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今や市ではワースト5に入る夕張が100年前はTOP50に入っていたのヤバすぎる
当時は炭鉱のおかげでイケイケだったからなぁ...
炭鉱のちからってすげー…
他の市町村が広さ、人口とも大幅に数値を伸ばすなか、ひとり反対方向に走っていく
しかも町、、、
夕張市の昔の市長、中田(なかだ)市長には感謝やな。
規模こそ東京大阪に叶わずとも、人口密度からしてそこそこの繁華街がどの街にもあったんだろうなあと思う
六大都市を除くと長崎と広島がツートップ…。原爆が落ちたのはこれより25年後とはいえ、大都市だった2市が標的になってしまったのかと思ってしまった。
長崎市は昭和20年も今も三菱城下街。広島市は近くに呉市があり軍需工場、埠頭が多く原爆のターゲットになって投下された。北海道は函館市、室蘭市、小樽市が確実に原爆のターゲットだったろうと思う。
広島は早くから候補でした。長崎は投下直前に候補になり、その他候補として新潟・京都・北九州にする案もあった様です。
@@spy007ex4長崎の原爆は当初小倉に落とす予定だったけど、天候不良で第二目標の長崎に変更になった
それまで空襲を受けていない大都市という事だったんでしょうね。
両市は近隣大市街から離れてた単独市街なので空襲するにも単独作戦を取らなければならなかった。(なぜか広島、呉、岩国を合同化した空襲はなかった。ここまで拡げるとキツかったのかも)京浜阪神中京のように生産量が際立った街でもなかったので対効果費用が高くなかったのかも。兵糧攻めもし易く、効率的な、原爆のような攻撃手段を選んでいた街なのかもしれない。
当時の六大都市はなるほど現在でも人口順位に変わりはないな。と思った。7位長崎市8位広島市もっと言うと10位の呉市・21位の佐世保市広島と長崎がこの時代は埼玉や千葉より人口が多く、現在よりも産業が栄えていたのが印象的。そう想うと25年後のあの出来事。栄えていた街が一瞬にして全て奪われた事は本当に忘れてはいけない。
『軍都』が産業を呼んでいた時代です。広島も日清戦争で大陸派兵の宇品港がなかったら幕末から衰退を続けてて都市の芽を見なかったと言います。その宇品港さえ築港時には反対や妨害があって、提唱者だった県知事は左遷されました。(昭和初期になってそれが功績とされ、広島市内で珍しい人名地名が着いている)
昔の市は本当に中央市街地だけだったのが良く分かる。ほぼ全て大合併で大幅に面積が増加しているが、微妙に増加している夕●には何があったのだろう?
●張がそれに当てはまるかどうかは分かりませんが、計測方法が変わることで微妙に面積が変わることがあるらしいです。
NGワード扱いされてて草
夕●の面積ですが、シューパロ湖(ダム)の水面が低くなったか、周りの市町村の地権や境界線の関係でわずかに増えたと思います。夕●町に等しい市なのに。
逆にどうして大きな増加がなかったかを考えてみると、昭和にも平成にも各地で大合併して市域面積を広げた時期がありましたが、夕●はそれ以前に衰退がはじまっていて、周辺市町村にとって合併相手として魅力がなくなっていたため、面積を大幅に広げることができず、結果的に他の方たちが言われているような理由で微増にとどまったとか?
●張市は昭和と平成またぎで最後の炭鉱が閉山。マウントレースイ、遊園地、石炭の歴史村と次々オープンさせ夕張駅(既に廃止)をレースイ直結に。現在残っているのは、歴史村とレースイスキー場だけと散々たる事に。そして350億円から始まった大量市債の返済が今も続いている💸更に夕張署の事務処理が栗山署に移り夕張署は大きな交番に。銀行も大きな出張所がATMの出張所に💴数年後には夕張高校が道立から市立になり夕張中学校(統合し市内1校に)と統合し中等教育学校になりそうかも。こんな事ですから夕張市と夕張郡の合併はかなり難しい話しになっているどころか話しすらない。
1つの産業があると人口って増えるんですね(若松市、夕張市、八幡市はその代表)
北九州がいかに早くから発展していたかがわかる若松、門司、下関、八幡がランクインしているのみならず、八幡だけで福岡より多い信じられない
あれっ!下関って隣だけど関門海峡挟んで山口県なのはご存じのはず。若松、八幡、門司。ランクに入っていないが小倉、戸畑と九州の玄関口の市(旧制区)が合併して今の北九州市が成り立っているのは凄い。私の出身・在住の函館市もかつては政令指定都市並の旧制区(現市)でしたが、今は魅力と食の人気地方都市に。
はい、下関は山口県です。しかし都市圏としては当時から北九州と一体化していました。下関を含めた合併論も当時から平成に至るまでずっと出てきました。ここではそのため下関を含んで記しました。函館も素敵な街ですよね。戦前は、小樽とともに札幌より繁栄している期間が長く続きましたね。
関門海峡合併の話しはだいぶ前からあったんですね。凄い話しですが合併協議会なんて始まったら山口県から猛反発だろうな。だから大きく話題にならないと感じました。
毎回、切り口が斬新です地理情報たっぷりで素晴らしいです
ほぼ人が住んでいない山間部の町村が都市部の市に編入されたから人口密度が下がってるよね。国の人口は100年間で相当増えてるし。
一見 多くの市町が人口が大きく増えているが市町村合併のためか多くの市で人口密度が大きく下がっているのが面白い。
福岡県とかは結構あるのに、埼玉と千葉の自治体は1つもないの意外すぎるてか、人口密度えぐっ
東京市のスプロールがまだ始まってないからでしょうね浦和の市制施行が遅れた要因でもありますが
当時は埼玉県や千葉県に最初の市ができる直前だったんですよね翌年の元日に(千葉郡)千葉町が、さらに翌年の1922年12月1日には(入間郡)川越町がそれぞれ市制施行しています(北足立郡)浦和町は1934年の2月11日に市制施行していて、川越、熊谷と川口(同時)に次ぐ埼玉県では4番目の市となりました
昔の埼玉千葉は田舎です今は大都会だけど
このころの浦和の人口は2万人くらいですね東京府や神奈川県にくらべると、全然、田舎です
正確に言うと、大宮町が19,057人、浦和町が11,694人、与野町が6,495人、岩槻町が6,639人でした(1920年)当時、埼玉県で一番人口が多かったのが川越町で、人口は24,675人でした
この頃は神戸市3位か…でもこの数年後に名古屋市、横浜市に抜かれるんだよな…これは神戸が低迷したのではなく、名古屋・横浜が台頭してきたからであって、神戸市もこの後それなりに人口が増えてる
昔の行政区画とか見ると市は本当に都市部だけだったってわかるよね十個くらい町村が集まってようやく今の市ひとつくらい
100年でこんなにも変わるとは。町が入っていたり、10位に呉市が入っていたりと驚きです
「市」が市街地だけだった時代は、田舎でも「自分たちのまち」が地図に載っていたんだな
松本市の人口が49999人なのがもどかしい。ちなみに当時の県下人口2位は平野村(現岡谷市)で、3位は長野市だった。
門司、八幡、若松、下関が入ってるのに今中心市街地になってる小倉はランク外なんだね
ランクインしている松本市、当時は信大があるから「学都」として栄えたようですが、今じゃセイジ・オザワ記念フェスから「楽都」とか上高地等の登山の意味から「岳都」と表記するモニュメントが駅前にあります
小澤先生亡くなられましたね。日本では楽団は新日本フィル、都市は松本を1番愛していたと思います。もう一度8月に松本で指揮を願っていましたが残念です。育成教育、演奏会の名前を「サイトウ・オザワ記念」に変えても十分だと思います。
当時、市民であることは都会民であることのステータスだったろうないまや、市民でない人を探す方が困難な時代に
逆に現在の人口上位の自治体の100年前の人口とか見てみたいな
この頃は影も形もなかったさいたま・川崎が今や百万都市になってるのを見ると、ここ100年で東京一極集中が進んだんだなぁと…
60年前、中学校卒業した人が集団就職してた時代から盛んになったよね
市域が狭いとは言え人口密度が凄まじいですね田舎の密度は今よりも逆にとても少なかったんでしょうね
地味に意外だった序列は…浜松<豊橋
那覇区が当時50位以内に入ってたの意外首里区の当時の人口も調べてみたけど2万台だったのか・・・
ここだけ異質2:38
人口密度が高いのは基本の移動が徒歩だからだろうなあ。通勤通学考えると中心地に集住するほかないという
そもそも市町村の数が桁違いで、「市」は今の市の中心部だけがひとつの自治体だったからというのが大きい
明治大正期は渋谷新宿池袋も半農村…人口減少でここ100年で大正期に戻るという事は理屈上はそれに戻っていくもんだけど、東京はあまり変わらないんだろうな
東京は今後もちょっとずつ増えていく予想が多いね他が限界になって首都圏移住は進むとか
新宿は農村じゃないし、池袋は板橋宿の機能が鉄道時代になって移転してきただけです
100年前ってどこも高層建築ないのにこの人口密度の高さってなんぞみんなどうやって住んでたのか気になる
江戸時代の江戸の町人が住むエリアや鎌倉時代の鎌倉の方がもっと人口密度高かったみたいです。一人当たりのスペースが狭いので成り立ちます
個人のプライベートなんて無きに等しい時代でしたから。
昔はあきちなんてほぼないよ立てられるところにできるだけ詰め込むのが日本式都市設計
当時の人口密度エグイな軒並み下がってるあたり合併凄かったんやな
当時の産業構造がよく表れていますね
1920年の人口の1人と、2020年の人口の1人が同一人物つまり同じ町で100年以上生き続けた人もいるのだろうか?
絶対に健在しています。函館市でも1922年7月までに生まれた人が健在ですから。函館区時代生まれの人です。
最大人口から人口減少した市町村ランキングも見たいです。
人口密度すごいな
三軍港の強いこと…。舞鶴はまだ町でしたが、軍縮に引っかかって鎮守府が要港部に格下げしたので躍進の芽が潰されてしまいましたか…。そんな三軍港も平成令和の凋落が隠せませんが。
自分の生まれた室蘭が100年でこんなさびれてしまったのが悲しい
とても面白いランキングでしたが、他の方のコメントでもあるように「2020年今のランキング」があるとより楽しめたかなぁと思いました!あと東京は23区ではなく○○区、政令指定都市は○○市○○区で表記頂けたら面積がもう少しリアルかなぁ…と。動画作成大変だった中、意見ばっかですみません🙇♀️
人口推移についてはwikiで国勢調査ごとに見られますよ。5年ごと100大都市掲載してるのでわかり易く見られます。パソコンでも画面はみ出しますが、それだけ見応えあります。
今と人口が全然違うけど、昔のほうがバラけて一極集中してなくて旅行するのは面白そう
合併前の1920年の面積で比較すると当時と変わらん、いや減ってる所が多そう
一極集中というのがわかる当時の状況ですね。そして北海道の人が多い事!産業構造の変化で、もしかしたら100年後の日本はまた違った印象になっているのかもですね。
ほとんどの市が圧倒的に面積を広げてる一方で、人口密度はほぼほぼ下がってるのが興味深い。あと、静岡市が面積200倍はヤバい。
面積が増えれば人口密度が下がるのは自然なことかと思いますが…
今で言う都心だけが当時の市だったので
中心部以外を合併してるから人口密度は基本どこも下がってるな
石炭がうまくいってたら今頃、夕張とか室蘭は人口30万人くらいはいたのかなむしろ石油がなかったなら石炭が取れるこれらの都市は100万都市レベルまで来てたのかな
かと言って、石油が出た街は日本ではほとんど栄えなかった(ー ー;)。
ランキングには入ってないけど大阪府西成郡難波村もヤバい当時村で3万人今の浪速区の一部
Did集中地区の面積と人口で見た時に、どうなるかを見ると都市規模の直接比較ができるかも知れないですね。
渋谷や巣鴨は別だったんだなぁ
我が家の本家がある広島県呉市が10位にランクインしていてびっくりした。
呉市はその後広島市の人口を抜いて一時は40万人を超えてましたからね。戦時下では軍港のある町に人口集積があったのでしょう。
海軍さんがやって来ていろんな産業が根付いた好例。何しろ中国地方初の路面電車は走るし道路がまともにない頃に鉄道が支線で通じてる。ただ呉の場合は広島以上に軍都≒要塞都市≒辺鄙な場所だったのが災いして交通問題が顕著になり衰退していった。市電を廃止しても慢性的渋滞が昭和いっぱい身動き取れないレベルだった。18年水害で陸路がことごとく破壊されて広島に船で通勤する状態になるとは・・・・
埼玉中南部、千葉西部の街に奥行きを感じない理由がなんとなくわかった理屈じゃないから説明できない。逆に昔栄えてた街は古い街並みが連なってたり路面電車が今でも残ってるとこばかり。
埼玉は密に張り巡らされた街道網由来の宿場街が続いてそれなりに奥行き感じますよ?川越、岩槻、忍は城下町ですし千葉はまぁ…同意しますがw
松戸の戸定歴史館や中山法華経寺等水戸街道とか成田街道の歴史も知らない無教養者(笑)
人口多いから軍施設ができたのか、軍施設があるから人口が増えたのか。軍に関係する街が多い印象でした。
広島の場合は明らかに軍が先でした。
100年の変遷は面白い今や間違えて都心扱いされがちな副都心渋谷は100年前は郊外の住宅地千代田中央港の都心の大半が旧江戸市中、東京15区内が大江戸と呼ばれた地域です江戸市中は山王・神田神社の氏子地域で江戸っ子の地域、大江戸は山王・神田氏子地域以外の町奉行管轄(墨引き)で浅草っ子や深川っ子の地域
「町」も人口密度1万人/km^2を超えるものがあるなど、なかなか健闘していますね。
タワマンとかない時代にあの狭い街にすでに人口60万いる神戸すげぇ……と思ったけど東京の人口密度バグってた
いかに港が重要かがわかる。あとは工業かな。
四国最大都市徳島九州最大都市長崎
車考えなくていいから住宅もものすごく密集してたみたいだしな。
昔は船橋村より小さい市町村あったんやなぁ
8:40 岐阜の城下町と中山道の加納宿は確かに近いけど、中山道の宿場町「加納宿、河渡宿」が岐阜市になったのは、昭和に入ってからです。
自分が住んだことがある東京都府中市と墨田区 現在人口はほぼ同じ26万だけど、昭和10年相当区域の人口は府中2万、墨田区40万だったらしい…
昔は車が無かったからな、中心部になるべく近いところに住まないと不便
人口密度26750人/km^2てやばすぎやろw
函館やはり大火のダメージが甚大だったんだろうな。
この年では明治12年と明治40年の大火がかなり大きな大火。武士からの民の政治になった明治以降で震災、空襲の火災を以外で国内最大の大火があったのは昭和9年3月20日夕方か3月21日早朝。その直後から人口が減り翌年に人口が札幌市に抜かれた。
松本もかつては県庁所在地(筑摩県)松本藩の方が松代潘より規模も人口が多かったから仕方ないよ。
現存する自治体については、2020年現在の順位も表記がほしかったですね。
↓↓↓ネタバレ↓↓↓3:13 人口が丁度10倍になってるのにちょっと感動した…6:23 福井のシンボルカッコいい…浜松と豊橋が100年の時を経て今日では逆転してるの感慨深い…13:19 面積200倍は草
別チャンネルで明治22年と昭和15年の都市人口ランキングの動画があったなぁ…6大都市は多少の順位の変動(1位2位は不動)があるが変わらず、7位〜10位は明治22年が 金沢 仙台 広島 徳島昭和15年が 広島 福岡 川崎 八幡 だったかな…産業発展や市域拡大などでだいぶ順位変わってるな
「加賀百万石は伊達じゃありません」はい、加賀は金沢、伊達は仙台です。金沢の直前が仙台だったからこれは洒落?
江戸時代に城下町として栄えた市、夕張など明治以降石炭産業で栄えた市の名前が多いですね。あとこの100年で東京への一極集中がいかに進んだか、も感じる。
大牟田が浜松や宇都宮とほぼ同じ人口だったの凄いなぁ
Wikiで見ましたが当時の関東の都市人口ランキングだと1位東京2位横浜〜〜〜〜〜3位宇都宮そして改めてこの動画を見ると4位前橋ですね、北関東勢が健闘してます。
となると5位は高崎か、、と思いきや5位水戸6位八王子7位桐生8位が高崎でした。ちなみに9位足利で10位にやっと千葉、その後足尾、日立、で遂に13位として川越が登場という形です。どちらにしろ北関東は元々の都市力は高いところばっかだなと東京がなければ全国的にも最も都会な都市の一つとして挙げられていたでしょうね
@@セン-l3l おおっとここにも居たとは()高崎>桐生…興味深いです。足尾は今じゃ2000人くらいしか住んでいないです川越でそこだと浦和なんて…
当時の最重要輸出品である生糸の生産地でしたから
@@hydrangea0617 どうもです✋やはり銅山、銀山など鉱業都市は昔は強かったですね、、桐生は西陣織で日本の一大産業だったからですかね。
人口だけではなく、ちゃんと面積を見たら納得する。
東京市といえども23区になると人口密度下がってるのねまぁ鹿骨とか土支田とか水元とかあんま人住んでないけど、それでも意外あるいは都心部居住者が郊外に出て行ってしまったからかな
悲しくなってきますね。なんで今みたいに都市部に人口集中しちゃったのかなー
と思いながら最後まで見たけど、昔から普通に東京大阪に集中してるのね笑
とはいえ逆にそれぐらいなんですよまだ人口が各地に自生していた時代ですし、東京市も15区で、大大阪時代もまだですからね
新潟ないだろ、と思ってたら入ってただいぶ、トントンな人口だと思ってた当時の面積ランキング上位もみてみたいかも
小樽が13位から100位にすら入らなくなったの悲しい
1920年の人口住むには丁度良さそう
なお人口密度
福井の変遷はまったく知りませんでした。きっと多くの人の想いが受け継がれているのでしょうね。
3島地域や裏日本頑張っててワロタ
軍事、軍需関係の都市が多いのがなるほどと思わされる
松本市の寸止め感、好き。
夕張の面積は増えてるのに人口が10分の1になってるのなぁぜなぁぜ?
面積は誤差
計測誤差でそうなることもあるんですね教えてくださりありがとうございます
大昔は山の民も結構居ただろうけど、結局は平地の広さよね
那覇や室蘭が区だったの何だったんだろう。特別行政区かな?
2000年から2023年の人口増減数今は福岡市が100年前のトップ3から人口吸い上げて、1強だね北九州 −9.5万長崎 −7.6万佐世保 −4万佐賀 −1.3万鹿児島 −1万大分 +1.8万那覇 +1.2万熊本 +1.7万宮崎 +0.5万
いまの福岡市は大出世だな
大宮とか浦和の人口は、この当時は2万人くらいですね
福井市は、空襲と地震の他に水害もあってトリプルパンチでした🤜🤜🤜
吸収合併は計画的に
当然だけど、市区町村がみんな小さい。あの都市とあの都市(ネタバレ回避)が「区」だったのは知らなかった。
この自治体たちの今の順位知りたいな
今は市域が広がりすぎてなにか変! 札幌とか京都とか静岡とか言っても大半が山🏕ばかり。みんないなか。
今の新幹線の終着駅が函館金沢長崎あたりにあるけど、昔は都会だったんだなと
どーせ新潟が1位だろ?とか思ったら全然違った
それは県
50位から順に高知市若松市松本市今宮町南千住町夕張町松山市西巣鴨町那覇区室蘭区豊崎町40位甲府市福井市旭川区富山市前橋市岐阜市宇都宮市大牟田市浜松市豊橋市30位徳島市熊本市門司市下関市静岡市渋谷町和歌山市堺市佐世保市横須賀市20位新潟市岡山市福岡市八幡市札幌区15鹿児島市小樽区仙台市金沢市呉市10位函館区広島市長崎市横浜市名古屋市京都市神戸市 3位大阪市 2位東京市 1位
当時の市域での現在の人口ってどれくらいだろう?🤔
地方都市も都心だけですね。
久留米市が無いですね。1920年は62000人程度です。
神戸と京都がかなり減ってるな
市域の問題
昔は長崎が地方No.1だったのか…今ではなあ…
北海道と九州が全然違うな
こう見ると人口密度減ってるんだな
周辺の農村、里山を合併しまくってますからね静岡市はやりすぎレベルですよ
昔は地方都市でも商店街が成り立ってましたのが良く分かりますねぇ…
西巣鴨は今の区域だとどのくらいの人口かな。調べようと思えばできる。
札幌は少ないけど、北海道民は多かった時代
今や市ではワースト5に入る夕張が100年前はTOP50に入っていたのヤバすぎる
当時は炭鉱のおかげでイケイケだったからなぁ...
炭鉱のちからってすげー…
他の市町村が広さ、人口とも大幅に数値を伸ばすなか、ひとり反対方向に走っていく
しかも町、、、
夕張市の昔の市長、中田(なかだ)市長には感謝やな。
規模こそ東京大阪に叶わずとも、人口密度からしてそこそこの繁華街がどの街にもあったんだろうなあと思う
六大都市を除くと長崎と広島がツートップ…。
原爆が落ちたのはこれより25年後とはいえ、大都市だった2市が標的になってしまったのかと思ってしまった。
長崎市は昭和20年も今も三菱城下街。広島市は近くに呉市があり軍需工場、埠頭が多く原爆のターゲットになって投下された。
北海道は函館市、室蘭市、小樽市が確実に原爆のターゲットだったろうと思う。
広島は早くから候補でした。長崎は投下直前に候補になり、その他候補として新潟・京都・北九州にする案もあった様です。
@@spy007ex4
長崎の原爆は当初小倉に落とす予定だったけど、天候不良で第二目標の長崎に変更になった
それまで空襲を受けていない大都市という事だったんでしょうね。
両市は近隣大市街から離れてた単独市街なので空襲するにも単独作戦を取らなければならなかった。
(なぜか広島、呉、岩国を合同化した空襲はなかった。ここまで拡げるとキツかったのかも)
京浜阪神中京のように生産量が際立った街でもなかったので対効果費用が高くなかったのかも。
兵糧攻めもし易く、効率的な、原爆のような攻撃手段を選んでいた街なのかもしれない。
当時の六大都市はなるほど現在でも人口順位に変わりはないな。と思った。
7位長崎市
8位広島市
もっと言うと10位の呉市・21位の佐世保市
広島と長崎がこの時代は
埼玉や千葉より人口が多く、現在よりも産業が栄えていたのが印象的。
そう想うと25年後のあの出来事。
栄えていた街が一瞬にして全て奪われた事は本当に忘れてはいけない。
『軍都』が産業を呼んでいた時代です。
広島も日清戦争で大陸派兵の宇品港がなかったら幕末から衰退を続けてて都市の芽を見なかったと言います。
その宇品港さえ築港時には反対や妨害があって、提唱者だった県知事は左遷されました。
(昭和初期になってそれが功績とされ、広島市内で珍しい人名地名が着いている)
昔の市は本当に中央市街地だけだったのが良く分かる。
ほぼ全て大合併で大幅に面積が増加しているが、微妙に増加している夕●には何があったのだろう?
●張がそれに当てはまるかどうかは分かりませんが、計測方法が変わることで微妙に面積が変わることがあるらしいです。
NGワード扱いされてて草
夕●の面積ですが、シューパロ湖(ダム)の水面が低くなったか、周りの市町村の地権や境界線の関係でわずかに増えたと思います。
夕●町に等しい市なのに。
逆にどうして大きな増加がなかったかを考えてみると、昭和にも平成にも各地で大合併して市域面積を広げた時期がありましたが、夕●はそれ以前に衰退がはじまっていて、周辺市町村にとって合併相手として魅力がなくなっていたため、面積を大幅に広げることができず、結果的に他の方たちが言われているような理由で微増にとどまったとか?
●張市は昭和と平成またぎで最後の炭鉱が閉山。マウントレースイ、遊園地、石炭の歴史村と次々オープンさせ夕張駅(既に廃止)をレースイ直結に。現在残っているのは、歴史村とレースイスキー場だけと散々たる事に。そして350億円から始まった大量市債の返済が今も続いている💸
更に夕張署の事務処理が栗山署に移り夕張署は大きな交番に。銀行も大きな出張所がATMの出張所に💴
数年後には夕張高校が道立から市立になり夕張中学校(統合し市内1校に)と統合し中等教育学校になりそうかも。
こんな事ですから夕張市と夕張郡の合併はかなり難しい話しになっているどころか話しすらない。
1つの産業があると人口って増えるんですね(若松市、夕張市、八幡市はその代表)
北九州がいかに早くから発展していたかがわかる
若松、門司、下関、八幡がランクインしているのみならず、八幡だけで福岡より多い
信じられない
あれっ!下関って隣だけど関門海峡挟んで山口県なのはご存じのはず。
若松、八幡、門司。ランクに入っていないが小倉、戸畑と九州の玄関口の市(旧制区)が合併して今の北九州市が成り立っているのは凄い。
私の出身・在住の函館市もかつては政令指定都市並の旧制区(現市)でしたが、今は魅力と食の人気地方都市に。
はい、下関は山口県です。
しかし都市圏としては当時から北九州と一体化していました。下関を含めた合併論も当時から平成に至るまでずっと出てきました。
ここではそのため下関を含んで記しました。
函館も素敵な街ですよね。
戦前は、小樽とともに札幌より繁栄している期間が長く続きましたね。
関門海峡合併の話しはだいぶ前からあったんですね。凄い話しですが合併協議会なんて始まったら山口県から猛反発だろうな。だから大きく話題にならないと感じました。
毎回、切り口が斬新です
地理情報たっぷりで素晴らしいです
ほぼ人が住んでいない山間部の町村が都市部の市に編入されたから人口密度が下がってるよね。国の人口は100年間で相当増えてるし。
一見 多くの市町が人口が大きく増えているが
市町村合併のためか多くの市で人口密度が大きく下がっているのが面白い。
福岡県とかは結構あるのに、埼玉と千葉の自治体は1つもないの意外すぎる
てか、人口密度えぐっ
東京市のスプロールがまだ始まってないからでしょうね
浦和の市制施行が遅れた要因でもありますが
当時は埼玉県や千葉県に最初の市ができる直前だったんですよね
翌年の元日に(千葉郡)千葉町が、さらに翌年の1922年12月1日には(入間郡)川越町がそれぞれ市制施行しています
(北足立郡)浦和町は1934年の2月11日に市制施行していて、川越、熊谷と川口(同時)に次ぐ埼玉県では4番目の市となりました
昔の埼玉千葉は田舎です
今は大都会だけど
このころの浦和の人口は2万人くらいですね
東京府や神奈川県にくらべると、全然、田舎です
正確に言うと、大宮町が19,057人、浦和町が11,694人、与野町が6,495人、岩槻町が6,639人でした(1920年)
当時、埼玉県で一番人口が多かったのが川越町で、人口は24,675人でした
この頃は神戸市3位か…でもこの数年後に名古屋市、横浜市に抜かれるんだよな…これは神戸が低迷したのではなく、名古屋・横浜が台頭してきたからであって、神戸市もこの後それなりに人口が増えてる
昔の行政区画とか見ると市は本当に都市部だけだったってわかるよね
十個くらい町村が集まってようやく今の市ひとつくらい
100年でこんなにも変わるとは。町が入っていたり、10位に呉市が入っていたりと驚きです
「市」が市街地だけだった時代は、田舎でも「自分たちのまち」が地図に載っていたんだな
松本市の人口が49999人なのがもどかしい。
ちなみに当時の県下人口2位は平野村(現岡谷市)で、3位は長野市だった。
門司、八幡、若松、下関が入ってるのに今中心市街地になってる小倉はランク外なんだね
ランクインしている松本市、当時は信大があるから「学都」として栄えたようですが、今じゃセイジ・オザワ記念フェスから「楽都」とか上高地等の登山の意味から「岳都」と表記するモニュメントが駅前にあります
小澤先生亡くなられましたね。日本では楽団は新日本フィル、都市は松本を1番愛していたと思います。
もう一度8月に松本で指揮を願っていましたが残念です。
育成教育、演奏会の名前を「サイトウ・オザワ記念」に変えても十分だと思います。
当時、市民であることは都会民であることのステータスだったろうな
いまや、市民でない人を探す方が困難な時代に
逆に現在の人口上位の自治体の100年前の人口とか見てみたいな
この頃は影も形もなかったさいたま・川崎が今や百万都市になってるのを見ると、ここ100年で東京一極集中が進んだんだなぁと…
60年前、中学校卒業した人が集団就職してた時代から盛んになったよね
市域が狭いとは言え人口密度が凄まじいですね
田舎の密度は今よりも逆にとても少なかったんでしょうね
地味に意外だった序列は…
浜松<豊橋
那覇区が当時50位以内に入ってたの意外
首里区の当時の人口も調べてみたけど2万台だったのか・・・
ここだけ異質
2:38
人口密度が高いのは基本の移動が徒歩だからだろうなあ。通勤通学考えると中心地に集住するほかないという
そもそも市町村の数が桁違いで、「市」は今の市の中心部だけがひとつの自治体だったからというのが大きい
明治大正期は渋谷新宿池袋も半農村…人口減少でここ100年で大正期に戻るという事は理屈上はそれに戻っていくもんだけど、東京はあまり変わらないんだろうな
東京は今後もちょっとずつ増えていく予想が多いね
他が限界になって首都圏移住は進むとか
新宿は農村じゃないし、池袋は板橋宿の機能が鉄道時代になって移転してきただけです
100年前ってどこも高層建築ないのに
この人口密度の高さってなんぞ
みんなどうやって住んでたのか気になる
江戸時代の江戸の町人が住むエリアや鎌倉時代の鎌倉の方がもっと人口密度高かったみたいです。
一人当たりのスペースが狭いので成り立ちます
個人のプライベートなんて無きに等しい時代でしたから。
昔はあきちなんてほぼないよ
立てられるところにできるだけ詰め込むのが日本式都市設計
当時の人口密度エグイな
軒並み下がってるあたり合併凄かったんやな
当時の産業構造がよく表れていますね
1920年の人口の1人と、2020年の人口の1人が同一人物
つまり同じ町で100年以上生き続けた人もいるのだろうか?
絶対に健在しています。
函館市でも1922年7月までに生まれた人が健在ですから。函館区時代生まれの人です。
最大人口から人口減少した市町村ランキングも見たいです。
人口密度すごいな
三軍港の強いこと…。
舞鶴はまだ町でしたが、軍縮に引っかかって鎮守府が要港部に格下げしたので躍進の芽が潰されてしまいましたか…。
そんな三軍港も平成令和の凋落が隠せませんが。
自分の生まれた室蘭が100年でこんなさびれてしまったのが悲しい
とても面白いランキングでしたが、他の方のコメントでもあるように「2020年今のランキング」があるとより楽しめたかなぁと思いました!
あと東京は23区ではなく○○区、政令指定都市は○○市○○区で表記頂けたら面積がもう少しリアルかなぁ…と。
動画作成大変だった中、意見ばっかですみません🙇♀️
人口推移についてはwikiで国勢調査ごとに見られますよ。
5年ごと100大都市掲載してるのでわかり易く見られます。
パソコンでも画面はみ出しますが、それだけ見応えあります。
今と人口が全然違うけど、昔のほうがバラけて一極集中してなくて旅行するのは面白そう
合併前の1920年の面積で比較すると当時と変わらん、いや減ってる所が多そう
一極集中というのがわかる当時の状況ですね。そして北海道の人が多い事!産業構造の変化で、もしかしたら100年後の日本はまた違った印象になっているのかもですね。
ほとんどの市が圧倒的に面積を広げてる一方で、人口密度はほぼほぼ下がってるのが興味深い。
あと、静岡市が面積200倍はヤバい。
面積が増えれば人口密度が下がるのは自然なことかと思いますが…
今で言う都心だけが当時の市だったので
中心部以外を合併してるから人口密度は基本どこも下がってるな
石炭がうまくいってたら今頃、夕張とか室蘭は人口30万人くらいはいたのかな
むしろ石油がなかったなら石炭が取れるこれらの都市は100万都市レベルまで来てたのかな
かと言って、石油が出た街は日本ではほとんど栄えなかった(ー ー;)。
ランキングには入ってないけど大阪府西成郡難波村もヤバい当時村で3万人
今の浪速区の一部
Did集中地区の面積と人口で見た時に、どうなるかを見ると都市規模の直接比較ができるかも知れないですね。
渋谷や巣鴨は別だったんだなぁ
我が家の本家がある広島県呉市が10位にランクインしていてびっくりした。
呉市はその後広島市の人口を抜いて一時は40万人を超えてましたからね。戦時下では軍港のある町に人口集積があったのでしょう。
海軍さんがやって来ていろんな産業が根付いた好例。
何しろ中国地方初の路面電車は走るし道路がまともにない頃に鉄道が支線で通じてる。
ただ呉の場合は広島以上に軍都≒要塞都市≒辺鄙な場所だったのが災いして交通問題が顕著になり衰退していった。
市電を廃止しても慢性的渋滞が昭和いっぱい身動き取れないレベルだった。
18年水害で陸路がことごとく破壊されて広島に船で通勤する状態になるとは・・・・
埼玉中南部、千葉西部の街に奥行きを感じない理由がなんとなくわかった
理屈じゃないから説明できない。
逆に昔栄えてた街は古い街並みが連なってたり路面電車が今でも残ってるとこばかり。
埼玉は密に張り巡らされた街道網由来の宿場街が続いてそれなりに奥行き感じますよ?
川越、岩槻、忍は城下町ですし
千葉はまぁ…同意しますがw
松戸の戸定歴史館や中山法華経寺等水戸街道とか成田街道の歴史も知らない無教養者(笑)
人口多いから軍施設ができたのか、軍施設があるから人口が増えたのか。
軍に関係する街が多い印象でした。
広島の場合は明らかに軍が先でした。
100年の変遷は面白い
今や間違えて都心扱いされがちな副都心渋谷は100年前は郊外の住宅地
千代田中央港の都心の大半が旧江戸市中、東京15区内が大江戸と呼ばれた地域です
江戸市中は山王・神田神社の氏子地域で江戸っ子の地域、大江戸は山王・神田氏子地域以外の町奉行管轄(墨引き)で浅草っ子や深川っ子の地域
「町」も人口密度1万人/km^2を超えるものがあるなど、なかなか健闘していますね。
タワマンとかない時代にあの狭い街にすでに人口60万いる神戸すげぇ……と思ったけど東京の人口密度バグってた
いかに港が重要かがわかる。あとは工業かな。
四国最大都市徳島
九州最大都市長崎
車考えなくていいから住宅もものすごく密集してたみたいだしな。
昔は船橋村より小さい市町村あったんやなぁ
8:40 岐阜の城下町と中山道の加納宿は確かに近いけど、
中山道の宿場町「加納宿、河渡宿」が岐阜市になったのは、昭和に入ってからです。
自分が住んだことがある東京都府中市と墨田区 現在人口はほぼ同じ26万だけど、昭和10年相当区域の人口は府中2万、墨田区40万だったらしい…
昔は車が無かったからな、中心部になるべく近いところに住まないと不便
人口密度26750人/km^2てやばすぎやろw
函館やはり大火のダメージが甚大だったんだろうな。
この年では明治12年と明治40年の大火がかなり大きな大火。
武士からの民の政治になった明治以降で震災、空襲の火災を以外で国内最大の大火があったのは昭和9年3月20日夕方か3月21日早朝。その直後から人口が減り翌年に人口が札幌市に抜かれた。
松本もかつては県庁所在地(筑摩県)
松本藩の方が松代潘より規模も人口が多かったから仕方ないよ。
現存する自治体については、2020年現在の順位も表記がほしかったですね。
↓↓↓ネタバレ↓↓↓
3:13
人口が丁度10倍になってるのにちょっと感動した…
6:23
福井のシンボルカッコいい…
浜松と豊橋が100年の時を経て今日では逆転してるの感慨深い…
13:19
面積200倍は草
別チャンネルで明治22年と昭和15年の都市人口ランキングの動画があったなぁ…
6大都市は多少の順位の変動(1位2位は不動)があるが変わらず、7位〜10位は明治22年が 金沢 仙台 広島 徳島
昭和15年が 広島 福岡 川崎 八幡 だったかな…産業発展や市域拡大などでだいぶ順位変わってるな
「加賀百万石は伊達じゃありません」はい、加賀は金沢、伊達は仙台です。金沢の直前が仙台だったからこれは洒落?
江戸時代に城下町として栄えた市、夕張など明治以降石炭産業で栄えた市の名前が多いですね。あとこの100年で東京への一極集中がいかに進んだか、も感じる。
大牟田が浜松や宇都宮とほぼ同じ人口だったの凄いなぁ
Wikiで見ましたが当時の関東の都市人口ランキングだと
1位東京
2位横浜
〜〜〜〜〜
3位宇都宮
そして改めてこの動画を見ると4位前橋ですね、北関東勢が健闘してます。
となると5位は高崎か、、と思いきや5位水戸6位八王子7位桐生8位が高崎でした。ちなみに9位足利で10位にやっと千葉、その後足尾、日立、で遂に13位として川越が登場という形です。どちらにしろ北関東は元々の都市力は高いところばっかだなと東京がなければ全国的にも最も都会な都市の一つとして挙げられていたでしょうね
@@セン-l3l おおっとここにも居たとは()
高崎>桐生…興味深いです。足尾は今じゃ2000人くらいしか住んでいないです
川越でそこだと浦和なんて…
当時の最重要輸出品である生糸の生産地でしたから
@@hydrangea0617 どうもです✋やはり銅山、銀山など鉱業都市は昔は強かったですね、、桐生は西陣織で日本の一大産業だったからですかね。
人口だけではなく、ちゃんと面積を見たら納得する。
東京市といえども23区になると人口密度下がってるのね
まぁ鹿骨とか土支田とか水元とかあんま人住んでないけど、それでも意外
あるいは都心部居住者が郊外に出て行ってしまったからかな
悲しくなってきますね。なんで今みたいに都市部に人口集中しちゃったのかなー
と思いながら最後まで見たけど、昔から普通に東京大阪に集中してるのね笑
とはいえ逆にそれぐらいなんですよ
まだ人口が各地に自生していた時代ですし、東京市も15区で、大大阪時代もまだですからね
新潟ないだろ、と思ってたら入ってた
だいぶ、トントンな人口だと思ってた
当時の面積ランキング上位もみてみたいかも
小樽が13位から100位にすら入らなくなったの悲しい
1920年の人口住むには丁度良さそう
なお人口密度
福井の変遷はまったく知りませんでした。きっと多くの人の想いが受け継がれているのでしょうね。
3島地域や裏日本頑張っててワロタ
軍事、軍需関係の都市が多いのがなるほどと思わされる
松本市の寸止め感、好き。
夕張の面積は増えてるのに人口が10分の1になってるのなぁぜなぁぜ?
面積は誤差
計測誤差でそうなることもあるんですね
教えてくださりありがとうございます
大昔は山の民も結構居ただろうけど、結局は平地の広さよね
那覇や室蘭が区だったの何だったんだろう。特別行政区かな?
2000年から2023年の人口増減数
今は福岡市が100年前のトップ3から人口吸い上げて、1強だね
北九州 −9.5万
長崎 −7.6万
佐世保 −4万
佐賀 −1.3万
鹿児島 −1万
大分 +1.8万
那覇 +1.2万
熊本 +1.7万
宮崎 +0.5万
いまの福岡市は大出世だな
大宮とか浦和の人口は、この当時は2万人くらいですね
福井市は、空襲と地震の他に水害もあってトリプルパンチでした🤜🤜🤜
吸収合併は計画的に
当然だけど、市区町村がみんな小さい。あの都市とあの都市(ネタバレ回避)が「区」だったのは知らなかった。
この自治体たちの今の順位知りたいな
今は市域が広がりすぎてなにか変! 札幌とか京都とか静岡とか言っても大半が山🏕ばかり。みんないなか。
今の新幹線の終着駅が函館金沢長崎あたりにあるけど、昔は都会だったんだなと
どーせ新潟が1位だろ?とか思ったら全然違った
それは県
50位から順に
高知市
若松市
松本市
今宮町
南千住町
夕張町
松山市
西巣鴨町
那覇区
室蘭区
豊崎町40位
甲府市
福井市
旭川区
富山市
前橋市
岐阜市
宇都宮市
大牟田市
浜松市
豊橋市30位
徳島市
熊本市
門司市
下関市
静岡市
渋谷町
和歌山市
堺市
佐世保市
横須賀市20位
新潟市
岡山市
福岡市
八幡市
札幌区15
鹿児島市
小樽区
仙台市
金沢市
呉市10位
函館区
広島市
長崎市
横浜市
名古屋市
京都市
神戸市 3位
大阪市 2位
東京市 1位
当時の市域での現在の人口ってどれくらいだろう?🤔
地方都市も都心だけですね。
久留米市が無いですね。1920年は62000人程度です。
神戸と京都がかなり減ってるな
市域の問題
昔は長崎が地方No.1だったのか…今ではなあ…
北海道と九州が全然違うな
こう見ると人口密度減ってるんだな
周辺の農村、里山を合併しまくってますからね
静岡市はやりすぎレベルですよ
昔は地方都市でも商店街が成り立ってましたのが良く分かりますねぇ…
西巣鴨は今の区域だとどのくらいの人口かな。調べようと思えばできる。
札幌は少ないけど、北海道民は多かった時代