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5:09 訂正:すでに多くのコメントでご指摘を頂いてますが、動画内で説明した満州出身者たちの年齢の計算が大きく間違っておりました。1945年時点で20歳の方は、もう99歳か100歳ですね、、、間違った情報を垂れ流してしまい、大変申し訳ありませんでした。。・゜・(ノД`)・゜・。うわぁぁぁ〜ん! 算数きらぁ〜い!アマノは単純計算が大変苦手です。電卓を使っても、引き忘れ・足し忘れ・数字の打ち間違えなどで間違える事があります。学生時代は式だけ正解で計算を必ず間違えるため、全問部分点で赤点をギリギリ回避していました。だからマークシート方式だと0点です。
まだ営業中だった頃に、友人と泊まろうと話していた事を思い出しました。確か、当時は老夫婦が経営されていたと記憶しています。結局、泊まらなかったんですが、今から思えば泊まっておけば良かったなと感じます。内装も本当に満州にあったホテルを再現していた様で、そういった資金はどこから調達したのか、結構不思議なんですよね。根拠は無いですが、満州引き上げ者でその後、政治家、財界人になった大物が支援していたのかなと個人的に感じています。実は友人のお祖父さんは、戦時中、南満州鉄道に勤めていて、戦後は元々働いていた国鉄に戻った異色の経歴を持った方でした。もしかしたら、何らかの繋がりがあったのかなと思いました。
@@qoamb410 満鉄関係者の方が知り合いにいるんですか! お話聞いてみたいですねぇ、、、資金面をどうしていたのかは、私も非常に気になったところです。まぁやっぱり、誰かしら財を成した満鉄関係者からの支援があったと見るのが妥当ですよね
丁寧な返信ありがとうございます。ついつい調子に乗って話してしまいすみません。友人のお祖父さんは、20年以上昔に他界されていて詳細を聞くなどは、今は難しいです。すみません。小学生の頃に、その友人とお祖父さんとで電車に乗る際に、友人のお祖父さんが身分証を駅員さんに見せると、改札をそのまま通して下さった事を覚えています。南満州鉄道の社員であった話しを友人は聞いた事があると話していましたが、その他の事は聞いた事が無いとも話していました。記憶が曖昧ですが、その友人のお祖父さんは、いわゆる駅員という感じではなく、役人といった雰囲気で無駄な話しをしない、ちょっと怖い印象がある人物でした。対して友人は、よく喋る、快活な性格だったので不思議な印象として記憶しています。(笑)アマノ様の動画面白いので、観させて頂いております。長々とすみません。返信ありがとうございます。
昭和20年に20代の人は100才代です。幼児で80代です。10代なら90才代です。
亡父は一時、一家で奉天に住んでいたそうです。
こんばんは♪また、熱海で嬉しいです。ここは、満州に行かれた男性から、聞いた事ありました。ご説明の通り満州、満鉄関係者の為の慰労と弔いの意味で作ったと話されていました。だから、あの塔も満州に向けて作ったと。満州にいかれたかたの保養所みたいなものだったみたいです。でも、中国はあっちではないですよね。立地上しょうがないですが。通るたびに中国はこっちだっけ⁉️って思ってます。向きは違っても中国で亡くなった方に弔いのお気持ちがあったようです。今日もありがとうございました。次も楽しみに待ってます。
@@ひまわりひまわり-x6l 満州に行かれた方が、知り合いにいらっしゃるんですか! お話を聞いてみたいですねぇ、、、忠霊塔は満州に向いているんですか、、、実は、忠霊塔には入り口のようなものがあって、それは道とは反対側を向いているんです。もしかしたら、それが満州を向いているという事なのかもしれません
私の曽祖父にあたる人が満州鉄道に勤めていたと聞いた事があります。また、亡き伯母は満州で生まれたそうです。まさか伊豆に満州に関わるものがあったとは…勉強になりました。ありがとうございます😊
@@utatane-Towa ご家族に満州の方がいらっしゃるんですか!やっぱり満州から引き上げて来た方って、結構たくさんいるんですね
中々、終わり方がいいですね。次の動画が気になります。天野さん歴史が好きですか?
@@yohito07 ありがとうございます!歴史は結構好きですよ〜! まぁ、そこまで詳しいわけではないですけど、、、
とても興味深いですね。満州について色々当時の方やお子さん達へのインタビューで、詳細がわかる本、佐野眞一さんの著書「甘粕正彦 乱心の荒野ーコウの字はワードに無し」に、丁寧な取材で描かれています。もっと知りたいと思って当時の写真を検索したり、こういった建築物は多いですね。小澤征爾や赤塚不二夫、なかにし礼などの感性豊かな方達は少年期を満州で過ごしました。
@@marikokobayashi6540 情報ありがとうございます!今度読んでみます!
この週末熱海の実家に帰るので見に行けたらよいなあと思っております(^^♪
@@rynsaxophonebros8837 是非みに行ってみてください。良いところですよ〜
@ 先日帰った時に、洞窟のような気になる場所がありました。沼津の下の方なのですが。桂林寺、多比保育園の北東に森に囲まれた長細い洞窟なのかよよくわからないところがあったのです。是非見に行ってみてほしいなと思います。
@@rynsaxophonebros8837 多比の横穴ですか!あそこは石切場の跡ですよ。戦時中には空襲を避けられるという事で、軍事工場へ転用された事もあります多比近辺にはこのような穴がいくつもあるので、いずれ纏めて取り上げたいと思っています
震災後に伊豆の職場で、お父様が満鉄勤務だったとか、満州で生まれとかいう方々に時々お会いしました。お元気なのかなとふと思いましたが、あれから10数年…。長谷観音…イタリアみたいな明るい陽光しか覚えておらず残念です。
よく見つけてきますね!凄い!火葬場の後に建てたのかぁ〜。なんか色々と実に興味深い👍
@@富士の虎 初めてここを見つけた時は、もう本当に不思議な気持ちになりましたよえ? 満鉄!? えぇぇ!?!?って
奉天ヤマトホテルの建物を再現した建物。
一つ訂正すると満州は中国とは別の国であり歴史を有する皇朝国家っだったのですよ漢人は満州を蛮族国家といっていたんです。
配信ありがとうございます。昭和恐慌の時 満州へ行こう❗ 一旗あげよう❗ 豊かな土地 豊富な食べ物 をスローガンにして…夢を抱いた人たちですね。
@@染井佳乃-x4m ですね実際、満州は満鉄の膨大な資金で街もよく整備されていて、住みやすい所だったみたいですよ。最後は悲惨でしたが、実際に住んだ人たちからすると、たった20年間だけ存在した、幻の理想郷みたいな感じらしいです
時空旅人という雑誌の2018年7月号に明治日本鉄道紀行という特集がありました。満鉄に関する記事も掲載されていました。バックナンバーを見れたら参考になるかもしれません。
@@真寿美杉山 情報ありがとうございます!今度調べてみます!
また謎施設が明らかになりました👍墓地が廃墟化したのかと思ってました。ホテルがあったのは知りませんでした。近所のお婆さんが満州出身なので、今度会ったら知っているか聞いてみます。👋
@@user-take-3110 是非聴いてみてください! できれば彼女の満州にいた頃の話なんかも、聞くことができたら教えて欲しいです
5:09 訂正:すでに多くのコメントでご指摘を頂いてますが、動画内で説明した満州出身者たちの年齢の計算が大きく間違っておりました。
1945年時点で20歳の方は、もう99歳か100歳ですね、、、
間違った情報を垂れ流してしまい、大変申し訳ありませんでした。
。・゜・(ノД`)・゜・。うわぁぁぁ〜ん! 算数きらぁ〜い!
アマノは単純計算が大変苦手です。電卓を使っても、引き忘れ・足し忘れ・数字の打ち間違えなどで間違える事があります。
学生時代は式だけ正解で計算を必ず間違えるため、全問部分点で赤点をギリギリ回避していました。だからマークシート方式だと0点です。
まだ営業中だった頃に、友人と泊まろうと話していた事を思い出しました。確か、当時は老夫婦が経営されていたと記憶しています。結局、泊まらなかったんですが、今から思えば泊まっておけば良かったなと感じます。内装も本当に満州にあったホテルを再現していた様で、そういった資金はどこから調達したのか、結構不思議なんですよね。根拠は無いですが、満州引き上げ者でその後、政治家、財界人になった大物が支援していたのかなと個人的に感じています。実は友人のお祖父さんは、戦時中、南満州鉄道に勤めていて、戦後は元々働いていた国鉄に戻った異色の経歴を持った方でした。もしかしたら、何らかの繋がりがあったのかなと思いました。
@@qoamb410 満鉄関係者の方が知り合いにいるんですか! お話聞いてみたいですねぇ、、、
資金面をどうしていたのかは、私も非常に気になったところです。まぁやっぱり、誰かしら財を成した満鉄関係者からの支援があったと見るのが妥当ですよね
丁寧な返信ありがとうございます。ついつい調子に乗って話してしまいすみません。友人のお祖父さんは、20年以上昔に他界されていて詳細を聞くなどは、今は難しいです。すみません。小学生の頃に、その友人とお祖父さんとで電車に乗る際に、友人のお祖父さんが身分証を駅員さんに見せると、改札をそのまま通して下さった事を覚えています。南満州鉄道の社員であった話しを友人は聞いた事があると話していましたが、その他の事は聞いた事が無いとも話していました。記憶が曖昧ですが、その友人のお祖父さんは、いわゆる駅員という感じではなく、役人といった雰囲気で無駄な話しをしない、ちょっと怖い印象がある人物でした。対して友人は、よく喋る、快活な性格だったので不思議な印象として記憶しています。(笑)アマノ様の動画面白いので、観させて頂いております。長々とすみません。返信ありがとうございます。
昭和20年に20代の人は100才代です。幼児で80代です。10代なら90才代です。
亡父は一時、一家で奉天に住んでいたそうです。
こんばんは♪
また、熱海で嬉しいです。
ここは、満州に行かれた男性から、聞いた事ありました。
ご説明の通り満州、満鉄関係者の為の慰労と弔いの意味で作ったと話されていました。
だから、あの塔も満州に向けて作ったと。
満州にいかれたかたの保養所みたいなものだったみたいです。
でも、中国はあっちではないですよね。立地上しょうがないですが。
通るたびに中国はこっちだっけ⁉️って思ってます。
向きは違っても中国で亡くなった方に弔いのお気持ちがあったようです。
今日もありがとうございました。
次も楽しみに待ってます。
@@ひまわりひまわり-x6l 満州に行かれた方が、知り合いにいらっしゃるんですか! お話を聞いてみたいですねぇ、、、
忠霊塔は満州に向いているんですか、、、
実は、忠霊塔には入り口のようなものがあって、それは道とは反対側を向いているんです。もしかしたら、それが満州を向いているという事なのかもしれません
私の曽祖父にあたる人が満州鉄道に勤めていたと聞いた事があります。また、亡き伯母は満州で生まれたそうです。まさか伊豆に満州に関わるものがあったとは…勉強になりました。ありがとうございます😊
@@utatane-Towa ご家族に満州の方がいらっしゃるんですか!
やっぱり満州から引き上げて来た方って、結構たくさんいるんですね
中々、終わり方がいいですね。
次の動画が気になります。
天野さん歴史が好きですか?
@@yohito07 ありがとうございます!
歴史は結構好きですよ〜! まぁ、そこまで詳しいわけではないですけど、、、
とても興味深いですね。
満州について色々当時の方やお子さん達へのインタビューで、詳細がわかる本、佐野眞一さんの著書「甘粕正彦 乱心の荒野ーコウの字はワードに無し」
に、丁寧な取材で描かれています。
もっと知りたいと思って当時の写真を検索したり、こういった建築物は多いですね。
小澤征爾や赤塚不二夫、なかにし礼などの感性豊かな方達は少年期を満州で過ごしました。
@@marikokobayashi6540 情報ありがとうございます!
今度読んでみます!
この週末熱海の実家に帰るので見に行けたらよいなあと思っております(^^♪
@@rynsaxophonebros8837 是非みに行ってみてください。良いところですよ〜
@ 先日帰った時に、洞窟のような気になる場所がありました。沼津の下の方なのですが。桂林寺、多比保育園の北東に森に囲まれた長細い洞窟なのかよよくわからないところがあったのです。是非見に行ってみてほしいなと思います。
@@rynsaxophonebros8837 多比の横穴ですか!
あそこは石切場の跡ですよ。戦時中には空襲を避けられるという事で、軍事工場へ転用された事もあります
多比近辺にはこのような穴がいくつもあるので、いずれ纏めて取り上げたいと思っています
震災後に伊豆の職場で、お父様が満鉄勤務だったとか、満州で生まれとかいう方々に時々お会いしました。お元気なのかなとふと思いましたが、あれから10数年…。長谷観音…イタリアみたいな明るい陽光しか覚えておらず残念です。
よく見つけてきますね!凄い!火葬場の後に建てたのかぁ〜。なんか色々と実に興味深い👍
@@富士の虎 初めてここを見つけた時は、もう本当に不思議な気持ちになりましたよ
え? 満鉄!? えぇぇ!?!?って
奉天ヤマトホテルの建物を再現した建物。
一つ訂正すると満州は中国とは別の国であり歴史を有する皇朝国家っだったのですよ
漢人は満州を蛮族国家といっていたんです。
配信ありがとうございます。昭和恐慌の時 満州へ行こう❗ 一旗あげよう❗ 豊かな土地 豊富な食べ物 をスローガンにして…夢を抱いた人たちですね。
@@染井佳乃-x4m ですね
実際、満州は満鉄の膨大な資金で街もよく整備されていて、住みやすい所だったみたいですよ。最後は悲惨でしたが、実際に住んだ人たちからすると、たった20年間だけ存在した、幻の理想郷みたいな感じらしいです
時空旅人という雑誌の2018年7月号に明治日本鉄道紀行という特集がありました。満鉄に関する記事も掲載されていました。バックナンバーを見れたら参考になるかもしれません。
@@真寿美杉山 情報ありがとうございます!
今度調べてみます!
また謎施設が明らかになりました👍
墓地が廃墟化したのかと思ってました。ホテルがあったのは知りませんでした。近所のお婆さんが満州出身なので、今度会ったら知っているか聞いてみます。👋
@@user-take-3110 是非聴いてみてください! できれば彼女の満州にいた頃の話なんかも、聞くことができたら教えて欲しいです