知られざる戦艦大和の逸話10選

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  • Опубликовано: 10 сен 2024
  • 今回は「戦艦大和の逸話10選』をゆっくり解説していくぜ!
    ※考察やリクエストはコメント欄へどうぞ!
    【参考文献・参考URL】
    ja.wikipedia.o...)
    #ミリタリー図鑑

Комментарии • 685

  • @keidais8047
    @keidais8047 2 года назад +22

    沖縄特攻時、沖縄上陸成功を見越して、沖縄県民の為に食料は勿論、女性用の下着、生理用品、また乳児用のミルクやオムツを満載していたと言う話が好きです。単に海軍の名誉の為の特攻では無かった事ですよね。

  • @user-rr4qe3fj4e
    @user-rr4qe3fj4e 2 года назад +38

    大和の時代遅れ関係に触れるなら『少なくとも建造中〜完成直前ではは時代遅れではなかった』『三番艦は時代の変化に合わせて空母に改装された』あたりのフォローは付けてあげて欲しいですね。流石にその時点で成功すらしていない作戦を理由に大和をスクラップにして空母にしておけば〜〜っていう批判は結果論の後知恵かと

  • @k6480-r5y
    @k6480-r5y 2 года назад +20

    僕のお爺さんに聞いたんですが、ひいじいさんが、太平洋戦争の時輸送艦に乗っていたんですが、呉で航海時かかった塩を落とす作業をしていた時に実際に大和にも乗ったことがあって高官の部屋には赤カーペットが敷かれていて本当にホテルみたいだったそうです。

    • @lennonist9746
      @lennonist9746 2 года назад +11

      凄いなあ。その経験がある方の玄孫というだけで貴方はヒーローです。

    • @k6480-r5y
      @k6480-r5y 2 года назад +8

      @@lennonist9746 ありがとうございます。ひいじいさんは無事復員して帰ってきていたのですが、僕が幼稚園位の頃に亡くなってしまって話をしたことがなかったんです。もう少し僕が早く生まれていればよかったと今でも思います。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад +2

      うちの爺様の従兄弟は大和、武蔵両艦に乗ったことのある稀有な海軍士官だが、大和より武蔵のほうが内装が豪華だったと評していたよ。

    • @rokuroku214
      @rokuroku214 Год назад +2

      武蔵は、戦前数多くの客船を建造した、三菱の長崎造船所で造られたから内装は客船並みなんやよ?でも大砲は呉工廠で造っから専用の輸送船を造って運んだんやよ?

  • @misono84
    @misono84 2 года назад +98

    子供の頃は、姫路城や大和のプラモを作ってた
    今にして思えば「機能美」の極致だったから惹かれたのだと思う
    甲板上にあれだけ装備がありながら、ゴチャつく事も無く整然と「戦うため」に配置されている
    艦橋一つとっても要塞でありながら威風堂々とした佇まいは文化財レベル
    多分、船としては世界で最も美しいと思う

    • @user-kp4vh7ht6r
      @user-kp4vh7ht6r Год назад

      @nyanntonya 釜山港へ帰りなさいww

    • @user-bb1hf3te2f
      @user-bb1hf3te2f Год назад +3

      @nyanntonya テルピッツ就役時は独海軍はすでにまともに艦隊行動取れる状態じゃなく、生まれながらにして死蔵状態だったが・・・

    • @user-ru9sj7vu5u
      @user-ru9sj7vu5u Год назад +2

      @nyann tonya ビスマルク級とかユトランド沖海戦の戦訓が反映されていない第一次大戦当時の戦艦を拡大した程度のゴミですがw
      バルト海のような狭い海で近距離で撃ち合う水平防御だけは優秀ですが遠距離砲戦で高い角度で落ちてくる砲弾に対して無力なのはフッド同様。
      ビスマルクvsフッドの場合先に当てたもの勝ち状況でフッドがプリンツオイゲンをビスマルクだと誤認して手が遅れたのが主な敗因で下手したら互いに同時に轟沈ってシナリオも出てくるくらい。
      ビスマルクは結局英海軍に補足されて藻屑になったしティルピッツは運用すらできなくなったまま引きこもり番長だったんだけど。
      大和型をホテルや旅館に揶揄した温存策以前に持て余して使いようがなくなったのがティルピッツなんですが。
      対航空機、対敵艦隊として使おうにも充分な護衛を行える艦艇がない状況でティルピッツは港に遺棄されていたようなもんです。

    • @user-ru9sj7vu5u
      @user-ru9sj7vu5u Год назад

      @nyann tonya ティルピッツが制海権を取ったとかギャグでしかない。
      ドイツ海軍は通商破壊作戦しか行う力はなくドイツ海軍が前大戦を通じて大西洋で制海権を獲った時期はまったくない。
      第一次大戦の戦艦を拡大しただけのユトランド沖海戦の戦訓が全く考慮されていない近距離砲戦対応のみの水平防御のみの装甲板配置、戦訓反映して遠距離砲戦対応していたら排水量は数割増しで25ノット出れば良い程度の船になっていただろうね。
      通商破壊活動が制海権を得たという発想がなぜできるのか?当時の最先端を誇る英軍レーダー技術でも大西洋全域の把握ができなかったけどティルピッツ?戦艦を護衛する艦艇がなくて港にヒキオタニートの日本の生活保護を受けている特定外来民族の在日みたいな存在ですがw
      ティルピッツの皆無の戦績を必死になっていうとドイツ人が気の毒になってしまわないの?
      結局港から出ることも敵わないまま動けない固定目標になったから水平爆撃での5トン爆弾の直撃受けて終了w
      在日って死ねばいいのにw

    • @user-kp4vh7ht6r
      @user-kp4vh7ht6r Год назад

      @@user-ru9sj7vu5u 君。ビスマルクは海底調査で自沈したことが判明している。艦長がこれ以上撃たれ続けて兵員が犠牲になることを避けた。

  • @user-fx9fu4cn8q
    @user-fx9fu4cn8q 2 года назад +78

    もともと砲弾を作っていて砲弾の保管の為、冷房を作ったのがダイキンだったとか。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +17

      その通りで、関西の私鉄南海電鉄が最初に導入した冷房車に冷房設備を提供したのが始まり。一般家庭用の冷房器具としての知名度は低いが、ダイキンのビル用冷房設備に定評があるのはこの歴史があるから。

    • @user-mn9vz8tp4t
      @user-mn9vz8tp4t 2 года назад

      @@Chu2007pae /

  • @chnagumo5906
    @chnagumo5906 2 года назад +44

    後はバルバス・バウを本格的に採用したのも大和型。
    翔鶴型も採用されてたけど今の様に出っ張りが無かった

  • @在住なんだぞぉ
    @在住なんだぞぉ 2 года назад +174

    大和は飛行機の有効性が確立される前に建造され、確立された時には進捗率90%以上と途中の物は作り信濃の様に改装できる物は改装と言う方針です、現にアイオワ級は1943年に就役してます

    • @user-konroso
      @user-konroso 2 года назад +44

      日本は戦艦か空母どちらかしか作る国力はなかったが、アメリカはどちらもたくさん作る事ができた。
      この違いよなぁ

    • @y.m7324
      @y.m7324 2 года назад +36

      たしか大和の就役は1941だったはずでは
      航空機の有効性はまだ眉唾物だった

    • @user-mb3ck5oj5l
      @user-mb3ck5oj5l 2 года назад +30

      アメリカもアイオワ級を上回るモンタナ級も建造しようとしてましたし。モンタナ級は建造中止になりましたが大和就役時はまだ大艦巨砲主義は健在だったと思います。

    • @gensouhakusyaku1990
      @gensouhakusyaku1990 2 года назад +27

      @@user-konroso まぁ、まじめな話をすると日本もアメリカ動揺戦時中に戦艦・空母両方を製造してるんだけどね
      戦艦だと武蔵、空母だと雲龍型や伊吹(建造中止)、信濃など
      日本だけが大艦巨砲主義だったって言う主張が、そもそも反戦主義者の作ったレッテルだと思う

    • @murasaki9295
      @murasaki9295 2 года назад +14

      @@gensouhakusyaku1990 まさにそれ。
      大和は時代遅れだったとか言うが、近年の湾岸戦争で大活躍

  • @user-oj4ek8sp8b
    @user-oj4ek8sp8b 2 года назад +41

    地元ではおぼろげながら「とてつもない巨大戦艦が建造されている」という話は広まっていたと聞きます。進水式も公にはされなかったけど関係者の家族などにはやはり知る人が多かったとか。
    現在はお土産で「大和ラムネ」が販売されています。

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад

      長崎の三菱で建造された武蔵の場合は、建造中、近隣の住民から「オバケ」と言われていたそうですよ

    • @user-oj4ek8sp8b
      @user-oj4ek8sp8b Год назад

      いくら機密保持や箝口令を厳しくしても多くの人が関われば噂はどうしても広まるものなんでしょうね。

  • @user-wc9iv9zd9m
    @user-wc9iv9zd9m 2 года назад +37

    この時アメリカも戦艦6隻での対戦を望んでたけどほかの将校に先を越されて大和は沈んだって話がすごく切ない

    • @babymagnam
      @babymagnam 2 года назад +13

      レイモンド・スプルーアンスですね。
      『戦艦で向かってくるならば、その武士道に対して応えるべき』
      と進言しましたが受け入れられなかったそうです。
      あと天一号作戦時の日本海軍将官に、スプルーアンスの友人が居たのも艦隊決戦を望んだ理由の一つだった気がします。

    • @user-po7hn5mb8t
      @user-po7hn5mb8t 2 года назад +2

      以下全て「もしも」の条件が付きますが…
      スプルーアンスの進言を受け入れて純粋な艦隊決戦をしていたとしたら、
      米軍は大和の主砲が46センチだと知らなかったので、負けないまでも大損害を被っていた可能性も大きいかと。
      大戦末期、神風攻撃を繰り出していた日本と異なり、アメリカは味方兵の損耗に大変慎重でした。
      艦隊決戦で大きな犠牲が出ていれば反戦世論が高まり、より日本に有利な降伏条件で早期終戦に持ち込もうとしたかも知れません。
      原爆投下やソ連の参戦も間に合わず、終戦時の様子はだいぶ違っていたのかも知れないし、
      逆に勢い付いた軍部に押されて戦争は長引き、本土決戦まで行ってしまったのかも知れません。どうなったかは神のみぞ知る ですね。
      史実では艦隊決戦とは真逆=「圧倒的な航空兵力 対 航空護衛無し丸裸の戦艦」の戦いで大和は沈んだので、
      武士道よりも 確実な戦果を優先したアメリカの合理的な考え方が現れていますね。

    • @user-sd7mg1zj7x
      @user-sd7mg1zj7x 2 года назад +4

      少し正確に書きますと、「進言」も何も、スプルアンスは第5艦隊の司令長官です。
      大和をどのように攻めるか、それを決定したのはスプルアンスです。
      彼こそが空母部隊の指揮官に「ミッチャー提督、きみがやれ」と命令したのです。 
      ただし、スプルアンス個人には戦艦部隊で相手になってやりたいという気持ちもあったようです。
      それはなぜか? 戦艦対戦艦で正々堂々の撃ち合いを望んだとか? 違いますたぶん。
      このことは映画などでは全く語られませんが、
      大和隊の指揮官 伊藤整一中将とスプルアンスは親友でした。
      伊藤さんが駐米武官として合衆国に在任中、ふたりはともに少佐で、このとき親交を結んだのです。
      そして大和の特攻の時、このふたりは、今から戦う相手が誰なのかを承知していました。
      スプルアンスが戦艦での対戦を望んだのだとしたら、
      その理由は「せめてもの友情」だったのではないかと思います。
      これこそ切ないドラマではありませんか。

    • @user-qu2rn6hb8w
      @user-qu2rn6hb8w Год назад

      スプルアンスは東郷平八郎を尊敬してもいたから

  • @Chu2007pae
    @Chu2007pae 2 года назад +26

    海軍の大尉以上の士官の食事は自腹とされており、自分で好きなものを注文できた。主計係が毎回注文を取って調理していたのである。軍属のすし職人も乗りこんでおり寿司の注文も可能だったと爺様の従弟(海軍中佐)が言っていた。金曜日の昼食は海軍の伝統でカレーライスだったそうだが。

    • @nankyokuan
      @nankyokuan 2 года назад +3

      大抵の国で「海軍の飯はうまい」ようです。台所ごと出撃するわけだし。

    • @a6m142
      @a6m142 2 года назад

      大尉以上でなく、準士官以上は皆食費取られるんじゃなかったですかね?

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +2

      給食(兵食)を注文すれば無料。

    • @nankyokuan
      @nankyokuan 2 года назад +1

      @@user-dk1gw7mn5oますます学校給食に近づいてますね。担任教師は生徒と一緒に給食を食べるか自腹で出前を取って職員室で食べるか。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад

      @@a6m142 その話は誰からお聞きになりました?自分は海軍士官であった祖父の従弟(終戦時海軍中佐、大和、武蔵両方に乗ったことがある)から聞いています。

  • @user-vk8gu4ue6r
    @user-vk8gu4ue6r 2 года назад +5

    大和が不要な建造物やったとかそんな事は今の時代どうでも良い。結局は日本は戦争に負けた。でも、数が揃えられない日本が個艦優越に走るのも理解出来るし、当日の日本を守る為と建造された日本の誇れる戦艦。航空優勢に方向転換したところで、日本如きじゃ勝てる相手じゃなかったはず。国の為に尽力してくださった大和含め多数の艦に改めて感謝すると共に、海軍の皆様に敬礼。

  • @user-uk9uu8wv4n
    @user-uk9uu8wv4n 2 года назад +14

    大和がすごいのは大きいことじゃない、小さいこと。
    世界最大の砲をあんなに小さいスペースに収めたこと

    • @babymagnam
      @babymagnam 2 года назад +4

      こんなところに博識な人が。
      アメリカ側が戦後に46cm砲だった事を知って研究したら
      『アメリカが造るとどうやっても300mを超える』って結果が出てたそうですし。
      まぁアメリカにはパナマックスがあり、日本と違って艦幅の制限があった面もありますけどねw

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад +2

      カメラでも小さいものを作らせたら日本にかなうものはない。オリンパスペン、オリンパスM-1。 なお、オリンパス光学は小さなものを作る技術に優れ胃カメラを世界に先駆け開発、世界シェアは70%を超えるらしい。

    • @lespoulzeppelin
      @lespoulzeppelin 7 месяцев назад

      そうですね、全長263m最大幅38.9mで主砲搭2800tを3基で約1万トン積んでいる。7万トンのうち主砲だけで重巡洋艦一艘分を載せている。これで浮力と動力で機敏に動くこと。

  • @user-xh7hk8ld1b
    @user-xh7hk8ld1b 2 года назад +49

    大和はミッドウェイ海戦に参加していてさらに伊勢型戦艦では日本戦艦初の対空レーダーも装備してました。戦艦部隊の方が米機動部隊の情報を多く持ってましたが、無線封鎖・南雲機動部隊も知ってるだろうで、貴重な情報が機動部隊へ行かず、機動部隊が壊滅する要因の一つになってしまったんですよね。

    • @norihisasaito6369
      @norihisasaito6369 2 года назад +8

      惜しむらくは、第一機動部隊に参加した第三戦隊の榛名・霧島のいづれかに対空電探が装備されていたら、また違った展開になっていただろうということですね。まぁ金剛型は開戦時から働き詰めだったんで、仮に装備する計画があったとしても時間が無かったんでしょうね…。

    • @user-yk2tm5wm5l
      @user-yk2tm5wm5l 2 года назад +7

      正直ミッドウェー島は航空機ではなくて戦艦や巡洋艦の砲撃ではだめだったのですかね?

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад

      当時の常識では「戦艦の主砲は土方の道具に非ず!」でしたから。

    • @user-zp2ds3kc6v
      @user-zp2ds3kc6v 2 года назад +1

      作戦自体が糞過ぎ。

    • @minejuli5902
      @minejuli5902 2 года назад +5

      @@user-yk2tm5wm5l
      その手を使えばよかったという意見もあります。
      ハワイで機動部隊を使い、ミッドウェーでは今度は戦艦部隊を使って攻撃すれば米軍は、戦艦と航空機のどちらが優先するのか混乱をきたしたでしょう。
      加えて米軍のパイロットの技量は日本軍のそれに比べてとても低かったので、日本が戦艦でミッドウェーに攻めて行っても航空機で日本の戦艦部隊にダメージを与えることは難しかったと思います。

  • @savannachance72
    @savannachance72 2 года назад +73

    細かい事を言えば、竜骨(キール)が2本の構造だったとか、水の抵抗を少なくし速度を出す為に船首を丸い形状にしたとか、運動性能を良くする為舵が2枚(主舵と補助舵)あったとか、当時の最先端技術が後の造船技術に今も生かされている😊✋

    • @gengenmk2
      @gengenmk2 2 года назад +10

      >船首を丸い形状
      バルバス・バウですね

    • @seatrees36
      @seatrees36 2 года назад +3

      バルバス・バウは、バウによって生じる波と船体によって生じる波を打ち消すことで波の抵抗を減らすものですけど、原案は大和よりも以前にアメリカにありました。
      また、速力によってバウから生じる波が変わるために船速が変わることの多い(=打ち消し効果を得にくい)軍艦での採用はほぼ見送られてますね。
      一方で巡航速度がほぼ一定なタンカーなどでは非常に有効なので現代でも用いられています。

    • @user-bk6rs2js4d
      @user-bk6rs2js4d 2 года назад +4

      連合艦隊では、空母瑞鶴などにもバルバスバウが取り付けられました

    • @user-kp4vh7ht6r
      @user-kp4vh7ht6r Год назад +2

      副舵は主舵が被害を受けた時(ビスマルクもこれで負けた)の予備的舵だったのよ。パラレルに2枚装備したら被弾で両方使えなくなるから。副舵で旋回はできたが回頭中を直進に戻すことはできなかった実験結果がでている。

  • @dhkbeans327
    @dhkbeans327 2 года назад +43

    初めて大和を発見した米潜水艦の乗組員が「島が動いている」と言ったとか…

    • @user-vw4ib7km9v
      @user-vw4ib7km9v 2 года назад +18

      横須賀でヘリ空母「ひゅうが」みたことあるけど、大和より一回り小さいくらいなのに「山」のように感じました。はしけからちょっと離れた公園から見てもそのデカさが分かるほど。デカい船がそんなになかった当時からしてみれば、異世界モノのデカさに感じられたんだろうなあ。

    • @dhkbeans327
      @dhkbeans327 2 года назад +22

      @@user-vw4ib7km9v
      特に大和は艦橋も高いし主砲やら高角砲やらの構造物もたくさん有るので凄い迫力だったでしょうね。

    • @user-wg2sx7og8g
      @user-wg2sx7og8g 2 года назад +26

      大和を発見したアメリカ兵が「とんでもなくデカい戦艦がいる」と報告したところ上官から「真面目にやれ」と怒られた話好き

  • @user-ch8oj8vd3p
    @user-ch8oj8vd3p 2 года назад +13

    源田実、淵田美津雄、真珠湾攻撃の立役者と言える二人が大和の建造に反対してのは面白い。大和は舵が効くまでは時間がかかったはずだが、舵が効くと旋回性に優れてましたね。戦争中は大和は軍機扱いだったので、戦時中は大和、武蔵の存在は市国民はほとんど知らなかった。

  • @ddg1752
    @ddg1752 2 года назад +10

    主砲口径の詐称は実は長門型以前にも行われていたし、煙路防御も日本で初めて導入されたのは加賀型戦艦
    トラック泊地での遊び駒状態を批判する声はよく聞くけど、それには当然事情がある。大和型の砲身命数は200発分で搭載弾薬は一門あたり100発。つまり海戦2回で砲身の交換が必要になる。その為には日本へ帰ることになるけどその隙に米艦隊が押し寄せてきたらと考えると「ここぞ」という時にこそ戦艦は使うべきっていう海軍の発想は致し方ないと思う。少なくとも「使い潰す」とかいう使い方は不可能

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +3

      大和型戦艦の砲身交換は工作艦明石では不可能だったからね。

  • @guchi168
    @guchi168 2 года назад +24

    今の時代でも大和の精密プラモデル艦船模型は非常に高値(30万ほど)で取引されていることを考えると
    大和は日本人の魂なのだと思いますね。

  • @user-bk6rs2js4d
    @user-bk6rs2js4d 2 года назад +8

    大和の冷房は、実は一般水兵には然程与えられませんでした 
    少尉以上の士官室 弾薬庫近くの兵員室に冷風が届けられました
    しかし、一般水兵室には一応換気送風は送られたので、他の艦艇よりは遥かに快適だったそうです

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад +2

      それも、「火薬庫の空調を使っていないとき」に限られていましたしね

  • @hayatotiri0702
    @hayatotiri0702 2 года назад +45

    魚雷が命中しても乗員が気付かなかったみたいなのも聞いた事あるな

    • @hainntu
      @hainntu 2 года назад +1

      爆発音はするので気ずきます。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +14

      @@hainntu うちの爺様の従弟は気が付かなかったと言っていた。艦橋に居たのだけどね。まあ、こちらからもボンボン撃っているのでどちらからの衝撃音なのか区別はつかないだろうよ。

    • @gengenmk2
      @gengenmk2 2 года назад +7

      大和の防御力を物語る逸話ですね

    • @hainntu
      @hainntu 2 года назад

      @@Chu2007pae 中に居ればきずかないだろうが甲板で機銃や対空砲撃ってる兵士たちはきずくよ

    • @teraikazuya829nishiaraieki
      @teraikazuya829nishiaraieki 2 года назад +11

      @@hainntu 気付くよって、何を根拠におっしゃっているのですか?あなたは当時大和にいたのですか?

  • @MrNingenbakudan
    @MrNingenbakudan 2 года назад +21

    沖縄特攻の時は観測機はもちろん艇をすべて降ろしてしまって特2式内火艇を8両、特4式内火艇を2両搭載して出撃したと聞いたことがある。
    舷側扉から降ろしてアメリカ上陸部隊を粉砕し浜を確保するつもりだったのでしょう。

    • @Reverb_Fleet
      @Reverb_Fleet 2 года назад +8

      大和は沖縄到着後、座礁して砲撃を加え、弾薬が尽きたあとは乗組員が陸戦隊として突撃する計画でした。

    • @user-me9zi4qv8j
      @user-me9zi4qv8j 2 года назад +4

      沖縄特攻時、零式観測機が1機残っていたけど、途中、沖縄戦支援のために発艦させて艦載機ゼロになったとか。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +4

      @@Reverb_Fleet 座礁したところで角度にして一度以上の傾きが出ると砲塔を回転させることができなくなり結局は何の役にも立たない。やるのであれば、那覇港にコンクリートで固めて陸上要塞とした方が有効に使えたはず。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +1

      「座礁して砲台となり、弾が尽きたら云々」は、景気付けの文言でしょう。
      あんまり真面目に取らない方が良いですよ。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад

      特二式内火艇って?

  • @user-ch8oj8vd3p
    @user-ch8oj8vd3p 2 года назад +36

    アメリカも日本が新型戦艦を建造しているの知っていたが、主砲が46センチだということは戦後に知ったという話がある。
    建造当時の大和の高角砲、機銃はシールドで覆われていたが、これは主砲の爆風から高角砲員、機銃員を守るためのものだったはず。

    • @ポテト-f9o
      @ポテト-f9o 2 года назад +1

      増設された機銃にシールドがなかった気がする

    • @user-mb8wn1zx8m
      @user-mb8wn1zx8m 2 года назад +6

      @@ポテト-f9o さんへ、大和の場合は戦時急造型のシールド付きの増設機銃とシールドなしの増設機銃の両方ですね。
      艦橋下に増設した機銃に新造時のシールドを移して新造時の機銃がむき出しになっている箇所もあります。
      第二、第三主砲塔の上やその周辺に増設された三連装機銃はすべてむき出しですね。これは主砲発砲時の兵員配置不可能はやむなしと判断されたためとか。

    • @user-oy2kl3pm9t
      @user-oy2kl3pm9t Год назад

      天号作戦の前に呉を偵察した写真にヤマトが写っていた、キャプションにはヤマト45,000tと書かれていた。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 4 месяца назад

      主砲発射時にはブザーが鳴り、全員艦内に隠れるように指示されていた。高角砲、機銃のシールドは敵の機銃掃射を避けるためのモノであり、主砲発射の爆風にはまったく無意味である。

  • @terry2276
    @terry2276 2 года назад +13

    呉にある大和ミュージアムの1/10模型は半端ない迫力と正確さでした、十分訪れる価値はあると思いますよ。

    • @user-tg8wn5bt4z
      @user-tg8wn5bt4z 2 года назад +2

      2017年11月に行きましたが、その迫力には圧倒されました。

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад

      あれ、模型とはいえ艦体は造船所で作ったそうで
      ※あんな大きなモノ、模型屋じゃ作れないでしょうから当たり前ですね😅

  • @Milepoch
    @Milepoch 2 года назад +29

    もし大和が無かったら今の日本人は何を誇る?
    歴史に何を刻むかだ
    宇宙戦艦ヤマトが無かったらガンダムもおそらく無かったよ

    • @keroagunso
      @keroagunso 2 года назад +3

      スターウォーズも生まれなかった?

    • @user-tm5pu7xp2m
      @user-tm5pu7xp2m 2 года назад +3

      兵器で誇るより人間性で誇りたいものじゃな。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +6

      @@user-tm5pu7xp2m トルコ軍艦救出、ポーランド孤児救出や樋口季一郎、杉原千畝などのユダヤ人救出劇が有るよ。多くの日本人が知らないだけさ。これが有ったから、トルコ、ポーランド、イスラエルは親日国になっているというのに。特に、トルコ、ポーランドではかの救出劇は現地の義務教育学校の教科書にも載っており、現地国民の間では周知の事実。そのおかげで現地に行って日本人と分かると大歓迎だそうだが、、、日本に来たポーランドの留学生がなぜ日本に?と聞かれてこの救出劇を行った国だからと答えていたよ。

    • @user-wg9qh7vd8m
      @user-wg9qh7vd8m 2 года назад

      残念ながら、大和級戦艦は旧日本海軍の戦略的失敗であり誇るべきではないです。
      空母運営が世界初で戦果もあるのでそちらを誇るべき。

    • @babymagnam
      @babymagnam 2 года назад +5

      @@user-wg9qh7vd8m 大和型の真価は戦後に発揮されているので、誇りで間違いないと思うけど

  • @vamoskasai
    @vamoskasai 2 года назад +7

    タミヤの高い方の1/350戦艦大和作ってウハウハしながら男たちの大和を視聴したら、レイテ沖海戦で戦死した兄を弟が水葬に立ち会うシーンでめちゃくちゃ泣いて以降、大和を見る度にそのシーン思い出して色々キツい。

  • @Harpoon-
    @Harpoon- 2 года назад +7

    現代では戦艦の必要性も論じられつつあるけどね。
    結局、現代では水上艦艇は衛星群で容易に発見されてしまうし、空母は機体制限が有り航空機部隊が出撃した空船を狙われるとすぐに能力を失う上に、防衛には不向き過ぎる。
    現代では航行の自由作戦などで敵艦と衝突したり偶発的な攻撃による艦艇撃沈が容易に発生してしまうので、重装甲の艦艇の必要性も有るとされています。
    特にSAMやECM発展によりSSMの弱体化が進み数発程度で沈まない戦艦は正に不沈艦として運用出来ますからね。

  • @user-vw4ib7km9v
    @user-vw4ib7km9v 2 года назад +11

    大和の食事が豪華すぎたせいか、山本長官は晩年手足のむくみやしびれを訴えていて、運動不足から高血圧症か糖尿病(山本は下戸の替わりに超甘党)になっていたのではないかという説がありますね。

    • @user-xm5kd7kd5l
      @user-xm5kd7kd5l 2 года назад +3

      あと回虫(ぎょう虫)に悩まされてたそうですね。

    • @babymagnam
      @babymagnam 2 года назад

      下戸なのに得意なことは腹踊りだったというw

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      @@user-xm5kd7kd5l この当時、腹に寄生虫のいない日本人はほぼいないだろ。

  • @user-xb3ii4oz4h
    @user-xb3ii4oz4h 2 года назад +6

    カラスは「大和」と「武蔵」のプラモを胴体を少しずつカットして接続し、大型戦艦を作った。
    砲台も倍になったのはもちろん、内部の船室も作成した。かっこいいかった!
    ただ、水には浮かばなかったけどね。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад

      松本先生は、三連装主砲五基でしたかね。

  • @user-fu4fr3li3g
    @user-fu4fr3li3g 2 года назад +17

    海自OBの知り合いが話していたのですが、艦名は忘れましたが米艦が水平射撃弾を被弾して後に調べたら丁度46cm径で、しかも弾痕は船体を貫通していたとのことです。
    あまりにも威力が強すぎて装甲を突き抜けたせいか戦艦大和の唯一の命中弾ではないかと日米双方で今でも語り継がれているそうです。

  • @user-wanuo
    @user-wanuo 2 года назад +8

    大和が好きで、図書室でコーフンしてましたー! 仕様、ルート、当時の先端技術が今も活かされてる事等を調べば調べる程、虜になりました〜

  • @user-bk6rs2js4d
    @user-bk6rs2js4d 2 года назад +4

    水羊羹だけは大和 武蔵では作れなかったので、給糧艦間宮からの補充が必要だったそうです
    超一流の老舗以上に絶品だったらしいです
    しかし、間宮は自衛武装が貧弱過ぎな上に、機関が旧式だった為に非常に鈍足で、最大戦速が19ノット程度
    1944年にアメリカ海軍の雷撃で沈められました

  • @渋谷朋一
    @渋谷朋一 Год назад +4

    逸話はまぁ色々有りますよね。沖縄出撃の際は燃料は片道分と言われてますが、実際は呉の燃料担当者が、そんなバカな話があるか!全部持っていけ!と帳簿外の燃料バイプの中の燃料まで入れたので十分往復出来る分積んでいた。後に呉では燃料不足が深刻だったとか、沖縄に着いたら大和は海岸に擱座させて海上砲台として使い乗組員は陸戦隊として戦う為に装備やら現金やらちゃんと積んでいたとか、大和ではないけど信濃用の46センチ砲がアメリカにもしかしたら残っているかも知れないとか。実際、アメリカには1番分厚い装甲板を至近距離からアメリカの40センチ砲でぶち抜いたのがモニュメントとして残ってるし。とにかく極秘戦艦だったので中々話しは残ってませんね。因みに、おじさんが海軍の船、何だったかは知りませんが、に乗ってた時に、夜間見張りの当番をしてた時には当時はろくな物を食べて無かったからビタミン不足で夜に目なんか見えないって。でもやらなきゃいけなくてやってたら大和とぶつかりそうになって、後で死ぬ程殴られたって言ってた。まぁ、酒の上の話しだから盛ってたかも?ですけどね。

  • @SUZUKIGSX1100SR
    @SUZUKIGSX1100SR Год назад +3

    後新兵が入ると艦内でスタンプラリーがあって、迷子が続出したそうなw

  • @momo-m7p
    @momo-m7p 2 года назад +60

    大和建造の是非に関しては、映画アルキメデスの大戦で描かれてましたね。
    大ヒットした映画では無かったようですが、冒頭の撃沈される描写には度肝を抜かしました。

    • @shimeneko_san
      @shimeneko_san 2 года назад +9

      アルキメデスの大戦は原作が漫画で、ストーリーもフィクションらしいですよ。と言っても、あれはよくできた話だと思いましたね

    • @user-ie5fq8rn7k
      @user-ie5fq8rn7k 2 года назад +10

      アルキメデスは完全に架空戦記ですよ

    • @momo-m7p
      @momo-m7p 2 года назад +12

      アルキメデスの大戦がフィクションだってことは知っています。
      私が言いたかったことは、作中で大戦艦を造るか空母と航空機を造るべきかの議論のところだけです。

    • @hira5391
      @hira5391 2 года назад +7

      映画はしりませんが、史実では40cm砲30ノットの高速船か、27ノットだけど46cm巨砲をえらぶかが会議の議題だったそうです
      それに赤城の時点でもう長門を越えていて。海軍では決着ついていたのでは

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 4 месяца назад

      @@momo-m7p 空母を造ってもそれを護衛する戦艦が作れなければ意味はない。その失敗がミッドウェー海戦である。空母を護衛する艦隊が近くにいなかったため簡単に敵攻撃機の侵入を許してしまっている。

  • @user-kw7ht1so2p
    @user-kw7ht1so2p 2 года назад +2

    祖父が輸送船に乗っていて、物品を運ぶとき、大和の時は袖の下で甘味等をもらっていた。
    坊ヶ崎の際に何の因縁か近くを航行、撃沈後の救援に従事た。
    4月7日、その何十年後その日に私は産まれた。
    そのせいか他の孫より私をあの日の生まれ変わり、戦神の子だと大事にしてくれた

  • @minejuli5902
    @minejuli5902 2 года назад +36

    誰も言わないが、大和にはもう一つ、工作機械が設置されていて、艦内で機関銃を作ることが出来た。
    だから大和工廠とも呼ばれた。
    沖縄特攻のとき、25ミリ機銃が150丁装備されていたが機銃弾は150万発用意されていた。
    機銃は1000発くらい発砲すると、銃身がダメになるが、そのときは艦内で銃身を作るつもりだったらしい。

    • @user-gy5ye7zo6o
      @user-gy5ye7zo6o 2 года назад +4

      工作艦明石には敵わんだろう〜

    • @This.is.SP.Kuma.
      @This.is.SP.Kuma. 2 года назад +2

      考えうる…こんな事もあろうかとをやってたんだな

  • @user-pj8ey8dt5n
    @user-pj8ey8dt5n 2 года назад +5

    そう言えば図工で大和主砲塔を作ろうとしたら先生に怒られて作れなかった

  • @francebk
    @francebk 2 года назад +49

    山口多聞提督が食事について、味は美味しいが量が足りないといって周囲を唖然とさせたという逸話もありましたね。
    山口提督の大食漢の逸話になってしまいますが。

    • @lennonist9746
      @lennonist9746 2 года назад +7

      いや解るわ。旨いからこそいっぱい食べたい!旨さが更に食欲を刺激するからね。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад

      大和に山口が乗っていたなんて聞いたことはないが、、、

    • @user-jo3ij1sf7r
      @user-jo3ij1sf7r 2 года назад +6

      作戦の会議やらで大和に乗る機会はあったんだろう

    • @francebk
      @francebk 2 года назад +6

      @@Chu2007pae さん
      山口多聞提督が大和に座乗していた訳ではありません。山口提督の大食漢のエピソードにはいとまがありません。飛龍の特大メンチカツもそうですが色々調べてみてください。また、大和が連合艦隊旗艦であれば諸提督が招集されるのは自明の理。食事をするのは不思議なことではありません。

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад

      あの、戦艦大和の動画に全く関係のない、山口多聞少将の逸話をコメントするのはおかしいですよ

  • @hira5391
    @hira5391 2 года назад +13

    大平洋戦のまえは東郷ターンで有名な日本海戦ですからね。
    このときは艦隊決戦だけでロシアに勝利してますから
    その余韻が残っていたんだろう

  • @usamaru.
    @usamaru. 2 года назад +12

    自ら航空機の有用性を示してしまった為、大和の将来を閉ざしてしまった帝国海軍…
    いずれ大艦巨砲主義は時代遅れとなるのだが、大和型が計画された当時の戦艦は国家のキャピタルシップだったから、内外への脅威と国家の威厳を知らしめるには必要でしたからね〜

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +2

      秘密兵器では、脅威も威厳も示せなかった。

    • @usamaru.
      @usamaru. 2 года назад +4

      @@user-dk1gw7mn5o
      ある…かもしれないというだけで充分脅威になったのが秘密兵器。

  • @user-tu5we7fy3x
    @user-tu5we7fy3x 2 года назад +15

    私が大和ミュージアムに行って知った事なんですが、舵を切ってから実際に動き出すまで90秒かかったそうですね。

    • @angelarch6326
      @angelarch6326 2 года назад +5

      舵が利き始まるまでは時間が掛かったそうだが、利き出すと早かったそうな。

    • @KimagureHiroki-Channel
      @KimagureHiroki-Channel 2 года назад +1

      そんなにかかるんですね。確か赤城で4 7秒ぐらいだったような(うろ覚えです)

    • @user-tu5we7fy3x
      @user-tu5we7fy3x 2 года назад +1

      @@KimagureHiroki-Channel 単純に重くて長いからだと思います。

    • @HarunaShimakaze
      @HarunaShimakaze 2 года назад +2

      先に軽く「当て舵」をしておくと早く旋回を始められる様です。そのへん操舵技術によって結構違うみたい。 それで長門はレイテで全ての爆弾を避けたとか。(ちょっと記憶曖昧です。伊勢の方だったかも)

    • @user-vu5ii7wk7e
      @user-vu5ii7wk7e 2 года назад +2

      @@HarunaShimakaze 伊勢日向の回避術はすごかったらしい

  • @菅野裕之
    @菅野裕之 2 года назад +11

    大和に対空機銃の砲手として乗艦して大和と一緒に沈んだが、奇跡的に助かった方のお話しでは、大和の中には蒸気機関車が走っていたとか…何もかも桁外れだったそうです。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +6

      蒸気ではなく電気ですね。
      砲塔と装備は一緒に回転しますが、回転しない要員と備品は電車で追いかけたらしいです。

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад +1

      それは弾薬庫から対空機銃の直下まで銃弾を運ぶ、トロッコ(人力)のことを勘違いしたか、その方の記憶違いでしょう

  • @mametarako
    @mametarako 2 года назад +5

    戦艦大和は今でこそ有名ですが国内にも国外にも機密にされすぎて大和よりも戦艦長門のほうが有名でした。

  • @user-gf3pk3lb8r
    @user-gf3pk3lb8r 2 года назад +5

    戦争は嫌だが、大和ホテルには泊まってみたい。

  • @user-zk7jd6ed5e
    @user-zk7jd6ed5e 2 года назад +3

    なんで、大した活躍もしてないのにあんなに有名なのかが分からない
    悲劇の乗り物だったからかな?ヒンデンブルク号や、タイタニック、チャレンジャー的な感じ

  • @user-fo5qn5fb8i
    @user-fo5qn5fb8i 2 года назад +7

    図面の話はやや詳しい話が本に書いてあったな。
    部屋に埋もれていて発掘出来ないがonz
    エレベーターは士官用で艦橋トップの測距儀に行くのは長い梯子を登ったとか。

    • @user-middlemountmirror
      @user-middlemountmirror 2 года назад +3

      エレベーター使用には特例があり、艦橋上部機銃座の兵は使って良かったそう

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x 2 года назад +4

      図面紛失事件は、三菱の長崎造船所で起こった事件
      で、捜査の結果、犯人は武蔵関連の製図部署に配属されていた10代の新人製図工(ベテランばかりの中で唯一の10代)で、
      『自分はゴミ捨てなどの下っ端仕事しかしていないのに、同期入社の製図工が仕事を任されはじめていることに焦りを感じて、
      「なにか失敗すれば、この部署から離れることができて、製図もさせてもらえるんじゃないか」と考えて、ゴミ捨ての時に
       図面を1枚盗んで焼却炉に放り込んだ』ということらしいですね

    • @user-me9zi4qv8j
      @user-me9zi4qv8j 2 года назад +2

      @@user-jf6jh7gw1x
      一番若い人でも三十代で話しも合わず、ゴミ捨てしかさせてもらえず、腐っていた。
      で、犯行に及んだそうで、その時に図面に関わった人々はスパイ容疑で取り調べ(拷問)を受けても犯人は解らず。
      その日の全員の行動を再現させてみたら、技官達から新人技士の行動がおかしいとの指摘がでて取り調べたら「焼却炉で燃やした」と供述したとか。

    • @user-middlemountmirror
      @user-middlemountmirror 2 года назад

      @@user-jf6jh7gw1x
      吉村昭の小説「戦艦武蔵」で読みました

  • @kazumasaotu6016
    @kazumasaotu6016 2 года назад +47

    大和の注排水システムの目的は、細かく言うと多分、砲撃精度が落ちないように傾斜を回復させたいのだと思います。決戦兵器なので、攻撃力を維持したい。転覆するような被害は想定を超えていたのかもしれません。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      注水システムが必要だったのは船内隔壁を備えていた事、これがある為片舷に被雷すると浸水によって艦が傾き、一度以上の角度が付くと主砲塔が回らなくなるので水平を保つ必要が有ったせいである。主砲塔をモーターで回せば角度についてはまだ余裕があるが、被弾一発電源コードを切られてしまったら主砲が回せなくなるため、蒸気圧で回すようにしてあったためである。船内隔壁は必ずしも必要な物ではなく、これが無ければ艦は浸水しても水平を保ったまま沈むので注水作業も設備も不要であった。その分艦の重量も軽くできたはずだが、平賀造船官が隔壁という無駄なものにこだわったためである。

    • @user-bk6rs2js4d
      @user-bk6rs2js4d Год назад +2

      魚雷 爆弾を計20発以上被弾して,尚且つ9時間以上も戦闘航行した武蔵って😱😱😱😱😱😱💦

    • @user-kp4vh7ht6r
      @user-kp4vh7ht6r Год назад +4

      @@Chu2007pae 君 砲塔旋回動力は水圧だったと思うが。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад +1

      @@user-kp4vh7ht6r その水圧を動かす動力は蒸気圧だったというのを知らないのだろうか?うちの爺様の従兄弟が大和に乗り組んでおりそれを知っていたのだが。蒸気を利用するのは電力だと被弾して電源コードを切断されたら一巻の終わりだが、蒸気圧なら多少蒸気が漏れていても動かすことが出来るからなのだが。

    • @user-kp4vh7ht6r
      @user-kp4vh7ht6r Год назад +2

      @@Chu2007pae 君 君の書き方では蒸気の圧力で旋回させてるように読めるだろ?。蒸気圧で水圧を発生させ旋回動力としていたと書くべきだな。確かに電源コードは脆弱だがこんなこともあろうかと冗長性を持たせて別系統にすれば済む話だが、駆逐艦一隻分を旋回させ止めるモーターは容易に開発できなかっただろう。友人の父上が100式司偵の開発に携わっていたが、米軍機をみてビニール被覆電線が羨ましかったそうだ。ニッパー持って速攻剥ぎ取りにいってたとか。チリ紙コヨリの電線では勝負にならんと仰ってた。

  • @桶田孝樹
    @桶田孝樹 2 года назад +100

    最期に戦後大和を建造した造船所や溶接技術が日本を造船大国に導いた事も紹介して欲しかったですね(T_T)

    • @MegaTakaki
      @MegaTakaki 2 года назад +19

      船体を作る技術は、大型タンカーなどの船体建造技術の礎になっていますね。

    • @桶田孝樹
      @桶田孝樹 2 года назад +14

      @@MegaTakaki さん
      更にその造船所の拡張工事も大和建造の為の拡張工事だったので、大和建造が無かったら大型タンカーも造船所造りから始めなければならなかった(^-^;)

    • @カツオ人間
      @カツオ人間 2 года назад +9

      日本って造船大国なんか?海外勢に負けて赤字イメージだった

    • @桶田孝樹
      @桶田孝樹 2 года назад +23

      @@カツオ人間 さん
      1990年代前半位まで世界の10万t以上の船🚢の約70%が日本製だったのです‼️
      今は韓国や中国に負けてますが、あっちは安かろう悪かろうの状態なので船🚢の寿命が長くて30年。
      日本製は50年は持つそうです。

    • @カツオ人間
      @カツオ人間 2 года назад +14

      @@桶田孝樹 70%!!そうだったんですね。また勢いを取り戻して欲しいものですなぁ。

  • @user-wm5fh5bm4x
    @user-wm5fh5bm4x 2 года назад +6

    士官の食事は自腹で料理人は士官専属 生け簀もあり刺身も食べられたとか。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      刺身など生物は軍医長が食中毒の危険があるのでダメだと言われたと大和に乗っていたうちの爺様の従弟が言っていたけどね。港に停泊中外部から持ち込んだ素材を使用できるときに限られていたはず。

  • @teriyaki-banana
    @teriyaki-banana 2 года назад +19

    時代遅れだけどそれがむしろ日本海軍を象徴してる感じするし大和の美しさや悲哀は大好き。

  • @user-vf9co6kv1c
    @user-vf9co6kv1c 2 года назад +16

    最初の呉空襲の時、対空戦闘で大和の3式弾発砲を当時の乗艦から目撃したと叔父さんに聞かされた事が有りました。纏めて何機かブチ落していたぞ!と言ってましたネ……。

    • @MegaTakaki
      @MegaTakaki 2 года назад +8

      最後の戦いで、艦船に向けて主砲を発射しなくても、敵機の集団に向けて発射すれば、
      砲弾の発する衝撃波でかなりの数の敵機を撃ち落とせたって言われていますよね。

    • @user-xm5kd7kd5l
      @user-xm5kd7kd5l 2 года назад +7

      元乗組員の方が三式弾でB29(B24かも)を三機落としたとおっしゃってましたね。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +5

      三式弾は焼夷弾なのに、撃墜の目撃談は空中分解ばかりで、炎上は報告されないのは何故だろう。

  • @hide-wq3oz
    @hide-wq3oz 2 года назад +11

    そもそも真珠湾攻撃は航空機の有用性を示したものだけど、その標的は戦艦群だった。
    もちろん空母が停泊していればこれも撃沈したハズだけどね。
    あと大和の代わりに空母を建造しろという話だけど、空母やその艦載機、搭乗員養成には非常に費用が掛かって何隻も空母を揃えられたわけじゃない。
    実際、戦争末期には急速建造された中型空母に載せる航空機が無かった状態だし、搭乗員の養成もままならず空母艦載機搭乗員を揃えられたとは考え難い。
    振り返ってみれば大和型戦艦は戦争の役には立たなかったが、日本海軍を象徴する世界最大の戦艦を建造したことは敗れたとは言え戦後の日本人の誇りになったハズ。
    物づくり日本の精神的礎になったと考えれば無駄では無かったように思う。

    • @hayatotiri0702
      @hayatotiri0702 2 года назад +4

      元々空母が標的だったけど湾内に空母が居なかったから戦艦を標的にしたんじゃなかったっけ...?

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x 2 года назад +3

      @@hayatotiri0702
      違いますよ「(空母も含めた)真珠湾在港の敵艦隊の撃沈破」が作戦目的ですよ
      その中で❝空母の優先度が高かった❞のは事実ですが

    • @hira5391
      @hira5391 2 года назад

      基地に停泊中の戦艦を沈める、もう軍艦どころか海軍の存在そのものが不要になってしまう。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +1

      @@hira5391 さん
      停泊中の戦艦を沈めたのも海軍です。

  • @user-ht6cf3mr9m
    @user-ht6cf3mr9m 2 года назад +4

    石油が充分あるなら、今考えると大和、武蔵を劣り役として利用して、機動部隊の作戦運用できたら、米国太平洋艦隊撃滅の一大決戦も立案できるかも?

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +3

      資源が充分ならば、米英と戦争する理由も失くなるので、艦隊決戦にならないと思う。

  • @user-ee2wh1hm6h
    @user-ee2wh1hm6h 2 года назад +14

    大和型戦艦と同じマル三計画で建造された翔鶴型空母は様々な作戦に投入され活躍したけど大和型戦艦は丁度大艦巨砲主義の時代から航空機を運用する空母が活躍する時代へと転換される時に完成し軍部が最新鋭戦艦を損失させたくなかった考えも重なり作戦にはあまり投入されず活躍出来なかったのを見ると何とも言えない気持ちになる
    それと日本海軍の戦艦の中で多くの作戦に投入され活躍したのが巡洋戦艦で旧式艦の金剛型戦艦だったというのが...
    隼鷹型空母などの低速空母の護衛に中速戦艦の大和型戦艦を付けるなどの考えを軍部が持っていれば少しは活躍出来た可能性もあったかもしれないからもったいない...

    • @guugoosuka6909
      @guugoosuka6909 Год назад +1

      それを活躍というのかは微妙な話だなw
      日本兵器の対空火力を考えると重油の無駄と言われかねない。

  • @user-yf1hs6px5r
    @user-yf1hs6px5r 2 года назад +8

    目から鱗の楽しい逸話!ありがとうございます☺️

  • @user-ek1lf3yw7s
    @user-ek1lf3yw7s 2 года назад +28

    食事の話で思い出したけど、日本海軍の給糧艦 間宮の特集をお願いします。
    艦内でアイスクリームやラムネ、饅頭などを製造していた特殊な艦で、特に羊羹は絶品だったとか。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +6

      間宮羊羹は今でも入手可能。艦内で羊羹を製造していたものが代々製造技術を伝えているそうだよ。

    • @user-oy2kl3pm9t
      @user-oy2kl3pm9t Год назад +1

      間宮羊羹は現在市販されているのは1Kgのパッケージだが間宮の羊羹は2Kgのパッケージだったそうだ。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 4 месяца назад

      @@user-oy2kl3pm9tそりゃあ、家庭用に2キロなんてのは大きすぎるよ。軍艦で消費するなら分隊に2キロのモノを一個でいいが、、、

  • @aburi2
    @aburi2 2 года назад +5

    ヤマトは使われなさすぎて高級のホテルとも呼ばれていたりするんだな。

  • @user-xj5ws8ij1v
    @user-xj5ws8ij1v Год назад +3

    知り合いに大和の生き残りがいたんですが晩年まで
    「森下艦長だったら沖縄まで
            行けたかな〜?」
    とボヤいてました。
    悪気は無いと思うけど有賀艦長…

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      いくらなんでも無理だろう。第一出航した時間が悪すぎる(これはオレの爺様の従兄弟=大本営海軍部参謀)がこの時刻に決定したものだが、オレが16時頃に出航、沖縄まで700キロほどなので夜明けごろには到達可能、これだと敵艦隊のかなり近くまで接近できたはずと意見したところ、夜の闇に紛れてこそこそ出航するようなみじめな真似は出来なかったという返事であった。さらに伊藤中将の御子息がゼロ戦6機で表敬訪問(父子の最後の別れ)を演出するためこの時間に設定したという事だった。

  • @hanashim
    @hanashim 2 года назад +10

    大和の計画中の頃の飛行機を見れば、到底大戦時のような行動ができるようになるとは想像は難しかったわけで、それで大和が時代遅れとするのは酷と思います。がっちりと戦闘機に守られた航行中の戦艦を沈めれたことはありませんし、その優れた耐久性の有効利用を模索しているうちに艦隊としてのバランスが崩れてしまったのでしょう。
    源田発言もよく取り上げられますが、日本側の航空主義とは大砲の代わりに飛行機を用いるという程度で、仮に源田案が通り、山口多聞や小沢三郎が指揮官となっても、艦隊システムを完全に作り替えてしまったアメリカには太刀打ちできず、同様の結果になっていたように思います。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +1

      まあ、山口のような時代遅れの戦術を主張する指揮官では無理だろう。ミッドウェイの敗戦はこいつが下らないことを南雲司令官に進言したせいとは、その時、同海戦に参謀として参加していた祖父の従弟の言葉である。

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад +3

      @@Chu2007pae
      南雲忠一中将(第一航空艦隊司令官)にくだらない進言をしたのは草鹿龍之介参謀長で、山口多聞少将(第二航空戦隊司令官)ではありません

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      @@user-jf6jh7gw1x 山口がしつこく発火信号で連絡してきていたとうちの爺様の従兄弟が言ってるのだが。

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад

      @@Chu2007pae
      山口多聞少将が発光信号で連絡していた内容は「対艦装備に転換する時間が惜しい。今すぐに攻撃隊を発艦させるべきだ」という、攻撃タイミングを遅らせることの危険性を分かっていたからこその進言で、後知恵ではあるが、非常に合理的な判断といえる
      対して、対艦装備への転換を進言し、攻撃タイミングを逸する原因を作ったのは草鹿龍之介少将の方です

  • @user-nm7or9rf6z
    @user-nm7or9rf6z 2 года назад +5

    将校の食事は自腹(給料から事前に天引)だったので、薄給の中尉とか少尉とかだとフルコース出されても大変だったとか
    まあフルコースが出るのは動画でも触れてるようにいつ何時に貴賓客が来て対応せねばならないので食事のマナーをしっかり身につける為に日頃から訓練も含めて食べていたわけで
    でも毎食フルコースだったわけではないですけどね、それでも尉官の人は大変だったそうですね
    一方の下士官兵は食事代は支給なのでいくらでもたらふく食べれる上に、海軍の食事は兵食でも美味しかった(但し前線とかは別、場所によっては補給の関係で酷い兵食が出ていたりしたそうです)そうで、それを目当てに海軍に入隊を希望する人もいたとか

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад

      食事が自腹になるのは海軍大尉から。少尉、中尉の間はガンルーム士官と言って海軍から支給される兵と同じものを食することになっていた。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +1

      士官の食事は給食(兵食)も選べました。
      若手は、服装や装備品も自前なので給食が多かったらしいです。
      宮様なんかは士官食。

  • @user-mb8wn1zx8m
    @user-mb8wn1zx8m 2 года назад +10

    大和型戦艦に限らず、当初の想定とは異なる運用をされた戦艦がほとんどなのではないかと思います。
    大和型戦艦の旋回半径は確かに小さかったのですが、主舵と副舵の併用で旋回が始まるまでタイムラグ(1分40秒か2分40秒だったと思う)があり、その間は直進を続けてしまうので、雷爆撃を回避する際は、そのタイムラグも考慮して回避行動を命じる必要がありました。
    また、副舵単独での旋回性能は予想に反して非常に悪いものでした。

  • @mp5a57
    @mp5a57 2 года назад +13

    大和は活躍してほしかった…

  • @user-bs1jf7yb7c
    @user-bs1jf7yb7c 2 года назад +8

    真珠湾攻撃はイギリスがイタリアの軍港に停泊している戦艦群に対して、航空機のみで攻撃する「タレント空襲」を参考にして実施しているので日本の発想では無いです。ただ作戦行動中の戦艦を航空機のみで攻撃し、撃沈したマレー沖海戦は世界初ですね。

    • @カツオ人間
      @カツオ人間 2 года назад +3

      「タレント」ではなく「タラント」では?

    • @user-bs1jf7yb7c
      @user-bs1jf7yb7c 2 года назад

      @@カツオ人間 あっ…そうだわ…助かったよありがとう

    • @カツオ人間
      @カツオ人間 2 года назад +1

      @@user-bs1jf7yb7c (・∀・)b

    • @nankyokuan
      @nankyokuan 2 года назад

      港に停泊中の艦はどのみち脆いので航空優勢を見せつけたのはマレー沖海戦の方ですね。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      @@nankyokuan マレー沖海戦は敵艦隊には護衛の戦闘機が付いていなかったのであっさりやられている。もし、戦闘機の護衛があったらそうそう簡単にはやられなかったと思われる。

  • @bravo1823
    @bravo1823 2 года назад +3

    重装甲巡洋イージス護衛艦大和
    とかでんかなぁ
    後は
    固定翼機搭載護衛艦大和とか

  • @marcopagot8333
    @marcopagot8333 2 года назад +1

    戦艦、特に司令長官が乗る旗艦になるような戦艦は、当然作戦本部、本陣になるわけだから、まずはよほどのことがない限り航行不能になってはいけないってのが一番。

  • @user-wg9fs7vy9y
    @user-wg9fs7vy9y 2 года назад +4

    半世紀以上も前にこんなに美しいものが海に浮かんでたって思うと感動もんだわ

  • @lespoulzeppelin
    @lespoulzeppelin 2 года назад +4

    注排水区画は左右のバランスを保つためではあるが、「沈まない」というのは少し違うのでは・・・・。戦艦はちょっとやそっとで沈みません(そのための空間も確保しています)。傾いていても浮いていればOKなんだけど、戦闘ができないからなるべく船を水平に保つのです。あくまで戦艦ですから戦うための注水で、水を余計に入れれば自重が増し、速度は落ちますが、戦うことと、帰投するために注水していたと思いますよ。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +1

      残念ながら設計のミスで、中央隔壁を作ると被雷した場合、片方に傾く確率が高い。あえて中央隔壁を作らず侵入した水を艦内全体に分散させ平行に沈下させるようにした方が注水設備も、中央隔壁も要らないので、その重量を防弾版に振り分けられるので効率的というモノである。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +1

      中央に隔壁が無くても、水蜜区画は全体に散るので左右傾斜は避けられません。
      傾斜は、測距や揚弾に影響するので注排水は有効です。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      @@user-dk1gw7mn5o イギリス海軍の戦艦はあえて中央隔壁を作らず、浸水時水平に沈下するようにしていたため簡単に沈まなかった(マレー沖海戦で実証ずみ)船は傾斜が出ると沈みやすくなるし、操艦性能も落ちる。

  • @user-ge1td4iv6m
    @user-ge1td4iv6m 2 года назад +1

    軍事関連の本の中で、大和型戦艦の設備は最新鋭で、トイレも洋式でした。一般兵は庶民上がりなので、洋式トイレの使い方も知らず(軍隊は丁寧に使い方を教える訳でもない)、トイレが長いとドヤされるので乗員は便秘に悩まされていたとか…。

  • @user-jz7mo2yl4r
    @user-jz7mo2yl4r 2 года назад +10

    ミッドウェ―は艦砲で落とす事として航空部隊を艦隊の防空に専念させれば南雲も大和も使い道があっただろうに

    • @nankyokuan
      @nankyokuan 2 года назад +2

      提督の決断4ではもっぱらその戦術で攻略を続けました。

  • @user-bk6rs2js4d
    @user-bk6rs2js4d 2 года назад +1

    9:46 大和型戦艦に対抗したアメリカ戦艦モンタナは、主砲口径は40センチでしたが、主砲弾重量増加 主砲発射の高速化等を施す計画でした
    そして何より、幅が狭いパナマ運河航行を断念して艦体を大型化させようとしました
    しかし、航空戦力普及で建造が中止になりました

  • @jkmo5740
    @jkmo5740 2 года назад +2

    時代遅れはもちろんだが、日本も同じ数の零戦などは所有していた。日本が1番遅れていたのはレーダー。レーダーの出来がアメリカとは雲泥の差だったんだよ。これが1番の敗因。

  • @piccadillylily
    @piccadillylily 2 года назад +2

    防御区画が迷路で、新任の水兵が道に迷って帰れなくなって、船尾の奥の方で餓死してたって話しもありましたね。

    • @babymagnam
      @babymagnam 2 года назад +4

      その話は知りませんが、建造中に遭難する人が多かったとかw
      祖父も迷ったと言ってました。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +4

      旧兵が新兵を脅かす怪談に有りそう。

  • @kna6442
    @kna6442 2 года назад +9

    意味のない無駄な物のように解説してるけどそれはどうなの?
    開発計画や当時の時世を考えてます?
    そもそもアメリカは同時期に40㎝×9門搭載戦艦を10隻も作っている。
    数では勝てない日本がより強力な艦を求めるのは当然でしかも計画4隻中
    大和と武蔵しか実際には作っておらず信濃は空母化し4番館は中止。
    かなりの判断の速さだと思いますよ。
    うっかり艦隊決戦なんて事になったら大和と武蔵以外全部旧式戦艦で
    戦う羽目になる事を考えたらギリギリというか足りないレベル。
    それに戦闘行動中の戦艦で空母艦載機のみで撃沈できた戦艦とか
    実はほとんどおらず空母部隊が万能と言う訳でもない。

  • @bby-0172
    @bby-0172 2 года назад +11

    海軍内での批判には山本長官の話も出して欲しかったな・・・。(広くていい艦とは言ってたけども)

    • @MegaTakaki
      @MegaTakaki 2 года назад +3

      アメリカに行った時に、あまりの国力の差に愕然としたんでしたっけ?

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад +1

      古賀長官の時になって、武蔵の方が内装が豪華だからこちらがいいと旗艦変更になったが、、

    • @bby-0172
      @bby-0172 Год назад

      @@Chu2007pae
      大和だと設計変更が間に合わなかった部分の変更と、三菱が建造したから内装が良かったらしいね

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад +1

      @@bby-0172 なに、三菱長崎造船所が商船用に備蓄していた調度品を転用したので内装は豪華だったそうだ。古賀峰一長官はそれがお気に入りで旗艦を移したと長官の副官していたうちの爺様の従兄弟が言っていたよ。

  • @mk-my5zh
    @mk-my5zh 2 года назад +8

    大和は、確か3332人最終的に乗ってたはず

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +1

      出来上がってから、対空火器を大分増やしましたからね。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      @@user-dk1gw7mn5o それだけじゃない、沖縄上陸後陸戦を展開するための陸戦隊を乗せていた。

  • @erikuwahara5930
    @erikuwahara5930 Год назад

    継ぎ目の無い重装甲のバイタルパートなら 大和の浮力を確保出来るので 前後の防御の無い船体部全て浸水しても沈みませんが 継ぎ目が有るので浮力を確保する事は不可能
    また注水区画の数は長門より少なく 排水量に対する割合も少なかった
    しかし注水したらその分予備浮力を失う
    さらに日本艦は船体中心部 前後に渡って隔壁が有る為 船体が傾きやすい為に 主砲発射にたちまち影響を受ける

  • @seydi2903
    @seydi2903 2 года назад +5

    昔読んだ本に、大和の艦底の色は緑色だったかもしれない、とかあったなぁ、

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      それはない、一番単価の安いペンキが赤茶色なのだから。ペンキを塗るのはさび止めなので何色でも構わないとなれば単価の安いものを使用するのが常識。上甲板を灰色に塗るのは偽装のため。

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад

      艦底塗料の変色説を始めとして、今でも議論される話題ですね

  • @user-nc2hw7qy9c
    @user-nc2hw7qy9c 2 года назад +12

    確かに時代遅れと言えばそうかもしらんけど、実際のところは無能な海軍上層部が使い方を理解していなかった、やろな。
    ミッドウェイもそやけど、ソロモン海戦やヘンダーソン飛行場砲撃も大和と武蔵が参加していればとなるわな。
    因みに、ヘンダーソン飛行場での三角法より砲撃指示したのは確か大和の砲術長とちゃうかったかな?
    なんせ海軍の上層部はアホばっかり。
    というか、戦争を早く負けたかったのか?と勘繰ってしまうぐらい酷いもんな。

    • @momo_love_nsdap
      @momo_love_nsdap 2 года назад +2

      確か飛行場攻撃の時はまだ大和に新型三式弾が調達されて無くて、仕方なく三式弾の配備が完了してた金剛に行かせたらしいゾ

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +1

      海軍の上層部をぼろくそに批判できる貴殿はどれだけすごい学歴の持ち主なのがご披露願いたい。

    • @user-nc2hw7qy9c
      @user-nc2hw7qy9c 2 года назад

      @@Chu2007pae
      学歴だけで判断する貴方は海軍上層部と同じかもな……いや、海軍の方に失礼やな(笑)。
      私はね、後出しじゃんけんしてるだけ。
      それでコメントしてるだけよ。
      言いたいのは、当時の海軍の思想の愚かさと、陸軍と比較した場合の無能よ。
      確かに陸軍もインパールのような無謀な作戦は立案してるけど、全体的にみてよー頑張ったで。
      足を引っ張ったのは海軍がおるにも関わらずね。
      私の言いたいそこを理解せなアカンで。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад

      @@user-nc2hw7qy9c まあ、貴殿が東大出てる程度の学力持ってるならまだしも、マーチ程度の偏差値の大学で海軍兵学校での将校の学力を論じられてもなあ。ちなみにうちの曽爺様の弟は海軍兵学校を不合格(合格していれば秋山真之の同期)のあと東京帝國大學醫學部に入っているよ。

  • @JO-gy7dv
    @JO-gy7dv 2 года назад +6

    10:52 さすがに国家予算の68%はないですね。 大和一隻で国家予算の3%あまりと言われてますから、武蔵と合計して 6. 8%なのでは。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +1

      昭和20年の軍事予算が国家予算の80%だった。

    • @hira5391
      @hira5391 2 года назад +1

      日本が一生懸命に戦艦を造っていたころ、アメリカが国家予算の30%をかけたのはウラン濃縮ですよ。
      核戦略に将来をかけていて、まあ、そんな世界にならなくてよかった。

  • @nismo350gts
    @nismo350gts 2 года назад +3

    その11。
    大和の竣工時に製作に携わった人やその家族全員大和の乗艦を許されてる。
    死んだ爺さんや親父から聞いた話。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      軍事機密の下で作られているので家族を招待するという事はあり得ないと思うが、その情報源はどこから?

    • @__kamikaze7471
      @__kamikaze7471 5 месяцев назад

      ​@@Chu2007pae書いとるで??

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 5 месяцев назад

      @@__kamikaze7471書くのは勝手だがそのような記録が『当時の文書』のどこに残っている?

    • @__kamikaze7471
      @__kamikaze7471 5 месяцев назад

      @@Chu2007pae ゴメン読解力足りんかった…当時の文書云々の事ならさっぱりや…

  • @thum3635
    @thum3635 2 года назад +1

    運用の問題
    制空後の上陸作戦時の沿岸兵力の掃討や撤退時の支援に使うべき兵器
    航空戦力以外は逃げ回るしかない戦略的驚異なんだし
    その運用コストが規格外過ぎたんだろうけど
    燃料さえあれば勝てたと当時出兵した爺さんらは言ってたけどね
    これは航空機も同じ
    食糧不足も含め外国依存度過多な国が戦線を全方位に拡大させちゃダメという教訓

  • @user-hu9zo8zy7g
    @user-hu9zo8zy7g 2 года назад +2

    皆さんの軍事知識に驚いています。私も大和大好きでいろんな書物を見ましたが桁が違います。お陰で良い勉強になります

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад +2

      @nyann tonya 戦艦が力を誇った時代は既に終わっていた。昭和16年12月10日Malay沖海戦がその証拠。その6日後に大和完成。

  • @user-xz8ym3qk7z
    @user-xz8ym3qk7z 2 года назад +9

    意外と知られざる戦果としてどこでだっけな?大和に魚雷打ち込んで命中したのに何事も無かったかのように進むのを見てビビッて撤退とかあったんだよな。あと、かなりの数で大和を発見した米軍が交戦を避けて撤退または迂回なんてのもある。ティルピッツもそうだけど、存在だけで脅威を与えるってのが戦艦の本当の使い道で大和は充分役割を果たしたと思うよ。

    • @AK-mariana
      @AK-mariana 2 года назад +7

      まあ、戦艦の本来の役目は現代で言う所の核爆弾のような抑止力だからね

    • @y.m7324
      @y.m7324 2 года назад +4

      たしか大和の乗組員ですら気づいて無かった気が

    • @user-hl3xd7ej3x
      @user-hl3xd7ej3x 2 года назад +4

      逆に信濃が1発の魚雷で沈めた報告
      に米国軍上官が「ほら吹いてやがる」みたいな反応してたとか。

    • @y.m7324
      @y.m7324 2 года назад +3

      @@user-hl3xd7ej3x まあ信濃はしょうがない 防水隔壁未完成だったし…

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x 2 года назад +3

      魚雷が命中したのに平然と航行する大和を見たのは米潜水艦スケート (USS Skate, SS-305) の艦長ですな
      でも、「ビビって撤退」というのは、戦後流布された噂のひとつらしいですね

  • @user-ed6li8jo3c
    @user-ed6li8jo3c 2 года назад +4

    武蔵に続き、3番艦信濃と言う空母、更に幻の4番艦、紀伊

    • @babymagnam
      @babymagnam 2 года назад +1

      紀伊は改大和型だったような…?

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +2

      戦艦の命名は面倒臭い。
      紀伊と尾張は証言者が一人で胡散臭いです。
      同じくらいの信憑性で、近江と甲斐も有ります。

    • @user-ed6li8jo3c
      @user-ed6li8jo3c 2 года назад

      @@user-dk1gw7mn5o 近江と紀伊はカッコ良いですね。 そういや、讃岐って説もありましたね

  • @user-xo1hr9hq7g
    @user-xo1hr9hq7g 2 года назад +2

    「ラムネ製造機」の存在が初めて確認されたのはテレビ視聴者の番組への取材依頼が切っ掛け。切っ掛けとなった番組は「探偵!ナイトスクープ」

    • @babymagnam
      @babymagnam 2 года назад

      なお初期の大和ラムネはマズかったらしく、広島の評判のラムネ屋さんに頭を下げて作り方を教えて貰ったとか。
      そのお店は今でもあるそうです。

  • @user-gc4sq5ij7h
    @user-gc4sq5ij7h 2 года назад +8

    ミッドウェーの帰還の際潜水艦に発見されて
    雷撃を受けたが1本だったのでほとんど乗員が気が付かず
    その後「なんか傾いてね?」ってなって浸水が発覚
    さらにその潜水艦の艦長が「超でけぇ日本の戦艦見たんですよ!!マジっぱねーっす!」
    って報告したんだけど「そんな戦艦を日本が建造できるわけないだろ!いいかげんにしろ!」とお叱りを受けた話は・・・?
    どっかで聞いた話ですし 真実性も疑わしいですが

    • @babymagnam
      @babymagnam 2 года назад

      おまけに命中したのに速度落ちるどころか増速してて、アメリカ側が『信じられなかった』とかありましたねw

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +1

      大和が潜水艦に雷撃受けたのは、ミッドウェーじゃないからヨタ話ですね。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      @@user-dk1gw7mn5o ミッドウェイ島から1500キロも離れた後方にいたから米潜水艦が接近すること自体あり得ないだろ。

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад +2

      潜水艦の雷撃を受けたのは、ミッドウェー作戦からの帰還時じゃなくて、トラック島への輸送作戦中(1943(昭和18)年12月25日)の話ね

  • @KaguraYamato
    @KaguraYamato 2 года назад +2

    日本海軍の中で1番早い戦艦は大和型じゃなくて、金剛型じゃないかい?

  • @user-ee2wh1hm6h
    @user-ee2wh1hm6h 2 года назад +5

    大和型戦艦の存在を機密にし主砲の大きさを秘匿したのは長門型戦艦での教訓を生かしてだろうね
    長門型戦艦が主砲の大きさを41cm砲と公表した際にアメリカやイギリスは長門型並みの主砲の大きさを持つ40.6cm砲を搭載した戦艦を建造した実例があるからね(なおネルソン級は...w)
    その教訓から大和型戦艦建造時には40.6cm砲搭載戦艦と偽の情報にし、当時同盟国だったドイツにも大和型の主砲の大きさが46cm砲だという事を教えなかった
    この事が幸いし連合国側は大和型に匹敵する主砲を搭載した戦艦は作らなかった

    • @Reverb_Fleet
      @Reverb_Fleet 2 года назад +4

      そもそもアメリカにはパナマックスがあるから46cm砲搭載艦は建造できないという想定だった。
      ミッドウェイ級航空母艦では普通に超えるけど。

    • @HarunaShimakaze
      @HarunaShimakaze 2 года назад +4

      ただ、アメリカも 18inch Mark.0 を作ってるんですよね、、どれに載せるつもりで作ったのかは分からないけど。長門が40cm(本当は41cm)だと分かったらコロラド級を36->40に変更したように、大和が46cmだとバレたら、中止してたモンタナ級をやっぱり作って18インチを連装8門として載せてたのかも。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +2

      @@HarunaShimakaze 逆に50cm(20インチ)とか発表してやったらアメリカは設計ができずに頭抱えて困ってたんじゃあないかな。46×9のほうが50×6より砲力としては上回る。これを上回る50×9となったら船体の設計そのものからやり直さないといけないだろうから、、、

  • @user-bk6rs2js4d
    @user-bk6rs2js4d 2 года назад +5

    大和の最大速力は27ノット…時速50Km
    基準排水量67000トンに比して、かなりの高速でした

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      35ノットで走る航空母艦に伍して走ることはできず既に時代遅れであった。

    • @user-bk6rs2js4d
      @user-bk6rs2js4d Год назад +1

      @@Chu2007pae 確かに大和型 長門型が随伴出来そうだった空母は、同じ戦艦設計だった加賀ぐらいでしたね

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад +9

      @@Chu2007pae
      俊足の空母と言っても、常に最大速力で走っているわけではなく、戦闘時以外は艦隊速力(16~18ノット程度)で
      行動しているから、「戦艦は空母に随伴できない」というのは戦後日本で流布されたウソ情報
      現に米艦隊では戦艦を空母の護衛に随伴させていた

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      @@user-jf6jh7gw1x 米国の戦艦は30ノットが出せるよ。そんな戦艦しか伴走させていないけどね。

    • @user-jf6jh7gw1x
      @user-jf6jh7gw1x Год назад +2

      @@Chu2007pae
      >「米国の戦艦は30ノットが出せるよ。そんな戦艦しか伴走させていないけどね。」
      そんなデタラメを言っちゃいかんよ
      >「アメリカ戦艦は30ノットが出せるよ」
      ⇒デタラメ。
      開戦時に就役済の米戦艦(14隻)中、12隻は最大速力21ノット、2隻は20ノット
      開戦後に就役した艦(2艦級、6隻)も26~27ノット
      30ノット超を出せたのは、アイオワ級の4隻(1943年以降、順次就役)のみ
      >「そんな戦艦しか随伴させていないけどね」
      ⇒デタラメ。空母機動艦隊の護衛の主力は、開戦後就役の戦艦だったが、その最大速力は26~27ノット[ノースカロライナ級(26ノット)、サウスダコタ級(27ノット)]

  • @tajmahal1587
    @tajmahal1587 2 года назад +2

    すばらしい戦艦だったことは解るが、あまり活躍はしなかったのは軍部の作戦の誤りがほとんどだと思う、ソ連が参戦してくる情報があれば、密かに樺太付近に接岸して、艦砲射撃で総攻撃し、潜水艦と共にウラジオストクに総攻撃し、上陸して日本人の救助も出来たはず。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +3

      瀬戸内海すら危険な状況で、樺太まで無事に航海するのは無理かも。

  • @user-ow3cw4hp1z
    @user-ow3cw4hp1z 2 года назад +1

    父親が大和に乗っていた時は、大和艦内は町みたいだったって。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +1

      初めて乗り組むと、三日ぐらいは迷子になるとか。

  • @user-xq4lv7de7d
    @user-xq4lv7de7d 2 года назад +2

    太平洋戦争から80年 戦場で亡くなれた方の御霊に一礼。🙇

  • @sansogyorai00ver2
    @sansogyorai00ver2 2 месяца назад

    アメリカは日米戦争中に新型戦艦
    サウスダコタ級4隻
    アイオワ級4隻
    二種類合計8隻も就役させたが
    (開戦直前に就役したノースカロライナ級の2隻も含めると何と10隻!)
    日本は大和型を2隻作っただけで
    早々に戦艦に見切りをつけた

  • @esmeraldo7506
    @esmeraldo7506 2 года назад +8

    戦艦大和が時代遅れ…?当時の各国の計画艦艇を見れば分かるが、それは無い。建造開始時には全くもって時代遅れでは無かったし、航空機の有利性だって米海軍での実験を得ても尚信頼されてなかった訳だから。
    開戦時に連勝したのを見て「これからは航空機の時代で戦艦は終わりだな!」なんて事は判断出来ないし、これからは市街地戦闘が主立つと思われていた陸自のMBTの想定戦場が、ここ数年で森林に逆戻りしたのと同じで一時的である可能性もある故、それだけで判断するのは早とちり。
    完成した戦艦を「ここ数週間で空母活躍してるから改装/解体するか」なんて決断、有り得ない。だから大和が戦艦として就役した事は変では無いし、計画当初は時代遅れでは無かった故完成してから非難されても「知らんがな」って話。「予想できなかった日本が〜」って言う人もいるが、冒頭にも言った通り航空戦力主体の戦争を形作ったのは日本であってその他の国は日本以上に戦艦大正義だった。
    結局「運が悪かったね」って話であって、「無駄」では無い。活用方法は腐る程あったよ…

  • @aisin_gioro_in_jen-official
    @aisin_gioro_in_jen-official 2 года назад +3

    大和の前級である長門型(八八艦隊計画が実現していれば違うけど)が既に旧式化してたから大和の建造は妥当だったって話聞いたことあるけどどうなんだろう?

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +2

      その通りですね。大正時代の旧式艦(金剛一艦のみ明治時代英国ビッカース社の製造)ではいくら近代化改造したからと言っても限界がある。

  • @user-jf6jh7gw1x
    @user-jf6jh7gw1x 2 года назад +3

    「知られざる」ってタイトルのわりに、よく知られている話題しかなかったんだが?

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад

      トピ主は知らなかったって意味かな?

  • @sansogyorai00ver2
    @sansogyorai00ver2 2 месяца назад

    米海軍は1941年から日米戦終結までの間に10隻もの新型戦艦を就役させている

  • @user-kt5ci7jf7i
    @user-kt5ci7jf7i 2 года назад +2

    よく言われている46cm砲に耐えれる装甲は勘違いしてる人が多そう
    長距離の砲撃では抜かれないってだけで距離を詰められたら40cm砲でも抜かれる
    距離的有利なのは確かですが!
    因みに英国では45.7センチ砲を装備してました

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +3

      英国の新型戦艦は、主砲口径36cmです。
      戦艦の装甲と主砲口径の関係は、面倒臭いです。
      一発当たって終わりではないので、最初の命中で歪み撓み焼き生された装甲は二発目には貫通されるかもしれません。
      また、装甲の端に命中すると、装甲が歪んで爆圧が内部に入るかもしれません。
      距離が近ければ、砲弾がライナーで当たるので垂直装甲に、遠ければ山なりに当たるので水平装甲に命中します。
      角度が浅ければ、戦車の傾斜装甲の効果で弾くかもしれません。
      要はやってみなければ解らない。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      もともと、大和の装甲板は敵国が軍縮条約の限界である40㎝砲以上のものを装備することはないと言う前提の下で40㎝砲に耐えられれば良いという事で厚さを決めたものである。本来ならば自艦に搭載している砲と同口径の砲に耐えられる装甲にするものだが、この点は割り切ったという事だ。

  • @user-xm5kd7kd5l
    @user-xm5kd7kd5l 2 года назад +30

    大和は全然時代遅れじゃないですよ。山本五十六提督がソロモン戦で大和を出し渋ったのが惜しいですね。ワシントンとサウスダゴダを轟沈させる姿を見たかったです。大戦中期までなら艦隊上空を零戦で制空する事も可能でしたし。

    • @Shoki-Ayanami
      @Shoki-Ayanami 2 года назад +7

      日本の電探技術は終わってたので、大和型といえどアメリカの電探に比べれば雲泥の差だし、探照灯も使う事が推測されるので夜戦で手痛い損害を受ける羽目になっていたと思います。
      結局どんなに強い主砲を持っていてもそれを高確率で当てられなければ何も意味がありません。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 2 года назад +7

      @@Shoki-Ayanami その通り、戦艦武蔵はレイテ沖海戦時、敵弾を受けたショックで弾道計算をする計器が故障、照準を定めることができなくなってせっかくの巨砲も宝の持ちぐされになったと聞いている。

    • @__kamikaze7471
      @__kamikaze7471 5 месяцев назад +1

      電探を過信しすぎでは?当時のモノは全部性能低いですよ、電探でそんなバンバカ当たる事なんてありません

    • @user-xm5kd7kd5l
      @user-xm5kd7kd5l 5 месяцев назад +1

      @@__kamikaze7471 ですよね。スリガオ海峡での米戦艦の主砲命中率は1%以下ですし。電探にしろVT信管にしても戦果が誇張されすぎな気がします。

  • @user-cf1yn1kj8x
    @user-cf1yn1kj8x 2 года назад +19

    軍事機密の取り扱いは現代の日本は必ず見習って実行する必要あるんだわ🥺👁🥺

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +1

      ミッドウェー作戦の駄々漏れですか?

    • @nigoritsuki
      @nigoritsuki 2 года назад +1

      @@user-dk1gw7mn5o あれは暗号解読されたやつ、慢心。

    • @user-dk1gw7mn5o
      @user-dk1gw7mn5o 2 года назад +1

      @@nigoritsuki さん
      暗号も有ると思いますが、他も有ると思います。
      だいたい作戦計画書を全部発信とかしませんから。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae Год назад

      @@user-dk1gw7mn5o 佐世保軍港近辺で町に繰り出した兵どもが次はミッドウェーだとか言ってたそうだから情報ダダ洩れだろうよ。暗号漏洩云々どころの騒ぎじゃあない。長崎県は明治維新以前から外国人の多い土地柄。直ぐ情報は筒抜けになっただろうよ。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 4 месяца назад

      ハワイ攻撃の日程も既にアメリカは予測していた。昭和16年11月30日の日曜日(現地時間)日本大使館の書記官がアメリカの図書館でハワイ方面の気象記録の記載された図書の閲覧を申し込んでいることから、この方面を攻撃することは既に分かっており、気象記録から12月に入ると航空母艦からの発進は強風のため不可能、可能になるのは翌年4月、この間は攻撃はないと判断していた。それに合わせて米国はハルノートを突き付けたものである。12月7日に攻撃してくるというのは米軍にとって完全に想定外だったようだ。