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京都土産で有名な八ッ橋は、余ったコメを有効活用する目的で考案された商品だと聞いたことがあります。
所得の(公平な)把握って結構難しくて、アムステルダムも間口税のために「ウナギの寝床」型の家になったといいますから商人への課税は江戸時代だけじゃなくて古今東西の課題だったと思います。
このチャンネル本当に勉強になります。学生時代は暗記優先でテスト終了同時に忘れてしまって、皆さんがおっしゃる田沼意次でさえ「そう言えば習ったな」ぐらいの記憶しか😫自分の国の歴史なのでもう一度きちんと勉強しなくてはと痛感しました。
よく「そんな昔のことを覚えて今の役に立つのか?」と、歴史を軽視される方がいらっしゃいますが、この日本という国、いや、全世界は、私たちだけの世代で終わらせる訳にはいかないのです❗今後も私たちの子や孫、ひ孫とずっと続いてゆくためにには、過去の成功や失敗を学んで、それを未来の子孫たちに伝えてゆくために 歴史を勉強していく使命があるのだと思います❗
そんなことより子作りしようぜ
とても楽しめました。色々な歴史解説動画は、政治歴史の話が中心ですが、経済の視点から歴史を見るのは学校の歴史教科には書いてない内容の楽しい切り口です。この視点で田沼意次〜松平定信の話を経済の視点で解説していただきたいです。また、江戸の庶民文化の話も楽しいので、よろしくお願いします。
現在の各国の政府だって租税回避を繰り返す企業から税を取りたてるのに苦労してるのに、商人相手の税の取り立てがそう簡単に行くわけないんだよな
なぜ給料が米だったのか → 「米本位制は、期限付きクーポン券。」給料を米で払うことで、貯蓄しないで遣うから、治めているその地域にお金が回る。だから江戸時代は、世界でもGDP5位だった。と、経済学者が説明しているのを聞いたことがあります。
そもそも米って流通するお金になったのかって疑問があるけどね
米は食べるだけでなく酒の原料でもあり、生産過程で大量に使うため米価調整の一環として酒造免許の交付で米消費を増やす+米一石あたりいくらと言った具合で酒蔵から税を取っていたらしいです。
酒米はまずい。精米歩合も違う
いつも勉強になります。ところで、ゆっくり解説系動画を色々と観るのですが、貴方の動画は誤字、間違った言い回し、読み上げ文字のミスが一番少なくて素晴らしいです。細やかな編集が伺えます。ありがとうございます。
税とはその国の歴史と同じ。名言ですねー
内容は大変わかり易くいつも楽しく見せて頂いてます!これからも頑張ってください!
信長や秀吉の時代は商人から直接税を取っていたし、それが経済力の基盤、すなわち強大な武力になっていたはず。しかし徳川幕府はなぜか商人に対する合理的な課税をしておらず、大商人に対してのみ運上金とか冥加金とか根拠不明の課税をするのみ。秀吉の米本位制を取り入れながらなんでそんな事になっていたのか、なかなか腑に落ちる資料がないですね。ちゃんと商業に課税していれば経済発展と共に武士も豊かになれていたのに・・・。
江戸時代の武士の基礎教養の問題じゃないのかなと思ってます。江戸時代の武士の基礎教養は幕末に至るまで基本的には四書五経がベースで、儒教が中心の教育。儒教では物を生産せず右から左に動かしているだけで利益を得ている「商」の扱いは一段低く、やはり生産者である「農」の扱いが高い。だから武士はお金を「お足」と言って一種汚らわしいものとして扱ってた。これでは経済マインドのある武士は育たなかったと思われます。信長と秀吉は出生地が尾張という商業先進地帯で、熱田や津島といった商業地も近くにあったから商業マインドが自然と育ったのと、戦国時代という特殊状況だったから、倫理より商人に課税して戦争に勝つための方法が優先されたんでしょうね。
abbtk14 商人の課税できていたら、幕府も緩やかに衰微に向かわず、享保の改革よりも尾張の宗春が成功していましたね。自分は宗春の政策推しだったので、悔やまれます。
@@小松三郎尚隆 前の動画で宗春は商人の経済振興をやったけど、そこから税金を取れなかったので尾張の財政は結局赤字が膨らむ一方になり、そこを吉宗に付け込まれて引退させられたとか言ってなかったっけ?
代わりに袖の下を取っていたからですね。幕府に入るものを、代わりに重臣たちがちゃっかりいただいていたということです。
藩をお金持ちにさせないようにしていたからでしょう。幕府の害にならなければ、それでよいのです。
田沼意次が失脚しなかったら、商人への課税が実行され日本は重商主義へと転換したかもしれないけど、そうなったらそれで幕府の崩壊は早まったかもしれない。そもそも当時の幕閣で、田沼意次以外に経済を理解していた人物がいたとは思えないし。それと享保の改革をやるなら、是非とも元文の貨幣改鋳は取り上げてほしいですね。
荻原重秀大先生を忘れちゃいけません。
貨幣改鋳自体を一つにまとめてやって欲しいです
お米食べてね😁稲作農家より😁
次の動画も楽しみです!
お米の話題というと、昭和の頃は年間生産量が1300万トン、今は800万トン。昔のニュース報道というとこの時期は豊作、不作の報道が盛んでしたが、最近は聞かなくなりました。また食文化の変化と炭水化物の過剰摂取などで特に若者の間で米に対する風当たりが強いですね。政府も後継者不足などから、減反政策を変更して、海外から外国人を特定技能として公式に労働者を受け入れる様になりました。米先物をやろうとか聞くと正直、驚きます。僅か40年位でもこんなに変わってきている訳だから、江戸時代は大変だったのでしょう。
後継者不足への対策なんて口実で明治初年からの自然村破壊政策の仕上げでしょ外人奴隷と集約化でプランテーションの出来上がり
そういや今ってコメの先物やってないのかまあそりゃそうだよないくら米を食わなくなったといっても下手に主食が暴騰すれば生死につながるんだし
結局正確な検知をしたのは秀吉だけで江戸時代はそれを利用して再検知はしなかったんだよな
皆さんご指摘されてますが、田沼とりあげて欲しいですね江戸時代に生まれて近代政策をやろうとする天才ですからね今はやりのアニメ風に言うと「ハーバードでMBAとった俺が老中に転生しちゃいました」ってな感じですか(笑)
古来からの物納を踏襲してそれしか知らなかったのではない中世に銭納が行われていたけどそれに使われている輸入銭が入ってこなくなり米納に移行していった室町幕府も都市の生産者への課税をやっていた
武士自体が元来は土地に根差した階級だから、米本位制にこだわり、雁字搦めになったのも頷けますね。貫高制自体を賄うだけの貨幣を日本は鋳造・流通ができなかったことから、米本位制にある意味退行せざるを得なかった面もあるのでしょうが。日本も明・清(中国)のように、大量に銀やそれに類する貴金属が流入していたら、あるいは米本位制から脱却できていたんでしょうか?今回もとても分かりやすい解説動画でした。ありがとうございました。(^^)話変わりますが、動画内部で使われていた漢字に間違いがありましたので、以下の通り、指摘します 。「地型知行制」⇒「地方知行制」「実態経済」⇒「実体経済」
語り口が真面目なせいか霊夢さんの顔が他の動画よりキリッとして見える
近い将来商品を手にとってそのままお店から出ることで「支払い」が済むようになるだろうし。お金の仲介をイメージしなくなることで、収入が物やサービスを直接得る意識が強くなるかもね。庶民の生活の中でのお金や価値がまた変わっていくのかもね。
食料支給にもそれなりのメリットがあるけどね。1年分の食料そのものの金額と1年分の食料を購入出来る金額なら店から買う分後者の方が金額が上がるからね。払う側から見たら食料の方が良いでしょう。武士、つまり武力の食を握っているという形も重要じゃないかな?逆らったら飢えるんですから謀反への抑止力の効果もあったんじゃないかと思います。
幕府・大名による領地支配が、生産者から直接生産物を収奪することにより権力機構を保持する農本思想に基づくものだった。それが、社会全体が貨幣経済に変化していく中で、実情に合わなくなって行ったということか。
労働基準法第24条において、(1)通貨で、(2)直接労働者に、(3)全額を、(4)毎月1回以上、(5)一定の期日を定めて支払わなければならないと規定されています(賃金支払の五原則)。
武士社会、というか中世日本経済の基本にメスを入れたこの動画、高評価👍👍👍。
茶々入れるようですが、江戸時代は「近世」という時代区分になるかと。
@@五十嵐真一-h6v 失礼しました(笑)。
この話を聞いてると最近言われてるMMTの話が思い浮かぶな通貨の価値とは国が税金を納める手段としてそれを指定してるから成立してるってやつだから納税手段は米が中心になってて、それ以外の納税手段がオマケみたいなものだった江戸時代じゃ小判や大判の価値が安定しないのも当然だと思う
江戸時代は学者が理想論振り回して実体経済に則した政策が出来なかった時代だったと思う。朱子学のせいってのもあるけど、まともに経済への政策が出来たのは吉宗と田沼くらいじゃないか?
吉宗というより大岡越前じゃないか?
武士が金勘定に関わること自体がタブーな時代だったからしゃーないそれでどうやって経済政策打てというんか
「せみしぐれ」思い出す。
唯一無二で生産出来る農産物だからね。函館市何かは北海道特有の産物を飽きなって年貢にしてたりしてたようで、
0:35 西田敏行主演の大河では「八木将軍」とも隠語で解説が有りました。
大阪で先物取引が導入されたのもカネじゃなくてコメだったそうだし、いかに大きな存在だったか想像出来るわ
田沼意次も取り上げてほしいです
一方、室町幕府は商人から金を巻き上げた結果、徳政一揆パラダイスになった模様
秀吉さんが点観点なのね。
お早う御座います☺️話は、米=税とは、違いますが、 伊勢神宮式年遷宮が20年ごとに行われる理由が、米の備蓄期間、式年遷宮の費用=備蓄米とも言われています。米の価値、歴史が有りますよね。
江戸時代も中期になると新田開発で石高は上がっていってたんですよね?伊達藩とかは2倍以上でしたっけ?それでも当初決められた石高で徴税してたのなら確かにどこかにお米はあるはずですよね。分からんおなしゃす🙇♂️
あるいは商人が蓄えた(現代に置き換えて言えば、資本の蓄積)かと。
電子マネーの完全な普及はかなり掛かりそうだな。うちらが生きている時代には出来ないかもしれない。最初はSuicaやEdyで決まりかと思われたが、ここに来てPayPayや楽天PayなどのQR決済が主流になって来ている企画の乱立と様々な問題点の指摘は、パソコンのメディアがフロッピーからCDへと移り変わった頃と似ているんだよあの時は最も使えないメディアだったCDがいつの間にか次世代メディアの座に収まったが、電子マネー
電子マネーが公共インフラとしての統一規格がないとな。健全な市場競争なんて言って民間の中抜き業者どもの独自規格が乱立している状況を許してるうちは無理。事業者が中抜き業者に永続的に手数料を搾取されるシステムなんだから。
発展している経済規模に対応しようとせず、固定観念に縛られて古い価値観に固執する上層部って現代の話みたい。経済と米の話、もっと聞きたいです。
武士がどんどん貧乏になっていたなかで最後まで政治の実権を失わなかったのは結局軍事力を独占してたからだよなあやっぱりむき出しの力に勝るものは存在しないわ
お百姓さんが米を食べられなかったとは思えないって本が昔売ってた気がするヨ。色々加工された分も有るけれど、何だかんだでお百姓さんも自家製のどぶろくを飲んでたし、結構お米も食べてたとしか思えないなぁ。食べないのに唯作る人なんて居るだろうか?商人の税金が安かったのは、借金で武士階級が商人に頭が上がらなく為ってたのと、賄賂をタップリ貰ってた上級武士が商人の言うままに為ってたってのも有ると思いますね。今は、天下り先の企業の為に税金から其の他色々な便宜を図ってる事からも、昔も同じ様なモノだったと言う事だと思いますよ。
家康は農業主体の三河出身かつ、朱子学の米は貴重、商売は卑しいの考えを幕藩体制に取り入れ、基本的な理念とした。だから吉宗も松平定信も水野も農業主体の改革を行っている、
つまりは、江戸時代って、金本位制でも銀本位制でもなく、米本位制ってこと?
「米本位」とはそういうことです。貨幣が意識されるようになったのは幕末です。小栗忠順あたりからかな?その時点では、逆に、欧州よりも部分的に発展した貨幣経済を実現してたりします。
米本位制というのは大きな誤解です日本はそもそも国内で貨幣を統一できてなかった/しなかったというだけです
今、NHKラジオで「将来米不足になるんじゃないか?」ってやっとるな
凄くためになります。しかしやっていてわかるのですが生声って結構大変ですよね。声優のすごさに驚かされます。
北条早雲の小田原入は大地震の直後。その辺調べて、お願い。
早くクレッドスティックで取引ができる世界来ないかな〜
米以外で有名な物では薩摩藩の屋久杉、銘木として商品価値があったので年貢として納めていたんだね〜
米の話と言うより江戸時代の経済と言うお話ですね。表石高があれば裏石高と言うか実際の石高があって、伊達領は秀吉の検地を受けていないので、実際は100万石を超えたとか。真田の上田領も検地を受けていなかったので、実際は表石高より多くて、貯金が出来たとか。そんな話は幾つかありますね。
家康は地方豪族のメンタルのまま天下取っちゃったってイメージがあるな。信長やその意志を継いだ秀吉と違って世界の中の日本と言う考えが出来ず家中統制しか考えてないって感じがする。
でも、それが結果的には徳川幕府の265年にわたる長期政権と、それがもたらした日本国内の平和、民衆の経済的な発展、さらには草の根レベルまで拡がった寺子屋等の教育など、のちの幕末の開国や欧米列強の軍事力や技術力の差を実感できるだけの素養が日本人の上から下までの階層の人びとに根付いて、やがて明治の大変革に繋がってゆくことになったので、それはそれで良かったことだと思われます。
五十嵐真一 それがもっと早く来たんだよ。残念ながら江戸時代が長すぎたせいで、未だに日本は欧米の後進国でしかないし、本当の実力を中国にも負け始めてる。
司馬遼太郎も似たようなことを指摘してましたね。家康自身はほとんどの戦で勝利または引き分けた名将であり、また政治家としても他国との貿易を徳川将軍家のみが独占管理するなどして、徳川家が絶対的でいられる体制作りにおいては成功者ではある一方、近代化や産業革命などの面で欧米に遅れをとり、かつ戦時中の軍国主義時代に見られるように日本人が政府の権威に対して一方的に従順な国民性になった原因を作った元凶であると。余談ですが、自分の高校時代の世界史の教師は、まるで明治時代からタイムスリップしてきたような頑固一徹な人で、せっかく日本町などが東南アジアに出来て日本が世界に飛躍する拠点になりえたのに、鎖国政策などしてそれを放棄し自国に引きこもるなんて全くけしからんとか、そのせいで欧米の帝国主義に遅れをとったのに日本人は分かっとらんとかしょっちゅう言ってましたね。
でも当時の世界はどこも国家とは家に属するもの(家政国家)という意識が普通だったので家康が特別異常だったとは言えないでしょう。ヨーロッパでは主権国家という概念すらなかったわけですし。ウェストファリア条約は1648年(家光の晩年)だから西洋と比べても遅れていたわけでもないです。また家康がよく保守的と言われますが中世以来の朝廷や寺院を政権中枢に取り込んだという政治体制を継承したかと言えば家康はそうではなくむしろそういう意味では信長・秀吉のほうが保守的と言え(平氏政権・鎌倉幕府・室町幕府も公家が政権の中枢に関わり続けた)、禁中並公家諸法度を制定し朝廷・公家勢力を政界から排除し100%純粋武家政権を樹立した家康は日本の歴史上最も革新的な政権を樹立したとも言えましょう。鎖国政策という点で言えば家康はむしろ朱印船貿易などを行うなど対外政策には積極的でした。(家康に西洋趣味があったのは有名な話です)無論キリスト教に対しては家康時代から厳しい態度であったのは事実です。いわゆる鎖国政策を積極的に推進したのは三代家光の時代です。
大体40年前、まだ世の中は米を買うのに米穀通帳を使う正式な米屋から米を買わないといけない仕組みが残ってました、それ以外で買うとヤミ米という事になってました。米が倉庫に余る問題が発生、国会議論になってた気がします。という事でその時代は現金主義で銀行振り込みはあってもあまり有難がらなかった、話は江戸時代ですが割と遅くまでまでそんな状況でした。
籾のまま俵に入れて保存するなら数年は普通に保存できるよ籾殻を剥いてしまうと米が死ぬから保存が効かない
私の叔父は建設業の社長だったが,給与はすべて現金払いだった(当時平成時代).私の母もそうだが,田舎の年寄りは今でも現金払いを良しとする風習があるように思う.っていうか,電子払いだのITだの,そういうものを全く理解してないのだ.銀行のATMすら全く理解してない.だから日本はIT後進国なのだ.私としては電子決済の方が安全確実で得だと思うのだが・・・
豊作=好景気、飢饉=不景気、大昔から公務員は強かった?稲作に不向きな地域に対して米売ってもっと栄養価の高い物を買っていたのでは?多分、中抜きで損してそうですが…
米はうまい😋
米は力だ!
商業は第三次産業では?
・・・今でも現金支給です・・・ウチの会社の給料・・・
法律上 現金の手渡しが原則です。振り込みの手数料は会社側が負担する義務があるので、古い体質の会社や小さな会社などでは現金支給はよくあることです。
まだ結構残ってますよね、お給料現ナマ手渡しの会社。でも現ナマ手渡されたら私も苦笑いしちゃいます(笑)
現金手渡しなんて、学生時代のバイトくらいしかなかったな。夏休みに13万貰ってドキドキしてたw
江戸時代の経済の根幹は、米ですか?士農工商の身分で、何故米なのかな?
蔵米、じゃなくて蔵前ですよね・・・?
そうでした、ご指摘ありがとうございました
銭は鉄もあったわけだがその辺りはどうだったのだろう?
もし江戸幕府が商人に税をかけていたら結構長く続いていたかも知れない
下手に税金を掛けて商人の力を抑えると、資本主義に移行しずらくなって黒船以降植民地(または租借地)にされていた可能性もある
店賃という形で税を取っていたから、商人は税がすくなくて楽だったというわけでもないとおもうけどね。儲かってると大名から金を貸せとせびられてたという話もあるし、貸さないと幕府に睨まれ店をつぶされることもある。無論、金は帰ってこないわけだが。まあ、大名も飢饉や災害のための緊急財政出動が借金の原因だったといれてるし、あと、インフラ、治水とかに投資してたりと、流通の活性にもつながるから商人と大名は持ちつ持たれつだったみたいよ。
薩長が力をつけてたのは、色々な事情で真っ先に経済破綻し、何かしらの方法で米以外の収入を得た居たことが大きい。薩摩なんかは悪役になりがちな調所広郷が都市開発とかまで上手くやってるし。江戸幕府が何かしてたら歴史は大きく変わったのは間違いない。ただ、田沼意次の経済観を理解できなかったのが大きいよね。結局質素倹約という本質じゃないやり方に回帰してるしこの辺は今の日本の経済政策も笑えない‥
札差=税理士・会計士みたいなもんかな、当時の感覚としては。
ちょつと違うコメントになるけど給料が銀行振込なのは特例で、本来は現金支給が基本なんやで。詳しくはググってや。
そもそも振り込みって現金支給だよね。
@@w.bavasi8958 ちょっと舌足らずでしたね。労働基準法第24条には「賃金支払の5原則」というのがありまして特に「通貨で支払う」「直接労働者に支払う」というのがポイントになります。銀行振込の場合、第三者ですし、厳密に言うと通貨(現金)でなくデータの移行です。民間銀行は日銀を利用しているので、最小限の現金しか保有してません。銀行強盗も怖いですし・・・。銀行振込が当たり前になったきっかけは、3億円事件です。ただ、本人の了解が必要なので、バイト先や入社した時点で、本人名義の口座への振り込みの同意書などを書いてるはずですよ。
カリアゲ金?
後半、現金不要論の話が出てきたけど、実は現在社会で「現金」というものは殆ど流通してないし取引の主流ではない。実社会での取引は通帳上の「数字」という実体のないものによって行われてる。これは普通に生活してれば分かる話だと思うけど、給料にしろ通信費や光熱費にしろ、その振り込みや支払いを直接現金で行ってる人は殆どいないと思う。
膜末にやって来たお抱え外人たちもなぜ商人達にもっと課税しないのか不思議がっていたそうだね。
電子決済は電源喪失だとアウト?あと雷にも、あ、カード式ならいいか。
主食であるから大切なのは勿論だけど、そもそも日本神話でも天孫降臨の時に稲穂もってくる位だから固執もするよな。
「日持ちしない」 うんうん 金銀と比べている話なんで正しいのですが・・・どうしても「日持ちしない」と言う言葉に含まれる感覚・・・生鮮食料品を相手にする感覚が拭えず違和感を感じます。(籾で常温保存なら3年は大丈夫、多くの葉物野菜に比べると圧倒的に長期保存が出来る)(ちなみに私の預貯金は一年で4回転する。3ヶ月持つお金で十分・・・寂しいけど)
一年前か^^;なぜ米に執着したのか、もっと儒教の影響に触れた方が良いように思いましたが、今更ですねw
江戸時代とは別だけど、平安貴族が荘園で私服を肥やしていたら朝廷の財政が逼迫したらしいけど、荘園領主に税をかければよかったように思える。まあ朝廷の幹部と荘園領主は同じ人だからやらないだろうけど…
稲作は、大陸由来ではなく日本が発祥の可能性があります。ruclips.net/video/Y2qTeK3b4Ms/видео.html
魏志倭人伝のくだりで邪馬台国邪馬台国の記録は2世紀末倭国大乱を思わせるくだりから239年景初3年、247年正始8年が基本なので4世紀ではないと思います。誰か指摘してるかもしれませんが・・、念のため失礼だと思いつつ指摘いたしました。
お米食べろ
ごめん 炭水化物抜きダイエット中なんだわ‥
同じく筋トレ中で…食いたいんだけどねぇ…
気持ちはわからんまでも無いが強要するのと命令口調は同意しかねる!!(# ゚Д゚)何様の積もりだ!!!
@@ながひろ佐世保艦隊司令長 ネタだ。察しろ。いやまてよ・・ネタをたしなめるネタなのか? いやしかし・・・w
@@yukimaruhdog 米をもりもり食べてダーティバルクしようぜ
給与を振り込みではなく現金支給にこだわっていたのは私です。私の課では私を含め、最後まで3人が残りました。そしてヒトラーと呼ばれた超パワハラ課長から給料日に袋入りの現金を受け取っていました。ある給料日、いつまで経っても手交されないので、3人で顔を見合わせましたが、なんかひと言あるのではないかと誰も言い出せず、退社時間が迫ってきました。この給料ドロボーめが・・・というのも想定されたのです。しかし手ぶらで帰宅も出来ず、とうとう私があの~と切り出すと、あ、忘れとったワで貰えました。最後に給与担当部門からカンベンしてくれと泣きつかれて3人はそれに従いました。
「俺」が気になります…
商人(商業活動、商取引)への課税で…米經濟よりも多額の歳入を得られる樣に為ると、案外と使い方への試行錯誤を怠り…重税化の道驀地で、室町幕府より酷い亂脈政治に陥る可能性も大きそう。人間、樂な方にしか寄って行かないからぬ
やTM
実体件と汚い話・・・男であれ女であれ人が人を振り向かそうと思えば現金でしか人は見向きもしないョ😏そして本質として人は金でしか付いて来ない😏
白い文字は何?字幕の意味は?白文字でコメント入れるぐらいなら本編を考えた方が良いと思います。見るの途中で止めました。主さんがPC限定で配信されてるなら申しわけありません。
補足するスタイル私は嫌いじゃない。もう少し長めに表示してほしいですけど(読むのが追いつかない)。
京都土産で有名な八ッ橋は、余ったコメを有効活用する目的で考案された商品だと聞いたことがあります。
所得の(公平な)把握って結構難しくて、アムステルダムも間口税のために「ウナギの寝床」型の家になったといいますから商人への課税は江戸時代だけじゃなくて古今東西の課題だったと思います。
このチャンネル本当に勉強になります。
学生時代は暗記優先でテスト終了同時に忘れてしまって、皆さんがおっしゃる田沼意次でさえ「そう言えば習ったな」ぐらいの記憶しか😫
自分の国の歴史なのでもう一度きちんと勉強しなくてはと痛感しました。
よく「そんな昔のことを覚えて今の役に立つのか?」と、歴史を軽視される方がいらっしゃいますが、この日本という国、いや、全世界は、私たちだけの世代で終わらせる訳にはいかないのです❗
今後も私たちの子や孫、ひ孫とずっと続いてゆくためにには、過去の成功や失敗を学んで、それを未来の子孫たちに伝えてゆくために 歴史を勉強していく使命があるのだと思います❗
そんなことより子作りしようぜ
とても楽しめました。
色々な歴史解説動画は、政治歴史の話が中心ですが、経済の視点から歴史を見るのは
学校の歴史教科には書いてない内容の楽しい切り口です。
この視点で田沼意次〜松平定信の話を経済の視点で解説していただきたいです。
また、江戸の庶民文化の話も楽しいので、よろしくお願いします。
現在の各国の政府だって租税回避を繰り返す企業から税を取りたてるのに苦労してるのに、商人相手の税の取り立てがそう簡単に行くわけないんだよな
なぜ給料が米だったのか → 「米本位制は、期限付きクーポン券。」
給料を米で払うことで、貯蓄しないで遣うから、治めているその地域にお金が回る。
だから江戸時代は、世界でもGDP5位だった。
と、経済学者が説明しているのを聞いたことがあります。
そもそも米って流通するお金になったのかって疑問があるけどね
米は食べるだけでなく酒の原料でもあり、生産過程で大量に使うため米価調整の一環として酒造免許の交付で米消費を増やす+米一石あたりいくらと言った具合で酒蔵から税を取っていたらしいです。
酒米はまずい。精米歩合も違う
いつも勉強になります。
ところで、ゆっくり解説系動画を色々と観るのですが、貴方の動画は誤字、間違った言い回し、読み上げ文字のミスが一番少なくて素晴らしいです。
細やかな編集が伺えます。ありがとうございます。
税とはその国の歴史と同じ。名言ですねー
内容は大変わかり易くいつも楽しく見せて頂いてます!これからも頑張ってください!
信長や秀吉の時代は商人から直接税を取っていたし、それが経済力の基盤、すなわち強大な武力になっていたはず。しかし徳川幕府はなぜか商人に対する合理的な課税をしておらず、大商人に対してのみ運上金とか冥加金とか根拠不明の課税をするのみ。秀吉の米本位制を取り入れながらなんでそんな事になっていたのか、なかなか腑に落ちる資料がないですね。
ちゃんと商業に課税していれば経済発展と共に武士も豊かになれていたのに・・・。
江戸時代の武士の基礎教養の問題じゃないのかなと思ってます。江戸時代の武士の基礎教養は幕末に至るまで基本的には四書五経がベースで、儒教が中心の教育。
儒教では物を生産せず右から左に動かしているだけで利益を得ている「商」の扱いは一段低く、やはり生産者である「農」の扱いが高い。
だから武士はお金を「お足」と言って一種汚らわしいものとして扱ってた。これでは経済マインドのある武士は育たなかったと思われます。
信長と秀吉は出生地が尾張という商業先進地帯で、熱田や津島といった商業地も近くにあったから商業マインドが自然と育ったのと、
戦国時代という特殊状況だったから、倫理より商人に課税して戦争に勝つための方法が優先されたんでしょうね。
abbtk14
商人の課税できていたら、幕府も緩やかに衰微に向かわず、享保の改革よりも尾張の宗春が成功していましたね。
自分は宗春の政策推しだったので、悔やまれます。
@@小松三郎尚隆
前の動画で宗春は商人の経済振興をやったけど、そこから税金を取れなかったので尾張の財政は結局赤字が膨らむ一方になり、そこを吉宗に付け込まれて引退させられたとか言ってなかったっけ?
代わりに袖の下を取っていたからですね。幕府に入るものを、代わりに重臣たちがちゃっかりいただいていたということです。
藩をお金持ちにさせないようにしていたからでしょう。幕府の害にならなければ、それでよいのです。
田沼意次が失脚しなかったら、商人への課税が実行され日本は重商主義へと転換したかもしれないけど、そうなったらそれで幕府の崩壊は早まったかもしれない。そもそも当時の幕閣で、田沼意次以外に経済を理解していた人物がいたとは思えないし。
それと享保の改革をやるなら、是非とも元文の貨幣改鋳は取り上げてほしいですね。
荻原重秀大先生を忘れちゃいけません。
貨幣改鋳自体を一つにまとめてやって欲しいです
お米食べてね😁
稲作農家より😁
次の動画も楽しみです!
お米の話題というと、昭和の頃は年間生産量が1300万トン、今は800万トン。昔のニュース報道というとこの時期は豊作、不作の報道が盛んでしたが、最近は聞かなくなりました。また食文化の変化と炭水化物の過剰摂取などで特に若者の間で米に対する風当たりが強いですね。政府も後継者不足などから、減反政策を変更して、海外から外国人を特定技能として公式に労働者を受け入れる様になりました。米先物をやろうとか聞くと正直、驚きます。僅か40年位でもこんなに変わってきている訳だから、江戸時代は大変だったのでしょう。
後継者不足への対策なんて口実で
明治初年からの自然村破壊政策の仕上げでしょ
外人奴隷と集約化でプランテーションの出来上がり
そういや今ってコメの先物やってないのか
まあそりゃそうだよないくら米を食わなくなったといっても
下手に主食が暴騰すれば生死につながるんだし
結局正確な検知をしたのは秀吉だけで江戸時代はそれを利用して再検知はしなかったんだよな
皆さんご指摘されてますが、田沼とりあげて欲しいですね
江戸時代に生まれて近代政策をやろうとする天才ですからね
今はやりのアニメ風に言うと
「ハーバードでMBAとった俺が老中に転生しちゃいました」ってな感じですか(笑)
古来からの物納を踏襲してそれしか知らなかったのではない
中世に銭納が行われていたけどそれに使われている輸入銭が入ってこなくなり米納に移行していった
室町幕府も都市の生産者への課税をやっていた
武士自体が元来は土地に根差した階級だから、米本位制にこだわり、雁字搦めになったのも頷けますね。
貫高制自体を賄うだけの貨幣を日本は鋳造・流通ができなかったことから、米本位制にある意味退行せざるを得なかった面もあるのでしょうが。
日本も明・清(中国)のように、大量に銀やそれに類する貴金属が流入していたら、あるいは米本位制から脱却できていたんでしょうか?
今回もとても分かりやすい解説動画でした。ありがとうございました。(^^)
話変わりますが、動画内部で使われていた漢字に間違いがありましたので、以下の通り、指摘します 。
「地型知行制」⇒「地方知行制」
「実態経済」⇒「実体経済」
語り口が真面目なせいか霊夢さんの顔が他の動画よりキリッとして見える
近い将来商品を手にとってそのままお店から出ることで「支払い」が済むようになるだろうし。
お金の仲介をイメージしなくなることで、収入が物やサービスを直接得る意識が強くなるかもね。
庶民の生活の中でのお金や価値がまた変わっていくのかもね。
食料支給にもそれなりのメリットがあるけどね。
1年分の食料そのものの金額と1年分の食料を購入出来る金額なら店から買う分後者の方が金額が上がるからね。
払う側から見たら食料の方が良いでしょう。
武士、つまり武力の食を握っているという形も重要じゃないかな?
逆らったら飢えるんですから謀反への抑止力の効果もあったんじゃないかと思います。
幕府・大名による領地支配が、生産者から直接生産物を収奪することにより権力機構を保持する農本思想に基づくものだった。
それが、社会全体が貨幣経済に変化していく中で、実情に合わなくなって行ったということか。
労働基準法第24条において、(1)通貨で、(2)直接労働者に、(3)全額を、(4)毎月1回以
上、(5)一定の期日を定めて支払わなければならないと規定されています(賃金支払の
五原則)。
武士社会、というか中世日本経済の基本にメスを入れたこの動画、高評価👍👍👍。
茶々入れるようですが、江戸時代は「近世」という時代区分になるかと。
@@五十嵐真一-h6v 失礼しました(笑)。
この話を聞いてると最近言われてるMMTの話が思い浮かぶな
通貨の価値とは国が税金を納める手段としてそれを指定してるから成立してるってやつ
だから納税手段は米が中心になってて、それ以外の納税手段がオマケみたいなものだった江戸時代じゃ小判や大判の価値が安定しないのも当然だと思う
江戸時代は学者が理想論振り回して実体経済に則した政策が出来なかった時代だったと思う。朱子学のせいってのもあるけど、まともに経済への政策が出来たのは吉宗と田沼くらいじゃないか?
吉宗というより大岡越前じゃないか?
武士が金勘定に関わること自体がタブーな時代だったからしゃーない
それでどうやって経済政策打てというんか
「せみしぐれ」思い出す。
唯一無二で生産出来る農産物だからね。函館市何かは北海道特有の産物を飽きなって年貢にしてたりしてたようで、
0:35 西田敏行主演の大河では「八木将軍」とも隠語で解説が有りました。
大阪で先物取引が導入されたのもカネじゃなくてコメだったそうだし、いかに大きな存在だったか想像出来るわ
田沼意次も取り上げてほしいです
一方、室町幕府は商人から金を巻き上げた結果、徳政一揆パラダイスになった模様
秀吉さんが点観点なのね。
お早う御座います☺️話は、米=税とは、違いますが、 伊勢神宮式年遷宮が20年ごとに行われる理由が、米の備蓄期間、式年遷宮の費用=備蓄米とも言われています。米の価値、歴史が有りますよね。
江戸時代も中期になると新田開発で石高は上がっていってたんですよね?
伊達藩とかは2倍以上でしたっけ?
それでも当初決められた石高で徴税してたのなら確かにどこかにお米はあるはずですよね。
分からん
おなしゃす🙇♂️
あるいは商人が蓄えた(現代に置き換えて言えば、資本の蓄積)かと。
電子マネーの完全な普及はかなり掛かりそうだな。うちらが生きている時代には出来ないかもしれない。
最初はSuicaやEdyで決まりかと思われたが、ここに来てPayPayや楽天PayなどのQR決済が主流になって来ている
企画の乱立と様々な問題点の指摘は、パソコンのメディアがフロッピーからCDへと移り変わった頃と似ているんだよ
あの時は最も使えないメディアだったCDがいつの間にか次世代メディアの座に収まったが、電子マネー
電子マネーが公共インフラとしての統一規格がないとな。健全な市場競争なんて言って民間の中抜き業者どもの独自規格が乱立している状況を許してるうちは無理。事業者が中抜き業者に永続的に手数料を搾取されるシステムなんだから。
発展している経済規模に対応しようとせず、固定観念に縛られて古い価値観に固執する上層部って現代の話みたい。
経済と米の話、もっと聞きたいです。
武士がどんどん貧乏になっていたなかで最後まで政治の実権を失わなかったのは結局軍事力を独占してたからだよなあ
やっぱりむき出しの力に勝るものは存在しないわ
お百姓さんが米を食べられなかったとは思えないって本が昔売ってた気がするヨ。色々加工された分も有るけれど、何だかんだでお百姓さんも自家製のどぶろくを飲んでたし、結構お米も食べてたとしか思えないなぁ。食べないのに唯作る人なんて居るだろうか?商人の税金が安かったのは、借金で武士階級が商人に頭が上がらなく為ってたのと、賄賂をタップリ貰ってた上級武士が商人の言うままに為ってたってのも有ると思いますね。今は、天下り先の企業の為に税金から其の他色々な便宜を図ってる事からも、昔も同じ様なモノだったと言う事だと思いますよ。
家康は農業主体の三河出身かつ、朱子学の米は貴重、商売は卑しいの考えを幕藩体制に取り入れ、基本的な理念とした。だから吉宗も松平定信も水野も農業主体の改革を行っている、
つまりは、江戸時代って、金本位制でも銀本位制でもなく、米本位制ってこと?
「米本位」とはそういうことです。
貨幣が意識されるようになったのは幕末です。小栗忠順あたりからかな?その時点では、逆に、欧州よりも部分的に発展した貨幣経済を実現してたりします。
米本位制というのは大きな誤解です
日本はそもそも国内で貨幣を統一できてなかった/しなかったというだけです
今、NHKラジオで「将来米不足になるんじゃないか?」ってやっとるな
凄くためになります。しかしやっていてわかるのですが生声って結構大変ですよね。声優のすごさに驚かされます。
北条早雲の小田原入は大地震の直後。その辺調べて、お願い。
早くクレッドスティックで取引ができる世界来ないかな〜
米以外で有名な物では薩摩藩の屋久杉、銘木として商品価値があったので年貢として納めていたんだね〜
米の話と言うより江戸時代の経済と言うお話ですね。表石高があれば裏石高と言うか実際の石高があって、伊達領は秀吉の検地を受けていないので、実際は100万石を超えたとか。真田の上田領も検地を受けていなかったので、実際は表石高より多くて、貯金が出来たとか。そんな話は幾つかありますね。
家康は地方豪族のメンタルのまま天下取っちゃったってイメージがあるな。
信長やその意志を継いだ秀吉と違って世界の中の日本と言う考えが出来ず家中統制しか考えてないって感じがする。
でも、それが結果的には徳川幕府の265年にわたる長期政権と、それがもたらした日本国内の平和、民衆の経済的な発展、さらには草の根レベルまで拡がった寺子屋等の教育など、のちの幕末の開国や欧米列強の軍事力や技術力の差を実感できるだけの素養が日本人の上から下までの階層の人びとに根付いて、やがて明治の大変革に繋がってゆくことになったので、それはそれで良かったことだと思われます。
五十嵐真一 それがもっと早く来たんだよ。残念ながら江戸時代が長すぎたせいで、未だに日本は欧米の後進国でしかないし、本当の実力を中国にも負け始めてる。
司馬遼太郎も似たようなことを指摘してましたね。家康自身はほとんどの戦で勝利または引き分けた名将であり、また政治家としても他国との貿易を徳川将軍家のみが独占管理するなどして、徳川家が絶対的でいられる体制作りにおいては成功者ではある一方、近代化や産業革命などの面で欧米に遅れをとり、かつ戦時中の軍国主義時代に見られるように日本人が政府の権威に対して一方的に従順な国民性になった原因を作った元凶であると。
余談ですが、自分の高校時代の世界史の教師は、まるで明治時代からタイムスリップしてきたような頑固一徹な人で、せっかく日本町などが東南アジアに出来て日本が世界に飛躍する拠点になりえたのに、鎖国政策などしてそれを放棄し自国に引きこもるなんて全くけしからんとか、そのせいで欧米の帝国主義に遅れをとったのに日本人は分かっとらんとかしょっちゅう言ってましたね。
でも当時の世界はどこも国家とは家に属するもの(家政国家)という意識が普通だったので家康が特別異常だったとは言えないでしょう。ヨーロッパでは主権国家という概念すらなかったわけですし。ウェストファリア条約は1648年(家光の晩年)だから西洋と比べても遅れていたわけでもないです。
また家康がよく保守的と言われますが中世以来の朝廷や寺院を政権中枢に取り込んだという政治体制を継承したかと言えば家康はそうではなくむしろそういう意味では信長・秀吉のほうが保守的と言え(平氏政権・鎌倉幕府・室町幕府も公家が政権の中枢に関わり続けた)、禁中並公家諸法度を制定し朝廷・公家勢力を政界から排除し100%純粋武家政権を樹立した家康は日本の歴史上最も革新的な政権を樹立したとも言えましょう。
鎖国政策という点で言えば家康はむしろ朱印船貿易などを行うなど対外政策には積極的でした。(家康に西洋趣味があったのは有名な話です)無論キリスト教に対しては家康時代から厳しい態度であったのは事実です。いわゆる鎖国政策を積極的に推進したのは三代家光の時代です。
大体40年前、まだ世の中は米を買うのに米穀通帳を使う正式な米屋から米を買わないといけない仕組みが残ってました、それ以外で買うとヤミ米という事になってました。
米が倉庫に余る問題が発生、国会議論になってた気がします。
という事でその時代は現金主義で銀行振り込みはあってもあまり有難がらなかった、話は江戸時代ですが割と遅くまでまでそんな状況でした。
籾のまま俵に入れて保存するなら数年は普通に保存できるよ
籾殻を剥いてしまうと米が死ぬから保存が効かない
私の叔父は建設業の社長だったが,給与はすべて現金払いだった(当時平成時代).私の母もそうだが,田舎の年寄りは今でも現金払いを良しとする風習があるように思う.っていうか,電子払いだのITだの,そういうものを全く理解してないのだ.銀行のATMすら全く理解してない.だから日本はIT後進国なのだ.
私としては電子決済の方が安全確実で得だと思うのだが・・・
豊作=好景気、飢饉=不景気、大昔から公務員は強かった?
稲作に不向きな地域に対して米売ってもっと栄養価の高い物を買っていたのでは?多分、中抜きで損してそうですが…
米はうまい😋
米は力だ!
商業は第三次産業では?
・・・今でも現金支給です・・・ウチの会社の給料・・・
法律上 現金の手渡しが原則です。振り込みの手数料は会社側が負担する義務があるので、古い体質の会社や小さな会社などでは現金支給はよくあることです。
まだ結構残ってますよね、お給料現ナマ手渡しの会社。でも現ナマ手渡されたら私も苦笑いしちゃいます(笑)
現金手渡しなんて、学生時代のバイトくらいしかなかったな。夏休みに13万貰ってドキドキしてたw
江戸時代の経済の根幹は、米ですか?士農工商の身分で、何故米なのかな?
蔵米、じゃなくて蔵前ですよね・・・?
そうでした、ご指摘ありがとうございました
銭は鉄もあったわけだがその辺りはどうだったのだろう?
もし江戸幕府が商人に税をかけていたら結構長く続いていたかも知れない
下手に税金を掛けて商人の力を抑えると、資本主義に移行しずらくなって黒船以降植民地(または租借地)にされていた可能性もある
店賃という形で税を取っていたから、商人は税がすくなくて楽だったというわけでもないとおもうけどね。儲かってると大名から金を貸せとせびられてたという話もあるし、貸さないと幕府に睨まれ店をつぶされることもある。無論、金は帰ってこないわけだが。まあ、大名も飢饉や災害のための緊急財政出動が借金の原因だったといれてるし、あと、インフラ、治水とかに投資してたりと、流通の活性にもつながるから商人と大名は持ちつ持たれつだったみたいよ。
薩長が力をつけてたのは、色々な事情で真っ先に経済破綻し、何かしらの方法で米以外の収入を得た居たことが大きい。薩摩なんかは悪役になりがちな調所広郷が都市開発とかまで上手くやってるし。
江戸幕府が何かしてたら歴史は大きく変わったのは間違いない。
ただ、田沼意次の経済観を理解できなかったのが大きいよね。結局質素倹約という本質じゃないやり方に回帰してるし
この辺は今の日本の経済政策も笑えない‥
札差=税理士・会計士みたいなもんかな、当時の感覚としては。
ちょつと違うコメントになるけど
給料が銀行振込なのは特例で、本来は現金支給が基本なんやで。
詳しくはググってや。
そもそも振り込みって現金支給だよね。
@@w.bavasi8958
ちょっと舌足らずでしたね。
労働基準法第24条には「賃金支払の5原則」というのがありまして
特に「通貨で支払う」「直接労働者に支払う
」というのがポイントになります。
銀行振込の場合、第三者ですし、厳密に言うと通貨(現金)でなくデータの移行です。
民間銀行は日銀を利用しているので、最小限の現金しか保有してません。
銀行強盗も怖いですし・・・。
銀行振込が当たり前になったきっかけは、3億円事件です。
ただ、本人の了解が必要なので、バイト先や入社した時点で、本人名義の口座への振り込みの同意書などを書いてるはずですよ。
カリアゲ金?
後半、現金不要論の話が出てきたけど、実は現在社会で「現金」というものは殆ど流通してないし取引の主流ではない。
実社会での取引は通帳上の「数字」という実体のないものによって行われてる。
これは普通に生活してれば分かる話だと思うけど、給料にしろ通信費や光熱費にしろ、その振り込みや支払いを直接現金で行ってる人は殆どいないと思う。
膜末にやって来たお抱え外人たちもなぜ商人達にもっと課税しないのか不思議がっていたそうだね。
電子決済は電源喪失だとアウト?あと雷にも、あ、カード式ならいいか。
主食であるから大切なのは勿論だけど、そもそも日本神話でも天孫降臨の時に稲穂もってくる位だから固執もするよな。
「日持ちしない」 うんうん 金銀と比べている話なんで正しいのですが・・・
どうしても「日持ちしない」と言う言葉に含まれる感覚・・・生鮮食料品を相手にする感覚が拭えず違和感を感じます。
(籾で常温保存なら3年は大丈夫、多くの葉物野菜に比べると圧倒的に長期保存が出来る)
(ちなみに私の預貯金は一年で4回転する。3ヶ月持つお金で十分・・・寂しいけど)
一年前か^^;なぜ米に執着したのか、もっと儒教の影響に触れた方が良いように思いましたが、今更ですねw
江戸時代とは別だけど、平安貴族が荘園で私服を肥やしていたら朝廷の財政が逼迫したらしいけど、荘園領主に税をかければよかったように思える。
まあ朝廷の幹部と荘園領主は同じ人だからやらないだろうけど…
稲作は、大陸由来ではなく日本が発祥の可能性があります。
ruclips.net/video/Y2qTeK3b4Ms/видео.html
魏志倭人伝のくだりで邪馬台国邪馬台国の記録は2世紀末倭国大乱を思わせるくだりから239年景初3年、247年正始8年が基本なので4世紀ではないと思います。誰か指摘してるかもしれませんが・・、念のため失礼だと思いつつ指摘いたしました。
お米食べろ
ごめん 炭水化物抜きダイエット中なんだわ‥
同じく筋トレ中で…食いたいんだけどねぇ…
気持ちはわからんまでも無いが強要するのと命令口調は同意しかねる!!(# ゚Д゚)何様の積もりだ!!!
@@ながひろ佐世保艦隊司令長 ネタだ。察しろ。いやまてよ・・ネタをたしなめるネタなのか? いやしかし・・・w
@@yukimaruhdog
米をもりもり食べてダーティバルクしようぜ
給与を振り込みではなく現金支給にこだわっていたのは私です。
私の課では私を含め、最後まで3人が残りました。そして
ヒトラーと呼ばれた超パワハラ課長から給料日に袋入りの
現金を受け取っていました。
ある給料日、いつまで経っても手交されないので、3人で
顔を見合わせましたが、なんかひと言あるのではないかと
誰も言い出せず、退社時間が迫ってきました。
この給料ドロボーめが・・・というのも想定されたのです。
しかし手ぶらで帰宅も出来ず、とうとう私があの~と切り出すと、
あ、忘れとったワで貰えました。
最後に給与担当部門からカンベンしてくれと泣きつかれて3人は
それに従いました。
「俺」が気になります…
商人(商業活動、商取引)への課税で…米經濟よりも多額の歳入を得られる樣に為ると、案外と使い方への試行錯誤を怠り…重税化の道驀地で、室町幕府より酷い亂脈政治に陥る可能性も大きそう。人間、樂な方にしか寄って行かないからぬ
やTM
実体件と汚い話・・・
男であれ女であれ人が人を振り向かそうと思えば現金でしか人は見向きもしないョ😏
そして本質として人は金でしか付いて来ない😏
白い文字は何?
字幕の意味は?
白文字でコメント入れるぐらいなら本編を考えた方が良いと思います。
見るの途中で止めました。
主さんがPC限定で配信されてるなら申しわけありません。
補足するスタイル私は嫌いじゃない。
もう少し長めに表示してほしいですけど(読むのが追いつかない)。