再臨主の降臨、準備時代2 全部

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  • Опубликовано: 5 фев 2025
  • (一)カイン型(悪的・サタン側)の人生観
    人間本性の外的な追求は、ヘレニズムの復古運動を起こして人本主義を生みだした
    そして、この人本主義を基盤にして起こった反中世的な文芸復興運動は、神への帰依と宗教的な献身を軽んじ、
    すべてのことを自然と人間本位のものに代置させたのである
    すなわち、神に偏りすぎて自然や人間の肉身を軽視し、
    それらを罪悪視するまでに至った中世的な人生観から、理性と経験による合理的な批判と実証的な分析を通じて
    人間と自然を認識することにより、彼らの価値を高める人生観を確立したのである
    このような人生観は、自然科学の発達からくる刺激により、
    人生に対する認識と思惟の方法論において二つの形式をたどるようになった
    そしてこれらが近世哲学の二大潮流をつくったのであるが、その一つは演繹法による理性論であり、
    もう一つは帰納法による経験論である
    フランスのデカルト(Descartes1596〜1650)を祖とする理性論は、
    すべての真理は人間が生まれながらにもっている理性によってのみ探求されると主張した
    彼らは歴史性や伝統を打破して演繹法を根拠とし、
    「我思う、ゆえに我あり」という命題を立てて、これから演繹することによって初めて外界を肯定しようとしたのである
    したがって、彼らは神や世界や自分までも否定する立場に立とうとしたのである
    これに対して、イギリスのベーコン(FrancisBacon1561〜1626)を祖とする経験論は、
    すべての真理は経験によってのみ探求されると主張した
    人間の心はちょうど白紙のようなもので、新しい真理を体得するには、
    すべての先入観を捨てて実験と観察によって認識しなければならないとしたのである
    このように、神から離れて理性を重要視する合理主義思想と、経験に基盤をおく
    人間中心の現実主義思想は、共に神秘と空想を排撃して、
    人間生活を合理化しながら現実化し、自然と人間とを神から分離させたのである
    文芸復興は、人文主義から流れてきた二つの思潮に乗って、人間がその内的な性相に従って神の国を復帰しようとするその道を遮り、
    外的な性向のみに従ってサタンの側に偏る道を開く人生観を生みだした
    これが正にカイン型(悪的・サタン側)の人生観だった
    このカイン型(悪的サタン側)の人生観は、十八世紀に至っては、歴史と伝統を打破して人生のすべてを理性的または現実的にのみ判断し、
    不合理なもの、非現実的なものを徹底的に排撃し、
    神を否定する合理的な現実にのみ重きをおくようになったのである
    これがすなわち啓蒙思想だった
    このような経験論と理性論を主流として発展した啓蒙思想がフランス革命の原動力となったのである
    このようなカイン型(悪的サタン側)の人生観の影響を受けて、
    イギリスではハーバート(Herbert1583〜1648)を祖とする超越神教(Deism=理神論)が起こった
    トマス・アクィナス(ThomasAquinas1224〜1274)以来、天啓と理性の調和に基礎をおいて発展した神学に対し、
    超越神教は単純に、理性を基礎とした神学を立てようとしたのである
    彼らの神観は、単純に、神を、人間と宇宙を創造したという一つの意義にのみ局限させようとし、
    人間において神の啓示や奇跡は必要ないと主張した
    十九世紀の初め、ドイツのヘーゲル(Hegel1770〜1831)は
    十八世紀以後に起こった観念論哲学を大成した
    しかし、このヘーゲル哲学も、啓蒙思想を土台としてフランスで起こった無神論と唯物論の影響を受けて、
    彼に反対するヘーゲル左派の派生をもたらした
    このヘーゲル左派は、ヘーゲルの論理を翻し、今日の共産世界をつくった弁証法的
    唯物論の哲学を体系化したのである
    ヘーゲル左派であるシュトラウス(DFStrauss1808〜1874)は『イエス伝』を著述して、聖書に現れた奇跡は後世の捏造であるとして否定し、
    フォイエルバッハ(Feuerbach1804〜1872)は彼の『キリスト教の本質』の中で、社会的または経済的与件が宗教発生の原因になると説明した
    このような学説が唯物論の基礎を形成したのである
    マルクス(Marx1818〜1883)とエンゲルス(Engels1820〜1895)は、
    シュトラウスやフォイエルバッハの影響を受けたが、
    それよりもフランスの社会主義思想から大きな影響を受けて弁証法的唯物論を提唱し、
    文芸復興以後に芽生えはじめて、啓蒙思潮として発展してきた無神論と唯物論とを集大成するに至った
    その後、カイン型(悪的・サタン側)の人生観は一層成熟して、
    今日の共産主義世界をつくるようになったのである
    (二)アベル型(である善的で神側)の人生観
    我々は、中世社会から近代社会への歴史の流れを見るとき、
    それが神や宗教から人間を分離、あるいは独立させる過程であるとのみ考えがちである
    これは、どこまでも中世社会人の本性の外的な追求によって起こったカイン型
    (悪的サタン側)の人生観にのみ立脚して見たからである
    しかし、中世の人々の本性的な追求は、このような外的なものにばかりとどまったのではなく、
    より深く内的なものをも追求するようになったのである
    彼らの本性の内的な追求が、ヘブライズムの復古運動を発生させることによって
    宗教改革運動を起こし、この運動によって哲学と宗教は創造本性を指向する立体的な人生観を樹立したのだった
    これを我々は、アベル型(である善的で神側)の人生観という
    したがって、カイン型(悪的サタン側)の人生観は、
    中世の人々を神と信仰から分離、あるいは独立させる方向へ傾かせたが、
    このアベル型(である善的で神側)人生観は、彼らを一層高次的に神の側へ指向するように導いてくれたのである
    ドイツのカント(Kant1724〜1804)は、お互いに対立してきた経験論と理性論を吸収して新たに批判哲学を打ち立て、
    内外両面を追求する人間本性の欲望を哲学的に分析して、
    哲学的な面でアベル型(である善的で神側)の人生観を開拓した
    すなわち、我々の多様な感覚は対象の触発によって生ずるが、
    これだけでは認識の内容を与えるだけで、認識自体は成立し得ない
    この認識が成立するためには、多様な内容(これは後天的で
    経験的なものである)を一定の関係によって統一する形式がなければならない
    その形式がまさしく自分の主観である
    ゆえに、思惟する能力、すなわち自己の悟性の自発的な作用により、自己の主観的な形式(これは先天的であり超経験的である)をもって、
    対象からくる多様な感覚を統合、統一するところに認識が成立するとした
    このようにカントは、対象により主観を形成するという従来の模写説を
    翻して、主観が対象を構成するという学説を提唱したのである
    こうしたカントの学説を受け、彼の第一後継者であるフィヒテ(Fichte1762〜1814)をはじめ、
    シェリング(Schelling1775〜1854)、ヘーゲルなどが輩出したが、
    特にヘーゲルはその弁証法で哲学の新しい面を開拓した
    彼らのこのような観念論は、哲学的な面におけるアベル型(である善的で神側)の人生観を形成したのである
    宗教界においては、当時の思潮だった合理主義の影響下の宗教界の傾向に反対して、宗教的情熱と内的いのちを重要視し、
    教理と形式よりも神秘的体験に重きをおく、新しい運動が起こるようになった
    その代表的なものは第一に敬虔主義(Pietism)で、
    これはドイツのシュペーネル(Spener1635〜1705)を中心として起こったが、
    正統的信仰に従おうとする保守的な傾向が強く、神秘的な体験に重きをおいたのだった
    また、この敬虔派の運動がイギリスに波及し、
    英国民の生活の中に染みこんでいた宗教心と融和して、ウェスレイ(J
    Wesley1703〜1791)兄弟を中心とするメソジスト派
    (Methodists)を起こすようになったのである
    この教派は、沈滞状態に陥っていた当時の英国教会に大きな復興の気運を起こしたのだった
    また英国には、神秘主義者フォックス(Fox1624〜169
    1)を祖とするクェーカー派(Quakers)が生じた
    フォックスは、キリストは信徒の霊魂を照らす内的な光である、と主張して、聖霊を受けてキリストと神秘的に結合し、
    内的光明を体験しなければ聖書の誠意を知ることができないと主張した
    この教派は、アメリカ大陸でも多くの迫害を受けながら布教を行ったのである
    つぎに、スウェーデンボルグ(Swedenborg1688〜1772)は
    著名な科学者でありながら霊眼が開け天界の多くの秘密を発表した
    彼の発表は、長い間神学界で無視されてきたが、
    最近に至って霊界に通ずる人が増加するにつれて、次第にその価値が再認識されるようになってきた
    このように、アベル型(である善的で神側)の人生観は成熟して、
    今日の民主主義世界をつくるようになったのである
    第三節政治、経済および思想の成熟期(1789〜1918)
    前の時期において、宗教および思想の闘争はカイン、アベル二つの型の人生観を樹立してきたが、
    この時期に至ると、この二つの人生観はそれぞれの方向に従って成熟するようになった
    そして、それらの思想の成熟につれて、カイン(悪的でサタン側)、アベル(善的で神側)の二つの世界が形成されていったのである
    社会の構造もこの二つの人生観に立脚した社会形態へと整理されて、
    政治、経済、思想も理想社会へと転換され得る前段階にまで進展した
    フランス革命とイギリスの産業革命以後、第一次世界大戦が終わるころまでが
    このような摂理期間だったのである
    (一)民主主義
    歴史発展の観点から見た民主主義に関しては既に前章で論述した
    しかし、それはどこまでも民主主義が出てくるまでの外的な経緯だった
    我々はこのような歴史の発展の中で、いかなる思想の流れに乗って
    今日の民主主義が出てくるようになったのか、その内的な経緯を調べてみることにしよう
    キリスト王国時代において、法王を中心とした霊的な王国と、国王を中心とした実体の王国とが一つとなり、
    メシヤ王国のための君主社会をつくって「メシヤ降臨のための基台」をつくったならば、そのときに封建時代は終わったはずだった
    しかし、この摂理が成し遂げられなかったので、この時代は延長され、
    政治史と宗教史と経済史とが互いに分立された路程に従って発展するようになったのである
    中世封建時代において地方の諸侯たちに分散されていた政治権力は、十字軍戦争以後衰えはじめ、
    文芸復興と宗教改革を経て、啓蒙期に至っては一層衰微したのだった
    十七世紀中葉に至ると、諸侯たちは民族を単位とする統一国家を立てて国王のもとに集中し、
    中央集権による絶対主義国家(専制主義国家)を形成するようになったのである
    この時代は、王権神授説などの影響で、国王に絶対的な権限が賦与されていた専制君主時代だった
    この時代が到来するようになった原因を
    社会的な面から見るならば、それは、第一に、市民階級が国王と結合して、封建階級と対抗するためであり、
    第二には、経済的な活動において、貿易経済が支配的なものとなったために、封建制度から抜けだした強力な国家の背景を必要とし、
    また、国民の全体的な福利のために、強力な国家の保護と監督による、重商主義経済政策が要望されるところにあったのである
    また、復帰摂理から歴史発展を考えてみると、封建時代以後には、天の側の君主社会が成就されなければならなかったのであるが、
    この時代には法王と国王とが一つになれなかったので、この社会は完成されず、
    法王を中心とする社会は(次になさんとする神の側の摂理を)サタンが先に

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