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🔽訂正とお詫び「二頭を追う者は~」は、正しくは「二兎を追う者は~」でした。大変失礼いたしましたm(__)m
独創性は凄かった。まさに記録より記憶に残るゲームを作れる会社。
本当に惜しいハード。「グランディア」といった名作もあったのに。
国内のゲームシーンが最も熱かった時代。その一翼を担ったSEGAの奮闘だから涙なしには見られません。両機所持してましたが、その独創性に惹かれてSEGA支持者でした。デビルサマナー、蒼穹紅蓮隊、ガングリフォンなど今も思い出に残る作品と出会ったのは本当に幸せでした。
バーチャで引っ張った序盤よりも後期の方がむしろソフト的には全盛期だったんだよな。PSみたく期待の割にやや微妙というのが無く、前人気に恥じない良作ばかりだった。でも時遅く勝負はもう着いていたんだよね…。
動画内にもあるけどサターンはスプライト処理には本当に優れててカプコンの格ゲーなんかはプレステより移植度が高かった。あとスパロボなんかも音が綺麗でセーブもあっという間だったのが印象的でしたね。
カプコンのヴァンパイアハンターとかストゼロ2等はアーケードとそん色なかった。
X-MENのプレステ版が、余りにリーディングタイムが長すぎてプレイに耐えられないとして日本でお蔵入りになったのは有名な話
スパロボFでガンダムGP-01の戦闘音楽を聴いた時はあまりのクォリティの高さに鳥肌が立ちました。後に、スパロボαで同じ曲を聴いた時に 「ああ、やっぱりサターンの音源はすごかったんだなぁ」としみじみと思ったものです。
サターンは良いハードだった FFやDQがPSに行ってしまった為に負けたと一般的には思われてるがゲーム好きから言わせてもらうとセーブデータが頻繁にとぶのが負けたと思う 何十時間もプレイしたセーブデータが消えたらねぇ(原因の一つがパワーメモリーと拡張RAMの差し替えあれで何回とんだか) 数年前にカズレーザーがしくじり先生でセガの家庭用ゲームの失敗話してたがあの続編のDC編本当に作って欲しい
そこで生まれたのがFDD(フロッピーディスクドライブ)だったんだけど、これまた上手く生かせなかったという(買った人の意見w)。
セガサターンで18禁ソフトが発売される事に飛びついた、当時16歳の自分が懐かしい。
こういう特集の時に「日本で」って言葉が必ずついてきちゃうのがセガの性質をよく表してるよなあ…
@@tabibito4660 海外ではまあまあ売れるのに日本ではあまり売れないので「日本では」とついてしまう、という意図だったのですが…
この世代はソニーの戦略が見事にハマった、これが全て。ポリゴンとムービーに一特化してライト層を獲得。流通改革と開発の敷居の低さでソフトメーカーを獲得。任天堂は自前のROM工場という足枷に加えメガテクスチャ時代を読み切れずROMに拘り失敗、セガはライト層獲得の為のイメージ戦略の遅れをとった。
サターンは、高校生時代バイトできるようになって小中学生のころと違い財布事情を考慮せずに欲しいソフトを買えるようになったから一番思い出深いハードです。
街、サカつく大好きでした!!サターンのソフト数は少ないけど、名作揃いのイメージです
当時、仕事とプライベート両面で壁にぶち当たっていた藤岡弘、氏がせがた三四郎のおかげで復活できた話すこ
2:42 元気に外で野球をしようとしている少年に、暴力でゲームで遊ぶことを強要するような内容は今なら大問題になりそうw
サターンはカートリッジスロットの接触の悪さが印象深いなぁ。パワーメモリーのパワーの無さは異常。
それぞれのハードの中を覗くと、サターンは高性能な部品がギッシリ入ってたのに対し、PSは明らかに少ない部品点数で纏まっていた。という有名な特徴差の話がありますね。そりゃ営業にしてみればサターンはお安いハードではないわな。あと後々、エミュレータが作りづらいハードとしても結構話題になりましたね。それだけ仕様が複雑という事なんだろうけど...。2CPUで開発の敷居が上がった話はPS3のCell問題にも通ずるものがありそう。
発売された94年のSFCのラインナップが強すぎる・・・。
拡張ラム使ったロード時間短縮は素晴らしかったからセーブ機能必要ないゲームは良かったが…メモリカード的なものが脆弱過ぎた
何故だろう。まだまだ序盤、劇的なエピソードが紹介されたわけでもないのに、視聴していて目頭が熱くなってきました。当時は『デイトナ』よりも『リッジ』、『バーチャファイター』よりも『鉄拳』を遊んでいました。しかし、ハードとしての思い入れは圧倒的にサターンの方が強いし、初代PSはもう手放しましたが、サターンは今でも2台所有しています。結果だけ見ればセガの完敗でしたが、『パンツァードラグーン』シリーズや『グランディア』等、今でも強く心に残っているゲームはサターンに多かったように思います。中編・後編楽しみにしております。
同じです。サターンが忘れられないのは、たぶんスーファミの後継として受け入れやすい仕様だったからだと、今からすると思います。CPUの速さとバリバリしたクリアなサウンドが、ファミコン→PCエンジンの時に感じた進化と同じ感じでした。80年代ゲーム機の総括にしてスプライト型ゲームマシン最強の完成形。その系統のアンカーだから現代マシンとの互換性がない。だから保存したくなる。プレステは、スーファミとは連続しない完全なパラダイムシフトの産物。ものによっては、まだまだスーファミの方が遊びやすいものもあり。ナムコ製のゲームのクオリティが、不安に手を差し伸べてくれましたね。でもハード自体はいまいち保存する魅力がない。プレステ2が本来の形な気がしますし。実機のドライブ感を感じるためのハード的な互換性は3までありますから。
友達の家で触りだけ遊ばせてもらった『ガーディアンヒーローズ』は忘れられません。ステ振り画面を思い出すだけでも胸が高鳴る。〖ファイナルファイト〗に、お前の好きにキャラ強くしていいぞ、とか絶対面白い。と少年時代ワクワクしてました。
確かにセガはバードを作って行くのは無理がありすぎたが、もしセガサターンなかったら『サクラ大戦』シリーズもなかったと思えると考えたらセガには感謝しない
時代がポリゴン一辺倒だったために煮え湯を飲まされた印象があるけど、カプコンの「ヴァンパイアハンター」のように素晴らしいクォリティの2Dゲームもあるのがセガ・サターン。間違いなく、ゲーム史に残る名機だと思います。
セガを選んだものが普通の人生を送れると思うな!
セガサターンを代表するヒット作、グランディアとエネミーゼロの製作総指揮のお二方が、セガがハード撤退してほどなくして若くして亡くなった・・・・
サターンの音はホントに良かった
「人の失敗談を笑いものにする動画ではありません」ヌシ様のこう言った紳士的な配慮があるにも関わらず笑いが込み上げてしまう所にセガという企業の社風を感じる
当時サターン、PS共に買いましたが、アーケード作品が目当てだとかなり良ハードだと思いました。2D作品の移植ではロード時間、キャラパターン数、多重背景の描画等、サターンの強みが出てて良作が多かったですね。3D描写はPSの方が強いとは言え、当時のセガ作品(バーチャ、ファイティングバイパーズ、ラストブロンクス等)が遊べたのも良かったです。
敗因の一つに、相手が久夛良木氏だったってのも、間違いなくあると思う。PS初期の頃は、技術も戦略も凄かった。PS3辺りで暴走したけど。
サターンは名作が多いイメージですが、こういう歴史背景もあるんですね・・・社内から売る気が無いんじゃそりゃ売れないわ・・・もっと社内に意思疎通とポリゴンを取り入れてれば、任天堂にすらいいとこ行ったかもしれないですね・・・なんにせよたらればを言っても仕方ないですが、今回も興味深い話が聞けて面白かったです!
サターンからドリームキャストの発売はたった4年間だったのか。相当濃くて面白い4年だったなあ。
開発期間を考えると発売後2年ぐらいでサターンには見切りをつけてたのかな?
@@tboB-rc8wi 自分は小6でしたけどトイストーリー、ジュラシックパークなどCG映像がもの凄い衝撃で世界でブームになっていたのにサターンをあんな仕様にした経営陣は本当にダメでしたね。SONYも任天堂も3Dに特化したハード作ってるのは業界関係者は分かってたのに。
サターンの開発に鈴木さんを巻き込めていたら、ハード事業とソフト事業の連携が取れていたら、海外戦力で足並みが揃っていたら・・・。たらればで語るのは厳禁かもしれないけど、それだけセガはもったいないことをしている。その反省をドリームキャストでも生かせない。悪く言えば、まるで成長していない企業だったから、あの窮地が起こったんだろうなぁ・・・。
95年は家庭用ゲームソフト開発ラインがMD、GG、MCD、32X、SSとあったのでセガは五兎を追う者デス!!
そういえば日立製のHiサターンとかビクター製のVサターンとかもあったなあ
この頃のゲーム業界が一番光り輝いて見えた
中編後編で語られるでしょうが、ドリキャスを最後にハード撤退してソフトに専念するという事実上の敗北宣言がこの後起こるのですが皮肉なことにこの声明を受けてセガの株価は高騰しました。
何だろう、いまのハードよりもサターン発売当時のアーケードゲームの移植度がどれぐらいか想像しながらゲームを買っていた頃のほうがワクワクがすごかった気がしますね。バーチャファイターもたしかにアーケード版に比べて足りないんだけど、それすらも味というかすごく楽しんで遊んでいましたね。
セガサターンとドリームキャストは、ゲーム性を追求した結果だと思う。ドリームキャストの性能は持にアーケードにかなり迫った力の入れ要でナオミ基盤やGD-ROMを使って凄い事していたな…。最後は一万を切る価格になってびっくりした。
懐かしい!せがた三四郎!あのCMから藤岡弘、様のファンになりました。😆😄😁
セガは当時の経営方針に、大きい矛盾があった。当時の方針は、1、セガ家庭用機の画像などは絶対にセガアーケードより優れてはいけない。2、セガ家庭用機の画像など機能は、競争相手より優れる必要がある。だから、SSの設計開発はとても縛られていた。
初めて購入したセガのハード、サターンメガドラまでの本体とゲームのデザインをみて、セガは海外企業(アメリカ)の会社かと思っていたナイツ大好きだったな 近年原作者は逮捕されてしまったけれどバーチャファイターも面白かったのに
ゲーセンのゲームの移植が多かったのも、特徴的。R18のゲームの禁止が致命傷になった。もし、禁止しなかったら大人向けのゲーム機として君臨したと思う。
まぁそうなったらそうなったで、アスキー(当時)辺りを使って「サターンはエロゲハード」とネガキャン張っただろうけどね(´・ω・`)>ソニー
当時はPCエンジンの辺りから終わったハードはエロに手を出す。ってのあったからR18は終わりの始まりだったんだよwその後、一気にパソコン普及し始めるし、延命はキツかったと思う
ほんとせがた三四郎のCMは今の眼で見てもインパクト絶大だ当時は藤岡弘さんだと最初気づかなかったwww
最も無茶だったのはCDドライブにSH-1 一個付けた。だから価格競争に負けない理由はなかった。
SEGA BBSでみたスペックやチップ解説に心踊ったなぁ 2Dから3Dの過渡期で技術進化だけでなく業界の変化を肌で感じ楽しい時代だった😢
PSよりも先に100万台突破したんだよなー。PlayStation ブランドが注目されるなかで 元カプコンの岡本吉起さんの話だと周辺機器にはちょっと渋かったみたいね。 サターンだと4メガ対応したりしたけど。
当時はまさかSCEがなくなって、海外企業になるとは思いもしなかったなあ
あの丸っこいデザインを見るとつい「メガドラ兄さん…!」と呼びそうになる『セガのゲームは世界いち』好きだったなぁ(遠い目)
サターンがプレステに負けた理由の一つはソフト流通手段、再版も早くコストも掛からないのは販売店側もメリットが多かった。プレステが任天堂とセガに勝った理由の1番がこれ
1999年だったか・・・、アメリカでポケモンのアニメが放送されるというニュースで、子供がいる家庭に日本のTVがお邪魔したとき余裕でTVにつなげられているメガドラがあったもの。
ガングリフォンの立体音響を初めて聴いた時の驚き。
セガ家庭用事業の最強の「敵」であり「足枷」は、長年セガの花形だったアーケード事業だったのでは、と思っています。次回以降語られると思いますが…
懐かしい!サクラ大戦やりたさに買った思い出があります。
確かにセガ以外のサターンゲーで買ったものは2Dばっかり。主にカプコンとSNK。それなりに楽しかったけど、時代を一歩先に進めたのはPSの方だよね。PSで出たバイオとか鉄拳とかGTとか今でも続いてるし、ソウルシリーズ前身のキングスフィールドもあの頃の作品。サターン時代のセガゲーで今でも続いてるシリーズは殆ど無いね。バーチャナンタラは全部消えた。たまにソニックが使われた全く別作品が出るぐらい。サードパーティーから見て想像を掻き立てられる様なハードウェア開発には先見の明がある圧倒的なリーダーが必要って事だな。最後はスティーブ・ジョブズに持って行かれてしまったのも納得できる。
スーパー32Xのくだりは以前しくじり先生でも紹介されていましたね。名物メガドラタワー
タワーを完成させるとACアダプタが3つも4つも必要になるといういかつさw
セガサターンはボタン電池じゃなかったらもうちょっとよかったのになとは思った
時がたって気が付いたのは、昔のゲーム機の思い出の多くがゲームハードメーカーの自社開発ゲームばかりであることに気が付くサードパーティーソフトももちろん面白かったんですけど他でも遊べるから思い出が分散してるんだろうな。PSもいいゲームはたくさんあるのだけど思い出いっぱいなのは断然サターンですな。
94年に発表されたNotorious B.I.G. の名曲「JUICY」の中でsuper nintendo, sega genesisというフレーズが出てくるくらいには両者肩を並べていた模様
白いサターン、まだ現役ですw
実家にまだある
ゲーム機もやるんだ サターンに勝って欲しかったなぁ
サターンは絵がショボくてもゲーセンのゲームが遊べるってのが熱かったオリジナルタイトルも面白かったしゲームは最高だったんだよなぁただ、FF7 で完全に終わった。。。あと、動画内の損益って言ってる箇所、損失の間違いかも?
日本市場を優先させて32xを中止するかアメリカ市場を優先させ、サターンの発売を1年延ばして再設計したほうが良かったんですかね。
セガサターンの前にあったメガCDは…。
ドリキャスでもサターンのソフト出来たらよかったんだよ
個人的には初代PSよりサターンで遊んだゲームがずっと記憶に残ってるんですよね…不思議。
セガサターン、生まれる前のハードという事で世代では無いのでやった事が無いけれど、PXZ2にせがた三四郎が出た時はすごく笑ってしまった(バンナムブースなのにせがた三四郎登場、CM全て再現、特定のステージにおけるイベント)
SEGAはイエスBeepは聖書
久しぶりにゲーム機大戦みたくなった
せがたさんしろう流石に理不尽すぎ
サターンは拡張RAMが使えたから 格ゲー移植は強かった。KOFは 本家ネオジオCDよりも ロードは早いしサターンの方が完成度高かったのでは?
初めてコメントします、いつも動画を楽しみにしています。他の方の動画になりますが、「ゲーム機戦争」におけるセガのサターン惨敗の背景を、この動画で理解する事が出来ました。そもそもセガのハード発売日が「SG-1000」でのファミコン丸被りから始まり、スーパー32Xとセガサターンの発売日もPS1付近で、様々な要因で敗れてしまっているところから「噛ませ犬」と言われていたりしますが、今回のスーパー32Xとサターンの関係性では、出すタイミングが悪過ぎたと思います。日本では、メガドライブがスーファミに大敗したからサターンを出そうとしていたのに対して、米ではジェネシスの勢いがついていたのにサターンも発売……しかも機器を共通化してしまった事で、日本ではサターンの販売台数に影響が出てしまい、米でもジェネシスの勢いが弱まったどころか、サターンもPS1に抜かれてしまい、これが中編以降の話に大きな悪影響を残してしまったのは、セガにとってはやりきれない結果だったと思います。ただ、ゲーム業界全体から見れば、3D化を加速させるきっかけにもなり、その風向きがセガに味方しなかった中でのセガの奮闘劇を楽しみにしています。
他のチャンネルで良くある、FF7がPSで出たからサターンは負けたみたいな内容でなくて良かったです
7:53 アセンブリ言語が知りたい人がいるかはしらんけど、ドラクエのチーフプログラマーだった内藤さんが、自身のRUclipsチャンネルでアセンブリを使ったプログラミング(主にDQ3)してるゾ^~
僕の人生を狂わせたハードそれがセガサターン。しかしそれはガイアが僕に与えた使命だった。
なぜ北米でのジェネシスのシェアを軽視して日本のシェアを獲りに行く戦略を取ったのかずっと疑問だったが、アメリカ側に主導権を奪われてしまった最近のプレステを見て、なるほどなと思うようになった。
藤岡弘、は仮にも元仮面ライダーなんだから色んな意味で仕事選ばれなきゃw
CM今ならコンプラで一発KOだなww久多良木さんアクが強いのよwww
この時代をリアルで知る世代はローガン入ってますから字幕拡大はありがたいw サターンは勿論、ドリキャスも湯川専務パッケージで買いましたが、ドリキャスはソフトは数本しか買わなかったなぁ…そうしてたらあれよあれよと消えたw
CD ROMやマルチCPUの話がありましたが、メガドライブが最初だと思いました。
営業がどうこうより社内の環境が酷い。売れるだけ査定が下がるとかそりゃやってられないでしょ。PSで売れまくってる頃のスクウェアも社内の資金繰りが酷いって動画を以前見たし(ここだったかな?)昔のゲーム会社は結構ガバガバだったみたいだね。
セガールとアンソニー やら 三四郎やら ユカワセンムやら CMはうまいのよねぇ
スーパー32XはDOOM専用機
いつもiPhoneで拝見してるので、字幕のサイズアップ嬉しいです!!
本当にせがた三四郎はめちゃくちゃだなぁ
ドリームキャストのコントローラーは重い
SEGAはもっと実力のある経営者がいたなら違う未来があったかもね。というか今思えばオーナーが金持ちだから必死になる感じはなかったのかもね。クリエイターにとってはいい場だったのかも。
FF7 がサターンから出てもセーブデータが消えまくりで阿鼻叫喚だったやろなグランディアとかシャイニングフォース3なんてデータが消えるからクリアできなかった
レトロゲーム好きだけど、サターンでやってみたいゲームが1本もないのでメジャーハードで唯一持ってない。
売れるのに勿体無かったな。ジェネシスをもっと引っ張ればよかったのに
初代のギルティギアはプレステじゃなくサターン(拡張RAM)で出してほしかった。
北米ではメガドライブとスーパー32Xの一体化のネプチューンを推していたけどね
サターンは大好きなハードだったんですが、セーブデータ関係が不安定でしたね。ソフトもかなり癖が強いというか、「ファミコンの流れを汲む一般向けゲーム」の方向性はPSに取られてしまったという印象です。いい作品も多かったんですけどねぇ…。
セガサターンの思い出のゲームと言ったらサクラ大戦とLUNA~ルナ~かな
ソフトの媒体のところは、CDROMというよりはCDドライブが高額だからだと思ってた
サクラ大戦のソフトだけ買って、本体は友だちに借りたっけな。末期?にスケルトンモデルを買ったけど、結局あんまり使わず今は押し入れで眠ってる…。
発売前でしたが当時絶対ソニーが勝つと思っていましたでもセガサターンをすぐに買いました最後は結局任天堂が勝つんでしょと思ってましたがコチラは外れましたね結局この世代で買ったのはサターンだけでしたし凄い好きなハード❤
バーチャファイター2が売れたからね
AZELは間違いなく名作中の名作だったしダイナマイト刑事の大統領の娘はめちゃくちゃブスだった
アセンブラで開発とかヤバすぎだろ
同級生の口車に乗ってサターン買わされたなぁ..奴はちゃっかりプレステ買ってやがったし笑
8:40 結局、鉄拳のほうがバーチャよりシリーズとして長生きしたというね(´・ω・`)
面白いゲームいっぱいあったのに、負けハードになったのは残念だ。
01:47 トライと失敗をもあざ笑うコンテンツ流行早く廃れて欲しい、量産型ずんだに多い
セガが弱かったんじゃないソニーが強すぎたんだ
🔽訂正とお詫び
「二頭を追う者は~」は、正しくは「二兎を追う者は~」でした。
大変失礼いたしましたm(__)m
独創性は凄かった。まさに記録より記憶に残るゲームを作れる会社。
本当に惜しいハード。「グランディア」
といった名作もあったのに。
国内のゲームシーンが最も熱かった時代。その一翼を担ったSEGAの奮闘だから涙なしには見られません。両機所持してましたが、その独創性に惹かれてSEGA支持者でした。デビルサマナー、蒼穹紅蓮隊、ガングリフォンなど今も思い出に残る作品と出会ったのは本当に幸せでした。
バーチャで引っ張った序盤よりも後期の方がむしろソフト的には全盛期だったんだよな。PSみたく期待の割にやや微妙というのが無く、前人気に恥じない良作ばかりだった。でも時遅く勝負はもう着いていたんだよね…。
動画内にもあるけどサターンはスプライト処理には本当に優れててカプコンの格ゲーなんかはプレステより移植度が高かった。
あとスパロボなんかも音が綺麗でセーブもあっという間だったのが印象的でしたね。
カプコンのヴァンパイアハンターとかストゼロ2等はアーケードとそん色なかった。
X-MENのプレステ版が、余りにリーディングタイムが長すぎてプレイに耐えられないとして日本でお蔵入りになったのは有名な話
スパロボFでガンダムGP-01の戦闘音楽を聴いた時はあまりのクォリティの高さに鳥肌が立ちました。
後に、スパロボαで同じ曲を聴いた時に 「ああ、やっぱりサターンの音源はすごかったんだなぁ」としみじみと思ったものです。
サターンは良いハードだった FFやDQがPSに行ってしまった為に負けたと一般的には思われてるがゲーム好きから言わせてもらうとセーブデータが頻繁にとぶのが負けたと思う 何十時間もプレイしたセーブデータが消えたらねぇ(原因の一つがパワーメモリーと拡張RAMの差し替えあれで何回とんだか) 数年前にカズレーザーがしくじり先生でセガの家庭用ゲームの失敗話してたがあの続編のDC編本当に作って欲しい
そこで生まれたのがFDD(フロッピーディスクドライブ)だったんだけど、これまた上手く生かせなかったという(買った人の意見w)。
セガサターンで18禁ソフトが発売される事に飛びついた、当時16歳の自分が懐かしい。
こういう特集の時に「日本で」って言葉が必ずついてきちゃうのがセガの性質をよく表してるよなあ…
@@tabibito4660
海外ではまあまあ売れるのに日本ではあまり売れないので「日本では」とついてしまう、という意図だったのですが…
この世代はソニーの戦略が見事にハマった、これが全て。ポリゴンとムービーに一特化してライト層を獲得。流通改革と開発の敷居の低さでソフトメーカーを獲得。任天堂は自前のROM工場という足枷に加えメガテクスチャ時代を読み切れずROMに拘り失敗、セガはライト層獲得の為のイメージ戦略の遅れをとった。
サターンは、高校生時代バイトできるようになって小中学生のころと違い財布事情を考慮せずに欲しいソフトを買えるようになったから一番思い出深いハードです。
街、サカつく大好きでした!!
サターンのソフト数は少ないけど、名作揃いのイメージです
当時、仕事とプライベート両面で壁にぶち当たっていた藤岡弘、氏がせがた三四郎のおかげで復活できた話すこ
2:42 元気に外で野球をしようとしている少年に、暴力でゲームで遊ぶことを強要するような内容は今なら大問題になりそうw
サターンはカートリッジスロットの接触の悪さが印象深いなぁ。
パワーメモリーのパワーの無さは異常。
それぞれのハードの中を覗くと、サターンは高性能な部品がギッシリ入ってたのに対し、PSは明らかに少ない部品点数で纏まっていた。という有名な特徴差の話がありますね。
そりゃ営業にしてみればサターンはお安いハードではないわな。
あと後々、エミュレータが作りづらいハードとしても結構話題になりましたね。それだけ仕様が複雑という事なんだろうけど...。
2CPUで開発の敷居が上がった話はPS3のCell問題にも通ずるものがありそう。
発売された94年のSFCのラインナップが強すぎる・・・。
拡張ラム使ったロード時間短縮は素晴らしかったからセーブ機能必要ないゲームは良かったが…メモリカード的なものが脆弱過ぎた
何故だろう。
まだまだ序盤、劇的なエピソードが紹介されたわけでもないのに、視聴していて目頭が熱くなってきました。
当時は『デイトナ』よりも『リッジ』、『バーチャファイター』よりも『鉄拳』を遊んでいました。
しかし、ハードとしての思い入れは圧倒的にサターンの方が強いし、初代PSはもう手放しましたが、サターンは今でも2台所有しています。
結果だけ見ればセガの完敗でしたが、『パンツァードラグーン』シリーズや『グランディア』等、今でも強く心に残っているゲームはサターンに多かったように思います。
中編・後編楽しみにしております。
同じです。
サターンが忘れられないのは、
たぶんスーファミの後継として受け入れやすい仕様だったからだと、今からすると思います。
CPUの速さとバリバリしたクリアなサウンドが、ファミコン→PCエンジンの時に感じた進化と同じ感じでした。
80年代ゲーム機の総括にしてスプライト型ゲームマシン最強の完成形。
その系統のアンカーだから現代マシンとの互換性がない。だから保存したくなる。
プレステは、スーファミとは連続しない完全なパラダイムシフトの産物。
ものによっては、まだまだスーファミの方が遊びやすいものもあり。
ナムコ製のゲームのクオリティが、不安に手を差し伸べてくれましたね。
でもハード自体はいまいち保存する魅力がない。
プレステ2が本来の形な気がしますし。
実機のドライブ感を感じるためのハード的な互換性は3までありますから。
友達の家で触りだけ遊ばせてもらった『ガーディアンヒーローズ』は忘れられません。ステ振り画面を思い出すだけでも胸が高鳴る。〖ファイナルファイト〗に、お前の好きにキャラ強くしていいぞ、とか絶対面白い。と少年時代ワクワクしてました。
確かにセガはバードを作って行くのは無理がありすぎたが、もしセガサターンなかったら『サクラ大戦』シリーズもなかったと思えると考えたらセガには感謝しない
時代がポリゴン一辺倒だったために煮え湯を飲まされた印象があるけど、カプコンの「ヴァンパイアハンター」のように素晴らしいクォリティの2Dゲームもあるのがセガ・サターン。
間違いなく、ゲーム史に残る名機だと思います。
セガを選んだものが普通の人生を送れると思うな!
セガサターンを代表するヒット作、グランディアとエネミーゼロの製作総指揮のお二方が、
セガがハード撤退してほどなくして若くして亡くなった・・・・
サターンの音はホントに良かった
「人の失敗談を笑いものにする動画ではありません」
ヌシ様のこう言った紳士的な配慮があるにも関わらず笑いが込み上げてしまう所にセガという企業の社風を感じる
当時サターン、PS共に買いましたが、アーケード作品が目当てだとかなり良ハードだと思いました。
2D作品の移植ではロード時間、キャラパターン数、多重背景の描画等、サターンの強みが出てて良作が多かったですね。
3D描写はPSの方が強いとは言え、当時のセガ作品(バーチャ、ファイティングバイパーズ、ラストブロンクス等)が遊べたのも良かったです。
敗因の一つに、相手が久夛良木氏だったってのも、間違いなくあると思う。PS初期の頃は、技術も戦略も凄かった。
PS3辺りで暴走したけど。
サターンは名作が多いイメージですが、こういう歴史背景もあるんですね・・・社内から売る気が無いんじゃそりゃ売れないわ・・・
もっと社内に意思疎通とポリゴンを取り入れてれば、任天堂にすらいいとこ行ったかもしれないですね・・・
なんにせよたらればを言っても仕方ないですが、今回も興味深い話が聞けて面白かったです!
サターンからドリームキャストの発売はたった4年間だったのか。相当濃くて面白い4年だったなあ。
開発期間を考えると発売後2年ぐらいでサターンには見切りをつけてたのかな?
@@tboB-rc8wi 自分は小6でしたけどトイストーリー、ジュラシックパークなどCG映像がもの凄い衝撃で世界でブームになっていたのにサターンをあんな仕様にした経営陣は本当にダメでしたね。SONYも任天堂も3Dに特化したハード作ってるのは業界関係者は分かってたのに。
サターンの開発に鈴木さんを巻き込めていたら、ハード事業とソフト事業の連携が取れていたら、海外戦力で足並みが揃っていたら・・・。
たらればで語るのは厳禁かもしれないけど、それだけセガはもったいないことをしている。その反省をドリームキャストでも生かせない。悪く言えば、まるで成長していない企業だったから、あの窮地が起こったんだろうなぁ・・・。
95年は家庭用ゲームソフト開発ラインがMD、GG、MCD、32X、SSとあったのでセガは五兎を追う者デス!!
そういえば日立製のHiサターンとかビクター製のVサターンとかもあったなあ
この頃のゲーム業界が一番光り輝いて見えた
中編後編で語られるでしょうが、ドリキャスを最後にハード撤退してソフトに専念するという事実上の敗北宣言がこの後起こるのですが皮肉なことにこの声明を受けてセガの株価は高騰しました。
何だろう、いまのハードよりもサターン発売当時のアーケードゲームの移植度がどれぐらいか想像しながらゲームを買っていた頃のほうがワクワクがすごかった気がしますね。バーチャファイターもたしかにアーケード版に比べて足りないんだけど、それすらも味というかすごく楽しんで遊んでいましたね。
セガサターンとドリームキャストは、ゲーム性を追求した結果だと思う。ドリームキャストの性能は持にアーケードにかなり迫った力の入れ要でナオミ基盤やGD-ROMを使って凄い事していたな…。
最後は一万を切る価格になってびっくりした。
懐かしい!せがた三四郎!あのCMから藤岡弘、様のファンになりました。😆😄😁
セガは当時の経営方針に、大きい矛盾があった。
当時の方針は、
1、セガ家庭用機の画像などは絶対にセガアーケードより優れてはいけない。
2、セガ家庭用機の画像など機能は、競争相手より優れる必要がある。
だから、SSの設計開発はとても縛られていた。
初めて購入したセガのハード、サターン
メガドラまでの本体とゲームのデザインをみて、セガは海外企業(アメリカ)の会社かと思っていた
ナイツ大好きだったな 近年原作者は逮捕されてしまったけれど
バーチャファイターも面白かったのに
ゲーセンのゲームの移植が多かったのも、特徴的。
R18のゲームの禁止が致命傷になった。もし、禁止しなかったら大人向けのゲーム機として君臨したと思う。
まぁそうなったらそうなったで、アスキー(当時)辺りを使って「サターンはエロゲハード」とネガキャン張っただろうけどね(´・ω・`)>ソニー
当時はPCエンジンの辺りから終わったハードはエロに手を出す。ってのあったから
R18は終わりの始まりだったんだよw
その後、一気にパソコン普及し始めるし、延命はキツかったと思う
ほんとせがた三四郎のCMは今の眼で見てもインパクト絶大だ
当時は藤岡弘さんだと最初気づかなかったwww
最も無茶だったのはCDドライブにSH-1 一個付けた。だから価格競争に負けない理由はなかった。
SEGA BBSでみたスペックやチップ解説に心踊ったなぁ 2Dから3Dの過渡期で技術進化だけでなく業界の変化を肌で感じ楽しい時代だった😢
PSよりも先に100万台突破したんだよなー。
PlayStation ブランドが注目されるなかで 元カプコンの岡本吉起さんの話だと周辺機器にはちょっと渋かったみたいね。 サターンだと4メガ対応したりしたけど。
当時はまさかSCEがなくなって、海外企業になるとは思いもしなかったなあ
あの丸っこいデザインを見るとつい「メガドラ兄さん…!」と呼びそうになる
『セガのゲームは世界いち』好きだったなぁ(遠い目)
サターンがプレステに負けた理由の一つはソフト流通手段、再版も早くコストも掛からないのは販売店側もメリットが多かった。
プレステが任天堂とセガに勝った理由の1番がこれ
1999年だったか・・・、アメリカでポケモンのアニメが放送されるというニュースで、子供がいる家庭に日本のTVがお邪魔したとき
余裕でTVにつなげられているメガドラがあったもの。
ガングリフォンの立体音響を初めて聴いた時の驚き。
セガ家庭用事業の最強の「敵」であり「足枷」は、長年セガの花形だったアーケード事業だったのでは、と思っています。次回以降語られると思いますが…
懐かしい!サクラ大戦やりたさに買った思い出があります。
確かにセガ以外のサターンゲーで買ったものは2Dばっかり。主にカプコンとSNK。それなりに楽しかったけど、時代を一歩先に進めたのはPSの方だよね。PSで出たバイオとか鉄拳とかGTとか今でも続いてるし、ソウルシリーズ前身のキングスフィールドもあの頃の作品。サターン時代のセガゲーで今でも続いてるシリーズは殆ど無いね。バーチャナンタラは全部消えた。たまにソニックが使われた全く別作品が出るぐらい。サードパーティーから見て想像を掻き立てられる様なハードウェア開発には先見の明がある圧倒的なリーダーが必要って事だな。最後はスティーブ・ジョブズに持って行かれてしまったのも納得できる。
スーパー32Xのくだりは以前しくじり先生でも紹介されていましたね。名物メガドラタワー
タワーを完成させるとACアダプタが3つも4つも必要になるといういかつさw
セガサターンはボタン電池じゃなかったらもうちょっとよかったのになとは思った
時がたって気が付いたのは、昔のゲーム機の思い出の多くがゲームハードメーカーの自社開発ゲームばかりであることに気が付く
サードパーティーソフトももちろん面白かったんですけど他でも遊べるから思い出が分散してるんだろうな。PSもいいゲームはたくさんあるのだけど思い出いっぱいなのは断然サターンですな。
94年に発表されたNotorious B.I.G. の名曲「JUICY」の中でsuper nintendo, sega genesisというフレーズが出てくるくらいには両者肩を並べていた模様
白いサターン、まだ現役ですw
実家にまだある
ゲーム機もやるんだ サターンに勝って欲しかったなぁ
サターンは絵がショボくてもゲーセンのゲームが遊べるってのが熱かった
オリジナルタイトルも面白かったしゲームは最高だったんだよなぁ
ただ、FF7 で完全に終わった。。。
あと、動画内の損益って言ってる箇所、損失の間違いかも?
日本市場を優先させて32xを中止するか
アメリカ市場を優先させ、サターンの発売を1年延ばして再設計したほうが良かったんですかね。
セガサターンの前にあったメガCDは…。
ドリキャスでもサターンのソフト出来たらよかったんだよ
個人的には初代PSよりサターンで遊んだゲームがずっと記憶に残ってるんですよね…不思議。
セガサターン、生まれる前のハードという事で世代では無いのでやった事が無いけれど、PXZ2にせがた三四郎が出た時はすごく笑ってしまった(バンナムブースなのにせがた三四郎登場、CM全て再現、特定のステージにおけるイベント)
SEGAはイエスBeepは聖書
久しぶりにゲーム機大戦みたくなった
せがたさんしろう流石に理不尽すぎ
サターンは拡張RAMが使えたから 格ゲー移植は強かった。
KOFは 本家ネオジオCDよりも ロードは早いしサターンの方が完成度高かったのでは?
初めてコメントします、いつも動画を楽しみにしています。
他の方の動画になりますが、「ゲーム機戦争」におけるセガのサターン惨敗の背景を、この動画で理解する事が出来ました。
そもそもセガのハード発売日が「SG-1000」でのファミコン丸被りから始まり、スーパー32Xとセガサターンの発売日もPS1付近で、様々な要因で敗れてしまっているところから「噛ませ犬」と言われていたりしますが、今回のスーパー32Xとサターンの関係性では、出すタイミングが悪過ぎたと思います。
日本では、メガドライブがスーファミに大敗したからサターンを出そうとしていたのに対して、米ではジェネシスの勢いがついていたのにサターンも発売……しかも機器を共通化してしまった事で、日本ではサターンの販売台数に影響が出てしまい、米でもジェネシスの勢いが弱まったどころか、サターンもPS1に抜かれてしまい、これが中編以降の話に大きな悪影響を残してしまったのは、セガにとってはやりきれない結果だったと思います。
ただ、ゲーム業界全体から見れば、3D化を加速させるきっかけにもなり、その風向きがセガに味方しなかった中でのセガの奮闘劇を楽しみにしています。
他のチャンネルで良くある、
FF7がPSで出たからサターンは負けた
みたいな内容でなくて良かったです
7:53 アセンブリ言語が知りたい人がいるかはしらんけど、
ドラクエのチーフプログラマーだった内藤さんが、
自身のRUclipsチャンネルでアセンブリを使ったプログラミング(主にDQ3)してるゾ^~
僕の人生を狂わせたハードそれがセガサターン。しかしそれはガイアが僕に与えた使命だった。
なぜ北米でのジェネシスのシェアを軽視して日本のシェアを獲りに行く戦略を取ったのかずっと疑問だったが、
アメリカ側に主導権を奪われてしまった最近のプレステを見て、なるほどなと思うようになった。
藤岡弘、は仮にも元仮面ライダーなんだから色んな意味で仕事選ばれなきゃw
CM今ならコンプラで一発KOだなww
久多良木さんアクが強いのよwww
この時代をリアルで知る世代はローガン入ってますから字幕拡大はありがたいw サターンは勿論、ドリキャスも湯川専務パッケージで買いましたが、ドリキャスはソフトは数本しか買わなかったなぁ…そうしてたらあれよあれよと消えたw
CD ROMやマルチCPUの話がありましたが、メガドライブが最初だと思いました。
営業がどうこうより社内の環境が酷い。売れるだけ査定が下がるとかそりゃやってられないでしょ。
PSで売れまくってる頃のスクウェアも社内の資金繰りが酷いって動画を以前見たし(ここだったかな?)
昔のゲーム会社は結構ガバガバだったみたいだね。
セガールとアンソニー やら 三四郎やら ユカワセンムやら CMはうまいのよねぇ
スーパー32XはDOOM専用機
いつもiPhoneで拝見してるので、字幕のサイズアップ嬉しいです!!
本当にせがた三四郎はめちゃくちゃだなぁ
ドリームキャストのコントローラーは重い
SEGAはもっと実力のある経営者がいたなら違う未来があったかもね。というか今思えばオーナーが金持ちだから必死になる感じはなかったのかもね。クリエイターにとってはいい場だったのかも。
FF7 がサターンから出ても
セーブデータが消えまくりで阿鼻叫喚だったやろな
グランディアとかシャイニングフォース3なんて
データが消えるからクリアできなかった
レトロゲーム好きだけど、サターンでやってみたいゲームが1本もないのでメジャーハードで唯一持ってない。
売れるのに勿体無かったな。ジェネシスをもっと引っ張ればよかったのに
初代のギルティギアはプレステじゃなくサターン(拡張RAM)で出してほしかった。
北米ではメガドライブとスーパー32Xの一体化のネプチューンを推していたけどね
サターンは大好きなハードだったんですが、セーブデータ関係が不安定でしたね。
ソフトもかなり癖が強いというか、「ファミコンの流れを汲む一般向けゲーム」の方向性はPSに取られてしまったという印象です。
いい作品も多かったんですけどねぇ…。
セガサターンの思い出のゲームと言ったらサクラ大戦とLUNA~ルナ~かな
ソフトの媒体のところは、CDROMというよりはCDドライブが高額だからだと思ってた
サクラ大戦のソフトだけ買って、本体は友だちに借りたっけな。
末期?にスケルトンモデルを買ったけど、結局あんまり使わず今は押し入れで眠ってる…。
発売前でしたが当時絶対ソニーが勝つと思っていました
でもセガサターンをすぐに買いました
最後は結局任天堂が勝つんでしょと思ってましたがコチラは外れましたね
結局この世代で買ったのはサターンだけでしたし凄い好きなハード❤
バーチャファイター2が売れたからね
AZELは間違いなく名作中の名作だったしダイナマイト刑事の大統領の娘はめちゃくちゃブスだった
アセンブラで開発とかヤバすぎだろ
同級生の口車に乗ってサターン買わされたなぁ..
奴はちゃっかりプレステ買ってやがったし笑
8:40 結局、鉄拳のほうがバーチャよりシリーズとして長生きしたというね(´・ω・`)
面白いゲームいっぱいあったのに、負けハードになったのは残念だ。
01:47 トライと失敗をもあざ笑うコンテンツ流行早く廃れて欲しい、量産型ずんだに多い
セガが弱かったんじゃない
ソニーが強すぎたんだ