いつもありがとうございます。 レビューにひるまず、ノスタルジーについて研究した渡部さん、さすがです! 愛すべきふるさとを持たない人はノスタルジーを持たない。 Country road, take me home, to the place, I belong... って歌ってた人もいたのですけどね。 「ノーモアノスタルジー」って言い切るレビュアーは、 ノスタルジーというものが何かをわかっている、しかし、嫌悪感を抱いている? それは裏返せば、ヨーロッパやアジアなど重層的な歴史を持つ人々に対する、 アメリカ人のコンプレックスかもしれない? あるいは、アフリカやアイルランドやアジアなどの、先祖のオリジンよりも 星条旗の旗のもとの市民であるという市民感覚形成の結果かもしれない。 シンガポールも、他民族国家であるけれど、それぞれの民族意識から脱し「シンガポーリアン」を政策的に形成してきた経緯のなかで、アイデンティティを見失いそうになったり、取り戻したり、という動きがあったように思います。 たしかに、引っ越し好きなアメリカ人。 映画を見ていても、移動すること、新天地に向かうこと、をとてもポジティブに捉えていますね。 逆に日本では、「ふるさとから引き離される」感覚のドラマが多かったかも。 日本人は、うつろうことに不安定さを感じる? 農耕民族が多かったからかな。 日本人でも最近は、ふるさとやノスタルジーを持たない人が増えてきているかも、とも思います。 いっぽう、ノスタルジーを希求するタイプのアメリカ人は、日本が好きになるかもしれない。
いつもありがとうございます。
レビューにひるまず、ノスタルジーについて研究した渡部さん、さすがです!
愛すべきふるさとを持たない人はノスタルジーを持たない。
Country road, take me home, to the place, I belong... って歌ってた人もいたのですけどね。
「ノーモアノスタルジー」って言い切るレビュアーは、
ノスタルジーというものが何かをわかっている、しかし、嫌悪感を抱いている?
それは裏返せば、ヨーロッパやアジアなど重層的な歴史を持つ人々に対する、
アメリカ人のコンプレックスかもしれない?
あるいは、アフリカやアイルランドやアジアなどの、先祖のオリジンよりも
星条旗の旗のもとの市民であるという市民感覚形成の結果かもしれない。
シンガポールも、他民族国家であるけれど、それぞれの民族意識から脱し「シンガポーリアン」を政策的に形成してきた経緯のなかで、アイデンティティを見失いそうになったり、取り戻したり、という動きがあったように思います。
たしかに、引っ越し好きなアメリカ人。
映画を見ていても、移動すること、新天地に向かうこと、をとてもポジティブに捉えていますね。
逆に日本では、「ふるさとから引き離される」感覚のドラマが多かったかも。
日本人は、うつろうことに不安定さを感じる? 農耕民族が多かったからかな。
日本人でも最近は、ふるさとやノスタルジーを持たない人が増えてきているかも、とも思います。
いっぽう、ノスタルジーを希求するタイプのアメリカ人は、日本が好きになるかもしれない。
写真集一つ一つに、作った背景や歴史、思い入れなどを知るとまた写真一つ一つをよりじっくり見てみたくなりました。
私は写真集は、図書館でしか見る機会がありませんが、深く考えて見てみようとおもいます。
先日、やっと「da.gasita」を購入できました。定価の倍の値段でしたが、手に入れることができてよかったです。
「ノーモアノスタルジー」。分かりやすくも辛辣な一言ですね!懐古や追憶は要らない、か。
近頃の若手写真作家のなかには、今という時代に対して意識的に匿名性の高い切り口を持って作品作りに取り込もうという人たちが一定数います。
実際に彼らと話をしていると、そういう話が出てくるんですが、それに関連する話かもしれないと感じました。
日本では長い間、自分の意思をはっきりさせるのがいいって言われてきたから、そうではないもので作品作りをするということもあると知って最初は驚きました。同世代でも、かなり早い時点で匿名であることの意味を知っていた人達もいるんですが、僕は気がつかなかった。
僕自身はノスタルジーにひたるのが好きな人間なのでが。想像としてはレビュアーの方はノスタルジー作品を見過ぎて頭が飽和状態になった。だから「ノーモアノスタルジー!!」と叫んだのではと想像します。人によって同じ趣向のテーマを何度も見るとそれがいくらいい作品であろうと、作品以前にもうその種の趣向自体がもうお腹いっぱいですと感じる人もいるのでは。渡部さんの「雪の国」スライドショーを見てから今これを見たのですが、この写真集の方がスライドショーよりもずっとしっくりきました。
冬青で購入した際に、発音が上手いねと褒められました。
Pranaもすごく好きなので、いつか解説もお願いします!
ありがとうございます。pranaとdemainを合わせてやろうと思ってます。
@@2bchannel606 ありがとうございます。楽しみです!
じゃない写真に記載があったエピソードですね!やはり自分も日本人なのでノスタルジーは好きですし、この写真集にも心地良さを覚えます。感傷に浸るべきではない!って意見もわかりますが、やはり面と向かって否定されると日本人の感覚的はまず「?」とはなりますよね。
受容される場所の問題ですね。da・gasitaは日本でも東北北海道の書店で多く売れたそうですが、関西以南は少なかったようです。これも「わかるかわる」の問題が大きいと思います。
RolleiflexとTri-Xの組み合わせのお話、とても興味深いと思いました。昨今はCCDからCMOS、あるいはfoveon など、画素数も含めてセンサーには色々な違いがあります。そこにレンズの個性が加わるわけですが、フィルムの時代はフィルムの種類とレンズの組み合わせが描写、あるいは写りそのものを決めていたのでしょうか。自動露出計や連写機能は考慮しないとして、フィルムカメラボディそのものにも、描写や、現像される写真に影響を与えている要素があるのでしょうか。
毎回たのしく拝見しています。ところで、2bチャンネルの 2b ってどんな意味ですか?
是非一番最初の予告編をご覧ください。ワークショップの名前です。
お金を動かしておられる方々の中には、第二次世界大戦でアメリカに逃げて来た、過去は思い出したくないという場合もあるのでしょう。クリムトのモデルの子孫の実話を
基に作られた映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」では、祖国に行くのも嫌だけど仕方がないという葛藤が描かれていました。ところで、これを作られていた時ノスタルジーを念頭にされていたのか、そうではなく自然とノスタルジーが伴ったものとなったのか、どちらなのかなと気になりました。
歴史の浅い国や移民など過去を思い出したくない人はノスタルジーを極度に嫌うことがあると米人の仕事仲間から聞いたことがあります。これに加わり最近の日本のアニメを見て、またファンタジー?と言われることがあるとか。どちらも日本人の入り込んだハイコテキストの世界なんでしょうかね。
移民は気がつきませんでした。そうですね、確かに思い出したくないはず。ファンタジーが共有できる文化って意外と豊かなのかもしれませんね。
『da.gasita』……ハタと開き…パタと閉じます。
観る度に、異なる余韻に浸ります。
いつも、目につく場所に、この写真集は在るのです。
今夜は、塩鯖を焼きました。
ノーモアノスタルジー?
じゃあ次はもっと濃いやつ持ってきますね!が正解。
雪と海の写真がすてきです。
日本人がノスタルジーが好きなのはやっぱり「古き良きもの」を重んじるというか大切にする感覚が強いからのような気がします。
だから、日本には何百年前の建物が残っていたり、百年前の桜があるとみんな見に行ったりする。
そしてそれを大切に守ろうとする。
諸外国では国の歴史自体が「ビルド&スクラップの繰り返し」で成り立っており、それが良いように言えば「フロンティア精神」、悪いように言えば「前時代(の象徴)を殲滅させる」ってことなんですよね。
ノスタルジーの精神を持たない民族はいますが、彼らは単純に「古き良きもの」の良さを気づいてイなのではないのでしょうか
最近では、何千年の歴史を謳っている中国人でさえ
「日本には我々が失ったもの(歴史のある建物や文化)がちゃんと残っている」
と評しているくらいですからね
KEYBO7Dさんのお話の場合は懐古主義≈retrospectiveについてで、アメリカで批判されるというnostalgie(仏語)/nostalgia(英語)とは違うと思います。
「ノスタルジア: 郷愁」は原則、個人の経験の中でしか通じません。同属的な文化の内部では擬似的に他者とノスタルジックなヴィジョンをシェアしている感覚になることはあると思いますが、仔細に見ていけば必ず差異が浮き彫りになります。多民族多文化社会では殊更そのような“個人の想い出”を社会的な作品として主題にしようがないという前提/暗黙の了解があるのでしょう。
(私的作品/造形性重視作品としてなら郷愁も当然容認されるはずです)
対して懐古主義: レトロスペクティヴだと、たとえば古典主義、新古典主義などのように一定度の普遍性のある態度になるものです。
したがって“伝統”について語る場合は個人の範疇を超えているのでレトロスペクティヴの問題になるはずです。
ノスタルジーにおいては伝統を語る上で重要な普遍性が伴わないため、その「感覚」は一切の伝統とは実質的な繋がりがありませんから、「日本の伝統文化」「アメリカの伝統文化」などと一般化/混同して語ることができないものになります。
この装丁はいいですねぇ。
コントラストの話がもっと深く理解したいです。
ノドで写真が切れているのが子供の頃から嫌でした。
ランダムに動画を拝見させていただいております。
ノスタルジーの否定についてですが、選者が、どのような文化で生きてこられたのかという側面もあると思われるのですが、もう少し単純に、現在主義であったのではないかと思ったりしました。写真は現在であると。アメリカの過去は浅く、多民族の場合、集団意識ではなく、個人の意識で生きていく傾向にあり、個人への意識は土地を消してしまう傾向にあるようにも思います。
da.gasitaという言葉は、自然的で、同化的な感じがしております。その同化のなかで、黒から白、白から黒、コントラストが低いから高いへの変動は、渡部さんの記憶の濃淡となって、それでもda.gasitaというベースは保たれたまま写真に現れているのではないかと思いました。 記憶が漏れ、漏れた記憶を掬い、故郷の記憶を探している、手繰り寄せようとすれば、ちぎれ、それでも探しながらというイメージがありましました。
写真集の外装、内装についてですが、赤の生命に包まれている光が動いているイメージがありました。
渡部さんの動画の背後にうつる膨大な情報をみますと、わたしが発言をすることは、場違いなようにも思いますが、笑い話として受け取っていただけると幸いです。
いつもコメントありがとうございます。とても興味深く拝見しています。深い思索に対しうまく返信できませんが、これから感想を聞かせてください。
お忙しいなか、お返事いただき、ありがとうございます。紋切り型の青くさいことばかりコメントしてしまうかもしれませんが、今後とも動画を拝見させてください。
ノスタルジー、私の子供の頃はまだ貧しい頃でしたからカメラと言えばハーフカメラが庶民の間では主流でした
渡部さんもハーフで写真を撮ったことはあるんですか?私は今でも時々使ってますがw
大人になってからハーフカメラ使ってました。キヤノンデミがすごく翌写るんですよ。
初代デミ持ってますけど
レンズはやっぱりOLYMPUSの方が
カメラ的にはデミが最高ですね
巻き上げ感覚は至宝の域に
むしろノスタルジーの否定が病的かと思います。例えば母なのですが認知で過去の記憶の多くは失われています。1、2分前の電子レンジに入れたご飯のことも。写真は過去しか撮れないものです。どうでしょう。ノシタルジーの否定は写真(原理主義)の否定かなとも思います。ただそれもアリなのですけどね。
アメリカ人はノスタルジーが嫌い、というのは意外でした。私はオレゴン州に11年赴任してくれましたが、田舎で昔からやっている食堂には、必ずと言っていいくらい、その町の100年くらい前のメインストリートや今は廃れてしまった産業の様子を撮った写真が飾ってあり、日本では見られない光景でした。アメリカ人も懐かしい物好きだと感じていました。
僕が見た中では、南部と北部、都会と田舎ではノスタルジーへの感覚が違うとありました。都会は振り返るものがどんどん無くなっていくので。とはいえ、1920年代はみんな大好きのようですね。
やはり一言でアメリカとは言えませんね。私は北西部しか住んだことがなく、典型的アメリカ人との付き合いもありません。アメリカは広いですね。
ブログとRUclipsの違いがないんですけど……ユーチューバー江田島を見習ったほうがよい。
そうですねえ。確かに。RUclipsrの方々は尊敬します。
肖像権ってご存知?