【納得解説】兎族と和邇族の歴史と八幡神のハーモニー

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  • Опубликовано: 28 янв 2025

Комментарии • 29

  • @和を以て大と為す
    @和を以て大と為す 25 дней назад +1

    大分県南部辺りを治めていた地方豪族の大神氏が分派しながら北上していた先の一つが宇佐氏でそのまま八幡宮の宮司を務めていた…確かこんな感じではなかっただろうか?…その分派の内の一つに賀来氏が在るが賀来千賀子さんや賀来賢人さんの先祖ですね♪

    • @castleman4502
      @castleman4502  24 дня назад +1

      コメントありがとうございます。もともとの宇佐神社と八幡の習合の際の話も、色々な古史古伝や伝承で色々と伝わっています。大神氏、三輪氏が初代禰宜だろうとは考えられていますが、宇佐八幡に習合した時に秦氏系に変え、その時に色々な口封じも行ったのかもしれませんね。

  • @頭山-g5f
    @頭山-g5f 3 месяца назад +1

    長い年月この宇佐神宮を守り続けてきた宮司到津一族が追い出されたのは信じられない。
    前宮司の到津氏の奥様は上皇陛下の
    御同学で幼い頃からのご友人と聞いております。到津氏、奥様、御家族
    とても素晴らしい一族でしたので、
    到津家の血族では無い人間が後を継いでるのが信じられない。昔に比べると神宮内の手入れも行き届いていません。とても残念です。

    • @castleman4502
      @castleman4502  3 месяца назад +1

      コメントありがとうございます。
      神社庁は闇ですよね。歴史ある神社こそしっかり守って欲しいものです。
      神奈川県の鶴岡八幡宮も神社庁抜けましたね。

    • @頭山-g5f
      @頭山-g5f 3 месяца назад +1

      @@castleman4502 ご返信心より感謝致します。

    • @goodstay3864
      @goodstay3864 2 месяца назад

      Wikpedaにもありますが、神宮庁から異動してきた小野氏が到津家を追い出したのです、地元からは罷免要求も出ましたが、無視し居座り続けています。利権に群がる官庁の末路です。

  • @浮世離れ-s8y
    @浮世離れ-s8y 4 месяца назад +2

    ありがとうm(_ _)mございます
    日本の皇室の問題解決をお示しください。宇佐さま

    • @castleman4502
      @castleman4502  4 месяца назад

      政治が絡むコメントはしませんが🤗万世一系は保たれますよね🤗

  • @legendswatches518
    @legendswatches518 5 месяцев назад +3

    宇佐八幡についてはあまり深く知りませんでしたので、ご解説ありがとうございます、八幡神については、かなり飛んでいますね、、結構賛否あると思いますよ、(笑)

    • @castleman4502
      @castleman4502  5 месяцев назад +1

      今後、熊野大社や石上神宮、諏訪大社も紹介します。
      神社は飛鳥時代に建立されていて、藤原は何でも隠しますから、どんどん暴きます☺️
      八幡やダビデ、inri、日本人はユダヤ嫌いが多いですが、やはり共通点は多いと考えますよ☺️

  • @monjiro-x3v
    @monjiro-x3v 5 месяцев назад +4

    兎と鰐の駆け引きの話は同種の話が東南アジアの各地に細部を変えられた形で伝わっています(兎が鹿になったり、記紀と違って兎が鰐を見事に出し抜いたり・・)
    恐らくこの話は東南アジアがオリジナルで(日本に居ない鰐が登場する事を考えれば)記紀制作時に記紀神話の中に取り入れられたのだろうと思われます。
    また宇佐神宮の本来の祭神については忌部系の神さまであろうと考えていて、その忌部神と仏教が習合をして誕生したのが「八幡大菩薩」なのだろうと思っています。
    宇佐神宮の延喜式神名帳内での社名「八幡大菩薩宇佐宮」からは神社が何処からか宇佐郡に勧請されてきたような印象を受けます(八幡社の総本社であれば宇佐宮とは言わず本宮と名乗るハズ・・)。私としては宇佐神宮(八幡大菩薩宇佐宮)の創建年725年は宇佐郡に勧請された年で、本来の八幡総本社は全く別の場所にあったのであろうと考えています(恐らく阿波・・)。

    • @castleman4502
      @castleman4502  5 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      天日鷲命から繫がる大宜都比売命は考察頂いた通り、月の女神だと考えてますが、何故か阿波説の人は天照大神が大宜都比売命だと主張する方が多いですね、不思議です。
      紀氏だけではなく、後二氏族前後、メソポタミア由来と考えている氏族も紹介予定です。
      徳島県を横に倒すと奈良県に地名が通じますね。和邇、猿田彦等は古すぎて各地で伝承も沢山あり難しいですね。
      来週は阿波説の人と真逆なレキシルとくしま推しの古墳から卑弥呼を紹介します。また阿波人から嫌われるかもしれませんが、応援宜しくお願い致します🙇

    • @和を以て大と為す
      @和を以て大と為す 24 дня назад +1

      宇佐神宮は元々地元に在った幾つかの神社 祠 などに新たに八幡神をまとめて祀るとした時に改めて創建したのが宇佐八幡宮のはずです。本宮の本が外されたのは多分、平安京に役割を移したかったからと勝手に思ってます。厚かましく失礼しました。

    • @castleman4502
      @castleman4502  24 дня назад +1

      コメントありがとうございます。仰る通りかと私も考えています。

  • @kaczy-j5k
    @kaczy-j5k 5 месяцев назад +1

    応神天皇、始皇帝説があります。九鬼文書でのスサノオの子孫がエフライム族やヒッタイトで子孫が始皇帝。
    その子孫のスサノオが日本に入ってきて継体天皇に繋がってると思います。

    • @castleman4502
      @castleman4502  5 месяцев назад

      コメントありがとうございます。

  • @dry301
    @dry301 5 месяцев назад +3

    淡路から始まる鉄の道でしょうか国生みも同じでしょうね鉄が欲しかったかも?

    • @castleman4502
      @castleman4502  5 месяцев назад +2

      コメントありがとうございます。鉄は隠されてますね。姫路は秘道であり、宍粟から奥出雲は天之日矛ですね。
      大分は黒曜石と辰砂もわずかですが、とれたようで重要なところですね。
      今後もご指導宜しくお願い致します🙇

    • @dry301
      @dry301 5 месяцев назад +1

      @@castleman4502 流れ的に本家に帰って宇佐神宮が卑弥呼のお墓でしょうか?

    • @castleman4502
      @castleman4502  5 месяцев назад +2

      グッドタイミングですね👍️来週公開の動画は卑弥呼の墓について紹介致します。
      宜しければご覧下さい🤗

  • @なむ-u2k
    @なむ-u2k 3 месяца назад +1

    ワニは太陽信仰です

    • @castleman4502
      @castleman4502  3 месяца назад

      来週は日子坐王です。少しずつ紹介致します。