国鉄No.1!美脚のパシフィック C54 ~ The most beautiful driving wheels fitted steam locomotive, JNR C54
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- Опубликовано: 16 сен 2024
- 今回はC54、C51の代替となる運命で計画された13輌のライトパシフィックです。直後にC55がさらにC54の改良型として登場したので、わずか17輌の製造にとどまりました。C55とそれにづづくC57の設計ベースとなった試作機としての性格を持つとも言われています。
C51が満足に活躍できない線路規格での活躍と老朽化してきたC51を淘汰する目的でC51と共に運用に供されましたが、乗務員から空転が酷いと酷評されたということは広く知れ渡っています。
設計者の島秀雄氏自身も、出来が悪かったことを認めているようですね。
ただ、どうして空転が多く使いづらかったのか、乗務員の方々から直接お聞きしていませんが、ほぼ同寸法と構成を持つ、その後のC55において、空転が多いと苦情がでていたという話はあまり聞こえてきませんでした。
動画冒頭は、1948年のソ連によるベルリン封鎖の連合国の輸送大作戦, Berlin Air-Liftを入れました。ここで最も活躍した貨物機がダグラスC54で、たまたま本編のC54にかけ合わせたようになりますが、ゆっくり研究所からの今回の戦争への意思表示のつもりです。(政治的スローガンはRUclipsの性格上一切排しております。)
#蒸気機関車
#C54 #山陰本線
#C51 #C55 #C53 #福知山
(Credit)
Douglas C-54 Skymaster s/n 42-72592 photo by Eric Friedebach flic.kr/p/2kSc6Tp
2017-06-03 Flying Scotsman from Whiteshute lane movie by Clive Richardson flic.kr/p/VsT8Ua
Deflation text on calculator screen on the hundred dollar bills by Jernej Furman flic.kr/p/2iYqYPk
Fishpool gold coins by Fr Lawrence Lew, O.P. flic.kr/p/6jcWvM
Whistle taken from SRT 825.
Yes, it is.
素晴らしいです。C54についてこれだけ詳しい解説は見たことがありません。今後も期待しています。
ご視聴いただきありがとうございます。過分なご評価も頂きとても嬉しく思います。これからも頑張って製作に励みますので、よろしくご支援をお願いいたします。
空転が多かった理由としては、C51形よりもボイラー圧力やシリンダー出力が強かったことに起因しています
C51形よりも重量が軽いにもかかわらず出力が向上しているので、C51形と同じ感覚で加減弁を扱うと空転してしまったそうです
C55形ではその反省から主連棒が接続される第2動輪の軸重を重く設定して、空転対策としています
まったくの余談ながら、滋賀県大津市で保存されているC57形128号機の先輪は、C54形4号機の先輪だそうです
いつもご視聴頂き有難う御座います。出力と軸重の件はおっしゃる通りですね。ここがキーで、本当に空転ばかりだったのか?操作の加減で如何様にもなるのでは?C54を貶めるネタだったのでは?と勝手に考え、魔理沙に島秀雄に質問させたのです。一方C55は何らかの対策したのは間違いなく、お知らせいただいた内容にとても納得いたしました。有難うございます。また色々教えて下さい!
@@Yukkuri-Lab さん
後年、呉線でC62軽軸重型が空転を多発させたのも同じ理由ですね。
私が聞いたこととほぼ同じです。C54は高圧缶のため加減弁を絞り気味に発進させないと空転してしまう。つまり、乗務員の問題なのですが、生野トンネルの事故もあって、乗務員からは評判は良くなかったとか。後、台枠に何らかの問題があったような(すみません、記憶があいまいです)。
こんにちは。C54は、デメリットばかりある機関車として見られがちですが、実は、最先端技術を取り入れた機関車だったのですね。現在の蒸気機関車には当たり前のデフレクターもC54から初めて標準搭載されましたし、動画でも解説されていた通り、スポークが19本なのもそうですね。試作機として走り抜いたC54は、現在は15号機(?)のナンバープレートしか残っていません。後のパシフィック蒸気機関車へのバトンの役割として無事責務を全うできたのではないでしょうか。
ご視聴頂きありがとうございます。最新技術を取り入れたところと、テンダーやキャブはそのまま(リベットがいっぱい)という趣味的に面白い機関車でとてもユニークです。デフのことは言わなかったのですが、標準装備ですね。
島秀雄に忖度して全部つぶしちゃったのかもとか勝手に思っています。
ベルリン空輸のシーンに、たぶんロッキード・コンステレーションの3枚尾翼が映り込む。その優美なスタイルがC54機関車に近いように感じます。ヒッチコック映画作品には機関車や旅客機が魅力的に扱われていて楽しめます。
本機は好きな機関車の一つで、幾度も再視聴してます。
@hmshood302さん、何度もご視聴いただいている由、誠にありがとうございます。C54は私も好きなのですが、いかんせん写真が無いので盛り上がる話ができないのが残念です。
この機関車は性能いいだけど
機関士からは足が軽いと嫌われてしまった機関車です
青森機関区にも配置されておりおもに東北本線(現青い森鉄道)と奥羽本線で運用していたようです。
この機関車にまつわる凄い話があって
ある日青函連絡船(洞爺丸タイプ)が遅れてしまい機関車がC 51からC 54にかわり
尻内駅(現八戸駅)に24時迄に着かないと乗務手当てが半分になるのを嫌がった機関士は
機関車を煽りまくってその結果機関車の煙突が真っ赤になったそうです。
なお尻内駅には30秒前に到着したとのことです
この話は旧青森機関区で機関士をやっていたかたが機関助士時代に経験した実話です。
ご視聴頂きありがとうございます。貴重な情報頂き感謝いたします。24:00前に到着する逸話、昔からありますね。でも煙突が真っ赤になるというのはすごいです。
(私のバイクのエキゾーストも真っ赤になりました)
そういえば東北本線では電化前にはC57の運用って無かった記憶が。ハドソンとD51でした。足が軽いのは東北本線では無理なのでしょうか。
“C54は登場した時期からして不運だった”と評されることも多いですが、次世代機をどんどん量産できない状況下なればこそ、と島秀雄らが布石を打っていたのかも?と思えてきました。
冒頭のニュース映像(なるほど「C54の栄光」であり「人道支援作戦」だ!)含めて、今回もとっても勉強になりました。魔理沙と霊夢に多謝です。
いつもご視聴頂きありがとうございます。勉強になったと言っていただきとてもうれしいです。他の視聴者様にも返信したのですが、C55とC57を見据えており成功させるには、C54を捨て石にして情報を収集することは重要だったと思いますし、鉄道省の中で島秀雄は盤石な力を持ちつつあるときでしたから、17両ぐらい何とでもなったのでしょうね。それでも30年はもったのですから十分でしょう。
影が薄い機関車ですが、細いスポークが美しくて好きです。
ご視聴いただきありがとうございます。繊細で緻密なスポーク動輪良いですね。C51の動画作っていて知ったのですが、C54からC51(1本少ない)に移植したものもあったんです。
私は空転の理由など技術的なことはよくわかりませんがC54はまさに『過渡期』における一つのテストピースとしての役割は十分に果たしたカマだと思います。一部溶接構造、デフ、ボックス輪心への前段階としての強化スポーク輪心、キャブ下や煙室下の直線的デザインなどチャレンジングな部分が多く、これだけ盛り込んだらある意味『上手く行くわけない』気さえします。しかし後の設計に生かされる問題点の洗い出しには大きな貢献をしたことは間違いないので、カマとしては異端的で不遇だったかもしれませんが決して駄作ではなかったと思います。
ご視聴いただき有難うございます。ご指摘の内容は全く同意見を持っております。
但し、板台枠が軽量化しすぎたのでしょうか、亀裂が入りやすいところがあったのが欠点でしょう。構造上台枠が壊れると機関車は動けなくなりますからこれは致命的です。
後で補強などの処置困難でしょうから。試作品としては十分な役目を果たしましたし、30年間使われましたから、動画がC54の評価を見直していただけるチャンスになれば嬉しいです。
C54は福知山線や山陰本線とかの近畿地方の路線で1935年から1963年まで活躍したのに1台も残っていないとは、残念ですね!もしSLブームの時期が早かったら、解体は免れたのに…
ご視聴いただき有難うございました。ご覧になってお分かりのとおり非常に美しい足回りを持っていますね。動輪だけでも保存とは思わなかったのでしょうか。
@@Yukkuri-Lab 今のところナンバープレートやシゴナナの先輪として使われてるところしか残ってないですね…
そうですね、とても残念ですが、C55は残っているのでそれで良しとするしかないですね。3DプリンターでC54の動輪を作ってみたいです。
C54とC11の見た目が似たような感じだったのはどちらもほぼ同時期の設計なのだからかな...と動画を見て思いました。
ご視聴頂きありがとうございます。両方とも設計者は島秀雄ですね。ドームが2つあったり、デフが低いので、C11にもしテンダーがあったら似ているかもしれませんね。
劣等機関車のイメージが払拭されました。今は一両も保存機が無いんだな、という想いになりました。ありがとうございます。
ご視聴いただき有難うございます。試作機ゆえの問題はありましたが、その後のC55/C57を成功に導いた機関車がC54だと理解しています。動輪も美しいですよね。
土砂崩れで転落したカラー写真、
当時青梅鉄道公園で保存され、今はさいたまの鉄博で展示保存されてる
C51 5の残念な姿でしょ?
ご視聴頂きありがとうございます。そうですC51の5号機の崩落時の写真をイメージに使いました。
後のライトパシフィックの完成形
C57への試作機であった
視点を変えると云う事の
重要性を改めて考えさせ
られた次第であります!
ご視聴頂きありがとうございます。ポジティブなご意見を頂き嬉しく思います。
今後もご支援いただけますようお願い申し上げます。
C54の写真は一枚だけでしたので、新鮮な感じがします。
柴田さん、ご視聴頂き有難う御座います。
C54は好きな機関車なんですが、いかんせん写真が少なくて…
貸していただける方が見つかったらもう一度やりたいです。
機関車の世界では「54の呪い」などと言われていますが後のC55、C57のパイロットモデルとして大きな役割を果たしましたね。C10とC11の見た目の違いと同じように動輪の構造やリベット止めの車体がいい味出してます。ELやDLの「54」は海外製だったり海外の技術をライセンス使用したりでメンテナンスに手がかかり、故障も多かった為でしょうね。DD54など、鷹取工場にしか菱重のエンジニアがいなかったのでわざわざ回送してメンテナンスしなければならないため動労から国鉄本社にクレームが入ったほどでした。後にその運用状況や短命さが国会でも取り沙汰れました。
冨山さん、ご視聴いただきコメントもありがとうございます。
C54も酷い事故を起こしているのですが、おっしゃるように外観スタイルがとても魅力的に感じています。
機関車の世界では54だけでなく、52も大成しない。
メキドロ式変速機はドイツは勿論、イギリスや中国などではそこそこ成功したけど、日本だけが大失敗してしまった。
1959年播但線真名谷トンネル脱線事故当事機のC545の残骸が機関庫内留置中の写真を見た事がありますが酷いもんでした。一応原型は残っていたが、テンダー側から突っ込んでキャブがどっかいっちゃってましたからね。
RedsMagicさん、ご視聴頂きありがとうございます。蒸気機関車って衝突するとキャブがやられるように設計されているのでしょうか?たいていキャブが破損しますね。
@@Yukkuri-Lab 運ちゃん達の前に80トン弱のボイラー,後ろはテンダー。間に位置してますからねえ。
C54は中村精密のNゲージを持ってます。
「島秀雄の若気の至り」とか「『54』の呪い(※)」の元凶」とか散々な言われようですけどね。
(※型式番号「54」の機関車は悉く不遇の運命を辿るというもの、代表はDD54。
DD54の終の棲家がC54と同じ山陰本線と福知山線だったというのも呪われた因縁を感じさせる。)
ご視聴頂きありがとうございました。
動画でも触れていますが、私はかなりC54をかっています。ただ、山陰本線の浜田まで追われてという印象はあまり良くないですね。
梅小路辺りで終了だったら箔がついたかもしれまさん。
天竜浜名湖鉄道のある駅でⅭ54のイラスト?をみたことがありますが、浜松工場関連の試運転で走ったんでしょうかね
石井さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。その話はどこかで伺ったことがあります。二俣線でテストしたとか。線路規格も普通なのでC54全然問題ないでしたね。
C54形はC51形よりも蒸気圧を上げて出力向上を計り、設計も近代化、軽量化を計りましたが、結果的に軸重が軽くなって空転多発で乗務員から嫌われ、軽量化した箇所がトラブルを招いて整備現場からも嫌われ、更に窒素事故が起きてしまった等、試作車的要素が多数だったとは言え、悲劇的な機関車だったと言えるでしょう。
少数派で部品の融通が効かない事もあって全機解体されて保存機が全く無いのは残念ですが、その後のC55形、更に改良されてC57形で近代化が完成する為の礎になった事は間違いないと言えるでしょう。
いつもご視聴頂きありがとうございます。
まさに貴殿のおっしゃる通りですね。
あの19本スポーク、型を17台分で償却したならかなり高いものについたでしょうね。
なんかこのあと出てくるC57-1も180号機もそれぞれやまぐち号、ばんえつ物語号牽引中に空転ストップして補機要請して修理沙汰に何度もなりましたけど、やっぱり軸重バランスが良くなくて空転してストップしちゃったんでしょうか?(両機とも部品トラブル故障が原因と言われてますけど?)
軸重バランスというより、老体に鞭を打ちすぎたのでしょうね。
確かに、C54が試作車的要素があったからのちのC55以降のC型蒸気の成功があったのは間違えないと思います。
ただ、54と言う番号が国鉄時代余りいい印象がなさすぎですね。
ご視聴いただき有難うございます。おっしゃることは私も全く同じ意見です。でも当時は不吉な番号との認識は全くなかったでしょうから仕方ないですね。でも13号機の悲惨な事故は避けたかったですね。
確かに。
設計上のミスでトンネル内の空転事故が起きて、乗務員が亡くなるという痛ましい事故になってしまい、少しでも改善出来なかったのかなっと悔やまれます。
やはり今の鉄道車両も同じですが少数派には風当たり強いのでしょうか?
少数派への冷たさはあると思います。保守にそれだけ余分にリソース掛かりますからね。わたしもかなりマイナーな二輪車を持っていますが、どこも面倒見てくれません。
時期的に福知山に集合していた時に逢ってたかもですが、幼少の頃で記憶が無いですね。
福知山+54=不幸の始まり。電機の54は、完全な試作機だからしょうが無かったとして。
キハ47がもし2機関両運転台で登場してたら、54の法則が。最初の配備は福知山だったし。
福知山運転区、呪われた運転区。
早速ご視聴頂きありがとうございます。趣味人の間ではC54は浜田に最後に集結し消え去ったというのが定説で、それ以前の活躍はあまり話題にならなかった記憶があります。最初の構想段階では不幸の番号54で行こうと思っていたのですが、いやいやベルリン空輸でソ連をやっつけたC54を出すべきだろうと考えなおし、動画全般を作り替えたため、今回アップがかなり遅れてしまったのです。
実験機をこなした、C54は立派でした!😭🤧
こちらもご覧いただきありがとうございます。
C54は古さと近代蒸気の技術が混在する過渡的な機関車で外観上もとてもスタイルが良くユニークで好きです。
54の悲劇の一番バッター。播但線では物心ついた時にはc57でしたけど、その後Dd54の配備が始まったような
Akio3488さん、ご視聴いただきありがとうございます。DD54は中国地方の無煙化の立役者でしたね。
国鉄では54という数字は不幸だと言われている。C54は見ることはなかったがDD54は一度福知山線で牽引する客車に乗ったけど故障して立ち往生しないか心配だったが無事に目的地に着いた。C57に替わって導入されたのに故障してC57が救援に向かうという皮肉な出来事もあった。
SKTさん、ご視聴頂きありがとうございます。DD54は播但線、福知山線、山陰線、伯備線でしたね。どこでも不安定な性能だった話を聞きました。
Cテンダー。
8620から〜の
進化の「系譜」
客車を、「高速」運転する為に数々の「試行錯誤」を、繰り返し 進化の過程を残した。
(構想は良いが失敗も有った形式も)
こちらもご覧いただき有難う御座います。C54は試作機の性格も持っていたと思っており、古さと新しさの混合したスタイルはいいですね。
保存車が1台もない、不運の蒸気機関車C-54形です。
ご視聴頂きありがとうございます。そうですよね、保存機が無いのはなんかまずいことがあって、幕引きを図ったなんて後世の人に勘繰られますよね。
C54があったから、C55.C57があると言えますが、保存機ゼロは、残念です。
ご視聴頂きありがとうございます。どっかのC57の保存機の前輪がC54のだとか聞いた記憶があります。私はC54好きですね。C51ほど古くなく、かといって新世代の蒸気でもない危うさですね。
なんというか、C11に、テンダーをつけた車両?C54って😊😮😅😅
サハ165 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
確かに!そのように見えなくもありませんね。
あーでも、給水温め器は、C54のみに
こんにちは。
c54って異色の機関車ですよね。c55とc57は同じ機関車だといわれますが、c54も入れるのが正解なんですかね。
c54を失敗作や悲運の機関車と呼ばれなくするには、どんな改造を施せばよかったんでしょうか。
関係ないですが、c57ってc55の4次型でもよかったのではと思えるレベルの違いな気がします。
こんにちは。ご視聴頂き有難う御座います。C54は台枠に致命的にまずかったと思ってます。台枠が亀裂入ると機関車は動けなくなりますから、強度が弱かったのですね。でも台枠を新たにすれば殆どC55になっちゃいますから。最初の五年間で各地にばら撒いて、ライトパシフィックの要件を学ぶことができたのはC54の大成果ですね。
ところでC54の動輪は本当に見事だと思います。
@@Yukkuri-Lab
確かにスポーク動輪って円の中に棒があるだけなのに謎の魅力がある。自転車には感じないですが。
一時期自転車に蒸気機関車の動輪を再現したいと思ってたこともありましたね。
ボックス動輪は絵などは描きにくい歪だけど対称だったりと変わった形だとおもいますが。
Ⅾ52の汽車会社の後期型はプレートにリブ補強と軽量化の穴をあけたプレート動輪を装備した車両もいたようですが。
c54の車体までいかなくても動輪だけ新造してくれないかな。
私が生まれたころにはⅮ51 498が動態保存されていて、E4系やまびこが走っていたころなので、蒸気機関車は過去のだった時代。スマホなど文明は古く不便そうだが旅行でなら行きたい。
それと下のコメントにあった汽笛ですがc53の標準は3音室のはずです。改造で5音室を付けた可能性はありますが。
長くなってしまいました。すみません
ご丁寧な返信ありがとうございます。C54の動輪ですが、3Dプリンターでなら比較的簡単にできると思いますね。色はご自身で塗っていただき。ただCAD図を入手するか自分で作成しないとできませんね。おそらくどこかのショップが既にやっているかもしれませんね。
蒸気機関車は私には最初は山手線の電車のようなもので、うるさいだけで全然興味湧きませんでした。写真は好きだったので風景の一つで撮ったり、列車好きの友人と撮ったこともありました。ヨンサントウの前ぐらいから本格的に取り組んだのですが、撮り鉄ってお金がかかるんですよね。
お知らせしたいのは、今なんでもない電車や列車の写真でも50年後には、きっとお宝になるでしょうということです。デジタルですから劣化の心配不要ですしね。
@@Yukkuri-Lab
なるほど。3Ⅾプリンターと製作用のCADなら趣味でやってるので家にありますね。技術的に全体は無理でも動輪のみなら何とかなります。 宣伝の様で申し訳ありませんがTwitterで自作3Ⅾモデルのスクショを上げているので時間があれば拝見していただきたいです。また今後のためのアドバイスもお願いしたいです。アカウント名は(c58 239)です。
確かに蒸気機関車って汽笛や動く音などうるさいですよねこの音が魅力であり鉄道ファンじゃない人にとっては騒音の発生原ですからね。それから確かに50年後今の列車の中でなにが残っているのか、意外と動態保存蒸気のほうが残っているかもですがね
。直接的なCO2排出量0を目指している以上気動車は動く状態のはないでしょうね。
Twitterフォローしました。僭越ですがコメントもしました。ご覧ください。
C54は失敗作だと言うイメージがかなり先行してる気がしてたけど・・・
C57を作り上げる為の試作機的一面がある感じなんですね・・・
当時だと、CGや物理演算でシミュレーションも出来ないですし、図面上で数値計算は出来ても、それ通りのスペックに出来るとも限らない・・・
トライ&エラーの積み重ねの為の機関車だと思うと、素晴らしい功績なのに・・・
保存機が無いのが悲しいですね・・・(まぁ、保存するお金は誰が出すんだよって話もあるし、そもそもSLが無くなるなんて、この頃は誰も思って無かった様な気もしますがw)
ご視聴いただき有難うございます。C54はC55/57につづくライトパシフィックの礎を築いた捨て石的な存在で十分に意味のある機体です。外観も美しいですし。
動力近代化計画が昭和35年に発せられ15年のうちに無煙化完了すると公表しておりましたから、昭和38年に形式消滅したときには、何らかの措置があってもよかったと思いますね。
情報が少なく、どの様な機関車だったのか?非常に謎の存在でしたが、
c55のテストベッドだったのですね・・・
ご視聴頂きありがとうございます。もちろん鉄道省は試作品とは言わなかったでしょうが、島秀雄の後年の言質を総合して、C54は間違いなくC55、C57の開発の捨て石だったと判断しております。
C54はC51に対して軸重軽減したために機関士が不慣れで空転多発ししかも少数だったため嫌われてしまっただけでしょう。その後増備されるC55からの軽量パシフィックが増え乗務員も慣れてそういう不満が減ったのでC54だけ空転不良が強調され後世に伝わったのでは?
Mr. Yattsunさん。ご視聴頂きありがとうございます。
C55とC54を比べるとバネ上重量が異なっているので、これがC55の空転対策だったのではないでしょうか。
@@Yukkuri-Lab
板台枠から棒台枠の設計変更でバネ取り付け変更は分解整備のしやすさかもしれません。
空転するのは通常勾配を登る時と発進時が問題になるので動輪のバネ下重量よりも先輪と従輪の設計変更の方が効果あったかもしれません。けん引時に軸重が後ろに偏るのを防ぐ効果があったかもです。
なるほどです。
色々盛り込み過ぎちゃつたのかな?
(最初の◯◯標準装備、最後の××採用、新旧取り混ぜた不思議な蒸機だった。)
いつもご視聴頂き有難う御座います。
当時の解説書では、一言で言ってC51の改良試作機で、基本踏襲。だと言明していました。C51踏襲ならば失敗のリスクは少ないでしょうね。ただし軽量化を焦ったのか、台枠の強度が足りていないのは、後から修正も効かないのでまずかったろうと思います。ゆっくり定数減らしていけばそれも問題ないですが。
皆さんも答えておられますが、不幸ナンバー54が最初に出てきちゃいますよね。保存車が無いのが残念。それを考えれば、保存車があるだけDD54はまだマシなのかな・・・
ご視聴頂きありがとうございます。保存機が無いのはC52とともにとても残念です。
視聴者様に聞いたのですが、DD54も最後は浜田機関区だったそうですね。
実験、試作機として情報を集め、後発のC57に設計集約。
戦前の工業産業における開発背景がよく解る説明でした。
本機をC57的に解釈すると明治大正と昭和の先鋭化するデザインの間にあって、どこか大正ロマンを漂わせた優雅で穏やかなシルエットが好ましいですね。山陰や日豊本線あたりを運用されていたら人気出たと想像します。
HMS HOODさん、ご視聴いただきありがとうございます。
C54の穏やかなシルエット良いですね。デザイン的に吹っ切れていないところがそそります。最後は浜田で山陰線でした。
54というとなぜか短命で終わってしまったり、悲劇的な運命をたどる形式だなんて思うことがある。DD54もそうだった。54でまともに生きているのは、四国と北海道のキハ54くらいなものか。
権三郎平衛 さん、C54見て頂きありがとうございます。DCのキハ54は中々優秀だそうですね。
5室汽笛を初採用したのってC53だったような……。
ご視聴頂き有難う御座います。ご指摘いただきました点、早速調べ直します。間違いがありましたら早速コメント欄でご報告します。これからもよろしくお願いいたします。
播但線生野トンネル崩落事故が残念で仕方無いそれからD54と言い54が呪われた番号に為ったよ
DD54の間違いですみません
ご視聴いただき有難うございます。国鉄の機関車の54は呪われていると言われていますね。でも動画ではライトパシフィックの完成(C57)のためのテスト機として重責を果たしたというストーリーでまとめました。
一回 カオスな動画を出してみてほしいです。
ご視聴頂きありがとうございます。カオス動画?どのようなのをご希望でしょうか?ぜひ教えてください。こちらの研究所の動画はかなりコンプラ重視でやっていますが、秘密の別チャンネルはかなりルーズでやっており、そちらで対応できますのでよろしくお願いいたします。
こんにちは、京都鉄道博物館会員です。
C54形は悲運のパシフィック蒸気機関車。
最終配置は、浜田機関区。奇しくも、DD54形の最終配置区も浜田機関区だった。山陰本線がまさかの最終配置線とは。
こんにちは。ご視聴頂きありがとうございます。
DD54も浜田が最後だったんですね。ちなみに私は箱型のDLは許せるほうで、似ているDD53のC55の後部補機をレアだからという理由で見に行ったことがあります。
DF50も嫌いではありません。DD51はどうしてもだめですね。最近周りから見えなくなってちょっとうれしいです。(ファンの方ごめんなさい)
今回国鉄不幸ナンバー54で動画を作り始めて、考え直し絵途中でベルリン空輸にしました。
すいません。DD54の最終配置は福知山です。特急出雲と伯備線用に一時米子に配置されましたが浜田には配置されていません。
c54を待っていましたよ。幻のc63もお願いいたします。
ご視聴頂きありがとうございます。いかがだったでしょうか?
C63も構想にはありますので、そのうち取り上げたいです。
あまりc54は、存在感が薄かったんですね。北海道では、活躍してなかったんですね。
最初の5年位は本州にばらまいたのですが、結局山陽から山陰にかけて集結しましたね。
c54は、引退も早かったんですね。
山陰線も浜田という西のはずれに追いやられた感じですね。でも30年は使われましたからまぁよしではないでしょうか。E10よりずっと長いですからね。
最初から試作機と割り切れば、確かにC54としての使命は果たしたと言えますね。
異様に前に出た給水温め器も重量バランスを考えての事なのでしょうかね?
ベルリン空輸の映像はあちこちで見れますが、唯一ムッとしたシーン・・・
ベルリン市民には瓶に入った生乳を送るシーン。日本人は脱脂粉乳でしたね。
ご視聴頂き有難う御座います。給水温め機についてですが、C51の煙突の後ろに置いたのは保守上問題があるのでC54は下に置くのをこだわった様です。あれほど前に来たのは、板台枠のせいで、棒台枠のC55では落ち着いた位置なんだろうと考えました。C51の煙突の後ろの温め機は好きなのですが、最近梅小路までは取り払っていますね。また、上が面倒なら何でD51は上なのかな?と疑問多いです。
ちなみに私は脱脂粉乳は牛乳より私は好きでした。貧乏なので長いこと脱脂粉乳飲んでいましたね。
いやどうでしょうか、C53のほうが早いのではもっともC53は先輪の直前の下ですから、C54の位置ですとおっしゃる通りですね。貨物機は煙突の前なのですが、C51のように後ろだったらかっこいいのになと思ったこともありましたが、それでは集煙装置が付きませんね。またC58がデッキにおいてくれたらもっと好きだったかもしれないのにとも思いました。
貨物機ですとD50ですね!
呪いのナンバー54
ご視聴頂きありがとうございます。
国鉄の54ですね。たまたまなのか、事故を起こすのがまずいですね。
軸重とか考えるとほぼ54 55 57は同じ。
マニュアルとかなく、経験で判断してた時代でしょうから
もし、C51からいきなりC57でもC51と同じ操作ならC57は空転しやすいになったのでしょうか?
ご視聴頂きありがとうございます。C51からC54の流れと(ライトパシフィック)、C51からC53への流れ(重パシフィック)の2つの考え方があろうかと思います。そもそもC54以降は動輪上の重量はC51にくらべ軽いですが、シリンダー径下げて使用圧力を上げるなどしてバランスをとっていることで空転を避けているはずです。C54が空転が多いのはばね下が軽いからです。ご質問への回答はとても難しいですが、出力の出方(蒸気の上り)が違うので、経験ある機関士さんならばすぐにどのように対応すれば良いかわかると思います。(スロットルと逆転機操作で)
@@Yukkuri-Lab ありがとうございます。
よくC51のつもりで運転したから空転と聞いたりしたもんですから質問させていただきました。
国鉄最後のSL機関士の息子です。m(_ _)mC54は、前軸重が軽過ぎる❗つまり、D51と、同じ島の思い上がり設計❗裸の王様設計❗駄作機❗まともであれば、三河島は無い❗親父達は不必要な苦労して居無い❗見てくれだけ❗建築設計と、同じ❗意匠❗見てくれノミ❗
C57.C55共に罐圧(前荷重)が軽い❗空転し易い罐❗
試作機の色濃い形式ゆえ、
たった17輌しか存在しなかったにも関わらず、
動画内でも紹介されたように、
その内2機も大事故で大破。
中でも播但線の事故は悲惨極まる。
C55以降のパシフィック完成に向けての
橋渡しは果たしたものの、
やはり悲運の形式であった印象は否めない。
ご視聴頂きありがとうございます。役目はまっとうしたものの、C54-13の事故は今でも語り草ですよね。国鉄不幸のナンバー54で行こうと思った今回動画ですが、隣国の傍若無人に腹を立てて、ベルリン空輸に急遽差し替えました。
不幸ナンバーという意味でC54-13というのは激烈にすごい番号ですね。きっと今後もこの番号は永久に欠番となることでしょう。