【宮城弘明 ヤクルト】Y高こと横浜商高で2年夏県大会で横浜高愛甲猛に投げ勝ち甲子園出場。左肩の激痛に耐え投げるも準決勝で敗退。ドラフト3位でスワローズ入団。3年目に1軍デビューも故障で7年間で0勝、、
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- Опубликовано: 15 янв 2025
- 宮城弘明投手は、193cmの長身でジャンボと呼ばれていた。今でこそ190cm超えの選手はいるが当時は珍しくかなり大きいイメージがあった。
Y高こと横浜商高に入学し、2年夏の県大会では3-1と横浜高愛甲猛に投げ勝ち甲子園出場。空前のY高フィーバー、ジャンボフィーバーだった。
しかし左肩を痛めてしまい甲子園では準決勝まで進むも左肩は限界、、、石井毅、嶋田宗彦のバッテリーを擁する箕島高に惜敗。
1980年ドラフト会議でヤクルトに3位指名され入団。3年目に1軍デビュー18試合に投げるもそれがキャリアハイになり、その後は故障で登板数は激減し1987年0勝のまま戦力外に。
韓国球界ピングレ・イーグルスではすぐに主戦の先発投手になり5年間で30勝を挙げる。
通算成績
25試合 0勝3敗 7.17
韓国球界通算
119試合 30勝31敗 4.43
*宮城弘明* 投手と言えば *ジャンボ* 宮城と言われたように当時はでかいな~と思ったものです。 *ヤクルト* でも期待されていたが高校時代から故障に悩まされ開花しなっかたのは残念だ。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
お袋が浜っ子でY校の大ファンで宮城が甲子園に出たときは、本当に喜んでました。
愛甲との決勝戦はお互い二年生で、愛甲も予選でノーヒットノーランしたり、絶好調の学年だったけど、Y校戦は球が上ずっていたかな。宮城はプロで一勝も出来なかったけどホームランを一本打ってますね。
懐かしい選手です。
Y高、懐かしい😭ずいぶん甲子園に出てないですが。ブルーのユニフォーム、カッコいいですね。
こうみてると最近はY高スカイブルーが
甲子園で見れないのは残念です
夏の大会は久々に甲子園でスカイブルーを
みたいですね
この年代の神奈川県の高校三羽烏、横浜、愛甲、Y校、宮城、鶴見工、青木、青木は甲子園に出れなかったが、愛甲が入りたかった横浜大洋に入った
6:48ボール投げつけたのはセカンドのマルカーノ。センターはブリッグス
Y校と言えば三浦投手の世代です
スカイブルーユニカッコ良かったなぁ…
ヤクルトといえば、定岡さん世代の横浜高校永川英植投手、海星高校サッシーこと酒井投手、社会人の大物新日鉄室蘭の竹本投手、Y高の宮城投手が大成しなかったのは残念だった。
ジャンボ宮城憶えてます。でかかったなぁ
元同僚にこの宮城投手と練習試合で戦ったという人がいた(その人は宮城より一つ上)。ただでかいだけだろうと、そんな意味合いのヤジを飛ばしていたけど投げ始めたら滅茶苦茶早くて凄かったと言っていた。
ジャンボ宮城の入団時のドラフト1位が竹本由紀夫だったんですね。1位が竹本3位宮城なので残念だったとは後からは言えますが、当時としては大成功のドラフトだったでしょうね
引退前の1985年か1986年の週刊プロレスに「ヤクルト宮城、プロレス転向か!?」の記事があった
ジャンボ宮城投手はこの動画には出てきませんでしたが、甲子園大会準々決勝で巨人の岡崎選手がいた大分商業と対戦しました。私は大分県人なので、大分商業の応援をしていたのですが、あのでかい体で重そうな速球を投げ込み大分商業の前に立ちはだかった憎き相手。素晴らしい投手だった印象が残ってます。
プロでは今一つでしたが、甲子園では印象に残る投手の一人でした。
広島カープの大野投手も当時チームに在籍していた江夏投手のアドバイスで覚醒したと聞いたのでもしかしたらそういった出逢いがあれば違った野球人生歩んでいたのかもしれないですね🙄
やくみつるさんの漫画で壱岐と対馬を踏んで3歩で渡韓してました。
当時は駒田さんとか背の高い選手はでっかく描いてましたから
通算成績0勝3敗だそうですが打つ方で5打数3安打1本塁打だったそうな…野手転向の話とかなかったんでしょうか?
秋田工業の川辺投手を思い出しました。
Y校入学の夏横浜を破り甲子園に!私はバトン部マネージャーで裏方でしたが生涯忘れられない経験をいたしました。荒井君三浦君は一学年下です、Y校の輝く歴史を共に歩めて幸せです
今(2024)は猛暑の中、試合自体選手の体が心配でなりません
甲子園には行かれませんが伝統校で野球を続けた誇りを持ち続けて欲しいと思う 60歳です
Y高は商業高校の中でも偏差値が高いのでも有名です❗
右投げでしたが宮城さんの投球フォームは真似した思い出があります
故障さえなければ山本選手みたいな投手になったかも
同時期に所属した大川投手もお願いします
いまでは193cmは珍しくもないという意見もあるが、みんなスリムですよね。宮城さんみたいに胸板の厚みといい力士、プロレスラーみたいな選手はあまりいない。
ジャンボ宮城という名前で思い出しました。未完の大器と言われていましたね。
ただ大きいだけでなく球が速いので優勝を期待していた。
高校時代は将来性、愛甲よりも上、浪商の牛島、香川、山本よりも上、箕島の石井、嶋田よりも上と言っている解説者がいた。
宮城は高校時代は騒がれていました。しかしプロ入り後はあまり活躍出来ず引退しましたね!
54年夏神奈川決勝は、
ジャンボ宮城と愛甲・田代の対決だった。
横浜が挙げた1点はバントヒット。2階から投げ下ろすような速球だ。
昭和52年に東海大相模が宇学にボロ負けし、愛甲、宮城人気と実力が光った。
数年前にマルハンに務めていたが今いるのかな?
宮城の193cmは昭和54年の高校生にしたらデカすぎる。令和の高校生なら2m超のレベル
神奈川県高校野球の横浜ダービー。Y高こと横浜商業高校でプロに入ってから大成した選手は数少ないか。
当時の日本球界では長身のピッチャーはは大成しないというジンクスがありました😅
ジャイアント馬場さん然り…ですね。
選抜大会の2年続けての優勝投手がそうでしたね。
永川英植、酒井圭一、宮城弘明、と騒がれたヤクルトの高卒1位は・・・ 荒木大輔のときに、このジンクスを打ち破ってくれと祈ったものだ。