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フレンドリーファイアは政宗くんの得意技だから…
佐久間信盛はへまをせずに信長に従っていれば勝家や長秀レベルだったろうに…
佐久間信盛、一時が万事ということかな。佐土原、今では小京都の面影もないですね…。
やはり戦国時代だからこその悲しいエピソードですね。久しぶりに歴史に触れました❗ありがとうございました🙇😊
伊達政宗vs水野勝成さんという大坂夏の陣の影に隠れた闇の争いに巻き込まれた神保さん哀れなり神保家皆殺しの際に伊達政宗がどさくさ紛れに水野勝成さんの家来を倒して馬を奪ったが大坂夏の陣後に水野勝成さんが伊達家に奪われた馬を取り戻した話が好き
滑舌が良くて聞き取りやすいきれいな声だなぁ
残念すぎる最期といえばやはり四郎勝頼もかな。最初1万居たのに味方に雪崩のごとく裏切られ最後は数十人しか残らず…
4年前の大河ドラマ「真田丸」で、平岳大が演じる「勝頼」の哀愁漂う演技、最高でした。それに引き換え、温水洋一が演じる「小山田信茂」のクズっぷりも、別の意味で印象に残りました。岩殿城でなくて、真田昌幸の進言どおりに岩櫃城に逃れていたら、武田家はどうなっていたことやら...
@@toyo-rex4899 平岳大の評判聞いて見る予定のなかった真田丸見始めたからな〜懐かしい。昌幸は最後まで忠義を尽くし勝頼と玉砕するつもりだったけど、彼としては名門武田家の当主として最後は他国でなく甲斐国で果てる覚悟を決めてたんだろうね。小山田は裏切るつもりはなく家臣が強制的に幽閉したという説もあるが、どちらにせよ不忠者として容赦なく成敗した信忠は立派!
@@user-lw4xj3lx4f 勝頼公は 大河やるべき
@@arminiusherman4783 短い人生だったが、個人的には最後まで寄り添った北条夫人と夫婦の絆のドラマが見たいね。
さおり様!メリクリ🎄。5位は陰謀の匂いが…。酔って溺死は自分にも起こり得るなぁヤバ😫。
もしかしたらこの事が摘子である景勝が養子に入った先で養父である謙信に対して複雑な感情を抱いて、後に謙信亡き後「御館の乱」に繋がったのだと思います。
非業なのかは分かりませんが、悲しいのは長宗我部元親の長男の信親の死です。ところで歴史の細道は、いつも作業用に聴いたり、ご飯食べながら観れて癒しです。
信長からの佐久間親子弾劾状はすげーよな。論理的で整然としている上に辛辣。もう「返す言葉もない」ってやつ。優秀すぎる上司を持つと部下も大変だわ
水野信元を死に追いやった上にその領地を乗っ取ったから自業自得だわ
後ろに信長本陣があるのに速攻で逃げ出したり、石山本願寺を包囲しろって言われたのに怠慢から包囲を破られ優秀な将を失ったり、余計な一言を言うわ、空気読まんわ、戦に出るの拒否するわ、追放ですんだだけマシだなぁ。
チクリマン
親の代からいる重臣が追放されるのだから他の連中もびくびくしていたことだろう。秀吉がけしかけ光秀が実行したのが本能寺の変。
細川政元のように家臣に裏切られてなくなるとか太田道灌のように主君に誅殺されるとか無念の最期だよなぁ。信盛は失脚前後の失態が目につくね。
いつも楽しみながら見ています。これからもドシドシ、色んな時代の色んな人物や当時の庶民世相などもアップしてくれると嬉しい。
その失言はべつに信長でなくてもキレるだろう。ヘイポーの謝罪文に近いものがある
高国さんは日本史上でも恐ろしい鬼ごっこですね。
『鬼ごっこ』?『かくれんぼ』じゃないかな?
@@forkman2000 ははかけ
朝倉義景が思い浮かんだ。身内に裏切られて自害、そして名門滅亡だから残念すぎる…
ちょうど「麒麟が来る」でもやってた?ところですねかわいそうでした
後、義景は浅井久政、長政親子と一緒に信長にハクダミにされたと言いますか、死後自分達の頭蓋骨を酒の盃にされたんですよね...。これも残念な死に方では?俺に言わせれば戦国時代の三英雄とも言うべき信長、秀吉、家康の中で一番「人の和」がないのは信長です。
柳谷慈彦 正確には盃にしたわけではなく、白濃にして、成果を見せるとともに家臣を労ったらしいです。色々調べると秀吉や家康にもブラックな点が見えますし、信長の優しいところも見えてきますから一概に「人の和」が信長に欠けているというわけでもない気も致します。(論点がズレてるかもですが…)
@@僕-e7gさん、俺が「戦国時代の三英雄の中で一番人の和がないのは信長です」といった理由はハクダミの事だけではありませんよ。比叡山を家臣達の反対を押しきって焼き討ちした事や、伊勢長島で敵の一向宗徒達に「今降参したら命は助ける」と言っておきながらいざ宗徒達が降参したら虐殺した事(秀吉や家康もこういう騙し討ちを少なからずやりましたが)、佐久間盛信等古参の家臣達を自分が望む能力がないから追放した事、しかもその際に「お前達は世界に対する日本の恥だ」などと酷い暴言を書いた折檻条を突きつけるなどまだまだありますよ。それとハクダミの事ですが、信長はそのハクダミのてっぺんを切り離して盃にした場面をドラマやドキュメンタリー番組で何度が観ました。信長は家臣達を労うつもりだったかもしれませんが、秀吉や光秀ら家臣は「これはいけませんぞ」、「やり過ぎでは?」と言ったシーンも何度か観ました。確かに信長にも優しさが感じられる場面はありましたが、それでも俺はあの三人の中で一番「人の和」がないのは信長だという意見を曲げるつもりはありません。後年に光秀に対しても「和」を見せなかったから本能寺で...と思います。長文失礼。
@@user-gt8kc9vg2v シーンを見ましてって創作やんけw実際に事実を見たように言うなw
転落武将の最後が転落死とか.......信盛.......
沖田畷の戦いで宿敵を倒し、江戸時代まで改易にならずに家名を保ったのに、岡本大八事件で斬首となった有馬晴信さん
佐久間信盛への折檻状の最後は、親子揃って高野山に蟄居するか、一念奮起して石山合戦に死力を尽くすか選べという選択肢が在ったはずです。(内容的には、地位に胡座をかいて与えられた予算をケチるから石山合戦等をダラダラ続けている。従って、今の地位にふさわしい働きができていない。ついては、その地位にふさわしい働きをするか、出来ないなら辞職しろという内容で、問答無用の追放ではなかったはず)
信長は信盛に「お前は家老なんだから、もっとしっかりせんかい!秀吉や光秀や勝家見てみろ!」っていう発破をかけるつもりだったのでしょうね。でも、信長の恐ろしさというか、苛烈さを知る信盛はビビっちゃったのか、諦めて高野山に登る選択肢をしてしまった。信長と信盛は尾張統一前(信秀死後に信勝ではなく信長に加勢した)からの付き合いであっただけに、随分残念な決別だという気持ちですね。
個人的には長宗我部信親、、、
お!さおりさん、メイクの感じ変わりましたね (^^)戦国時代は陰謀で消されて死因が諸説ある場合もありますよねー!
戦国ではありませんが源頼朝が馬から落ちて・・・。とか、徳川家康が天ぷらを食べすぎて・・・。とか、少し間抜けな話も大好きです。
戦国時代の武将だと秋田転封後の佐竹義重が狩猟中に落馬して死去してます。家康の天ぷらの件はあれは今では胃癌が原因と言われてます
@@user-yu6ok8gf5b さん 返信ありがとうございます!佐竹義重も落馬だったのですね。当時の馬は背が低いらしかったので打ち所が悪かったのでしょうか?徳川家光公の天ぷら云々は鷹狩りに行った際の宿泊地で天ぷらを食べて腹痛をおこし駿府城で静養したのですが天ぷらを食してから三ヶ月経っていたそうです。家康公はご自身で薬の調合をしていたようで{トリカブト}なども処方してようです。秀忠公も光圀公も腹痛が原因とかで癌の遺伝子があると考えられるとの事ですね。
@@user-yu6ok8gf5b 佐竹義重は、関ケ原の戦い当時は隠居していましたが、時流をよく見ていており、息子の義宣に対して徳川家康の東軍に与するように述べたらしいです。そうしていたら佐竹家は秋田への「懲罰的な国替え」もなかったでしょう。ただ、領国の常陸にとどまれずに、福島正則・浅野幸長・山内一豊・堀尾吉晴みたいに加増の上で遠国へ「飛ばされていた」でしょうけど。
@@toyo-rex4899それで東軍についてたとしても、 どのみち関東圏に外様大名がいることは都合が悪いから仰られる通り加増の上で遠国に飛ばされてたでしょうね。ちなみに家康への弁明に赴いた東家の義久の事を家康が気に入って「義久殿存命中は佐竹の転封はしない」と約束を貰ってたのですが間もなく死去、そして佐竹氏は秋田に飛ばされたという経緯もあります
@@user-yu6ok8gf5b 義重は「坂東太郎」ともゆわれた人ですが 一般的な知名度は低いようですでも「雪の峠」岩明均 作はモーニング誌に出てました
大河にもあった神保が撃たれるところ
ナレーターが美人過ぎて内容が入って来ないwww
感謝
穴山梅雪。伊賀越えで家康を出し抜いて落ち延びようとしたが、梅雪が逃げたルートに落武者狩りの百姓どもが待ち構えていて身包み剥がれて死亡。
自業自得
@@arminiusherman4783 それまでは武田重臣でありながら、甲斐武田氏が危機の際に信長にサッサと降った辺りから横死フラグが立ったのかも。
@@miyuki970 信玄の娘(二女)を妻にしてるのにな
梅雪は勝頼に祟られたのでは?
@@arminiusherman4783 まぁ、彼の立場からすれば、自分は生粋の武田一門だけど、勝頼は敵である諏訪の人間という考えだったのかもですね。だから、自分が生き残れば武田家は存続できるみたいな感じで。
残念な最後を遂げたと言えば、自分では武田信玄の息子である武田勝頼です。最後は切り死になので武士としては本望かも知れませんが、その前に親戚(信玄の従甥)で重臣である小山田信茂に裏切られ、一族の女衆をと一緒に山中を逃れ、最後は天目山の戦いで死にますが、当初は勝頼の首は家人の首とされ、放置されていたともされます。武田家の当主御屋形でありながら、最後は家人程度の扱いだったと言う事です。真田昌幸の進言に従って甲斐を捨てて信濃へ入っていたらどうなっていたか。と言う物語になります。
真田の進言どおりに信濃・上野に入ったとしても、当時の織田の戦力を考慮すると、滅亡も時間の問題だったでしょう。ただ、2か月後に「本能寺の変」が起きているので、それも考慮に入れると、上杉同様に生き残っていたかもしれません。
@@toyo-rex4899さん 上杉景勝の元へ逃げ込めば家名ぐらいは残ったかも知れませんね。徳川政権下で今川氏みたいに高家とかで。
@@user-ct1zg6bh8n 実際に勝頼の異母弟の武田信清が、甲州征伐時に義兄(姉の夫)の上杉景勝の元に逃れて、以後上杉家の家臣として江戸時代を通じて家名を存続させております。信清以降の武田氏歴代当主の墓が米沢市の林泉寺にあります。同寺内には直江兼続夫妻の墓もあります。
@@toyo-rex4899 真田昌幸は10の内8は信濃に来ないと踏んで、勝頼公に信濃へ来るように勧めたと思います。ただこれで昌幸の部名と忠義は他国にも知られ、真田家の独立を可能としたと言って良いでしょう。仰る通り、もし勝頼公が昌幸の岩櫃城に来た場合、数か月の籠城は可能でしょうが、その命を全うする事は難しかったと思います。何と言っても御屋形ではなく陣借りですから。本能寺の変が起きていれば、生き残ったでしょうけど、その時は真田が持て余したかも知れません。甲斐へ侵攻しても旧領を回復できたかどうか・・。
@@石野真琴 岩櫃城は真田の「本城」ではなく、本城は信濃小県郡の「松尾城」、支城は上野利根郡の「沼田城」であり、上野吾妻郡の岩櫃城は単なる「砦」くらいの位置づけでしたね。勝頼が信濃・上野に逃れれば甲州征伐のスケジュールが遅れて、織田信忠・滝川一益の軍勢だけでは足りずに最悪信長自身が甲斐・信濃・上野に進軍したかもしれません。そうなれば、後の四国攻め・中国攻めもところてん式に遅れて、明智光秀が信長の命を狙う機会が遅れた、あるいは機会を失っていたかもしれません。歴史の「if」は選択肢が多くて、上記の予測が100%正しいとは言えませんが、こうしてシミュレーションを立てると奥が深いです。
伊達には抗議しても難しいでしょう。徳川一族の松平氏に発砲しても不問になったのだから。
大阪の陣で武功を上げようと、指物(敵味方識別のために背中に担ぐもの)として巨大な位牌(3.6m)を作らせ、辞世の句まで入れて覚悟を示したのはいいが重すぎて馬が動かなかったためまともに戦ができず、恥ずかしさのあまり戦後絶食して命を絶った矢部虎之助
初めて知った
ここに扱われない前田利家の実弟佐脇良之も剣の使い手なのに信長から追放され三方ヶ原の戦いで無念の戦死、見捨てたのは佐久間信盛。
かの前田利家の実弟でもある、佐脇良之なる武将を初めて知ったのも確か、唐沢寿明さん主演の戦国大河の『利家とまつ』において、唐沢さんの事務所の後輩の竹野内豊さんが演じた事だったっけ?
@@user-uv8tx3on6z 竹野内豊の演技も良かったですが、生き様が真っ直ぐなので気に入った武将でした。兄利家とは凄く仲が良く、良之戦死後は息子たちは加賀金沢に仕官しました。
羽柴と戦って負けたけど所領を安堵されてやったーってなってるところに巨大地震で城ごと一族断絶した内ヶ島さんは?
帰雲城ごと生き埋め、絶対これあると思ったのにw
@@hibikiyamazaki8543 それな絶対あると思ってた
自分も真っ先にこの方を思い浮かべました
地震といえば、土佐の山内一豊は地震で娘亡くしたな。
自分もこれを想像しましたwあと蘆名のホモのもつれで殺された殿
男色関係のもつれで大庭三左衛門に殺された、蘆名盛隆…
しかも彼(大庭)、二本松畠山家で小姓してたのを盛隆が見て気に入って義継に拝み倒して貰ってきたんだよねぇ……
男色関係と言えば宇喜多直家に送り込まれて懇ろになった小姓に暗殺された穝所職経(元常)…と言いたい所ですが、この話はガセなのが残念(実際には「毛利に内通しようとしたら、その毛利方に弟共々崖から突き落とされた上に止めを刺された」らしいので、これはこれで悲惨だったり)。
「味方に撃たれた」で富田長繁かと思いましたw彼も彼で残念ですけどね。the 脳筋道を誤った水野って感じ…
あれはもうめちゃくちゃやり過ぎw
富田長繁はデスノートの夜神月の最期みたいな死に方したと思う
運だよねーそれと、先を読む!
入ってると思ったよ、伊東義祐……
うちの会社の富山担当と宮城担当が仲悪いのはこれか!
相茂さんの神保氏は河内畠山氏家臣だから富山と関係無いですよ(越中の神保氏から分かれた系譜ですが)
すいませんでした。
ただただ仲悪いだけだねw
残念過ぎると言えば、飛騨国帰雲城主の内ヶ島氏理も。地震の山崩れで城が埋没して、その日たまたま宴会開いてて一族郎党一夜で滅亡したらしい。氏理の実弟が仏門に入っててこの宴会に参加してなかったから歴史に記録が残ったらしい。
余談ですが上杉家は、代々当主を継承する際 昔話らしき話をするらしいのですが その話が気になる。
謙信が、春日山城の便所で「踏ん張り」すぎて、頭が「パチン」と切れて「お陀仏さん」になっちゃった話では?
ここに松平清康さんや松平広忠さんがいない件ついでに水野一族の方々もベスト10ならこの辺りがランクインされているだろうな
清康は勘違いで殺されたしね……
9:31 火に油を注ぐでは?
中野宗時をご存知ですか?伊達稙宗・晴宗・輝宗の宿老として仕え権勢を誇ったが、輝宗時代に謀叛をおこそうとし露見、討伐される。相馬に逃れ帰参を願うも叶わず、蘆名に向かう途中、寒さと飢えで死んだと言われています。伊達家の宿老だった武将が流浪の末、餓死したのは残念過ぎませんか?
残念な武将ですか、荒木村重ですかねぇ。生き残りましたが
長尾政景は宇佐美のとっつぁん(宇佐美定満)が心中的な暗殺をした説を個人的には推したいけど・・・
ついでに松平広忠も家臣の謀反で殺されて残念な死に方でしたよ。
伊達政宗の場合、水野を直接撃ったら大問題になるので、あえて水野の与力を狙い撃ちにするとか…だから伊達は姑息でキライ。
いやw
アイコンwww
その後、その時に伊達に奪われた馬をどさくさ紛れに取り戻した水野勝成さん
父親さえ撃ち殺すんだから、そのくらいは朝飯前。
あの戦国DQNの水野勝成さんだから無事に生還できた水野勝成さんじゃなかったら、神保さん同様に伊達政宗の鉄砲の餌食になったのだろう
嫌〜改めて歴史を見ると面白いですね。自分もしリクエストに答えてもらえるなら幕末の人物が良いです。井伊直弼と横井小楠と西郷隆盛と高杉晋作と会津武士は、永瀬ゆうじ利勝と飯沼貞吉です。白虎隊好きなので、好きな戦いは、会津戦争佐賀の乱天狗党の乱と西南戦争桜田門外の変も好きです。🥲👍👍
戦国随一のイケメンと言われた名古屋山三郎も、主君森忠政から重臣の井戸宇右衛門を殺害するよう命じられるも、逆に武勇の優れる宇右衛門に返り討ちにされて死亡するという残念な結果に。
伊達政宗の言い訳を聞いて、退却してくる味方を戦車で引き殺したソビエト軍を思い出しました。
戦車で轢き殺すのもそうなのかは、判りませんけど「特戦隊」という戦術があり、突撃する部隊の後ろに機関銃や、小銃などの部隊を置き、突撃した部隊で負けて逃げ帰ってくる兵士を射殺する、という恐ろしい戦術です。これをやると、突撃部隊は、相手の陣を突破できなかったら必ず死ぬことになります。
おそロシアwww
独眼竜政宗に描かれなかった伊達政宗のクズな部分を見た
独眼竜政宗でも「クズ」っぷりは描かれていますよ。ただ「クズ」をあまり前面に出すと、視聴率に響くので格好よく演出しているだけです。父・輝宗が畠山義継に拉致された際に、輝宗の胸元に短刀を突き付けた義継を政宗が河原まで追いつめ、挙句輝宗もろとも義継を鉄砲で撃ち殺すシーン、その後輝宗の亡骸を居城の米沢城に戻す前に「父上が傷ついた姿を母に見せたくない」として火葬して未亡人となった母・義姫のもとに「骨」となって返すシーン、後で義姫に輝宗が亡くなった経緯を問い詰められて、隠しきれなくなった政宗が義姫にその経緯を暴露すると、「親不孝者!」と一喝されてしまうシーンなど、涙を誘うシーンとして有名ですが、よくよく考えれば「クズ」シーンです。
@@toyo-rex4899 政宗はクズというよりDQNの方がしっくりくるような気がする
@@toyo-rex4899 江戸城で相撲だの政宗の頭おかしい部分をちゃんと描いてましたね
鹿之助は何で入ってないんだろ?
山中鹿之助ですか?
ナレーションが良い‼️
千利休、織田信長、織田信忠、織田信行、相合元綱、筒井定次、とかかな?
信盛の話しはちょっとかわいそすぎる(T ^ T)
水野勝成さんの伯父さんを殺した罪があるので自業自得
オレが織田信長なら、もっと早くそうしたかったな。それまでは信長も我慢して時期を窺っていたのだと思う。
畳の上にて死ぬ事は武士の成すべき道ならず。骸を馬蹄に掛けられつ、身を野晒しに成してこそ、世にもののふの義と言わめ。というのが、本来の武士道です。
上杉謙信の死因にはいくつかの説があるようですが、厠の下から槍でひと突きにされたのが残念すぎるエピソードですね
他の説でも、酒と塩をこよなく愛して高血圧気味だったところを、ぼっとん便所で気張って脳血管がブッツリという、なんとも言えないものがありますね^^;
ナレーションも聴きやすく、すごく面白いです。ただ、BGMのループが気になってきました。飽きてくるのでBGMは無くても良いと思います。お声だけで充分ですよ。
伊東義祐特段残念な最後でなくない?
残念という前振りあったからてっきり浜辺で見つけられず野垂れ死にかと思ったけど見つけられて息子に看取られて70代で息を引き取るのって波瀾万丈の最後としては幸せな方にも思えますよね。
野ざらしじゃなくて、看取られて亡くなってるから残念な最期ではないな。
畳は、平安時代からありましたが、武士は畳の上で亡くなるよりも、戦場で死ぬ方が本望と言う時代。天寿を全うした武士の方が少ないのでは? 暗殺や病死もありますが‥‥後、老衰とか。
畳が普及したのは応仁の乱の後くらいですよね、本格的に普及したのは江戸からですね
老衰は寿命死だろ
14歳で戦国ヲタクっておっさんかよ(俺)
残念過ぎる最期と聞いて河越夜戦の混乱のさなかに古井戸に落ちて死んだ難波田さんを思い出したあとは突撃しすぎて味方が付いてこれず敵中で孤立して討ち死にした佐野宗綱氏とか
宗綱の後の佐野氏の当主・信吉は、居城である下野唐沢山城から江戸の火災を発見して、急ぎ江戸へ上るも、「江戸での変事にすぐに気付いて急行出来る場所に居城がある」ことを幕府に危険視されて改易された、らしいです。
@@toyo-rex4899 調べたら改易になったのは実兄の富田信高が坂崎家を出奔した罪人を匿ったことに連座しての事みたいですね。仰られた件も含んでるとは思いますが
@@toyo-rex4899 2つの語られている説のひとつです。
@@user-yu6ok8gf5b 2つの語られている説のひとつです。
佐野宗綱の最後をよくお知りですね。須花坂の戦いで、足利長尾氏と戦闘の際、血気盛んで気持ちが荒ぶり過ぎて、周りを見ずに突進して行って気付いた時には味方が全然付いて来れてなく、討ち取られてしまいました。www.city.sano.lg.jp>soshikiichiran>kyouiku>bunkazaika>gyomuannai正光寺(しょうこうじ)城跡・須花(すばな)城跡/佐野市 2019/12/2 -正光寺(しょうこうじ)城跡・須花(すばな)城跡. 須花城跡は、標高約200 メートルの山城です。正光寺(悪戸)城【栃木県佐野市】 | おシロメグリ‹‹\(´ω ...
汎秀さん討ち死にをここで知った
神保相茂は戦場で死ねたからまだ良いかと一門同士で殺し会うのが一番残念だともう。例は幾つもあり過ぎるけど、島津蔵久公もその一人
めっちゃ良い声~♩
地震で城や城下ごと滅亡してしまった内ヶ島氏も相当残念
帰雲城…その名の通り雲(天国)へ帰ったのか(´・ω・`)
内ケ島「自分で埋めたんじゃないから!埋蔵金じゃないから!」
私的にはこれが一番ですね
推しは滝川一益かなぁ
最後は信用信頼人望ですよ
さおりちゃん、信長の重臣の佐久間信盛は将軍では無く武将ですよ〜。9:08
コメントだと、皆歴史に強いなあ。それより、案内人のさおりチャンがかわいい。
宇佐美暗殺説を信じたいですね。穴山信君も武田一門なのに無念の死だったと思います。あと後北条氏一門も無念だったと思います早雲以来の関東の遊が秀吉に攻められてあえなく滅亡信玄と謙信が生きていれば滅亡はなかったでしょう
輝宗が二本松城で人質になれば、伊達と畠山の戦争は避けられなかったと思うから、誘拐されそうになった時点で即決するしかなかったと思う。それに、伊達が畠山に服従するとは考えにくいそしてあのとき、蘆名や佐竹が伊達を狙っていた
佐竹はともかく蘆名は相次ぐ当主の死でそれどころじゃなかったような
長尾政景が溺死したのって野尻湖だったはず野尻湖はナウマンゾウがいた所
ん?野尻池で合ってるのでは?
『がきデカ』で野尻湖に行くことが決まると「あそこはいかん!」西城「なぜだ?」「あそこに行くとお尻がのになる!」と言うやりとりを思い出す野尻湖。
その説もありますが、野尻池が有力説ですね。野尻池は、居城の坂戸城(現在の新潟県南魚沼市六日町坂戸)の近くにありました。
残念すぎる最後ワーストってどっちw()
敗走中古井戸に落っこちて死んだ難波田憲重あたりが入ってくると思ったんだが...
細川高国の絵、なんか國村隼みたいだな
太り過ぎて馬にも乗れず六人がかりの籠に乗って移動した龍造寺隆信は日頃の悪行が祟り、沖田畷で討ち死にした後島津が龍造寺家に首を返却しようとしましたが、受け取りを拒否され島津が埋葬しました。
しかも嫌われまくっていたから、退却中に腰を運ぶ人足が全員真っ先に逃亡…やっぱり人望って大事ですよね。
火を注ぐ❌油を注ぐ、又は火を煽る。
もう一人入れるなら、個人的には、長宗我部信親を入れてほしい。仙石秀久がアホすぎる。
もっとカメラ目線を求む☀
残念と言えば、トイレでしゃがんだ瞬間に脳出血で逝った上杉謙信。 トイレで転がっているところを家臣の方が発見。帰らぬ人となりました。ご冥福お祈りいたします。お痔い方を亡くしました。
うちのご先祖様も裏切りがバレて切腹させられたクチだしな〜😓
伊達のまーくんと水野勝成さんの二大DQNの争いに巻き込まれて消えた神保さん
阿波公方や足利直冬なんかも残念
上杉輝虎って上杉謙信で有名ですよね
内容が入ってこないですが癒されます
志賀親度とか保身のために大友から島津に裏切ったら息子に城のまた次の城と最後まで追いかけられて最終的に斬首とか 息子が強いのもあるがなんか可哀想
伊達輝宗、敵ごと息子に殺された
残念という感じではないが帰る場所をあえて無くして死ぬことを目的に戦った九州の武将居なかったっけ
さおりさんやっぱり美形でかわいいです。
龍造寺さんや、今川さんは、戦にお出掛けしてて、討たれて御愁傷様は本望か?、
佐野宗綱が入ってない…
アクセントが「亀」
戦場に置いてけぼり憤死の龍造寺隆信さん
普段からパワハラしまくってたからな……そら見捨てられて当然
残念すぎる最期を遂げた武将のワーストって事は逆にいいってことじゃないの?笑
政宗って葦名討伐といい葛西・大崎一揆といい領土拡大しようとすると何かとブーメラン刺さって領土没収されてるけど神保さんの時は領土関係なかったからどうやら刺さらなかったみたいだな(´・ω・`)
関ヶ原の戦い時の南部領内で起きた「和賀一揆」もそうですね。陰で政宗が煽動していて、後に家康にバレて、戦い前に家康と約束していた「百万石のお墨付き」が反故にされました。壮大な「ブーメラン」です。
神保隊全滅の件で領地没収どころか側室の子ながら長男のために伊予宇和島10万石ゲットして家督問題を解決した件
@@user-hk6ng6dk2f 「伊予宇和島10万石」は、かつて「百万石のお墨付き」を反故にした家康の、せめてもの「埋め合わせ」という部分もあるかも。
@@toyo-rex4899 あれは最初から切り取り次第という話だったので福島攻めで返り討ちに遭い結局白石城しか奪還できなかった伊達が弱かっただけですね
赤座直保はいなかったか
残念な死に方だと中川秀政。朝鮮出兵で鷹狩りの途中で襲われて討ち死に。
残念すぎるワースト5っておかしくない?
男同士の痴情のもつれで死んだとされる蘆名盛隆
残念のワーストなら良いトップ5って意味じゃないの?
伊東義祐は残念な死に方だろうか?
故地回復を出来なかったと言う意味では残念だけど、天寿を全うできたという意味では残念ではないから微妙な感じが
丹後一色氏。
フレンドリーファイアは政宗くんの得意技だから…
佐久間信盛はへまをせずに信長に従っていれば勝家や長秀レベルだったろうに…
佐久間信盛、一時が万事ということかな。佐土原、今では小京都の面影もないですね…。
やはり戦国時代だからこその悲しいエピソードですね。
久しぶりに歴史に触れました❗
ありがとうございました🙇😊
伊達政宗vs水野勝成さんという大坂夏の陣の影に隠れた闇の争いに巻き込まれた神保さん哀れなり
神保家皆殺しの際に伊達政宗がどさくさ紛れに水野勝成さんの家来を倒して馬を奪ったが
大坂夏の陣後に水野勝成さんが伊達家に奪われた馬を取り戻した話が好き
滑舌が良くて聞き取りやすいきれいな声だなぁ
残念すぎる最期といえばやはり四郎勝頼もかな。最初1万居たのに味方に雪崩のごとく裏切られ最後は数十人しか残らず…
4年前の大河ドラマ「真田丸」で、
平岳大が演じる「勝頼」の哀愁漂う演技、最高でした。
それに引き換え、温水洋一が演じる「小山田信茂」のクズっぷりも、
別の意味で印象に残りました。
岩殿城でなくて、真田昌幸の進言どおりに岩櫃城に逃れていたら、
武田家はどうなっていたことやら...
@@toyo-rex4899 平岳大の評判聞いて見る予定のなかった真田丸見始めたからな〜懐かしい。昌幸は最後まで忠義を尽くし勝頼と玉砕するつもりだったけど、彼としては名門武田家の当主として最後は他国でなく甲斐国で果てる覚悟を決めてたんだろうね。小山田は裏切るつもりはなく家臣が強制的に幽閉したという説もあるが、どちらにせよ不忠者として容赦なく成敗した信忠は立派!
@@user-lw4xj3lx4f
勝頼公は 大河やるべき
@@arminiusherman4783 短い人生だったが、個人的には最後まで寄り添った北条夫人と夫婦の絆のドラマが見たいね。
さおり様!メリクリ🎄。5位は陰謀の匂いが…。酔って溺死は自分にも起こり得るなぁヤバ😫。
もしかしたらこの事が摘子である景勝が養子に入った先で養父である謙信に対して複雑な感情を抱いて、後に謙信亡き後「御館の乱」に繋がったのだと思います。
非業なのかは分かりませんが、悲しいのは長宗我部元親の長男の信親の死です。
ところで歴史の細道は、いつも作業用に聴いたり、ご飯食べながら観れて癒しです。
信長からの佐久間親子弾劾状はすげーよな。論理的で整然としている上に辛辣。もう「返す言葉もない」ってやつ。優秀すぎる上司を持つと部下も大変だわ
水野信元を死に追いやった上にその領地を乗っ取ったから自業自得だわ
後ろに信長本陣があるのに速攻で逃げ出したり、石山本願寺を包囲しろって言われたのに怠慢から包囲を破られ優秀な将を失ったり、余計な一言を言うわ、空気読まんわ、戦に出るの拒否するわ、追放ですんだだけマシだなぁ。
チクリマン
親の代からいる重臣が追放されるのだから他の連中もびくびくしていたことだろう。
秀吉がけしかけ光秀が実行したのが本能寺の変。
細川政元のように家臣に裏切られてなくなるとか太田道灌のように主君に誅殺されるとか無念の最期だよなぁ。信盛は失脚前後の失態が目につくね。
いつも楽しみながら見ています。これからもドシドシ、色んな時代の色んな人物や当時の庶民世相などもアップしてくれると嬉しい。
その失言はべつに信長でなくてもキレるだろう。
ヘイポーの謝罪文に近いものがある
高国さんは日本史上でも恐ろしい鬼ごっこですね。
『鬼ごっこ』?『かくれんぼ』じゃないかな?
@@forkman2000 ははかけ
朝倉義景が思い浮かんだ。
身内に裏切られて自害、そして名門滅亡だから残念すぎる…
ちょうど「麒麟が来る」でもやってた?ところですね
かわいそうでした
後、義景は浅井久政、長政親子と一緒に信長にハクダミにされたと言いますか、死後自分達の頭蓋骨を酒の盃にされたんですよね...。これも残念な死に方では?俺に言わせれば戦国時代の三英雄とも言うべき信長、秀吉、家康の中で一番「人の和」がないのは信長です。
柳谷慈彦 正確には盃にしたわけではなく、白濃にして、成果を見せるとともに家臣を労ったらしいです。
色々調べると秀吉や家康にもブラックな点が見えますし、信長の優しいところも見えてきますから一概に「人の和」が信長に欠けているというわけでもない気も致します。(論点がズレてるかもですが…)
@@僕-e7gさん、俺が「戦国時代の三英雄の中で一番人の和がないのは信長です」といった理由はハクダミの事だけではありませんよ。比叡山を家臣達の反対を押しきって焼き討ちした事や、伊勢長島で敵の一向宗徒達に「今降参したら命は助ける」と言っておきながらいざ宗徒達が降参したら虐殺した事(秀吉や家康もこういう騙し討ちを少なからずやりましたが)、佐久間盛信等古参の家臣達を自分が望む能力がないから追放した事、しかもその際に「お前達は世界に対する日本の恥だ」などと酷い暴言を書いた折檻条を突きつけるなどまだまだありますよ。それとハクダミの事ですが、信長はそのハクダミのてっぺんを切り離して盃にした場面をドラマやドキュメンタリー番組で何度が観ました。信長は家臣達を労うつもりだったかもしれませんが、秀吉や光秀ら家臣は「これはいけませんぞ」、「やり過ぎでは?」と言ったシーンも何度か観ました。確かに信長にも優しさが感じられる場面はありましたが、それでも俺はあの三人の中で一番「人の和」がないのは信長だという意見を曲げるつもりはありません。後年に光秀に対しても「和」を見せなかったから本能寺で...と思います。長文失礼。
@@user-gt8kc9vg2v シーンを見ましてって創作やんけw
実際に事実を見たように言うなw
転落武将の最後が転落死とか.......
信盛.......
沖田畷の戦いで宿敵を倒し、江戸時代まで改易にならずに家名を保ったのに、岡本大八事件で斬首となった有馬晴信さん
佐久間信盛への折檻状の最後は、親子揃って高野山に蟄居するか、一念奮起して石山合戦に死力を尽くすか選べという選択肢が在ったはずです。(内容的には、地位に胡座をかいて与えられた予算をケチるから石山合戦等をダラダラ続けている。従って、今の地位にふさわしい働きができていない。ついては、その地位にふさわしい働きをするか、出来ないなら辞職しろという内容で、問答無用の追放ではなかったはず)
信長は信盛に「お前は家老なんだから、もっとしっかりせんかい!秀吉や光秀や勝家見てみろ!」っていう発破をかけるつもりだったのでしょうね。
でも、信長の恐ろしさというか、苛烈さを知る信盛はビビっちゃったのか、諦めて高野山に登る選択肢をしてしまった。
信長と信盛は尾張統一前(信秀死後に信勝ではなく信長に加勢した)からの付き合いであっただけに、随分残念な決別だという気持ちですね。
個人的には長宗我部信親、、、
お!さおりさん、メイクの感じ変わりましたね (^^)
戦国時代は陰謀で消されて死因が諸説ある場合もありますよねー!
戦国ではありませんが源頼朝が馬から落ちて・・・。とか、徳川家康が天ぷらを食べすぎて・・・。とか、少し間抜けな話も大好きです。
戦国時代の武将だと秋田転封後の佐竹義重が狩猟中に落馬して死去してます。家康の天ぷらの件はあれは今では胃癌が原因と言われてます
@@user-yu6ok8gf5b さん 返信ありがとうございます!佐竹義重も落馬だったのですね。当時の馬は背が低いらしかったので打ち所が悪かったのでしょうか?
徳川家光公の天ぷら云々は鷹狩りに行った際の宿泊地で天ぷらを食べて腹痛をおこし駿府城で静養したのですが天ぷらを食してから三ヶ月経っていたそうです。
家康公はご自身で薬の調合をしていたようで{トリカブト}なども処方してようです。秀忠公も光圀公も腹痛が原因とかで癌の遺伝子があると考えられるとの事ですね。
@@user-yu6ok8gf5b 佐竹義重は、関ケ原の戦い当時は隠居していましたが、時流をよく見ていており、息子の義宣に対して徳川家康の東軍に与するように述べたらしいです。
そうしていたら佐竹家は秋田への「懲罰的な国替え」もなかったでしょう。ただ、領国の常陸にとどまれずに、福島正則・浅野幸長・山内一豊・堀尾吉晴みたいに加増の上で遠国へ「飛ばされていた」でしょうけど。
@@toyo-rex4899それで東軍についてたとしても、 どのみち関東圏に外様大名がいることは都合が悪いから仰られる通り加増の上で遠国に飛ばされてたでしょうね。
ちなみに家康への弁明に赴いた東家の義久の事を家康が気に入って「義久殿存命中は佐竹の転封はしない」と約束を貰ってたのですが間もなく死去、そして佐竹氏は秋田に飛ばされたという経緯もあります
@@user-yu6ok8gf5b
義重は「坂東太郎」ともゆわれた人ですが 一般的な知名度は
低いようです
でも「雪の峠」岩明均 作はモーニング誌に出てました
大河にもあった神保が撃たれるところ
ナレーターが美人過ぎて内容が入って来ないwww
感謝
穴山梅雪。
伊賀越えで家康を出し抜いて落ち延びようとしたが、梅雪が逃げたルートに落武者狩りの百姓どもが待ち構えていて身包み剥がれて死亡。
自業自得
@@arminiusherman4783
それまでは武田重臣でありながら、甲斐武田氏が危機の際に信長にサッサと降った辺りから横死フラグが立ったのかも。
@@miyuki970
信玄の娘(二女)を
妻にしてるのにな
梅雪は勝頼に祟られたのでは?
@@arminiusherman4783
まぁ、彼の立場からすれば、自分は生粋の武田一門だけど、勝頼は敵である諏訪の人間という考えだったのかもですね。だから、自分が生き残れば武田家は存続できるみたいな感じで。
残念な最後を遂げたと言えば、自分では武田信玄の息子である武田勝頼です。最後は切り死になので武士としては本望かも知れませんが、その前に親戚(信玄の従甥)で重臣である小山田信茂に裏切られ、一族の女衆をと一緒に山中を逃れ、最後は天目山の戦いで死にますが、当初は勝頼の首は家人の首とされ、放置されていたともされます。武田家の当主御屋形でありながら、最後は家人程度の扱いだったと言う事です。真田昌幸の進言に従って甲斐を捨てて信濃へ入っていたらどうなっていたか。と言う物語になります。
真田の進言どおりに信濃・上野に入ったとしても、
当時の織田の戦力を考慮すると、滅亡も時間の問題だったでしょう。
ただ、2か月後に「本能寺の変」が起きているので、
それも考慮に入れると、上杉同様に生き残っていたかもしれません。
@@toyo-rex4899さん 上杉景勝の元へ逃げ込めば家名ぐらいは残ったかも知れませんね。徳川政権下で今川氏みたいに高家とかで。
@@user-ct1zg6bh8n 実際に勝頼の異母弟の武田信清が、甲州征伐時に義兄(姉の夫)の上杉景勝の元に逃れて、以後上杉家の家臣として江戸時代を通じて家名を存続させております。
信清以降の武田氏歴代当主の墓が米沢市の林泉寺にあります。同寺内には直江兼続夫妻の墓もあります。
@@toyo-rex4899 真田昌幸は10の内8は信濃に来ないと踏んで、勝頼公に信濃へ来るように勧めたと思います。ただこれで昌幸の部名と忠義は他国にも知られ、真田家の独立を可能としたと言って良いでしょう。仰る通り、もし勝頼公が昌幸の岩櫃城に来た場合、数か月の籠城は可能でしょうが、その命を全うする事は難しかったと思います。何と言っても御屋形ではなく陣借りですから。本能寺の変が起きていれば、生き残ったでしょうけど、その時は真田が持て余したかも知れません。甲斐へ侵攻しても旧領を回復できたかどうか・・。
@@石野真琴 岩櫃城は真田の「本城」ではなく、本城は信濃小県郡の「松尾城」、支城は上野利根郡の「沼田城」であり、上野吾妻郡の岩櫃城は単なる「砦」くらいの位置づけでしたね。
勝頼が信濃・上野に逃れれば甲州征伐のスケジュールが遅れて、織田信忠・滝川一益の軍勢だけでは足りずに最悪信長自身が甲斐・信濃・上野に進軍したかもしれません。そうなれば、後の四国攻め・中国攻めもところてん式に遅れて、明智光秀が信長の命を狙う機会が遅れた、あるいは機会を失っていたかもしれません。
歴史の「if」は選択肢が多くて、上記の予測が100%正しいとは言えませんが、こうしてシミュレーションを立てると奥が深いです。
伊達には抗議しても難しいでしょう。徳川一族の松平氏に発砲しても不問になったのだから。
大阪の陣で武功を上げようと、指物(敵味方識別のために背中に担ぐもの)として巨大な位牌(3.6m)を作らせ、辞世の句まで入れて覚悟を示したのはいいが
重すぎて馬が動かなかった
ためまともに戦ができず、恥ずかしさのあまり戦後絶食して命を絶った矢部虎之助
初めて知った
ここに扱われない前田利家の実弟佐脇良之も
剣の使い手なのに信長から追放され三方ヶ原の戦いで無念の戦死、見捨てたのは佐久間信盛。
かの前田利家の実弟でもある、佐脇良之なる武将を初めて知ったのも確か、唐沢寿明さん主演の戦国大河の『利家とまつ』において、唐沢さんの事務所の後輩の竹野内豊さんが演じた事だったっけ?
@@user-uv8tx3on6z
竹野内豊の演技も良かったですが、生き様が
真っ直ぐなので気に入った武将でした。
兄利家とは凄く仲が良く、良之戦死後は息子たちは加賀金沢に仕官しました。
羽柴と戦って負けたけど所領を安堵されてやったーってなってるところに巨大地震で城ごと一族断絶した内ヶ島さんは?
帰雲城ごと生き埋め、絶対これあると思ったのにw
@@hibikiyamazaki8543 それな絶対あると思ってた
自分も真っ先にこの方を思い浮かべました
地震といえば、土佐の山内一豊は地震で娘亡くしたな。
自分もこれを想像しましたw
あと蘆名のホモのもつれで殺された殿
男色関係のもつれで大庭三左衛門に殺された、蘆名盛隆…
しかも彼(大庭)、二本松畠山家で小姓してたのを盛隆が見て気に入って義継に拝み倒して貰ってきたんだよねぇ……
男色関係と言えば宇喜多直家に送り込まれて懇ろになった小姓に暗殺された穝所職経(元常)…と言いたい所ですが、この話はガセなのが残念(実際には「毛利に内通しようとしたら、その毛利方に弟共々崖から突き落とされた上に止めを刺された」らしいので、これはこれで悲惨だったり)。
「味方に撃たれた」で
富田長繁かと思いましたw
彼も彼で残念ですけどね。the 脳筋
道を誤った水野って感じ…
あれはもうめちゃくちゃやり過ぎw
富田長繁はデスノートの夜神月の最期みたいな死に方したと思う
運だよねー
それと、先を読む!
入ってると思ったよ、伊東義祐……
うちの会社の富山担当と宮城担当が仲悪いのはこれか!
相茂さんの神保氏は河内畠山氏家臣だから富山と関係無いですよ(越中の神保氏から分かれた系譜ですが)
すいませんでした。
ただただ仲悪いだけだねw
残念過ぎると言えば、飛騨国帰雲城主の内ヶ島氏理も。地震の山崩れで城が埋没して、その日たまたま宴会開いてて一族郎党一夜で滅亡したらしい。氏理の実弟が仏門に入っててこの宴会に参加してなかったから歴史に記録が残ったらしい。
余談ですが上杉家は、代々当主を継承する際 昔話らしき話をするらしいのですが その話が気になる。
謙信が、春日山城の便所で「踏ん張り」すぎて、
頭が「パチン」と切れて「お陀仏さん」になっちゃった話では?
ここに松平清康さんや松平広忠さんがいない件
ついでに水野一族の方々も
ベスト10ならこの辺りがランクインされているだろうな
清康は勘違いで殺されたしね……
9:31 火に油を注ぐでは?
中野宗時をご存知ですか?
伊達稙宗・晴宗・輝宗の宿老として仕え権勢を誇ったが、
輝宗時代に謀叛をおこそうとし露見、討伐される。
相馬に逃れ帰参を願うも叶わず、
蘆名に向かう途中、寒さと飢えで死んだと言われています。
伊達家の宿老だった武将が流浪の末、餓死したのは残念過ぎませんか?
残念な武将ですか、荒木村重ですかねぇ。
生き残りましたが
長尾政景は宇佐美のとっつぁん(宇佐美定満)が心中的な暗殺をした説を個人的には推したいけど・・・
ついでに松平広忠も家臣の謀反で殺されて残念な死に方でしたよ。
伊達政宗の場合、水野を直接撃ったら大問題になるので、あえて水野の与力を狙い撃ちにするとか…
だから伊達は姑息でキライ。
いやw
アイコンwww
その後、その時に伊達に奪われた馬をどさくさ紛れに取り戻した水野勝成さん
父親さえ撃ち殺すんだから、そのくらいは朝飯前。
あの戦国DQNの水野勝成さんだから無事に生還できた
水野勝成さんじゃなかったら、神保さん同様に伊達政宗の鉄砲の餌食になったのだろう
嫌〜改めて歴史を見ると面白いですね。自分もしリクエストに答えてもらえるなら幕末の人物が良いです。井伊直弼と横井小楠と西郷隆盛と高杉晋作と会津武士は、永瀬ゆうじ利勝と飯沼貞吉です。白虎隊好きなので、好きな戦いは、会津戦争佐賀の乱天狗党の乱と西南戦争桜田門外の変も好きです。🥲👍👍
戦国随一のイケメンと言われた名古屋山三郎も、主君森忠政から重臣の井戸宇右衛門を殺害するよう命じられるも、逆に武勇の優れる宇右衛門に返り討ちにされて死亡するという残念な結果に。
伊達政宗の言い訳を聞いて、退却してくる味方を戦車で引き殺したソビエト軍を思い出しました。
戦車で轢き殺すのもそうなのかは、判りませんけど「特戦隊」という戦術があり、突撃する部隊の後ろに機関銃や、小銃などの部隊を置き、突撃した部隊で負けて逃げ帰ってくる兵士を射殺する、という恐ろしい戦術です。
これをやると、突撃部隊は、相手の陣を突破できなかったら必ず死ぬことになります。
おそロシアwww
独眼竜政宗に描かれなかった伊達政宗のクズな部分を見た
独眼竜政宗でも「クズ」っぷりは描かれていますよ。
ただ「クズ」をあまり前面に出すと、視聴率に響くので
格好よく演出しているだけです。
父・輝宗が畠山義継に拉致された際に、
輝宗の胸元に短刀を突き付けた義継を政宗が河原まで追いつめ、
挙句輝宗もろとも義継を鉄砲で撃ち殺すシーン、
その後輝宗の亡骸を居城の米沢城に戻す前に
「父上が傷ついた姿を母に見せたくない」として火葬して
未亡人となった母・義姫のもとに「骨」となって返すシーン、
後で義姫に輝宗が亡くなった経緯を問い詰められて、
隠しきれなくなった政宗が義姫にその経緯を暴露すると、
「親不孝者!」と一喝されてしまうシーンなど、
涙を誘うシーンとして有名ですが、よくよく考えれば「クズ」シーンです。
@@toyo-rex4899 政宗はクズというよりDQNの方がしっくりくるような気がする
@@toyo-rex4899 江戸城で相撲だの政宗の頭おかしい部分をちゃんと描いてましたね
鹿之助は何で入ってないんだろ?
山中鹿之助ですか?
ナレーションが良い‼️
千利休、織田信長、織田信忠、織田信行、相合元綱、筒井定次、とかかな?
信盛の話しはちょっとかわいそすぎる(T ^ T)
水野勝成さんの伯父さんを殺した罪があるので自業自得
オレが織田信長なら、もっと早くそうしたかったな。それまでは信長も我慢して時期を窺っていたのだと思う。
畳の上にて死ぬ事は武士の成すべき道ならず。骸を馬蹄に掛けられつ、身を野晒しに成してこそ、世にもののふの義と言わめ。というのが、本来の武士道です。
上杉謙信の死因にはいくつかの説があるようですが、厠の下から槍でひと突きにされたのが残念すぎるエピソードですね
他の説でも、酒と塩をこよなく愛して高血圧気味だったところを、ぼっとん便所で気張って脳血管がブッツリという、なんとも言えないものがありますね^^;
ナレーションも聴きやすく、すごく面白いです。ただ、BGMのループが気になってきました。飽きてくるのでBGMは無くても良いと思います。お声だけで充分ですよ。
伊東義祐特段残念な最後でなくない?
残念という前振りあったからてっきり浜辺で見つけられず野垂れ死にかと思ったけど見つけられて息子に看取られて70代で息を引き取るのって波瀾万丈の最後としては幸せな方にも思えますよね。
野ざらしじゃなくて、看取られて亡くなってるから
残念な最期ではないな。
畳は、平安時代からありましたが、武士は畳の上で亡くなるよりも、戦場で死ぬ方が本望と言う時代。
天寿を全うした武士の方が少ないのでは? 暗殺や病死もありますが‥‥後、老衰とか。
畳が普及したのは応仁の乱の後くらいですよね、
本格的に普及したのは江戸からですね
老衰は寿命死だろ
14歳で戦国ヲタクっておっさんかよ(俺)
残念過ぎる最期と聞いて河越夜戦の混乱のさなかに古井戸に落ちて死んだ難波田さんを思い出した
あとは突撃しすぎて味方が付いてこれず敵中で孤立して討ち死にした佐野宗綱氏とか
宗綱の後の佐野氏の当主・信吉は、居城である下野唐沢山城から江戸の火災を発見して、急ぎ江戸へ上るも、「江戸での変事にすぐに気付いて急行出来る場所に居城がある」ことを幕府に危険視されて改易された、らしいです。
@@toyo-rex4899 調べたら改易になったのは実兄の富田信高が坂崎家を出奔した罪人を匿ったことに連座しての事みたいですね。仰られた件も含んでるとは思いますが
@@toyo-rex4899
2つの語られている説のひとつです。
@@user-yu6ok8gf5b
2つの語られている説のひとつです。
佐野宗綱の最後をよくお知りですね。
須花坂の戦いで、足利長尾氏と戦闘の際、血気盛んで気持ちが荒ぶり過ぎて、周りを見ずに突進して行って気付いた時には味方が全然付いて来れてなく、討ち取られてしまいました。
www.city.sano.lg.jp>soshikiichiran>kyouiku>bunkazaika>gyomuannai正光寺(しょうこうじ)城跡・須花(すばな)城跡/佐野市
2019/12/2
-正光寺(しょうこうじ)城跡・須花(すばな)城跡. 須花城跡は、標高約200 メートルの山城です。
正光寺(悪戸)城【栃木県佐野市】 | おシロメグリ‹‹\(´ω ...
汎秀さん討ち死にをここで知った
神保相茂は戦場で死ねたからまだ良いかと
一門同士で殺し会うのが一番残念だともう。
例は幾つもあり過ぎるけど、島津蔵久公もその一人
めっちゃ良い声~♩
地震で城や城下ごと滅亡してしまった内ヶ島氏も相当残念
帰雲城…その名の通り雲(天国)へ帰ったのか(´・ω・`)
内ケ島「自分で埋めたんじゃないから!埋蔵金じゃないから!」
私的にはこれが一番ですね
推しは滝川一益かなぁ
最後は信用信頼人望ですよ
さおりちゃん、信長の重臣の佐久間信盛は将軍では無く武将ですよ〜。9:08
コメントだと、皆歴史に強いなあ。それより、案内人のさおりチャンがかわいい。
宇佐美暗殺説を信じたいですね。穴山信君も武田一門なのに無念の死だったと思います。あと後北条氏一門も無念だったと思います早雲以来の関東の遊が秀吉に攻められてあえなく滅亡信玄と謙信が生きていれば滅亡はなかったでしょう
輝宗が二本松城で人質になれば、伊達と畠山の戦争は避けられなかったと思うから、誘拐されそうになった時点で即決するしかなかったと思う。
それに、
伊達が畠山に服従するとは考えにくい
そしてあのとき、蘆名や佐竹が伊達を狙っていた
佐竹はともかく蘆名は相次ぐ当主の死でそれどころじゃなかったような
長尾政景が溺死したのって
野尻湖だったはず
野尻湖はナウマンゾウがいた所
ん?野尻池で合ってるのでは?
『がきデカ』で野尻湖に行くことが決まると「あそこはいかん!」西城「なぜだ?」
「あそこに行くとお尻がのになる!」
と言うやりとりを思い出す野尻湖。
その説もありますが、野尻池が有力説ですね。
野尻池は、居城の坂戸城(現在の新潟県南魚沼市六日町坂戸)の近くにありました。
残念すぎる最後ワーストってどっちw()
敗走中古井戸に落っこちて死んだ難波田憲重あたりが入ってくると思ったんだが...
細川高国の絵、なんか國村隼みたいだな
太り過ぎて馬にも乗れず六人がかりの籠に乗って移動した龍造寺隆信は
日頃の悪行が祟り、沖田畷で討ち死にした後島津が龍造寺家に首を返却
しようとしましたが、受け取りを拒否され島津が埋葬しました。
しかも嫌われまくっていたから、退却中に腰を運ぶ人足が全員真っ先に逃亡…
やっぱり人望って大事ですよね。
火を注ぐ❌
油を注ぐ、又は火を煽る。
もう一人入れるなら、個人的には、長宗我部信親を入れてほしい。仙石秀久がアホすぎる。
もっとカメラ目線を求む☀
残念と言えば、トイレでしゃがんだ瞬間に脳出血で逝った上杉謙信。
トイレで転がっているところを家臣の方が発見。帰らぬ人となりました。ご冥福お祈りいたします。お痔い方を亡くしました。
うちのご先祖様も裏切りがバレて切腹させられたクチだしな〜😓
伊達のまーくんと水野勝成さんの二大DQNの争いに巻き込まれて消えた神保さん
阿波公方や足利直冬なんかも残念
上杉輝虎って上杉謙信で有名ですよね
内容が入ってこないですが癒されます
志賀親度とか保身のために大友から島津に裏切ったら息子に城のまた次の城と最後まで追いかけられて最終的に斬首とか 息子が強いのもあるがなんか可哀想
伊達輝宗、敵ごと息子に殺された
残念という感じではないが帰る場所をあえて無くして死ぬことを目的に戦った九州の武将居なかったっけ
さおりさんやっぱり美形でかわいいです。
龍造寺さんや、今川さんは、戦にお出掛けしてて、討たれて御愁傷様は本望か?、
佐野宗綱が入ってない…
アクセントが「亀」
戦場に置いてけぼり憤死の龍造寺隆信さん
普段からパワハラしまくってたからな……そら見捨てられて当然
残念すぎる最期を遂げた武将のワーストって事は逆にいいってことじゃないの?笑
政宗って葦名討伐といい葛西・大崎一揆といい領土拡大しようとすると何かとブーメラン刺さって領土没収されてるけど神保さんの時は領土関係なかったからどうやら刺さらなかったみたいだな(´・ω・`)
関ヶ原の戦い時の南部領内で起きた「和賀一揆」もそうですね。
陰で政宗が煽動していて、後に家康にバレて、戦い前に家康と約束していた「百万石のお墨付き」が反故にされました。壮大な「ブーメラン」です。
神保隊全滅の件で領地没収どころか側室の子ながら長男のために
伊予宇和島10万石ゲットして家督問題を解決した件
@@user-hk6ng6dk2f 「伊予宇和島10万石」は、かつて「百万石のお墨付き」を反故にした家康の、せめてもの「埋め合わせ」という部分もあるかも。
@@toyo-rex4899 あれは最初から切り取り次第という話だったので福島攻めで返り討ちに遭い結局白石城しか奪還できなかった伊達が弱かっただけですね
赤座直保はいなかったか
残念な死に方だと中川秀政。
朝鮮出兵で鷹狩りの途中で襲われて討ち死に。
残念すぎるワースト5っておかしくない?
男同士の痴情のもつれで死んだとされる蘆名盛隆
残念のワーストなら良いトップ5って意味じゃないの?
伊東義祐は残念な死に方だろうか?
故地回復を出来なかったと言う意味では残念だけど、天寿を全うできたという意味では残念ではないから微妙な感じが
丹後一色氏。