Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
「写真を嫌いになりたくない」という言葉、とても印象に残りました。技術的に上手くなりたいんじゃない。所謂美しい写真を撮りたいのでもない。では自分がやりたい写真表現とはどういうモノなのか?以前から自分にとっての写真表現をずっと考えていて、「じゃない写真」で現代アートとして写真を考える、という視点を知り、2B Channelの動画でヒントになるような話題を取り上げておられたのでいくつか拝聴させていただきました。写真撮影や展示のHOWTOは数多くありますが、写真表現=どう撮るか に終始していて、写真表現を論理的に考える機会がとても少なく、また、日本の写真界(というのがあるかどうかわかりませんが)がとても狭い範疇で写真を論じているのではないかと思うこともあり、「じゃない写真」やこちらの動画で合点のいく話が次々出てきて、とても興味深く勉強させていただいてます。私は独学で写真をやっているアマチュアなので、プロのお二人とは次元が違うかとは思いますが、いろいろな呪縛から解放されて、また写真が面白くなってきたと感じています。写真をつまらなくするのも、写真を嫌いになるのも、「写真」に対してどう考えるか、どうアプローチするかという問題なのかなと思いました。私も写真を嫌いになりたくないので、今後も考え続け、撮り続けていこうと思います。やたらと綺麗に見せる動画やとうるさい動画が多いなか、2B Channnel は心地よく流れるラジオの様に見ることができるので気に入ってます。RUclipsが若者の表現媒体から成熟して、教養のライブラリーとなっていることは、独学で写真をやっている身としては大変ありがたいです。今後の配信も楽しみにしております。ありがとうございました。
同じ景色を観たことがある、武道家同士の、ような対談で面白かったです。熊谷さんのお話しを聴いて、常に一人称で語る重要性、を感じました。
素晴らしいチャンネルを感謝です。毎回楽しみにしております。
とても面白かったです!存在証明である写真を嫌いにならないために、あえて写真が上手くならないようにする。走るのが嫌いにならないように、あえて速く走らず、ゆっくり走る。それでもなお、写真を知らない人、すなわち消費者を惹きつけられるのだろうか?と不安にはならないのだろうか?そう思っては、速く走る自分がいます。そんな自分は、自分を見失っているでしょうか…
対談を拝見し、思った言葉があります。それは、ブレーズ・パスカルの言葉で、『人間は、常に分裂し、自分自身に反対している』という言葉です。また、ピカソの制作の極致にもかさなりました。このような一流の方の対談を視聴できることをうれしく思います。
ありがとうございます。なんとなく分かるような気がします。器が幾つもあるというのは分かりやすいですね、その上で写真を取ると何もなくなる。とは、ひとつの器のスタイルをハッキリ持っている方なのですね。なるほど。
日常の中からでさえも何かを発見できること、そこに写真の愉しさがあるのかも、禅の世界に通じる感じもしました。人から言われた通りに合わせて行うことだけでは、そのような事は起きないのでしょう。
とにかく撮る。毎日撮る。ことにより、意味を持たせない。身体行為にしてしまう。なるほど。
ドキドキ感は機材から来るものもあるとおもいます。使い込まれて調子の良いFの1/15, 1型の1/100のシャツター音、とかLX/MX を野外で使用した時の胸を躍らせる音、もちろん実弾射撃でなければその感覚は発生しないと思われます。その時の気分は結果なんて野となれです、とにかく音が写してくれるようです。 今回は写真の色々な面を聞かせていただきました。渡辺師匠、熊谷さんの写真集が都写美おいてないようです、はっきり言ってーーーですね。ありがとうございました。
作為的に見せるか、純粋に無作為に見せるか、でも人間的に強くないとピュアにはなかなか行けないですね。人間的修行も必要なのかと。道の師範的なオーラを感じます。
とても面白い対談ありがとうごさいます。僕もレベルは違うものの、毎回写真を撮る時は今が最高傑作と思って撮っております。ただこれは記憶力の減衰も関係あるようで、気が付くと後で似たような写真がたくさん。あはは。でも人生、敏感過ぎるよりも鈍感力ですよね。昔から運、鈍、根と言いますもの。これからもお二人とも頑張ってください。陰ながら応援しております。
RUclipsを見ていると機材紹介はよくあるのですけど写真自体について語った動画はまだまだ少ないですね。どうしてもエモさは語りにくいのか。2B Channelはそういう説明しづらい領域に挑戦しているようで見ていて勉強になります。
私は写真は趣味でやりたいですね。また、写真は芸術の側面もあるけれど、絵画では出せない記録と言う側面もあるので、時間が経てば歴史的価値が出る。日本大学芸術学部写真学科の宣伝をたまたま見ましたが、就職率は非常によくて、卒業生が新聞社や広告代理店のようなところに就職して、報道写真、広告写真、グラビア写真、カタログ写真のプロになって行く人がほとんどだそうです。つまり、芸術写真のみで飯を食べて行くのは難しいと言うことだと思います。
Nice
写真を生業とする事の難しさの話でしたね。
常々に写真とは、「愛でる」手段のひとつだろうかなと思ってます。「描く」こともまたしかり。ピカソが「画家とモデル」という構造に拘ってシリーズを描いていますが、彼の “なぜ、自身とモデル(妻なり愛人)の間に画布を隔てる必要が私にはあるのか?“ と、ある種葛藤から漏れたような言葉(うる覚えですが…)を、そのうちの誰かが書き留めた伝記からでしょうか、読んだ覚えがあります。なんと言ってもピカソなのだから、そこには「描く」必要があるのですが、どうもそれこそが彼には煩わしかったようで、これはゴッホにしても同じく、描くことを相当に億劫がっている言葉が遺されています。ことが「愛でる」為であるならば、第三者(鑑賞)を前提とする「表現」は、本来無用の筈です。生業や名声の為というより、それは歴史や共同体の意識が強く働いていたものだろうと想像しますが、この両者に通底するのは、「描く」ことはたとえ「手段(便宜/方法)」ではあっても、決して「目的」ではなかったということです。結局はそうした感性が、彼らに歴史的傑作の幾つかを描かせもしたのだろうと思います。日本文学の最高峰は、源氏物語であるとよく言われます。紫式部の「目的」とするところも、きっと心得られたものなのでしょう。やはり女性には、その為に捨てられるものがよく分かっているなあと、この動画(偶然でしたが)を観ながら感じました。熊谷さんと言えば、クマガイモリカズの画などは、正しくそんな画でしょうか。主には、好企画に感謝致します。 ―拙言、書き放しのご容赦迄mm
最後の「写真を取ったら何も残らない」っていう言葉がとても印象深かったです。真の写真家なんですね。それを取られても他に何かあるかもな、って思わせるような自称プロ写真家が多すぎるんでしょうね。勿論、それが悪いという話ではありません。どなたとは言いませんが、依頼を受けて撮る仕事はこれから先細りだから、アーティストになると公言してるプロカメラマンの動画をRUclipsで見ました。ご自身も写真集を一冊出されている方です。商業カメラマンでは食えなくなるから、アーティストを目指す・・・???失礼ながら、比較対象が違うのでは?とコメントいれさせてもらったら返ってきた答えが、「比較対象」の話ではなく「表裏一体」の話だと一言だけ。熊谷さんがここで仰っていた内容とそのプロカメラマンの方が言いたかったこと、もしかしたら同じことなのかもしれませんが、内から見えてくる本質は似ていて非なるものとしか言いようがありません。そんなことをこの動画から感じました。とてもいい動画ありがとうございます。長文、失礼しました。
「写真を嫌いになりたくない」という言葉、とても印象に残りました。
技術的に上手くなりたいんじゃない。所謂美しい写真を撮りたいのでもない。では自分がやりたい写真表現とはどういうモノなのか?
以前から自分にとっての写真表現をずっと考えていて、「じゃない写真」で現代アートとして写真を考える、という視点を知り、
2B Channelの動画でヒントになるような話題を取り上げておられたのでいくつか拝聴させていただきました。
写真撮影や展示のHOWTOは数多くありますが、写真表現=どう撮るか に終始していて、
写真表現を論理的に考える機会がとても少なく、また、日本の写真界(というのがあるかどうかわかりませんが)がとても狭い範疇で
写真を論じているのではないかと思うこともあり、「じゃない写真」やこちらの動画で合点のいく話が次々出てきて、
とても興味深く勉強させていただいてます。
私は独学で写真をやっているアマチュアなので、プロのお二人とは次元が違うかとは思いますが、
いろいろな呪縛から解放されて、また写真が面白くなってきたと感じています。
写真をつまらなくするのも、写真を嫌いになるのも、「写真」に対してどう考えるか、どうアプローチするかという問題なのかなと思いました。
私も写真を嫌いになりたくないので、今後も考え続け、撮り続けていこうと思います。
やたらと綺麗に見せる動画やとうるさい動画が多いなか、2B Channnel は心地よく流れるラジオの様に見ることができるので気に入ってます。
RUclipsが若者の表現媒体から成熟して、教養のライブラリーとなっていることは、独学で写真をやっている身としては大変ありがたいです。
今後の配信も楽しみにしております。
ありがとうございました。
同じ景色を観たことがある、武道家同士の、ような対談で面白かったです。
熊谷さんのお話しを聴いて、常に一人称で語る重要性、を感じました。
素晴らしいチャンネルを感謝です。毎回楽しみにしております。
とても面白かったです!
存在証明である写真を嫌いにならないために、あえて写真が上手くならないようにする。
走るのが嫌いにならないように、あえて速く走らず、ゆっくり走る。
それでもなお、写真を知らない人、すなわち消費者を惹きつけられるのだろうか?と不安にはならないのだろうか?
そう思っては、速く走る自分がいます。
そんな自分は、自分を見失っているでしょうか…
対談を拝見し、思った言葉があります。それは、ブレーズ・パスカルの言葉で、『人間は、常に分裂し、自分自身に反対している』という言葉です。また、ピカソの制作の極致にもかさなりました。このような一流の方の対談を視聴できることをうれしく思います。
ありがとうございます。なんとなく分かるような気がします。器が幾つもあるというのは分かりやすいですね、その上で写真を取ると何もなくなる。とは、ひとつの器のスタイルをハッキリ持っている方なのですね。なるほど。
日常の中からでさえも何かを発見できること、そこに写真の愉しさがあるのかも、禅の世界に通じる感じもしました。
人から言われた通りに合わせて行うことだけでは、そのような事は起きないのでしょう。
とにかく撮る。毎日撮る。
ことにより、意味を持たせない。身体行為にしてしまう。
なるほど。
ドキドキ感は機材から来るものもあるとおもいます。使い込まれて調子の良いFの1/15, 1型の1/100のシャツター音、とか
LX/MX を野外で使用した時の胸を躍らせる音、もちろん実弾射撃でなければその感覚は発生しないと思われます。その時の
気分は結果なんて野となれです、とにかく音が写してくれるようです。 今回は写真の色々な面を聞かせていただきました。
渡辺師匠、熊谷さんの写真集が都写美おいてないようです、はっきり言ってーーーですね。ありがとうございました。
作為的に見せるか、純粋に無作為に見せるか、でも人間的に強くないとピュアにはなかなか行けないですね。
人間的修行も必要なのかと。
道の師範的なオーラを感じます。
とても面白い対談ありがとうごさいます。
僕もレベルは違うものの、毎回写真を撮る時は今が最高傑作と思って撮っております。
ただこれは記憶力の減衰も関係あるようで、気が付くと後で似たような写真がたくさん。
あはは。
でも人生、敏感過ぎるよりも鈍感力ですよね。
昔から運、鈍、根と言いますもの。
これからもお二人とも頑張ってください。
陰ながら応援しております。
RUclipsを見ていると機材紹介はよくあるのですけど写真自体について語った動画はまだまだ少ないですね。どうしてもエモさは語りにくいのか。2B Channelはそういう説明しづらい領域に挑戦しているようで見ていて勉強になります。
私は写真は趣味でやりたいですね。また、写真は芸術の側面もあるけれど、絵画では出せない記録と言う側面もあるので、時間が経てば歴史的価値が出る。
日本大学芸術学部写真学科の宣伝をたまたま見ましたが、就職率は非常によくて、卒業生が新聞社や広告代理店のようなところに就職して、報道写真、広告写真、グラビア写真、カタログ写真のプロになって行く人がほとんどだそうです。つまり、芸術写真のみで飯を食べて行くのは難しいと言うことだと思います。
Nice
写真を生業とする事の難しさの話でしたね。
常々に写真とは、「愛でる」手段のひとつだろうかなと思ってます。「描く」こともまたしかり。
ピカソが「画家とモデル」という構造に拘ってシリーズを描いていますが、彼の “なぜ、自身とモデル(妻なり愛人)の間に画布を隔てる必要が私にはあるのか?“ と、ある種葛藤から漏れたような言葉(うる覚えですが…)を、そのうちの誰かが書き留めた伝記からでしょうか、読んだ覚えがあります。なんと言ってもピカソなのだから、そこには「描く」必要があるのですが、どうもそれこそが彼には煩わしかったようで、これはゴッホにしても同じく、描くことを相当に億劫がっている言葉が遺されています。
ことが「愛でる」為であるならば、第三者(鑑賞)を前提とする「表現」は、本来無用の筈です。生業や名声の為というより、それは歴史や共同体の意識が強く働いていたものだろうと想像しますが、この両者に通底するのは、「描く」ことはたとえ「手段(便宜/方法)」ではあっても、決して「目的」ではなかったということです。結局はそうした感性が、彼らに歴史的傑作の幾つかを描かせもしたのだろうと思います。
日本文学の最高峰は、源氏物語であるとよく言われます。紫式部の「目的」とするところも、きっと心得られたものなのでしょう。やはり女性には、その為に捨てられるものがよく分かっているなあと、この動画(偶然でしたが)を観ながら感じました。
熊谷さんと言えば、クマガイモリカズの画などは、正しくそんな画でしょうか。
主には、好企画に感謝致します。 ―拙言、書き放しのご容赦迄mm
最後の「写真を取ったら何も残らない」っていう言葉がとても印象深かったです。
真の写真家なんですね。
それを取られても他に何かあるかもな、って思わせるような自称プロ写真家が多すぎるんでしょうね。
勿論、それが悪いという話ではありません。
どなたとは言いませんが、依頼を受けて撮る仕事はこれから先細りだから、アーティストになると公言してるプロカメラマンの動画をRUclipsで見ました。
ご自身も写真集を一冊出されている方です。
商業カメラマンでは食えなくなるから、アーティストを目指す・・・???
失礼ながら、比較対象が違うのでは?とコメントいれさせてもらったら返ってきた答えが、「比較対象」の話ではなく「表裏一体」の話だと一言だけ。
熊谷さんがここで仰っていた内容とそのプロカメラマンの方が言いたかったこと、もしかしたら同じことなのかもしれませんが、
内から見えてくる本質は似ていて非なるものとしか言いようがありません。
そんなことをこの動画から感じました。とてもいい動画ありがとうございます。長文、失礼しました。