【ゆっくり解説】これは卑弥呼の鏡?正始元年紀年鏡と三角縁神獣鏡魏鏡説【竹島御家老屋敷古墳】

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  • Опубликовано: 6 фев 2025
  • 「正」の文字はどのように鑑定されたのか?
    今回は周南市の「竹島御家老屋敷古墳」から出土し、
    卑弥呼の鏡とも噂された「正始元年紀年鏡」と、
    「三角縁神獣鏡魏鏡説」について解説します。
    ※本動画では「邪馬壹國」「邪馬臺国」を邪馬台国(やまたいこく)と表記音読します。
    魏志倭人伝の「景初二年」は「景初三年の誤記」の定説に従います。
    【音楽】
    フリーBGM DOVA-SYNDROME
    ・昼下がり気分
    ・時計図書館2
    ・錬金術師の錆びた釜
    ・アイリッシュ風の曲
    ニコニ・コモンズ
    ・ほのぼのワルツ【リコーダー】
    【イラスト】
    かわいいフリー素材集 いらすとや
    【参考文献・論文】
    [邪馬台国論争]
    ・国書刊行会 編『新井白石全集』第3巻「古史通或問 下」国書刊行会(1977)
    ・宮崎道生『新井白石の研究』P451.邪馬臺國觀、吉川弘文館(1958)
    ・陳寿 撰述 『三国志』巻30、倭人条、国立公文書館デジタルアーカイブ
    [三角縁神獣鏡魏鏡説]
    ・富岡謙蔵『古鏡の研究』富岡益太郎(1920)
    ・富岡謙蔵『古鏡の研究』臨川書店(1974)
    ・梅原末治『支那考古学論攷』弘文堂書房(1944 2版)
    ・梅原末治 著『鑑鏡の研究』大岡山書店(1925)
    ・『考古学雑誌』73(3),P310「景初四年銘鏡私考/ 近藤喬一」日本考古学会(1988)
    ・『鳴尾説林 : 日本文学研究誌』(7)、P16.「古鏡銘文の「省文」 / 西崎亨」武庫川女子大学日本文学談話会(1999-12)
    ・小林行雄『古墳時代の研究』青木書店(1961)
    ・小林行雄『古鏡』学生社(1965)
    ・小林行雄博士古稀記念論文集刊行委員会『考古学論考 : 小林行雄博士古稀記念論文集』平凡社(1982)
    ・『人物群像・日本の歴史』第1巻 (古代の大王)学習研究社(1987.5)
    ・王仲殊 他『三角縁神獣鏡の謎』角川書店(1985)
    ・王仲殊 樋口隆康 西谷正『三角縁神獣鏡と邪馬台国』梓書院(1997)
    ・西川寿勝『三角縁神獣鏡と卑弥呼の鏡』學生社(2000)
    ・西川寿勝『洛陽発見の三角縁神獣鏡』つどい330号(2015.7)
    ・鷲崎弘朋 『洛陽出土とされる三角縁神獣鏡:2015年11月の中国訪問実見報告 』全国邪馬台国連絡協議会会長 鷲崎弘朋
    ・平松健『講演録 王趁意氏提示の三角縁神獣鏡の検証』
    ・下垣仁志『三角縁神獣鏡研究事典』吉川弘文館(2010-6)
    ・鈴木勉『三角縁神獣鏡魏鏡説・同笵鏡論の向こうに』雄山閣(2016)
    ・岡村秀典『三角縁神獣鏡の時代』P146.「銅鏡百枚」吉川弘文館(1999-5)
    ・岡村秀典『作家論による神獣鏡の編年』研究成果報告書(2019)
    ・奈良県立橿原考古学研究所『古鏡総覧Ⅰ』学生社(2006)
    ・奈良県立橿原考古学研究所『古鏡総覧Ⅱ』学生社(2006)
    ・『日本文学の歴史』第1巻,角川書店(1967)
    ・『鏡と古墳「景初四年鏡と芝ケ原古墳」』京都府立山城郷土資料館(1987)
    ・福宿 孝夫『日本出土「魏紀年」四鏡の銘文と字体』書学書道史学会(1991-6)
    ・林裕己『漢三國西晉鏡銘集成』(2018.6.17更新)
    ・福永伸哉・森下章司『河北省出土の魏晋鏡』(2000)
    [竹島御家老屋敷古墳]
    ・『考古学雑誌』16(1)(315),P44.周防國富田町竹島御家老屋敷古墳發見遺物、日本考古学会(1926-01)
    ・弘津史文『防長漢式鏡の研究』P26.山高郷土史研究会(1928)
    ・『前方後円墳集成 中国・四国』P368.「竹島古墳」山川出版社(1991)
    ・『都濃郡誌全』P421.「竹島」山口県都濃郡役所(1924-5)
    ・『新南陽市史』P143.「3古墳時代」、P156.「国家形成期のツノ地方」新南陽市(1985-11)
    ・『山口県の古代遺跡〔Ⅱ〕古墳編』P22.「8竹島御家老屋敷古墳」古代遺跡教材化研究会(1996-3)
    ・小野忠凞『山口県の考古学』P6.「草創期」吉川弘文館(1985)
    ・新南陽市地方史研究会編『ふるさとの思い出写真集 新南陽』P71.「竹島名勝」国書刊行会(1980-11)
    ・小川宣『周南風土記写真集』P42.「竹島御家老屋敷古墳」赤坂印刷(2007)
    ・『徳山地方郷土史研究26』P47.「竹島古墳乱掘の顛末」徳山地方郷土史研究会(2005-3)
    ・『徳山地方郷土史研究32』P38.「竹島古墳と邪馬台国(四)竹島古墳の出土品」徳山地方郷土史研究会(2011-3)
    ・『山口県の古代遺跡〔Ⅱ〕古墳編』P22.「8竹島御家老屋敷古墳」古代遺跡教材化研究会(1996-3)
    ・『目でみる徳山の歴史・改訂版』P12.「目でみる徳山の歴史」改訂版出版実行委員会(2012)
    ・東京国立博物館 編『Museum』(357) 東京国立博物館(1980-12)
     P32.竹島御家老屋敷古墳出土の〔正〕始元年三角縁階段式神獣鏡と三面の鏡
     P36.竹島御家老屋敷古墳出土鏡片の鉛同位体比による同定
    ・東京国立博物館 編『Museum』(370) 東京国立博物館(1982-1)
     P4.「鉛同位体比法による漢式鏡の研究」
     P13.「鉛同位体比法による漢式鏡研究への期待と雑感--主として呉鏡と三角縁神獣鏡の関係資料について」
    ・東京国立博物館 編『Museum』(381) 東京国立博物館(1982-12)
     P24. 「青銅製品の保存修復」
    【新聞】
    ・『朝日新聞』P23文化総合面「中国で発見に疑問も」(2007.1.24)
    ・『読売新聞』P23文化「三角縁神獣鏡、中国で発見?」(2015.12.16)
    【画像】
    [ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)]
    ・「新井白石肖像」
    ・「三国行政区划(繁)」
    ・「三角縁神獣鏡の部分名称」
    ・「大森貝塚遺跡庭園展示の貝層」
    ・「和泉黄金塚古墳出土 画文帯同向式神獣鏡」
    ・「神原神社古墳出土 三角縁神獣鏡 (複製)」
    ・「五銖銭」
    ・「東京国立博物館本館」
    ・「天理市立黒塚古墳展示館1F黒塚古墳石室レプリカ」
    ・「曾侯乙編鐘(湖北省博物館)」
    ・「椿井大塚山古墳 後円部」
    ・「画文帯同向式神獣鏡 熊本県江田船山古墳出土」
    ・「神人車馬画像鏡 奈良県・佐味田宝塚古墳」
    ・「大岩山古墳出土 三角縁神獣車馬鏡」
    ・「高橋健自『日本原始絵画』より佐味田宝塚古墳家屋文鏡」
    [ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)]
    ・「山口県竹島古墳出土品」
    ・「三角縁神獣鏡」静岡県菊川市 上平川大塚古墳出土
    ・「三角縁同向式神獣鏡」群馬県高崎市 蟹沢古墳出土
    ・「三角縁神獣車馬鏡」滋賀県野洲市 大岩山古墳出土
    ※動画の内容に誤りがあれば、すべて自分の間違いです。
     ご容赦ください。m(_ _)m
    #正始元年#邪馬台国#同笵鏡#三角縁神獣鏡#周南市民俗資料館#古代史#古墳#景初四年#景初三年#前方後円墳#卑弥呼#魏鏡説#周南市

Комментарии • 10

  • @KINOKO2505
    @KINOKO2505 5 месяцев назад +1

    周防は特異な土地だと思います。
    『周南だけ』、ではなく他の地域にも権力者がいた痕跡があります。
    柳井市には茶臼山古墳が存在し、大島(屋代島の方)は国ではありませんが県ではなく、国造が置かれた土地でした。
    小生は屋代島にご縁がありますが、あちらは国作りで生まれたり、出雲臣の一家が国造として、着任していたと聞きます。
    出雲臣は出雲大社の千家氏などを宗家とする一族で、祖先は天照大神の次男、現実的に言えば、皇室の祖先の弟の家系で、その末流が着任したということ。
    出雲臣は臣の中でもかなりの権力を持っていて、更には皇族や政権との繋がり深く、一族も、何もかもデカい一族でした。
    分家の分家が大島国造ですが、普通の臣は分家の分家までは国造やりません。
    大島国造は長屋王とも関わりがあり、彼の屋敷の跡から木簡が出てきたそう。
    あまり影が薄い為、注目されませんが、周防には、何気に凄い一族が実際にはいた様です。
    周南地区を除く東部は影の薄いイメージがありますが、本当は濃い部分があるんですよ。
    今の書いた国造の話や、平家伝説や、村上水軍についてとか、岩国藩の佐幕派と討幕派の政争など、歴史を通して濃すぎるんです。
    だから触れたがらなかったりする人がいたり、それを飲み込み、何もないと錯覚をしてしまい見逃す方が多い。
    東部民としては残念な話です。

  • @journey3451
    @journey3451 11 месяцев назад +1

    よく調べてますね。関東住みなので山口は知りませんが外国に紹介されて今大変かもしれませんね。
    またお邪魔します。

    • @yamatan-CH
      @yamatan-CH  11 месяцев назад +1

      ご視聴ありがとうございました。
      ニッチなチャンネルですが、またお立ち寄りください。

  • @kubo0621
    @kubo0621 7 месяцев назад +1

    仮説ですが卑弥呼が下賜された鏡には全て景初3年、もしくは正始元年の銘が入っていた
    出雲から出土した景初3年の鏡はオリジナルの一枚
    使者の帰国後すぐに国内でも製造が始まった
    国内産には年号を入れないはずが一部工房で景初4年と入れるミスが起きた
    鏡が下賜されたのは正始元年なので景初4年の鏡はそのタイミングで作られたミスでは?
    こんなストーリーを考えてみました

  • @nkw9116
    @nkw9116 11 месяцев назад +1

    これは良いチャンネルを見つけた
    良かったらニコニコにもupして欲しい…

    • @yamatan-CH
      @yamatan-CH  11 месяцев назад

      ご視聴ありがとうございました。
      ニコニコは未開拓ですが、余力があればお邪魔したいです。
      「ゆっくり動画」のふるさとですから。

  • @ayukawaryuto
    @ayukawaryuto 11 месяцев назад +3

    三角縁神獣鏡ってチャイナで出土例ありますか?
    私が40年前にチャイナで調べた時は一点もありませんでしたけど😅
    あれは和鏡ではないですか?😊

    • @yamatan-CH
      @yamatan-CH  11 месяцев назад +2

      ご視聴ありがとうございました。
      考古学資料として中国の古墳から出土した例は一点も無いと思います😅
      日本でも国産と考える人は多いですね。

  • @森岩光
    @森岩光 11 месяцев назад +2

    三角縁神獣鏡は全て
    ヤマト。
    奈良で造られたもの。
    当初、造らせたのは
    武内宿禰太田根さま
    (後、武内臣太田根さま(皇室の要な祖の一人))
    (国際情勢に翻弄された)呉から大和王国に漂着した
    青銅鏡職人集団が
    武内くんの注文したサイズが
    それまでにない大型鏡の為
    度々失敗した末に、ふと縁の強度を上げるため三角縁としたもの。
    それを注文された100枚製作して納品した。
    武内くんは親戚縁者に気前良くばら蒔いた。
    その有り様を見ていた
    大和王国登美大王家(彦道主大王?)が
    九州勢(神話では神武東征)が大挙して侵攻してくる❕
    との危機的状況下に有って、
    同青銅鏡職人集団に今度は400枚以上を大量注文した。
    出来上がった
    三角縁神獣鏡を
    登美大王家は
    大和王国の勢力堅め、や与力しそうな勢力に気前良くばら蒔いた。
    その効果は早速発揮される事となった。
    そもそも建国の経緯から大和王国登美王朝とは犬猿の仲どころか
    ややもすると敵対していた
    吉備王国
    (大和を喪失した(海王朝の)孝霊天皇(本当の桃太郎)が建国)

    魏の傘下に入った
    九州勢(豊玉媛女王(女王卑弥呼)麾下)が
    東征を開始すると
    行く手を遮った。
    激しい一進一退の攻防戦が繰り広げられる中、
    東征軍の総帥、
    豊玉媛女王が安芸の本陣で死亡した。
    (神武が安芸で何年。岡山で何年。は
    東征軍が吉備王国平定に要した期間)
    結局、大和王国登美王朝は
    三角縁神獣鏡を何枚かで約10年の命脈を贖った形となった。

    • @yamatan-CH
      @yamatan-CH  11 месяцев назад

      ご視聴ありがとうございました。
      呉工人渡来制作からの神武東征(九州王朝東征)ですね。
      鏡の強度を上げるために縁を三角にした説は
      興味深いです。