王であるキリスト「王であるキリストに直接触れるとうとい日」【こうじ神父・取って食べなさい】
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- Опубликовано: 11 янв 2025
- 王であるキリスト(ヨハネ18:33b-37)「王であるキリストに直接触れるとうとい日」【こうじ神父・取って食べなさい】
初聖体クラスの四人は、長い準備を終わって、今日御聖体をいただきます。とても楽しみですね。主任神父様は、皆さんが今日までしてきた長い準備を、立派だなぁと思っています。いろいろ、担当のシスターに教えてもらったでしょう。今から聞いてみたいと思います。
もしかしたら習ったことと違うことを聞くかも知れません。けれども、今から聞くのは主任神父様が知りたいことです。まず一つ目の質問です。御聖体をいただく前は、食べたり飲んだりするのを早めに終わらなければなりません。いつまでに食べたり飲んだりをやめますか?
主任神父様は、ミサをささげて、御聖体を準備します。御聖体を準備するので、早くから食べたり飲んだりするのをやめなければなりません。神父様は、9時のミサをするためには、ミサの1時間前、8時に食べたり飲んだりをやめる必要があります。
ミサの中で御聖体を準備する神父様はミサが始まる1時間前から食べたり飲んだりをやめます。では、答えを聞きましょう。皆さんは、御聖体をいただくどれくらい前に食べたり飲んだりをやめますか?二つのうちどちらかに手を挙げてください。(1)神父様と全く同じ、ミサが始まる1時間前に飲食をやめる。(2)御聖体をいただく1時間前に飲食をやめる。どちらだと思いますか?正解、したことにしましょう。
御聖体をいただく皆さんは、御聖体拝領の1時間前に食べたり飲んだりするのをやめます。神父様は、皆さんがいただく御聖体を準備するミサをささげるので、皆さんのために大切な働きをするので、皆さんよりもっと早く、ミサが始まる1時間前に食べたり飲んだりをやめます。
もう一つの質問です。いちばん前に座っている四人のお友だちは、土曜日の昼に、初めての秘跡を受けましたね。何でしたか?そうです。初告解です。御聖体をいただく1時間前に食べたり飲んだりをやめるだけでなくて、きれいな心、罪のない心で御聖体をいただくためです。御聖体をいただくために、きれいな心も準備する必要があるので、告解(ゆるしの秘跡)を受けました。
じつは神父様たちも、きれいな心でミサをささげ、御聖体を準備する必要があるので、ゆるしの秘跡を受けます。いつもいつも受けているわけではないけれども、そのかわりに、告解場に毎週、毎日座ります。それは、主任神父様の考えは、食べたり飲んだりをミサの1時間前にやめるのとあわせて、きれいな心でミサをささげ、御聖体を準備するためです。毎週、毎日告解場に座って、清い心を準備しています。
二つ、質問しました。御聖体をいただく前に、いつ食べたり飲んだりをやめますか?御聖体をいただくために、食べたり飲んだりとは別のもう一つの準備は何ですか?この二つです。皆さんは御聖体をいただく1時間前に食べたり飲んだりをやめ、そしてきれいな心を準備して御聖体をいただきます。神父様は、もっと厳しく、もっと徹底して、ミサの始まる1時間前に食べたり飲んだりをやめて、ミサのたびにきれいな心を準備しています。
どうしてここまで、準備するのでしょうか?お友だちの誕生会に呼ばれたとき、ケーキを食べる1時間前に食べたり飲んだりをやめて出かけるでしょうか?誕生会に行くために、きれいな心を準備したことがあるでしょうか。そんな準備はしませんよね。それなのに、御聖体をいただくためには、立派な準備をしています。なぜでしょうか?
それは、王であるキリストに、触れるからです。私のために、食べ物になってくださったとうといイエス様を手に取るからです。私たちのために、ご自分の身体をちぎって食べさせてくださる、とうといイエス様を手に取って、口に運ぶからです。ケーキやチョコレートではなく、教会でしかいただくことのできない、とうといお恵みだからです。
近くのお店には置いていません。日曜日、このミサでしか御聖体はいただけません。ほかのどれとも違う、とうといものなのです。とうといから、触れるために1時間前から食べたり飲んだりをやめて、きれいな心を準備して、そうしていただきます。
今日のミサは「イエス様は私たちの王です」ということを祝っています。私たちは王様に触れます。王様を手に受けて、食べさせてもらいます。ほかでは味わえないとうとい恵みです。ミサに来て、御聖体をいただくときはいつでも、とうといイエス様をいただくことを思い出してください。
「皆、これを取って食べなさい。」(マタイ26・26)今日は四人のお友だちが王であるイエス様を手に取っていただく日、とうとい日です。これからも日曜日はぜひミサに来て、とうといイエス様に触れる体験を積み重ねてください。王であるイエス様は、皆さんが来てくれるのをいつも楽しみに待っています。