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磯子区出身です。磯子行き(磯子止まり)を見ると、楽しい気分になります。
電車が動き出す瞬間まだ車掌さんは両足ともホームに降りていて、動き出してから乗り込むのがちょっとアクロバティックで、亀の子スタイルに見慣れた目には新鮮です。
この頃の電車は本当に窓全開ですなぁ。車掌の動きが今じゃ見られないスタイルですね。
時を超え、2020年の電車も窓全開
@@As-mz8gg 完全冷房の205系ですら窓全開で走ってたのは、当時は冷房が使える期間が決まってたからだと記憶してます(確か6月~9月)。私鉄の冷房車でも盛夏時以外の多少暑い日は普通に窓を開けて走ってたんじゃないかと。
コメ主と後二人、窓全開の意味が違う気がする。この頃の電車の二段完全上昇式は"本当に"窓が全開になった。その事を言っているのだろう。>0:31今の電車は最大でも半開。
国鉄時代って昼間はヘッドライト無灯走行ですね。あとテールライトも電球式で90年代半ばからヘッドライトは昼間でも点灯して走ってテールライトは103系でもLED化したな
JR化後の1991年3月改正まで昼間は無灯走行でした。
@@荒川悟志-k6e それで4月から全線ヘッドライト点灯して走るようになったと。
@@AKIRA-qt1cr 多分3月16日改正当日からだそうです。
そうそう。国鉄時代は、線路の保守の関係で日中は山手線と京浜東北線で線路を共用してました。映像は山手線の線路を京浜東北線が走るというシーンですが、逆に京浜東北線の線路を山手線が走ることもありました。京浜東北線に快速が運転されるようになった1988年頃まであったようです。田町と田端のシーサスクロッシングが日常的に機能していた時代です。
この青色の電車(何系か)分からないが、何十年か前に、富山県の富山駅から、富山港線が出ていたのですが、途中の城川原駅に車両留置所があって、この青い車両があり、写真撮って来た記憶が浮かんできました。撮り鉄時代の思い出です。国電と云ってた。
和泉弘 他動画の宣伝になりますがこれのことですよねruclips.net/video/mVjiTKs6GD4/видео.html
京浜東北のドア閉めるときの車掌の姿勢w
日差しでモニターが見にくいんだと思う。画面性能も今より良くないし。
いやあ、懐かしいですねえ。あの車掌のやる気のない感じが本当に国鉄だwwあと久々に車掌の箱乗りを見たなあ。この頃は発車してからしばらく箱乗りしていたよなあ。あれは見ていて結構かっこいいと当時は思ったわ。
箱乗り格好良いですよね。昔は目視確認ちゃんとしてくれた。今は目視確認ほとんどしないで閉めている。
今は首都圏の最古形式である205系も、この当時は最新型でしたので、輝いて見えますね。水色の103系は私が小さい頃に、乗ったことがあります。
平日昼間は交代で京浜東北線線路を両方が走ったり山手線線路を両方が走ったりしていました。当時の山手線は5分間隔だったからできた芸当です。でもそのために遅れたりしましたけどね。
懐かしすぎ今じゃ考えにくいけど、この当時はまだ全車両に空調が付いていなくて、夏場とか車両の屋根見て電車乗ってたっけ。
発車メロディのない鶯谷駅。今思えばこんなに静かだったんだ・・・・。
懐かしい‼️( ^▽^)正に、幼稚園の頃ですなぁ。山手線が徐々に205系増やしていた、次期で翌年に〈国鉄〉が分割民営するとは、当時は予想しなかったですね。高運転の京浜東北線〈103系〉はいまだに好きな車種です!‼️
色が逆転してJR奈良線…
1986年です。
205系デビュー当時の動画ですね。これは貴重
103系と205系ありがとう😆💕✨
プラットホームの案内板が次のようだとすると、山手線 京浜東北線← →京浜東北線の「→」が90度回転して「←」になるようになっていました。
京浜東北線が内側を走っているなんてびっくりです
この頃はやっていたE電という呼び名、どこ行ったんだろう?(秋葉原駅などの駅案内板にE電って書いていたような?)
「E電」はJRになってからですね。この頃はまだ国鉄時代なので「国電」と呼ばれてました。JR化後に「E電」になりましたが定着しませんでした。
ドア閉めるときサンダル脱げたら凄い焦るだろうw
そのやる気のない国鉄車掌が乗った103系が発車してゆくとき、ガラスがカーカーと鳴いているのが面白いです
サンダル勤務か良いね、素晴らしい素晴らしい👏ストだらけの時代でしごき教育受けたかったわ。
今サンダルだったらテレビや新聞やネットで全国報道されて職務停止になるからなただし虎ノ門の弁護士だけは特別扱いで違うようですが...
それでも、今のJR東日本の車掌よりは仕事してる。あの仕事内容ならJR東日本の車掌いらないでしょ。車内放送はしない、モニター等の乗降確認もしない、指差喚呼もだんだんアクションが小さくなっていったズームイン朝みたいに軽く指差しするだけでしてんだかしてないんだかよく分からないレベル。ブザーで発車合図もしない。いざ前方で踏切安全確認が必要な時は運転士に行かせて、お前何してんだよ状態。サンダルだろうがちゃんと仕事してるから問題なし。
山手線京浜東北線です。
うるせえよw
自分で自分の首を締めたということがひと目で分かる動画コンプラとかね
車掌の姿勢が変なのはモニター見るためかな?
カラス兄貴迫真の演技
カラスくんは全てを見ていた…?
国鉄時代です。
同じ所走ってたんですよねたしか?
@UcchariPrince当時の 車掌には、内側ホームは直線的でモニターも少なく安全確認しやすく、外側ホームは曲線で死角があり視認しにくくモニター数も多くて嫌がられてました。秋葉原駅あたりで、よく比べられます。
そうですね。今では、リフレッシュ工事以外あり得ない光景ですからね。
俺が鉄ヲタを卒業した5年後の動画だ。この頃の鉄道のことは一切知らない。
@kmnekn 映像撮影の季節が不明ですが 当時は経費節減のため 車内エアコンを入れず送風と窓開けによる換気によって車内の温度管理の協力をお願いしていました。もちろん真夏はエアコン全開です。余談ですが、晴天時には車内の蛍光灯も節電のため消灯してました。
国鉄時代には、1輛に一人は旗ふり屋がいましたしラッシュ時には押屋もいました。それがモニター1台に取って代わられて人員整理になるというので大騒ぎでした。画像には車掌がひとりで乗務していますが、国鉄末期で貨物の車掌が旅客に転属で余剰人員のころは、左のドアの開け閉めには乗務員室の左の車掌、右のドアは右の車掌、駅名案内は真ん中の車掌、車内案内は専務車掌と最低4人は乗っていました。人あまりだったんですね。
国鉄時代、1986年ぐらいですか?
そうです。タイトル通り1986年です。
電車の顔が昔
この時代は黄色い線ではなく、白線だったんですね
鶯谷駅です。
亀の子じゃない・・・今では考えられない
珍しい!!!
まだJRマークがついてないですね。
タイトルにありますが、分割民営化前。まだ国鉄です。
車掌さんの乗り方が危ないですね。
むしろ今のJR東日本のスタイルが車掌が何もしなさすぎ。あれならワンマンで運転士が先頭でやるで十分。他のコメで指摘してる車掌の姿勢、モニターが見にくいからあーなってる、つまりきちんとモニターで死角の乗降状況を把握しドア閉めて、ブザーで発車指示(運転士も戸閉めランプで確認)ゆっくり動き出す列車に戻る。JR東海の「ドア、ホーム、オーライ」がやり過ぎみたいに言われてるが、昔は普通にやってた。京急のマイクをホームに落として乗務中の終電に置いてかれてダッシュで次の駅に走った車掌さんの話も、きちんと車掌の仕事してる証拠なんだよね。
どうも初めまして。現在のJR東日本ではこのような光景は見られないわけでございますが、いずれ、JR東日本も発車するときは合図用のブザー鳴らした方がいいと思いますね。
この205系窓あけてるひとおおくないですか?
感染症対策だからね。
最初の103系の5と6両目は非冷房ではないですか?
n!そういわれてみりゃ逆走ってるなwww
この時はまだギリ国鉄?
タイトルに書いてあるけど?国鉄時代86年って
@agemangirl1919 俗にバブルは86年12月からと言われてますよね。国鉄からJRへの過渡期でした。
磯子区出身です。磯子行き(磯子止まり)を見ると、楽しい気分になります。
電車が動き出す瞬間まだ車掌さんは両足ともホームに降りていて、動き出してから乗り込むのがちょっとアクロバティックで、亀の子スタイルに見慣れた目には新鮮です。
この頃の電車は本当に窓全開ですなぁ。
車掌の動きが今じゃ見られないスタイルですね。
時を超え、2020年の電車も窓全開
@@As-mz8gg 完全冷房の205系ですら窓全開で走ってたのは、当時は冷房が使える期間が決まってたからだと記憶してます(確か6月~9月)。
私鉄の冷房車でも盛夏時以外の多少暑い日は普通に窓を開けて走ってたんじゃないかと。
コメ主と後二人、窓全開の意味が違う気がする。
この頃の電車の二段完全上昇式は"本当に"窓が全開になった。その事を言っているのだろう。>0:31
今の電車は最大でも半開。
国鉄時代って昼間はヘッドライト無灯走行ですね。あとテールライトも電球式で90年代半ばからヘッドライトは昼間でも点灯して走ってテールライトは103系でもLED化したな
JR化後の1991年3月改正まで昼間は無灯走行でした。
@@荒川悟志-k6e それで4月から全線ヘッドライト点灯して走るようになったと。
@@AKIRA-qt1cr
多分3月16日改正当日からだそうです。
そうそう。国鉄時代は、線路の保守の関係で日中は山手線と京浜東北線で線路を共用してました。映像は山手線の線路を京浜東北線が走るというシーンですが、逆に京浜東北線の線路を山手線が走ることもありました。京浜東北線に快速が運転されるようになった1988年頃まであったようです。田町と田端のシーサスクロッシングが日常的に機能していた時代です。
この青色の電車(何系か)分からないが、何十年か前に、富山県の富山駅から、富山港線が出ていたのですが、途中の城川原駅に車両留置所があって、この青い車両があり、写真撮って来た記憶が浮かんできました。
撮り鉄時代の思い出です。国電と云ってた。
和泉弘 他動画の宣伝になりますがこれのことですよね
ruclips.net/video/mVjiTKs6GD4/видео.html
京浜東北のドア閉めるときの車掌の姿勢w
日差しでモニターが見にくいんだと思う。画面性能も今より良くないし。
いやあ、懐かしいですねえ。
あの車掌のやる気のない感じが本当に国鉄だww
あと久々に車掌の箱乗りを見たなあ。この頃は発車してからしばらく箱乗りしていたよなあ。
あれは見ていて結構かっこいいと当時は思ったわ。
箱乗り格好良いですよね。
昔は目視確認ちゃんとしてくれた。
今は目視確認ほとんどしないで閉めている。
今は首都圏の最古形式である205系も、この当時は最新型でしたので、輝いて見えますね。
水色の103系は私が小さい頃に、乗ったことがあります。
平日昼間は交代で京浜東北線線路を両方が走ったり山手線線路を両方が走ったりしていました。
当時の山手線は5分間隔だったからできた芸当です。でもそのために遅れたりしましたけどね。
懐かしすぎ
今じゃ考えにくいけど、この当時はまだ全車両に空調が付いていなくて、夏場とか車両の屋根見て電車乗ってたっけ。
発車メロディのない鶯谷駅。
今思えばこんなに静かだったんだ・・・・。
懐かしい‼️( ^▽^)
正に、幼稚園の頃ですなぁ。山手線が徐々に205系増やしていた、次期で翌年に〈国鉄〉が分割民営するとは、当時は予想しなかったですね。高運転の京浜東北線〈103系〉はいまだに好きな車種です!‼️
色が逆転してJR奈良線…
1986年です。
205系デビュー当時の動画ですね。
これは貴重
103系と205系ありがとう😆💕✨
プラットホームの案内板が次のようだとすると、
山手線 京浜東北線
← →
京浜東北線の「→」が90度回転して「←」になるようになっていました。
京浜東北線が内側を走っているなんてびっくりです
この頃はやっていたE電という呼び名、どこ行ったんだろう?(秋葉原駅などの駅案内板にE電って書いていたような?)
「E電」はJRになってからですね。
この頃はまだ国鉄時代なので「国電」と呼ばれてました。
JR化後に「E電」になりましたが定着しませんでした。
ドア閉めるときサンダル脱げたら凄い焦るだろうw
そのやる気のない国鉄車掌が乗った103系が発車してゆくとき、ガラスがカーカーと鳴いているのが面白いです
サンダル勤務か
良いね、素晴らしい素晴らしい👏
ストだらけの時代でしごき教育受けたかったわ。
今サンダルだったらテレビや新聞やネットで全国報道されて職務停止になるからな
ただし虎ノ門の弁護士だけは特別扱いで違うようですが...
それでも、今のJR東日本の車掌よりは仕事してる。あの仕事内容ならJR東日本の車掌いらないでしょ。車内放送はしない、モニター等の乗降確認もしない、指差喚呼もだんだんアクションが小さくなっていったズームイン朝みたいに軽く指差しするだけでしてんだかしてないんだかよく分からないレベル。ブザーで発車合図もしない。いざ前方で踏切安全確認が必要な時は運転士に行かせて、お前何してんだよ状態。サンダルだろうがちゃんと仕事してるから問題なし。
山手線京浜東北線です。
うるせえよw
自分で自分の首を締めたということがひと目で分かる動画
コンプラとかね
車掌の姿勢が変なのはモニター見るためかな?
カラス兄貴迫真の演技
カラスくんは全てを見ていた…?
国鉄時代です。
同じ所走ってたんですよね
たしか?
@UcchariPrince当時の 車掌には、内側ホームは直線的でモニターも少なく安全確認しやすく、外側ホームは曲線で死角があり視認しにくくモニター数も多くて嫌がられてました。秋葉原駅あたりで、よく比べられます。
そうですね。今では、リフレッシュ工事以外あり得ない光景ですからね。
俺が鉄ヲタを卒業した5年後の動画だ。この頃の鉄道のことは一切知らない。
@kmnekn 映像撮影の季節が不明ですが 当時は経費節減のため 車内エアコンを入れず送風と窓開けによる換気によって車内の温度管理の協力をお願いしていました。もちろん真夏はエアコン全開です。余談ですが、晴天時には車内の蛍光灯も節電のため消灯してました。
国鉄時代には、1輛に一人は旗ふり屋がいましたしラッシュ時には押屋もいました。それがモニター1台に取って代わられて人員整理になるというので大騒ぎでした。画像には車掌がひとりで乗務していますが、国鉄末期で貨物の車掌が旅客に転属で余剰人員のころは、左のドアの開け閉めには乗務員室の左の車掌、右のドアは右の車掌、駅名案内は真ん中の車掌、車内案内は専務車掌と最低4人は乗っていました。人あまりだったんですね。
国鉄時代、1986年ぐらいですか?
そうです。
タイトル通り1986年です。
電車の顔が昔
この時代は黄色い線ではなく、白線だったんですね
鶯谷駅です。
亀の子じゃない・・・
今では考えられない
珍しい!!!
まだJRマークがついてないですね。
タイトルにありますが、分割民営化前。まだ国鉄です。
車掌さんの乗り方が危ないですね。
むしろ今のJR東日本のスタイルが車掌が何もしなさすぎ。あれならワンマンで運転士が先頭でやるで十分。他のコメで指摘してる車掌の姿勢、モニターが見にくいからあーなってる、つまりきちんとモニターで死角の乗降状況を把握しドア閉めて、ブザーで発車指示(運転士も戸閉めランプで確認)ゆっくり動き出す列車に戻る。JR東海の「ドア、ホーム、オーライ」がやり過ぎみたいに言われてるが、昔は普通にやってた。京急のマイクをホームに落として乗務中の終電に置いてかれてダッシュで次の駅に走った車掌さんの話も、きちんと車掌の仕事してる証拠なんだよね。
どうも初めまして。現在のJR東日本ではこのような光景は見られないわけでございますが、
いずれ、JR東日本も発車するときは合図用のブザー鳴らした方がいいと思いますね。
この205系窓あけてるひとおおくないですか?
感染症対策だからね。
最初の103系の5と6両目は非冷房ではないですか?
n!そういわれてみりゃ逆走ってるなwww
この時はまだギリ国鉄?
タイトルに書いてあるけど?
国鉄時代86年って
@agemangirl1919 俗にバブルは86年12月からと言われてますよね。国鉄からJRへの過渡期でした。
山手線京浜東北線です。