菊と刀について話したい

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  • Опубликовано: 16 сен 2024
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    #菊と刀
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Комментарии • 15

  • @threeofbin6161
    @threeofbin6161 3 года назад +4

    とてもおもしろかったので、買ってみようと思います

  • @岩佐宏樹-o8y
    @岩佐宏樹-o8y 3 года назад +10

    応分の場…面白い概念ですね。
    応分の場というアイデンティティと西欧を基盤とした学校教育や資本主義、憲法、法律で求められるアイデンティティには差異があるため、応分の場のアイデンティティを持っている多くの日本人は自身の状態をアイデンティティの拡散と捉え、精神的に辛くなっているのではないかと考えさせられる内容でした!

    • @user-mg4yd4xr7c
      @user-mg4yd4xr7c  3 года назад +5

      形容はできないけど、なんとなく感じる分裂感は多分多くの人が感じていて、その原因の一つに彼女が指摘するものがあるのかもしれませんね!

  • @fenwayboston3578
    @fenwayboston3578 5 месяцев назад +1

    義理についての坊ちゃんのエピソード、面白かったです。人付き合いで生じる”貸し借り”が、友人関係のような半永続的な関係性を前提にして清算が猶予されていると考えると、それが破綻した瞬間に、今直ぐに精算しなければならい!という強迫観念に変化するのは、言われてみると大変日本人らしい感覚なんでしょうね。面白いです。

  • @わし星雲
    @わし星雲 6 месяцев назад +1

    ありがとうございます。

  • @かえる-t5q
    @かえる-t5q 2 года назад +3

    認知言語学的なところも関係あるのですかね、、
    英語は主語を付けるけど、日本語はあまり付けないから、、、
    言語によって思考パターンや宗教観が変わるみたいな話を思い出しました。
    菊と刀、図書館でパラパラしただけでしたが、次これにします!

  • @funkpipozaru
    @funkpipozaru 3 года назад +3

    明治維新による、身分制度がなくなって、国家神道体系で生成された、今なお続く立場主義的なものが日本人には強いと思ってます
    近代で言えば、戦争経験者、これにコンプレックスを抱く戦争知らない(団塊)世代、高度成長期熱狂世代、平成で成熟した貧困世代
    世代を採っても立場が色濃いので、各々の世代でも、各々の立場主義(マウント)にこれまた盲信的に突っ込んでいるのではないのかなと思います
    応分の場(捕虜)同様、動機が受動的ですよね
    関係ないですが私は40代で団塊が嫌いです
    いつもありがとうございます
    この長さでも足りないくらいですので、引き続き色々お教えください

    • @user-mg4yd4xr7c
      @user-mg4yd4xr7c  3 года назад +2

      世代で言うと、私はゆとり世代の少し前。一部ではプレッシャー世代と呼称される世代です。
      世代ごとのレッテルようなものも、アイデンティティに影響しているのかもしれませんね。

    • @funkpipozaru
      @funkpipozaru 3 года назад +2

      @@user-mg4yd4xr7c
      お若いですねー
      びっくりしました
      プレッシャー世代調べてみました
      体現なさってますね
      わたし世代と共通してるのは、やたらバブル自慢する大人に育てられたことですかねー
      必死に働いて気付いたら日本にがっくししてました
      引き続き楽しみにしております

  • @sudo_nagare
    @sudo_nagare Год назад +1

    相対的でないと文化間の分析は出来ませんよね。完全にニュートラルな文化は内部にしか存立し得ないと思います、逆説的に。閑話休題。相対性、って分析の前提となる「疑問点」みたいなものを浮き彫りにするにはもってこいなツールな気がします。だから、人類は未だ宇宙からの目線を(公式には)受けていない状態で、“人類”“文化・文明”という同一の土俵、(優越/蔑視の観念の関与には関わらず)同等の土俵で相互を言い当て合うしかない。
    逆に、「相対性に基づかない議論の提示ってどうやるんだろう??」って思ってしまいますね。
    そこでです。
    『応分の場』『恩』『義理』でない文化としてベネディクトが発想した自己文化(アメリカ文化)への理解がどんなものであったか気になります。
    『応分の場』『恩』『義理』どちらも日本人の感覚としては「共同体の中を巡る善意・徳」として理解できると思いました。
    するならば、ベネディクトのアメリカの自己文化は、「(共同体でない)個対個の利害得失の実際的(で資本経済的)な“交換型の”ネットワーク」を日本人の一個人であるわたくしは想起します。日本人はゲーム理論で損をする戦略でも無意識に取る傾向があるように思います。
    ベネディクトとは違い、わたくしは捕虜や敗戦後の例などを、『応分の場を複数持っているから』ではなく『応分の場が拡大して属することになったから』と感覚します。
    “アイデンティティを守る”という考え方のスキームは、如何にもアメリカ人らしいなと感じました。
    日本人は『応分の場』というものを、生得的にかどうか定かではありませんが自己の存在と重ね合わせて個人レベルから持っている気が致します。というのも(わたくし個人の場合は、ですが)いついかなる集団や関係に属しているときでも、そのスケールが大きく異なっていても、『(わたくし個人自身は)自己存在の揺らぎや危惧、もしくは外的環境性への忌避の何も感じていず、自己同一性が矛盾なく保たれている』と感じているからです。

  • @tamatama4456
    @tamatama4456 Год назад +1

    恩の英語;a feeling of moral indebtedness,道徳心の欠如が引き起こす危険事故そしてああ言えばこう言う現代の〇〇国民

    • @tamatama4456
      @tamatama4456 Год назад

      撃てば響く,すげー、だからI love this channel and you.