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出雲大社といえば縁結びの神様やパワースポットとして有名です。その歴史はとても古く、実は神話の世界まで遡ります。その上、当時はいまの神殿の2倍の高さがあるほど巨大な神殿だったとされています。そんなに昔に、どうやって巨大な建物をつくることができたのでしょうか。それが、なぜ縁結びの神様なのでしょう。そこで今回の動画では出雲大社の歴史を辿りながら、その謎を解き明かしていきます。00:00 はじめに01:07 出雲大社はじまりの神話07:04 出雲大社は巨大神殿だった10:27 なぜ縁結びの神様なのか📕知的な雑談力の磨き方 amzn.to/3dEBSCw\ 世界一ハードルの低い会話術 /◆---------------------------------------------------------------◆すあし社長「大人の学び直しTV」の中の人。その他チャンネルのプロデュースも手がける。30代妻子持ち会社員として企業に勤める傍らSNSマーケティング会社を設立。世界情勢を鑑みた投資(米国株、ETF、FX)に最近は仮想通貨やブロックチェーンの世界も研究中。LINEのお友だち限定でお金やビジネスに関する情報をリアルタイムで配信しているので、ぜひお友だちになってください ⇒ lin.ee/dCwvsRuInstagram instagram.com/suasi.shacho/Twittertwitter.com/suasi_shacho◆---------------------------------------------------------------◆関連&おすすめ動画▶なぜ日本人は伊勢神宮を崇めるのか? ruclips.net/video/-Z3c_9sO1Gs/видео.html▶古事記を超わかりやすく簡単に20分で解説【日本の神話】 ruclips.net/video/KR6t-rbgNmU/видео.html▶神道とは何か?わかりやすく解説 ruclips.net/video/Uk4pwMN0b9g/видео.html▶日本の宗教ってなに?仏教と神道どちらも信じる歴史の謎 ruclips.net/video/-O9xbpxFqpw/видео.html▶天皇とは何か? ruclips.net/video/41mmFGMD2v8/видео.html▶世界情勢と為替(FX)は密接な関係 clicks.pipaffiliates.com/c?c=422999&l=ja&p=0 口座開設するだけで3,000円分のボーナスが獲得できるので それを使ってノーリスクでトレードをはじめられます!#大人の学び直しTV #すあし社長
Ask K
先生お言葉ですが、それは表、表面上の事、大国主さん、事代主さんは大和の特殊部隊の殺され怨霊化した魂を封印する為にそこに閉じ込めて大和朝廷に祟りや怨霊となった魂が宮中に来る事恐れた事ではなくでしょうか?歴史は勝者が作ります。なので神々の集まる場所とは、あまりにも悲惨な最後を迎えた、お二人の魂の鎮魂に集まるのです。綺麗に話しを曲げて国譲りだの、縁結びだの温かい事に擦り変わりました。古事記は小説ですね。
出雲大社になったのは明治中期、それまで杵築大社とよばれてました。
@@suasi_shacho 巨大な神殿は鎌倉時代時代につくられたものでした。
出雲は数年住んでいましたが、とにかくみなさん腰が低い。例えばウォーキングしていると会う人会う人みんなお辞儀されてくるんですよね。色んな街に住みましたが、こんな街はここだけでした。かといって従順であるとか卑屈であるとかではないんです。話してみるとみなさんしっかり主張があって会話が弾みます。これといって何も無い街ではあったんですが、住んでいて心地よい街でした。出雲出身ではないかつての同僚が永住を決めていますが、気持ちがよく分かります。出雲大社も色んな説があり、各々興味深いですね。出雲市駅を南に100mくらいのところに須佐一族の子孫の方がクリニックをされています。大スターと大女優の挙式の際に少し体調を崩された奥様が大社近くのクリニックを受診されたそうですが、あまりのキュートさに驚きを禁じ得なかったとの噂を聞いたことがあります。
童歌等大変勉強になりました。出雲には大和王権が氏神として祀るアマテラスに対抗する二つの大神が存在します。九州から東上し本州支配を目指す天孫族が支配の中心地として欲したのが、畿内大和地方でした。しかしここには土着の大豪族がおり、恐らく戦争になりました。この土着勢力が氏神(祖先神)としていたのが、スサノオです。スサノオは神話ではアマテラスの乱暴な弟として描かれ、遂に高天原を追放されます。追放されたスサノオは西に行き、ヤマタノオロチ(川の大氾濫の象徴)を倒し(護岸工事で水害を克服)、地元で妻を得て日本最古の和歌(八雲立つ出雲八重垣)を歌って出雲に強力な政権を打ち立てます。さらに渡来の交易人の神であるオオクニヌシが出雲に婿入りし、アマテラスの大和とスサノオ→オオクニヌシの出雲は本州を二分する大勢力になります。こうして両者の間に起こった大戦争は「国譲り」と言う名の穏健な表現にされていますが、大陸文化の影響を受けた九州本家(邪馬台国?→宇佐)のバックアップで騎馬と鉄製武器を豊富に持つ大和王権が次第に出雲族を圧倒し(数度の使者)、ついに出雲は征服されます。オオクニヌシは蟄居。息子の一人は瞬殺。もう一人は長野県の諏訪まで逃げますが破れます。梅原猛氏によると夜の闇の深い古代では、怨念とか祟りを恐れる心は強く、滅亡した出雲族の氏神オオクニヌシのために比例するもののない巨大な神社が作られ、幽閉されたオオクニヌシの御霊を慰め、幽閉から脱さぬ事を約束させる、新たな結びの儀式が全国の神々によって行われます(神在月)。こうして大和王権は次々と征服戦争を重ね、服従させた氏族の氏神をアマテラスピラミッドの傘下に加えて、ヤマトタケルの頃には北海道・東北を除く日本列島を征服。平安初期には東北も制圧して全国統一を完了します。出雲は大和王権に抵抗した最大勢力であり、巨大な出雲大社は「お前たちの氏神は尊重するので戦わずして軍門に降れ」と諸国豪族に呼びかける大和王権のアピールであった。とも考えられます。
半月程前に、夢の中で"出雲大社"というワードだけが出てきて、私の出身地からは遠い事だけは知ってたので何故だろうと気になって検索すると、私の住む県にも分社があり、先日参拝させて頂きました。参拝日の1週間程前から抑うつ状態と診断され気分が沈んでいる時でしたが、鳥居に入り参拝すると、姿や声が聞こえる訳ではありませんが、テレパシーのような大きな愛で"辛かったね、大丈夫だよ"と言われてるような気がしてその場で泣いてしまいました。私の勝手な妄想であれば、そうに過ぎないのですが、今まであまり神の存在を感じる事は無かったので初めての経験で凄く感動しました。近々、出雲大社本殿にも伺おうと思っています。
今年は、是非御参りさせて頂きたいです🪷いつも、ありがとうございます⛩️🌿
いずもたいしゃ と、読むとばかり思っていました。出雲大社には、ずっと興味がありましたので、動画にして下さり、嬉しかったです。ありがとうございました。いつか行ってみたいです。
いずもたいしゃでもあってるよ
@@迸る愛 ありがとう♪
パワースポット お友達とバスツアーで行っきました。巨大神殿の模型見てきました。まるで宇宙に繋がる滑走路のようでした。巨大柱の本物見てきました。凄かったです。良縁 素敵な方々とこれからも縁ありますように2礼4拍手1礼してきました。パワー頂き元気受電してきました。詳しくお話し頂きありがとうございます。とても良く分かりました。ありがとうございます😊
ありがとうございます😊
高さ48mの神殿とギザのピラミッド内部がそっくりというお話も別にあって興味がありました。いろんな説が繋がっているのと仕事も含む縁結びは日本以外の国にもあってなぜかハッピーな気持ちになりました。私は台湾在住ですが、😄親戚が皆鳥取なので因幡の白兎から鳥取の白兎海岸にも纏わるお話、ありがとうございました。
地元民ですが知らないこともたくさんあり面白かったです!縁結びの神様のお社なのに、正門から入るとスセリさんと弁天さんお祀りしてあってカップル(夫婦は対象外)で行くと縁切りされちゃうんですよねもし恋人と行く際は裏からお詣りを笑迷信と解ってても……若い時は躊躇っちゃってましたね
ありがたくないな
彼女と出雲大社に行った3ヶ月後に別れました
同じ島根県でも石見地方の人と出雲地方の人は違う民族な感じがする。気質も方言も。出雲は広い平地で民家に高い松の木が防風林として植えてある所が多く、民家の瓦屋根も石見の石州瓦とは違い、黒く真ん中がやや凹んでる。あの地形になにが重要視された物があるのか想像するのも面白い。
出雲出身者としては子供の頃から出雲大社は誇りでした。何処出身ですか?と聞かれたときも出雲市と言うより出雲大社の近く、という方が全国何処ででも分かっていただけたのです。
面白く、細かい説明ありがたいですいろいろな、諸説勉強になります!ありがとうございます
動画、分かりやすかったです。出雲大社はここ1年くらいで3回訪問したのですが、何回行ってもいいところです。また行こうと思います。
良縁に恵まれますように🌸いつも、ありがとうございます💌
一度見てみたいなぁ!広島まではよく行っていたが島根は行ったことがないのが悔やまれます
現在の神殿としての写真は、あくまでも「神魂神社」のものであり、出雲大社の形式として一番古い様式を持った神社であり、出雲国造家が代々居住していたとされる神社であり、現在の千家国造家の居住地であったとされています。誤解を呼びます。更に、出雲市の南部にある須佐神社も同様に古い大社造りの神社(祭神はスサノオノミコト)である事も忘れないで欲しい。更に、松江市の南部には熊野大社もあることに留意する事も重要です。出雲の国風土記を詳しく読むとかなり複雑であることが理解でします。更に、天井画の八雲は出雲大社には7つ、神魂神社には9つの雲が描かれており、これも謎。古代出雲には謎が多すぎる事が現在の学者の共通認識になっています。ちなみに、斐伊川上流では古来から製鉄が盛んであったことも関係して居そうです。そして大量の銅剣、銅鐸、銅矛等も何故一か所に埋納されたのかも解明されていません。島根県立歴史博物館で詳しく調べてみてください。矢張り分からないことだらけです。
出雲大社が好きなので(いずもおおやしろ)と言ってくださりありがとうございます😊
出雲大社に今年行ってきた。何もかも大きかった。丁度、結婚式をやってたんだけど、あれは良い光景だった。一度は行った方がいい。神社を好きになれると思う。
嬉しいお話有難うございます❤出雲大社のご縁を深く感じているので幸せでした〜❤
ありがとうございます^^
出雲大社は、明治の初めまで杵築大社といいました、
動画配信お疲れ様でございます❤🎉
いつもありがとうございます😌
この学び直しは、ほぼ正しい、と私は思いました。1つ挙げると、神々の話のなかでは、3つの世があり、それぞれが、この学び直しで示された名で記されています。加えて、出雲の神のやしろの柱が掘り出されたことも、とてもおもしろい考古学の成果であることも、私の記憶にあざやかに残っています。
ありがとう。和と輪、産み出す二重唱。感謝プロジェクト🎉🌈🍀
神在月ですね~☺僕はワリと「葦原の中つ国」という昔の日本人の”ネーミングセンス”が好き。。。”成長は早いけど儚く脆く、世代交代を繰り返す”、諸行無常の今生。。。。銅剣や銅鐸が”武器”だったのか”祭具”だったのかは僕には分からないけど、出土品の”量”と言う意味で<全国的に稀な遺跡>が集中している地域ではある🤔一方で、”質”としても「縄文期に朝鮮半島と交易していた遺跡」が近辺にあったりして、出雲地方が<太古の日本の重要拠点>ってのは多分間違いないと思う。※その遺跡から出土した人骨から”脳”が発見されたのが割と最近ニュースになった。 そして、その遺跡は”白兎伝説”のスグ近く。。。出雲大社の”注連縄”を初めて見たときに、「注連縄と建物のバランス、おかしくないか?」と思ったことがある。。。。まぁ、「木造の高層建築」を続けてたら”耐用年数”に無理がありますよね😂でも、「研究者の仮説と一致する3本まとめた柱」、研究者、awesomeあと、江戸時代の御師や巫女さん、ガンバッタ😉すあしさん、イズモ配信アザッス🙏
mst near the hellさんこちらこそいつもありがとうございます😊
いつもありがとうございます。感謝します。😀🍀🌻
勉強になりました学び直しではなく、初めて知ったことが多かったです
👍
ありがとうございます。出雲大社様。彼女と復縁します様。感謝します。
楽しい解説ありがとうございます。ところで、4柱が、横を向いていること、本殿内の天井絵、八雲の図が7つしかない事は御存じですか?
出雲の住人です。画像は正しいものを使用して下さい。本殿の画像は明らかに「出雲大社」では有りません。規模が全然違います。また、大注連縄の有る建物は「神楽殿」で有り「出雲大社」では有りません。
神楽殿を本殿と思ってました😅有り難う御座いました🙇。
出雲住人やけど、別にそこまで気にせんでええと思うわ知ってもらえればそれでええ😊
@@シャインマスカットフィンガー 「神楽殿」は千家国造家の建物で有り、「出雲大社」の建物ではないことを正しく伝えるのが出雲人の役目で有ると思います。
@@sijimi333 出雲人のプライドを見た・・
どっちでもいいよ…😅歴史を調べたい人は自分で調べるだろうしね
はじめまして。記紀の出雲は島根県ではありません。出雲は八束水臣津野が出雲の名付け親で8世紀の701年に出雲が誕生してます。また、出雲風土記にはスサノオ、大国主、事代主、建御名方神は登場しないし国譲り神話は書かれてません。また、出雲大社(杵築社)は8世紀716年に48m神殿が創建されてます。記紀の国譲りでアマテラスオオミカミが大国主に建てた宮は徳島県の大御和神社(延喜式式内社)で出雲大社の元社です。阿波には伊の奈佐浜も諏訪も高志もあります。また、近くにはすさのう神社(式内社)と事代主神社(式内社夷総本山)と建御名刀神社(式内社)倭大国魂神社(式内社)倭大国敷神社(式内社)大国主墓所スサノオ墓所アマテラスオオミカミ墓所が徳島県にあります。また、イザナギイザナミの国産みでも阿波は国名神名が記載ありますが出雲は記載ありません。記紀の伊豆毛は阿波風土記の阿波の伊豆毛神話です。
同感です。最近日本の起源が阿波説が有力視されてますよね。阿波の歴史はシュメール、ユダヤから始まり、古事記、日本書紀で奈良に繋がっているのが解ります。これまでの学者は阿波風土記を読まなかったのでしょうね。そして、自分の学説を変えられない、悲しい人達です。
延喜式927年の阿波の式内社は50社、南海道6国でも163社。多い順に、大和286社、伊勢253社、出雲187社、近江155社、ツヌガアラシト伝説の但馬131社、継体天皇の越前126社、、、。畿内5国650社、東海道14国709社、元出雲丹波のある山陰道8国558社、東山道8国382社、北陸道7国322社、山陽道8国140社、西海道11国107社。出雲1国で南海道全社を上回る数。阿波から遠い山陰道&北陸道併せて日本海側に880社、阿波のある南海道を囲む山陽道と西海道の三道併せても410社。信濃にも伊豆毛神社があります。東海道3位の伊豆も92社(2位は尾張121社)。この頃には阿波淡路の歴史は完全に封印されていたということなのでしょうか?阿波国風土記編纂時と延喜式式内社制定の時代の空白の間に何が有ったのか謎が深まります。
明治までは杵築大社と呼ばれていたそうですね😂
読み方からして勉強になりましたありがとう!
有難う御座いました。
大変興味深く拝見しました。井沢元彦という作家さんが書いた「逆説の日本史」という本ではオオクニヌシは祟り神だという説が展開されていました。一般の人が参拝する場合、本殿の中の様子はわからないようになって居るらしいのですが、オオクニヌシを封じるかのような配置になっているとか。そのように考えると「国譲り」は国の滅亡を示し、そこで大きな恨みが残り、神様にすることで祟りを避けた、そして封じようとしたという説です。それなりに説得力があると感じました。
そうかもしれませんね!山陰地方ですから。
②日ノ岬(日ノ御埼)和歌山県?③日御碕神社上下二社(島根半島) も紹介して欲しい?ですね道が改良された ① 出雲大社 社殿は南 神は西向き でしたかね 毎年 島根ワイナリーを楽しみ 「出雲ぜんざい」煮 弱く 少し 甘くなりすぎ 残念
ところが、その時代、その地方で争いがあった形跡が見つからないんですよ(その、前後の時代には各地で争いの跡が見つかっているらしい)なので、本当に平和裏に国譲りがあったのかもしれないと言う説もあり、その辺、謎と言うかロマンですね。
昭和晩年、立命館大学文学部に通う友人の話。「出雲神話机上創作説」の松前健博士は、「発掘がどうであれ、ボクの話は変わらない」と語っていたそうな。
子供の頃に母からよくいなばの白兎の話を聞いてましたが古事記でしょうか?
古事記にありますよ!大国主命様がウサギ助けるやつですね
世田谷在住の農家です。我が家の神様も10/31にお土産のお団子36個をお持ちになり出雲への参勤交代にお立ちになります。11/30にお帰りになります。日本各土地の地元の神様なのでその地元の若い男女の縁結びを相談してくださると言い伝えられています。
もう少し知りたいです。なんと調べれば、そのルーツを辿れますか?
明治時代以降に京都の亀岡にある出雲大神宮から現代の出雲へ気づきの社へと分社されたとあります。出雲地方は昔から外敵や外からの侵入、貿易の拠点だったのでしょうね。白兎(素兎)の神話をみるとき、古代メソポタミア付近の史実との関連を疑わせさせられます。 イシン王国の都市ウルのワニンことアムル系人、トルコ南部にあったタカアマとハラ(ン)という都市、シリア地方にあったヤマアド王国、ヤマアド王国と同盟であったホーリことフルリ人国家、ヒッタイト王国のハタと名乗るエラム人、古代エラム王国の都市スサの王インシュシナク、タカアマ、ハランの都市からアマ人ことアムル人が南下した時、途中サルゴン王のアッカド帝国があり、ウルに辿り着いたとき既にシュメール人の兄弟民族のエラム人が占領していたが、シュメール人の王はイビシ神、エラム王国はアムル人との戦いに負け、ウルをあけ渡します。シュメール王のアマ神王と王姫アビシティとシュシン王の三角関係など、日本神話に出てくる名前とよく似ています。現代の遺伝子研究から、出雲、北九州や丹波地方から畿内へと渡来人が渡って来たのではないでしょうか。
明治になって出雲大社と呼ばれだしたけど江戸時代までは土地の名前の都築大社と呼ばれていたそうですが、今その事には一切触れませんけど何故ですかね?
出雲へ行くと別れるというのを聞きますね。諏訪大社もそうだと
二千年も昔に50メートルもの高さの木造建物を作ってた事に日本の技術の凄さにビックリ😮
有難う御座います🙏私は幸せです❤
😊
ありがとうございます❣️。
解りやすい説明で大変良かったのですが、何度か出てくる本殿の写真が神魂神社のものを使用していたこと。現存する最古の大社造りではありますが、出雲大社の本殿と誤解されるような説明になっているのが残念です。
いずもたいしゃってずっと読んでたw
杵築大社が本来で、出雲講(伊勢参りと同様に杵築の人たちが参拝を促に全国を旅したのです)出雲と言った方が分かりやすいので、出雲大社と呼ばれるようになったのです。
杵築(出雲)大社は、716年に創建された。丁度、古事記が編纂作業ナウだった時代。創建、建立したのは国や、況してや今の宮司家、出雲国造等は一銭、米粒さえも出していません。旧出雲王国の東西2つの元王家が共同協力して建立した。東の元王家、富家(皇室の本宗)は領有していた土地を売却して新たな大社(出雲大社)の要地買収に当てた。西の元出雲王家、神門臣家は所有する山林から用材を切り出し、作事一切合切の費用を負担。何でこの場所か?は、徐福ら渡来人勢力に暗殺された第8代大穴持(主王、帝)。(実行主犯は出雲国造家の始祖、ホヒとヒナドリ)の陵墓地が後背の竜山に有ったため。(摩天楼の空中神殿はその慰霊、祭祀、遥拝の為)
ここでいつも不思議に思うのが、同じ出雲地方には一宮として熊野大社もあり、現在でも出雲大社の行事に欠かせない火に纏わる道具は地元の熊野大社から許可をもらって行われてること!出雲大社の宮司さんも地元の熊野大社の認可によって得られるものなのですが、和歌山県にある熊野大社とは直接関係ないそうです。
昔は境内の案内板には和歌山の方が分院だと書いてあったと思います元々南紀は出雲の領地でしたが後世に京に近い和歌山側が大きくなって勘違いしたのでしょう
出雲大社を取り上げるとき、テレビにしても雑誌にしてもネットにしても、だいたい神楽殿の映像や画像が使われる。あれはただのイベントホール的な建物。ちゃんと本殿の映像や画像を使って欲しい!
やかましいわ😂
@@MON_MOSO_MON勉強しな
@@crossjp4854 じゃかましいわ🤣
@@MON_MOSO_MON そこら中で知性の欠片も無いコメントして、その都度自分で高評価付けて、虚しくない?笑
@@MON_MOSO_MONおっおっ。カッスカスカスカッス。
この神殿模型を私は見たことがある。それはエルサレムで見た、イスラエルの古代神殿の模型です。イスラエルが北と南に分かれていたころに作られた神殿です。出雲とそっくりの模型でした。
出雲大社は岡山県在住の私にも身近な神社です。大国主命はステキなナイスガイだったのですね😅
実に立派な解説!感服しています。教育教材を作ってみられてはいかがでしょうか。
日本は怨霊を鎮める文化なので、怨霊を鎮めるための出雲大社だと思います。だから出雲はしめ縄は確か逆結びですよね。
逆結びあるんですか!そしたら別れ縁結びですね!
わかる人にはわかるようになってるんですね😮逆しめ縄不思議
出雲大社のホームページでは「いづもおおやしろ」となってます。
地域に大国主祀ってる神社があって、うさぎさんの像あるね。次行ったら撫でてみるかな
京都府亀岡市にある元出雲、出雲大神宮との関係しりたいですね
良くわかってない😹知らない知識ありがとうございます♪
椿大神社にもウチデノコズチ来ました。私達にも❤🎶💓🎶🔯❤
心御柱見に行ったけど、伝説だったものが実際に目の前にあるっていうのは素晴らしい経験だった
日本人は遺伝的には大きく縄文系と弥生系がミックスされていると考えられています。基本的に南西に行けば行くほど弥生系の遺伝子の割合がより大きくなるそうですが、出雲大社の周辺だけはなぜか突出して縄文系の遺伝子の割合が増えるそうです。元々縄文人の神が大国主神、渡来した弥生人の神が天照大神とすれば説明がつく現象かと思います。もちろんそんな単純な話ではないかも知れませんがロマンを感じます。
それって絶対根拠のないやつでしょ。
それって絶対ロマンがあるやつだね。
神話の世界を考える時、後世の伝承として残っているものと周辺の国家の記録から推測できる事があります。現実にいつの時代かを確認できるようになってきたのでしょう。天照大神のモデルが誰だったのかという疑問も、邪馬台国の卑弥呼が人の名前かどうかという事がある。日の巫女として何代にも渡って、つづいた職業だったとしたら、とすれば国ができた初期の巫女をモデルとして、天照大神となった可能性もあるのです。
@@咲良民都 聖書の出エジプト記は時期的にエジプト文明の頃の出来事が伝承されてたり、神話は伝承や口伝の側面はかなり強い。けど、神との契約とか天津神とか国津神とか現実とはかけ離れたことが記録に残ってるのがどうもね。
@@KOWJSLV いや、なくはないです。 出雲族の遺伝型は縄文系のD1bということが研究でわかっています。また東大の研究で現在の出雲出身者の人は周辺地域とは遺伝子が大きく異なり縄文の血が濃く、東北の人と遺伝子が近いことが発表されております。これは出雲弁と東北特有の「ズーズー弁」が共通していることも裏付けになります。そして邪馬台国があったとされる近畿地方は他地域と比べ弥生系の血が最も濃ゆい地域です。なので元々縄文人の神が大国主神というのはあながち嘘ではなく事実かもしれません。
拝礼の仕方が、宇佐神宮と同一というのが昔から気になるところ。大きなしめ縄にも意味があるのだろう。
宇佐神宮に祀られている女神が、卑弥呼という話もあります。出雲の国と邪馬台国を、大和政権が滅ぼしたと考えると、自分たちの正当性を主張して歴史を残すなら、都合よく書きますよね。
ロマンがあるなぁ
平成の大遷宮の時は一口千円分を奉納しました合計80億円かかるそうで人数で割ると丁度八百万人だったのを覚えています
たいしゃに馴染んだ自分的には違和感やばいw
出雲国譲りや八岐大蛇退治はヤマト王権の出雲征伐だと思っています。俗説では八岐大蛇退治は治水工事だと言われていますが・・・。
有難うございます。お伊勢様よりこちらを先に見るべきでした。😊
所々に神魂神社の写真が混じっている気がする…
記紀神話に沿った無難なお話でもう少し独創的な考察があってもいいのではないかと思いました。自分は出雲地方の生まれで神話まみれで育ちましたが地元では子供への戒め的な側面が強く政治的な側面は一切ありませんでした。が、大人になって再考してみると逆に何故そうなのかが面白くなっています。今は世界が騒がしくなっていますが自衛隊の空母に「いずも」と名前がついていることに何かの使命役割を感じています。大きな戦にならないように神の御加護がありますように。合掌。
神話の解釈は色々あるけど、身から出たサビとはいえ、傷ついたうさぎを優しく介抱してやるオオクニヌシの優しさが大変良いと思います。そんな日本でいて欲しい。戦いや争いは何も産まないと、古代の日本人は悟っていて、神話に残したのかも?プーチンに聞かせたいものだ。
詳しい事は知りませんけど 出雲は旧海軍に在籍していました 近代海軍が発足してから 加賀 飛竜 蒼龍 金剛等 旧海軍の名を冠した護衛 潜水艦艇が就航しました ひょっとしたら 後年 日本海軍の最強艦艇として大和 赤城 就航かも‼️
神話の時代から「力」「知恵」ではなく「優しさ」なんですね^^
由緒の古い神社は呼び名も古いものが多いですね。三重県鈴鹿市にも、椿大神社と書いて「つばきおおかみやしろ」と読む神社があります。つばきだいじんじゃ、ではありません。猿田彦大神や天之鈿女命(アメノウズメノミコト)をお祀りしている神社です。それほど大きくはないですが、まっすぐな参道の途中に古く大きな古杉が数本、苔むしながらも根を下ろしており、真っ直ぐな参道なのに本殿がなかなか見えてこないという、鎮守の森が醸し出す雰囲気がとても良いところです。
出雲大社さまは砦か山城を感じます。今でもこの国を護っていらっしゃいます。
出雲(杵築)大社の創建、落成は『西暦716年』造営、創建したのは大和朝廷でも、況してや今も居座り占拠する出雲国造(ホヒ)家等ではなくて旧出雲王国の東西2つの王家が共に協力して造営、創建なさった。
出雲大社(いずもおおやしろ/いずもたいしゃ)は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社。祭神は大国主大神[1]。式内社(名神大)、出雲国一宮で旧社格は官幣大社[2]。神社本庁の別表神社[2]。宗教法人出雲大社教の宗祠。二拝四拍手一拝の作法で拝礼する[3]。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。 古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」[4]、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある[5](前者は現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混在、後者は現代仮名遣い)。歴史的仮名遣いでは「いづもおほやしろ」となる。一般的には「いづもたいしゃ」と読まれており[4]、複数の辞書・事典でも見出しの読みを「いずもたいしゃ」としている[6]。島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』では出雲大社の項目は正式名称の「いずもおおやしろ」として掲載する一方[2]、出雲大社本殿(いずもたいしゃほんでん)など登録文化財の項目については登録名に従った読みで掲載している[7]。古事記に書かれている出雲の場所は徳島県香川県の海岸部である、古事記の分の1が3出雲の話であるが島根の話ではない、大国主と言われる人物が登場するが古事記に出て来る大国主と別人である、古事記に国を引っ張ってくる等記載が無い出雲に観光に行けば蕎麦一杯無料で食べられる券をばら撒いて無理やり観光地にした過去があり!
逆だと思います最近のゲノム解析の地図を見ると、弥生人や渡来人は九州でなく、対馬海流にのって山陰、北陸を経て、畿内に至ったことがわかります。出雲大社や日本最大の弥生遺跡である妻木ばんだ遺跡が鳥取にあるのは、弥生人や渡来人にとって山陰などは新世界、アイデンティティの地だからではないでしょうか。出雲はまさしく日本国発祥の地ではないでしょうか。ちなみに邪馬台国は縄文人の血が濃い九州にあったのはまちがいないとおもいます
やはり大和王権。都合がいいことを残すとは。
見学しました巨大でした。ついでに竹内まりやの実家の旅館を見ました。
古代出雲王国と、国譲り神話。『ウルトラセブン』のノンマルトの話に似ているような・・・?。
大人の学びとして、出雲大社と呼ばれる様になったのは明治4年以降、(多くのゴタゴタ後でかなり近代)それ以前から記紀迄の長い期間はどうだったのかは大人の事情?元出雲大神宮というのが京都、亀岡に存在する謎?本当はどっち?
兎には蒲の穂にくるまれと、大国主命は、教えてあげたと記憶してますが・・・・・蒲の穂には薬用成分があり、それで兎も治ったと、言う事じゃなかったかな。
え、すごい!皮を剥がされて泣いてるうさぎの素材なんてあるんですね!
柱三本束ねた。当時のテクノロジーが作ったと思うが台風や地震にあったと思うが崩壊すると思うし危ない建設物だったでしょうね。最初は良かったと思うが四季を乗り越えるには大変だったでしょうね暖房など古代はないと思うし
この「国譲り」に反対して、出雲を追われて逃げ延びたのが諏訪大社なのですが、ヤマトとの関係は分かりません。神話の世界は不思議ですが、真実の歴史も含まれているのでしょう。
現存する唯一の風土記である出雲国風土記には、国譲りなど神話に関することはまったく書かれてません。
杵築神社⛩️。 「いずもおおやしろ」は明治時代からの呼び名。
「葦原の中つ国」が語源となって出雲地方を含む現在の「中国地方」になってるのよね。
古事記には出雲大社やキズキシャも出て来ません。宮崎県も出て来ません。出雲の名は全国に沢山あります。 出雲風土記にも古事記の事は記されていません。よろしくお願いします
ありがとうございます。
先祖代々山陰地方の鳥取県、島根県出身我が家の言い伝えでは大国主がアマデラスの民へ国を返す事により高いところで奉るようにしたとのことそして大国主の御霊を祀るため、千家が代々大社を守って来ていると、天皇でさえ本殿の祀るものを拝謁できないと、見れるのは千家の長子のみであり、本殿の左奥に祀られているんだよ祟りとは示すものが出てきて混乱を招く、大国主は災いの神でもある事も忘れてはならないよと聞きました
⛩️杵築大社(キツキノオオヤシロ)⛩️
昔からの謎神無月を出雲地方では「神有月」と呼ぶことは知っているけど神無月の間、地方の神社は誰が守っているの?
巨大神殿は鎌倉時代では無かったですか?
白拍子 出雲のお国が舞い踊る世の中清める神事かな
貴重なお話をありがとうございました!🙇♂️🙇♂️👏👏🙇♂️ 南無妙法蓮華經🙏
進んだ国、中国や朝鮮と言っていたのですが、古代出雲大社の様な高度な建築物が中国や朝鮮に発掘されたのですか?
つい最近まで日本国内では、出雲の大社(おおやしろ)を超える建物はタブーでした織田信長でさえ安土城の天守閣の高さを大社に1メートルだけ遠慮して、47メートルにしたと言い伝えれれてます令和の現代では、宗教施設に限られてますが、高さが大社を超えてはならないのは暗黙の了解なのです
いつも興味深く視聴してます。『神有月』に全国の神様が出雲に集まるとは以前からよく耳にしてますが、一つ疑問があります。出雲へ出向かない神様はいないのでしょうか? 例えば、天照大神も出向くのでしょうか?頂点の神様ですからお出ましにはならない気がするのですが....... 教えて戴ければ幸いです!
出雲大社の近所に天照大神のためのお泊りになるとされる宮(神社)が存在します。そんなに大きいお宮ではありませんし、大社の境内でもないので、「あぁ…ここか」って思います。来るかどうかは別として、一応用意はあるってとこでしょうか(笑)素戔嗚尊は大社境内の左手後ろ側だった記憶があるので、待遇に差はありますよね。また、この左手後ろはものすごく意味があります。
昔読んだ本に、神無月は現在の10月頃に当たるが、この時期は西風が吹くという。出雲に神々が集合するのだが、一番最後に到着するが天照神だったそうだ。それは対馬のアマテル神社から来る神だった。
#島根県 #出雲大社 #大国主命 2:19
1:20 7:05 15:40
#古事記 #日本書紀
大国主命は死後の世界を司る神でもあります。
ごめん、すあし社長動画の内容ではなくて。奥さんと子供と実際に取材にしたのかな?と思いました。すあし社長の子供は何歳なのかな?内容も良いんだけどすあし社長の経歴も気になります(笑)
ありがとうございます。子供はまだ小さいです(^^)どこかで自己紹介しますね!
2022年11月4日から神在月のようです素顔で参拝が出来ました神主さんが江戸時代から大國さん大黒さんが一緒になってると言ってました卑弥呼も朝鮮人だという霊能者さんもいました巨大な神殿って、柱状節理を知ると有り得そうだと思いましたが、違うんですかね?
半島南部は日本人が住んでいました
ヒミコは南方諸島の民族です!沖縄から北上してます
出雲大社といえば縁結びの神様やパワースポットとして有名です。その歴史はとても古く、実は神話の世界まで遡ります。その上、当時はいまの神殿の2倍の高さがあるほど巨大な神殿だったとされています。そんなに昔に、どうやって巨大な建物をつくることができたのでしょうか。それが、なぜ縁結びの神様なのでしょう。そこで今回の動画では出雲大社の歴史を辿りながら、その謎を解き明かしていきます。
00:00 はじめに
01:07 出雲大社はじまりの神話
07:04 出雲大社は巨大神殿だった
10:27 なぜ縁結びの神様なのか
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すあし社長
「大人の学び直しTV」の中の人。その他チャンネルのプロデュースも手がける。30代妻子持ち会社員として企業に勤める傍らSNSマーケティング会社を設立。世界情勢を鑑みた投資(米国株、ETF、FX)に最近は仮想通貨やブロックチェーンの世界も研究中。LINEのお友だち限定でお金やビジネスに関する情報をリアルタイムで配信しているので、ぜひお友だちになってください ⇒ lin.ee/dCwvsRu
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#大人の学び直しTV #すあし社長
Ask K
先生お言葉ですが、それは表、表面上の事、大国主さん、事代主さんは
大和の特殊部隊の殺され怨霊化した魂を封印する為にそこに閉じ込めて大和朝廷に祟りや怨霊となった魂が宮中に来る事恐れた事ではなくでしょうか?歴史は勝者が作ります。なので神々の集まる場所とは、あまりにも悲惨な最後を迎えた、お二人の魂の鎮魂に集まるのです。
綺麗に話しを曲げて国譲りだの、縁結びだの温かい事に擦り変わりました。古事記は小説ですね。
出雲大社になったのは明治中期、それまで杵築大社とよばれてました。
@@suasi_shacho 巨大な神殿は鎌倉時代時代につくられたものでした。
出雲は数年住んでいましたが、とにかくみなさん腰が低い。例えばウォーキングしていると会う人会う人みんなお辞儀されてくるんですよね。色んな街に住みましたが、こんな街はここだけでした。
かといって従順であるとか卑屈であるとかではないんです。話してみるとみなさんしっかり主張があって会話が弾みます。
これといって何も無い街ではあったんですが、住んでいて心地よい街でした。出雲出身ではないかつての同僚が永住を決めていますが、気持ちがよく分かります。
出雲大社も色んな説があり、各々興味深いですね。出雲市駅を南に100mくらいのところに須佐一族の子孫の方がクリニックをされています。
大スターと大女優の挙式の際に少し体調を崩された奥様が大社近くのクリニックを受診されたそうですが、あまりのキュートさに驚きを禁じ得なかったとの噂を聞いたことがあります。
童歌等大変勉強になりました。
出雲には大和王権が氏神として祀るアマテラスに対抗する二つの大神が存在します。
九州から東上し本州支配を目指す天孫族が支配の中心地として欲したのが、畿内大和地方でした。
しかしここには土着の大豪族がおり、恐らく戦争になりました。
この土着勢力が氏神(祖先神)としていたのが、スサノオです。
スサノオは神話ではアマテラスの乱暴な弟として描かれ、遂に高天原を追放されます。
追放されたスサノオは西に行き、ヤマタノオロチ(川の大氾濫の象徴)を倒し(護岸工事で水害を克服)、地元で妻を得て日本最古の和歌(八雲立つ出雲八重垣)を歌って出雲に強力な政権を打ち立てます。
さらに渡来の交易人の神であるオオクニヌシが出雲に婿入りし、アマテラスの大和とスサノオ→オオクニヌシの出雲は本州を二分する大勢力になります。
こうして両者の間に起こった大戦争は「国譲り」と言う名の穏健な表現にされていますが、大陸文化の影響を受けた九州本家(邪馬台国?→宇佐)のバックアップで騎馬と鉄製武器を豊富に持つ大和王権が次第に出雲族を圧倒し(数度の使者)、ついに出雲は征服されます。
オオクニヌシは蟄居。息子の一人は瞬殺。もう一人は長野県の諏訪まで逃げますが破れます。
梅原猛氏によると夜の闇の深い古代では、怨念とか祟りを恐れる心は強く、滅亡した出雲族の氏神オオクニヌシのために比例するもののない巨大な神社が作られ、幽閉されたオオクニヌシの御霊を慰め、幽閉から脱さぬ事を約束させる、新たな結びの儀式が全国の神々によって行われます(神在月)。
こうして大和王権は次々と征服戦争を重ね、服従させた氏族の氏神をアマテラスピラミッドの傘下に加えて、ヤマトタケルの頃には北海道・東北を除く日本列島を征服。平安初期には東北も制圧して全国統一を完了します。
出雲は大和王権に抵抗した最大勢力であり、巨大な出雲大社は「お前たちの氏神は尊重するので戦わずして軍門に降れ」と諸国豪族に呼びかける大和王権のアピールであった。とも考えられます。
半月程前に、夢の中で"出雲大社"というワードだけが出てきて、私の出身地からは遠い事だけは知ってたので何故だろうと気になって検索すると、私の住む県にも分社があり、先日参拝させて頂きました。
参拝日の1週間程前から抑うつ状態と診断され気分が沈んでいる時でしたが、鳥居に入り参拝すると、姿や声が聞こえる訳ではありませんが、テレパシーのような大きな愛で"辛かったね、大丈夫だよ"と言われてるような気がしてその場で泣いてしまいました。
私の勝手な妄想であれば、そうに過ぎないのですが、今まであまり神の存在を感じる事は無かったので初めての経験で凄く感動しました。
近々、出雲大社本殿にも伺おうと思っています。
今年は、是非御参りさせて頂きたいです🪷いつも、ありがとうございます⛩️🌿
いずもたいしゃ と、読むとばかり思っていました。
出雲大社には、ずっと興味がありましたので、動画にして下さり、嬉しかったです。ありがとうございました。いつか行ってみたいです。
いずもたいしゃでもあってるよ
@@迸る愛
ありがとう♪
パワースポット お友達とバスツアーで行っきました。巨大神殿の模型見てきました。まるで宇宙に繋がる滑走路のようでした。巨大柱の本物見てきました。凄かったです。良縁 素敵な方々とこれからも縁ありますように2礼4拍手1礼してきました。パワー頂き元気受電してきました。
詳しくお話し頂きありがとうございます。
とても良く分かりました。ありがとうございます😊
ありがとうございます😊
高さ48mの神殿とギザのピラミッド内部がそっくりというお話も別にあって興味がありました。いろんな説が繋がっているのと仕事も含む縁結びは日本以外の国にもあってなぜかハッピーな気持ちになりました。私は台湾在住ですが、😄親戚が皆鳥取なので因幡の白兎から鳥取の白兎海岸にも纏わるお話、ありがとうございました。
地元民ですが知らないこともたくさんあり面白かったです!
縁結びの神様のお社なのに、正門から入るとスセリさんと弁天さんお祀りしてあってカップル(夫婦は対象外)で行くと縁切りされちゃうんですよね
もし恋人と行く際は裏からお詣りを笑
迷信と解ってても……若い時は躊躇っちゃってましたね
ありがたくないな
彼女と出雲大社に行った3ヶ月後に別れました
同じ島根県でも石見地方の人と出雲地方の人は違う民族な感じがする。気質も方言も。
出雲は広い平地で民家に高い松の木が防風林として植えてある所が多く、民家の瓦屋根も石見の石州瓦とは違い、黒く真ん中がやや凹んでる。
あの地形になにが重要視された物があるのか想像するのも面白い。
出雲出身者としては子供の頃から出雲大社は誇りでした。
何処出身ですか?と聞かれたときも出雲市と言うより出雲大社の近く、という方が全国何処ででも分かっていただけたのです。
面白く、細かい説明ありがたいです
いろいろな、諸説勉強になります!
ありがとうございます
動画、分かりやすかったです。
出雲大社はここ1年くらいで3回訪問したのですが、何回行ってもいいところです。
また行こうと思います。
良縁に恵まれますように🌸いつも、ありがとうございます💌
一度見てみたいなぁ!広島まではよく行っていたが島根は行ったことがないのが悔やまれます
現在の神殿としての写真は、あくまでも「神魂神社」のものであり、出雲大社の形式として一番古い様式を持った神社であり、出雲国造家
が代々居住していたとされる神社であり、現在の千家国造家の居住地であったとされています。誤解を呼びます。
更に、出雲市の南部にある須佐神社も同様に古い大社造りの神社(祭神はスサノオノミコト)である事も忘れないで欲しい。更に、松江市
の南部には熊野大社もあることに留意する事も重要です。出雲の国風土記を詳しく読むとかなり複雑であることが理解でします。
更に、天井画の八雲は出雲大社には7つ、神魂神社には9つの雲が描かれており、これも謎。古代出雲には謎が多すぎる事が現在の学者の
共通認識になっています。ちなみに、斐伊川上流では古来から製鉄が盛んであったことも関係して居そうです。そして大量の銅剣、銅鐸、
銅矛等も何故一か所に埋納されたのかも解明されていません。島根県立歴史博物館で詳しく調べてみてください。矢張り分からないこと
だらけです。
出雲大社が好きなので(いずもおおやしろ)と言ってくださりありがとうございます😊
出雲大社に今年行ってきた。
何もかも大きかった。
丁度、結婚式をやってたんだけど、あれは良い光景だった。
一度は行った方がいい。
神社を好きになれると思う。
嬉しいお話有難うございます❤出雲大社のご縁を深く感じているので幸せでした〜❤
ありがとうございます^^
出雲大社は、明治の初めまで杵築大社といいました、
動画配信お疲れ様でございます❤🎉
いつもありがとうございます😌
この学び直しは、ほぼ正しい、と私は思いました。1つ挙げると、神々の話のなかでは、3つの世があり、それぞれが、この学び直しで示された名で記されています。加えて、出雲の神のやしろの柱が掘り出されたことも、とてもおもしろい考古学の成果であることも、私の記憶にあざやかに残っています。
ありがとう。和と輪、産み出す二重唱。感謝プロジェクト🎉🌈🍀
神在月ですね~☺
僕はワリと「葦原の中つ国」という昔の日本人の”ネーミングセンス”が好き。。。
”成長は早いけど儚く脆く、世代交代を繰り返す”、諸行無常の今生。。。。
銅剣や銅鐸が”武器”だったのか”祭具”だったのかは僕には分からないけど、
出土品の”量”と言う意味で<全国的に稀な遺跡>が集中している地域ではある🤔
一方で、”質”としても「縄文期に朝鮮半島と交易していた遺跡」が近辺にあったりして、
出雲地方が<太古の日本の重要拠点>ってのは多分間違いないと思う。
※その遺跡から出土した人骨から”脳”が発見されたのが割と最近ニュースになった。
そして、その遺跡は”白兎伝説”のスグ近く。。。
出雲大社の”注連縄”を初めて見たときに、
「注連縄と建物のバランス、おかしくないか?」と思ったことがある。
。。。まぁ、「木造の高層建築」を続けてたら”耐用年数”に無理がありますよね😂
でも、「研究者の仮説と一致する3本まとめた柱」、研究者、awesome
あと、江戸時代の御師や巫女さん、ガンバッタ😉
すあしさん、イズモ配信アザッス🙏
mst near the hellさんこちらこそいつもありがとうございます😊
いつもありがとうございます。感謝します。😀🍀🌻
勉強になりました
学び直しではなく、初めて知ったことが多かったです
👍
ありがとうございます。出雲大社様。彼女と復縁します様。感謝します。
楽しい解説ありがとうございます。
ところで、4柱が、横を向いていること、
本殿内の天井絵、八雲の図が7つしか
ない事は御存じですか?
出雲の住人です。画像は正しいものを使用して下さい。本殿の画像は明らかに「出雲大社」では有りません。規模が全然違います。また、大注連縄の有る建物は「神楽殿」で有り「出雲大社」では有りません。
神楽殿を本殿と思ってました😅有り難う御座いました🙇。
出雲住人やけど、別にそこまで気にせんでええと思うわ
知ってもらえればそれでええ😊
@@シャインマスカットフィンガー 「神楽殿」は千家国造家の建物で有り、「出雲大社」の建物ではないことを正しく伝えるのが出雲人の役目で有ると思います。
@@sijimi333 出雲人のプライドを見た・・
どっちでもいいよ…😅
歴史を調べたい人は自分で調べるだろうしね
はじめまして。記紀の出雲は島根県ではありません。出雲は八束水臣津野が出雲の名付け親で8世紀の701年に出雲が誕生してます。また、出雲風土記にはスサノオ、大国主、事代主、建御名方神は登場しないし国譲り神話は書かれてません。また、出雲大社(杵築社)は8世紀716年に48m神殿が創建されてます。記紀の国譲りでアマテラスオオミカミが大国主に建てた宮は徳島県の大御和神社(延喜式式内社)で出雲大社の元社です。阿波には伊の奈佐浜も諏訪も高志もあります。また、近くにはすさのう神社(式内社)と事代主神社(式内社夷総本山)と建御名刀神社(式内社)倭大国魂神社(式内社)倭大国敷神社(式内社)大国主墓所スサノオ墓所アマテラスオオミカミ墓所が徳島県にあります。また、イザナギイザナミの国産みでも阿波は国名神名が記載ありますが出雲は記載ありません。記紀の伊豆毛は阿波風土記の阿波の伊豆毛神話です。
同感です。最近日本の起源が阿波説が有力視されてますよね。阿波の歴史はシュメール、ユダヤから始まり、古事記、日本書紀で奈良に繋がっているのが解ります。これまでの学者は阿波風土記を読まなかったのでしょうね。
そして、自分の学説を変えられない、悲しい人達です。
延喜式927年の阿波の式内社は50社、南海道6国でも163社。多い順に、大和286社、伊勢253社、出雲187社、近江155社、ツヌガアラシト伝説の但馬131社、継体天皇の越前126社、、、。畿内5国650社、東海道14国709社、元出雲丹波のある山陰道8国558社、東山道8国382社、北陸道7国322社、山陽道8国140社、西海道11国107社。出雲1国で南海道全社を上回る数。阿波から遠い山陰道&北陸道併せて日本海側に880社、阿波のある南海道を囲む山陽道と西海道の三道併せても410社。信濃にも伊豆毛神社があります。東海道3位の伊豆も92社(2位は尾張121社)。この頃には阿波淡路の歴史は完全に封印されていたということなのでしょうか?阿波国風土記編纂時と延喜式式内社制定の時代の空白の間に何が有ったのか謎が深まります。
明治までは杵築大社と呼ばれていたそうですね😂
読み方からして勉強になりました
ありがとう!
有難う御座いました。
大変興味深く拝見しました。
井沢元彦という作家さんが書いた「逆説の日本史」という本ではオオクニヌシは祟り神だという説が展開されていました。
一般の人が参拝する場合、本殿の中の様子はわからないようになって居るらしいのですが、オオクニヌシを封じるかのような配置になっているとか。
そのように考えると「国譲り」は国の滅亡を示し、そこで大きな恨みが残り、神様にすることで祟りを避けた、そして封じようとしたという説です。
それなりに説得力があると感じました。
そうかもしれませんね!山陰地方ですから。
②日ノ岬(日ノ御埼)和歌山県?③日御碕神社上下二社(島根半島) も紹介して欲しい?ですね道が改良された ① 出雲大社 社殿は南 神は西向き でしたかね 毎年 島根ワイナリーを楽しみ 「出雲ぜんざい」煮 弱く 少し 甘くなりすぎ 残念
ところが、その時代、その地方で争いがあった形跡が見つからないんですよ(その、前後の時代には各地で争いの跡が見つかっているらしい)なので、本当に平和裏に国譲りがあったのかもしれないと言う説もあり、その辺、謎と言うかロマンですね。
昭和晩年、立命館大学文学部に通う友人の話。「出雲神話机上創作説」の松前健博士は、「発掘がどうであれ、ボクの話は変わらない」と語っていたそうな。
子供の頃に母からよくいなばの白兎の話を聞いてましたが古事記でしょうか?
古事記にありますよ!
大国主命様がウサギ助けるやつですね
世田谷在住の農家です。我が家の神様も10/31にお土産のお団子36個をお持ちになり出雲への参勤交代にお立ちになります。11/30にお帰りになります。日本各土地の地元の神様なのでその地元の若い男女の縁結びを相談してくださると言い伝えられています。
もう少し知りたいです。なんと調べれば、そのルーツを辿れますか?
明治時代以降に京都の亀岡にある出雲大神宮から現代の出雲へ気づきの社へと分社されたとあります。出雲地方は昔から外敵や外からの侵入、貿易の拠点だったのでしょうね。白兎(素兎)の神話をみるとき、古代メソポタミア付近の史実との関連を疑わせさせられます。 イシン王国の都市ウルのワニンことアムル系人、トルコ南部にあったタカアマとハラ(ン)という都市、シリア地方にあったヤマアド王国、ヤマアド王国と同盟であったホーリことフルリ人国家、ヒッタイト王国のハタと名乗るエラム人、古代エラム王国の都市スサの王インシュシナク、タカアマ、ハランの都市からアマ人ことアムル人が南下した時、途中サルゴン王のアッカド帝国があり、ウルに辿り着いたとき既にシュメール人の兄弟民族のエラム人が占領していたが、シュメール人の王はイビシ神、エラム王国はアムル人との戦いに負け、ウルをあけ渡します。シュメール王のアマ神王と王姫アビシティとシュシン王の三角関係など、日本神話に出てくる名前とよく似ています。現代の遺伝子研究から、出雲、北九州や丹波地方から畿内へと渡来人が渡って来たのではないでしょうか。
明治になって出雲大社と呼ばれだしたけど江戸時代までは土地の名前の都築大社と呼ばれていたそうですが、今その事には一切触れませんけど何故ですかね?
出雲へ行くと別れるというのを聞きますね。諏訪大社もそうだと
二千年も昔に
50メートルもの高さの
木造建物を作ってた事に
日本の技術の凄さ
にビックリ😮
有難う御座います🙏
私は幸せです❤
😊
ありがとうございます❣️。
ありがとうございます😊
解りやすい説明で大変良かったのですが、
何度か出てくる本殿の写真が神魂神社のものを使用していたこと。
現存する最古の大社造りではありますが、
出雲大社の本殿と誤解されるような説明になっているのが残念です。
いずもたいしゃってずっと読んでたw
杵築大社が本来で、出雲講(伊勢参りと同様に杵築の人たちが参拝を促に全国を旅したのです)
出雲と言った方が分かりやすいので、出雲大社と呼ばれるようになったのです。
杵築(出雲)大社は、
716年に創建された。
丁度、古事記が編纂作業ナウだった時代。
創建、建立したのは
国や、況してや今の宮司家、出雲国造
等は一銭、米粒さえも出していません。
旧出雲王国の東西2つの元王家が共同協力して建立した。
東の元王家、富家(皇室の本宗)は
領有していた土地を売却して
新たな大社(出雲大社)の要地買収に当てた。
西の元出雲王家、神門臣家は
所有する山林から用材を切り出し、
作事一切合切の費用を負担。
何でこの場所か?
は、
徐福ら渡来人勢力に暗殺された第8代大穴持(主王、帝)。(実行主犯は出雲国造家の始祖、ホヒとヒナドリ)の
陵墓地が後背の竜山に有ったため。
(摩天楼の空中神殿はその慰霊、祭祀、遥拝の為)
ここでいつも不思議に思うのが、同じ出雲地方には一宮として熊野大社もあり、現在でも出雲大社の行事に欠かせない火に纏わる道具は地元の熊野大社から許可をもらって行われてること!
出雲大社の宮司さんも地元の熊野大社の認可によって得られるものなのですが、和歌山県にある熊野大社とは直接関係ないそうです。
昔は境内の案内板には
和歌山の方が分院だと書いてあったと思います
元々南紀は出雲の領地でしたが
後世に京に近い和歌山側が大きくなって勘違いしたのでしょう
出雲大社を取り上げるとき、テレビにしても雑誌にしてもネットにしても、だいたい神楽殿の映像や画像が使われる。あれはただのイベントホール的な建物。ちゃんと本殿の映像や画像を使って欲しい!
やかましいわ😂
@@MON_MOSO_MON勉強しな
@@crossjp4854 じゃかましいわ🤣
@@MON_MOSO_MON そこら中で知性の欠片も無いコメントして、その都度自分で高評価付けて、虚しくない?笑
@@MON_MOSO_MONおっおっ。カッスカスカスカッス。
この神殿模型を私は見たことがある。それはエルサレムで見た、イスラエルの古代神殿の模型です。イスラエルが北と南に分かれていたころに作られた神殿です。出雲とそっくりの模型でした。
出雲大社は岡山県在住の私にも身近な神社です。大国主命はステキなナイスガイだったのですね😅
実に立派な解説!感服しています。教育教材を作ってみられてはいかがでしょうか。
日本は怨霊を鎮める文化なので、怨霊を鎮めるための出雲大社だと思います。
だから出雲はしめ縄は確か逆結びですよね。
逆結びあるんですか!そしたら別れ縁結びですね!
わかる人にはわかるようになってるんですね😮逆しめ縄不思議
出雲大社のホームページでは「いづもおおやしろ」となってます。
地域に大国主祀ってる神社があって、うさぎさんの像あるね。次行ったら撫でてみるかな
京都府亀岡市にある元出雲、出雲大神宮との
関係しりたいですね
良くわかってない😹知らない知識ありがとうございます♪
椿大神社にもウチデノコズチ来ました。私達にも❤🎶💓🎶🔯❤
心御柱見に行ったけど、伝説だったものが実際に目の前にあるっていうのは素晴らしい経験だった
日本人は遺伝的には大きく縄文系と弥生系がミックスされていると考えられています。基本的に南西に行けば行くほど弥生系の遺伝子の割合がより大きくなるそうですが、出雲大社の周辺だけはなぜか突出して縄文系の遺伝子の割合が増えるそうです。
元々縄文人の神が大国主神、渡来した弥生人の神が天照大神とすれば説明がつく現象かと思います。もちろんそんな単純な話ではないかも知れませんがロマンを感じます。
それって絶対根拠のないやつでしょ。
それって絶対ロマンがあるやつだね。
神話の世界を考える時、後世の伝承として残っているものと周辺の国家の記録から推測できる事があります。現実にいつの時代かを確認できるようになってきたのでしょう。天照大神のモデルが誰だったのかという疑問も、邪馬台国の卑弥呼が人の名前かどうかという事がある。日の巫女として何代にも渡って、つづいた職業だったとしたら、とすれば国ができた初期の巫女をモデルとして、天照大神となった可能性もあるのです。
@@咲良民都 聖書の出エジプト記は時期的にエジプト文明の頃の出来事が伝承されてたり、神話は伝承や口伝の側面はかなり強い。
けど、神との契約とか天津神とか国津神とか現実とはかけ離れたことが記録に残ってるのがどうもね。
@@KOWJSLV いや、なくはないです。 出雲族の遺伝型は縄文系のD1bということが研究でわかっています。
また東大の研究で現在の出雲出身者の人は周辺地域とは遺伝子が大きく異なり縄文の血が濃く、東北の人と遺伝子が近いことが発表されております。これは出雲弁と東北特有の「ズーズー弁」が共通していることも裏付けになります。
そして邪馬台国があったとされる近畿地方は他地域と比べ弥生系の血が最も濃ゆい地域です。
なので元々縄文人の神が大国主神というのはあながち嘘ではなく事実かもしれません。
拝礼の仕方が、宇佐神宮と同一というのが昔から気になるところ。大きなしめ縄にも意味があるのだろう。
宇佐神宮に祀られている女神が、卑弥呼という話もあります。出雲の国と邪馬台国を、大和政権が滅ぼしたと考えると、自分たちの正当性を主張して歴史を残すなら、都合よく書きますよね。
ロマンがあるなぁ
平成の大遷宮の時は一口千円分を奉納しました合計80億円かかるそうで人数で割ると丁度八百万人だったのを覚えています
たいしゃに馴染んだ自分的には違和感やばいw
出雲国譲りや八岐大蛇退治はヤマト王権の出雲征伐だと思っています。
俗説では八岐大蛇退治は治水工事だと言われていますが・・・。
有難うございます。お伊勢様よりこちらを先に見るべきでした。😊
所々に神魂神社の写真が混じっている気がする…
記紀神話に沿った無難なお話でもう少し独創的な考察があってもいいのではないかと思いました。自分は出雲地方の生まれで神話まみれで育ちましたが地元では子供への戒め的な側面が強く政治的な側面は一切ありませんでした。が、大人になって再考してみると逆に何故そうなのかが面白くなっています。今は世界が騒がしくなっていますが自衛隊の空母に「いずも」と名前がついていることに何かの使命役割を感じています。大きな戦にならないように神の御加護がありますように。合掌。
神話の解釈は色々あるけど、身から出たサビとはいえ、傷ついたうさぎを優しく介抱してやるオオクニヌシの優しさが大変良いと思います。そんな日本でいて欲しい。戦いや争いは何も産まないと、古代の日本人は悟っていて、神話に残したのかも?プーチンに聞かせたいものだ。
詳しい事は知りませんけど 出雲は旧海軍に在籍していました 近代海軍が発足してから 加賀 飛竜 蒼龍 金剛等 旧海軍の名を冠した護衛 潜水艦艇が就航しました ひょっとしたら 後年 日本海軍の最強艦艇として大和 赤城 就航かも‼️
神話の時代から「力」「知恵」ではなく「優しさ」なんですね^^
由緒の古い神社は呼び名も古いものが多いですね。三重県鈴鹿市にも、椿大神社と書いて「つばきおおかみやしろ」と読む神社があります。
つばきだいじんじゃ、ではありません。猿田彦大神や天之鈿女命(アメノウズメノミコト)をお祀りしている神社です。
それほど大きくはないですが、まっすぐな参道の途中に古く大きな古杉が数本、苔むしながらも根を下ろしており、真っ直ぐな参道なのに
本殿がなかなか見えてこないという、鎮守の森が醸し出す雰囲気がとても良いところです。
出雲大社さまは砦か山城を感じます。今でもこの国を護っていらっしゃいます。
出雲(杵築)大社の創建、落成は
『西暦716年』
造営、創建したのは
大和朝廷でも、況してや
今も居座り占拠する出雲国造(ホヒ)家等では
なくて
旧出雲王国の東西2つの王家が
共に協力して造営、創建なさった。
出雲大社(いずもおおやしろ/いずもたいしゃ)は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社。祭神は大国主大神[1]。式内社(名神大)、出雲国一宮で旧社格は官幣大社[2]。神社本庁の別表神社[2]。宗教法人出雲大社教の宗祠。
二拝四拍手一拝の作法で拝礼する[3]。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。
古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」[4]、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある[5](前者は現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混在、後者は現代仮名遣い)。歴史的仮名遣いでは「いづもおほやしろ」となる。
一般的には「いづもたいしゃ」と読まれており[4]、複数の辞書・事典でも見出しの読みを「いずもたいしゃ」としている[6]。島根県大百科事典編集委員会『島根県大百科事典』では出雲大社の項目は正式名称の「いずもおおやしろ」として掲載する一方[2]、出雲大社本殿(いずもたいしゃほんでん)など登録文化財の項目については登録名に従った読みで掲載している[7]。
古事記に書かれている出雲の場所は徳島県香川県の海岸部である、古事記の分の1が3出雲の話であるが島根の話ではない、大国主と言われる人物が登場するが古事記に出て来る大国主と別人である、古事記に国を引っ張ってくる等記載が無い出雲に観光に行けば蕎麦一杯無料で食べられる券をばら撒いて無理やり観光地にした過去があり!
逆だと思います最近のゲノム解析の地図を見ると、弥生人や渡来人は九州でなく、対馬海流にのって山陰、北陸を経て、畿内に至ったことがわかります。出雲大社や日本最大の弥生遺跡である妻木ばんだ遺跡が鳥取にあるのは、弥生人や渡来人にとって山陰などは新世界、アイデンティティの地だからではないでしょうか。出雲はまさしく日本国発祥の地ではないでしょうか。ちなみに邪馬台国は縄文人の血が濃い九州にあったのはまちがいないとおもいます
やはり大和王権。都合がいいことを残すとは。
見学しました巨大でした。ついでに竹内まりやの実家の旅館を見ました。
古代出雲王国と、国譲り神話。
『ウルトラセブン』のノンマルトの話に似ているような・・・?。
大人の学びとして、出雲大社と呼ばれる様になったのは明治4年以降、(多くのゴタゴタ後でかなり近代)それ以前から記紀迄の長い期間はどうだったのかは大人の事情?元出雲大神宮というのが京都、亀岡に存在する謎?本当はどっち?
兎には蒲の穂にくるまれと、大国主命は、教えてあげたと記憶してますが・・・・・
蒲の穂には薬用成分があり、それで兎も治ったと、言う事じゃなかったかな。
え、すごい!皮を剥がされて泣いてるうさぎの素材なんてあるんですね!
柱三本束ねた。当時のテクノロジーが作ったと思うが台風や地震にあったと思うが崩壊すると思うし危ない建設物だったでしょうね。最初は良かったと思うが四季を乗り越えるには大変だったでしょうね
暖房など古代はないと思うし
この「国譲り」に反対して、出雲を追われて逃げ延びたのが諏訪大社なのですが、ヤマトとの関係は分かりません。神話の世界は不思議ですが、真実の歴史も含まれているのでしょう。
現存する唯一の風土記である出雲国風土記には、国譲りなど神話に関することはまったく書かれてません。
杵築神社⛩️。
「いずもおおやしろ」は明治時代からの呼び名。
「葦原の中つ国」が語源となって出雲地方を含む現在の「中国地方」になってるのよね。
古事記には出雲大社やキズキシャも出て来ません。宮崎県も出て来ません。出雲の名は全国に沢山あります。 出雲風土記にも古事記の事は記されていません。よろしくお願いします
ありがとうございます。
先祖代々山陰地方の鳥取県、島根県出身
我が家の言い伝えでは
大国主がアマデラスの民へ国を返す事により高いところで奉るようにしたとのこと
そして大国主の御霊を祀るため、千家が代々大社を守って来ていると、天皇でさえ本殿の祀るものを拝謁できないと、見れるのは千家の長子のみであり、本殿の左奥に祀られているんだよ
祟りとは示すものが出てきて混乱を招く、大国主は災いの神でもある事も忘れてはならないよ
と聞きました
⛩️杵築大社(キツキノオオヤシロ)⛩️
昔からの謎
神無月を出雲地方では「神有月」と呼ぶことは知っているけど神無月の間、地方の神社は誰が守っているの?
巨大神殿は鎌倉時代では無かったですか?
白拍子 出雲のお国が舞い踊る世の中清める神事かな
貴重なお話をありがとうございました!🙇♂️🙇♂️👏👏🙇♂️ 南無妙法蓮華經🙏
進んだ国、中国や朝鮮と言っていたのですが、古代出雲大社の様な高度な建築物が中国や朝鮮に発掘されたのですか?
つい最近まで日本国内では、出雲の大社(おおやしろ)を超える建物はタブーでした
織田信長でさえ安土城の天守閣の高さを大社に1メートルだけ遠慮して、
47メートルにしたと言い伝えれれてます
令和の現代では、宗教施設に限られてますが、
高さが大社を超えてはならないのは暗黙の了解なのです
いつも興味深く視聴してます。『神有月』に全国の神様が出雲に集まるとは以前からよく耳にしてますが、一つ疑問があります。出雲へ出向かない神様はいないのでしょうか? 例えば、天照大神も出向くのでしょうか?頂点の神様ですからお出ましにはならない気がするのですが....... 教えて戴ければ幸いです!
出雲大社の近所に天照大神のためのお泊りになるとされる宮(神社)が存在します。そんなに大きいお宮ではありませんし、大社の境内でもないので、「あぁ…ここか」って思います。
来るかどうかは別として、一応用意はあるってとこでしょうか(笑)
素戔嗚尊は大社境内の左手後ろ側だった記憶があるので、待遇に差はありますよね。また、この左手後ろはものすごく意味があります。
昔読んだ本に、神無月は現在の10月頃に当たるが、この時期は西風が吹くという。
出雲に神々が集合するのだが、一番最後に到着するが天照神だったそうだ。
それは対馬のアマテル神社から来る神だった。
#島根県 #出雲大社 #大国主命 2:19
1:20 7:05 15:40
#古事記 #日本書紀
大国主命は死後の世界を司る神でもあります。
ごめん、すあし社長動画の内容ではなくて。
奥さんと子供と実際に取材にしたのかな?と思いました。
すあし社長の子供は何歳なのかな?
内容も良いんだけどすあし社長の経歴も気になります(笑)
ありがとうございます。子供はまだ小さいです(^^)どこかで自己紹介しますね!
2022年11月4日から神在月のようです
素顔で参拝が出来ました
神主さんが江戸時代から
大國さん
大黒さん
が一緒になってると言ってました
卑弥呼も朝鮮人だという霊能者さんもいました
巨大な神殿って、柱状節理を知ると有り得そうだと思いましたが、違うんですかね?
半島南部は日本人が住んでいました
ヒミコは南方諸島の民族です!沖縄から北上してます