山修司の影響なのか。
春夏秋冬はバックはつのだひろ高中まさよし加藤一彦らサディスティック・ミカ・バンドに中野学校出て101歳の父は戦争語らないと70前の人は言ってたなあ
4:20 客に向かって「バカ野郎!」というルーツ。個人的に、お笑い業界だとドリフ時代の荒井注さんのイメージがあって、忌野清志郎さんとどっちが先か調べてみると「8時だよ全員集合」が始まったのが1972年。清志郎さんのデビューが1970年。清志郎さんの方が先。芸人が客に向かって「バカ野郎」と言う流れは、ビートたけしさんが演じたこともある故・古今亭志ん生のイメージも強い。ビートたけしさんの師匠の深見千三郎さんも「馬鹿野郎、コノ野郎」が口癖だったとか。江戸っ子の口癖が「馬鹿野郎、コノ野郎」で、関西で言う「でんがな、まんがな」みたいな感じでしょうか
博士の手袋は泉谷さんを意識したものかな?
戦争の最前線で戦った人は家の奥から出てこない、語れないってのは本当だろうな。ゆきゆきて神軍とか見たら正にそう。地獄のような体験をした人はみんな田舎に引っ込んで口をつぐんで静かに生きてた。
泉谷しげる、うーん凄いミュージシャン アーティストですねー。歌のほとんどが自作の作詞 作曲、フォークシンガーとして登場したときの最初のLPレコードを持っていますが、未だに「 まぶしい空から降ってくる 白雪姫の毒リンゴ 」の意味がわかりません? 兎にも角にもこんな凄い人は他にいませんよ。この人の歌は毒にも薬にもならないどーでもいい歌など殆どありませんね、吉田拓郎や井上陽水などと比較されますが、泉谷の方が人間的にも面白味があり、ミュージシャンとしての才能も優れていると思います。ステージ上で客に対して、手拍子なんかするんじゃねーと言いながら ダミ声でロックを歌う、これが一番のたまらない魅力なのです!!!
泉谷さんの声が年齢によるものなのか、ちょっと麻生太郎っぽく聞こえる。
団塊ジュニア世代(71~74年)もね
戦争当事者の無反省な振る舞いに対して、ムカついての安保闘争という視点がなかったので面白かった。理論があるなら聞いてみたい。
いずみやー!アベとご飯食べてニコニコしてるんじゃない!きよしろーが草葉の陰で怒ってるぞ!
昔のインタビューで’俺 体制大好きだもん’って語ってたんで驚く事はない 見せかけの左翼じゃないんだよ😊
ダンカンバカヤロウw
いつも楽しい動画ありがとうございます。少し気になった点があるのですが、「戦争をした連中の言う事を何で聞かなければいけないのか?」「朝鮮人の同級生と仲良くしたら親父に殴られた」・・だから、そういう世代に反発したという発言・・う〜ん・・泉谷さんのこと大好きだけど、泉谷さんの親の世代の人たちとそのうえの世代の人たちが、「なぜ戦争に突入したのか?」「なぜ朝鮮人に敵対心を持ったのか?」を知ってほしいし、歴史をもう少し学んでほしいと思いました。こういうところが団塊の世代の功罪の罪の面だと思いました。
泉谷さんw。好きになるのに十年以上かかったよw。やっぱ春夏秋冬は素晴らしい!ところで、やっぱり団塊世代の、旧世代に対する怒りや恨みは、根強いんだよなぁ。ワタシは、団塊ジュニアで、左派から右派にちょっと転向しちゃいましたが、団塊の方々は、そりゃうまく行かないよねぇ。同情します。しますが、、、もうちょっと歴史を勉強してほしい。そんな単純じゃないんだから。GHQの謀略もあったし、世界情勢があった・・・。難しいけどねぇ。。
歴史の話でなく、泉谷さんは市井の感覚のはなしをしているのでは?
泉谷さんすべて分かった上でだと思うよ😊
『電光石火に銀の靴』は名曲ですね!!!
久しぶりに泉谷君の懐かしい話が聞けました。彼とはうまく引けないエレキギターで一緒にやっていたりしていあの時代が懐かしいです。繊細な人ですが、自己表現力が昔から強烈な人なので、芸能界で活躍ができたと思っています。これからも元気なところを見せつづけてほしいものです。次回の対談も楽しみにしています。
フォ-クもロックも素晴らしい曲を作る泉谷しげるは天才だ。
熊本地震の為、崩壊した南阿蘇鉄道の応援の為に当町の駅前広場でライヴをしてもらいました。自分が前座で客を温めておきましたが、泉谷さんの一曲目が「イメージの詩」だった事に衝撃。ステージから目が合い「ええええ?拓郎ですか?」と口を動かして言ったら、苦笑いでした。また阿蘇ロックを続けて下さい。
スラップ訴訟の事聞いた時の泉谷さんの反応😂
反省できなかった「奴ら」が嫌いがフォークのモチベーションだってのはリアルな感じがして良い話。
【電光石火に銀の靴】とか【褐色のセールスマン】なんかを聴くと、否が応でも「やったるで!」って気分になりますよね。
湾岸戦争の頃、所さんと泉谷さんのラジオが最高に良かったの思い出します
「こんな事が俺達が生きてる間に起こるとは思わなかったね」って言ってたのを記憶してます。
@@もずけいた 私が覚えているのは、「爆弾でなくドル紙幣を投下した方いい、いや電化製品だ、冷蔵庫をバラまけば戦争にならない」ってなトークです
今は...難しいですね
若い人にとって泉谷しげるは役者かな?それなら一度、泉谷しげるのアルバムを聴いてみてほしい。バカみたいに全部良い。
泉谷さんが山口美江さんのよだれを手を出してくれよって言った回ですね!
「白雪姫の毒リンゴ」が好きでした🍎
神回と言うものでしょう。礼儀正しい言葉遣いの泉谷さんが素敵です。維新の信者にも見習って欲しい
言う者は知らず知る者は言わず、って戦争でもそうなんですね。
博士は凄いね。
昭和サブカルの語り部として、たけしですら博士の一対象にすぎないとすら思える。
近いうちに物凄い仕事をするんじゃないか。
ハズレ無し
泉谷しげるさんが普通に語っているの初めて拝見しました😁
白雪姫の毒リンゴは凄い印象的だった。
面白い
かっこええよなあ
70年代の世代断絶の話が興味深かった
「戦争をやったやつら(親世代)のいうことを何故聞かなきゃいけないのか?(23分50秒ごろ)」深いな!
泉谷さんと博士は、1960年代以降を語る上で最高のタッグですね。敗戦、敗北を認めない反省なしのメンタルは、バブル敗戦も認めない、自虐史観とか歴史戦とか言うおかしな言葉を使うおバカさんたちに受け継がれ、またこの国を不幸にしようとしていますね。大阪市長もその同類です。
サムネおーけんかと思ったw
やたらと戦争当時を美化してた軍人の多くは後方勤務、ての保阪正康さんも言ってたような。
拓郎さんも若い頃にライブで帰れコールされてマジギレしてる音源残ってますね。
泉谷はずっと都市の音楽しか歌ってこなかったよね。なのに青森出身を名乗ってたのは笑える。/ 歌詞が純文学的なのは寺山修司の影響なのか。
春夏秋冬はバックはつのだひろ高中まさよし加藤一彦らサディスティック・ミカ・バンドに
中野学校出て101歳の父は戦争語らないと70前の人は言ってたなあ
4:20 客に向かって「バカ野郎!」というルーツ。
個人的に、お笑い業界だとドリフ時代の荒井注さんのイメージがあって、忌野清志郎さんとどっちが先か調べてみると
「8時だよ全員集合」が始まったのが1972年。清志郎さんのデビューが1970年。清志郎さんの方が先。
芸人が客に向かって「バカ野郎」と言う流れは、ビートたけしさんが演じたこともある
故・古今亭志ん生のイメージも強い。
ビートたけしさんの師匠の深見千三郎さんも「馬鹿野郎、コノ野郎」が口癖だったとか。
江戸っ子の口癖が「馬鹿野郎、コノ野郎」で、関西で言う「でんがな、まんがな」みたいな感じでしょうか
博士の手袋は泉谷さんを意識したものかな?
戦争の最前線で戦った人は家の奥から出てこない、語れないってのは本当だろうな。
ゆきゆきて神軍とか見たら正にそう。地獄のような体験をした人はみんな田舎に引っ込んで口をつぐんで静かに生きてた。
泉谷しげる、うーん凄いミュージシャン アーティストですねー。歌のほとんどが自作の作詞 作曲、フォークシンガーとして登場したときの最初のLPレコードを持っていますが、未だに「 まぶしい空から降ってくる 白雪姫の毒リンゴ 」の意味がわかりません? 兎にも角にもこんな凄い人は他にいませんよ。この人の歌は毒にも薬にもならないどーでもいい歌など殆どありませんね、吉田拓郎や井上陽水などと比較されますが、泉谷の方が人間的にも面白味があり、ミュージシャンとしての才能も優れていると思います。ステージ上で客に対して、手拍子なんかするんじゃねー
と言いながら ダミ声でロックを歌う、これが一番のたまらない魅力なのです!!!
泉谷さんの声が年齢によるものなのか、ちょっと麻生太郎っぽく聞こえる。
団塊ジュニア世代(71~74年)もね
戦争当事者の無反省な振る舞いに対して、ムカついての安保闘争という視点がなかったので面白かった。理論があるなら聞いてみたい。
いずみやー!アベとご飯食べてニコニコしてるんじゃない!きよしろーが草葉の陰で怒ってるぞ!
昔のインタビューで’俺 体制大好きだもん’って語ってたんで驚く事はない 見せかけの左翼じゃないんだよ😊
ダンカンバカヤロウw
いつも楽しい動画ありがとうございます。少し気になった点があるのですが、「戦争をした連中の言う事を何で聞かなければいけないのか?」「朝鮮人の同級生と仲良くしたら親父に殴られた」・・だから、そういう世代に反発したという発言・・う〜ん・・泉谷さんのこと大好きだけど、泉谷さんの親の世代の人たちとそのうえの世代の人たちが、「なぜ戦争に突入したのか?」「なぜ朝鮮人に敵対心を持ったのか?」を知ってほしいし、歴史をもう少し学んでほしいと思いました。こういうところが団塊の世代の功罪の罪の面だと思いました。
泉谷さんw。好きになるのに十年以上かかったよw。やっぱ春夏秋冬は素晴らしい!
ところで、やっぱり団塊世代の、旧世代に対する怒りや恨みは、根強いんだよなぁ。ワタシは、団塊ジュニアで、左派から右派にちょっと転向しちゃいましたが、団塊の方々は、そりゃうまく行かないよねぇ。同情します。しますが、、、もうちょっと歴史を勉強してほしい。そんな単純じゃないんだから。GHQの謀略もあったし、世界情勢があった・・・。難しいけどねぇ。。
歴史の話でなく、泉谷さんは市井の感覚のはなしをしているのでは?
泉谷さんすべて分かった上でだと思うよ😊