今年で38になります。職場ではバイトの方が多く、若い大学生の方と接する機会が多いです。 will not = can not は若い人達の間では確かに以前よりかなり浸透した考え方になっていると体感的に感じます。 このチャンネルで今更上げるような意見ではないかもしれませんが、一方、そういうものが以前よりは広く受け入れられるようになり、 私が10代、20代前半だった頃より選択肢も増え、より多くの情報が飛び交うのが当たり前の中、どこに向かっていいのか分からないという 若者が増えているような感覚がします。 何か特別でないといけないとか、抜きんでた何かが無いといけないとか、20代の頃から確固たる思想や芯のようなものを持って何かに取り組んで ないといけないとか、そういったバイアスが若者の間では強くなっているように感じます。 話していると”スペシャルじゃない自分なんて・・・”という意識が言葉の裏に感じられる。 プライベートや学校内での話を聞いてみると実は努力家で研鑽家だったり、熱意を持っている事もあって「それは素晴らしい取り組みだね」と私は 本心からそう思って学生さん達に伝えても「その中で抜きんでていないから」というような返しがよく来ます。 何か素晴らしいもの、光るものを十分に宿しているのにそんな自分を自分で認める事が出来ない。 そういう若者が増えたな、と感じる事が多くなりました。 見ていてとても胸が痛いです。
耐えて努力しても報われない社会になったからじゃないでしょうか
それにSNSの発達で、これまでは知り得なかった裏事情が出てきたり
年功序列で自動的に給料が上がるわけでもなく、結婚したところで必ずしも幸せになれるわけでもなく
限られた人生の時間を、報われない小さな事のために費やすのは勿体無いと感じます
40代の私ですらそう思うので、若い人はもっとそう感じているのではないでしょうか
「やってみよう」の前に
「だって報われないじゃん」
が来てしまう、悲しい時代ですね
全く同感です。私も40代なので
わかる…
その「これまでは知り得なかった裏事情」なんてものは少し背景前後を考えてみれば当然に分かることである場合が非常に多い
仰るとおりSNSの普及発達によりある物事の負の側面ばかりが強調され、自身で思考する能力のないものはその情報を真実だと思い込んでしまう
反論したいけどできない
わかるけど、ほんとに報われないのか、努力してないんだから、報われないのも当たり前とも思うで。
電車で妊婦さんに席を譲ったら断られたというコメントをした方に、返信コメントをつけた方が、妊娠後期になると一度座ったら立つのが大変だから断っていた、と書いているのを見て、そうだったのかと初めて知りました。お二方とも、コメントありがとうございます。
人それぞれ事情があるので、やっぱりコミュニケーションが大切ですね。
私は小学生の時から過多月経で、いつも貧血でヘトヘトでしたが、親に過多月経を理解されず辛かったです。
電車やバスで座りたくても、若いと譲らなければならない雰囲気があったり、その他の場面でも、若いと率先して手伝わなけらばならなかったりして大変でした。若いからといって、健康とは限らないし、年を取っている人でも元気な人もいます。
それぞれの人の事情が昔よりSNSなどで知られるようになってきて、変わってきたんだろうなと思います。
最近 夜とかにふと「あ!これが幸せってやつじゃん」って思いました。仕事無理とか、片付けできないとか、体調悪いとか、1人で寂しいとか、いろいろ悩むけど、まぁなんとか生きてる。え、なんだこれ、気づいてないけど幸せだった、みたいな感じで。長く続かないんだけど、ふと思うことが増えました
無いものの数を数えるより、持ってるものを有難いと思うって事ですよね。
我慢や忍耐が美徳とされて育てられた50代です。
もしかしたら、私の子ども時代、「やれない」のに無理やり色々な事をさせられた結果、大人になってから何年もウツになってるのかなと思ってます。
うちの子ども達は不登校で、最初の頃は何とか学校に通わせなきゃと躍起になっていましたが、無理に学校に通わせたところで、子どもが幸せになるのか?私のように潰れてしまいかねないかも?と思い、無理に学校に通わせようとは思わなくなりました。
むしろ「やりたくないことはしない」ことで、自分の得意な事や好きな事に繋がる仕事が30才~35才くらいに見つかっていくのかな…と思います。
私自身「やれないこと」を無理やりやり続けた結果、50代になった今でも、自分は何が好きで何が苦手で何をしたいのか…すら分からないので。
やりたくないことを無理にやったところで、幸せになれる訳ではないと感じている人が増えてきた為、子どもに強要しなくなったのではないかと、私は思います。
わかります。うつや自殺などの問題が大きく取り上げられるので、「頑張って努力する」ことが、必ずしも幸せになるわけじゃないのだ、という意識が強くありますよね。
うちの子も不登校を経験しましたが、こういう場合特にそれを考えますよね。頑張って学校に行かせて、それで、鬱になってその後がずっと辛くなるくらいなら、いま頑張らせない方がいいのではないか?と。
できることは頑張ったほうがいいのだろうとは思いますが、こういう経験をするといろいろ臆病になってしまうなと思います。何をどう頑張らせるのがその子のためなのか、毎度分からない。悩んで迷ってあれこれしてみて、一貫性を欠いたりしがち。
しかしそういう悩みや選択は、どの時代でも様々されているのでしょうね…。今はこうした傾向があるというだけで。
私の子供も不登校になり、今は通信制高校に在学しています。
でも、今日も授業を休んだようで…
でも担任の先生は、頑張ってますよ。とおっしゃっていました。
そうか、私の子供は頑張っているんだ!と思わないと。
そうですよね、30代(まだまだ先ですけど)その頃になったら動き出しすでしょ!と気長に待とうかな。
「やらない」のではなくて「できない」という言葉がズシンと響きました。
父親を例にすると大学を出て地方から都会に出て家族を持ち子供を産み育て、中間管理職となり、地道な努力が報われてきたから「努力すれば報われる」と言い行動し子供に対する教育もその「努力すれば報われる」という価値観を教えて努力しなさいと言われてきました。景気が豊かになる背景で生きてきた父と景気が下がる中で育ってきた僕とでは理解し得ない壁があるなともいました。
アラフォーです。結婚したくないからしない。子供欲しくないからいらない。働きたくないから定職就かない。それが私です。ヤバいですよね(苦笑)でも先生に仰る通り、やりたくないのではなく、それら全て「私には出来ない」ことなんだと腑に落ちました。自分に出来ることを探して精一杯やっていこうと思います。
探すことすら[できない]って言って諦めそう
自分も同じもんです。w
本来これでいいはずなんですよね。今まで作り上げてきた間違った社会の作り上げが今なので^_^歴史的に見てもどんどん良くなってるんですよ。考えて見れば分かると思いますが、ほんのちょっと前まで刀で斬り合ってたんですよw(笑い事ではないんですが)
ただ、やりたいことをしていてもその中でもやりたくない事ってどうしても出てくるものですw
今までの社会が当たり前の考え方でやってきたような人からすると、(は?何言っちゃってんの?)みたいな感じかも知れませんね。けれど、時代は嫌でも変わります。刀で斬り合う時代から、ミサイルの時代からみたいに紐解いてくと明らかに時代は良くなってます。ウィルス騒動や物価問題やいろいろあると思いますが、その真っ只中ってだけで先は明るいはずですよ😀
ちょっと頭固い人や変化しようとしない人だと、しんどい時代ではあるかもしれませんねw
@@hiroooooyukiiiiiiiii 探すことすら体力が続かなかったりするんだわ、情けないことに
自分の食い扶持を自分で稼げてたら、やりたくない事は、やらなくて十分だよ。別に成長しなくても現状維持が出来てりゃ上等だわ。
それってヤバいんですか?
結局最後は自分で責任をとる。
貧しかろうが、孤独死しようが自分で蒔いた種だからいいんだと思えるなら問題ないと思いますよ。
だって誰にも迷惑かけてないもん。
日本人の大人がそうだからでは。友達関係でも、やった事よりも、ささいな行き違いでも、すごい勢いで責められたりした事があります。日本人が減点主義の人が多くを占めるからでは…これだと挑戦する人は萎縮しますよね。森の中怖いです。
そういう人ばかりだから私は人と合わないことが最近わかりました。こっちが被害者なのに加害者扱いされるならそりゃあ独りでいいやになりますよ。モラ気質な人が多すぎる。
なんだかんだで出る杭は打たれるというか、やることを咎める世の中だからみんなやる気が削がれてく
無理せず目立たずレールの上に置いてあるタスクだけこなして生きるのが安牌
それ以外の生き方をしようものなら孤独
その孤独でどれだけの人が挫折したか
誤字なのか意図したものなのか分からないライン
海外も海外で田舎とか保守的な人が多い所だと人と違うことをやると異質とみなされるような地域も多いですよ残念ですが
仕事はやるだけ損になることありますよね
やりたくない事を我慢して頑張った結果がブラック企業を大量に生む社会の完成だったから。また、親世代がそういう社会の中で働いて搾取され、つらそうに生きてるのを見てきた世代が大人になりつつあるから
両親を見ていたら結婚する気も無くなってしまったってのもあるかな。
ブラックを選んだのも、離婚するような相手と結婚するのを選んだのも自分=本人だから。自分の責任なんだって事に気がつかない人が大量に居るから駄目なんだと逆に私は思っているけれど。。。
人生は、”自分の選択=責任の積み重なりで出来ている。”からね。
それは少し異議を唱えさせていただきたいですね。自己責任論は「うつ病は甘え」論に根本が同類に感じます。
ブラック企業の体制も結婚の相手も、必ずしも前もって見破れる訳ではないでしょう。悪辣さを巧みに隠しされたら、察知できるかは自分の能力次第。そして、いったん入社・結婚してしまえば、そこから抜け出すには多大な労力が必要です。そこにも精神的・知的能力が必要。これらの能力は個人によって違いますし、同一人物でも状況によって上下します。例えば、おかしいと気づくまでブラック企業で働いてしまって衰弱している、など。
人生は理不尽な選択を選ばざるをえないことも多いですよ。
自己責任論は、精神的に健康なときか人生の勢いづいているときには、自分を鼓舞するのに有効です。けれども、もし訳もわからないうちに人生が落ち込んでいったとき、自己責任論は暴力と化します。
また、自分自身に課すならまだしも、社会の側が自己責任論を押しつけてはいけないと思います。それは社会の役割放棄ですね。
@@SS-ey3poそれ、「詐欺は騙される方が悪い」と同じ理屈では?
やれない事をやらなければならない、専門資格とる為の学生をどうするか、多分能力的にも適性も無理なノニ実習という負荷のかかる単位をその期間に取らせなければいけない現場はホントに大変なんでス😢出来ないならやめておく方が良いのに、資格は欲しいトカいうヒトが居るんです。で、課題達しないと人のせいにする人😢どうしたら良いんですかね~
教師はしんどいですよ~現実です
「『やればできる』という子は『やることができない』のです」という湊かなえさんの「告白」の一節を思い出した。
自分が中学生の時はまだSNSが流行っていない時代で、今日も一日中頑張ろう!とか努力は必ず報われるとかどんな理不尽でも頑張っただけ、我慢して根性見せただけ褒められる時代だった。だけど、高校生後半になってから、頑張らなくてもいい、無理しなくていい、効率よく楽に成果を上げる方法みたいなのが流行り出して、限られた場所で馬鹿みたいに頑張ること自体無駄だと言われてる気がして、それまではどんな酷いこと言われても耐えられてたのに一気に心が脆くなってしまった。頑張ったとて、頭のいい賢い人という仮想敵に非効率だとか無意味って思われるっていう被害妄想が生まれた。
看護師になった今も、インスタのストーリーでは留学だとかワーキングホリデーとか都会の生活楽しんでるとかあげてるのをみると、あぁ一生自分は生まれた場所から出ることもせず、認知症患者さんの相手をしたり排泄物を処理し続けたりして人生を過ごすのかなと思うと定期的に病む。常に他人という存在が心から離れない。実際に自分は人の多さとかタイムマネジメント能力の低さとか過敏さでストレスフルで病んでそんな挑戦できないくせに。
努力することよりも、努力しても意味がないと感じてしまうことの方が辛い。それでも今は、世間でいちばん大きい森を抜け出して、自分にとって居心地の良い場所を探す努力中。
ストーリーで、インスタにワーホリやら都会の生活をあげている人って、そこに行っただけでしょう。
それよりも、認知症患者さんと日々向き合ってる貴方様の方が私はずっと尊敬します。
誰でもできる事ではないですよ
その気持ちすごくわかります
私は田舎で福祉の仕事をしており、鬱屈した気持ちを抱えて都会に出ました。
就いた仕事の関係で上流から下流までいろんな家庭と関わる機会があり、
誰が見ても恵まれていると思えるような人でも、同じように他者との比較や承認欲求に苦しめられていることに気づきました。
立派な家に住んでも、頭が良くて羨むような職についていても、キラキラした家族に囲まれて華やかな生活を送っていてもです。
皆が追い求める虚像を目指して頑張るとたぶん心折れちゃうから、
皆そんなに素敵にできてるもんじゃない、良く見せてるだけって思うと少しは楽になれるかも。
@@cocotte_matron
そんなこと言われたら泣いてしまいます😭有難うございます😭
患者さんみてると健康とか生きてるって当たり前じゃないんだな〜と、好きなもの食べれたり目が見えたり音楽を聞けたりするのは今だけなのかもと思えて、今を貴重に感じれるのはいいなと思います。単純人間なのでそう言って頂けるだけでちょっと頑張ろうと思えます🥹
@@SioSioOsio
外からは実際の生活事情や本音は見えないですよね。そんな方々に関わる機会もないのでただ漠然と憧れちゃってます笑
でも皆それぞれの悩みや葛藤を抱えてるですよね...
他人との比較に振り回されずに自分の居心地のいい暮らしづくりに集中したいですね😭
些細な失敗でガミガミ怒る俺ら大人が悪いかもな… 日本人は 普通、当たり前=完璧 って意味で使うのを辞めたら何とかなりそう
(失敗を怒られまくった者の意見な)
結婚とかも親は特別なスペックでもないのに学生時代は恋愛禁止、社会人になっていきなり身長や学歴や収入で
こういう人がいいよね、そういう人くらいの人と結婚したいよね
とよく言っててそんな人から選ばれるはずがないのに枠にはめてそういう人じゃないとダメ、みたいな感じで今は
結婚しろ、誰でもいい
と言うけど3人とも誰も結婚してないですね。
@@msa28617うちもそんな感じでしたね。放課後に遊ぶことも禁止されていたから、社会性も低い子でした。恋愛禁止のコミュ障がどうやって結婚するんだ?と思っていました。結局、恋愛禁止を破り、同棲したり、別れたりしてから、他の人と結婚しましたよ。
親はどうしてほしいのかわからない。恋愛禁止のコミュ障は結婚できないよ。
やらなきゃいけないことを根気よくやれてることが、いちばん偉い
中学時分に、約250名の学年でテスト10位になったら父親から「5位以内を保て」と言われ、5位になったら「3位以内を保て」と言われ、一体何のために勉強(努力)するのか分からなくなってしまった。親のために勉強(努力)するのではないけれど、良い成績を保たないと叱られる、自分のために勉強するのか、親に叱られないように勉強するのか、ホントにワケが分からなくなりましたね。
思い返せば、子どもながらに誉めて欲しかった、例え誉めないにしてもそんな風に言われたくなかった、というのが正直な気持ちだったんでしょうな。それ以来、勉強キライになってしまったのですが、親のせいにしても何事かが実を結ぶワケではないし、勉強ができるようになるわけでもないので、無理のない範囲で自分に出来るだけの勉強(努力)をするか、という感覚でいます。けど、一番近い家族で承認欲求が満たせなかった空虚感は、未だに深い穴が空いたままだなと思います。その反動で、無意識的に見栄を張ったりして、失敗する事が多いです。今は割とこのことに気付けるので、「今やろうとしていることは、目的を達成するためか。それとも、自分が見栄を張って承認欲求を安易に満たそうしてしていないか?」と立ち止まって考えられるようにはなりました。
また時を経て、自分の子どもには、殊更に学校のテストの結果に関しては、甘々です。「もし0点取ったとしても、お父さんは怒ったりはしない。0点になるような課程を進んできたってことだから、しょうがない。自分でこれはまずいな、と思うのなら、次のテストでは1点でも取れるようにやったらいいよ。」って具合ですね。子どもは、この自分のスタンスをどう感じているんだろうか。今度聞いてみよう。
何とも思ってない。当たり前の事を言ってるだけ。
あくまでも私の予想です。悪しからず。
私も同じことをされて頑張る意味が分からなくなってしまった
今年で38になります。職場ではバイトの方が多く、若い大学生の方と接する機会が多いです。
will not = can not は若い人達の間では確かに以前よりかなり浸透した考え方になっていると体感的に感じます。
このチャンネルで今更上げるような意見ではないかもしれませんが、一方、そういうものが以前よりは広く受け入れられるようになり、
私が10代、20代前半だった頃より選択肢も増え、より多くの情報が飛び交うのが当たり前の中、どこに向かっていいのか分からないという
若者が増えているような感覚がします。
何か特別でないといけないとか、抜きんでた何かが無いといけないとか、20代の頃から確固たる思想や芯のようなものを持って何かに取り組んで
ないといけないとか、そういったバイアスが若者の間では強くなっているように感じます。
話していると”スペシャルじゃない自分なんて・・・”という意識が言葉の裏に感じられる。
プライベートや学校内での話を聞いてみると実は努力家で研鑽家だったり、熱意を持っている事もあって「それは素晴らしい取り組みだね」と私は
本心からそう思って学生さん達に伝えても「その中で抜きんでていないから」というような返しがよく来ます。
何か素晴らしいもの、光るものを十分に宿しているのにそんな自分を自分で認める事が出来ない。
そういう若者が増えたな、と感じる事が多くなりました。
見ていてとても胸が痛いです。
本来、やりたくないことってやらないのが自然なんだろうなとは思います。
やりたくないことをやることで見えてくる新たなことってもちろんあるんだろうけど、それでも、全員がやりたいことだけをやれた先の世界ってどんななのか、見てみたいなと思います。
努力はするけど無理はしないって事なんだろうな。
きつくても、痛くても必ずやり遂げる、自己犠牲強めの社会に放り出させれ、生きてきました。最近はワークライフバランスなどで無理をしなくても良いし、残業代も出るようになりました。子供は小学校低学年なのに、顔や体の見た目を気にして、自分が好きじゃないと言っています。私の世代は高校生位から見た目を気にし出したので、早いなっと感じでいます。あるがままの自分、存在だけで良い事、愛している事を伝えていますが、腑に落ちていません。難しいですね😅
あるがままの自分、存在しているだけでいいこと、愛してるのは残念ながら親だけですから。
もちろん親の無条件の愛は、人生の基礎となるので大事は大事です。
でも世の中は。容姿の良さ、人受けする正確や能力(どんくさいかとろい、たははきはきしてて利発)など、幼少期から社会は無意識のうちに厳しくジャッジしてます。
そしてそのジャッジによって、時と場合によっては、親の愛以上に現実的な生きやすさや自己肯定感に直結します。
そんなのどんなに親が愛したって、学校や世間で受ける評価がチャラになりません。また娘さんの生まれ持った感性や、その世間(学校)の評価で形成された美の基準は親の愛とは別物です。
もしそれでいじめられたとして、自己肯定感が下がってしまった場合は、親の無条件の愛を伝えても、子供からすれば全くの的外れで意味があない可能性が高いです。子供は世間の評価に悩んで苦しんでるのであって、その時は親からの愛情や評価は実質ノーカウントの場合が多いです。
理由は、親の愛情に満たされてても、世間の厳しさで心が傷ついてるので。
私も幼少期、頭も悪く、どんくさくてとろくて、それでいろいろ誤解もされましたし、容姿でも不利な扱いを受けました。
その時に親がどんなに無条件で自分を受け入れてくれたとしても、最初はそれでよくても、だんだんとそれだけで結局自分の生きづらさは解決しない。困りごとは解決しないので、正直意味がないく苦しみは減りませんでした。
なので無条件の愛情を子供に伝える場合は、愛情とは別に上記のことを、頭で論理的に現実問題として理解していないと、その愛情が本物だったとしても子供には何の救いにもならない、的外れにしかならないことも多いと思います。
しかし親の愛情はいらないということではなくて、大事だというこは決して変わりません。長々と失礼しました。
自分のことが好きじゃない気持ちを認めてあげつつ、共感してあげたらいいと思います。誰しもがもつ悩みなので。悩みは人生の友達、くらいに思って貰えたら気持ちも軽くなるのではないかなぁと。ずっと同じ状態というのはあり得なくて、人は変わってゆく生き物ですから、大丈夫だよー。と伝えたいです。
@@mennyanta2318 「その(世間の)ジャッジによって、親の愛以上に現実的な生きやすさや自己肯定感に直結する」「どんなに親が愛しても、学校や世間で受ける評価はチャラにならない」「子どもは世間の評価に悩んで苦しんでるのであって、その時親からの愛情や評価は実質ノーカウント」「親がどんなに無条件で自分を受け入れてくれたとしても、それだけで自分の生きづらさは解決しない」「その愛情が本物だったとしても、子どもには何の救いにもならない」
一々納得です。素晴らしい言語化能力ですね! 親としては非常に厳しく悲しい現実ですが、全くその通りだと思いました。
親の愛を子ども側がしっかり感じながら育った場合、間違いなく強固な自己肯定感が育まれると思いますが、特にこの10〜20年、社会から受ける逆風(ジャッジ)は、それを簡単に吹き飛ばせてしまうほど強烈になってきている気がします。
自己肯定感とは別に、「世間からのジャッジ」に埋没せず、安易に揺るがない強さ、それを俯瞰し、距離を取ることのできる聡明さも身につけていく必要があるのでしょう。大人もさることながら、思春期の子ども達には非常に難しいことだとは思いますが、、、。
それにしても、現代のルッキズムは、昭和・平成に生きた私としては、ただただ呆然とするほかない強烈さですね😵
中学の時に伯母の家で伯母の化粧品で遊んでいたら、ものすごい形相で母に怒られ、靴下を指定通りに履いていない同級生が生活指導にすごく怒られていました。見た目に気を配ることを否定されて育てられたので、ファッションに対して興味を持つことを諦めていました。見た目より中身とかいう謎の価値観を押し付けられて辛かったです。
他人から認められず、自分で自分を認めようとする行為すら否定されていました。
小学校の頃から見た目のことに気を配る自由が与えられている人が羨ましいです。
私からしたら承認欲求に悩むなんて高尚な悩みです。悩ませてたらいいのでは…と思いますが、冷たいでしょうか?
@@orihr9372 冷たいっていうか、自分が苦労したんだから自分の基準ではこうだという。あなたの基準だけでものを言ってますよね。
見た目を磨く、自分で自分を肯定することを否定されたのなら、それで悩んでることに対して寄り添おうとか言う気にならないのだなと。
貴方が昔否定されたことなんて知りません。自分だって昔の人はもっと苦労したんだとか言われてもピンとこないでしょ。
その子は今現時点での悩みなわけですからそれを言われても、だから何としかなりません。
むしろ自分はできなかったのにと、嫉妬を向けているように見えます。正直そういう気持ちありますよね。
まずはご自身がそこを理解するべきではないでしょうか。
自分はそんなつもりなくても、俺は昔苦労したんだから、お前らも苦労するべしという、老害の思考と仕組みは一緒です。
自分の母親がそんな人だったら嫌です。あなただって、それをされて否定されて嫌だったんでしょ。
その価値観の押しつけや否定をした人たちと、同じになってますよ。
昔は絶対やらなきゃいけない。
必ず出来なきゃいけない。
勉強も仕事も結婚もしなければいけないものでした。
人生のレールを外れるとボロクソに言われて社会から排除されました。
特に昭和の頃は酷かったです。
好きな事しようとすると取り上げられ、勉強する様強要され
出来ない、判らない、一緒に
やれない者は疎外され、
変人扱いもされました。
今は色んな道もあるし、
逃げ場もある。
障害者や精神疾患者にも
多少居場所がある。
少しは楽になったかもしれませんが、その分一人ひとりの負担が多くなった気がします。
マルチタスクが当たり前、
単純作業は機械やパソコンが
やってくれるので発達障害等の人達は生きにくいし健常者も多大な責任を負わされ精神病んで
自殺や引きこもりが増えてます。
いつの世もハンデある無しに関わらず苦しいです。
なにもやらないのは失敗に対して責める力がとても大きい社会だから。
「失敗=人生の終わり」なら失敗しないためになにもやらないのが無難。
「承認」を求めるからこそ、自分の可能性が狭まっていく。なぜなら、自分の可能性は自分の中にはなく、自分の外側にあるからだ。
大事なことに気づかされた。ありがとうございました。
will not = can not この考え方は本当にその通りですよね。もっと早くに益田先生に出会えていれば子育てに生かせたし、子供達を苦しめずに済んだのにと思います。
自分の得意な事で、効率的に価値を提供できることが、社会で自分の価値を認めてもらいやすいからだと考えました。
やりたいことをやる やりたくないことはしない わくわく楽しいことをする 常識ではなく思いやりと愛を持って自分にも他人にも接する イヤなことはしない そういう風潮ってすごく良いことだと思います 大事だし 自分や他人に苦しくなったり迷惑をかけてはいけないけど 好きなことをとことんするのは大事だと思います
益田先生いつも配信ありがとうございます。心理士として、小学校などに関わる仕事をしていて、いつも参考にさせていただいております。ただ、今の若者に学校の先生や官僚の人気がないのは、承認欲求が満たされないと言うより、今の政治的社会的状況の中で不正義の執行人となるのが嫌だからだと思います。昔なら教師や官僚を目指したような子たちはNPOなど、社会的企業に向かっていると感じています。
これは私も感じます。
努力も気合も根性も良いんだけど、それ相応の見返りや、心身のケアなんかが無いとやりたく無いわな。
物に溢れ、情報が溢れ、それぞれが好きな物や思想を選ぶ様になった結果。
やりたくない事はやらないという選択ができるほど恵まれた世界になったんだと思います。
同時に、ワガママに生きれる様になったからこそ、人に優しく思いやりを持って生きる事は難しくなってもいると思います。
発達障害がある子ども達は、どうせ出来ないしと諦めているので、ちょっとずつスモールステップでできるようにしてできた事を褒めるといろんな事をやってみるようになります。裏を返せば、子ども達の成長や命の尊さを毎日感じてすごいね!と褒める大人が少ない、大人に余裕と自信がないのかなと思っています。戦争戦後を自分や家族の命を守りながら幸せを追い求めた世代とは違うなと父を見て感じます。
ここ10年、20年で誰もが情報にアクセスできるようになった結果、「なーんだ。社会なんてこんなものか」と”期待はずれ”を抱いたことが無力感、徒労感の原因なのかなと勝手に思ってます。
子どものSNSの利用が当たり前になってきて、どう見られているのかを意識する対象が増えたのではないかと思います。
昔はリアルで出会う人たちのことだけ気にしていればよかったものが、今は名前も顔も知らない他人のことまで気にしなければならなくなっていると思います。
発信する側でなかったとしても、SNS上の白黒つけたがる極端な論調や、隙を見せるとボコボコに叩かれる様子を日常的に目にすることで、より萎縮してしまっているような感じがします。
自分で発信することが簡単になったことでキラキラした人が身近になり、劣等感を感じやすいだろうとも思います。
益田先生のお話はこうあらねばとかけしからんというよりいつも逃げ道があったり救いがあったりするので聞いていてはげまされます。
子供(中1男子)育てて思うのは私が子供の頃よりも失敗を怖がる。先回りして安全牌を掴もうとする。SNSやRUclipsがお友達。まだ知らなくていい事まで知って大人の世界を垣間見る事で世界が不安定で危険な所だと思っている。世の中は悪いと思っている。未来に淡く絶望している。そして個人主義。誰かがネット教、SNS教と言ってたけど、そんな感じがする。クラスも先生中心にまとまらない。子供を尊重するとは違う世界線があって、嫌なことは嫌だと言えたら良し、等それが許される事を学んでいく。自分に必要な事さえ面倒くさい、勇気がいる、失敗するかもしれない、他人の目を気にしてやらない!やらなくても生きていけるかもみたいな子供ならではの淡い期待も垣間見る。
がんばること、諦めないこと、続けることが美しいイコール正しいという私達の文化がそもそもおかしいのでは🤔。
子どもにとって大人が絶対的な存在ではなくなってきたのかなと思う。価値は大人から教えられるものではなく、宿題でも自分で価値があると感じなければやらない選択をしている。
大人も若い方は同じように感じる方もいるのではないかな。
指導力の弱い上司の言うこと聞かないとか。
私は学習能力がなくて、過剰適応で頑張って潰れるを延々と繰り返してますので、割り切ってやれないことをやらない選択を出来る人が少し羨ましいです。
ブラック社会(会社)の一人としてそれが当たり前だと思い込んで、結果潰れてしまった私(親)を見て育った息子が不登校になった時、いろいろなことを悩みましたが、今は家で生き生きと自分の興味やしたいことを探究している息子を見て、やりたいことを真っ直ぐに素直な気持ちで取り組んでいる姿を見て、こうゆう選択も必要なときがあるのではないかと思いました。息子を見ていて、私自身が見習う部分もあるし、コミュニケーションを取りながら、そんな時期もあっていいのではないかなと思う日々です。
うちも同じくです。
4年生の長女が今年の5月からどうしても学校に行けなくなりました。今まで時々登校班に遅れたり休んだりしましたが、今になって振り返ってみると、1年生の時から本人なりにすごく頑張ってきたことに気がつきました。
私も長年鬱で薬を飲んだりしていたので、娘が今無理して学校に行って後々精神を病んで苦しむより、今は一旦立ち止まってゆっくり休んでも良いじゃないかなと思っています。
境遇が似ていたのでコメントしてしまいました😂
@@user-shizushizugogo コメント頂けて嬉しかったです。ゆるりといきましょう。
「できないことはやらない」「やりたくないことはやらない•やれない」のは、わざわざ自分の承認欲求が満たされないことをしたくないから、というお話に思わず頷きました。「やってみたらうまくいった」のような成功体験が、さらに得にくくなる文化だと感じます。
人はどれだけの承認欲求が満たされれば、自己実現欲求に移行するのか、この先承認欲求の時代は終わるのか、多くの疑問も浮かびました。
とても勉強になりました。ありがとうございました。
先生の宿題難しいよーー😖
承認欲求をSNSで満たす世代なんですかね。チャットとか、コメントを拾われると、すっごく嬉しくなってしまいます。私は寂しいんやなあ。
弟は自分が命がけでやりたい事を実現しようとしているから、夢いっぱいで、SNSなんて興味が無いのです😌🌈🌈
できるまでやってみるという過程を避けてしまうんだよなぁ。
勇気と自信の循環が滞ってる。
タイパが良くないから。ぱっと思い浮かんだのはこれです。
選択ができる自由を手にしたという意味では幸福と言えるのかも。SNSが盛んになってから個の線引きが曖昧に感じます。ベースに他人との比較があり(人より)出来ない向いてない、やりたい人がやればいいというのがある気がします。
出来ないことって時間をかけて努力しても出来るようになるとは限らないし、出来るようになっても人並みかそれ以下なので…テストのわからない問題は時間の無駄なので捨てましょう、みたいな感じと似てます。それを人生で実践しているようなものかな。
自分の欲を立ち止まらせるとできることが増える。幸福感のチャンスも増える、そう思ってます。出会える現象が増えるのが、1番ですね。
結婚や子育てなんかは、やりたく無いことはやらないの鑑なんだろうな。
will not=can notは勉強ななりました。
本気を出せば自分だってできると思うこともありましたが限界まで自分を追い込まないとできない時点で自分はできない側の人間なんだと思います。
できる人は本気出さなくても物事にチャレンジすることが当たり前に習慣化してますよね。
昔と違い頑張れば報われる、と言う事は無いと思う人が増えた。時代がある意味厳しくなって出来ない事を続ける事は無駄で色々仕事も変える人が増えましたね😊終身雇用とか無くなって行く時代
今の社会はダウナーだけど良いと思うわ。俺みたいな人間が不相応に頑張ると不幸になるぜ。あとは足るを知るって事を覚えるだけ。
ドラマは何かっていうと働け働けうるさいですね【ドヤコンガ】
まさに自分が、最近何故やる気が出ないのかよく考えていたのですが、こういう事を感じてるかもと思いました。人の役に立つ事をやる必要がある気がするけど、鬱々としてるし、得意でもないし、辛さや苦しさがあると思うと何も行動できません。
大人がそうなってきたから子どももそうなったんでしょう。
こういうところが良い部分もあるでしょう
あまりにも完璧を求めすぎるのもよくないし
仕事に関しては終身雇用もおわったし非正規 派遣が増えて使い捨ての時代だし 我慢してもうつになって崩壊する時代だなって感じ 前の職場でも我慢強くて真面目で有給も使わず頑張ってた人生の先輩が自殺したし 精神的にやられて休職していった先輩もいっぱい見ました
最近 各地の市の職員 公務員でメンタル不調 休職 離職の人数ニュースに結構で出てて すげー人数いるし
RUclipsでも政治 切り抜きの動画みてるけど絶望感しか生まれんよぬ
今まで、もやもやしていたことが、この話を聞いて一気に腑に落ちました。ありがとうございます。
仕事の要求水準が上がっているため、好きなことや得意なことでなければ続けられない、成果を出すことができないのではないでしょうか。新自由主義、グローバル化の影響か、どんどん要求水準が上がり、成果がすべてという価値観が増していて、そのため努力している人を優遇するという考えが薄れてきているのではないかと思います。
我慢が美徳、自己犠牲が美徳、利己主義は嫌われる、、、というある意味偽善を良しとする嘘っぽい教育をしなくなったのだと思います。
それでいいと思う。人によってできる事できない事が違うのだから。
最低限守るべきルールを守っていれば、好きに生きて当たり前で良いのでは?
わりといい時代になったなーと思いますけどね。私が子供だった20年前は、根性論が横行していたので、辟易していました。何年か前にNHKのドラマで「下流の宴」(原作は林真理子)をやっていたのですが、そこに出てくる男の子がまさにそんな感じかなあと思っています。「will not=cannot」が当時の大人たちに理解されればなあと思います。私はできないと自覚していました。同世代の子供たちの中に入ってうまくやることはどうしても「できない」と。理解されていたと言うより、諦められていたんだと思います。無理して心を殺すより、駄目な子でよかった。いま、大人のスキルを身につけた今なら、うまくやれたのかなあ。わからないです。
真剣にやれることを見つけてからが本当の人生と思います。
それまではモラトリアムでよいのでは?
見つけたら「報われない、どうせダメ」なんて言葉出てこなくなると思う。
もちろん見つける努力はしなくてはならないが、それもいやならもう知らん。
案外苦手で嫌いだったものの中に潜んでいることだってあるのでは?
タイムリーな内容でした。子供にいろんなことを体験させてあげたくて夏期講習を提案をしてみたら「イヤ」「やりたくない」と跳ね返されたところでした。
物事に対して消極的なのはうちの子だけなのかと悩んでいたところにタイムリーな動画。マズローの欲求五段階の話を聞き頷くばかりでした。私自身も興味ないことはやりたくない(できない)ので子供は親の背中を見て育っているなと反省もしつつ体験、経験することの楽しさはこれからも伝えていきたいなと思います。
この「言葉は無理を重ねて無茶して精神とかを壊すくらいなら」とかの意味合いが強いと思っていましたが、「何でもかんでも」って言葉を勝手に付与してる人もおられる気もします。なんか具体的解決になっていない働き方改革とか世の中自体が情報で溢れすぎて色々一人歩きしたりしている世の中の構造も大きく影響しているように思います。
卒業するためには単位を取らなきゃいけないし、自立していくためには、いきてくためには働かなければならない。やりたくないことでも当たり前にやらなければならないことに対してやらなきゃって気持ちがめちゃくちゃ減ってて不安しかない
子供たちは学校では画一的な教育を受けて評価にさらされ、学校内では塾や習い事スポーツに、家庭生活のこともと様々な役割を持っており、とてもストレスフルです。なのに大人に抵抗することができません。与えられたものをやりこなす。余裕のなさも仕方なく受け入れているでしょう。疲れている様子が垣間見えます。
ところが自我が芽生える時期になるといろいろな方法で抵抗し始めます。必要以上にやらないという選択は、社会の要請に対する自己防衛反応の一つとして、身につけていったものではないかと思っています。
教育に関わる仕事をしているものですが、聞かれてないのに、アドバイスをする大人が増えたからのように思います。 考える良い機会をいただきました。 ありがとうございました。
我が子も、やりたくない事はやらない、しない大学生です。世の中は理不尽だらけでやりたく無いからしないは通じないと言い聞かせてきても全く通じなく疲れてしまったので、私もしたく無い事はしないと宣言して娘の家事を放棄しました。今までやってもらって当たり前と偉そうに生きて居ましたが今は自分の食事・洗濯・朝起きる事ですらままならないみたいです。でもこの経験が生きる糧となると思うので見守っていきます。
>やりたくない事はやらない、しない
>今までやってもらって当たり前と偉そうに生きて
実姉があれこれ縦にして甘ったれてるタイプです
(バブル世代のオバサン 子供のころ体が弱かったので甘やかし三昧)
「親が死んだら他人にとってただのおじさん、おばさんなんだけど わかってる? 世の中助けてあげる善人だらけじゃないよ
で 誰が面倒見るわけ?」
と言いまくってたのですが これが中々わからかったみたいです、親が元気だったころは。
が、職場で自分より酷いタイプから被害を受けたり 親が弱ってから ようやくわかったようです。
>この経験が生きる糧となると思うので
親は子供が自立してくれればいいのですよね。
@@ぶひみゆき
きっと同世代ですよね
うちの子も体が弱く今も定期的に総合病院に行っています。それに一人っ子です。
優しい虐待のほうが親は楽ですよ。でも親は先に死ぬから自分の足で立って生きる術を持たせないとと思っていつも喧嘩してます。
中学生反抗期真っ只中
手伝いなんてまずしない
私も、ほっぽり出したいけど、本当に何も出来ない 生活が成り立たなくて結局、1人で動かなければならない😢
私の周りはこういう人って高齢者に多いです。AIで受付、自動会計、と言っても、私高齢者だから出来ない、わかんない、人間がやれ、の一点張り。
やり方を教えると、命令されたと感じる。
高齢者だから脳が〜高齢者だから目が〜みたいな感じです。弱者いじめんのかよみたいな。
あなたたちにすれば、よわものいじめと とっているのか 高齢者は本当に わからないんですよ。
まさに弱者なんです。
そこは お手柔らかににお願いします
コメント失礼致します。
AIやシステムが複雑な機械自体が一切なかった時代に生まれた世代の高齢者にとって、未知の物に触れる事に対して無意識に恐怖やストレスを感じると思います。
私の持論ですが、未知(変化)への恐怖やストレスは自閉スペクトラム症のパニック症状、想像性の障害と似ていないだろうかと考えています。そんな時こそ、まさに「自分にできないことは、できる人に頼る」判断をするのも一つの手ではないかと思います。
@@おひさマン 出来ない事を人に頼る、それには大賛成です。
しかし、高齢者にしか出来ない事、
※電話番号を教えてください、みたいな割りと簡単なアンケートみたいな事。
をこちら側から、高齢者に教えて貰う必要があるときは、めちゃくちゃ低姿勢で、まるで奴隷が王様にお聞きするみたいな低姿勢を、強要されるのが、つらいです。本当に。
(※仕事は宗教とは無関係だから、信じろとはいいません。単なる吐き出しです。出来ないから人にたずねて教えて貰うについては別に不満なし)
@@おひさマン良かったら、もし、ご自身の経験で、キレる高齢者への、超迅速かつ正確に、ミス一切なく、高齢者がおわかりでない出来事を、AI並みの正確さで、満足させるようなトーク術があれば、教えて下さい。
※弱者が出来ないのは全て許され、あなた自身のミスは一切許されない、と仮定した上で。
本当に回答を求めてます。本気の回答をお願いします🙇
電車で子ども連れに話しかけると、ものすごい警戒されたりします。また、妊婦さんに優先席を譲ろうとしても断られます。自分たちは少数派という意識が凄くあるのかな?リラックスしていられる場所が、それぞれにありますように。火星人より。
そんな社会になってるんですね😢
悲しいです。
譲り譲られの社会になって欲しいとコメント見て思いました。
妊婦だとわかるぐらいの後期になると、一度座ってしまうと立ち上がるのが難しくなるので、席を譲ってくれる人に断っていました。もちろん理由も親切な気持ちへのお礼も言っていました。妊婦さんたちのほどんどがそう言う気持ちだと思います。でも私のようにオシャベリではないのでしょう。幸福ホルモンが出ない妊婦は、身体が急速に変化して行く事が辛くて、自分の心の中に閉じこもりがちになってしまいます。
子供には知らない大人に話しかけられたら警戒するように教え込んでいます。ジャニーズ事件が何十年も続いていたように、そうしないと心や身体が守られない世の中なんです。そして子供にも安全でリラックスしていられる場所が必要です。
今は人との絆が切れてしまった時代なんだと思います。親切にして、それが受け入れられなくても、気にする必要はないと思います。私は他人に悪意を持たずに生活できるだけでも良しとしています。
この手の大人が子供に話しかけるな的な話聞くたびに思うけど大人→子供の性被害はもちろん被害が起きてなくてもそれを連想させる事象って時点で騒ぐのに子供同士の性被害は些細なことみたいに扱われるのが納得いかない
なんなら接する時間が多い分、数としては後者の方が多いだろうし被害者にとってはどちらも傷つくし、子供の方がお咎めなしなことが多いから懲りずに何度もやってくるし結構エスカレートしたりするのに子供同士のは何故かかなり放置されてると思う
大人からしたら加害者に対しては子供だからとか思うんだろうけど被害者ってはどちらも性被害を受けたことには変わらないのに
結局みんな外から見た、大人が子供にそんなことするなんて的なセンセーショナルさや加害者に対する嫌悪で叩いてるだけで誰も被害者目線には立ってくれないんだっていつも思う
割と脱線してすみません
2人の子どもがいます
最近は幸せそうだったから、誰でもよかった、性犯罪の表面化、巧妙化…など悲しい犯罪が増えているからだと思います
もちろん親切な方に助けて頂いたことは沢山ありますが、それと同じくらい子どもに悪いことをしようとしてくる人もいるという事実もあります
その行動の真意を見抜くのが難しいんです…
なので常に保護者は警戒しながら子どもを育てています
共に育てる時代から、見守る時代になったのかなと思います
そのあたたかい心はとても嬉しいです
私が二十歳過ぎの頃、夏休みに入る小さな男の子が沢山の荷物を落としそうで大変そうだなと思って大きなビニール袋をあげようかと近付いたら後退りされました😅
ので子供への親切心棄てました。
私(40後半母)がロスジェネで、努力が報われなかったので、娘(小5)にはもっと楽しく生きてほしいと思います。
「努力したら必ず報われるよ」って騙そうとしても、SNSで娘の方が情報を知ってる位なので、もう騙せないですしね。
大人の世界でも、人の揚げ足を取り蔑み吊し上げることが増えましたよね。簡単にネットに晒される恐怖もあります。努力を嗤われる挑戦しにくい環境だと思います。綺麗な上澄みだけ掬いあげ必死に飾り立ててSNSで虚しい勝利を味わい、互いに牽制し合って何だか勿体ないですよね。
益田Dr、いつもありがとうございます。
自分の時代でも、私が30歳になるまでは、母はいろいろ口を挟んでました。心配されてたんだろうと、今ならその気持ちも理解出来るようになりました。今度は逆の立場なので。
宿題📚
子供を客観的に見ていて、いま伝えてもしょうがない。自分から気付いて欲しい。と最近は思うようになりました。諦めたわけではなく、自分で苦労して気付くことがあれば、子供も成長するだろうと、少し距離を置いて見守ってます。
働き方の多様性で自分にあう働き方を探すのが上手な子と、失敗を恐れて無難な道を選択する子も増えたのかも知れないです。
いずれにしても、世の中に合わないものは自然淘汰されていくと思いますので、子供たちのやりたいことが、どのくらい世の中に受け入れてもらえるのかを見守ってみたいです。
本日もお忙しいところ配信していただき、
ありがとうございました。お疲れ様でした🍀
今は選択肢が昭和より全然多いので、できないことをやらないでフリースクール行くとか通信制高校で高卒資格取るとかできるし趣味も豊富なので良い時代だと思います。
自分は子供や若い人と関わりが無いから
本当にこうなってるのかは分からないけど
自分(現在中年)みたいだなと思いました
自分の場合は能力が低いせいか努力や労力のわりには結果や報酬が低い
割に合わないと感じて生きてきた
白黒思考の考え方なので自分のがんばりが本当に意味なく感じてた
今ある情報は自分からしたら勝ち組の人達の能力があってできた話で
能力が低い弱者みたいな自分には参考にできない情報ばかり
だから諦める欲を捨てるみたいな生き方になりました
楽しい事が無いのなら嫌な事を減らそうって生き方に自然になるんだと思います
若い人達もそんな感じなのかな?
火星人になったつもりはいいですね。私の一番の友人はいつも自分が地球を眺めるBOSSのCMのジョーンズみたいな気分だ、といいます。そう、私にはない違和感を持って大多数の人の考えや行動を見ているのが私の親友です。それは気をつけて見るいうのではなく元々の性格気質がそうなんですね。でもその視点が私には為になる。
自分と全く違う視点の人がいることを認めること、自分と違う視点の解釈を聞くこと。だから私も鍛えられました。いつも、別の視点の人がこの世には居るんだという事を肝に銘じています。客観の視点で居ることの大切さを忘れないようにしています。
競争の世界に立てば必ず勝ち負けが存在します。そこにみんなうんざりしてるんじゃないかなって思います。
サブスク全盛時代を迎え、お金はそこそこあれば人生楽しめる。そんなに頑張らなくても良くなってしまったっていうのもありそう。
盲点でした。一度に多くの人の心理を掌握しなければならない仕事なので助かります。
ここ10年、20年の顕著な変化ってSNSの普及だと感じます。みんなが情報の発信者になれて、自分で撮影や編集をこなし、SNSを通じての自分を表現し伝える力や影響力は、これまでの時代には無かった事です。みんなの思考回路がカメラマン目線だったり編集者目線だったりして、昔の人々とは物の見方が変化してきていると思います。そのことを一番に思いつきました。
知らなくていい情報が出過ぎて食傷なんだろう
その世代の者です。見たい景色もある程度想像がつくし、欲しいものも廉価版が手に入る上に、何ならそれをやっと手にしても何だかがっかりするのも想像がついてしまいます。既知の話を粗筋だけ追っているような、無力感なのか諦めなのか。「人に見せても恥ずかしくない、馬鹿にされない生き方」が何より最優先なので、嘲笑・冷笑の風潮に対する恐怖と保身なんでしょうか。考えさせられます。ありがとうございました。
やれないんですよね
おつかれさま😊
ありがとうございます♪
職場では自分は性格的に頼りにされたり、失敗を恐れずチャレンジする方です。そのためか、難しい事や責任を伴う仕事を押し付けられがちです。若い人達は挑戦せず、怒られない範囲でルーティンワークに勤しみたい様に見えます。他人がプライベートでどう生きようが無関係ですが、職場では時給分きちんと働いてもらわないと。世代とか関係ないですよ。それを「時代」という言葉で、楽な方に流されないで欲しいです。
Dr.!とても共感できそうな回です!楽しみで仕方ありません😊
子どもも大人もそうですよね😅
それともうすぐ60万達成もワクワクです🎉
(いじる)と言う言葉で笑い合えるコミュニケーションが横行する中で、コミュニケーションと虐めの境界が曖昧で傷つける事が正当化されている気がする。
30代のトランスジェンダーです。
望む性の制服で学校に行けるようになったし、クラスメイトに性自認内緒にできるようになりました。
いい時代になったとばかり思っていましたがこれも一つ嫌なことをしなくなったってことだと思います。
マイナンバーの写真、ジロジロ見てごめんね
@@KAWAYUSU 僕は説明するの楽しんでるのでるので大丈夫です!
日本人は、同調意識が強くみんな同じであることに「安心、安全、楽」を求める。
その代償として、「考える力」を奪うと常々思っていた。
「考える力」とは「自分に向き合う力」であり自分を知ることは、生きる源となる。
「できないことはやらない」
「やりたくないことはやらない」
両者は「安心、安全、楽」の行き着く先であり当然の経過だとも言える。
ネットがあって「無料で何とかしよう」「まあ検索すれば答えがわかる」と思い込んでいる人は多いですね。
すると、将来も「こうなるんだろうな」と勝手にあたりを付けてしまう。
だから「努力しなくてもいいか」と短絡的に考えてしまう傾向があると思います。
さらにはネットを探れば、ぱっと見でおもしろいもの、がいくらでも出てきます。
ようは「考えなくてもどこからか楽しいものを与えられる」というものに慣れすぎ、努力なんてする発想にならないんだと思います。
益田先生 いつも学びの多い動画配信をありがとうございます。
戦後やバブル期のようなハングリー精神やチャレンジ精神については、現代人はなかなか持てない精神かな、と現実的には感じています。
核家族化や少子化により、子ども1人にかかるプレッシャーや期待などは昔より大きいものがのしかかるのも原因の1つかと思います。
また、母子密着など、人間関係の距離感がうまく保てない親子が増えていて、精神的な自立が遅れたり、自分に自信が持てなかったり、ハングリー精神やチャレンジ精神が持てないことにも繋がっているように感じます。
いつまでも子どもでいてほしい、という母親が居れば、子どもが自立する年齢が遅れるのは当然なので、母子や親子が程よい距離感を保ち、子どもの自立をバックアップするような社会や環境整備が求められる部分なのかな、と感じています。
自分のやりたいことがあるのに、心身の不調が原因で、やりたいようにできないのは苦しいと思います。
心身共にある程度健康で、やりたいことをやりたいように挑戦したり、自信を持って進みたい道に進むことができるような子どもが1人でも多く居るといいなと願うばかりで、これからの日本の社会もそんな若者が1人でも多く居てほしいと思っています。
作業が慣れて仕事はなんとかこなせましたが何分一人で過ごすのが好きで人間関係は当然希薄になります。
周りからはとっつきにくく扱われ結果的に孤立し肩身が狭くなって退職を余儀なくしてます。作業はこなせてるので復職したいのですが同様になると大方予想が付きます。
作業はできても人間関係が上手く築けないから仕事を継続するのが困難な状況です。
仕事を継続できてる前職の人たちが羨ましいと思う日々です。
いわゆる先進国に限ると思いますが、原始時代以降で、人間が衣食住, 安全, 所属が(見せかけでも)満たされた時代は今が初めてなのではないでしょうか。目指す間は目標として機能してたが、到達したら生き方が分からない状態に陥ってるのが今の時代かなと思ってます。
テクノロジーが急激に発達し過ぎて、人間の脳が発達について行けず普通に生きてもストレスが多いのに、それ以上にストレスになることはできない。日本に住んでいて食べられないということはないのだから、無理してストレスを抱えて生きる必要はないかと。ストレスが一番よくない。身体を壊すし、他人に意地悪をしたくなります。ストレスを感じずに生きる人が増えると、平和になるのではないでしょうか。
ストレスを避けすぎた結果就職ができなかったり、(独身であることに耐えられない人が)恋愛結婚ができなかったりすると、ストレスは避けれているのに精神を壊したり他人に意地悪をするようになると思います
無理をし過ぎる必要はないけど、一度も無理をしないで幸せになるのは不可能だと思います
@@T61-Accel
それは違います。元々ストレス社会というベースがあって、皆がいっぱいいっぱいで生きており、ストレスになること・無理が少しもできなくなってしまっている。皆無理をした結果、ストレスがかかることをしない風潮になっています。この日本の社会で、まぁ世界中でも、一度も無理をしたことがない人など一人もいないです。苦しい結婚しかできないなら、結婚なんかせずに生きたほうがいい。結婚は義務でもなんでもないですから。
@@snoon27 (独身であることに耐えられない人が)
って付けてるのを見落とさないでくださいね
独身である方が生きやすい人もいるし、恋愛も結婚もできない独身で居続けることによって少しずつ心が壊れていく人もいるんですよ
@@T61-Accel
皆、問題を抱えて改善したいと思っているからこの番組を見ているのでは。私はそのつもりで見ています。皆の知恵を集めてどうやって改善させることができるのか、実験・実践の場でしょう。
@@T61-Accel
問題ないならこの番組を見ている意味はなんですか?マウント取りたいだけ?問題を抱えて生きている人にマウントを取るとは、幸せではないのですか。私はそこそこ幸せですよ。
そこそこ景気が良い状態が続いているからだと思います。氷河期を知っているので、本当に不景気になると一気に不幸な世界になりそうで恐ろしいです。
無理しなくていい時代になったのは、無理してきた人がいるからかもしれないですけどね。
そうだとしたら、反動でかなり無理をしないといけない時代がやってくるのかもしれません。その辛い時代を生きるのは、私たちの子どもです。
昔ほどのスパルタではなくても、あえて多少の無理は当たり前ぐらいに子育てした方がいいんじゃないかと、私は思います。
次世代に起こりうる辛いこと…例えば戦争に巻き込まれて物資窮乏生活とかか🤔💦
自給自足スキル必要そうだ
定型の友達の話だと、ネット情報やセルフモニタリングで、自分の力量を測る精度が高く、好奇心も爆発的ではなくて、静かな暮らしが心地よい…のような風ですね。
自分は好奇心の勢いで、次々突進するから、面白い発見にであえるし、アイデアわくし、つまみ食いして歩くのは楽しいから、自らのチャンスロスは勿体ない、という風です。現実離れて打ち込むことは、心の健康にも良いと考えます。
家の子も自閉症で人嫌いなので、できない事がたくさんあって、なんで、できないのと思うけど、できないのかなと、勉強になりました。
10人中9人の子どもは耐えられるけど1人は耐えられないことは課さなくなってきてる気がする
1人でも何かあったら責任問題になるので、全員が苦しくなく、身体やメンタルに問題が出ないことしかやらせられなくなってる
それだと会社で仕事出来ない気がする。学校はそれで良くても会社は許してくれない。
メタ認知、難しいです😅
先生がおっしゃるようにニ極化していているように感じます。年齢が高くても該当する方もいて、結局は人なのかと思うようになり、誰かに期待したりすることもなく、波風立てない生き方をすればいいのか、人は何のために生きているのだろうと思うようになりました。
我々はこうあるべき、こうある人が素晴らしいんだ、というある程度共通していた像がなくなった。
それぞれ得意不得意があり、それぞれの力加減に合わせることが良しとされるようになったので、やりたくないことはやらない、できないことはやらない、になったのかなと思う。
ネットで検索すればある程度、社会や現実が理解しやすくなった故に、昔の様にアメリカンドリーム的な幻想を信じられなくなり、先行きに夢が見られなくなった故の表層的諦観じゃないかなぁ
って思ってます
価値観は1990年前と違う価値観に代わっているのはその時代に生まれた人立ちが大人になっていったので変わったと思います要は世代が変わると価値観も変わると思ってます
学童の支援員をしています。
「できないからやらない」という子どもが増えた…、そうですね、私はそういうのを認めてもらえるようになったのは良いことかもしれないと思っています。じゃあ、その上でやれることは何か?を考えていける。逆にそこをやっていけないなら、「できない」で終わってしまう。
個人的な感想としては、親世代はまだ褒めたりすることが下手なのかなということです。今の小学生の親は昭和末期~平成初期生まれくらいかなと思うのですが、まだまだスパルタ教育は「アリ」の時代でしたから。何も考えなければ、そのスパルタ教育の名残を今もやってしまう。褒めて育てましょうといわれても褒め方がわからなくて、悪いところばかり目についてしまう。
だからなのか、子どもたちは私が褒めても今一つ反応は薄い、そして否定的なことが多いです。が、褒めてほしいんだなぁとも感じますね。そんなんでも反応はあるので。
なので、彼らの褒められるとこをどんどんほめて、「自分はやれるんだ」という気持ちを作っていきたいと思います。
こんばんは。
自分の感覚としては、家賃と税金はやや高いけれど、
食費と娯楽はそれほどでもない国に暮らせていると思っています。
だから生きるために必死にならなくても良くなり、
自分のこだわりを優先してしまうことが多くなっているように感じています。
また、総中流社会から格差社会へ切り替わる過渡期なので、
慣れない下層の生活というものに強い違和感を示しているようにも思います。
仕事も難しくなったし、難しいものに対応しても得られる報酬はそこそこだと
SNSなどを通じて知ってしまっているし。
色々と意欲を削ぐ方向に力が加わっているような気がします。
私は大人なんですが、仰る通りとおおきく頷いています。
社会上の建前より、自分を大事にする人が増えた気がします。特に縦の関係(親、上司)にとらわれず、毒親から距離を置くとか、飲み会に行きたくないなら参加しない人が増えた感じがします。
若者の疲弊は、経済的に発展した国共通のようです、私たちはどうすれば良いのでしょうか
私が30代中頃だし親世代は聞いただけだからちょっと微妙かもだけど…
50年前もっと言えば20年前は、テレビくらいしか人の感情がダイレクトに伝わり、得られる趣味や仕事に関する手軽な情報元がなかった。
職業選択も、そもそも親の家業を継ぐか、サラリーマン。自分が何に興味があるか分からないけど、他にやれる知識がないから何となくその仕事をして食いぶちを稼ぐ。
だから仕事は辛いものっていう悪しき価値観が当たり前だった。
今は遊び(趣味)も仕事も多様化して、趣味が仕事の延長線上のように見える情報がたくさんあるし、触れる機会が圧倒的に増えた。
それらも実際は地味なことやルール、法律などもあるけど、そういった側面は見えづらい。また学ぶ意欲や趣味性に対する喜びより、地味な作業への労力が、人によっては見合わず、結果として諦めることが多くなったように見えている。
(意識/無意識を総合して、やっていることに対するメリットより感情面でデメリットが上回る場面に会う)
やれることや情報として知っていることが多く、手軽に始められる機会が増えたため、結果自分に合ってないから諦める回数が見かけ上増えただけだと感じます。
何を持って諦めや挫折したか。本人が正しく健全な気持ちで取り組みを辞めたり、新たに始められるかは、個々人の心の成熟度具合で決まるし、ネガティブな気持ちのままくすぶっていると、ずっと辛いままだなと思いました。
始めることも辞めることも、どっちも気軽にできる。そうしていい環境や精神的な成熟度が醸成できたら良いなと思いました。
他人に「諦めるな」や「諦めろ」と言うこと。これは言った側の勝手な思い。自分が言う側なら言うだけの言葉の重みを考えて相手にぶつけるべき。
言われた側は、ちゃんと自分で考えて自分の結論をどうだすか。
人に言われたから、継続したり諦めたり。人任せな意思決定がいくつも重なるのは怖いと思いました。
ここ10年から20年で多様性を大切にする文化が広がった。競争が減るとある意味で世の中は平和になった。一方で逆境をバネに頑張ろうという力は失われているのかもしれない。多様性がなく、世の中の価値観も狭まっていたころの方が競争が働き、縦の構造になりやすく、上下がわかりやすかった。その分、頑張り方や正解もわかりやすい。しかし、差別も働きやすかった。多様な価値観が広がると人々は競争力を失い、正解が見えない、何をどう頑張るべきかわからなくなった。本来は戦いや競争が好きな本能を持ちつつ、差別を無くして平和でありたい人類はジレンマに陥っている。
就職して私は頑張っているつもりだった、仕事を覚えようとしているつもりだったけど、「出来ないなら辞めちまえ!」って育てる努力をしない人もいたなぁ。これもまた問題だと思う。
できることに取り組み、出来ないことはやらない
各種産業の専門性が高まってきている背景を鑑みれば、むしろ若年ほど分業の最適化が進んでいますね
メタ的視点と火星人かぁ~😮
それがエコで持続可能な手法かも🥰
自分を労ろうと
幼少期は物凄く挑戦が怖かったけど、逆に大人になるといろいろ挑戦できるようになりました
まぁ、幼少期のほうが伸び率良いのかもしれないがね…