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私は曾祖父が元海軍少将であり山本五十六様を曾祖父が尊敬しており私からしたら祖父にあたりますが祖父兄弟の名前に五十を付けていたという事、実家の仏壇に曾祖父が使っていたサーベル、何かしらの勲章があったといことしか知りませんが、私はこの日本に生まれ家族にこのような素晴らしい人がいたと言う事を誇りに思いますし、今や原型を留めず海底深く沈没してしまった大和ではありますが、めさの様がこうして3DCGで再現等して映像化してくださる事で戦後78年を経て現代に生きる少しでも沢山の方に過去の戦争や日本の誇りを伝えて行く事が出来て私はとても幸せです。後、大和と共に亡くなられた約3000名の英霊や戦争で亡くなられた沢山の魂に、ご冥福を心よりお祈りします。長文すみません。
モデリングも資料収集も全て個人でやっているのすごい尊敬しますいつか自分もめさのさんの様に艦艇モデリングで活動したいです
いつもクオリティの高い大和のCGを見させていただき、本当にありがとうございます。小学生のころ、大和とタイタニックを知ってから40年以上、彼女たちの「真の姿」に思いを馳せてきました。「絶対に見つからない」とされていた大和やタイタニックをはじめ、武蔵や赤城などが次々と見つかっていき、次々に謎が解けていく・・・と思っていた時期が私にもありました。とはいえ、ある程度謎が解けたり知られていなかった事実が判明して、このように、『連合艦隊』で見た以上の、まるで実物を撮したような大和のリアルな姿を見られるようになるとは、夢にも思いませんでした。空中線も、ずっと昔から「切れたらどうするんだろう?」と思っていましたが、やっぱり戦闘時には撤去していたこともあるんですね。あと、ずっと妄想しているのが、坊ノ岬沖海戦(いわゆる沖縄特攻)の時、右舷の戦闘員はどうしていたんでしょうかね?まったく敵機が飛来しなかったということはなかったと思いますが、地獄の左舷に対して、右舷の人たちは、ずいぶんと手持ち無沙汰だったんじゃないかって。
そうだよな、右舷はどうしてたんだろ、、
気になりますよね。敵が左舷を集中的に攻撃する作戦(諸説あり)だなんて知る由もないのですから、なりゆきで右舷を攻撃せざるを得なかった敵機をひたすら待っていたんでしょうか。
被害が続出したでしょうから、徐々に左舷へ補充の形で引き抜かれて行ったのではないでしょうか。 やはり生きては還らない特攻作戦、何の航空支援もない血みどろの戦場、凄惨だったと思います。合掌
Such an incredible ship. Yamato and Musashi were as much works of art as they were weapons of war.
昔、防衛大学の正面校舎入口に大和の木型模型が鎮座していたが、カッターはデリック吊り下げ式で右左舷2艇付いてたな。ウォーターラインシリーズと明らかに異なった外観だったので覚えている。防衛大学の物だから、何か資料があってそうしたんだろうとは思う。
海底調査のデータも踏まえての考証と映像化、相変わらずお見事です。小中校生の頃、プラモデルと言えば大和か零戦でした。大和の均整の取れたシルエットが別格に格好良く、何隻組立てて轟沈させたか憶えていません。素晴らしい動画を有り難うございました。
今回も素晴らしい映像と解説有難うございます。呉の大和ミュージアムに、また出かけたくなりました。
僕たちの少年時代からの憧れの戦艦大和「巨砲戦艦主義」「不沈戦艦」とうたわれた大和、沖縄戦で「菊水作戦」で沖縄に行って「要塞となれ」と命じられ沖縄に向かい、沖縄に到着することもなく撃沈された大和。僕たちの憧れ。ゼロ戦。今なお日本人の心から離れず「生きている」私の父は海軍の潜水艦乗りでしたが、出撃前に終戦を迎えた父親は戦争時代のことを語らず、父親の前で毎日繰り返し戦艦ヤマトの絵を鉛筆で描いた。何度も何度も。この動画を戦争時代に生きた人もびっくりするだろう。私はその後青年期は中国で中国語を学び、その後12年間中国で仕事をしました。仕事では大勢の中国人からの「罵声」を経験し、一人奮闘したことを思い出します。どこへ行っても「日本鬼子」とののしられ、戦争を知らない世代でしたが「予科練の唄を歌って乗り越えました」戦争とは本当に悲劇です。
今日も元気な饅頭たち
めぐみん様ご支援ありがとうございます!
日本の戦艦って、見た目だけを重視で作ったんじゃないかと思うほどあまりに美しく格好良いけど、全て機能美というのがまた素晴らしい…
零戦も同じコンセプトだと思う
@@大佐ちゃんねる-t1h 零戦も美しいですよね…世界一美しい飛行機だと思います。
大和も含めてだけど戦争を知らない世代からするとただ美しい面しか見えてこない戦うために…そして使命を終えて忘れされてしまうには本当に勿体ないと思う
何と言いますか、こうして過去の偉業を現在に蘇らせるということに、非常に大きな意義を感じます。このチャンネルの建築物の復元に当たっての、めさの嬢の解説にもありましたが、こうしたことを個人でやってしまう、またそれを可能にする技術と知見、膨大な作業時間に耐え抜く根性は、本当にすごいと思います。もっと、いろいろな観点から評価されていいチャンネルだと思ってます。今回も堪能させていただきました。1/350の大和が作りたくなってきました♪
宮間めさのさん、お疲れ様です。頑張って下さい!!
めさのさんの技術に脱帽です。素敵な再現動画をありがとうございます!
長年の知見の蓄積でモデリングの解像度が上がっているのが実感できる映像でした
事実と推定や可能性とを極力区別する表現姿勢が素敵です。弱い根拠を元にした思い込みを事実のように語るものが多い情報提供系の動画の現状ではありがたいです~。
そこに気づける貴方も素晴らしい!
大変勉強になります。
やっぱり大和はつよいしロマン(1コメ) 追記 やまとは爆発した時キノコ雲が高さ1km超えてたし、それプラス船体が3つに割れたからどこのパーツか分からないのは想像できる
たしか第一主砲か第二主砲の弾薬庫(両方?)が爆発して、後部はひっくり返った状態で前部は少し左右どちらかに傾いてますけど上下は逆さまになってない状態です。大和ミュージアムに再現模型があり、探せばネットに画像があるはずですよ。
@@紅のプー太郎弾薬庫が爆発したにしては 断面が綺麗なんですよね。むしろ内部圧力によって前後に引き裂かれたような断面です。弾薬庫の爆発なら、内部の階層の構造が明らかでないほどの破壊を受けますし、ラッパ型に広がった断面になります。むしろ、過熱したボイラーに浸水した海水が接触した事によって発生した水蒸気爆発であった可能性が高いと想像しますよ。実際、弾薬庫には誘爆防止のための注水が行なわれていたようですし。水蒸気爆発であった場合の せめてもの救いは 艦内で生存していた水兵達は 衝撃波によって全員即死していただろうと言う事だけですね。
爆発がなかったらどうなってたんでしょうか?
めさのんの動画はいつも凄くて楽しいです。確定申告も頑張ってくださいね。
申告は2月上旬に準備終わりました~~ どうもです
日々精細化していくモデリングと考証に感嘆しつつ、建築物好きで宮間さんをフォローした私としては複雑な気持ちではあります……。でも面白いから、このまま進めてください!
大和を、ここまで調べ上げて3D化苦労されたと思います。素晴らしいほどきれいなCGで、ずっと眺めたいです。ブログで、MONOCHROME SPECTREさんという方が、大和のモノクロ写真を考証しながら着色した画像があるので、参考になるかと思います。
祖父が霧島の軍医長だったのですが大和を見学したことがあると言っていました。主砲の砲手はエリート中のエリートで東大をトップで卒業するくらい頭がよかったらしいです。砲手の前には紙と鉛筆が置いてあって、微分積分?みたいな計算をバーっと紙に書いて放射角度を計算して、ズドーンと撃っていたらしいです。またバーっと計算し直して、またズドーン!50年前に聞いた話ですが一発300万円くらいしたんじゃない?と言っていました。
日本海軍の戦艦で最初に乗艦したいのは?っと聞かれれば迷わず大和と答える程この大和は・・素晴らしい設計の戦艦であります。
ここまでのディテールは歴史資料としても役立ちそうですね長官室や烹炊所とかの再現も期待しちゃいます
いや見ごたえありましたわ☹お疲れさまでした。
沖縄出撃時、大和は錨鎖を撤去?収納?していた様です。重量軽減?危険防止?のためでしょうか?ただし錨は付いている様です。大型艦が激しく機動すると錨鎖がゴロゴロ動いて危険なためワイヤーストロープやストッパーで左右の錨鎖を引っ張って固定します。(レイテ沖海戦時の大和の写真には固定された錨鎖が写っていますが沖縄出撃時の写真には写ってません。)ちなみに錨鎖が無くても錨だけ単独で船体に固定できます。
どうせ使わないからと錨鎖を陸揚げしたのは有り得そうですが、なぜ錨は残したんですかね?艦の威容のためでしょうか。
錨は船のシンボルだからだと思います 。武蔵では船首沈降を復元するため左舷の錨(錨鎖も?)投棄しています。
@@1010エクセリオン まあアンカーはアクセサリーのようなものですからね、大型船になればなるほど。無いと寂しいし、有っても大した機能はないし。(錨の効果は大部分が錨鎖にて発生します)錨鎖がなければ錨鎖庫も倉庫として使えるので、何か積んでいたのか気になるところです。
今日の動画、最高に良かったです。後で見返したいので、ブックマークしました。めさ嬢、最高!!
みやまさんありがとうございます。
投稿お疲れ様です!さすが最高級国家機密。細かい所は不明なことだらけですね。いつかその全貌が明らかになる日がくるのでしょうか?それにしても大和型はホントにシルエットが美しい艦ですね(*^^*)
投稿者のPCスペックが高すぎる…❤︎
最近知ったこと 三連装機銃の爆風よけのカバーは形状が2種類ある
いつも素晴らしい公証ありがとうございます。武蔵の対空用の21号電探の逸話で、電探設置時に砲術長が電探にニコニコ顔で来て「電探は対艦用に使えると聞いた、是非訓練をしたい」と言ったが21号電探は対空用、断ったが試しでお願いと頼まれ砲撃演習に参加。結果は良好!現地で勝手に電探に長距離と短距離の切り替えスイッチをつけちゃったってのがありますが大和はではどうたったのでしょうね。
考察面白かったです
めさのさんの語りが好きで見に来てますw
お疲れ様でございます(`・ω・´)ゞいい話を聞かせていただきました!損傷が激しく、失われてしまったものもありながらもやはり実物は有効な情報を多く拾い取ることができますねこれからも考察していくことがまだまだ沢山残されていますからロマンは尽きることはなさそうですね
大和はカッコ良すぎる。
全く詳しくないけど、マニアによるマニアな解説、考察は見ていて面白い‼️ 大和はロマンでもあり、都市伝説と化してる永遠の存在なのだと分かりました^^
見応えある動画でありました。ありがたうござゐました。
浪漫の塊とは大和が代名詞❗️❗️
大和は老若男女のロマンだー
あーやっぱりめさのさんの声は良い。
このすんごいCGはblenderで作られたのですか? 私も挑戦しようとpcパーツ買い集めましたが、3Dプリンタ含め最新情報おながいします!
WoWsLegendsの日本艦艇の再モデリングに関わって欲しいくらいだ()
9:50 こうして見ると最後の最後で自ら指揮所に上がった有賀艦長がいかに凄いかわかる
防空指揮所の板は遮風装置の蓋と推測してる方もいましたね。写真を見る限りでは防弾どころか破片防御の厚みもなさそうですし、私個人としての解釈では蓋の方がしっくりくるな。
地方ニュースで見ましたが、大和ミュージアムの1/10大和模型は、何か新事実が判明するたびにその箇所を改修更新してるそうです。
1/10だと、わずか10センチの部品でも1センチになるから、再現大変やろな。
詳細も知ってるけど、あの10分の1大和の模型は 実際の船舶の手法で建造されていて、エンジンを組み込めば自走できるそうです。
いや❗これはスゴく興味深い考察であります❗
よく調べてありますね。給弾めさ子の動画もお願いします。
アポロンアポロン様25mm機銃のちゃんとした動画はいずれつくりたいです!
これが修復されてイスカンダルまでいくんですからねえ。。。。。。
逆に大和型ほど詳しく調査検討されている戦艦も無いですよね。信濃も見つけてあげてください。アメリカの富豪さま~(どっかの宇宙旅行に行く金持ちさんとかも)。
素晴らしいヤマトありがとう御座います。益々ヤマトが好きになりました
10:41 中央の金色の球状の物が羅針儀のカバー。羅針儀は駆逐艦でも複数個設置されていたので、射撃指揮所以外にも操船する艦橋にもあるはず。大抵は床から柱のように生えているので、体を縛るにはうってつけです。
想聽聽宮間介紹大和型戰艦的46cm主砲塔內部構造
ささきいさおを気取るつもりは無いが、最早『ロマンのかけら』では無いな。大和はロマンの塊だ
そうか、最期は長波アンテナ(空中線)撤去してたのか
当時の大和の写真をみると海面スレスレに航行しているように見えますけど、弾薬や燃料をめいっぱい積むとかなり沈んだような感じになるのでしょうか?車高をすこしローダウンしてるクルマのようでかっこいいとは思いますが、実際はどんな感じで航行していたのでしょうか⁇😆
あの大和の艦橋のデザインというのは当時の空気力学に基づいているようなんだ「機能的なものは美しい」なんて言われるがちゃんと理由があるのである。それから大和の甲板の色について言っていたが、最終形の色は坊ノ岬の海戦の様子を捉えた白黒写真からコンピューターでスペクトルを分析して色を判別することができるでそこから情報を得られないだろうか。
白黒写真のスペクトルでは(色の違いや系統はわかっても)実際の色は分からないと聞きました。特に赤系統が苦手で現場で立ち会った人に見てもらい決めてゆくのだそうです。
分からないですね。結局、最後は人間が判断して決めるようです。
軍艦ってのはドック入りまで行かなくても、帰港するたびに各部の修理や装備の載せ替えなど行われるそうです。だから沖縄に向かった際の最終バージョンとも言える大和は攻撃した米軍とかを除けばほとんど知られず、終戦した際に資料の類は焼却されてしまったんでしょうし…。
こうして、戦艦大和についてを考察してみると、1995年現在での考察では見つけられなかった細かい点も出てくるのは、実に興味深いです。私も軍事系は好きなので、旧日本軍の軍艦のことについては隅々まで調べてしまいます。最先端のハイテクな機器は、元々は軍事用、警察・消防用で始まった。 今となっては当たり前のインターネットも、元は軍事用のパソコン通信だったのです。
主砲周辺にあったとされる機銃台は爆風シールドが無いですから、其処に配置された方々は戦闘中は…😨なりますから、無かったのでは? 無線線も、大戦後半では防空戦闘が激しく成りますから撤去されて、視覚しながらだろうなぁ。
主砲周辺の対空砲と機銃、確かにそう思う
主砲発砲時はブザーで甲板乗員に知らせました。
@@1010エクセリオン 殿様。ミリタリー漫画の小林源文氏様の漫画での戦艦武蔵での甲板上の惨状はリアルに描かれてました。シブヤン海での連続空襲では退避ブザーが成っても即離脱は難しいかったと思いますし、機銃台も猛烈な爆風で使用不能だろう。
確か艦橋側面(第一、第二艦橋の間)に設置された25mm機銃が連装機銃だったはず。
あれは13mmだよ
@@お山の中間管理職 マジか、ありがとうございます。
やはり大和の構造で一番興味深いのは艦尾にあるカタパルト、クレーン、格納庫あたりだな。
丁度大和ミュージアムの1/10大和映像があるので見比べてみましたが、フェアリーダー部分は凸ってなくって割とべったりしてますね(全体的に出っ張ってるのかも?)あとミュージアムのにはその横の出っ張ってる部分が無かったりしてますな~まぁ解釈の違いはあれど、プラモなどは自由に作っていただきたい!空中線、LFなのでくっそ長いんですよねぇ 確かにあれ切れたらワイヤーだけで事件になりますな…
最上部の主砲射撃指揮所の喫水線からの高さ、甲板からの高さを是非とも考察してください!
個人的には第二砲塔上の機銃が恐いです・・・うかつに主砲や副砲を発砲されたらと思うと
あれって主砲発射前のブザーが鳴った時に逃げられるのかな(;´д`)
2番主砲内部に避難したのでは?主砲後部に扉がありますし。対空用の3式弾を打ち出す時は装薬が少ないので対艦時とは爆圧も違ったでしょう(それでも凄い!)。
ここまで精密に再現されたCGは初めてです。(^^)大和の『真の姿』に近づいているようですね。
ありとあらゆる工夫が細かい部分でなされている印象です。まさに帝国海軍最後の希望。手塩にかけて育てられた最強の戦艦ですね。
20年くらい前にTVで放送してた大和の海底調査の番組で、当時の乗組員?みたいな人が海底カメラの映像を見ながら菊花紋章の大きさに触れていて、「1mを超えたら大和しかない」と言っていたのを覚えています
兵器マシマシ大和カッコ良い
今年中に、大和ミュージアム行こうかな。
実に奥深い!w
空中線に関しては、急襲されない限りは 前後の空中線は戦闘時には撤去された……とのデーターがあります。この場合、前後艦橋間の空中線で艦隊間、本国間の通信を行う事になり、通信アンテナとしての利得は低下したようですが、なんとか支障は出なかったようですね。菊水紋と非理法権天(ひりほうごんてん)の幟は 一隻の駆逐艦が独自に行ったパフォーマンスで、大和では行なわれていなかったと聞いています。
大和を引き上げたら、もっとなにか分かる気もするし、タイムマシーンで実際に観てみたい気持ちもある
やっぱり大和ってカッコ良くもあって、美しくもありますね!
多くの大和の艦尾は丸いがポントス大和は艦尾が直角になっていてそこに「とまや」と書いてあるが、どちらが正しいのか?
最近のめさのんの動画は『意図的に顔のドアップ』を入れてRUclips肌色判定をチェックしてる気がして楽しいです。
艦尾の空中戦支柱ですが、比島沖海戦時の上空から撮影された大和の比較的鮮明な写真を見ると、すでに支柱は撤去されているように見えます。あと、後部艦橋左右に設置されたという射撃装置(支柱に支えられたもの)ですが、大和のどの写真を見ても確認できませんね。先年発見された戦闘訓練中の武藏の写真も同様です。
かわぐちかいじ作「ジパング」で、オートジャイロ海鳥が、第三砲塔の後ろ、左舷寄りに、空中線に気を付けて着艦するシーンがありますが、危ないですね。日本艦は空中線が多いので、自分の弾が当たってしまうことも稀ではなかったんでしょう。欧州軍艦に比べて、海域が広いので長い空中線が多いのですかね。
バイバーイの前に何言ってるのか聞き取れなくてドイツ語とかかなと思っていたのですがサヨナラサヨナラサヨナラ、と聞き取れました。自身はタミヤ1/350モデルを2005年に完成させましたが、90年代中盤までの考証レベルで再現しています。制作するまでの間にも新考証が出てきていましたが自分のなかで一番カッコいい姿で再現しました。模型上の表現はその製作者が納得できる形で作ればいいと思います。
復活の時を待つ大和 このセリフにしびれました。宇宙戦艦ヤマトとしてなのか。もしくは戦艦大和としてなのか。もしくは大和の魂を受け継ぐイージス艦やまと、なのか。歴史と心に深く刻まれる 大和 がなにかの形で蘇ってほしいですね。
ハリウッド映画『バトルシップ』を観て、「あの戦艦がミズーリで無く。もし大和ならここまで苦戦しなかっただろう」と思った人がいたらしい。
40年ほど前の350分の1の戦艦大和のプラモデルは前部艦橋に連装機銃がついていました。(このプラモデルには『元乗組員10名の方の証言を元を作成』と、書いてありましたが、竣工時、捷一号作戦時、天一号作戦時の全てのパターンを作れるようになっていたので、最終時はどうなのかわかりません)
これぞ3D映像のリアルと云った感じで大変楽しんで視聴させて頂きました!装備配置や形状に関しては決定打が無いのであーだこーだ言うのは野暮故に差し控えます…応急修理指示マーキングに関してはビーム毎に付けたと云う説もあり、その場合は左右甲板端にずらりと白ペイントが並ぶのでしょう
毎回マニアックな動画を楽しませて頂いています♪(^^)25mm機銃は三連装と単装だけと思ってましたが、連装が急遽追加装備されていても不自然では無いですね!他にも陸戦用武器や多くの食料、現地調達用現金も積んで出撃したらしいですね!医師や理髪師、上級幹部付きのコック等々軍属として乗艦されていたそうです。今後もマイペースで色々な動画を楽しみにしています!(ロ_ロ )ゞ
二連装式もあるよね海軍陸戦隊が使ってる事多いよね❗️
昔、大和ミュージアムの企画展で木製の実物大の大和の艦首?を見た記憶…
第25回企画展でした
戦艦大和、大好きです。
四半世紀くらい前?に放映されたNHKの「その時歴史が動いた」で、出撃前に甲板に集まった乗員が命令書の朗読?を聞いて顔がドンドン青ざめていく(確か元乗組員の証言だったかと)という光景があった時の姿なんですね。そう言う意味で「幟」は実際にあって欲しかった様に思います。合掌。
たしか、昔、NHKで、武蔵の四散した残骸全てをソナーでスキャンして、その残骸を3Dデータにして、そのパーツを武蔵に組直して、沈没の状況を考察する番組が有ったのを思い出しました。
全部の空中線はあった方がカッコいいな~。大和をサルベージできたらいいのに…やっぱ無理か
木製甲板は難燃性塗料で黒くなっていたって話もあるし。謎が多いよね。
武蔵は明るい色の難燃性塗料だったとか
凄いのいつもありがとうございます。主錨の収納位置、又は大きさについてですが、実艦の写真ではもう少し目立っているように見えるのですが如何でしょうか?
素人質問で申し訳ないんですが、主砲の上に三連装機銃が載っているのは何故なんですか?対空兵装を増やしたかったのは分かるんですが、主砲を撃つ際に同時に機銃操作はできませんよね…?そうでなくとも主砲発射の衝撃で機銃に何らかの支障が出そうなんですが…大丈夫だったんでしょうか??
ありがとうございます。
Hunt James 様ご支援ありがとうございます!
もう凄すぎて何と言っていいか分からない、ぷー!
大和トップ、主砲射撃指揮所(方位盤室)は、15メートル測距儀と一体で旋回していたんでしょうか?それとも、15メートル測距儀が独立して旋回(方位盤室は常に前を向いたまま)していたんでしょうか?今回の動画では測距儀が独立して旋回しているようですが、以前の動画では一体となって旋回していました。ヲタクとして非常に気になるのですが、一体となって旋回していたという情報もあれば、測距儀は独立していたという情報もあり、正しい情報がわかりません。
約五十年前、水中調査などできなかった頃 あれだけのデザインをした“宇宙戦艦ヤマト”。松本零士氏をはじめスタッフの方々は本当に凄かったんですね🤔
軍艦を見て育ったからではないでしょうか。
@@ジャンピあじぇそうですね、あの頃はスタッフに戦前生まれの人がたくさんいたんでしょう。
小学生の時に宇宙戦艦ヤマトの劇場版を観に行った時に親に下敷を買ってもらいました。裏にはヤマトと大和の横から見た断面図のイラストがありへーこうなってたんだと見てましたが戦艦大和の設計図って戦後行方不明になったと聞いてあの大和の断面図は想像だったのかと思ってたんですが松本零士先生が住んでたアパートに大和の生存してた乗組員の方が居て松本先生が戦記漫画を描いてると言ったらその方が後日あんたにやると言って大和の設計図やら何やらドサッとくれたと何かでみましたが本当なのかなー?
TVヤマトが原作(松本氏の主張とは異なるがこれが事実)ですが科学考証とシナリオをやった豊田有恒氏がSF小説を読み込んだ数が半端ない方で、松本零士先生は相当な資料を集めた上で、知識に当て嵌めて不明な点を軍事常識で埋めて話を創作するセンスが上手いのです「出力120%!」は本家大和の機関が過負荷で110%なのを知っていた上で補助機関込みでそれを越えさせる演出だったと思われたりとプロデューサーの映え重視でやらされたシーンすら一つ一つにそれなりの考証がかっちり入っています
アニメンタリー決断でヤマトのデザインの元になった角度等は出ているし。小沢さとる氏の未発表作品の設定画を宮武氏と西崎Pが観ているから、ヤマトのデザインはこれまでの漫画やアニメの大和デザインの集大成と思うな。竜の子プロ(ヤマトの原案書の出所)と西崎Pの関係がきになるところだけど、憶測だがアニメンタリー決断の設定資料が西崎Pの下に行った可能性もあるかもな。
おそらく連装機銃はわざわざ両舷揃えて配置はしてないと思います三連装が足りず、倉庫にしまってあったものか、陸上配置品、もしくは他の艦から融通されたか...
艦橋横に艦橋防御用の連装13ミリ機銃があるな。
やっぱり大和‼️😆👍✨🎌
上部艦橋左右の構造物が大和と武蔵では微妙に形が違うのだがなんで最終時のこの大和は縮小されて前に寄ってんの? 9:09〜
そろそろ大和海底調査再開するかな?。
沈没艦艇は墓標でもありますね。
私は曾祖父が元海軍少将であり山本五十六様を曾祖父が尊敬しており私からしたら祖父にあたりますが祖父兄弟の名前に五十を付けていたという事、実家の仏壇に曾祖父が使っていたサーベル、何かしらの勲章があったといことしか知りませんが、私はこの日本に生まれ家族にこのような素晴らしい人がいたと言う事を誇りに思いますし、今や原型を留めず海底深く沈没してしまった大和ではありますが、めさの様がこうして3DCGで再現等して映像化してくださる事で戦後78年を経て現代に生きる少しでも沢山の方に過去の戦争や日本の誇りを伝えて行く事が出来て私はとても幸せです。
後、大和と共に亡くなられた約3000名の英霊や戦争で亡くなられた沢山の魂に、ご冥福を心よりお祈りします。
長文すみません。
モデリングも資料収集も全て個人でやっているのすごい尊敬します
いつか自分もめさのさんの様に艦艇モデリングで活動したいです
いつもクオリティの高い大和のCGを見させていただき、本当にありがとうございます。
小学生のころ、大和とタイタニックを知ってから40年以上、彼女たちの「真の姿」に思いを馳せてきました。
「絶対に見つからない」とされていた大和やタイタニックをはじめ、武蔵や赤城などが次々と見つかっていき、
次々に謎が解けていく・・・と思っていた時期が私にもありました。
とはいえ、ある程度謎が解けたり知られていなかった事実が判明して、このように、『連合艦隊』で見た以上の、
まるで実物を撮したような大和のリアルな姿を見られるようになるとは、夢にも思いませんでした。
空中線も、ずっと昔から「切れたらどうするんだろう?」と思っていましたが、やっぱり戦闘時には撤去していた
こともあるんですね。
あと、ずっと妄想しているのが、坊ノ岬沖海戦(いわゆる沖縄特攻)の時、右舷の戦闘員はどうしていたんでしょうかね?
まったく敵機が飛来しなかったということはなかったと思いますが、地獄の左舷に対して、右舷の人たちは、
ずいぶんと手持ち無沙汰だったんじゃないかって。
そうだよな、右舷はどうしてたんだろ、、
気になりますよね。敵が左舷を集中的に攻撃する作戦(諸説あり)だなんて知る由もないのですから、なりゆきで右舷を攻撃せざるを得なかった敵機をひたすら待っていたんでしょうか。
被害が続出したでしょうから、徐々に左舷へ補充の形で引き抜かれて行ったのではないでしょうか。 やはり生きては還らない特攻作戦、何の航空支援もない血みどろの戦場、凄惨だったと思います。合掌
Such an incredible ship. Yamato and Musashi were as much works of art as they were weapons of war.
昔、防衛大学の正面校舎入口に大和の木型模型が鎮座していたが、カッターはデリック吊り下げ式で右左舷2艇付いてたな。ウォーターラインシリーズと明らかに異なった外観だったので覚えている。防衛大学の物だから、何か資料があってそうしたんだろうとは思う。
海底調査のデータも踏まえての考証と映像化、相変わらずお見事です。小中校生の頃、プラモデルと言えば大和か零戦でした。大和の均整の取れたシルエットが別格に格好良く、何隻組立てて轟沈させたか憶えていません。素晴らしい動画を有り難うございました。
今回も素晴らしい映像と解説有難うございます。
呉の大和ミュージアムに、また出かけたくなりました。
僕たちの少年時代からの憧れの戦艦大和「巨砲戦艦主義」「不沈戦艦」とうたわれた大和、沖縄戦で「菊水作戦」で沖縄に行って「要塞となれ」と命じられ沖縄に向かい、沖縄に到着することもなく撃沈された大和。僕たちの憧れ。ゼロ戦。今なお日本人の心から離れず「生きている」私の父は海軍の潜水艦乗りでしたが、出撃前に終戦を迎えた父親は戦争時代のことを語らず、父親の前で毎日繰り返し戦艦ヤマトの絵を鉛筆で描いた。何度も何度も。この動画を戦争時代に生きた人もびっくりするだろう。私はその後青年期は中国で中国語を学び、その後12年間中国で仕事をしました。仕事では大勢の中国人からの「罵声」を経験し、一人奮闘したことを思い出します。どこへ行っても「日本鬼子」とののしられ、戦争を知らない世代でしたが「予科練の唄を歌って乗り越えました」戦争とは本当に悲劇です。
今日も元気な饅頭たち
めぐみん様
ご支援ありがとうございます!
日本の戦艦って、見た目だけを重視で作ったんじゃないかと思うほどあまりに美しく格好良いけど、全て機能美というのがまた素晴らしい…
零戦も同じコンセプトだと思う
@@大佐ちゃんねる-t1h 零戦も美しいですよね…世界一美しい飛行機だと思います。
大和も含めてだけど
戦争を知らない世代からすると
ただ美しい面しか見えてこない
戦うために…そして使命を終えて
忘れされてしまうには
本当に勿体ないと思う
何と言いますか、こうして過去の偉業を現在に蘇らせるということに、非常に大きな意義を感じます。
このチャンネルの建築物の復元に当たっての、めさの嬢の解説にもありましたが、こうしたことを個人でやってしまう、またそれを可能にする技術と知見、膨大な作業時間に耐え抜く根性は、本当にすごいと思います。
もっと、いろいろな観点から評価されていいチャンネルだと思ってます。
今回も堪能させていただきました。1/350の大和が作りたくなってきました♪
宮間めさのさん、お疲れ様です。頑張って下さい!!
めさのさんの技術に脱帽です。
素敵な再現動画をありがとうございます!
長年の知見の蓄積でモデリングの解像度が上がっているのが実感できる映像でした
事実と推定や可能性とを極力区別する表現姿勢が素敵です。弱い根拠を元にした思い込みを事実のように語るものが多い情報提供系の動画の現状ではありがたいです~。
そこに気づける貴方も素晴らしい!
大変勉強になります。
やっぱり大和はつよいしロマン(1コメ) 追記 やまとは爆発した時キノコ雲が高さ1km超えてたし、それプラス船体が3つに割れたからどこのパーツか分からないのは想像できる
たしか第一主砲か第二主砲の弾薬庫(両方?)が爆発して、後部はひっくり返った状態で前部は少し左右どちらかに傾いてますけど上下は逆さまになってない状態です。
大和ミュージアムに再現模型があり、探せばネットに画像があるはずですよ。
@@紅のプー太郎弾薬庫が爆発したにしては 断面が綺麗なんですよね。
むしろ内部圧力によって前後に引き裂かれたような断面です。
弾薬庫の爆発なら、内部の階層の構造が明らかでないほどの破壊を受けますし、ラッパ型に広がった断面になります。
むしろ、過熱したボイラーに浸水した海水が接触した事によって発生した水蒸気爆発であった可能性が高いと想像しますよ。
実際、弾薬庫には誘爆防止のための注水が行なわれていたようですし。
水蒸気爆発であった場合の せめてもの救いは 艦内で生存していた水兵達は 衝撃波によって全員即死していただろうと言う事だけですね。
爆発がなかったらどうなってたんでしょうか?
めさのんの動画は
いつも凄くて楽しいです。
確定申告も頑張ってくださいね。
申告は2月上旬に準備終わりました~~ どうもです
日々精細化していくモデリングと考証に感嘆しつつ、建築物好きで宮間さんをフォローした私としては複雑な気持ちではあります……。でも面白いから、このまま進めてください!
大和を、ここまで調べ上げて3D化苦労されたと思います。
素晴らしいほどきれいなCGで、ずっと眺めたいです。
ブログで、MONOCHROME SPECTREさんという方が、大和のモノクロ写真を考証しながら着色した画像があるので、参考になるかと思います。
祖父が霧島の軍医長だったのですが大和を見学したことがあると言っていました。主砲の砲手はエリート中のエリートで東大をトップで卒業するくらい頭がよかったらしいです。砲手の前には紙と鉛筆が置いてあって、微分積分?みたいな計算をバーっと紙に書いて放射角度を計算して、ズドーンと撃っていたらしいです。またバーっと計算し直して、またズドーン!50年前に聞いた話ですが一発300万円くらいしたんじゃない?と言っていました。
日本海軍の戦艦で最初に乗艦したいのは?っと聞かれれば迷わず大和と答える程この大和は・・素晴らしい設計の戦艦であります。
ここまでのディテールは歴史資料としても役立ちそうですね
長官室や烹炊所とかの再現も期待しちゃいます
いや見ごたえありましたわ☹お疲れさまでした。
沖縄出撃時、大和は錨鎖を撤去?収納?していた様です。重量軽減?危険防止?のためでしょうか?ただし錨は付いている様です。大型艦が激しく機動すると錨鎖がゴロゴロ動いて危険なためワイヤーストロープやストッパーで左右の錨鎖を引っ張って固定します。(レイテ沖海戦時の大和の写真には固定された錨鎖が写っていますが沖縄出撃時の写真には写ってません。)
ちなみに錨鎖が無くても錨だけ単独で船体に固定できます。
どうせ使わないからと錨鎖を陸揚げしたのは有り得そうですが、なぜ錨は残したんですかね?
艦の威容のためでしょうか。
錨は船のシンボルだからだと思います 。
武蔵では船首沈降を復元するため左舷の錨(錨鎖も?)投棄しています。
@@1010エクセリオン
まあアンカーはアクセサリーのようなものですからね、大型船になればなるほど。
無いと寂しいし、有っても大した機能はないし。(錨の効果は大部分が錨鎖にて発生します)
錨鎖がなければ錨鎖庫も倉庫として使えるので、何か積んでいたのか気になるところです。
今日の動画、最高に良かったです。
後で見返したいので、ブックマークしました。
めさ嬢、最高!!
みやまさんありがとうございます。
投稿お疲れ様です!
さすが最高級国家機密。細かい所は不明なことだらけですね。いつかその全貌が明らかになる日がくるのでしょうか?
それにしても大和型はホントにシルエットが美しい艦ですね(*^^*)
投稿者のPCスペックが高すぎる…❤︎
最近知ったこと 三連装機銃の爆風よけのカバーは形状が2種類ある
いつも素晴らしい公証ありがとうございます。
武蔵の対空用の21号電探の逸話で、電探設置時に砲術長が電探にニコニコ顔で来て「電探は対艦用に使えると聞いた、是非訓練をしたい」と言ったが21号電探は対空用、断ったが試しでお願いと頼まれ砲撃演習に参加。
結果は良好!現地で勝手に電探に長距離と短距離の切り替えスイッチをつけちゃったってのがありますが
大和はではどうたったのでしょうね。
考察面白かったです
めさのさんの語りが好きで見に来てますw
お疲れ様でございます(`・ω・´)ゞ
いい話を聞かせていただきました!
損傷が激しく、失われてしまったものもありながらもやはり実物は有効な
情報を多く拾い取ることができますね
これからも考察していくことが
まだまだ沢山残されていますから
ロマンは尽きることはなさそうですね
大和はカッコ良すぎる。
全く詳しくないけど、マニアによるマニアな解説、考察は見ていて面白い‼️ 大和はロマンでもあり、都市伝説と化してる永遠の存在なのだと分かりました^^
見応えある動画でありました。ありがたうござゐました。
浪漫の塊とは大和が代名詞❗️❗️
大和は老若男女のロマンだー
あーやっぱりめさのさんの声は良い。
このすんごいCGはblenderで作られたのですか? 私も挑戦しようとpcパーツ買い集めましたが、3Dプリンタ含め最新情報おながいします!
WoWsLegendsの日本艦艇の再モデリングに関わって欲しいくらいだ()
9:50 こうして見ると最後の最後で自ら指揮所に上がった有賀艦長がいかに凄いかわかる
防空指揮所の板は遮風装置の蓋と推測してる方もいましたね。
写真を見る限りでは防弾どころか破片防御の厚みもなさそうですし、私個人としての解釈では蓋の方がしっくりくるな。
地方ニュースで見ましたが、大和ミュージアムの1/10大和模型は、何か新事実が判明するたびにその箇所を改修更新してるそうです。
1/10だと、わずか10センチの部品でも1センチになるから、再現大変やろな。
詳細も知ってるけど、あの10分の1大和の模型は 実際の船舶の手法で建造されていて、エンジンを組み込めば自走できるそうです。
いや❗これはスゴく興味深い考察であります❗
よく調べてありますね。給弾めさ子の動画もお願いします。
アポロンアポロン様
25mm機銃のちゃんとした動画はいずれつくりたいです!
これが修復されてイスカンダルまでいくんですからねえ。。。。。。
逆に大和型ほど詳しく調査検討されている戦艦も無いですよね。信濃も見つけてあげてください。アメリカの富豪さま~(どっかの宇宙旅行に行く金持ちさんとかも)。
素晴らしいヤマト
ありがとう御座います。
益々
ヤマトが好きになりました
10:41 中央の金色の球状の物が羅針儀のカバー。羅針儀は駆逐艦でも複数個設置されていたので、射撃指揮所以外にも操船する艦橋にもあるはず。
大抵は床から柱のように生えているので、体を縛るにはうってつけです。
想聽聽宮間介紹大和型戰艦的46cm主砲塔內部構造
ささきいさおを気取るつもりは無いが、最早『ロマンのかけら』では無いな。
大和はロマンの塊だ
そうか、最期は長波アンテナ(空中線)撤去してたのか
当時の大和の写真をみると海面スレスレに航行しているように見えますけど、弾薬や燃料をめいっぱい積むとかなり沈んだような感じになるのでしょうか?
車高をすこしローダウンしてるクルマのようでかっこいいとは思いますが、実際はどんな感じで航行していたのでしょうか⁇😆
あの大和の艦橋のデザインというのは当時の空気力学に基づいているようなんだ
「機能的なものは美しい」なんて言われるがちゃんと理由があるのである。
それから大和の甲板の色について言っていたが、最終形の色は坊ノ岬の海戦の様子を捉えた白黒写真から
コンピューターでスペクトルを分析して色を判別することができるでそこから情報を得られないだろうか。
白黒写真のスペクトルでは(色の違いや系統はわかっても)実際の色は分からないと聞きました。特に赤系統が苦手で現場で立ち会った人に見てもらい決めてゆくのだそうです。
分からないですね。結局、最後は人間が判断して決めるようです。
軍艦ってのはドック入りまで行かなくても、帰港するたびに各部の修理や装備の載せ替えなど行われるそうです。だから沖縄に向かった際の最終バージョンとも言える大和は攻撃した米軍とかを除けばほとんど知られず、終戦した際に資料の類は焼却されてしまったんでしょうし…。
こうして、戦艦大和についてを考察してみると、1995年現在での考察では見つけられなかった細かい点も出てくるのは、実に興味深いです。
私も軍事系は好きなので、旧日本軍の軍艦のことについては隅々まで調べてしまいます。
最先端のハイテクな機器は、元々は軍事用、警察・消防用で始まった。 今となっては当たり前のインターネットも、元は軍事用のパソコン通信だったのです。
主砲周辺にあったとされる機銃台は爆風シールドが無いですから、其処に配置された方々は戦闘中は…😨なりますから、無かったのでは? 無線線も、大戦後半では防空戦闘が激しく成りますから撤去されて、視覚しながらだろうなぁ。
主砲周辺の対空砲と機銃、
確かにそう思う
主砲発砲時はブザーで甲板乗員に知らせました。
@@1010エクセリオン 殿様。
ミリタリー漫画の小林源文氏様の漫画での戦艦武蔵での甲板上の惨状はリアルに描かれてました。シブヤン海での連続空襲では退避ブザーが成っても即離脱は難しいかったと思いますし、機銃台も猛烈な爆風で使用不能だろう。
確か艦橋側面(第一、第二艦橋の間)に設置された25mm機銃が連装機銃だったはず。
あれは13mmだよ
@@お山の中間管理職
マジか、ありがとうございます。
やはり大和の構造で一番興味深いのは艦尾にあるカタパルト、クレーン、格納庫あたりだな。
丁度大和ミュージアムの1/10大和映像があるので見比べてみましたが、フェアリーダー部分は凸ってなくって割とべったりしてますね(全体的に出っ張ってるのかも?)
あとミュージアムのにはその横の出っ張ってる部分が無かったりしてますな~
まぁ解釈の違いはあれど、プラモなどは自由に作っていただきたい!
空中線、LFなのでくっそ長いんですよねぇ 確かにあれ切れたらワイヤーだけで事件になりますな…
最上部の主砲射撃指揮所の喫水線からの高さ、甲板からの高さを是非とも考察してください!
個人的には第二砲塔上の機銃が恐いです・・・
うかつに主砲や副砲を発砲されたらと思うと
あれって主砲発射前のブザーが鳴った時に逃げられるのかな(;´д`)
2番主砲内部に避難したのでは?主砲後部に扉がありますし。対空用の3式弾を打ち出す時は装薬が少ないので対艦時とは爆圧も違ったでしょう(それでも凄い!)。
ここまで精密に再現されたCGは初めてです。(^^)
大和の『真の姿』に近づいているようですね。
ありとあらゆる工夫が細かい部分でなされている印象です。
まさに帝国海軍最後の希望。手塩にかけて育てられた最強の戦艦ですね。
20年くらい前にTVで放送してた大和の海底調査の番組で、当時の乗組員?みたいな人が海底カメラの映像を見ながら菊花紋章の大きさに触れていて、「1mを超えたら大和しかない」と言っていたのを覚えています
兵器マシマシ大和カッコ良い
今年中に、大和ミュージアム行こうかな。
実に奥深い!w
空中線に関しては、急襲されない限りは 前後の空中線は戦闘時には撤去された……とのデーターがあります。この場合、前後艦橋間の空中線で艦隊間、本国間の通信を行う事になり、通信アンテナとしての利得は低下したようですが、なんとか支障は出なかったようですね。
菊水紋と非理法権天(ひりほうごんてん)の幟は 一隻の駆逐艦が独自に行ったパフォーマンスで、大和では行なわれていなかったと聞いています。
大和を引き上げたら、もっとなにか分かる気もするし、タイムマシーンで実際に観てみたい気持ちもある
やっぱり大和ってカッコ良くもあって、美しくもありますね!
多くの大和の艦尾は丸いがポントス大和は艦尾が直角になっていてそこに「とまや」と書いてあるが、どちらが正しいのか?
最近のめさのんの動画は
『意図的に顔のドアップ』を入れて
RUclips肌色判定をチェックしてる気がして楽しいです。
艦尾の空中戦支柱ですが、比島沖海戦時の上空から撮影された大和の比較的鮮明な写真を見ると、すでに支柱は撤去されているように見えます。
あと、後部艦橋左右に設置されたという射撃装置(支柱に支えられたもの)ですが、大和のどの写真を見ても確認できませんね。先年発見された戦闘訓練中の武藏の写真も同様です。
かわぐちかいじ作「ジパング」で、オートジャイロ海鳥が、第三砲塔の後ろ、左舷寄りに、空中線に気を付けて着艦するシーンがありますが、
危ないですね。
日本艦は空中線が多いので、自分の弾が当たってしまうことも稀ではなかったんでしょう。
欧州軍艦に比べて、海域が広いので長い空中線が多いのですかね。
バイバーイの前に何言ってるのか聞き取れなくてドイツ語とかかなと思っていたのですが
サヨナラサヨナラサヨナラ、と聞き取れました。
自身はタミヤ1/350モデルを2005年に完成させましたが、90年代中盤までの考証レベルで再現しています。制作するまでの間にも新考証が出てきていましたが自分のなかで一番カッコいい姿で再現しました。模型上の表現はその製作者が納得できる形で作ればいいと思います。
復活の時を待つ大和 このセリフにしびれました。
宇宙戦艦ヤマトとしてなのか。もしくは戦艦大和としてなのか。もしくは大和の魂を受け継ぐイージス艦やまと、なのか。
歴史と心に深く刻まれる 大和 がなにかの形で蘇ってほしいですね。
ハリウッド映画『バトルシップ』を観て、「あの戦艦がミズーリで無く。もし大和ならここまで苦戦しなかっただろう」と思った人がいたらしい。
40年ほど前の350分の1の戦艦大和のプラモデルは前部艦橋に連装機銃がついていました。
(このプラモデルには『元乗組員10名の方の証言を元を作成』と、書いてありましたが、竣工時、捷一号作戦時、天一号作戦時の全てのパターンを作れるようになっていたので、最終時はどうなのかわかりません)
これぞ3D映像のリアルと云った感じで大変楽しんで視聴させて頂きました!
装備配置や形状に関しては決定打が無いのであーだこーだ言うのは野暮故に差し控えます…
応急修理指示マーキングに関してはビーム毎に付けたと云う説もあり、その場合は左右甲板端にずらりと白ペイントが並ぶのでしょう
毎回マニアックな動画を楽しませて頂いています♪(^^)
25mm機銃は三連装と単装だけと思ってましたが、連装が急遽追加装備されていても不自然では無いですね!
他にも陸戦用武器や多くの食料、現地調達用現金も積んで出撃したらしいですね!
医師や理髪師、上級幹部付きのコック等々軍属として乗艦されていたそうです。
今後もマイペースで色々な動画を楽しみにしています!(ロ_ロ )ゞ
二連装式もあるよね海軍陸戦隊が使ってる事多いよね❗️
昔、大和ミュージアムの企画展で木製の実物大の大和の艦首?を見た記憶…
第25回企画展でした
戦艦大和、大好きです。
四半世紀くらい前?に放映されたNHKの「その時歴史が動いた」で、出撃前に甲板に集まった乗員が
命令書の朗読?を聞いて顔がドンドン青ざめていく(確か元乗組員の証言だったかと)という光景が
あった時の姿なんですね。そう言う意味で「幟」は実際にあって欲しかった様に思います。合掌。
たしか、
昔、
NHKで、
武蔵の
四散した残骸
全てを
ソナーでスキャンして、
その残骸を
3Dデータにして、
そのパーツを
武蔵に組直して、
沈没の状況を考察する番組が
有ったのを
思い出しました。
全部の空中線はあった方がカッコいいな~。
大和をサルベージできたらいいのに…やっぱ無理か
木製甲板は難燃性塗料で黒くなっていたって話もあるし。謎が多いよね。
武蔵は明るい色の難燃性塗料だったとか
凄いのいつもありがとうございます。
主錨の収納位置、又は大きさについてですが、実艦の写真ではもう少し目立っているように見えるのですが如何でしょうか?
素人質問で申し訳ないんですが、主砲の上に三連装機銃が載っているのは何故なんですか?
対空兵装を増やしたかったのは分かるんですが、主砲を撃つ際に同時に機銃操作はできませんよね…?そうでなくとも主砲発射の衝撃で機銃に何らかの支障が出そうなんですが…大丈夫だったんでしょうか??
ありがとうございます。
Hunt James 様
ご支援ありがとうございます!
もう凄すぎて何と言っていいか分からない、ぷー!
大和トップ、主砲射撃指揮所(方位盤室)は、15メートル測距儀と一体で旋回していたんでしょうか?
それとも、15メートル測距儀が独立して旋回(方位盤室は常に前を向いたまま)していたんでしょうか?
今回の動画では測距儀が独立して旋回しているようですが、以前の動画では一体となって旋回していました。
ヲタクとして非常に気になるのですが、一体となって旋回していたという情報もあれば、測距儀は独立していたという情報もあり、正しい情報がわかりません。
約五十年前、水中調査などできなかった頃 あれだけのデザインをした“宇宙戦艦ヤマト”。松本零士氏をはじめスタッフの方々は本当に凄かったんですね🤔
軍艦を見て育ったからではないでしょうか。
@@ジャンピあじぇそうですね、あの頃はスタッフに戦前生まれの人がたくさんいたんでしょう。
小学生の時に宇宙戦艦ヤマトの劇場版を観に行った時に親に下敷を買ってもらいました。
裏にはヤマトと大和の横から見た断面図のイラストがありへーこうなってたんだと見てましたが
戦艦大和の設計図って戦後行方不明になったと聞いてあの大和の断面図は想像だったのかと思って
たんですが松本零士先生が住んでたアパートに大和の生存してた乗組員の方が居て松本先生が
戦記漫画を描いてると言ったらその方が後日あんたにやると言って大和の設計図やら何やらドサッと
くれたと何かでみましたが本当なのかなー?
TVヤマトが原作(松本氏の主張とは異なるがこれが事実)ですが科学考証とシナリオをやった豊田有恒氏がSF小説を読み込んだ数が半端ない方で、
松本零士先生は相当な資料を集めた上で、知識に当て嵌めて不明な点を軍事常識で埋めて話を創作するセンスが上手いのです
「出力120%!」は本家大和の機関が過負荷で110%なのを知っていた上で補助機関込みでそれを越えさせる演出だったと思われたりと
プロデューサーの映え重視でやらされたシーンすら一つ一つにそれなりの考証がかっちり入っています
アニメンタリー決断でヤマトのデザインの元になった角度等は出ているし。
小沢さとる氏の未発表作品の設定画を宮武氏と西崎Pが観ているから、
ヤマトのデザインはこれまでの漫画やアニメの大和デザインの集大成と思うな。
竜の子プロ(ヤマトの原案書の出所)と西崎Pの関係がきになるところだけど、憶測だがアニメンタリー決断の設定資料が西崎Pの下に行った可能性もあるかもな。
おそらく連装機銃はわざわざ両舷揃えて配置はしてないと思います
三連装が足りず、倉庫にしまってあったものか、陸上配置品、もしくは他の艦から融通されたか...
艦橋横に艦橋防御用の連装13ミリ機銃があるな。
やっぱり大和‼️😆👍✨🎌
上部艦橋左右の構造物が大和と武蔵では微妙に形が違うのだがなんで最終時のこの大和は縮小されて前に寄ってんの? 9:09〜
そろそろ大和海底調査再開するかな?。
沈没艦艇は墓標でもありますね。