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田沼意次の重商主義への転換が、上手くいけば、幕末の貧乏(米の生産過剰による米の価値デフレ)は、回避できた可能性があり、 田沼意次は先見の明 に優れた政治家だと思います😊😉👍️✨
池波正太郎の『剣客商売』や山本周五郎の『栄花物語』では、田沼意次は好人物として描かれています。同作を実写化した時代劇ではそれぞれ平幹二朗と森繁久弥が演じています。
賄賂のイメージが強いので田沼意次の評価は低いですが、これは後に実権を握った松平定信が意次を悪く評価したのが原因ではないか。実務能力は意次の方が上だし、定信は庶民からは狂歌が出るほど煙たがられた。
みなもと太郎 風雲児たち よくわかります。相良城跡に行って来ました。
有名な「白河の清きに魚の住みかねて~」の狂歌ですね?まぁ実際には当時の将軍家斉の取り巻きに落とし入れられ、家斉との関係が悪化したのが「寛政の改革」が結果的に未完成終わった理由らしいですが?
藤原純友は大河ドラマ「風と雲と虹と」で、緒形拳さんが演じたから人気あると思ったけど、もう50年くらい前の話だから知らない人も多いんだろうな。
@@evolutiongmr7389 さん平将門は、怨霊伝説も然ることながら、新皇を名乗り、東国の天皇として即位したりなど、歴史におけるインパクトが強烈で、後の鎌倉時代の先鞭ともなったけど、藤原純友が後世に残し、参考とされた制度は、何だろう?と考えると、水軍の在り方などかなと。
私もあの大河ドラマをみています。平将門が加藤剛さん。
「天暦の治」の少し前の話ですから、今話題の''光る君へ''より以前の話ですよね?大河ドラマ史上最も古い時代設定と言う事ですか?まぁどうでも良い話ですが?w
「白河の 清きに魚も 住みかねてもとの濁りの 田沼恋しき」。これ、政治の神髄を示していますよね。政治家が賄賂を貰うことが悪いのではなく、民を飢えさせることが悪いのだ、と。
まあ、便宜を計って貰おうと付け届けするのは田沼意次の先にも後にも、また中国でもよくある話だし、じゃあ彼が付け届けの影響で人材登用や推挙をしたのかというとそんなことはないんですけどね。例えば意次の子の意知を斬った佐野政言も、意次に十分な付け届けをおくったのに思うように出世しなかったのを逆恨みしての凶行ですから。賄賂の権化みたいに言われているのは松平定信のせいです😅
いわゆる“裏金”って悪いのでしょうか? その議員、派閥に使ってもらいたいと寄付されたお金ではないですか。選挙に行きましょう。
田沼さまは非常に優秀な治世をしたと伝えられております。江戸への交通を考えての港の整備や優秀な人材とのことで動画内でも産業革命に触れていますが産業への理解から平賀源内の保護をして生存をしていたという説が私の地域では有名ですね。
田沼意次の場合はあまりに進歩的すぎてついていける人間が当時の幕閣に(後任の松平定信はじめ)ほとんどいなかったのがなぁ・・・・・・
「栄光無き天才」の一人でしょうねぇ…
何とかついて行けそうだったのが田沼殿に若い頃目通りして話したことがある後に出てきた大久保忠真さんだった様(あの二宮尊徳を幕府に取り立てろといったご本人)ですが、この人はいかんせん短命だったのが悔やまれる(この人の後が例の水野さんですので)。
別動画で「過大評価されている人物3選」というのがあるけど、テレビドラマや小説等の影響で評価がコロコロ変わるのも何だかなあ..って思うよね。特に凄い功績があるのにメディアによって捻じ曲がった評価をされている人物は本当に気の毒。
田沼親子に関してはまだ評価が高く無かったときの教師の教え方や教科書や学習まんがを読んだりしていたけど今では当たり前のことも多いしそんなに非難されることなのかと思った記憶がある。
松平定信対田沼意次徳川吉宗対徳川宗春これを対比するのも興味深いですね。
宗春はかなり優秀ですね。こちらの方が暴れん坊将軍のイメージに近いし。
井伊直弼は日本史の悪役の一人ですが私は高く評価しています。
少なくとも、私利私欲で動いた人物ではないですね。だからこそ過酷な政策もできた。とはいえ正義と正義がぶつかると殺し合いにしかならないという現実もあり。
汁掛け飯で2回かけるだけで大袈裟だよな
@@TheA9817020 さん氏政は、時代の波に乗れなかったという評価がありますので、やはり、加減を読めない人、という比喩もあるのかも知れません。そういう意味では武田勝頼もかな。外交が尻切れ蜻蛉になりがちで、そこの齟齬が埋められず、敵だらけになっていきました。
経験則が有る状態か無い状態か?、それが全てだと思う。物心が付くのは人それぞれ違うから、記憶に差が出る物。何歳からの記憶が有るのかは皆違う。このエピソードが10歳の話なら終わってる。ただこれが5歳程度なら問題視し過ぎ。
😊良い発言ありがとうございます
最上徳内は義務教育で教えておいてほしかったな。荷物持ち下人から蝦夷地普請役頭(政府の監察官。松前藩からは邪魔者扱い、でも藩主より偉い)へのし上がった人、江戸時代にほぼない大出世。江戸湾沿海図も関東河川水脈図も国後島地図もアイヌ語辞典も彼がいなければ作れなかった(伊能忠敬の日本全図の前です)。
40~50年前には今川義元なんて、モロ“バカ殿”っていうのが世間の一般認識だった。僧侶から戦国大名への転職って考えてみたら・・・
@@kouichiiijima さん今川義元の実績が、師匠たる、太原雪斎の実績が、いくらか含まれると考えると、今川義元、本人の実力って、どのくらいだったんだろう?という疑問は出ますね。太原雪斎が存命の時に桶狭間合戦があったら、織田信長が生きて城に帰れたかを考えるのも、歴史のifの楽しみ方です。今川軍に返り討ちにされて、命からがら逃げ帰った信長のその後、など。生き延びたとしても、躍進は無かったのでは。また、徳川家康の独立も無かったでしょうね。
そういう事考えたら、斉の桓公と管仲の仲みたいなものか。桓公は管仲の死後闇落ちしましたが、義元公は、、、
@@bigmarch8686 さん太原雪斎の死による政治的混乱は避けたと思われる上に、松平元康を嫡子の片腕として育てた上で家督も譲っていたので、表向きは上手いことやっていましたね。とは言え、家中の司令塔たる本人が討ち取られてしまった事で、いろいろ露呈しました。嫡男の氏真が、父の弔い合戦に出なかったこと、片腕の松平に独立された時点でお察し。
義元が健在な間は息子の問題は起きなかったから軍事能力は軍師依存だったかも知れないけど、政治能力は優秀だったんじゃないかと
@@wakka-besaid 今川一族恒例の後継者争いが無く、すんなりと、氏真に家督を生前に譲っていますし、家政としては、何も問題なしですね。大殿を守れなかった二万の大軍というところ以外は何も問題ありませんでした。
田沼意次はルイ14世の財務卿を務めたコルベールに匹敵する仕事をした可能性があります要するに門閥政治をぶっ壊す危険を察知されて潰されちゃった訳です
田沼意次は現代の政治家で言えば田中角栄のような存在
田沼意次の長所はいくつもあるが、経済面で言えばブレーンの活用術があげられる。この時代としては異例な事に、平賀源内のような市井の人物や下級役人の意見を取り上げ、大胆かつ的確に経済政策を進めていった。日本の歴史にとっての悲劇は、この田沼意次の政策が、松平定信によってリセットされてしまった事。元々田沼意次は一橋派だったが、一橋家斉を将軍にするため、田安家から久松松平家へ定信を養子に出す事で、松平定信の恨みを買ってしまう。その状態で、いざ一橋家斉が将軍の座に就く際、一橋家が松平定信と手を組んでしまい、田沼意次ははしごを外される形で没落してしまう。その過程で、田沼意次のブレーンの多くが投獄され、命を落としており、表舞台に出られないようになってしまった。その後、松平定信が老中職を罷免され、徳川家斉が田沼意次時代の政策へ戻そうとしたが、人材の枯渇は明白であり、田沼意次のような舵取りができる者もいなかったため、大した改革も行われずに幕末を迎える事となってしまった。
池波正太郎先生の "剣客商売" を読むと、田沼意次は分別があって、人柄もいい人物で描かれてて、実際もこういう人物だったらいいのになって思いますね😅
個人的には、もし武田信玄や上杉謙信が生きながらえていたら、の答えが北条氏政にあるような気がします。奥様を大切に思い、兄弟達と揉める事なく版図を拡大し、領民に慕われた氏政。現代人が大好きな人だと思うのですが。
北条家にしても、ここでは関係ないが浅井家にしても、当主が代わっても前当主が権力を持ち続けたから滅亡した。氏直も長政もそれなりの力はあるのに、結局過去の栄光を引きずった
付け加えると、天皇の臣である「豊臣」が関東の「北条」(を名乗る一族)を最初から赦す気は無かったのではないか、と。氏政が有能か無能かの話とは別になりますが、大名としての北条家はこうならざる得ない運命だったのではないかと思います。
藤原純友、北条氏政、田沼意次の評価はこの動画の評価が正しいと思います。
尼子経久が謀聖と言われ評価が高いですが、それはあくまで戦争時の軍略のみで、国衆統治、民衆保護、外交戦略においてはイマイチだったと思います。戦争は強いが、国家基盤を固める能力は低かったと思います。
@@noritadanishio8813 さんまず、譜代家臣の層が、ライバルの大内と比べて圧倒的に薄かった上に、三男に、寺社勢力と組まれて反乱を起こされていますし、強みは月山富田城の堅牢さと、次男、国久とその息子達の戦闘能力。これだけの少ないリソースで、万単位の兵を動員出来たり、石見銀山を手に入れたり、安芸武田、備後山名に援軍を出したりしているので、逆に、よくやるよなぁと感心します。周辺の有力国衆が、属国化までいかずとも、協力するのは、経久に魅力と期待感があったからか。カリスマ性って、実力以上の力を出させますからね。、
小栗上野介が一番不当な評価なんじゃないですかね?
松平定信も田沼意次との対比で悪く描かれがちですが、人柄は非常に真面目だったと思います。現代なら学校教諭とかなら大成してたかと。
氏政は普通に優秀ですよね笑戦国好きならそれを知って居て普通です! 氏康が凄すぎて霞んでるだけだと思います!
セコくてウザい里見を屈服させたし
時代が悪かったし、北条の全国区での存在意義が変わってしまっていました。どの天下人候補に協力するかが、当時の大名達の課題だった中、氏政は、自領の民を守り、利益を確保するのに精一杯で、中央の政局にまで関与出来ず孤立しました。最大版図を実現したとは言え、周囲は敵だらけ。悪いことにその敵がほとんど、豊臣に走ったので、自動的に北条は朝敵になる貧乏籤を引いてしまいました。氏政は、なーんにも、悪いことしてないんですが、もっと、なりふり構わない姿勢で良かったのではないか。
氏政が時流を読めなかったとは思えないし何よりも沼田の一件に関しても全て与えられたと思っていた節があり奪還のため真田領侵攻をしたと思う
@@SMK皇帝ファントム陛下Japan さん時流が読めたとしても、関東を捨てられなかったので、天下の趨勢が決まった段階で城を枕に滅ぶしか、歴史の神が選択肢を与えなかったという事です。天下と領民を秤にかけて、領民を取った結果です。小田原征伐は、まさに貧乏籤。
そもそも家康がちゃんと取次ぎをしていれば後北条家の滅亡は防げた徳川の失態で滅びるのは不憫でならないそれに秀吉も後北条氏を実質大名としても滅亡させるべきではなかった
残された文献等がねじ曲げられた内容の物もありますから判断が難しいですよね。割りと時代が新しい幕末の人物でも評価が上下しますからね。まぁ名前が後世に残ってるだけでも凄い事なんですけどね。
「北条ウジ虫」と劇中で罵った丹波哲郎の真田昌幸。面白かったナアあのドラマ。
藤原純友の場合、反乱自体は長期間続いたし摂津や淡路など畿内まで攻めたけれど、新皇を名乗り独立して派手に戦死→その後怨霊として恐れられた平将門のインパクトに比べると、地味に感じるのかと。それだけ天皇と同じように君主を自称するということが、当時の朝廷にとっては衝撃的だったと。
徳川三代の利根川東遷事業は今の日本をつくり上げた最も偉大な事業だと思います。
不当に極悪人として貶められた松永久秀かな。実際は、主君三好長慶に忠実に仕えた忠臣で、文化人だった。
評価が低い歴史上の人物なら、足利義教公が挙げられるんじゃね?織田信長公がやった事の多くは、義教公のやった事の焼き直しだからね。義教公の改革が上手く行ってたら室町幕府ももう少し続いてたと思う。
義教公は、関東、山名、九州を沈静化して義満時代以上の完全天下統一を成し遂げたと思います、寺社の権力を抑え政教分離的にも功績があると思います、義教公と細川政元公は信長公より先駆け的な事をしてますよね。
もしも北条が秀吉に臣従していたら秀吉が死んだ後どうなったのかな?
島津や長宗我部のように領地を削減されたのでは?秀吉は相模伊豆の2カ国の所領安堵で赦そうとしてたはずです。関ヶ原でどう立ち回ったかはわかりません。縁戚関係のあった家康方に付いたか、関東の失地回復のため三成方についたのか。
北条が臣従してたら…家康も250万石にはいかず、関東にも豊臣領地を作れた。関ヶ原は、多分領地的にも徳川は近くだし、家康の娘が氏直の嫁だから東軍だろう
@@藤胤酩月どうだろ?。伊豆と興国寺の辺りだけで、後は解体だと思うよ。上杉の顔を潰しかねないからねぇ。相模は上杉が厚かましくも主張するだろうよ。
膝…「ひじ」ではなく「ひざ」ですよねぇ?さすがにダメでしょw
最初の絵は純友だったのか。解説が始まるまで石川五右衛門かと思ってた
香川県高松市牟礼町にある房前駅。近くの房前ノ鼻という岬があります。これは、藤原北家、藤原房前からつけられた地名。父の藤原不比等が、龍神に奪われた玉を取り戻すべく派遣された際、地元の海女との間に房前が産まれたという志度の「海女の玉取り伝説」が元。もしかすると、藤原氏は、瀬戸内海全体に一定の勢力を持ち続けていたのかもしれませんね。
田沼意次は先進的で取得権益を得ている人物からは邪魔だったのかもしれないですね…失脚しなくても一代で改革は終わらずに結局は元の木阿弥だったかもしれないですけど
歴史っていい加減な所がありますよね。外国に留学していた頃、日本の歴史を勉強している外国人に、日露戦争で活躍した乃木希典大将の事を聞かれて、あまり知らないと言えば、その人は「ええええ! あの日本の英雄を知らないのか?」とびっくりされました。更に乃木希典大将、東郷平八郎大将の事を日本の教科書では殆ど教えていないと言えば、更にびっくりしていました。ついでに言えば、アジアの人達は旧日本軍は、欧米の植民地支配から解放してくれたからと、かなり好意的に思っているみたいです(韓国、中国は除く)日本はアジアを侵略したとか習ったけど、現地の人は全然そんな事思っていないからびっくりしました。日本の学校で教えている歴史はもっと正確に伝えるべきですね・・・
別に、「歴史」というものの捉えかたは、日本に限らずどの国でもいい加減なところがあり、政治的ですアジアの国にはいち早く敗戦から立ち直った日本に追随するために、「日本に好意的な歴史」を採用したところもあります現状、アジアの中でも衰退中の日本を見て、彼らが別の「歴史」を採用する可能性は十分ありますコメ主さんは自分に快い話を「正確」だとお考えのようで、大人の割にチョロいですね
令和書籍の検定合格教科書「国史」を使用するべきですね。
個人的には足利義政が過小評価されてると思います。あとは清少納言
逆に、義政の祖父に当たる義満や、清少納言と並ぶ平安時代の女流作家の紫式部なんかは、過大評価され過ぎてたりして…。
足利義政は奥方が強烈すぎる。清少納言は大河でわかるように負け組一族です。
不当な評価が高い人なら吉良上野介だけど❗
逆に、過大評価され過ぎていたのは、世に言う「忠臣蔵」において主君の浅野内匠頭の仇である吉良上野介を討ち取った、大石内蔵助等赤穂四十七士だと思うけどね。
大河ドラマ「武田信玄」でも北条氏政(演、花柳寿楽)が出てきたが、杉良太郎の氏康と対比させるためか、思慮の浅さが目立ち、父にも行く末を心配されて過小評価ぎみに描かれていたのが気になった。
田沼意次は最終的には鎖国をやめて、開国に踏み切ろうと考えていたとも言われています。ナポレオンが登場する前の時代にあたるので実現していたら、19世紀には欧米の列強に遅れることなく、ペリーの黒船にも恐れることのない国力をつけることに成功していたかもしれません。但し、江戸幕府の滅亡は早まったかもしれませんが・・。
徳川、北条という大きすぎる戦国大名を豊臣秀吉は残すわけにはいかなかったのでしょう。また、北条氏の挙兵は奥州の戦国大名も呼応する可能性がありました。関東以北は平将門の乱から独立意識が強く、足利幕府が南北朝の影響で京に幕府を作らざる得なくなり、それによって関東側を収めさせた弟や親族とさえ足利幕府は戦い続けなければいけませんでした。徳川を遠い関東に追いやったとしてもいずれ覆されるのは大名というトップだけでなく、関東という下部構造からの追い上げもあったと思われます。
氏政は北条氏最大の領土を獲得した武将です。ただ、それ以上に出世した秀吉に滅ぼされてしまいました。不運という他ないですが、秀吉と堂々と渡り合ったのはもう少し評価されてもいいのではないかと。どちらかと言えば、氏政と同盟を結びながら裏切った伊達政宗の方が、少し高評価過ぎるような気がします。戦国の世は生きるために裏切るのも仕方ない気もしますが。
個人的には、もっと徳川慶喜公を評価しても良いと思う。
慶喜公が生き続けたからこそ、徳川時代を終わらせることができた、ですからねぇ…そのことを慶喜公は理解していたと思います。昭和天皇も同じことを理解されていたと思います。実は日本の歴史はこういう名君が何人もいて続いています。そこが日本という国の「異常」なところであり「稀有」なところです。そこに楔を打ち込んだのがGHQですが…
田沼意次と言えば賄賂政治家のイメージが強いですが、「田沼時代」は40年近く続き、「寛政の改革」は6年で終わっている。また、「白河の清き流れに魚住まず 濁れる田沼今は恋しき」「世の中にカ(蚊)ほどうるさきものはなしぶんぶ(文武)といふて夜も寝られず」も、当時の人の評価を表すのだろう。さて、江戸時代、名目上は経済の中心は米である。教科書では、誰が始めたかは別として、「楽市・楽座」をすばらしい政策だと現在は教える。商人がいくら大儲けしても、公式には税金を払う義務はない。そういう訳にもいかんだろうと、当時の人は、冥加金や付け届けでバランスを取っていたのかもしれない。相手が老中ともなをしたりの
不当に評価など低くない。氏政なんか氏ムシに過ぎない。
純友の話が興味深かった。イメージが変わりました。なんで三辰らが(相応に報われたのに)国府を襲ったのかが気になりますね。田沼意次は先見の明がある偉大な政治家なのに、松平定信のせいで不当に貶められているのでこのタイトルなら来るだろうなと思ってました。商業重視の諸政策も印旛沼干拓も素晴らしいですが、蝦夷地を視察探検させ将来開拓しようとしたことが最も素晴らしい。実現していれば(米が品種改良前で蝦夷地では十分に育たないにせよ)数百万石の増収となっていた可能性があったとか。定信のせいで開拓は頓挫しますが、探検家の最上徳内を表舞台に登場させ、彼が択捉まで探検したことが江戸末期のロシアとの日露交渉で択捉まで日本領と確定させることに繋がった。すごいです。
田沼意次の嫌われ方は?
大河ドラマ武田信玄(原作新田次郎 脚本田向正健)の北条氏政の無能っぷりは異常だったな40年前に武田勝頼を有能に描いてたのは感動だったけど新田次郎が諏訪の生まれだから贔屓してたっぽいね現に田向正健脚本の他のドラマだと武田勝頼は無能だった
信長の野望的には、割と昔から北条氏政は有能だった。辛うじていうなら顔グラが昔から、ちょっと小物感があったぐらい。
政治面はかなり優秀、軍事面は能力的にはそこそこで兵科適正や特技あたりをイマイチにしてる印象ですね...大名としては全く問題ない感じ🤔
信長の野望の氏政って、初期は無能では言えないけど、微妙な感じでしたよ光栄が刊行していた武将FILEシリーズでも、天翔記あたりまでは凡庸説を採用した解説文でしたし
不当に評価が低い人物として、徳川綱吉に一票。
まぁ純友ドノ図らずも平将門公と東西での乱みたいな形となり、加えて907年には唐の滅亡、と10世紀はアジア動乱の時代だったんだなぁと若いときは捉えていたが…もっと評価されてよいかもしれません。北条氏全般本当に豊かな小田原に支えられたことも大きいですがもう少し評価されてもよいかとは思います。田沼氏は池波正太郎先生のおっしゃる全体に運がなかった感ですかね。印旛沼とか力入れたけど効果上がるまでに他が吹っ飛んでしまった…昔読んだみなもと太郎さんの風雲児というコミックにも描かれていたけとを思い出します。近年も研究進んでいるようで前ほどワイロ賄賂扱いはないと思います。政治的には早すぎたひとで幕末辺りいてくれたらもっと手腕を発揮できたんじゃないかなぁと思います。
近代ですが、乃木希典司馬史観最大の被害者だと思います
意次亡き後の田沼氏は小藩ながらも大名として存続し、幕府の重職を務めた当主もおり、維新後は爵位を授かっている。後世からの悪評どおりなら、さほどの家柄でもない田沼氏は改易や減封にされてもおかしくないはずである。しかし実際はそうではなかったのは、やはり意次の功績が幕府からはずっと高く評価されていたからだろう。
淀君が三大悪女とか言われているのは納得できないですね。宗派を問わず寺社仏閣に多額の寄付をしています。最期も千姫を道連れにしないで徳川に返してから自分たちは自害してます。
雌鶏歌えば家滅ぶ。自分が稼いだわけでもない金を寺社にばら撒き、千姫の件も命乞いや秀頼最初で最後の反抗という考え方もある。やっぱり悪女だよ。まあ、淀君を悪女といえば現在日本の女性なんて大悪女だらけだから否定したい気持ちは分かるけどね。(専業主婦になりたがる・旦那をATMと呼ぶ・イケメンと裏でやりまくって托卵は当たり前)
高台院(ねね)との関係も言うほど険悪ではなかったそうな。
汁の二度掛けって、今だとカレー食べるときにご飯とルーのバランスが悪いってこと?
毛利輝元
北条氏政は文書に出てくる「表」の能力は非常に高いことが史料からはっきりわかる。一方、織田徳川の甲州征伐に完全に乗り遅れるなど、ここぞという局面での動きが冴えない。後北条氏の治世が安定して南関東は繁栄し国力は高まったが、風魔衆を使いこなした氏綱、氏康に比べると、諜報能力など「裏」の能力が劣化してしまった印象。とはいえこれは善政の結果でもあって、氏政がより有能だったら防げたかというと、難しい
北条氏政は普通に優秀。もちろん氏照や氏邦や氏規や優秀な弟らがいたのは事実だけど、彼の代で最大版図を築き上げた。それに、上杉景虎を上杉家に養子に出して、関係強化を図るなど外交面でも才能を見せている。彼が貶めた要因は「甲陽軍鑑」のくだりと、汁賭けのくだりだろう。ちなみに汁賭けのくだりは創作で江戸時代ごろの書物が元らしいね。甲陽軍鑑は麦の話。収穫してそのまま食おうとしたら、武田信玄~、無知であると大笑いされた。愛妻家でほほえましいエピソードだけど無知で、思慮に欠ける印象を与えたらしいな。
まぁ地方チャンピオンではあるでしょうね。全国リーグでは通用しなかっただけで。信玄謙信亡き後は鳥なき島の蝙蝠の1人って感じです。
氏政と、その兄弟たちが頑張れば頑張るほど、中央の政局から距離が遠のくという不幸な力学に飲み込まれてしまっていました。神流川の合戦で、織田軍の滝川一益を打ち負かした時点で、中央の人間に対するスタンスは決まったようなもので、いずれ朝敵認定されるのは、既定路線だったのかも知れません。平将門の二の舞になってしまいました。
田沼意次が生前、不当な評価を受けていた原因は徳川家康が朱子学を幕府の公式イデオリギーとして採用したことでしょうね。恐らく徳川家康としては諸藩が反乱など起こさないように「主君に忠誠をささげる」学問として採用したのでしょうけど、時代が進むにつれて朱子学のマイナス面「商業は卑しい仕事である」という部分が幕府の中枢では共通認識になります。よく「田沼意次が商人達より賄賂を受け取った」という資料などをみますけど、これも誤解のような気がします。当時は農民より年貢米を税として徴収していますが商人からは税金の類は徴収していないのです。商人からは税金の類は徴収されていないため、田沼意次は「幕府の代わりに税金を徴収して様々な便宜を図っている」といった感覚なのではないかと私は想像しています。
「冥加金」という、商売の営業税をしきりにかけたのが意次ですなので、「幕府の代わりに税金を徴収して様々な便宜を図っている」というのはちょっと違いますまた、当時でも賄賂はもちろん良いこととはされませんでしたが、話を通す上ではありものと考えられていました当時、事実上の権力者であった意次には、彼が求めなかったとしても、それが集中するようになりますまた、意次に話を通すには、まずその家士たちにも賄賂を配っておく必要がありますから、それら全ては意次も把握していなかったと思います一時出回った「意次は清廉」説は言い過ぎですが、「俺ってそんなに言われるほどか?」という感覚だった気はします
う~ん・・・それでも氏政をあまり評価は出来ないかな。暗愚とまでは言わないが。信玄との甲相同盟復活までは良いが、天正壬午の乱で家康に翻弄されて敗北は戦力差から行っても不甲斐なさすぎ。最後も秀吉への臣従時期を見誤り滅亡に至ったのはさすがに評価出来ない。田沼意次は評価が低かったのはもう数十年前のことで、最近は正当に評価されている感じがあります。それよりも日野富子や足利義教の研究が進むことを期待しています。
文字で表現するときでも「う〜ん」っていう人好きです!
日野富子はがめつい守銭奴から義政が情けなすぎるからな朝廷と幕府の関係維持や応仁の乱の調停の費用を捻出してた優秀な奥さんという研究は出てきてますね
秀吉の臣従に関してはぶっちゃけ北条というよりは取次の怠慢ですからねえ氏政自身は上洛の意思示して取次に伝えてたのに肝心な秀吉の耳には通らずすれ違い起こして結局北条征伐って流れなんであと氏政期の北条は関東から上杉勢をほぼ駆逐させて上杉謙信との関東の勢力争いに完全勝利してます氏政が低評価ならそれに完敗した上杉謙信も無能な過大評価になっちゃいますね
戦国でいったら。・羽柴秀長・酒井忠次・本田正信・徳川秀忠あたりは、もっともっと評価されていいと思う。えらく有能なんだけど、戦国の主役格が隣にいるせいで。あんま目立たない。
最初から北条を潰す為に討伐の理由を吹っかけた豊臣秀吉。 死後、家康に同じ事をされたという皮肉。
田沼政治が先進性を持ち優れていたことは認めますが、どんな時代でも「揺り戻し」がありますものね‥。豊臣政権などもそうですがどのようにその流れを維持、継続するのか?が対抗保守政権に対しても問題になっているように思えます。フランス革命後の大揺り戻し時代にも膨大な血が流れ、様々な人間が断頭台に消えましたものね‥。その状況にあった幕末期にもほぼ似たような事態になっています。「正しいこと」に対する姿勢はどんな時代にも考えていかなくてはならないことだし、今の状況も選挙権を持つものなら心して考えておかなくてはならないことのようには思えますね。
不当に評価が低いと言えば、徳川綱吉公かな。「生類憐れみの令」以後、日本人はむやみな殺生をすることがなくなり、平和国家になった。
しかし幕府による人間に対する殺生は相変わらず…
むかし読んだが北条氏政は、確か武田信玄の孫?か甥だったような。
16:20◯青息吐息
氏政は関東一帯の経営に関しては、それなりにやっていける器量が十分にあったのだろうと思うけど、秀吉とは、格が違っていた。そのことに理解が及ばなかったのかな?伊達政宗は、敵せずとして仕方なく軍門に降ったけれど、彼の裁量で所領をなんとか確保できたのを見ると、氏政の立場が難しいとしても、彼の状況判断と立ち回りの素早さに限界があったと言うしかないね。
人物によっては後の勝者にその人が生きてきた痕跡 形跡迄をも焼き捨てられ…打ち壊され…消されてしまう。場合によっては肖像画迄手を入れられてしまう…。動画にはありませんがあの小早川秀秋の肖像画はひどすぎますよ…。
最近、思います。あれだけ批判されていた、田中角栄、石原慎太郎、が、見直されて、凄い人物と、評価され始めました。歴史とは、時代を映していますね。
最初から本編の音声レベルが低いですよね?自分の環境が悪いのか? と思ったけど、エンディングの定例ナレーションで急に音声レベルが戻ったので💦
背景の音がうるさくて話が聴き取れない。
榎本武揚
16:27 桃色吐息と混ざってますよ…。青息吐息です。
青色吐息は間違ってます正しくは「青息吐息」ですよ
弘安の役の実戦司令官だった北条実政は知名度が低すぎる幕末~明治の激動の政局を常に中心でサバイバルし続けた三条実美はもう少し掘り下げられていいと思う
大河北条時宗のキャスト見たら実政って存在しないことになってますね。え?って思いました。やべえ罠の数々、原案練ってる可能性もあるのにねえ。
足利義教。単なる籤引き将軍ではない。
ド~とる石丸よポスター代金支払ったか。
田沼意次がもし、現代貨幣理論を理解していたなら、いくつかの失敗した政策もうまくいっていたかもしれない。例えば「宝暦の御用金令」は、米の値段を安定させるため、商人から幕府が資金を借り入れて、それで大量の米を買い入れて高くなったところで売り、幕府財政と大名の財政を救済しようというものだった。問題は、原資の調達。商人からの借り入れ時の利率は月0.1%という超低利だった。これはこの時代においてもありえないほどの低利率だったため、この額では自発的に貸し出してくれる商人は出ない。そこで大阪町奉行所は、指名した商人を白州に呼び出し翌朝まで恫喝するという強引な手法で資金を提出させた。結果的に、このやり方で資金が幕府側に大量に吸い上げられたものの、大阪の金融市場は一気に冷え込むことになった。また、大名も大阪商人に資金の融通を頼んでも、御用金を理由に断られたため、大名もこの制度に不満を持ち始める。松平定信側の批判によれば、ほとんど踏み倒しに近い状態になって失敗し、以後は米市場に関して幕府はレッセ・フェール(なすがままに任せる)の方針を貫くこととなった、とされる。しかし、もし前述のように田沼が現代貨幣理論を理解していたなら、この御用金令の原資は通貨発行で賄えた。田沼の目的は幕府の財政立て直し、それと平行した各大名の財政立て直しである。これまでは年貢の米を収入の柱とし、それを通貨へと変換する、いわば米本位制であった。この部分がもっと改革されていれば良かったのである。つまり現代貨幣と同じ信用貨幣に移行し、幕府が自国通貨建の幕債を発行。その原資は国民の労働力で良い。正確には、国民の「将来の付加価値生産力」の前借りを原資とする。現代の日本の国債と同じだ。幕府の財政支出が、最終的に巡り巡って庶民の所得になるような経済を作りあげれば、庶民の労働力全体を原資に通貨発行が可能になる。これは現代貨幣の考え方。日本政府でいえば国債発行の原資は国民の労働力、ということだ。現代でも、国債による政府の財政支出が、巡り巡って国民の所得となる形で、国債の返済は実質終わる。(国民全体の労働力をグロスで前借りしてるので、ひとりひとりへの返済は記録されず、帳簿上は借り入れが残ったまま)税でもないし、強制出資をさせるのでもない。田沼が税や強制出資以外に財源を作り出す方法を理解していれば、この政策もうまくいっていた可能性はある。
うーん…素人的には、「あの時代にロケットがあったなら」というようにしか読めません。あるいは「電子レンジがあったなら」とか。エレキテルの時代に言われてもなぁ…です。
こんにちは😃
逆に北条氏康が過大評価されすぎな感が強い。上杉謙信、武田信玄と互角に渡り合ったと歴オタが持ち上げすぎた結果かな、地の利を使うという事にかけては大した物だと思うけど人物としては好きになれないし武田勝頼が滅びた原因が信玄にあるように北条氏が滅亡したのは氏政だけが悪いのではなく先代の氏康も遠因の一端
氏康は川越夜戦で関東の覇権を盤石にしたので過大評価ではないような。
武田晴信と上杉輝虎が過大評価
家中の反対押し切って上杉謙信と同盟結ぶものの謙信大して働いてくれず失敗に終わりましたからね氏康逆に氏康死後上杉とは縁切りして武田と組んで関東の上杉勢駆逐して氏康すら出来なかった上杉謙信との関東における勢力争いに完全勝利したのが氏政
日本人は一からの発明がめちゃくちゃ苦手だから、日本での産業革命は無理だと思います😥
種子島の鍛冶屋「う~む、銃の後ろの金具の〆方が分からん!」(ネジネジぐりぐり)約300年後小栗忠順「螺旋螺子が工業品には必要だ!アメリカの造船所で買ったよ!」(今更ですか・・・)
そんな事はないですね。QRコードに青色LEDにレーダーとかも日本人の発明ですよ。そんな事も知らないのは貴方が無知なだけですよ。
>日本人は一からの発明がめちゃくちゃ苦手いや、日本人に限らず、世界のどの国でもそうですよ。むしろ「一からの発明」は多い方では。ノーベル賞受賞者の数がそれを示しています。とはいえ上昇志向としての意識として必要な認識だとは思いますが。
@@呉唯男 便利な道具は白人が発明した物ばかりで、日本人は基本それを改良することしかしてないでしょ・・・本気で言ってる・・・?
石原莞爾
家を滅ぼした、あるいは大大名から大きく転落した、となると評価が低くなるのは当然。氏政だけではない。朝倉義景、武田勝頼、豊臣秀頼、織田信雄、今川氏真などもそう。これらの人は一部だけ見ると優秀そうなところもあるが、残念ながら全体としては暗愚との評価になる。これは不当な評価ではないと思う。世間一般ではそのような評価になっていると言うことであり、評価が低いのが正当。
朝倉義景は群を抜いて愚凡な当主だと思います。
氏真は今川家を復興させたよ
@745yop6豊臣秀頼はともかく今川氏真も織田信雄もお家を守ってるわ。しっかり勉強してからコメントしてくれ。恥ずかしいなあ。
@@輝一条-d9r オレのコメント読んだか?しっかり読まずにコメントするなよ。「家を滅ぼした、あるいは大大名から大きく転落した、となると評価が低くなるのは当然」と書いている。家を守っていても、先代から比べて大きく石高を減らした人は暗愚と評価されると言うことだ。お前こそ恥ずかしいなあ。
@@todo-p1f オレのコメント読んだか?しっかり読まずにコメントするなよ。「家を滅ぼした、あるいは大大名から大きく転落した、となると評価が低くなるのは当然」と書いている。家を守っていても、先代から比べて大きく石高を減らした人は暗愚と評価されると言うことだ。
石田三成さま
不当に評価が低いのは東条閣下が一番だろう
あ~それは確かに言い得て妙ですね~。立花宗茂や島津家が大河でやらないのも、そういう事情ですしね。
青色吐息? 青息吐息(アオイキトイキ)でしょう 息も絶え絶えの意味ですよね
@@elemoiy2319 むふふ、さてどうでしょう。結果的に“青息吐息”になるのは北条氏であり、先に滅んだとはいえ武田家臣団はかなり徳川に吸収され重宝されています。“桃色吐息”という花は開花時期が春から秋と長く鮮やかです。武田を“桃色吐息”と混ぜた表現をすることで、同じ「追い詰められた状態」でもその後に違いがありますよ、という深~い深~い意味をこめたのかもしれません笑。
いつも思うけどスタッフさんに北条好きがいるのかな?スタッフさんのご当地ヒーロー的な感じだろうか?ちょっと北条贔屓が過ぎるような気がしなくもない。
いや、UP主がそうだと思う。
田沼意次公を高く評価することはやぶさかではないが、対比として松平定信公を低く評価する傾向がある。経済人であった田沼公は「天明の飢饉」への対策ができなかったことが失脚の主な要因である。松平公の「天明の飢饉」への対策は出色の出来であり、彼も不当に評価が低い人物といえる。パーフェクトな人間も政策もないのである。ちなみに池波正太郎先生は『剣客商売』で田沼公を優れた人物として描いているが『鬼平犯科帳』ではあまり描いていない。「鬼平」こと長谷川平蔵宣以を採用し江戸の治安に当たらせ高く評価したのは松平公である。都市部や経済人には評価が低いけどね。当時「飢饉」は多くの犠牲者を出す戦争以上の大災害だが、地方・農村の復興や田沼公の経済政策をさらに発展させるなどその功績は大きい。
私も同意ですかつて田沼が悪、定信が善とされていたものが逆転してしまっただけで、正当な評価になっていないように思いますみなさん、「悪く言われていた人こそが真の有能で、品行方正な優等生は実は無能だった」という「お話」が好きすぎです21世紀以降は定信は時代劇で悪役になることも多く、「大江戸捜査網」のスペシャルドラマでは、なんと隠密同心たちに斬られてしまいました元のドラマでは、隠密同心を結成した人だったのに…おそらく、来年の大河もその流れになると思います(ただまあ、主人公の蔦重からすれば、敵以外の何者でもないのですが)
天明の飢饉は当時の日本の食文化に原因があります。当時の日本には畜産牧畜業がありませんでした。畜産牧畜業は冷涼や乾燥気候に強い特徴がありますが、日本は高温多湿気候な為必要性が少なかったので、肉食禁止令なども平気でだせる国でした。つまりヴィーガン国家でした。結果として江戸時代の平均身長は歴代で一番低くなってます。また太陽活動の低下も影響しています。ダルトン極小期とも言われてますが、太陽の黒点数が少なくなってる時期でもあります。その影響が天明の大飢饉だと思います。
田沼意次の重商主義への転換が、上手くいけば、
幕末の貧乏(米の生産過剰による米の価値デフレ)は、回避できた可能性があり、 田沼意次は先見の明 に優れた政治家だと思います😊😉👍️✨
池波正太郎の『剣客商売』や山本周五郎の『栄花物語』では、田沼意次は好人物として描かれています。
同作を実写化した時代劇ではそれぞれ平幹二朗と森繁久弥が演じています。
賄賂のイメージが強いので田沼意次の評価は低いですが、これは後に実権を握った松平定信が意次を悪く評価したのが原因ではないか。
実務能力は意次の方が上だし、定信は庶民からは狂歌が出るほど煙たがられた。
みなもと太郎 風雲児たち よくわかります。相良城跡に行って来ました。
有名な「白河の清きに魚の住みかねて~」の狂歌ですね?
まぁ実際には当時の将軍家斉の取り巻きに落とし入れられ、家斉との関係が悪化したのが「寛政の改革」が結果的に未完成終わった理由らしいですが?
藤原純友は大河ドラマ「風と雲と虹と」で、
緒形拳さんが演じたから人気あると思ったけど、
もう50年くらい前の話だから知らない人も多いんだろうな。
@@evolutiongmr7389 さん
平将門は、怨霊伝説も然ることながら、新皇を名乗り、東国の天皇として即位したりなど、歴史におけるインパクトが強烈で、後の鎌倉時代の先鞭ともなったけど、藤原純友が後世に残し、参考とされた制度は、何だろう?と考えると、水軍の在り方などかなと。
私もあの大河ドラマをみています。平将門が加藤剛さん。
「天暦の治」の少し前の話ですから、今話題の''光る君へ''より以前の話ですよね?
大河ドラマ史上最も古い時代設定と言う事ですか?
まぁどうでも良い話ですが?w
「白河の 清きに魚も 住みかねてもとの濁りの 田沼恋しき」。これ、政治の神髄を示していますよね。
政治家が賄賂を貰うことが悪いのではなく、民を飢えさせることが悪いのだ、と。
まあ、便宜を計って貰おうと付け届けするのは田沼意次の先にも後にも、また中国でもよくある話だし、じゃあ彼が付け届けの影響で人材登用や推挙をしたのかというとそんなことはないんですけどね。例えば意次の子の意知を斬った佐野政言も、意次に十分な付け届けをおくったのに思うように出世しなかったのを逆恨みしての凶行ですから。
賄賂の権化みたいに言われているのは松平定信のせいです😅
いわゆる“裏金”って悪いのでしょうか? その議員、派閥に使ってもらいたいと寄付されたお金ではないですか。
選挙に行きましょう。
田沼さまは非常に優秀な治世をしたと伝えられております。
江戸への交通を考えての港の整備や優秀な人材とのことで動画内でも産業革命に触れていますが産業への理解から平賀源内の保護をして生存をしていたという説が私の地域では有名ですね。
田沼意次の場合はあまりに進歩的すぎてついていける人間が当時の幕閣に(後任の松平定信はじめ)ほとんどいなかったのがなぁ・・・・・・
「栄光無き天才」の一人でしょうねぇ…
何とかついて行けそうだったのが田沼殿に若い頃目通りして話したことがある
後に出てきた大久保忠真さんだった様(あの二宮尊徳を幕府に取り立てろ
といったご本人)ですが、この人はいかんせん短命だったのが悔やまれる
(この人の後が例の水野さんですので)。
別動画で「過大評価されている人物3選」というのがあるけど、テレビドラマや小説等の影響で評価がコロコロ変わるのも何だかなあ..って思うよね。特に凄い功績があるのにメディアによって捻じ曲がった評価をされている人物は本当に気の毒。
田沼親子に関してはまだ評価が高く無かったときの教師の教え方や教科書や学習まんがを読んだりしていたけど今では当たり前のことも多いしそんなに非難されることなのかと思った記憶がある。
松平定信対田沼意次
徳川吉宗対徳川宗春
これを対比するのも興味深いですね。
宗春はかなり優秀ですね。
こちらの方が暴れん坊将軍のイメージに近いし。
井伊直弼は日本史の悪役の一人ですが私は高く評価しています。
少なくとも、私利私欲で動いた人物ではないですね。
だからこそ過酷な政策もできた。
とはいえ正義と正義がぶつかると殺し合いにしかならないという現実もあり。
汁掛け飯で2回かけるだけで大袈裟だよな
@@TheA9817020 さん
氏政は、時代の波に乗れなかったという評価がありますので、やはり、加減を読めない人、という比喩もあるのかも知れません。そういう意味では武田勝頼もかな。
外交が尻切れ蜻蛉になりがちで、そこの齟齬が埋められず、敵だらけになっていきました。
経験則が有る状態か無い状態か?、それが全てだと思う。物心が付くのは人それぞれ違うから、記憶に差が出る物。何歳からの記憶が有るのかは皆違う。このエピソードが10歳の話なら終わってる。ただこれが5歳程度なら問題視し過ぎ。
😊良い発言ありがとうございます
最上徳内は義務教育で教えておいてほしかったな。荷物持ち下人から蝦夷地普請役頭(政府の監察官。松前藩からは邪魔者扱い、でも藩主より偉い)へのし上がった人、江戸時代にほぼない大出世。江戸湾沿海図も関東河川水脈図も国後島地図もアイヌ語辞典も彼がいなければ作れなかった(伊能忠敬の日本全図の前です)。
40~50年前には今川義元なんて、モロ“バカ殿”っていうのが世間の一般認識だった。
僧侶から戦国大名への転職って考えてみたら・・・
@@kouichiiijima さん
今川義元の実績が、師匠たる、太原雪斎の実績が、いくらか含まれると考えると、今川義元、本人の実力って、どのくらいだったんだろう?という疑問は出ますね。
太原雪斎が存命の時に桶狭間合戦があったら、織田信長が生きて城に帰れたかを考えるのも、歴史のifの楽しみ方です。
今川軍に返り討ちにされて、命からがら逃げ帰った信長のその後、など。
生き延びたとしても、躍進は無かったのでは。
また、徳川家康の独立も無かったでしょうね。
そういう事考えたら、斉の桓公と管仲の仲みたいなものか。
桓公は管仲の死後闇落ちしましたが、義元公は、、、
@@bigmarch8686 さん
太原雪斎の死による政治的混乱は避けたと思われる上に、松平元康を嫡子の片腕として育てた上で家督も譲っていたので、表向きは上手いことやっていましたね。
とは言え、家中の司令塔たる本人が討ち取られてしまった事で、いろいろ露呈しました。
嫡男の氏真が、父の弔い合戦に出なかったこと、片腕の松平に独立された時点でお察し。
義元が健在な間は息子の問題は起きなかったから軍事能力は軍師依存だったかも知れないけど、政治能力は優秀だったんじゃないかと
@@wakka-besaid
今川一族恒例の後継者争いが無く、すんなりと、氏真に家督を生前に譲っていますし、家政としては、何も問題なしですね。
大殿を守れなかった二万の大軍というところ以外は何も問題ありませんでした。
田沼意次はルイ14世の財務卿を務めたコルベールに匹敵する仕事をした可能性があります
要するに門閥政治をぶっ壊す危険を察知されて潰されちゃった訳です
田沼意次は現代の政治家で言えば田中角栄のような存在
田沼意次の長所はいくつもあるが、経済面で言えばブレーンの活用術があげられる。
この時代としては異例な事に、平賀源内のような市井の人物や下級役人の意見を取り上げ、大胆かつ的確に経済政策を進めていった。
日本の歴史にとっての悲劇は、この田沼意次の政策が、松平定信によってリセットされてしまった事。
元々田沼意次は一橋派だったが、一橋家斉を将軍にするため、田安家から久松松平家へ定信を養子に出す事で、松平定信の恨みを買ってしまう。
その状態で、いざ一橋家斉が将軍の座に就く際、一橋家が松平定信と手を組んでしまい、田沼意次ははしごを外される形で没落してしまう。
その過程で、田沼意次のブレーンの多くが投獄され、命を落としており、表舞台に出られないようになってしまった。
その後、松平定信が老中職を罷免され、徳川家斉が田沼意次時代の政策へ戻そうとしたが、人材の枯渇は明白であり、田沼意次のような舵取りができる者もいなかったため、大した改革も行われずに幕末を迎える事となってしまった。
池波正太郎先生の "剣客商売" を読むと、田沼意次は分別があって、人柄もいい人物で描かれてて、実際もこういう人物だったらいいのになって思いますね😅
個人的には、もし武田信玄や上杉謙信が生きながらえていたら、の答えが北条氏政にあるような気がします。
奥様を大切に思い、兄弟達と揉める事なく版図を拡大し、領民に慕われた氏政。
現代人が大好きな人だと思うのですが。
北条家にしても、ここでは関係ないが浅井家にしても、当主が代わっても前当主が権力を持ち続けたから滅亡した。氏直も長政もそれなりの力はあるのに、結局過去の栄光を引きずった
付け加えると、天皇の臣である「豊臣」が関東の「北条」(を名乗る一族)を最初から赦す気は無かったのではないか、と。
氏政が有能か無能かの話とは別になりますが、大名としての北条家はこうならざる得ない運命だったのではないかと思います。
藤原純友、北条氏政、田沼意次の評価はこの動画の評価が正しいと思います。
尼子経久が謀聖と言われ評価が高いですが、それはあくまで戦争時の軍略のみで、国衆統治、民衆保護、外交戦略においてはイマイチだったと思います。戦争は強いが、国家基盤を固める能力は低かったと思います。
@@noritadanishio8813 さん
まず、譜代家臣の層が、ライバルの大内と比べて圧倒的に薄かった上に、三男に、寺社勢力と組まれて反乱を起こされていますし、
強みは月山富田城の堅牢さと、次男、国久とその息子達の戦闘能力。これだけの少ないリソースで、万単位の兵を動員出来たり、石見銀山を手に入れたり、安芸武田、備後山名に援軍を出したりしているので、逆に、よくやるよなぁと感心します。周辺の有力国衆が、属国化までいかずとも、協力するのは、経久に魅力と期待感があったからか。カリスマ性って、実力以上の力を出させますからね。、
小栗上野介が一番不当な評価なんじゃないですかね?
松平定信も田沼意次との対比で悪く描かれがちですが、人柄は非常に真面目だったと思います。現代なら学校教諭とかなら大成してたかと。
氏政は普通に優秀ですよね笑
戦国好きならそれを知って居て普通です! 氏康が凄すぎて霞んでるだけだと思います!
セコくてウザい里見を屈服させたし
時代が悪かったし、北条の全国区での存在意義が変わってしまっていました。どの天下人候補に協力するかが、当時の大名達の課題だった中、氏政は、自領の民を守り、利益を確保するのに精一杯で、中央の政局にまで関与出来ず孤立しました。
最大版図を実現したとは言え、周囲は敵だらけ。悪いことにその敵がほとんど、豊臣に走ったので、自動的に北条は朝敵になる貧乏籤を引いてしまいました。
氏政は、なーんにも、悪いことしてないんですが、もっと、なりふり構わない姿勢で良かったのではないか。
氏政が時流を読めなかったとは思えないし
何よりも沼田の一件に関しても全て与えられたと思っていた節があり奪還のため真田領侵攻をしたと思う
@@SMK皇帝ファントム陛下Japan さん
時流が読めたとしても、関東を捨てられなかったので、天下の趨勢が決まった段階で城を枕に滅ぶしか、歴史の神が選択肢を与えなかったという事です。
天下と領民を秤にかけて、領民を取った結果です。小田原征伐は、まさに貧乏籤。
そもそも家康がちゃんと取次ぎをしていれば
後北条家の滅亡は防げた
徳川の失態で滅びるのは不憫でならない
それに秀吉も後北条氏を実質大名としても滅亡させるべきではなかった
残された文献等がねじ曲げられた内容の物もありますから判断が難しいですよね。割りと時代が新しい幕末の人物でも評価が上下しますからね。まぁ名前が後世に残ってるだけでも凄い事なんですけどね。
「北条ウジ虫」と劇中で罵った丹波哲郎の真田昌幸。面白かったナアあのドラマ。
藤原純友の場合、反乱自体は長期間続いたし摂津や淡路など畿内まで攻めたけれど、新皇を名乗り独立して派手に戦死→その後怨霊として恐れられた平将門のインパクトに比べると、地味に感じるのかと。それだけ天皇と同じように君主を自称するということが、当時の朝廷にとっては衝撃的だったと。
徳川三代の利根川東遷事業は今の日本をつくり上げた最も偉大な事業だと思います。
不当に極悪人として貶められた松永久秀かな。実際は、主君三好長慶に忠実に仕えた忠臣で、文化人だった。
評価が低い歴史上の人物なら、足利義教公が挙げられるんじゃね?
織田信長公がやった事の多くは、義教公のやった事の焼き直しだからね。
義教公の改革が上手く行ってたら室町幕府ももう少し続いてたと思う。
義教公は、関東、山名、九州を沈静化して義満時代以上の完全天下統一を成し遂げたと思います、寺社の権力を抑え政教分離的にも功績があると思います、義教公と細川政元公は信長公より先駆け的な事をしてますよね。
もしも北条が秀吉に臣従していたら秀吉が死んだ後どうなったのかな?
島津や長宗我部のように領地を削減されたのでは?
秀吉は相模伊豆の2カ国の所領安堵で赦そうとしてたはずです。
関ヶ原でどう立ち回ったかはわかりません。
縁戚関係のあった家康方に付いたか、関東の失地回復のため三成方についたのか。
北条が臣従してたら…家康も250万石にはいかず、関東にも豊臣領地を作れた。関ヶ原は、多分領地的にも徳川は近くだし、家康の娘が氏直の嫁だから東軍だろう
@@藤胤酩月
どうだろ?。伊豆と興国寺の辺りだけで、後は解体だと思うよ。上杉の顔を潰しかねないからねぇ。相模は上杉が厚かましくも主張するだろうよ。
膝…「ひじ」ではなく「ひざ」ですよねぇ?さすがにダメでしょw
最初の絵は純友だったのか。解説が始まるまで石川五右衛門かと思ってた
香川県高松市牟礼町にある房前駅。近くの房前ノ鼻という岬があります。これは、藤原北家、藤原房前からつけられた地名。父の藤原不比等が、龍神に奪われた玉を取り戻すべく派遣された際、地元の海女との間に房前が産まれたという志度の「海女の玉取り伝説」が元。もしかすると、藤原氏は、瀬戸内海全体に一定の勢力を持ち続けていたのかもしれませんね。
田沼意次は先進的で取得権益を得ている人物からは邪魔だったのかもしれないですね…失脚しなくても一代で改革は終わらずに結局は元の木阿弥だったかもしれないですけど
歴史っていい加減な所がありますよね。
外国に留学していた頃、日本の歴史を勉強している外国人に、
日露戦争で活躍した乃木希典大将の事を聞かれて、あまり知らないと言えば、
その人は「ええええ! あの日本の英雄を知らないのか?」とびっくりされました。
更に乃木希典大将、東郷平八郎大将の事を日本の教科書では殆ど教えていないと言えば、
更にびっくりしていました。
ついでに言えば、アジアの人達は旧日本軍は、欧米の植民地支配から解放してくれたからと、
かなり好意的に思っているみたいです(韓国、中国は除く)
日本はアジアを侵略したとか習ったけど、現地の人は全然そんな事思っていないからびっくりしました。
日本の学校で教えている歴史はもっと正確に伝えるべきですね・・・
別に、「歴史」というものの捉えかたは、日本に限らずどの国でもいい加減なところがあり、政治的です
アジアの国にはいち早く敗戦から立ち直った日本に追随するために、「日本に好意的な歴史」を採用したところもあります
現状、アジアの中でも衰退中の日本を見て、彼らが別の「歴史」を採用する可能性は十分あります
コメ主さんは自分に快い話を「正確」だとお考えのようで、大人の割にチョロいですね
令和書籍の検定合格教科書「国史」を使用するべきですね。
個人的には足利義政が過小評価されてると思います。あとは清少納言
逆に、義政の祖父に当たる義満や、清少納言と並ぶ平安時代の女流作家の紫式部なんかは、過大評価され過ぎてたりして…。
足利義政は奥方が強烈すぎる。清少納言は大河でわかるように負け組一族です。
不当な評価が高い人なら吉良上野介だけど❗
逆に、過大評価され過ぎていたのは、世に言う「忠臣蔵」において主君の浅野内匠頭の仇である吉良上野介を討ち取った、大石内蔵助等赤穂四十七士だと思うけどね。
大河ドラマ「武田信玄」でも北条氏政(演、花柳寿楽)が出てきたが、杉良太郎の氏康と対比させるためか、思慮の浅さが目立ち、父にも行く末を心配されて過小評価ぎみに描かれていたのが気になった。
田沼意次は最終的には鎖国をやめて、開国に踏み切ろうと考えていたとも言われています。ナポレオンが登場する前の時代にあたるので実現していたら、19世紀には欧米の列強に遅れることなく、ペリーの黒船にも恐れることのない国力をつけることに成功していたかもしれません。但し、江戸幕府の滅亡は早まったかもしれませんが・・。
徳川、北条という大きすぎる戦国大名を豊臣秀吉は残すわけにはいかなかったのでしょう。また、北条氏の挙兵は奥州の戦国大名も呼応する可能性がありました。関東以北は平将門の乱から独立意識が強く、足利幕府が南北朝の影響で京に幕府を作らざる得なくなり、それによって関東側を収めさせた弟や親族とさえ足利幕府は戦い続けなければいけませんでした。徳川を遠い関東に追いやったとしてもいずれ覆されるのは大名というトップだけでなく、関東という下部構造からの追い上げもあったと思われます。
氏政は北条氏最大の領土を獲得した武将です。ただ、それ以上に出世した秀吉に滅ぼされてしまいました。不運という他ないですが、秀吉と堂々と渡り合ったのはもう少し評価されてもいいのではないかと。どちらかと言えば、氏政と同盟を結びながら裏切った伊達政宗の方が、少し高評価過ぎるような気がします。戦国の世は生きるために裏切るのも仕方ない気もしますが。
個人的には、もっと徳川慶喜公を評価しても良いと思う。
慶喜公が生き続けたからこそ、徳川時代を終わらせることができた、
ですからねぇ…
そのことを慶喜公は理解していたと思います。
昭和天皇も同じことを理解されていたと思います。
実は日本の歴史はこういう名君が何人もいて続いています。
そこが日本という国の「異常」なところであり「稀有」なところです。
そこに楔を打ち込んだのがGHQですが…
田沼意次と言えば賄賂政治家のイメージが強いですが、「田沼時代」は40年近く続き、「寛政の改革」は6年で終わっている。また、
「白河の清き流れに魚住まず 濁れる田沼今は恋しき」「世の中にカ(蚊)ほどうるさきものはなし
ぶんぶ(文武)といふて夜も寝られず」
も、当時の人の評価を表すのだろう。
さて、江戸時代、名目上は経済の中心は米である。教科書では、誰が始めたかは別として、「楽市・楽座」をすばらしい政策だと現在は教える。商人がいくら大儲けしても、公式には税金を払う義務はない。そういう訳にもいかんだろうと、当時の人は、冥加金や付け届けでバランスを取っていたのかもしれない。相手が老中ともなをしたりの
不当に評価など低くない。氏政なんか氏ムシに過ぎない。
純友の話が興味深かった。イメージが変わりました。なんで三辰らが(相応に報われたのに)国府を襲ったのかが気になりますね。
田沼意次は先見の明がある偉大な政治家なのに、松平定信のせいで不当に貶められているのでこのタイトルなら来るだろうなと思ってました。商業重視の諸政策も印旛沼干拓も素晴らしいですが、蝦夷地を視察探検させ将来開拓しようとしたことが最も素晴らしい。実現していれば(米が品種改良前で蝦夷地では十分に育たないにせよ)数百万石の増収となっていた可能性があったとか。
定信のせいで開拓は頓挫しますが、探検家の最上徳内を表舞台に登場させ、彼が択捉まで探検したことが江戸末期のロシアとの日露交渉で択捉まで日本領と確定させることに繋がった。すごいです。
田沼意次の嫌われ方は?
大河ドラマ武田信玄(原作新田次郎 脚本田向正健)の北条氏政の無能っぷりは異常だったな
40年前に武田勝頼を有能に描いてたのは感動だったけど新田次郎が諏訪の生まれだから贔屓してたっぽいね
現に田向正健脚本の他のドラマだと武田勝頼は無能だった
信長の野望的には、割と昔から北条氏政は有能だった。辛うじていうなら顔グラが昔から、ちょっと小物感があったぐらい。
政治面はかなり優秀、軍事面は能力的にはそこそこで兵科適正や特技あたりをイマイチにしてる印象ですね...大名としては全く問題ない感じ🤔
信長の野望の氏政って、初期は無能では言えないけど、微妙な感じでしたよ
光栄が刊行していた武将FILEシリーズでも、天翔記あたりまでは凡庸説を採用した解説文でしたし
不当に評価が低い人物として、徳川綱吉に一票。
まぁ純友ドノ図らずも平将門公と東西での乱みたいな形となり、加えて907年には唐の滅亡、と10世紀はアジア動乱の時代だったんだなぁと若いときは捉えていたが…もっと評価されてよいかもしれません。北条氏全般本当に豊かな小田原に支えられたことも大きいですがもう少し評価されてもよいかとは思います。
田沼氏は池波正太郎先生のおっしゃる全体に運がなかった感ですかね。印旛沼とか力入れたけど効果上がるまでに他が吹っ飛んでしまった…昔読んだみなもと太郎さんの風雲児というコミックにも描かれていたけとを思い出します。近年も研究進んでいるようで前ほどワイロ賄賂扱いはないと思います。政治的には早すぎたひとで幕末辺りいてくれたらもっと手腕を発揮できたんじゃないかなぁと思います。
近代ですが、乃木希典
司馬史観最大の被害者だと思います
意次亡き後の田沼氏は小藩ながらも大名として存続し、幕府の重職を務めた当主もおり、維新後は爵位を授かっている。
後世からの悪評どおりなら、さほどの家柄でもない田沼氏は改易や減封にされてもおかしくないはずである。
しかし実際はそうではなかったのは、やはり意次の功績が幕府からはずっと高く評価されていたからだろう。
淀君が三大悪女とか言われているのは納得できないですね。
宗派を問わず寺社仏閣に多額の寄付をしています。
最期も千姫を道連れにしないで徳川に返してから自分たちは自害してます。
雌鶏歌えば家滅ぶ。自分が稼いだわけでもない金を寺社にばら撒き、千姫の件も命乞いや秀頼最初で最後の反抗という考え方もある。やっぱり悪女だよ。
まあ、淀君を悪女といえば現在日本の女性なんて大悪女だらけだから否定したい気持ちは分かるけどね。(専業主婦になりたがる・旦那をATMと呼ぶ・イケメンと裏でやりまくって托卵は当たり前)
高台院(ねね)との関係も言うほど険悪ではなかったそうな。
汁の二度掛けって、今だとカレー食べるときにご飯とルーのバランスが悪いってこと?
毛利輝元
北条氏政は文書に出てくる「表」の能力は非常に高いことが史料からはっきりわかる。
一方、織田徳川の甲州征伐に完全に乗り遅れるなど、ここぞという局面での動きが冴えない。
後北条氏の治世が安定して南関東は繁栄し国力は高まったが、風魔衆を使いこなした氏綱、氏康に比べると、諜報能力など「裏」の能力が劣化してしまった印象。
とはいえこれは善政の結果でもあって、氏政がより有能だったら防げたかというと、難しい
北条氏政は普通に優秀。もちろん氏照や氏邦や氏規や優秀な弟らがいたのは事実だけど、彼の代で最大版図を築き上げた。それに、上杉景虎を上杉家に養子に出して、関係強化を図るなど外交面でも才能を見せている。
彼が貶めた要因は「甲陽軍鑑」のくだりと、汁賭けのくだりだろう。
ちなみに汁賭けのくだりは創作で江戸時代ごろの書物が元らしいね。
甲陽軍鑑は麦の話。収穫してそのまま食おうとしたら、武田信玄~、無知であると大笑いされた。愛妻家でほほえましいエピソードだけど無知で、思慮に欠ける印象を与えたらしいな。
まぁ地方チャンピオンではあるでしょうね。
全国リーグでは通用しなかっただけで。
信玄謙信亡き後は鳥なき島の蝙蝠の1人って感じです。
氏政と、その兄弟たちが頑張れば頑張るほど、中央の政局から距離が遠のくという不幸な力学に飲み込まれてしまっていました。
神流川の合戦で、織田軍の滝川一益を打ち負かした時点で、中央の人間に対するスタンスは決まったようなもので、
いずれ朝敵認定されるのは、既定路線だったのかも知れません。
平将門の二の舞になってしまいました。
田沼意次が生前、不当な評価を受けていた原因は徳川家康が朱子学を幕府の公式イデオリギーとして採用したことでしょうね。恐らく徳川家康としては諸藩が反乱など起こさないように「主君に忠誠をささげる」学問として採用したのでしょうけど、時代が進むにつれて朱子学のマイナス面「商業は卑しい仕事である」という部分が幕府の中枢では共通認識になります。よく「田沼意次が商人達より賄賂を受け取った」という資料などをみますけど、これも誤解のような気がします。当時は農民より年貢米を税として徴収していますが商人からは税金の類は徴収していないのです。商人からは税金の類は徴収されていないため、田沼意次は「幕府の代わりに税金を徴収して様々な便宜を図っている」といった感覚なのではないかと私は想像しています。
「冥加金」という、商売の営業税をしきりにかけたのが意次です
なので、「幕府の代わりに税金を徴収して様々な便宜を図っている」というのはちょっと違います
また、当時でも賄賂はもちろん良いこととはされませんでしたが、話を通す上ではありものと考えられていました
当時、事実上の権力者であった意次には、彼が求めなかったとしても、それが集中するようになります
また、意次に話を通すには、まずその家士たちにも賄賂を配っておく必要がありますから、それら全ては意次も把握していなかったと思います
一時出回った「意次は清廉」説は言い過ぎですが、「俺ってそんなに言われるほどか?」という感覚だった気はします
う~ん・・・それでも氏政をあまり評価は出来ないかな。暗愚とまでは言わないが。信玄との甲相同盟復活までは良いが、天正壬午の乱で家康に翻弄されて敗北は戦力差から行っても不甲斐なさすぎ。最後も秀吉への臣従時期を見誤り滅亡に至ったのはさすがに評価出来ない。
田沼意次は評価が低かったのはもう数十年前のことで、最近は正当に評価されている感じがあります。それよりも日野富子や足利義教の研究が進むことを期待しています。
文字で表現するときでも「う〜ん」っていう人好きです!
日野富子はがめつい守銭奴から義政が情けなすぎるからな朝廷と幕府の関係維持や応仁の乱の調停の費用を捻出してた優秀な奥さんという研究は出てきてますね
秀吉の臣従に関してはぶっちゃけ北条というよりは取次の怠慢ですからねえ
氏政自身は上洛の意思示して取次に伝えてたのに肝心な秀吉の耳には通らずすれ違い起こして結局北条征伐って流れなんで
あと氏政期の北条は関東から上杉勢をほぼ駆逐させて上杉謙信との関東の勢力争いに完全勝利してます
氏政が低評価ならそれに完敗した上杉謙信も無能な過大評価になっちゃいますね
戦国でいったら。
・羽柴秀長
・酒井忠次
・本田正信
・徳川秀忠
あたりは、もっともっと評価されていいと思う。
えらく有能なんだけど、戦国の主役格が隣にいるせいで。
あんま目立たない。
最初から北条を潰す為に討伐の理由を吹っかけた豊臣秀吉。
死後、家康に同じ事を
されたという皮肉。
田沼政治が先進性を持ち優れていたことは認めますが、どんな時代でも「揺り戻し」がありますものね‥。豊臣政権などもそうですがどのようにその流れを維持、継続するのか?が対抗保守政権に対しても問題になっているように思えます。
フランス革命後の大揺り戻し時代にも膨大な血が流れ、様々な人間が断頭台に消えましたものね‥。
その状況にあった幕末期にもほぼ似たような事態になっています。
「正しいこと」に対する姿勢はどんな時代にも考えていかなくてはならないことだし、今の状況も選挙権を持つものなら心して考えておかなくてはならないことのようには思えますね。
不当に評価が低いと言えば、徳川綱吉公かな。「生類憐れみの令」以後、日本人はむやみな殺生をすることがなくなり、平和国家になった。
しかし幕府による人間に対する殺生は相変わらず…
むかし読んだが北条氏政は、確か武田信玄の孫?か甥だったような。
16:20
◯青息吐息
氏政は関東一帯の経営に関しては、それなりにやっていける器量が十分にあったのだろうと思うけど、秀吉とは、格が違っていた。そのことに理解が及ばなかったのかな?
伊達政宗は、敵せずとして仕方なく軍門に降ったけれど、彼の裁量で所領をなんとか確保できたのを見ると、氏政の立場が難しいとしても、彼の状況判断と立ち回りの素早さに限界があったと言うしかないね。
人物によっては後の勝者にその人が生きてきた痕跡 形跡迄をも焼き捨てられ…打ち壊され…消されてしまう。場合によっては肖像画迄手を入れられてしまう…。動画にはありませんがあの小早川秀秋の肖像画はひどすぎますよ…。
最近、思います。あれだけ批判されていた、田中角栄、石原慎太郎、が、見直されて、凄い人物と、評価され始めました。歴史とは、時代を映していますね。
最初から本編の音声レベルが低いですよね?
自分の環境が悪いのか? と思ったけど、エンディングの定例ナレーションで急に音声レベルが戻ったので💦
背景の音がうるさくて話が聴き取れない。
榎本武揚
16:27 桃色吐息と混ざってますよ…。青息吐息です。
青色吐息は間違ってます
正しくは「青息吐息」ですよ
弘安の役の実戦司令官だった北条実政は知名度が低すぎる
幕末~明治の激動の政局を常に中心でサバイバルし続けた三条実美はもう少し掘り下げられていいと思う
大河北条時宗のキャスト見たら実政って存在しないことになってますね。
え?って思いました。やべえ罠の数々、原案練ってる可能性もあるのにねえ。
足利義教。単なる籤引き将軍ではない。
ド~とる石丸よポスター代金支払ったか。
田沼意次がもし、現代貨幣理論を理解していたなら、いくつかの失敗した政策もうまくいっていたかもしれない。
例えば「宝暦の御用金令」は、米の値段を安定させるため、商人から幕府が資金を借り入れて、それで大量の米を
買い入れて高くなったところで売り、幕府財政と大名の財政を救済しようというものだった。
問題は、原資の調達。商人からの借り入れ時の利率は月0.1%という超低利だった。これはこの時代においても
ありえないほどの低利率だったため、この額では自発的に貸し出してくれる商人は出ない。
そこで大阪町奉行所は、指名した商人を白州に呼び出し翌朝まで恫喝するという強引な手法で資金を提出させた。
結果的に、このやり方で資金が幕府側に大量に吸い上げられたものの、大阪の金融市場は一気に冷え込むことになった。
また、大名も大阪商人に資金の融通を頼んでも、御用金を理由に断られたため、大名もこの制度に不満を持ち始める。
松平定信側の批判によれば、ほとんど踏み倒しに近い状態になって失敗し、以後は米市場に関して幕府は
レッセ・フェール(なすがままに任せる)の方針を貫くこととなった、とされる。
しかし、もし前述のように田沼が現代貨幣理論を理解していたなら、この御用金令の原資は通貨発行で賄えた。
田沼の目的は幕府の財政立て直し、それと平行した各大名の財政立て直しである。これまでは年貢の米を収入の柱とし、
それを通貨へと変換する、いわば米本位制であった。この部分がもっと改革されていれば良かったのである。
つまり現代貨幣と同じ信用貨幣に移行し、幕府が自国通貨建の幕債を発行。その原資は国民の労働力で良い。
正確には、国民の「将来の付加価値生産力」の前借りを原資とする。現代の日本の国債と同じだ。
幕府の財政支出が、最終的に巡り巡って庶民の所得になるような経済を作りあげれば、庶民の労働力全体を原資に
通貨発行が可能になる。これは現代貨幣の考え方。日本政府でいえば国債発行の原資は国民の労働力、ということだ。
現代でも、国債による政府の財政支出が、巡り巡って国民の所得となる形で、国債の返済は実質終わる。
(国民全体の労働力をグロスで前借りしてるので、ひとりひとりへの返済は記録されず、帳簿上は借り入れが残ったまま)
税でもないし、強制出資をさせるのでもない。田沼が税や強制出資以外に財源を作り出す方法を理解していれば、
この政策もうまくいっていた可能性はある。
うーん…素人的には、「あの時代にロケットがあったなら」というようにしか読めません。
あるいは「電子レンジがあったなら」とか。
エレキテルの時代に言われてもなぁ…です。
こんにちは😃
逆に北条氏康が過大評価されすぎな感が強い。上杉謙信、武田信玄と互角に渡り合ったと歴オタが持ち上げすぎた結果かな、地の利を使うという事にかけては大した物だと思うけど人物としては好きになれないし武田勝頼が滅びた原因が信玄にあるように北条氏が滅亡したのは氏政だけが悪いのではなく先代の氏康も遠因の一端
氏康は川越夜戦で関東の覇権を盤石にしたので過大評価ではないような。
武田晴信と上杉輝虎が過大評価
家中の反対押し切って上杉謙信と同盟結ぶものの謙信大して働いてくれず失敗に終わりましたからね氏康
逆に氏康死後上杉とは縁切りして武田と組んで関東の上杉勢駆逐して氏康すら出来なかった上杉謙信との関東における勢力争いに完全勝利したのが氏政
日本人は一からの発明がめちゃくちゃ苦手だから、日本での産業革命は無理だと思います😥
種子島の鍛冶屋「う~む、銃の後ろの金具の〆方が分からん!」(ネジネジぐりぐり)
約300年後小栗忠順「螺旋螺子が工業品には必要だ!アメリカの造船所で買ったよ!」(今更ですか・・・)
そんな事はないですね。
QRコードに青色LEDにレーダーとかも日本人の発明ですよ。
そんな事も知らないのは貴方が無知なだけですよ。
>日本人は一からの発明がめちゃくちゃ苦手
いや、日本人に限らず、世界のどの国でもそうですよ。
むしろ「一からの発明」は多い方では。
ノーベル賞受賞者の数がそれを示しています。
とはいえ上昇志向としての意識として必要な認識だとは思いますが。
@@呉唯男
便利な道具は白人が発明した物ばかりで、日本人は基本それを改良することしかしてないでしょ・・・本気で言ってる・・・?
石原莞爾
家を滅ぼした、あるいは大大名から大きく転落した、となると評価が低くなるのは当然。氏政だけではない。朝倉義景、武田勝頼、豊臣秀頼、織田信雄、今川氏真などもそう。これらの人は一部だけ見ると優秀そうなところもあるが、残念ながら全体としては暗愚との評価になる。これは不当な評価ではないと思う。世間一般ではそのような評価になっていると言うことであり、評価が低いのが正当。
朝倉義景は群を抜いて愚凡な当主だと思います。
氏真は今川家を復興させたよ
@745yop6
豊臣秀頼はともかく今川氏真も織田信雄もお家を守ってるわ。しっかり勉強してからコメントしてくれ。恥ずかしいなあ。
@@輝一条-d9r オレのコメント読んだか?しっかり読まずにコメントするなよ。
「家を滅ぼした、あるいは大大名から大きく転落した、となると評価が低くなるのは当然」と書いている。家を守っていても、先代から比べて大きく石高を減らした人は暗愚と評価されると言うことだ。お前こそ恥ずかしいなあ。
@@todo-p1f オレのコメント読んだか?しっかり読まずにコメントするなよ。
「家を滅ぼした、あるいは大大名から大きく転落した、となると評価が低くなるのは当然」と書いている。家を守っていても、先代から比べて大きく石高を減らした人は暗愚と評価されると言うことだ。
石田三成さま
不当に評価が低いのは東条閣下が一番だろう
あ~それは確かに言い得て妙ですね~。
立花宗茂や島津家が大河でやらないのも、そういう事情ですしね。
青色吐息? 青息吐息(アオイキトイキ)でしょう 息も絶え絶えの意味ですよね
@@elemoiy2319
むふふ、さてどうでしょう。
結果的に“青息吐息”になるのは北条氏であり、先に滅んだとはいえ武田家臣団はかなり徳川に吸収され重宝されています。
“桃色吐息”という花は開花時期が春から秋と長く鮮やかです。
武田を“桃色吐息”と混ぜた表現をすることで、同じ「追い詰められた状態」でもその後に違いがありますよ、という深~い深~い意味をこめたのかもしれません笑。
いつも思うけどスタッフさんに北条好きがいるのかな?
スタッフさんのご当地ヒーロー的な感じだろうか?
ちょっと北条贔屓が過ぎるような気がしなくもない。
いや、UP主がそうだと思う。
田沼意次公を高く評価することはやぶさかではないが、対比として松平定信公を低く評価する傾向がある。経済人であった田沼公は「天明の飢饉」への対策ができなかったことが失脚の主な要因である。松平公の「天明の飢饉」への対策は出色の出来であり、彼も不当に評価が低い人物といえる。パーフェクトな人間も政策もないのである。ちなみに池波正太郎先生は『剣客商売』で田沼公を優れた人物として描いているが『鬼平犯科帳』ではあまり描いていない。「鬼平」こと長谷川平蔵宣以を採用し江戸の治安に当たらせ高く評価したのは松平公である。都市部や経済人には評価が低いけどね。当時「飢饉」は多くの犠牲者を出す戦争以上の大災害だが、地方・農村の復興や田沼公の経済政策をさらに発展させるなどその功績は大きい。
私も同意です
かつて田沼が悪、定信が善とされていたものが逆転してしまっただけで、正当な評価になっていないように思います
みなさん、「悪く言われていた人こそが真の有能で、品行方正な優等生は実は無能だった」という「お話」が好きすぎです
21世紀以降は定信は時代劇で悪役になることも多く、「大江戸捜査網」のスペシャルドラマでは、なんと隠密同心たちに斬られてしまいました
元のドラマでは、隠密同心を結成した人だったのに…
おそらく、来年の大河もその流れになると思います(ただまあ、主人公の蔦重からすれば、敵以外の何者でもないのですが)
天明の飢饉は当時の日本の食文化に原因があります。当時の日本には畜産牧畜業がありませんでした。
畜産牧畜業は冷涼や乾燥気候に強い特徴がありますが、日本は高温多湿気候な為必要性が少なかったので、肉食禁止令なども平気でだせる国でした。つまりヴィーガン国家でした。結果として江戸時代の平均身長は歴代で一番低くなってます。
また太陽活動の低下も影響しています。ダルトン極小期とも言われてますが、太陽の黒点数が少なくなってる時期でもあります。その影響が天明の大飢饉だと思います。