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表記の間違いがありました。吊橋や百歩の中の秋の風正しくは吊橋や百歩の宙の秋の風 です。訂正し、お詫びいたします🙇
何時も楽しく拝見させて頂いています。ただ、宙は、出来れば(そら)と読んでいただきたいと思います。
わざわざご丁寧なご返事をありがとうございます。確かに色々な読み方があって良いのが俳句の良さですよね。俳句も投稿した後は読者の物ですもね。益々のご活躍を祈念致します。ありがとうございました。🥰
私は・・・あほなので・・・宙を!不安定な環境を100歩遠いにゃ???とかんじて うつでもいいか中空はうつろとか・・・でも何かが見えました!@@ややんちゃ
「すこしだけ 命戻りし 秋の風」 残暑か???季語のある俳句が好きです!
コメント、ありがとうございます。俳句は知るほどに面白くなってきますね😄
とってもよいですね😂
ありがとうございます。励みになります☺️
こんにちわ!チコさん!もう夏も終わり秋の風いろいろな季語があり勉強になります。なんか寂しさもありますね。
弥生さん、ありがとうございます。寂しさが秋風の季語の本質になってくるのでしょうね☺️
有難うございました♪素敵な句ばかりですけど、中でも「うしろから秋風きたり草の中」渡辺水巴「吹尽しのちは草根に秋の風」加舎白雄のニ句には秋風と草の相性の良さが強く感じられました。渡辺水巴の最初の句「ひとすぢの秋風なりし蚊遣香」では詠むだけで蚊取線香の香りの記憶が蘇ります。すごいですね。お粗末ながら香りに触発されてわらべ唄古里かほる秋の風 次は秋風と草で秋の風道草食ひて迷ひけり (草違い😅) 桉音
季語との相性、発見ですね!
そうですか、水巴のこの季重なりで秋風が一筋切れ味よく吹くのですね。僕も一句、たつぷりと昭和を生きて秋刀魚焼く失礼。
季重なりを成功させる。俳人の技ですね。秋刀魚に哀愁を感じます🐟
こんにちは~。残暑厳しい中、動画を洩れなくUPしていくのは大変な作業だと思います。今回も素晴しい朗読と鑑賞をありがとうございます。 d(^-^)/季語「秋風」、仰っている様に初秋のまだ暑さが残る感じから晩秋の冷気を伴う蕭条とした感じまで同じ秋でも吹き方が大きく異なる季語なので詠み分けが結構難しい気がしますね~。・(1:44)「ひとすぢの秋風なりし蚊遣香 渡辺水巴」の句ですが、この季重なりはちゃんと主役が「秋風」となっていて、巧みですねー。季重なり句の手本の様な秀句ですね。それにちこさんも言及された過去の助動詞「し」がまた巧いですねー、一瞬を通り過ぎた秋風をはっきり言い直すことで、その質感が周囲に漂う蚊遣香の香りにも似た余韻となって暫く仄かに流れ続ける感じがしますね。そしてまた、句頭の「ひとすぢの」に情景が戻って行く感じもして、うーんこれは当方などの初心者にはとても真似できませんw。・(6:37)「吊橋や百歩の宙の秋の風 水原秋桜子」の句ですが、やはり中七「百歩の宙の」という余分な語は一切削ぎ落した措辞が見事ですねー。私は”百歩”は吊橋の全長というよりも作者が恐る恐る”百歩”程歩いてきた吊橋の中程の位置という映像を想像しましたね。橋の中程までやっとたどり着いて作者はほっと一息つくと同時に初めて涼しい秋の風に吹かれていることに気付く余裕が出たのかなと思ったのですが、どうでしょうかねw。”百歩”の取り方は読み手によって分かれるかもしれませんね。いづれにしてもこの中七の様な一種の”造語力”が一流の俳人は卓越しているという事ですねー。※次回の『主観強めの秀句』も楽しみです。塀、畑、パンクも直し秋の風 紅屑φ(- - )※田舎に帰省して一仕事こなしてきましたw。
紅屑さん、今回も更に深い解説をありがとうございます。勉強になります。故郷で大変でしたね。お疲れ様です😊
手かざしの空の青さや秋の風 せいりう 私はISOの審査機関に勤めています。今日も汗まみれの審査の現場から、眩しい外に出て、見上げた空の青さに感動してしまった。地上はこんなに暑いけど、きっとあの空には爽やかな秋の風が吹いているんだろうな❗
コメントありがとうございます。青い空と秋風の組み合わせ、夏の青さと違う情感を感じます😊
誤植訂正(9:58)誤:「百歩の中の」正:「百歩の宙の」d(^-^)/(No Problem)
ありゃ、確認不足でした😭いつも間違いを教えて頂いてありがとうございます。
宙の字は、そらと呼ぶと習いましたが、どうなんでしょうか。釣り橋を渡る人の歩みを下から見上げたとき、秋空の風の中を進んでいるようだと読んだ句です。
や やんちゃさん、こんにちは~。興味深い御指摘をありがとうございます。「宙(そら)」の読み方は確かにあり得ますねー。d(^-^)/ただ、私は『釣り橋を渡る人の歩みを作者が下から見上げた』ではなくてやはり『作者自身が吊橋の上に居る』情景をイメージしてしまいます。そう捉える根拠は「百歩の」という措辞からどうしても作者自らの足で歩いて距離を測った感を感じてしまうからです。なので、私は「宙(そら)」の読みの方が「宙(ちゅう)」の読みよりも吊橋から見下ろした谷底までの距離感が大きく感じられて下向き視線の情景がぐっと広がる感じを受けました。↓①「宙(ちゅう)」と読む。作者は吊橋の上。②「宙(ちゅう)」と読む。作者は谷底にいて見上げている。③「宙(そら)」と読む。作者は吊橋の上。下向きの視線で谷底までの距離感が①より大な感じ。④「宙(そら)」と読む。作者は谷底にいて見上げている。仰向けの視線で吊橋までの距離感が②より大な感じ。4つの説それぞれの情景を思い描いた読み手がいらっしゃる可能性がありますねー。୧( -᷅_-᷄ )୨
やんちゃさん、紅屑さん、読み方での句の印象の違い、勉強になりました。ありがとうございます。読み方、ルビがない場合、音読みか訓読みかいく通りと読み方がある場合と悩みますね。なるべく書物などで調べてみるのですがこの句は著者草間時彦さんの「俳句十二か月」のルビ表示を参考にさせて頂きました。いろんな鑑賞、読み方の影響力、勉強になりました。ありがとうございます。これからもご意見お聞かせいただけると嬉しいです😊
表記の間違いがありました。
吊橋や百歩の中の秋の風
正しくは
吊橋や百歩の宙の秋の風 です。
訂正し、お詫びいたします🙇
何時も楽しく拝見させて頂いています。
ただ、宙は、出来れば(そら)と読んでいただきたいと思います。
わざわざご丁寧なご返事をありがとうございます。
確かに色々な読み方があって良いのが俳句の良さですよね。
俳句も投稿した後は読者の物ですもね。益々のご活躍を祈念致します。ありがとうございました。🥰
私は・・・あほなので・・・宙を!不安定な環境を100歩遠いにゃ???とかんじて うつでもいいか中空はうつろとか・・・でも何かが見えました!@@ややんちゃ
「すこしだけ 命戻りし 秋の風」 残暑か???季語のある俳句が好きです!
コメント、ありがとうございます。俳句は知るほどに面白くなってきますね😄
とってもよいですね😂
ありがとうございます。励みになります☺️
こんにちわ!チコさん!もう夏も終わり秋の風いろいろな季語があり勉強になります。なんか寂しさもありますね。
弥生さん、ありがとうございます。寂しさが秋風の季語の本質になってくるのでしょうね☺️
有難うございました♪
素敵な句ばかりですけど、中でも
「うしろから秋風きたり草の中」渡辺水巴
「吹尽しのちは草根に秋の風」加舎白雄
のニ句には秋風と草の相性の良さが強く感じられました。
渡辺水巴の最初の句「ひとすぢの秋風なりし蚊遣香」では詠むだけで蚊取線香の香りの記憶が蘇ります。すごいですね。
お粗末ながら香りに触発されて
わらべ唄古里かほる秋の風
次は秋風と草で
秋の風道草食ひて迷ひけり
(草違い😅) 桉音
季語との相性、発見ですね!
そうですか、水巴のこの季重なりで秋風が一筋切れ味よく吹くのですね。
僕も一句、
たつぷりと昭和を生きて秋刀魚焼く
失礼。
季重なりを成功させる。俳人の技ですね。
秋刀魚に哀愁を感じます🐟
こんにちは~。残暑厳しい中、動画を洩れなくUPしていくのは大変な作業だと思います。今回も素晴しい朗読と鑑賞をありがとうございます。 d(^-^)/
季語「秋風」、仰っている様に初秋のまだ暑さが残る感じから晩秋の冷気を伴う蕭条とした感じまで同じ秋でも吹き方が大きく異なる季語なので詠み分けが結構難しい気がしますね~。
・(1:44)「ひとすぢの秋風なりし蚊遣香 渡辺水巴」の句ですが、この季重なりはちゃんと主役が「秋風」となっていて、巧みですねー。季重なり句の手本の様な秀句ですね。それにちこさんも言及された過去の助動詞「し」がまた巧いですねー、一瞬を通り過ぎた秋風をはっきり言い直すことで、その質感が周囲に漂う蚊遣香の香りにも似た余韻となって暫く仄かに流れ続ける感じがしますね。そしてまた、句頭の「ひとすぢの」に情景が戻って行く感じもして、うーんこれは当方などの初心者にはとても真似できませんw。
・(6:37)「吊橋や百歩の宙の秋の風 水原秋桜子」の句ですが、やはり中七「百歩の宙の」という余分な語は一切削ぎ落した措辞が見事ですねー。私は”百歩”は吊橋の全長というよりも作者が恐る恐る”百歩”程歩いてきた吊橋の中程の位置という映像を想像しましたね。橋の中程までやっとたどり着いて作者はほっと一息つくと同時に初めて涼しい秋の風に吹かれていることに気付く余裕が出たのかなと思ったのですが、どうでしょうかねw。”百歩”の取り方は読み手によって分かれるかもしれませんね。いづれにしてもこの中七の様な一種の”造語力”が一流の俳人は卓越しているという事ですねー。
※次回の『主観強めの秀句』も楽しみです。
塀、畑、パンクも直し秋の風 紅屑φ(- - )
※田舎に帰省して一仕事こなしてきましたw。
紅屑さん、今回も更に深い解説をありがとうございます。
勉強になります。
故郷で大変でしたね。お疲れ様です😊
手かざしの空の青さや秋の風
せいりう
私はISOの審査機関に勤めています。今日も汗まみれの審査の現場から、眩しい外に出て、見上げた空の青さに感動してしまった。地上はこんなに暑いけど、きっとあの空には爽やかな秋の風が吹いているんだろうな❗
コメントありがとうございます。
青い空と秋風の組み合わせ、夏の青さと違う情感を感じます😊
誤植訂正(9:58)
誤:「百歩の中の」
正:「百歩の宙の」
d(^-^)/(No Problem)
ありゃ、確認不足でした😭
いつも間違いを教えて頂いてありがとうございます。
宙の字は、そらと呼ぶと習いましたが、どうなんでしょうか。釣り橋を渡る人の歩みを下から見上げたとき、秋空の風の中を進んでいるようだと読んだ句です。
や やんちゃさん、こんにちは~。興味深い御指摘をありがとうございます。「宙(そら)」の読み方は確かにあり得ますねー。d(^-^)/
ただ、私は『釣り橋を渡る人の歩みを作者が下から見上げた』ではなくてやはり『作者自身が吊橋の上に居る』情景をイメージしてしまいます。そう捉える根拠は「百歩の」という措辞からどうしても作者自らの足で歩いて距離を測った感を感じてしまうからです。なので、私は「宙(そら)」の読みの方が「宙(ちゅう)」の読みよりも吊橋から見下ろした谷底までの距離感が大きく感じられて下向き視線の情景がぐっと広がる感じを受けました。
↓
①「宙(ちゅう)」と読む。作者は吊橋の上。
②「宙(ちゅう)」と読む。作者は谷底にいて見上げている。
③「宙(そら)」と読む。作者は吊橋の上。下向きの視線で谷底までの距離感が①より大な感じ。
④「宙(そら)」と読む。作者は谷底にいて見上げている。仰向けの視線で吊橋までの距離感が②より大な感じ。
4つの説それぞれの情景を思い描いた読み手がいらっしゃる可能性がありますねー。୧( -᷅_-᷄ )୨
やんちゃさん、紅屑さん、
読み方での句の印象の違い、勉強になりました。
ありがとうございます。
読み方、ルビがない場合、音読みか訓読みかいく通りと読み方がある場合と悩みますね。なるべく書物などで調べてみるのですが
この句は著者草間時彦さんの「俳句十二か月」のルビ表示を参考にさせて頂きました。
いろんな鑑賞、読み方の影響力、勉強になりました。
ありがとうございます。
これからもご意見お聞かせいただけると嬉しいです😊