Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
会社を辞めてまで日本の歴史を残すことを選択していただいた事に感謝です どんどん日本の歴史が出てくるようになって 学校で教えてもらわなかったことに 触れられることが楽しいです
良い発言 ありがとう
ありがとうございます!(^^)!
仕事の関係で、人が亡くなる場面に多く立ち会ってきました。ご臨終になるとき、確かに「何かが抜けた」という感じをずっと受けていました。やはり魂というものは、あると思います。みんながホツマに興味を持つのは、あの国の影響を受けていない本来の日本のルーツが知りたいからだと思います。ホツマツタエ私も興味が湧いてきました。
CGSのホツマで、いときょう先生の動画を何度も繰り返して観てます。失礼ながら、仮にそれが偽書だとしても様々な意味で勉強になりますロマンを感じます、そして神社がそこに在るので日本中が楽しいまるでテーマパークのようです、それだけでありがたいです。
楽しみです!✨古事記、日本書紀を勉強した後にいときょうさんのCGSの動画に出会いました。最初は自分の頭の中が混乱しますが、時間が経つと補強されていく思いです。是非、ち‥乳、血などオトダマの解説も盛り込んでください。🙏
@@haniwa-f4r さま私も和語で感動したことがあります”はし”の意味についてです。箸、橋、端和食を食べるとき箸は食べ物の手前に横に置きますこれは結界を表します、箸の向こう側が死の世界箸の手前が自分が生きいてる世界です。食べ物(犠牲になった物)を箸で自分に取り入れて私達は生きていくわけです。この時の”はし”は死の世界と生きている世界の橋渡しをしています。そして川の両岸に掛かるのが橋です、対岸と橋渡しします両岸の縁を端と言います、全てが同じ意味になっています。
茂木先生が聞き手になってくれると理解が深まります。
合いの手の様な受け応えの中に、極めて分かりやすい参考詞を入れて頂けるので、一気に理解が深まると言う、、、😊
以前、丸山修寛先生の神代文字なぞり書きの本を買い、愛犬が腰痛を繰り返し痛がって辛いので犬の症状に合うホツマ文字をマスキングテープに書いて洋服に貼っています。去年の夏から始めましたが、今のところ腰痛が出ていません。日々感謝しています。
茂木さんがホツマとの出会いを感動を持って御覧に成り得した。先生の膨大な知識と鉄壁の記紀の世界観を静かに崩しながら柔軟に崇高なホツマの世界観に少しづつ変えているようなのでそこには非常に同感いたします。お互いの世界観を持って争い合う世界よりも、お互いの世界観を比べ比較協議し合う世の中になったらいいなと思っています。
将に一つの純粋な学問と思いました。覚えるだけの詰め込みでなく、興味味が有る方々がいろんな解釈で考察する。学校で教わらない内容ですが、大人も子供も強制されていないのに突き動かされる知識欲。
妄信するのは気持ち悪い。全否定するのはつまらない。都合の良いとこ取りも違うと思う。茂木先生には期待しかない。
やさしいホツマつたえ読み込んでたら、どの時点で歴史が塗り替えられたか分かる時ありまして真実はさらにの古い教えに有ることが実感できます。今回も茂木先生ありがとうございました!
配信嬉しいです。ありがとうございました。ホツマツタエは大好物です❣️30年程前に出逢い、ようやく此処に来ました。やはり魂の故郷だと思います。これからが楽しみです。居ながらにして学べる❣️今に感謝です。茂木先生ありがとうございます。
大変楽しいお話をありがとうございました♪ヲシテ文字は、【フトマニ=卜占・呪術】の文字であったと思います。記号です。その記号ひとつひとつに意味があり、天地のことはりを表していたと思います。古代の゙政治とは、【マツリゴト】です。「祀り=天の声を聴くこと」が民をまとめる言葉であったと思います。その卜占に使われた音♪をヲシテで表したと思います。現在でも、お守りの中身は見てはいけないと言うように、人に見せる文字ではなかったのだと思います。そして、和歌とは呪術です。ホツマツタヱは全て和歌で書かれています。漢字が普及したのは、ひとつは仏教の浸透が、写経とともに行われたこと。もう1つ重要なのは、律令国家となって、全国に同じ法律やルールが均一に伝わるように、お役所ができ、その伝達の為に、文書による通達が普及したためだと想像します。それ以前は、豪族の集合体であり、各氏族の中で、ルールやしきたりが執り行われていたのが、中央から一律にそして一斉に決め事が伝わるように文書での伝達が必要になったと感じています。奈良時代のお役所の文書などが、正倉院などに沢山残っています。その当時の生活の様子が生々しく伝わって来ます。こういう文章はホツマツタヱでは見られません。
いときょうです。コメント欄に万葉集で語る方がいらっしゃいました。私はいろいろな説があって良いかと思います。諸説を楽しむことが古代史研究の楽しみでもありますので。以下は私からの回答です。万葉仮名は、朝鮮半島の方が渡来して和歌を覚えるときに、万葉仮名を用いたという説があります。藤井氏の説によりますと「記紀万葉」を書いたのは白村江敗戦による亡命百済人だったと書かれています。詳しくは「白村江の敗戦と上代特殊仮名遣い」藤井游惟著、東京図書出版会をお読みください。また万葉集巻1の48「東野炎立所見而反見為者月西渡」この歌の解釈および読みが分かれますように、万葉集を持って説明することは難しいように思えます。これについては「真実のホツマツタヱを求めて」いときょう著ホツマ出版16頁をお読みください。
いときょう先生と茂木先生の対談、、嬉しすぎます。ホツマツタエ、カタカムナ、言霊、素粒子、周波数、波動が大好物なので、次回の配信もとても楽しみです。茂木先生、ありがとうございます!
茂木先生もとうとうホツマツタヱを取り上げられましたね😆「縄文回帰」の訴えが段々色濃くなって来ている今日このごろ、ホツマツタヱはいつか取り上げられるであろうと思っていましたけど、まさか、こんなに早くいときょう先生との対談がアップされるとは!私は、先生同様、「ホツマツタヱが縄文後期に書かれた」と言う説には少し懐疑的で、古事記のずっと後、先生の視聴者さんが言われたように、「う〜んと偉い国学者さんのような」方が、「古事記別伝」として書かれた気がします。記紀が、それこそ天皇と言う天上人が編纂された歴史書であるが故に、それに、真向勝負する形で「こっちがほんまもん、ホツマツタヱ」と世に出せるはずもなく(速攻命取り)‥でも、所詮、記紀も、当時、国中にあった口伝の「伝説」や「神話」を、天皇や当時の権力者達が自分たちの都合の良いように解釈し、編纂されたものであって、記紀の「別伝」は、この世にいくつもあって、当然。縄文後期の超難解文字の「体」で、いかにも口伝で古来から伝わっている「抒情詩」の形式で、40アヤも書かれた「ホツマツタヱ」は、本当に「古事記対抗書」としては、実に頭のいいやり方だったと思います。藤原不比等のような政治家の策略本より、こっちの方が本当に「ホツマツタヱ」だったら面白いな、と心の奥底では思っており、とてもロマンを感じています。(でも、本当に縄文後期にあった文字なら、それこそ石を祀り、洞窟などで神事を行っていた当時の事だから、ヲシテ文字がどこかに彫られていても良さそうなのに、一つも出て来ないのは何故?!)すみません💦私の意見や解釈などどうでも良い事でした🙇これからも、何回かいときょう先生とのお話は続くと思います🍀何年か前の、神谷さんに40アヤを全て解説されていたCGSの動画は、先日全部一気見しました。以来、ホツマツタヱにハマっています😅今回は、大好きな茂木先生のホツマツタヱ動画、とても楽しみです❣️
よろしくお願いします!(^^)!
おおおおおお!待ってましたぁーーーっ!今、一番興味があるのがホツマツタヱです。私は参政党支持者なのですが、参政党は党員になると勉強しろ!と多岐に渡るあらゆる勉強のテーマと上質な講習が受けられます。もちろん、その中の上質の講演の講師に茂木誠先生も多く登場して頂いてますが、ホツマツタヱも勉強しています。どの政党にここまで党員に勉強させるとこがあるでしょうか😅政治、国防、食の安全、医療、財政、教育などもう頭がパンパンですが、ホツマツタヱはすんなり入ってきます。記紀に捉われてる人には既に歴史のプロパガンダに負けてます。日本はもっと偉大な国だと分かるし、八百万社あると言われる神社、お社の答え合わせがホツマツタヱで出来るのって、楽しいと思いませんか?瀬織津姫様の記実やアマテル様が男性だと気付いてしまった茂木先生ですから、ホツマツタヱに導かれたのはアマテル様のお導きだと思います⛩️
素晴らしい2人のコラボ❗️本当の日本の凄さと真実を解き明かし、地球のアセンションにVamos‼️
おもしろい。興味深いお話ですね。
古代日本語に最も近いと言われる沖縄方言の「あいうえお」が「あいういう」なのと戦後教育で話者が減っているらしいことを連想しました、茂木先生の日本(縄文)を取り戻すシリーズに期待!
私も疑り深い方なので、全てが日本から始まった…みたいな説には懐疑的です。ラピュタ人のような海洋民族が世界中に巨石文化を伝え、文字や宗教観も伝えていったのでは、と思います。日本に巨石の遺跡がたくさんあるので、海洋民族が多く訪れていたのかもしれません。ヨーロッパにあるドルメンやストーンサークルが日本にもあるのは、そういうことなのかな、と。もっと知りたい、学びたいところであります!
以前、CGCにいときょう先生が出ていて、ホツマツタエに興味を持ち本も数冊買いました。今回いときょう先生が出演されて、また本を読み返してます。古代史は奥が深いですね。
日本のインディジョーンズ古代をめぐる❗️会って欲しかったお二人の対談、これからも楽しみです。たまとしいのお話は特に大好きまさに、ホツマの死生観ですね。茂木先生ありがとう❤️
日本の歴史に興味を持ち行き着いたところが、今村聰夫さんの「はじめてのホツマツタエ」と、いときょうさんの「やさしいホツマツタエ」でした。茂木先生のおっしゃる通り神話に出てくる神様は古代に人間として存在していたんだなと思っています。これは知識としてではなく、神社で祀られている複数の御祭神の関係を、ホツマツタエに出てくる系図と照らし合わせると納得のいくものが多いからですが、何よりホツマツタエに書かれていることが日常生活や、子どものころから抱いていた些細な疑問への回答となることを何度も経験したからです。人により、たくさんの解釈のある歴史ですが、自分軸とつながって見える歴史が私にとっての「真実の歴史」だなと思っています。次回のお二人の対談動画も楽しみにしています。
茂木さん、配信ありがとうございます!!ホツマの話が大変興味深いです。先祖の歴史を辿る重要性を改めて感じさせられます。続編を楽しみにお待ちしております。いときょうさんが徳之島縁のあると知り驚きました。私も徳之島出身で現在は縁あって中東トルコに住んでいます。ギョベクリテペもどのように日本の先祖に関連するのか興味があります。又、日本の真の歴史を改めて突き止めたいと思って拝聴させていただいております。"ひからとまで尽くす"...ありがとうございます。
徳之島からトルコ!
びっくりしますよね? 人生は分かりませんが、何かの縁だと思っております。ただ、正直、遠過ぎます(汗)。
徳之島でしたか!(^^)!いときょう
@@itokyo-hotsuma さんまあ‼️ いときょう さんからのお返事まで頂けるとは‼️茂木さんは元よりネットの素晴らしさに改めて感謝です。はい、正真正銘の島人(シマンチュ)です。あの戦後に米国民政府の統治下にあった奄美群島の祖国復帰運動に尽力された泉芳朗先生と同じ出身地及び選挙熱に熱い伊仙町の出身です。私自身は全くの戦後生まれですが、両親が共に子供時代に戦争があったので当時の話を聞く度にどんなに大変な経験であったか、また、無事に生き抜いてくれたからこそ自分が生きていると感謝で一杯になります。離島にも太陽崇拝や神事をされていた方々がおられたようです。独特の風習も残っています。2021年に世界自然遺産にも登録された徳之島を護り何とか盛り上げて行きたいですね。後世の日本人のためにもホツマ研究•検証•継承をどうぞどうぞ宜しくお願いいたします。遠くから応援しております。長文にて失礼致しました。
自分は「クスリ絵」の丸山修寛(アレルギークリニック)先生から、カタカムナやホツマツタヱの事を知りました。クスリ絵は見たり触っただけで、体調がよくなったりします。電磁波の事や見えない世界(潜在意識)の事もお詳しい方です。カタカムナやホツマツタヱの本も出されています。茂木先生と是非対談して頂けたらうれいしです。✨🤗
待ってた、ホツマのもぎ学。
いときょう先生良かったです。神谷さん今忙しそうななので茂木先生がかわりに引っ張って行って欲しい。次は、おもて先生、ねずさん、武田先生あたり
茂木先生大好きですわ。興味深いことばっかりしてくれます。糸きょうせんせい、みたいな方が日本におられるんやって、素晴らしいです!日本の国民も茂木先生の話勉強したら日本もっといい国になれるのに。です。
ホツマツタヱで歴史論争をすると論争が止まないかと思っています。東洋大学で観光学の先生を交えて話していた時に、論争ではなく旅でホツマツタヱを伝えて行ったら良いのではないかということになりました。ホツマツタヱは研究の余地がたくさん残されています。多くの方がこの研究に取り組んでいただくことを期待しています。
いときょう先生のホツマ本に興味…早速Amazonで購入しました!
ありがとうございます!(^^)!いときょう
ニッポンのヒエログリフ、国東半島の山の中の巨石に刻まれてます。下関の彦島にある彦島八幡宮にも巨石のヒエログリフありますよ😀❗
全てにおいて、納得です。益々、ホツマに興味が湧いてきました。深掘りしてほしいです。
なんか凄いお話ですね。世界同時に文明がまたは神話が・・・量子力学的に言えば全て繋がっているって事に行き着くのでしょうか⁉️日本の真裏でも同じ様に閃いたりするって事ですよね。なので大陸を渡るとか、人が移動して伝えたとか物質世界的な発想では日本発祥とか考えがちですが、実はアマゾンでも北極圏でも日本でも同時に閃く。ちょっと、凄いですね♪あくまでも私の個人的な思いつきですが、それを解明できる時代がやってきています。
とても爽やかなご対談で楽しめました。ぜひ次は、古事記との比較論の著作がある小深田宗元さんとの対談を御願いしたいと思います。ありがとうございました。
茂木先生の古代史への挑戦に心より期待をしています♡
ホツマツタエに興味深々です! 君が代の3番はホツマツタエからと聞いてからは、益々、ホツマツタエの本を読んでいます。いときょう先生の本も拝読しました❣️昔々を想像しています♪
超びっくり、私も徳之島出身で母が糸家との血縁。益々ホツマツタヱに興味がわいてきました。ありがとうございます。
カタカムナ研究家の吉野先生といときょう先生との対談本が手元にありますが、カタカムナとヲシテ文字は共通点があるように思います。きっと龍体文字にも共通点があると思います。各部族の文字だと思いますが、縄文世界の共通の精神が表現されているのではないかと。日本語には一音一音に意味があって、祈りが込められています。だから綺麗な言葉を使わないと人生を不幸にしてしまいそう。どこか量子力学にも通じているように思います。左脳にダメージを受けた脳科学者が、右脳が全開した時に、頭の中に宇宙が広がったと言ってました。文字を見ようとした時に、文字や数字が黒いドットに見えたそうです。古代人も、右脳の発達が素晴らしく、文字も自然の形から作ったのでしょう。だから円や線で表現したのかな~と。古代文字は伝達手段と言うより、祭祀のためのものならば、人々に普及させる必要もないですね。神社に神代文字を書いて奉納されていることを考えれば、納得です。
ぅぅむ、お話を伺っていると体系化された教典のようにもに思えます。文字の痕跡が今のところ石や土器でもなく紙だけに残されているのがナゾですにゃー。私は古事記の稗田阿礼(口伝)の存在意義を再認識いたしました。
アレさんも、何かの口伝の伝承者でした。
シュメール文字は、粘土板に、葦のペンでそれこそ我々がキーボードでブラインドタッチで、速記するように素早く葦で記述するために圧式で、点と線の縦横、交差で記録された様子が見られるが、蔡倫が紙を発明したのが、後漢の紀元後の時で、これ以後、文字は、毛筆、紙に適した文字デザインになっている。それ以前は、木間、竹簡、貝葉、石碑、甲骨に適した文字フォントだが、日国是文字源の文字フォントは、紙に毛筆で揮毫するのに適したフォント図形に見える。
それぞれの土地にそれぞれの伝承や歴史があっていいという話にとても共感しました。所縁ある土地の歴史を知って大切にしたいです。
ヒエログリフ研究をされてる竹内一忠さんはタガーマ州のハランが高天原じゃないかと言われてようです。著書もあるのでぜひご覧ください。それとTOLAND VLOGさんでやってる動画も非常に興味深いのでオススメです。古代文字や杯状穴はホントになんかありますね。
ホツマツタヱが一番‼️納得です。霊、たましいが揺れる気がしますもん。
私たちの知らない新しい発見がどんどん出てくるようです。益々探究心を深めて歴史を研究して世に広めて下さい。
秀真伝の作者の櫛𤭖玉は完成した書をアワミヤ(阿波宮)に納めたそうです。となれば、秀真伝を編纂した場所もまた阿波国だった・・いう事になるのではないでしょうか。他にもイザナギの父の名がアワナギだったり、アワの唄 とかがあったりと、秀真伝は阿波に関係する物が多い気がします。また、空海が記したとされる徳島県の「太龍寺縁起」には「磯輪上の秀真国、これ阿波国なり・・・」と記されているそうです。
アワには何かがあります。
ホツマツタヱでは琵琶湖のことをアワウミと呼んでいました。また四国にいたイヨツ彦がアワ歌に感動してアワツ彦と名前を変えました。伊予阿波二名として伝えられています。
@@itokyo-hotsuma 「鯨魚取(いさなと)り 淡海(あふみ)の海(うみ)を 沖放(さ)けて 漕(こ)ぎ来る船 辺(へ)附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂(かい) いたくな撥(は)ねそ 辺っ櫂 いたくな撥(は)ねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ」上は万葉集に載っている歌ですが、淡海で鯨を取る・・・と記されています。琵琶湖では鯨が採れたのですか?
クシミカタマがアワ宮に納めたアワ宮は、四国のアワ宮(金刀比羅宮?)ですね!(^^)!
@@elelsse さん、広辞苑には小魚を「いさな」とも記されていますね。鯨魚も「いさな」ですね。どちらになるかは良く分からないところです。
茂木先生おはようございます❗起床と共にこちらの動画を拝見させて頂きました。いときょう先生との対談撮影お疲れ様でした。茂木先生ととらさんのホツマ対談四部作動画以来、小生の学生時代くらいまでは重要視していなかった古代や神話にキチンとした興味を持てるようになりました。小生は茂木先生同様、神話について公教育を受けたことのない世代であります。戦後、神話教育と軍国主義(少し乱暴な理解にはなりますが、この軍国主義と云ふ言葉すら小生は歴史的な観点で疑問があります…😅)が殊更否定概念として結びつけられ、日本人から神話への関心を持たせないやうにされた事につきましては現代史、そして、グローバリズムの一種闇の部分であると分析せずには居れない部分であります。今回の土日は、小生のほぼ機能していない松果体に渇を入れるべく、古い古い頃からの御先祖様たちからの言霊を捉えさせて頂くべく、茂木先生の御著書や小生の細やかなる蔵書にて古代についての見識を広げる所存で御座ひます。
いときょう先生いらっしゃった🧡
姫路の講演会ではコメントを読んでくださりありがとうございました!今回いときょうさんとホツマを取り上げてくださってとても嬉しいです✨
腑に落ちる会話 聞いていて違和感がない気がしました 利権など微塵もない考え方を感じました 利権は結果ですからねぇ 結果を狙ってない会話は聞いていてワクワクしちゃいました それぞれくれぐれもご自愛お願い致します。お二方のインスピレーションは侮れませんねぇ…
縄文時代からの石の加工技術の話は興味深いです。千葉県の富津周辺は道を走っていれば石切の後だらけです。まさか縄文からの技術!? 想像するだけでお酒が進みますw
いくらインチキと言われてもホツマは興味深い。
ペトログリフについても調べては如何でしょうか?日本にも沢山あります。
ヲシテ文字が遺跡で見つかってほしいです。岩に刻んだりしなかったのだろうか?
昔〜CGSで神谷さんとホツマツタエの話しを聞いて私もいときょう先生のホツマツタエの旅を購入して読みました。
いときょう先生は少し老けられたけど、今日も変わらない話され方と自己紹介を見て「我、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知った」を思いました。茂木さんとの対談も、「六十にして耳順い、矩を踰えず」のまんまですね(立派です(笑))
こんにちは、茂木先生。茂木先生といとうきょうさんとの共演にビックリして楽しませてもらいました。ついに茂木先生もホツマの世界に入っちゃいましたね(笑)ホツマの世界の瀬織津姫命の話とか聞いてほしいなぁ~。
ホツマシリーズ待ってました。本で読んだ知識がより深まります。
今ちょうど、ほつまつたえをよんでいます。めっちゃタイムリー‼️❣️ありがとうございます。
前に、ふしぎ発見で黒曜石の石器によって縄文時代の人々がアメリカ大陸まで行ったんではないかというのが最近科学者の間で検証されてるとか言ってましたね。
漢字が日本に伝来したのは1世紀、それまで日本には文字は無かったが定説ですが、漢字を受け入れる要素があったということは、何かしらの文字を既に使用していた可能性はあると思う。ヲシテ(神代文字)に関しては、否定ありきではなく、真贋を確認する為の調査研究をやってほしい。
🌅縦糸と横糸。縦糸に神代文字(上の世代から繋ぐ)、横糸に漢字カタカナ、ひらがながあるイメージですね💡
今年に入ってから 日本の歴史が全くわからなくなり同じ日本語だけど 何を話しているのか 全く分からなくなってしまいました時々私は日本人なのかと疑問に思うようになってきました
他の方も書かれていますが、アワミヤは阿波発祥を示すものだと思っています。ホツマツタヱが見つかった愛媛の小笠原家、滋賀県高島市、は考古学からわかる、阿波ー讃岐ー播磨ー丹後ー湖北ー越前ルートあたりの友好国の首長でのみ共有されたかのではないでしょうか?
なるほど。
ホツマツタヱでは琵琶湖のことをアワウミと呼んでいました。また四国にいたイヨツ彦がアワ歌に感動して名前をアワツ彦と変えました。伊予阿波二名として伝えられています。
ホツマツタヱの研究家に聞いたところ、最終章40アヤの終わりから12行目あたりの記述、昔に大物主のクシミカタマが勅命をうけて前半1~28アヤを書き上げてから、アワミヤ(四国の金毘羅宮という説)に入れてのちの世のために保管しておいたそうです。
愛媛の小笠原家は阿波一宮(神山)の宮司家だった小笠原家にも関係しているのかとも想像しています。
アワウミが琵琶湖だとする、根拠があれば知りたいです。淡海は鳴門海峡近辺という説はありませんか?
20:33~の話題『縄文文明が、世界の文明の本かも?』面白いです。いときょう先生の見解も7千年前頃の出来事として一理あると思います。3500年前頃からの出来事としては、茂木先生の説も有力ですね。岩や石に刻まれたペトログリフが、日本の神社や聖域で大量に発見され、この量が世界の学者を驚愕させたと言う情報が5年前のRUclipsにありました。5年前のRUclipsは、『【古代日本とシュメール】日本の神社や神域で発見される古代文字ペトログリフの謎』です。
楽しみにしています。
面白い興味のわくお話をありがとうございました。私は昔太平洋にムー大陸があってその北の端の日本と東の端のハワイが残っており、ムー大陸内の他の土地の人々は逃げて世界各地にたどり着いたのではないかと思っています。
シェアさせて頂きます。
いときょう先生の古代史ホツマツタエ全巻買いました。茂木先生、オシテ文字、ホツマツタエ。シリーズで深堀りしてください。
ヲシテ文字はおそらく天皇家の祭司や国家宗教を司る方々が、その門外不出の一子相伝の様な教えや言い伝えを残すための家伝を記すのに使われた文字だったのではないでしょうか。古代の神代文字は阿比留文字や阿比留草文字等が伊勢神宮に奉納札として残されているようですが、ヲシテ文字で書かれた奉納文が残されていないのも、もしかしたら、神代文字とは別に、記号か暗号の様なその家系の人間でないと使えない文字であった。ということがその理由を伝えているのかもと思います。
クニトコタチノカミが古事記、日本書紀ではさっと流されてるのが気になりますね。。
国常立/天之御中主という根元神の事績がなぜ消されているのか?
@@maomao96363 深掘りしてみたいです。瀬織津姫、饒速日命のように消されている気がしています。
古代は実業家出身の方が切り開いてるんすねー。オーブンソースだからかな。
縄文時代から綿々と受け継がれた奥の思想に興味があります。神事は本来音声で行うもの(言霊)だと思いますので、神官職の継承に文字が必要だった、或いは必要とせざるをえない状況にあって文字が生まれたと考えます。水稲国家のヤマト政権になっても北海道や東北の拠点を通じて(日本海側ルート)、漁労や狩猟のエミシや縄文人と交易が定期的にあったらしく、珍しい物資が都に持ち込まれたと聞いております。確か万葉集にも詠まれていたかな?当時の有名和歌人に暗黙の知識として伝承されていたらしいですね。いろんな渡来人の文化がまだ濃厚に残っていた時期だと思いますので、そのどれかが縄文文化として伝承されたのでしょうね。
再びホツマ!ありがとうございます〜!実はいときょう先生の本を読んだことがないという、、、笑この機会に読んでみようかな。
おお!いときょう先生!!
漢字や万葉仮名使い以降にヲシテ文字が考案されたのではないかと思っています。大切なのは文字の存在ではなく、『正史と異なる内容を世に残したいと思う人たちがいた』ことだと思います。ありふれた意見ですが2つのことを空想してみました。■古事記、日本書紀の成立で日本国の神々の物語や正史が確定されてしまい、自分たちが伝え聞き伝承されていた本来の内容をそのまま残したいと思う一部の高官たち(古事記に登場する家柄の人かもしれません)が、容易に解読されない文字を考案し、記録の保全を図ったうえで、その解釈を後世に伝えた。■江戸期以降に、正史とは違った伝承を受け継いできた人たちや地域の伝承や社伝などを研究してい人たちが、本居宣長の古事記伝に出会い、古事記にならった形式で、あえて正史とは違う文字を用いて(それまでに考案されていたかもしれません)、正しいと信じる物語を伝えた。空想は楽しいですがどちらも違っているかもしれません。
ア・イ・ウ・エ・オは昔は、いろはにほへと だったのでホツマをいろはにほへと順に並べて昔の人は覚えたりしていたのかな?
アワ歌で覚えたと書いてあります。
なるほど、アワ歌ーいろはにほへとーア・イ・ウ・エ・オになったわけですね。面白いですね
お疲れさまです。文字と言葉と意味を合致させることには限界があると思います。今でも、北部九州の方言は、それ以外の日本人は殆ど理解できません。少しめんどくさいですが、その例を「ひらがな」で書いてみたいと思います。【なんばいよっとかいっちょんいみゃわからんばいもちったほどゆうせつめいせにゃんいかんたい。】・・・。この方言は九州の人は直ぐに理解でき、直ぐに同じ言葉で返事ができます。この方言の教科書は存在しませんし、だれが最初に教えたかも不明です。九州の子供は、中学で英語を教えられる時、方言、標準語、英語で3か国語目なんです。(泣)・・・・。家の嫁が、九州に一緒に帰って、私の父親が「九州の飯は、うもなかろ」といわれて、「はい」と言ってしまい晩ご飯の席が一瞬「し~~~ん」となりました。(笑)
日本語の元と言われる阿波弁なら「なにいよるんかなんちゃわからんけんもうちっとほどようせつめいせなんだらあかんじゃろ」です。標準語なら「何を言っているのか分からないから、もう少し上手に説明しなければいけないでしょう。」ですね。
その通りです。凄いですネ。@@yoshiesaide7879
最後の阿波弁で「あかんじゃろ」は名古屋弁の「あかん】広島弁の「じゃろ」その中間が,阿波地区だと腑に落ちますネ・・・。?不思議です。@@yoshiesaide7879
何て言いよったか一寸も意味が解らんのでもう一寸程良い説明せねばいかんな。うもなかろ=うもう←うまう←うまく=うまくなかろう=うまくないだろう中部地方の者ですが普通にわかります。発音省略と考えれば方言は全て分かる。
糸木名の糸さんのご先祖ですか!徳之島では名門中の名門ですね、私の実家は、祖父が糸さんから購入した土地です。
はい、私の先祖は糸木名の系です。糸木名は、系米冨が拓いたとの文献がございます。
@@itokyo-hotsuma 糸木名の隣が実家です。中学には、糸姓の子供達や先生がいました。徳之島の歴史は、糸家や平家の歴史と言える部分もあると思います。そういう歴史書があれば嬉しいですね。
面白いです。取り上げて頂き感謝します。ヒト=タマ+シヰ(強いるのシヰであって生命維持の欲求)+ウ(渦:物質)漢字の「魂」では意味は通りません。ホツマ辞典の系図を是非ごご覧下さい。
一糸君 武藤です。元気そうでなによりです!ホツマの原書は いつ誰が書いたか興味があります。秦氏の祖先からの口伝に、日本から中東に出て行って、又日本に戻ってきたとあるそうです?
武藤君、今度会った時に話すね!(^^)!
ホツマツタヱの原書は、クシミカタマ(紀元前700年代と推定)が1アヤから28アヤまでを、オオタタネコが29アヤあから40アヤを編纂(西暦100年代)しました。秦氏については色々な説があって調べると楽しいです。
ホツマツタエ・・・興味が尽きません、新たな日本のルーツの扉が開けれた衝撃を受けています
私はホツマツタエは他の古文書と比べて政治的側面の影響が少ない理由で信憑性は高いと思いますがそれでも事実との整合性は百パーセントではないと思います何故なら神事に関わる人達はその役職において関わりの無い政治的裏事情を取次がれてないと言う事実があると思いますよ神事の役柄において玉返しによる清めの儀式や祓いの儀式が重要な人達と統治政治と祭祀神事の間には必ず隔たりがあるはずです、互いに職の本筋の部分に関係の無い事柄は排除しておいたほうが都合が良いからですホツマツタエは非常に重要な古文書ですが歴史的史実の実像とは少し袂を分かつ内容と捉えたうえで参考文献と考えた方が良いでしょう、如何でしょうか?
ちよっと茂木先生には仲間外れになってもらっていときょう先生・武内 一忠先生・原田峰虎先生で座談会したらどうなるんかなと思いました。
異次元転生。
漢文と万葉仮名を、ある時代必死に覚えさせられた!のか? もっと自由で便利な文字を使う文化がどうして消されたのか? などと妄想しております。 逆に文字が多すぎたのかなあ?
稗=日枝(ひえ)、インド原産、最早期に渡来。耐冷性粟=阿波(あわ)、西アジア原産。米=水穂(みずほ)、雲南原産。黍=吉備(きび)、中央アジア原産、弥生時代に渡来。麦=讃岐?、中央アジア原産。弥生時代に渡来。
超古代の日本と世界の文化が交錯する対話を有り難うございます。朝から幸せ。( 〃▽〃)まどろみに 交わす言の葉 幸みえて波乗り見たる 夢うつつなり
情報の伝搬については頻繁にやり取りがあったのではないかと思えます。ひとつ気になるのは縄文人の寿命についてです。平均寿命は30年なんて話を聞いたことがあるのですがこれだと情報を伝えるには時間が足らない、そこで出てきたのが文字では?なんて考えたりします。
コレはホツマ時代という時代区分では?
記紀の編纂者たちはヲシテ文字が読めたということですよね
少なくとも私たちの始祖は神が降臨した姿ではないかと思います。人間に口と舌が体に備わっているのは初めから言葉を発していたと思います。縄文時代も。
茂木先生、すみません。自分のブログに勝手に使わせていただきました。😅
最新のほうです。これも使わせてください。
甲骨文字は、 23:24 亀の甲羅が捕れる海洋民族が発祥の地だと思います。😅
みんな、GHQ監修の学校の教科書の出たらめ日本史より、神国日本の本当の歴史が知りたいのだ
言葉の発生と同時に「嘘」が複雑で大きな力を持つようになり、文字によって嘘を記録し残す事になる。逆に、文字は伝言ゲームの情報伝達の変容を防ぎ正確な伝達を可能にした。よって、「読み解く力」が大切である。
以心伝心では嘘もバレる。
歴史学者の方のリアルな意見が聞きたい。ツッコミどころとか。支持している人の意見だけだとなんとなく誤魔化されている風な話だと感じるのが正直な感想です。
ホツマツタヱの本当の学者が現れることを期待しています。ただ歴史論争すると論争が止まないかもしれませんね。難しいところです。
池田満氏が松本善之助先生の唯一後継者です。
高天原じゃなくてサゴクシロじゃないのかなぁ〜。
ちなみにフトマニは縄文時代の物と、アマテラスヲヲンカミのミコトノリによって、弥生時代風のフトマニの歌集の二種類があります。なぜなら生活様式の違う縄文時代のフトマニ歌集では、もう意味が心に響かないからです。今残っているのは、アマテラスヲヲンカミにより全国から応募された歌を、アマテラスヲヲンカミが自ら選んだ歌集ですよ。なので、歌の中に山幸彦さんの故事の歌が採用されているため、アマテラスヲヲンカミが山幸彦さんが生きていた時にも存命していた事が知れるのです。神武天皇の父親であるウガヤフキアワセズさんの時代の途中で亡くなりました。つまりヲシテ文献の中でフトマニを使った記述がありますが、そのフトマニはたいてい今は無き縄文時代ヴァージョンのフトマニです。たとえばアスカホノアカリさんが着任する時にフトマニで占うように言った時の事ですね、山幸彦さんは、仮にギリギリ生まれていたとしても、まだ兄弟喧嘩してない頃のはずですし
ヲシテ文字は高句麗の忍びの文字で、ホツマツタエは江戸時代に古い文献を寄せ集めて作られました。
高句麗文字とは初耳です。どの遺跡に残っているんですか?
@@maomao96363 ヲシテが高句麗の忍び文字(ひらがなは間違いでした)だというのは、高句麗王家の末裔の一族が渡来して卑弥呼や神功皇后となったのですが、その方のツイッターで言及されていました。その一族の方は今でも古代高句麗の言葉を第一言語にして暮らしているそうです。
いや、音韻の件は話をはぐらかされてるじゃないですか・・・・・・
音韻のところはもう少し詳しく話す必要があったかと反省しています。
フミはですね、絹織物に染めて次代に引き渡していたのです、傷んで読めなくなるので、受け継いだ者が自分で染め直して次世代に渡していました。アマテラスヲヲンカミの実の姉であり、出戻りで妹として帰ってきた。ヒルコヒメ(ワカヒメとも、シタテルヒメとも称え名を貰っている)この人が夫のオモイカネさんと暮らした跡地の神社に、金型で作らせたヲシテ文字の鉄板を残したという話がありますよ。そして今はもう失われているけども、そういう物がたしかにあったとその神社に伝承として残っている事は確認できます。土器を作る人と文字を取り扱う人が違ったのか、文字は絹織物に染める物であって、土器に掘るなんてとんでもないって考えがあったのか、たしかに土器には無いですよね。ヲシテ文字でアウワと書いてある土器はあるようですよ。渦巻上(特殊文字のア)、△(特殊文字のウ)、渦巻下(特殊文字のワ) この3つでアウワなので、渦巻と三角と渦巻に見えて、文字だと認識されてないようですね。ヲシテ文字は48文字ですが、漢字のように専用の特殊文字がいくつもありますよ。だから元字を原文で読まないと、漢字翻訳しちゃったら、そこに編み込まれた哲学のほとんどがゴッソリと削り落されてしまいます。和歌に複数の意味をダジャレ的に織り込むように、ヲシテ文献は哲学が織り込まれているので、現代語訳すれば、読めて、意味がわかるという物ではありません。初心者でもわかる意味、中級者ならわかる意味、上級者じゃないと理解できない意味、これらを理解するには、現代語訳された物を1万回読んでも到達は不可能です。最低限のレベルで1~3アヤくらい暗唱できる人の話を聞かないと、参考にならないのがヲシテ文献です。そのため、源次原文で読めない人が偽書だ偽書だと決めつけてしまうのです。原字を自力で読めない人がどうして偽書だと認定できるのか、恥ずかしくないのか不思議でなりません。
あ、あと、諭鶴羽神社を巡る動画も、紹介したので回数が増えてると思います。
勉強になります。感謝。 一点だけ気になったこと。高天原と言う言葉ですが、「たかまがはら」と発音するのが一般的です。しかしそれは正しいのか? 「たかマガはら」のマガが、魔が事のマガに聴こえてきます。漢字をちゃんと読むと「たかあまはら」と読めます。元々は音(波動)から始まって文字を当てていった時には マガでなくアマであったように個人的には感じています。いつの時代か誰かが間違ってしまったのか?もしくは何かの意図を持って「たかアマはら」と発音するところを「たかマガはら」と発音するように誘導されたのか? と感じています。 どう思われますでしょうか?
「まがたま」はどうですか?
マガたま、、、確かにコレも。自分なりに調べてみます。
そういえば、カタカムナの第七首では、「マカタマノ アマノミナカヌシ、、、」となっています。どちらがルーツなのか? 謎ですね。。。
会社を辞めてまで日本の歴史を残すことを選択していただいた事に感謝です どんどん日本の歴史が出てくるようになって 学校で教えてもらわなかったことに 触れられることが楽しいです
良い発言 ありがとう
ありがとうございます!(^^)!
仕事の関係で、人が亡くなる場面に多く立ち会ってきました。ご臨終になるとき、確かに「何かが抜けた」という感じをずっと受けていました。やはり魂というものは、あると思います。
みんながホツマに興味を持つのは、あの国の影響を受けていない本来の日本のルーツが知りたいからだと思います。ホツマツタエ私も興味が湧いてきました。
CGSのホツマで、いときょう先生の動画を何度も繰り返して観てます。
失礼ながら、仮にそれが偽書だとしても様々な意味で勉強になります
ロマンを感じます、そして神社がそこに在るので日本中が楽しい
まるでテーマパークのようです、それだけでありがたいです。
楽しみです!✨
古事記、日本書紀を勉強した後にいときょうさんのCGSの動画に出会いました。
最初は自分の頭の中が混乱しますが、時間が経つと補強されていく思いです。
是非、ち‥乳、血などオトダマの解説も盛り込んでください。🙏
@@haniwa-f4r さま
私も和語で感動したことがあります
”はし”の意味についてです。
箸、橋、端
和食を食べるとき箸は食べ物の手前に横に置きます
これは結界を表します、箸の向こう側が死の世界
箸の手前が自分が生きいてる世界です。
食べ物(犠牲になった物)を箸で自分に取り入れて
私達は生きていくわけです。
この時の”はし”は死の世界と生きている世界の
橋渡しをしています。
そして川の両岸に掛かるのが橋です、対岸と橋渡しします
両岸の縁を端と言います、全てが同じ意味になっています。
茂木先生が聞き手になってくれると理解が深まります。
合いの手の様な受け応えの中に、極めて分かりやすい参考詞を入れて頂けるので、一気に理解が深まると言う、、、😊
以前、丸山修寛先生の神代文字なぞり書きの本を買い、愛犬が腰痛を繰り返し痛がって辛いので犬の症状に合うホツマ文字をマスキングテープに書いて洋服に貼っています。去年の夏から始めましたが、今のところ腰痛が出ていません。日々感謝しています。
茂木さんがホツマとの出会いを感動を持って御覧に成り得した。先生の膨大な知識と鉄壁の記紀の世界観を静かに崩しながら柔軟に崇高なホツマの世界観に少しづつ変えているようなのでそこには非常に同感いたします。お互いの世界観を持って争い合う世界よりも、お互いの世界観を比べ比較協議し合う世の中になったらいいなと思っています。
将に一つの純粋な学問と思いました。覚えるだけの詰め込みでなく、興味味が有る方々がいろんな解釈で考察する。学校で教わらない内容ですが、大人も子供も強制されていないのに突き動かされる知識欲。
妄信するのは気持ち悪い。全否定するのはつまらない。都合の良いとこ取りも違うと思う。茂木先生には期待しかない。
やさしいホツマつたえ読み込んでたら、どの時点で歴史が塗り替えられたか分かる時ありまして真実はさらにの古い教えに有ることが実感できます。今回も茂木先生ありがとうございました!
配信嬉しいです。ありがとうございました。ホツマツタエは大好物です❣️30年程前に出逢い、ようやく此処に来ました。やはり魂の故郷だと思います。これからが楽しみです。居ながらにして学べる❣️今に感謝です。茂木先生ありがとうございます。
大変楽しいお話を
ありがとうございました♪
ヲシテ文字は、
【フトマニ=卜占・呪術】の
文字であったと思います。
記号です。
その記号ひとつひとつに意味があり、
天地のことはりを
表していたと思います。
古代の゙政治とは、
【マツリゴト】です。
「祀り=天の声を聴くこと」
が民をまとめる言葉であったと
思います。
その卜占に使われた音♪を
ヲシテで表したと思います。
現在でも、
お守りの中身は
見てはいけないと言うように、
人に見せる文字では
なかったのだと思います。
そして、
和歌とは呪術です。
ホツマツタヱは
全て和歌で書かれています。
漢字が普及したのは、
ひとつは仏教の浸透が、
写経とともに行われたこと。
もう1つ重要なのは、
律令国家となって、
全国に同じ法律やルールが
均一に伝わるように、
お役所ができ、
その伝達の為に、
文書による通達が普及したためだと
想像します。
それ以前は、
豪族の集合体であり、
各氏族の中で、
ルールやしきたりが
執り行われていたのが、
中央から一律に
そして一斉に
決め事が伝わるように
文書での伝達が
必要になったと感じています。
奈良時代のお役所の文書などが、
正倉院などに沢山残っています。
その当時の生活の様子が
生々しく伝わって来ます。
こういう文章は
ホツマツタヱでは
見られません。
いときょうです。コメント欄に万葉集で語る方がいらっしゃいました。
私はいろいろな説があって良いかと思います。
諸説を楽しむことが古代史研究の楽しみでもありますので。
以下は私からの回答です。
万葉仮名は、朝鮮半島の方が渡来して和歌を覚えるときに、万葉仮名を用いたという説があります。藤井氏の説によりますと「記紀万葉」を書いたのは白村江敗戦による亡命百済人だったと書かれています。詳しくは「白村江の敗戦と上代特殊仮名遣い」藤井游惟著、東京図書出版会をお読みください。
また万葉集巻1の48「東野炎立所見而反見為者月西渡」この歌の解釈および読みが分かれますように、万葉集を持って説明することは難しいように思えます。これについては「真実のホツマツタヱを求めて」いときょう著ホツマ出版16頁をお読みください。
いときょう先生と茂木先生の対談、、嬉しすぎます。
ホツマツタエ、カタカムナ、言霊、素粒子、周波数、波動が大好物なので、次回の配信もとても楽しみです。
茂木先生、ありがとうございます!
茂木先生もとうとうホツマツタヱを取り上げられましたね😆「縄文回帰」の訴えが段々色濃くなって来ている今日このごろ、ホツマツタヱはいつか取り上げられるであろうと思っていましたけど、まさか、こんなに早くいときょう先生との対談がアップされるとは!
私は、先生同様、「ホツマツタヱが縄文後期に書かれた」と言う説には少し懐疑的で、古事記のずっと後、先生の視聴者さんが言われたように、「う〜んと偉い国学者さんのような」方が、「古事記別伝」として書かれた気がします。
記紀が、それこそ天皇と言う天上人が編纂された歴史書であるが故に、それに、真向勝負する形で「こっちがほんまもん、ホツマツタヱ」と世に出せるはずもなく(速攻命取り)‥でも、所詮、記紀も、当時、国中にあった口伝の「伝説」や「神話」を、天皇や当時の権力者達が自分たちの都合の良いように解釈し、編纂されたものであって、記紀の「別伝」は、この世にいくつもあって、当然。
縄文後期の超難解文字の「体」で、いかにも口伝で古来から伝わっている「抒情詩」の形式で、40アヤも書かれた「ホツマツタヱ」は、本当に「古事記対抗書」としては、実に頭のいいやり方だったと思います。
藤原不比等のような政治家の策略本より、こっちの方が本当に「ホツマツタヱ」だったら面白いな、と心の奥底では思っており、とてもロマンを感じています。
(でも、本当に縄文後期にあった文字なら、それこそ石を祀り、洞窟などで神事を行っていた当時の事だから、ヲシテ文字がどこかに彫られていても良さそうなのに、一つも出て来ないのは何故?!)
すみません💦私の意見や解釈などどうでも良い事でした🙇
これからも、何回かいときょう先生とのお話は続くと思います🍀何年か前の、神谷さんに40アヤを全て解説されていたCGSの動画は、先日全部一気見しました。以来、ホツマツタヱにハマっています😅
今回は、大好きな茂木先生のホツマツタヱ動画、とても楽しみです❣️
よろしくお願いします!(^^)!
おおおおおお!待ってましたぁーーーっ!今、一番興味があるのがホツマツタヱです。私は参政党支持者なのですが、参政党は党員になると勉強しろ!と多岐に渡るあらゆる勉強のテーマと上質な講習が受けられます。もちろん、その中の上質の講演の講師に茂木誠先生も多く登場して頂いてますが、ホツマツタヱも勉強しています。どの政党にここまで党員に勉強させるとこがあるでしょうか😅政治、国防、食の安全、医療、財政、教育などもう頭がパンパンですが、ホツマツタヱはすんなり入ってきます。記紀に捉われてる人には既に歴史のプロパガンダに負けてます。日本はもっと偉大な国だと分かるし、八百万社あると言われる神社、お社の答え合わせがホツマツタヱで出来るのって、楽しいと思いませんか?瀬織津姫様の記実やアマテル様が男性だと気付いてしまった茂木先生ですから、ホツマツタヱに導かれたのはアマテル様のお導きだと思います⛩️
素晴らしい2人のコラボ❗️本当の日本の凄さと真実を解き明かし、地球のアセンションにVamos‼️
おもしろい。興味深いお話ですね。
古代日本語に最も近いと言われる沖縄方言の「あいうえお」が「あいういう」なのと戦後教育で話者が減っているらしいことを連想しました、茂木先生の日本(縄文)を取り戻すシリーズに期待!
私も疑り深い方なので、全てが日本から始まった…みたいな説には懐疑的です。ラピュタ人のような海洋民族が世界中に巨石文化を伝え、文字や宗教観も伝えていったのでは、と思います。日本に巨石の遺跡がたくさんあるので、海洋民族が多く訪れていたのかもしれません。ヨーロッパにあるドルメンやストーンサークルが日本にもあるのは、そういうことなのかな、と。もっと知りたい、学びたいところであります!
以前、CGCにいときょう先生が出ていて、ホツマツタエに興味を持ち本も数冊買いました。今回いときょう先生が出演されて、また本を読み返してます。古代史は奥が深いですね。
ありがとうございます!(^^)!
日本のインディジョーンズ古代をめぐる❗️
会って欲しかったお二人の対談、これからも楽しみです。たまとしいのお話は特に大好き
まさに、ホツマの死生観ですね。
茂木先生ありがとう❤️
日本の歴史に興味を持ち行き着いたところが、今村聰夫さんの「はじめてのホツマツタエ」と、いときょうさんの「やさしいホツマツタエ」でした。
茂木先生のおっしゃる通り神話に出てくる神様は古代に人間として存在していたんだなと思っています。これは知識としてではなく、神社で祀られている複数の御祭神の関係を、ホツマツタエに出てくる系図と照らし合わせると納得のいくものが多いからですが、何よりホツマツタエに書かれていることが日常生活や、子どものころから抱いていた些細な疑問への回答となることを何度も経験したからです。
人により、たくさんの解釈のある歴史ですが、自分軸とつながって見える歴史が私にとっての「真実の歴史」だなと思っています。
次回のお二人の対談動画も楽しみにしています。
茂木さん、配信ありがとうございます!!ホツマの話が大変興味深いです。先祖の歴史を辿る重要性を改めて感じさせられます。続編を楽しみにお待ちしております。
いときょうさんが徳之島縁のあると知り驚きました。私も徳之島出身で現在は縁あって中東トルコに住んでいます。
ギョベクリテペもどのように日本の先祖に関連するのか興味があります。又、日本の真の歴史を改めて突き止めたいと思って拝聴させていただいております。
"ひからとまで尽くす"...ありがとうございます。
徳之島からトルコ!
びっくりしますよね? 人生は分かりませんが、何かの縁だと思っております。
ただ、正直、遠過ぎます(汗)。
徳之島でしたか!(^^)!いときょう
@@itokyo-hotsuma さん
まあ‼️ いときょう さんからのお返事まで頂けるとは‼️
茂木さんは元よりネットの素晴らしさに改めて感謝です。
はい、正真正銘の島人(シマンチュ)です。
あの戦後に米国民政府の統治下にあった奄美群島の祖国復帰運動に尽力された泉芳朗
先生と同じ出身地及び選挙熱に熱い伊仙町の出身です。私自身は全くの戦後生まれですが、両親が共に子供時代に戦争があったので当時の話を聞く度にどんなに大変な経験であったか、また、無事に生き抜いてくれたからこそ自分が生きていると感謝で一杯になります。
離島にも太陽崇拝や神事をされていた方々がおられたようです。独特の風習も残っています。
2021年に世界自然遺産にも登録された徳之島を護り何とか盛り上げて行きたいですね。
後世の日本人のためにもホツマ研究•検証•継承をどうぞどうぞ宜しくお願いいたします。遠くから応援しております。
長文にて失礼致しました。
自分は「クスリ絵」の丸山修寛(アレルギークリニック)先生から、カタカムナやホツマツタヱの事を知りました。
クスリ絵は見たり触っただけで、体調がよくなったりします。
電磁波の事や見えない世界(潜在意識)の事もお詳しい方です。
カタカムナやホツマツタヱの本も出されています。
茂木先生と是非対談して頂けたらうれいしです。✨🤗
待ってた、ホツマのもぎ学。
いときょう先生良かったです。
神谷さん今忙しそうななので茂木先生がかわりに引っ張って行って欲しい。
次は、おもて先生、ねずさん、武田先生あたり
茂木先生大好きですわ。興味深いことばっかりしてくれます。糸きょうせんせい、みたいな方が日本におられるんやって、素晴らしいです!
日本の国民も茂木先生の話勉強したら日本もっといい国になれるのに。です。
ホツマツタヱで歴史論争をすると論争が止まないかと思っています。東洋大学で観光学の先生を交えて話していた時に、論争ではなく旅でホツマツタヱを伝えて行ったら良いのではないかということになりました。ホツマツタヱは研究の余地がたくさん残されています。多くの方がこの研究に取り組んでいただくことを期待しています。
いときょう先生のホツマ本に興味…早速Amazonで購入しました!
ありがとうございます!(^^)!
ありがとうございます!(^^)!いときょう
ニッポンのヒエログリフ、国東半島の山の中の巨石に刻まれてます。下関の彦島にある彦島八幡宮にも巨石のヒエログリフありますよ😀❗
全てにおいて、納得です。益々、ホツマに興味が湧いてきました。深掘りしてほしいです。
なんか凄いお話ですね。世界同時に文明がまたは神話が・・・量子力学的に言えば全て繋がっているって事に行き着くのでしょうか⁉️
日本の真裏でも同じ様に閃いたりするって事ですよね。
なので大陸を渡るとか、人が移動して伝えたとか物質世界的な発想では日本発祥とか考えがちですが、実はアマゾンでも北極圏でも日本でも同時に閃く。
ちょっと、凄いですね♪
あくまでも私の個人的な思いつきですが、それを解明できる時代がやってきています。
とても爽やかなご対談で楽しめました。
ぜひ次は、古事記との比較論の著作がある
小深田宗元さんとの対談を御願いしたいと思います。
ありがとうございました。
茂木先生の古代史への挑戦に心より期待をしています♡
ホツマツタエに興味深々です! 君が代の3番はホツマツタエからと聞いてからは、益々、ホツマツタエの本を読んでいます。
いときょう先生の本も拝読しました❣️
昔々を想像しています♪
ありがとうございます!(^^)!
超びっくり、私も徳之島出身で母が糸家との血縁。益々ホツマツタヱに興味がわいてきました。ありがとうございます。
カタカムナ研究家の吉野先生といときょう先生との対談本が手元にありますが、カタカムナとヲシテ文字は共通点があるように思います。きっと龍体文字にも共通点があると思います。各部族の文字だと思いますが、縄文世界の共通の精神が表現されているのではないかと。
日本語には一音一音に意味があって、祈りが込められています。だから綺麗な言葉を使わないと人生を不幸にしてしまいそう。どこか量子力学にも通じているように思います。
左脳にダメージを受けた脳科学者が、右脳が全開した時に、頭の中に宇宙が広がったと言ってました。文字を見ようとした時に、文字や数字が黒いドットに見えたそうです。古代人も、右脳の発達が素晴らしく、文字も自然の形から作ったのでしょう。だから円や線で表現したのかな~と。古代文字は伝達手段と言うより、祭祀のためのものならば、人々に普及させる必要もないですね。神社に神代文字を書いて奉納されていることを考えれば、納得です。
ぅぅむ、お話を伺っていると体系化された教典のようにもに思えます。文字の痕跡が今のところ石や土器でもなく紙だけに残されているのがナゾですにゃー。私は古事記の稗田阿礼(口伝)の存在意義を再認識いたしました。
アレさんも、何かの口伝の伝承者でした。
シュメール文字は、粘土板に、葦のペンでそれこそ我々がキーボードでブラインドタッチで、
速記するように素早く葦で記述するために圧式で、点と線の縦横、交差で記録された様子が見られるが、
蔡倫が紙を発明したのが、後漢の紀元後の時で、これ以後、文字は、毛筆、紙に適した文字デザインになっている。
それ以前は、木間、竹簡、貝葉、石碑、甲骨に適した文字フォントだが、日国是文字源の文字フォントは、
紙に毛筆で揮毫するのに適したフォント図形に見える。
それぞれの土地にそれぞれの伝承や歴史があっていいという話にとても共感しました。
所縁ある土地の歴史を知って大切にしたいです。
ヒエログリフ研究をされてる竹内一忠さんはタガーマ州のハランが高天原じゃないかと言われてようです。
著書もあるのでぜひご覧ください。
それとTOLAND VLOGさんでやってる動画も非常に興味深いのでオススメです。
古代文字や杯状穴はホントになんかありますね。
ホツマツタヱが一番‼️納得です。霊、たましいが揺れる気がしますもん。
私たちの知らない新しい発見がどんどん出てくるようです。益々探究心を深めて歴史を研究して世に広めて下さい。
秀真伝の作者の櫛𤭖玉は完成した書をアワミヤ(阿波宮)に納めたそうです。
となれば、秀真伝を編纂した場所もまた阿波国だった・・いう事になるのではないでしょうか。
他にもイザナギの父の名がアワナギだったり、アワの唄 とかがあったりと、秀真伝は
阿波に関係する物が多い気がします。
また、空海が記したとされる徳島県の「太龍寺縁起」には「磯輪上の秀真国、これ阿波国なり・・・」
と記されているそうです。
アワには何かがあります。
ホツマツタヱでは琵琶湖のことをアワウミと呼んでいました。また四国にいたイヨツ彦がアワ歌に感動してアワツ彦と名前を変えました。伊予阿波二名として伝えられています。
@@itokyo-hotsuma
「鯨魚取(いさなと)り 淡海(あふみ)の海(うみ)を 沖放(さ)けて 漕(こ)ぎ来る船 辺(へ)附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂(かい) いたくな撥(は)ねそ 辺っ櫂 いたくな撥(は)ねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ」
上は万葉集に載っている歌ですが、淡海で鯨を取る・・・と記されています。琵琶湖では鯨が採れたのですか?
クシミカタマがアワ宮に納めたアワ宮は、四国のアワ宮(金刀比羅宮?)ですね!(^^)!
@@elelsse さん、広辞苑には小魚を「いさな」とも記されていますね。鯨魚も「いさな」ですね。どちらになるかは良く分からないところです。
茂木先生おはようございます❗
起床と共にこちらの動画を拝見させて頂きました。いときょう先生との対談撮影お疲れ様でした。
茂木先生ととらさんのホツマ対談四部作動画以来、小生の学生時代くらいまでは重要視していなかった古代や神話にキチンとした興味を持てるようになりました。
小生は茂木先生同様、神話について公教育を受けたことのない世代であります。戦後、神話教育と軍国主義(少し乱暴な理解にはなりますが、この軍国主義と云ふ言葉すら小生は歴史的な観点で疑問があります…😅)が殊更否定概念として結びつけられ、日本人から神話への関心を持たせないやうにされた事につきましては現代史、そして、グローバリズムの一種闇の部分であると分析せずには居れない部分であります。
今回の土日は、小生のほぼ機能していない松果体に渇を入れるべく、古い古い頃からの御先祖様たちからの言霊を捉えさせて頂くべく、茂木先生の御著書や小生の細やかなる蔵書にて古代についての見識を広げる所存で御座ひます。
いときょう先生いらっしゃった🧡
姫路の講演会ではコメントを読んでくださりありがとうございました!
今回いときょうさんとホツマを取り上げてくださってとても嬉しいです✨
腑に落ちる会話 聞いていて違和感がない気がしました 利権など微塵もない考え方を感じました 利権は結果ですからねぇ 結果を狙ってない会話は聞いていてワクワクしちゃいました それぞれくれぐれもご自愛お願い致します。お二方のインスピレーションは侮れませんねぇ…
縄文時代からの石の加工技術の話は興味深いです。千葉県の富津周辺は道を走っていれば石切の後だらけです。
まさか縄文からの技術!? 想像するだけでお酒が進みますw
いくらインチキと言われてもホツマは興味深い。
ペトログリフについても調べては如何でしょうか?日本にも沢山あります。
ヲシテ文字が遺跡で見つかってほしいです。岩に刻んだりしなかったのだろうか?
昔〜CGSで神谷さんと
ホツマツタエの話しを聞いて
私もいときょう先生の
ホツマツタエの旅を
購入して読みました。
いときょう先生は少し老けられたけど、今日も変わらない話され方と自己紹介を見て
「我、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知った」を思いました。
茂木さんとの対談も、「六十にして耳順い、矩を踰えず」のまんまですね(立派です(笑))
こんにちは、茂木先生。
茂木先生といとうきょうさんとの共演にビックリして楽しませてもらいました。
ついに茂木先生もホツマの世界に入っちゃいましたね(笑)
ホツマの世界の瀬織津姫命の話とか聞いてほしいなぁ~。
ホツマシリーズ待ってました。本で読んだ知識がより深まります。
今ちょうど、ほつまつたえをよんでいます。
めっちゃタイムリー‼️❣️
ありがとうございます。
前に、ふしぎ発見で黒曜石の石器によって縄文時代の人々がアメリカ大陸まで行ったんではないかというのが最近科学者の間で検証されてるとか言ってましたね。
漢字が日本に伝来したのは1世紀、それまで日本には文字は無かったが定説ですが、漢字を受け入れる要素があったということは、何かしらの文字を既に使用していた可能性はあると思う。
ヲシテ(神代文字)に関しては、否定ありきではなく、真贋を確認する為の調査研究をやってほしい。
🌅縦糸と横糸。
縦糸に神代文字(上の世代から繋ぐ)、
横糸に漢字カタカナ、ひらがながあるイメージですね💡
今年に入ってから 日本の歴史が全くわからなくなり
同じ日本語だけど 何を話しているのか 全く分からなくなってしまいました
時々私は日本人なのかと疑問に思うようになってきました
他の方も書かれていますが、
アワミヤは阿波発祥を示すものだと思っています。
ホツマツタヱが見つかった愛媛の小笠原家、滋賀県高島市、は考古学からわかる、阿波ー讃岐ー播磨ー丹後ー湖北ー越前ルートあたりの友好国の首長でのみ共有されたかのではないでしょうか?
なるほど。
ホツマツタヱでは琵琶湖のことをアワウミと呼んでいました。また四国にいたイヨツ彦がアワ歌に感動して名前をアワツ彦と変えました。伊予阿波二名として伝えられています。
ホツマツタヱの研究家に聞いたところ、
最終章40アヤの終わりから12行目あたりの記述、
昔に大物主のクシミカタマが勅命をうけて前半1~28アヤを書き上げてから、アワミヤ(四国の金毘羅宮という説)に入れてのちの世のために保管しておいたそうです。
愛媛の小笠原家は阿波一宮(神山)の宮司家だった小笠原家にも関係しているのかとも想像しています。
アワウミが琵琶湖だとする、根拠があれば知りたいです。
淡海は鳴門海峡近辺という説はありませんか?
20:33~の話題『縄文文明が、世界の文明の本かも?』面白いです。
いときょう先生の見解も7千年前頃の出来事として一理あると思います。3500年前頃からの出来事としては、茂木先生の説も有力ですね。岩や石に刻まれたペトログリフが、日本の神社や聖域で大量に発見され、この量が世界の学者を驚愕させたと言う情報が5年前のRUclipsにありました。
5年前のRUclipsは、『【古代日本とシュメール】日本の神社や神域で発見される古代文字ペトログリフの謎』です。
楽しみにしています。
面白い興味のわくお話をありがとうございました。私は昔太平洋にムー大陸があってその北の端の日本と東の端のハワイが残っており、ムー大陸内の他の土地の人々は逃げて世界各地にたどり着いたのではないかと思っています。
シェアさせて頂きます。
いときょう先生の古代史ホツマツタエ全巻買いました。茂木先生、オシテ文字、ホツマツタエ。シリーズで深堀りしてください。
ありがとうございます!(^^)!
ヲシテ文字はおそらく天皇家の祭司や国家宗教を司る方々が、その門外不出の一子相伝の様な
教えや言い伝えを残すための家伝を記すのに使われた文字だったのではないでしょうか。
古代の神代文字は阿比留文字や阿比留草文字等が伊勢神宮に奉納札として残されているようですが、
ヲシテ文字で書かれた奉納文が残されていないのも、もしかしたら、神代文字とは別に、
記号か暗号の様なその家系の人間でないと使えない文字であった。ということがその理由を
伝えているのかもと思います。
クニトコタチノカミが古事記、日本書紀ではさっと流されてるのが気になりますね。。
国常立/天之御中主という根元神の事績がなぜ消されているのか?
@@maomao96363
深掘りしてみたいです。
瀬織津姫、饒速日命のように消されている気がしています。
古代は実業家出身の方が切り開いてるんすねー。オーブンソースだからかな。
縄文時代から綿々と受け継がれた奥の思想に興味があります。
神事は本来音声で行うもの(言霊)だと思いますので、神官職の継承に文字が必要だった、或いは必要とせざるをえない状況にあって文字が生まれたと考えます。
水稲国家のヤマト政権になっても北海道や東北の拠点を通じて(日本海側ルート)、漁労や狩猟のエミシや縄文人と交易が定期的にあったらしく、珍しい物資が都に持ち込まれたと聞いております。
確か万葉集にも詠まれていたかな?当時の有名和歌人に暗黙の知識として伝承されていたらしいですね。
いろんな渡来人の文化がまだ濃厚に残っていた時期だと思いますので、そのどれかが縄文文化として伝承されたのでしょうね。
再びホツマ!ありがとうございます〜!
実はいときょう先生の本を読んだことがないという、、、笑
この機会に読んでみようかな。
よろしくお願いします!(^^)!
おお!いときょう先生!!
漢字や万葉仮名使い以降にヲシテ文字が考案されたのではないかと思っています。大切なのは文字の存在ではなく、『正史と異なる内容を世に残したいと思う人たちがいた』ことだと思います。ありふれた意見ですが2つのことを空想してみました。
■古事記、日本書紀の成立で日本国の神々の物語や正史が確定されてしまい、自分たちが伝え聞き伝承されていた本来の内容をそのまま残したいと思う一部の高官たち(古事記に登場する家柄の人かもしれません)が、容易に解読されない文字を考案し、記録の保全を図ったうえで、その解釈を後世に伝えた。
■江戸期以降に、正史とは違った伝承を受け継いできた人たちや地域の伝承や社伝などを研究してい人たちが、本居宣長の古事記伝に出会い、古事記にならった形式で、あえて正史とは違う文字を用いて(それまでに考案されていたかもしれません)、正しいと信じる物語を伝えた。
空想は楽しいですがどちらも違っているかもしれません。
ア・イ・ウ・エ・オは昔は、いろはにほへと だったのでホツマをいろはにほへと順に並べて昔の人は覚えたりしていたのかな?
アワ歌で覚えたと書いてあります。
なるほど、
アワ歌ーいろはにほへとーア・イ・ウ・エ・オになったわけですね。
面白いですね
お疲れさまです。
文字と言葉と意味を合致させることには限界があると思います。
今でも、北部九州の方言は、それ以外の日本人は殆ど理解できません。
少しめんどくさいですが、その例を「ひらがな」で書いてみたいと思います。
【なんばいよっとかいっちょんいみゃわからんばいもちったほどゆうせつめいせにゃんいかんたい。】・・・。
この方言は九州の人は直ぐに理解でき、直ぐに同じ言葉で返事ができます。
この方言の教科書は存在しませんし、だれが最初に教えたかも不明です。
九州の子供は、中学で英語を教えられる時、方言、標準語、英語で3か国語目なんです。(泣)・・・・。
家の嫁が、九州に一緒に帰って、私の父親が「九州の飯は、うもなかろ」といわれて、「はい」と言ってしまい晩ご飯の席が一瞬「し~~~ん」となりました。(笑)
日本語の元と言われる阿波弁なら「なにいよるんかなんちゃわからんけんもうちっとほどようせつめいせなんだらあかんじゃろ」です。
標準語なら「何を言っているのか分からないから、もう少し上手に説明しなければいけないでしょう。」ですね。
その通りです。凄いですネ。@@yoshiesaide7879
最後の阿波弁で「あかんじゃろ」は名古屋弁の「あかん】広島弁の「じゃろ」
その中間が,阿波地区だと腑に落ちますネ・・・。?不思議です。@@yoshiesaide7879
何て言いよったか一寸も意味が解らんのでもう一寸程良い説明せねばいかんな。
うもなかろ=うもう←うまう←うまく=うまくなかろう=うまくないだろう
中部地方の者ですが普通にわかります。発音省略と考えれば方言は全て分かる。
糸木名の糸さんのご先祖ですか!徳之島では名門中の名門ですね、私の実家は、祖父が糸さんから購入した土地です。
はい、私の先祖は糸木名の系です。糸木名は、系米冨が拓いたとの文献がございます。
@@itokyo-hotsuma 糸木名の隣が実家です。中学には、糸姓の子供達や先生がいました。徳之島の歴史は、糸家や平家の歴史と言える部分もあると思います。そういう歴史書があれば嬉しいですね。
面白いです。取り上げて頂き感謝します。
ヒト=タマ+シヰ(強いるのシヰであって生命維持の欲求)+ウ(渦:物質)
漢字の「魂」では意味は通りません。ホツマ辞典の系図を是非ごご覧下さい。
一糸君 武藤です。元気そうでなによりです!ホツマの原書は いつ誰が書いたか興味があります。秦氏の祖先からの口伝に、日本から中東に出て行って、又日本に戻ってきたとあるそうです?
武藤君、今度会った時に話すね!(^^)!
ホツマツタヱの原書は、クシミカタマ(紀元前700年代と推定)が1アヤから28アヤまでを、オオタタネコが29アヤあから40アヤを編纂(西暦100年代)しました。秦氏については色々な説があって調べると楽しいです。
ホツマツタエ・・・興味が尽きません、新たな日本のルーツの扉が開けれた衝撃を受けています
私はホツマツタエは他の古文書と比べて政治的側面の影響が少ない理由で信憑性は高いと思いますがそれでも事実との整合性は百パーセントではないと思います何故なら神事に関わる人達はその役職において関わりの無い政治的裏事情を取次がれてないと言う事実があると思いますよ神事の役柄において玉返しによる清めの儀式や祓いの儀式が重要な人達と統治政治と祭祀神事の間には必ず隔たりがあるはずです、互いに職の本筋の部分に関係の無い事柄は排除しておいたほうが都合が良いからですホツマツタエは非常に重要な古文書ですが歴史的史実の実像とは少し袂を分かつ内容と捉えたうえで参考文献と考えた方が良いでしょう、如何でしょうか?
ちよっと茂木先生には仲間外れになってもらって
いときょう先生・武内 一忠先生・原田峰虎先生で座談会したらどうなるんかなと思いました。
異次元転生。
漢文と万葉仮名を、ある時代必死に覚えさせられた!のか?
もっと自由で便利な文字を使う文化がどうして消されたのか?
などと妄想しております。
逆に文字が多すぎたのかなあ?
稗=日枝(ひえ)、インド原産、最早期に渡来。耐冷性
粟=阿波(あわ)、西アジア原産。
米=水穂(みずほ)、雲南原産。
黍=吉備(きび)、中央アジア原産、弥生時代に渡来。
麦=讃岐?、中央アジア原産。弥生時代に渡来。
超古代の日本と世界の文化が交錯する対話を有り難うございます。朝から幸せ。( 〃▽〃)
まどろみに 交わす言の葉 幸みえて
波乗り見たる 夢うつつなり
情報の伝搬については頻繁にやり取りがあったのではないかと思えます。ひとつ気になるのは縄文人の寿命についてです。平均寿命は30年なんて話を聞いたことがあるのですがこれだと情報を伝えるには時間が足らない、そこで出てきたのが文字では?なんて考えたりします。
コレはホツマ時代という時代区分では?
記紀の編纂者たちはヲシテ文字が読めたということですよね
少なくとも私たちの始祖は神が降臨した姿ではないかと思います。
人間に口と舌が体に備わっているのは初めから言葉を発していたと思います。縄文時代も。
茂木先生、すみません。自分のブログに勝手に使わせていただきました。😅
最新のほうです。これも使わせてください。
甲骨文字は、 23:24 亀の甲羅が捕れる海洋民族が発祥の地だと思います。😅
みんな、GHQ監修の学校の教科書の出たらめ日本史より、神国日本の本当の歴史が知りたいのだ
言葉の発生と同時に「嘘」が複雑で大きな力を持つようになり、文字によって嘘を記録し残す事になる。逆に、文字は伝言ゲームの情報伝達の変容を防ぎ正確な伝達を可能にした。よって、「読み解く力」が大切である。
以心伝心では嘘もバレる。
歴史学者の方のリアルな意見が聞きたい。ツッコミどころとか。支持している人の意見だけだとなんとなく誤魔化されている風な話だと感じるのが正直な感想です。
ホツマツタヱの本当の学者が現れることを期待しています。ただ歴史論争すると論争が止まないかもしれませんね。難しいところです。
池田満氏が松本善之助先生の唯一後継者です。
高天原じゃなくてサゴクシロじゃないのかなぁ〜。
ちなみにフトマニは縄文時代の物と、アマテラスヲヲンカミのミコトノリによって、弥生時代風のフトマニの歌集の二種類があります。なぜなら生活様式の違う縄文時代のフトマニ歌集では、もう意味が心に響かないからです。今残っているのは、アマテラスヲヲンカミにより全国から応募された歌を、アマテラスヲヲンカミが自ら選んだ歌集ですよ。なので、歌の中に山幸彦さんの故事の歌が採用されているため、アマテラスヲヲンカミが山幸彦さんが生きていた時にも存命していた事が知れるのです。神武天皇の父親であるウガヤフキアワセズさんの時代の途中で亡くなりました。つまりヲシテ文献の中でフトマニを使った記述がありますが、そのフトマニはたいてい今は無き縄文時代ヴァージョンのフトマニです。たとえばアスカホノアカリさんが着任する時にフトマニで占うように言った時の事ですね、山幸彦さんは、仮にギリギリ生まれていたとしても、まだ兄弟喧嘩してない頃のはずですし
ヲシテ文字は高句麗の忍びの文字で、ホツマツタエは江戸時代に古い文献を寄せ集めて作られました。
高句麗文字とは初耳です。どの遺跡に残っているんですか?
@@maomao96363
ヲシテが高句麗の忍び文字(ひらがなは間違いでした)だというのは、高句麗王家の末裔の一族が渡来して卑弥呼や神功皇后となったのですが、その方のツイッターで言及されていました。その一族の方は今でも古代高句麗の言葉を第一言語にして暮らしているそうです。
いや、音韻の件は話をはぐらかされてるじゃないですか・・・・・・
音韻のところはもう少し詳しく話す必要があったかと反省しています。
フミはですね、絹織物に染めて次代に引き渡していたのです、傷んで読めなくなるので、受け継いだ者が自分で染め直して次世代に渡していました。アマテラスヲヲンカミの実の姉であり、出戻りで妹として帰ってきた。ヒルコヒメ(ワカヒメとも、シタテルヒメとも称え名を貰っている)この人が夫のオモイカネさんと暮らした跡地の神社に、金型で作らせたヲシテ文字の鉄板を残したという話がありますよ。そして今はもう失われているけども、そういう物がたしかにあったとその神社に伝承として残っている事は確認できます。土器を作る人と文字を取り扱う人が違ったのか、文字は絹織物に染める物であって、土器に掘るなんてとんでもないって考えがあったのか、たしかに土器には無いですよね。ヲシテ文字でアウワと書いてある土器はあるようですよ。渦巻上(特殊文字のア)、△(特殊文字のウ)、渦巻下(特殊文字のワ) この3つでアウワなので、渦巻と三角と渦巻に見えて、文字だと認識されてないようですね。ヲシテ文字は48文字ですが、漢字のように専用の特殊文字がいくつもありますよ。だから元字を原文で読まないと、漢字翻訳しちゃったら、そこに編み込まれた哲学のほとんどがゴッソリと削り落されてしまいます。和歌に複数の意味をダジャレ的に織り込むように、ヲシテ文献は哲学が織り込まれているので、現代語訳すれば、読めて、意味がわかるという物ではありません。初心者でもわかる意味、中級者ならわかる意味、上級者じゃないと理解できない意味、これらを理解するには、現代語訳された物を1万回読んでも到達は不可能です。最低限のレベルで1~3アヤくらい暗唱できる人の話を聞かないと、参考にならないのがヲシテ文献です。そのため、源次原文で読めない人が偽書だ偽書だと決めつけてしまうのです。原字を自力で読めない人がどうして偽書だと認定できるのか、恥ずかしくないのか不思議でなりません。
あ、あと、諭鶴羽神社を巡る動画も、紹介したので回数が増えてると思います。
勉強になります。感謝。 一点だけ気になったこと。高天原と言う言葉ですが、「たかまがはら」と発音するのが一般的です。しかしそれは正しいのか? 「たかマガはら」のマガが、魔が事のマガに聴こえてきます。漢字をちゃんと読むと「たかあまはら」と読めます。元々は音(波動)から始まって文字を当てていった時には マガでなくアマであったように個人的には感じています。いつの時代か誰かが間違ってしまったのか?もしくは何かの意図を持って「たかアマはら」と発音するところを「たかマガはら」と発音するように誘導されたのか? と感じています。 どう思われますでしょうか?
「まがたま」はどうですか?
マガたま、、、確かにコレも。自分なりに調べてみます。
そういえば、カタカムナの第七首では、「マカタマノ アマノミナカヌシ、、、」となっています。どちらがルーツなのか? 謎ですね。。。