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貴重な生き証人たる吉田先生自ら歌われるのは初めて聞きました、終戦になっても帰国できないで2,3年後に帰国されたと聴いてますが、帰国後多くの歌手を育てられ戦後復興時の国民に勇気と元気を与えていただきました!!!
小学生の頃、この歌詞のように堪え忍びながら毎日を送っていました。因みに戦時中ではありません。戦後20年です。私の小学生時代は、そんな私生活でした。来ましたよ。春は。タガが外れそうになるくらい、明るくて、温かくて、楽しい日々が。 だからもし今、この世とお別れしようかな?と思い悩んでいる人がいたら、それはやめておくべきです。苦しみが厳しいほど、褒美は最上級です。信じて。
吉田先生自身が、シベリア抑留を経験されているため、異国の丘は、本当に心に染み入る素晴らしい曲ですよね🙆
ハンガリーで加藤と日本に向かってうたったな‼️その加藤も空手指導の最中に異国の土となった‼️我慢だ待てよ〰️我慢だ待てよ〰️🎵力強く弟子達と歌った頃が懐かしい❗️押忍‼️
吉田先生の異国での体験、感じたこと、人との会話、辛い思い出や楽しかった事などこの歌に込められていますね。有難う御座いました。
「流行りものは廃れもの」といいますが、永遠に廃れないものもその中には確実に存在します。シベリア抑留中の日本軍兵士、増田幸治が作詞、吉田正が作曲したこの歌も、その一つです。この歌も、確実に歌謡史に残る明鏡でしょう。昭和21年に行われた戦後第一回目のNHK素人のど自慢で初めて披露されました。当時、楽譜も何もないところから、シベリア帰りの元兵士がアカペラで歌ったところ、観客、審査員の別なく茫然と涙に暮れたため、合格の鐘鳴らず、数十秒遅れで狂ったように打ち鳴らされたと記録にはあります。戦後の辛い時代を代表する名曲です。
最近、朝ドラで毎日のように聞く 見る異国の丘
この歌を涙無くして聞くことはできません。私はこんな苦労した方々の思いを、語り続けていく、悲しみと、怒りを持つて!
この歌を涙無くして聞くことはできません。私はこんな苦労した方々の思いを、語り続けていく、悲しみと、怒りを持つ
吉田先生、船村先生、本当にありがとうございました、夢と希望をたくさんいただきました。
「我慢だ待ってろ嵐が過ぎりゃ」このフレーズで戦後に待ち受けた艱難辛苦を紛らわせ乗り切られた方が少からずおられただろうことは想像に難くないですね。あの頃のあの人たちの苦難に比べれば、という気持ちで。そうした人々の努力の甲斐もあって日本は復興を遂げることができたのかもしれませんね。祖国のために戦ってくれた英霊と日本を建て直してくれた方々に感謝ですね。
私の中で、吉田正さんと言えば、『いつでも夢を』です。暗い気持ちも、明るくなりました。異国の丘は、遠い異国の戦地から、祖国日本に帰れる日をまつ日本人の気持ちが伝わって来ました。遠い異国の地にて果て、肉体を持ち帰る事の出来なかった御霊も大勢おられます。御霊となられた皆様の帰還を、願いたい。
吉田正さん、シベリア抑留の辛い体験を経ての「異国の丘」は無念にも生きて日本の土を踏めなかった多くの戦友の思いがこめられている歌ですが、これを聞けばはげまされます。極寒のシベリアでの強制労働がいかに過酷か体験者の気持ちが歌われ時代を語る生証人ともいうべき逸品ですね。
小学校時代によく聞きました。懐かしい反面、やはり無念漂う・・・。で・・・高校時代の恩師がラバウル帰りで、時折この曲を歌ってくれたことがありましたっけ。
魂がこもっている歌というのは、こういう歌をいうのだな。
祖国の為に亡くなられた7万有余の御霊に敬礼
生まれるべきして産まれた 名歌。然し 悲しき背景 ああ無情 の世界。
吉田先生、待っててください。間もなく伺います。
吉田正さんの動画ありがとうございます。
新コロナ禍で日本はまさに戦時です。コロナ病棟で療養中の方、そこで働く皆さんに 愛を込めて
歌い継ぐべき歌。シベリア抑留という犯罪を許すな忘れるな。
新宿へ行く機会があったらどうか平和祈念館へ訪れてみてください
@@sapparimono 必ず行きます。行って見ます。教えて下さり有り難う父は捕虜収容所に入り生還しました
この唄が「戦後ニッポン」の礎なんだよ
吉田正さんがカッと目を開くわろおて や うとおて とか当時の言い回しや会話から来るものなんだろうな
>わろおて や うとおて とか別のクリップでも竹山逸郎さんがそのように歌っていますね。それがオリジナルの発音なのかも知れません。最初の数秒で余所へ行こうとしたけれど、作曲された本人が歌う場面に遭えた。これはとても貴重なクリップですね。
昭和18年祖父が召集され、翌19年に伯父が生まれました。祖父は敗戦後シベリアに抑留され、昭和23年復員、翌24年私の母が生まれました。吉田さんと同じく祖父はシベリアでの話はしませんでした。
素晴らしい歌ですが今、聞けば悲しく戦時中の歌です ~2度と戦争は嫌ですね。
戦時中ではなくシベリア抑留、すなわち戦後の歌だからこそ涙がこぼれるというものです。
吉田正の人生は、過酷な戦争体験、シベリア抑留なくして語れない。戦争のさなかでも音楽を忘れず、シベリアでは「異国の丘」が多くの人を励まし、生きる望みを抱かせた。戦後75年が経過して、今や日本国民は戦争が残虐で悲惨で過酷な部分を忘れがちだが、戦争が二度と怒らない努力を意識して続ける必要がある。吉田正を知ることは、平和を維持することに繋がる。彼について語ってみました。よかったら、御覧ください!ruclips.net/video/lIEmtw6-S4g/видео.html
NHKの番組でこれ撮りました。吉田正氏の絶唱だわね…
💝❤️❤️💞💞💞💕💖💘💓
貴重な生き証人たる吉田先生自ら歌われるのは初めて聞きました、終戦になっても帰国できないで2,3年後に帰国されたと聴いてますが、帰国後多くの歌手を育てられ戦後復興時の国民に勇気と元気を与えていただきました!!!
小学生の頃、この歌詞のように堪え忍びながら毎日を送っていました。
因みに戦時中ではありません。戦後20年です。私の小学生時代は、そんな私生活でした。
来ましたよ。春は。
タガが外れそうになるくらい、明るくて、温かくて、楽しい日々が。
だからもし今、この世とお別れしようかな?と思い悩んでいる人がいたら、
それはやめておくべきです。
苦しみが厳しいほど、褒美は最上級です。
信じて。
吉田先生自身が、シベリア抑留を経験されているため、異国の丘は、本当に心に染み入る素晴らしい曲ですよね🙆
ハンガリーで加藤と日本に向かってうたったな‼️その加藤も空手指導の最中に異国の土となった‼️我慢だ待てよ〰️我慢だ待てよ〰️🎵力強く弟子達と歌った頃が懐かしい❗️押忍‼️
吉田先生の異国での体験、感じたこと、人との会話、辛い思い出や楽しかった事などこの歌に込められていますね。有難う御座いました。
「流行りものは廃れもの」といいますが、
永遠に廃れないものもその中には確実に存在します。
シベリア抑留中の日本軍兵士、増田幸治が作詞、吉田正が作曲したこの歌も、その一つです。この歌も、確実に歌謡史に残る明鏡でしょう。
昭和21年に行われた戦後第一回目のNHK素人のど自慢で初めて披露されました。
当時、楽譜も何もないところから、シベリア帰りの元兵士がアカペラで歌ったところ、観客、審査員の別なく茫然と涙に暮れたため、合格の鐘鳴らず、数十秒遅れで狂ったように打ち鳴らされたと記録にはあります。戦後の辛い時代を代表する名曲です。
最近、朝ドラで毎日のように聞く 見る異国の丘
この歌を涙無くして聞くことはできません。私はこんな苦労した方々の思いを、語り続けていく、悲しみと、怒りを持つて!
この歌を涙無くして聞くことはできません。私はこんな苦労した方々の思いを、語り続けていく、悲しみと、怒りを持つ
吉田先生、船村先生、本当にありがとうございました、夢と希望をたくさんいただきました。
「我慢だ待ってろ嵐が過ぎりゃ」このフレーズで戦後に待ち受けた艱難辛苦を紛らわせ
乗り切られた方が少からずおられただろうことは想像に難くないですね。
あの頃のあの人たちの苦難に比べれば、という気持ちで。
そうした人々の努力の甲斐もあって日本は復興を遂げることができたのかもしれませんね。
祖国のために戦ってくれた英霊と日本を建て直してくれた方々に感謝ですね。
私の中で、吉田正さんと言えば、『いつでも夢を』です。
暗い気持ちも、明るくなりました。
異国の丘は、遠い異国の戦地から、祖国日本に帰れる日をまつ日本人の気持ちが伝わって来ました。
遠い異国の地にて果て、肉体を持ち帰る事の出来なかった御霊も大勢おられます。
御霊となられた皆様の帰還を、願いたい。
吉田正さん、シベリア抑留の辛い体験を経ての「異国の丘」は無念にも生きて日本の土を踏めなかった多くの戦友の思いがこめられている歌ですが、これを聞けばはげまされます。極寒のシベリアでの強制労働がいかに過酷か体験者の気持ちが歌われ時代を語る生証人ともいうべき逸品ですね。
小学校時代によく聞きました。
懐かしい反面、やはり無念漂う・・・。
で・・・
高校時代の恩師がラバウル帰りで、時折この曲を歌ってくれたことがありましたっけ。
魂がこもっている歌というのは、こういう歌をいうのだな。
祖国の為に亡くなられた7万有余の御霊に敬礼
生まれるべきして産まれた 名歌。然し 悲しき背景 ああ無情 の世界。
吉田先生、待っててください。間もなく伺います。
吉田正さんの動画ありがとうございます。
新コロナ禍で日本はまさに戦時です。コロナ病棟で療養中の方、そこで働く皆さんに 愛を込めて
歌い継ぐべき歌。
シベリア抑留という犯罪を許すな忘れるな。
新宿へ行く機会があったらどうか平和祈念館へ訪れてみてください
@@sapparimono
必ず行きます。行って見ます。教えて下さり有り難う
父は捕虜収容所に入り生還しました
この唄が「戦後ニッポン」の礎なんだよ
吉田正さんがカッと目を開く
わろおて や うとおて とか当時の言い回しや会話から来るものなんだろうな
>わろおて や うとおて とか
別のクリップでも竹山逸郎さんがそのように歌っていますね。それがオリジナルの発音なのかも知れません。
最初の数秒で余所へ行こうとしたけれど、作曲された本人が歌う場面に遭えた。これはとても貴重なクリップですね。
昭和18年祖父が召集され、翌19年に伯父が生まれました。祖父は敗戦後シベリアに抑留され、昭和23年復員、翌24年私の母が生まれました。
吉田さんと同じく祖父はシベリアでの話はしませんでした。
素晴らしい歌ですが今、聞けば悲しく戦時中の歌です ~2度と戦争は嫌ですね。
戦時中ではなくシベリア抑留、すなわち戦後の歌だからこそ涙がこぼれるというものです。
吉田正の人生は、過酷な戦争体験、シベリア抑留なくして語れない。戦争のさなかでも音楽を忘れず、シベリアでは「異国の丘」が多くの人を励まし、生きる望みを抱かせた。戦後75年が経過して、今や日本国民は戦争が残虐で悲惨で過酷な部分を忘れがちだが、戦争が二度と怒らない努力を意識して続ける必要がある。吉田正を知ることは、平和を維持することに繋がる。彼について語ってみました。よかったら、御覧ください!ruclips.net/video/lIEmtw6-S4g/видео.html
NHKの番組でこれ撮りました。吉田正氏の絶唱だわね…
💝❤️❤️💞💞💞💕💖💘💓
素晴らしい歌ですが今、聞けば悲しく戦時中の歌です ~2度と戦争は嫌ですね。