受身面白かったです! 中国語は受身をあまり使わない言語なので、英語と日本語を勉強する時ここは苦労ポイントです。 This building *was built* in the 1990s. この建物は1990年代に*建てられた*。 这座建筑*建于*1990年代。(建物が自ら勝手に建ったってイメージです) He *was born* in Tokyo. 彼は東京に*生まれた*。 他在东京*出生*(東京という土地に彼は出現した、みたいなイメージ) 学生の時何度英語の先生に「ここは受け身形を使いなさい!」と言われたやら。 あ、*言われた*。 この文は中国語で構文すると「先生が何度も受け身形を使いなさいと言っていた」の語順が一番しっくりきます。
I'm an American studying Japanese and I really love your channel. The 〜んだ/〜んです thing in Japanese confused me a great deal when I first learned of it. つけないといけないとかつけないとちょっと失礼に聞こえちゃう場合もあるなんて初めて知った。役に立ったンデス。ありがとうございます。
5:20 迷惑受け身ではないけど、ドイツ語にも自動詞の受け身はあるよ。 たとえば、kaempfen(戦う)はintransitivだから、 普通は、man kaempft.みたいに使うけど、 ES wird gekaempft. と受け身で表現できる。 現象を客観的に自然現象のように表現したいときに使われるらしい。
話しが違いますけど、日本語は「~が在る」to exist「~で在る」to be identified as が簡単に区別出来ます。これ、凄くないですか? I Am That I That אהיה אשר אהיה と、Εγώ Ειμί I Am 欧米語で思想する人には、日本人のように、私の存在と、私が何であるかとが、スパッと区別出来ないのが不思議。
友人のシコリティとシコラビリティの使い分けが面白いw
水野さんのソシュール的に分けなくていいという返答も完璧で笑ったw
専門的な使い分けをしなかった堀元さんはシコラーで、注意した友人はシコリストだったという事でしょうw
ものに対して受け身や自発を使うならそれは日本語感覚とすごくあっている気がする。「〇〇は〜のように思われる」の「れる」要素と「アビリティ」に相通ずるものを見出したのでしょう
受身面白かったです!
中国語は受身をあまり使わない言語なので、英語と日本語を勉強する時ここは苦労ポイントです。
This building *was built* in the 1990s.
この建物は1990年代に*建てられた*。
这座建筑*建于*1990年代。(建物が自ら勝手に建ったってイメージです)
He *was born* in Tokyo.
彼は東京に*生まれた*。
他在东京*出生*(東京という土地に彼は出現した、みたいなイメージ)
学生の時何度英語の先生に「ここは受け身形を使いなさい!」と言われたやら。
あ、*言われた*。
この文は中国語で構文すると「先生が何度も受け身形を使いなさいと言っていた」の語順が一番しっくりきます。
ネットスラングに「怒られが発生した」なんてのもある。しばしば「お前が悪いから怒られたんだろうに、なに他人事みたいに言ってんだよ」という怒られが発生する。
2ちゃんねるを20年近く見ている者ですが、「怒られが発生した」なんてネットスラング見聞きした事無いです。どの板、どのスレで見掛けたのか仔細にご教授願いたいです。
@@ヒトヒトの実幻獣種モデルニ-b5f 「2ちゃんねるで使われている言葉こそがネットスラングであり、SNSなんてもので使われているものはネットスラングではない!」ということが言いたいのか、単純に認知してないだけなのかどっちなのか
借金玉さんが言ってるのは見たことあるが、流行ったかと言われるとね…?
ネットスラングというよりかは、ギークハウス界隈とかエンジニアクラスタがよく使っていた表現な印象がありますね「怒られが発生した」
元道民なので「押ささる」っぽいな~て考えてたらコメント欄に言ってる方結構いてなんか安心しましたw
「~さる」という表現は標準語ではあまり使わないみたいですが「合わさる」のさるは完全に「押ささる」のさると同じ用法だと思うんです。ご査収ください
水野さんの解説力もなんだけど、堀元さんの聞き手スキルがすごい。この二人が出会った経緯を聴きたい。
甥が幼児だった頃、時々おねしょをしてしまうことがあって、それを報告する時に「おしっこちびれた」という表現を使ってたのを思い出しました
おねしょをしたことの責任逃れをしようとしてる様な変な言い回しが面白くて家族でよく笑ってましたが、これって正にこの動画で言ってるアンコントローラブルな状況を説明する表現ですね
実際、おねしょは本人が意識して能動的にしてる訳でもなく制御不能なんだから、「ちびった」より「ちびれた」の方が状況を正確に説明できている表現と言えるのかも
と言うか「ちびれた」なんて表現は耳にしたことなんてないはずなのに、言葉を覚えたての幼児が自発の助動詞「れる」の本質を捉えた様な使い方で自ら編み出していたことに驚き
「る・らる」の尊敬の話を聞いて、
「王様がうちの農園のりんごを(勝手に)食べていかれた」
「王様がお疲れのため(公務を放り出して)一ヶ月休養を取られた」
みたいに、偉い人のやることには口出しできないみたいなことを連想しました。
青森や北海道で「〇〇ささる、ささった(やるつもりはなかったけど〇〇してしまった)」という表現があります。
(押ささった→押してしまった など)
雪国という辛い環境の中で、自身や他人に行為の責任を押し付けるのではなく、どうしようもないものとして処理するという表現が発達したのではないか、という俗説を聞いたことを今回の回を見て思い出しました。
お二人の話を聞いてると、日本語の活用の複雑さに改めて気付かされますが、第二言語として日本語を流暢に話している外国人の適応能力にもなお感服しますね。
回を重ねるごとに、言語学の底知れなさに対して絶望さえ覚えてしまいます…!
「言語学に関して無限に話が出来る」は伊達じゃないですね。
ほんまそれ。
水野さんには今後も無限に話してもらって、僕らはこれからも無限に聴いていきましょう!!!!(堀元)
確かに!「なんで英語は"i was born"とか"written by"やのに、日本語は“出身”とか“著者”とかなんやろ」ってのが理解できた
シコラビリティだと可能/不可能にしか言及できず、シコリティという語において表現される質の高低といったものを置き去りにしている印象を受けます。
タコがうにょうにょしてる画像だったらアンシコラブルだと感じる人が多いんでしょうね
「水の東西」を今初めて知ったのですが、日本語にはfountainを表す個別の語彙がない(水が噴いてる「噴水」としか言えない)し、英語には滝を表す個別の語彙がない(水が落ちてる”waterfall”としか言えない)ということに気づいて勝手にびっくりしてました。
水の東西は現国の授業でやりました懐かしい! 鹿威しを見る度にぼんやりと内容を思い出します。
今回もとても面白かったです。古文のる・らるがすっきり整理されて頭に入ってきて、本当に学生のころに知りたかった。
「すごい!」と見終わってから、爽快な気持ちになりました。なぜ、動詞の形が同じなのか・・・気にはなっていたのですが、根本のところで、日本人の物に対する捉え方・・・「受け入れる」ことを美とする姿勢にも繋がる。本当だあ!と納得しました。「言葉って生きてる!!」と実感しています。「〜んです」は、日本人にとって本当に便利な表現ですが、この「自分ではコントロールできない状況に使う」用法は、なかなか留学生に教えるのが難しいんです。なので、この動画のような教え方でチャレンジしてみようと思います。「言語学」っていい学問だな、と思います。また、次も楽しみにしています。
聞き手の堀元さんが本当に素晴らしい。合いの手が絶妙です。
9:55の質問など、本当に鋭いと思いました。
めちゃくちゃ頭いいよね
1:26 この「の」は『ん』のことかなって思ってたら質問してくれてそれそれ〜ってなったし
1:37 ちゃんとここで、こっちを聞きたかったって聞き直してくれてるところが凄く嬉しかった
受け身表現に“Uncontrollableなもの”という日本的な思想が垣間見える、という切り口が興味深いです。日本語に比べ、中国語や英語は、自己主張や積極的な会話表現がしやすい感覚が有り、それは主に文化的背景(自己主張が求められる)由来と思っていましたが、言語そのものにも要因がありそうと思います。
最後シコラビリティしか残らなかったwww
「る・らる」が尊敬の意味になるのは、目上の人のすることを一種の「自然現象 (雨にふられる、みたいな)」というか「大自然」と同等のものと捉える感覚に基づいているのではないでしょうか?日本的なアニミズムの世界観では、自然≒人知を越えた神々ですから「尊敬」になるのはわかるような気がします。
これはよく言われる説ですね。
この説(自発=尊敬)を理解したとき、日本語、日本人のものの見方、考え方を象徴していると感じました。努力してそうなるより、自然とそうなった方が偉い、意図せずできるってエレガントみたいな。雅な人は、意図などしなくてもそうなれるし、できるんですって。
12:20 ここからの流れがしょうもないけどめっちゃ好きw
『水の東西』は学生の頃、国語の教科書に載ってたのを読んで感銘を受けたなぁ。
確か西洋は噴水で、東洋は鹿おどしだったはず。
十数年ぶりにここで思い出すことになるとは、思ってもみなかった。
アンコントローラブル表現、面白かったです。火山、地震、津波、が当然だけど縄文時代の何万年も続いたことの影響なんだろうなと思いました。
雨に降られたと同じ受け身の形だと思うのを三つ書きます。
表彰された 診断された 任命された 叱られた。
自分の力が及ばない外部の力が想起されます。
I'm an American studying Japanese and I really love your channel. The 〜んだ/〜んです thing in Japanese confused me a great deal when I first learned of it. つけないといけないとかつけないとちょっと失礼に聞こえちゃう場合もあるなんて初めて知った。役に立ったンデス。ありがとうございます。
英語では感情はアンコントローラブルなので受け身。日本語は能動ってのが不思議でしたが、日本語にもアンコントローラブルな感情表現があったんですね。
シコリティとシコラビリティのくだりが頭から染み付いて離れなくなりました笑笑
canとbe able toの明確な使い分け、canの法としての幅広さとableの持つ意味を鑑みるとめちゃくちゃしっくり来ちゃいますね~。水野さんの本質論、別のナンバーとの連関に気付くとうおおおおおってなっちゃいますね。。。癖になります。
「おのづから:自然に。いつのまにか」という言葉を思い出しますね
水の東西懐かしい。噴水と鹿威しでしたね。当時ハルンケア のcmが盛んに流れてて国語の授業中そのイメージが消えなかった。
可能って、なろう系小説の「俺またなんかやっちゃいました?」だと思った。
アンコントローラブルで出来ない状況そのものが想定しづらいとことかw
普段使ってる言葉が、どう言うニュアンスをもたらすのかを考えさせられました。普段意識しない所なので、少し意識して今後は話していこうと思います。
すごい為になりました。ありがとうございます!
言語学は底なし沼なんだな〜
言語にはその地域の考え方とか地理、歴史なんかが詰まってるからほんと面白い。今の英語がノルマン・コンクエストと繋がってるって知った時は脳汁ブシャーでたわ
ただし大母音推移だけは絶対に許さん
12:10
日本一ウンチクに富んだ高尚な猥談
「~できた」は杓子定規に考えると過去の可能みたいに思ってしまいますが、実際には完了の意味合いが込められていますね。
【新語・流行語】(私選・加除歓迎)
3:30 一つの本質でくくりましょう
5:36 あーなるほど!
6:02 ホントだ
7:55 気持ち悪い(違和感の感じ方が鋭敏)
9:03 今の全然ピンとこないな
12:11 集中力ないの僕の悪いとこなんですけど
12:27 シコリティ
12:31 シコラビリティ
13:30 ソシュール的には僕はナシ
15:03 が僕です学生
めっちゃ勉強になりました!ありがとうございます!日本語学についてお二人の話でもっと聴きたいですw
この動画は僕によって楽しまれた
この動画、面白くて全部観らさったわ〜。
内容が面白かったので、途中で観るのを止めるということが、自分ではコントロール出来ずに、なす術もなく最後まで見てしまった。
ホント、最高です。日本語面白い😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
水の東西
今の今まで完全に忘れてました…。
そういえば、教科書に載ってました…。
思い出したのがめちゃくちゃ不思議な感じです…。なぜ私は思い出せたのだろう…。
「思い出される」のマインドですね!
日本は「包む」文化で、直接的に言うのを避けたがるのかな。贈り物や商品もこれでもかと包むし、何かの話題を振る時も、ちゃんと前置きしてから言い始める。そう言う意味でも主題の「は」で話を始めるというのも納得。
12:37
むしろシコリテリティこそが、客体に対する言葉としてふさわしいと思うけどな。
シコリテリィってクオリティとしこるの合成語だと思ってたんだけど違うのかな。
クオリティが高いという言い方から、シコリティが高いという言い方が類推できると思うんだが。
ityは形容詞について性質を表すものだから、しこるという動詞にityをつけて名詞化するというのはあり得ないはず。
シコラビリティだと、しこる+able+ityだから、自身の能力、つまり主体に対する表現にしかならない気がする。
シコリティが高いとかいうので、私も合成語だと思います
ここのコメント欄、自分が考えた解釈とか新説とか書いてる人多くておもろいな
動画を見させていただきました。感謝させていただきます。コメントを書かせていただきます。たくさん学ばせていただきました。
水の東西、懐かしい!!!!
現代文の授業でやりました!
shicoliyとshicolabilityからソシュールの恣意性に至る触り、まさに高談転清!
尊敬、に関しては自然に対して畏れと敬いを感じてる、に近いのかな、と思いましたねー。
「る・らる」が尊敬を表すのは、下の人は上の人をコントロールできないことによるのではないですか?これだと、上の人の行動を下の人は制御できないため、上位の人の動詞に「る・らる」をつけることがうまく説明できると思います。
可能・受身・尊敬・自発を習ったときに、「あ、これ"押ささる"じゃん」って思った北海道民
北海道・東北の方言にある「逆使役」のサル・ラサルですね!
方言の授業で習いました笑
北海道的な受け身「スイッチが押ささった」「このペン書かさらない」
まさにそれが思い出ささりました
「この本は俺によって読まれた」(20:00) ジョジョに出てきそうなセリフ
面白い・・・たしかに、
「雨に降られた」の受身文は自分が受身の主体だけど、
「私は雨が降った」だと不自然だし、「雨が降った」だけだと自分が出てこない。
なのに「雨に降られた」だと突然成立する。。。不思議〜
日本語を教えるのに役立てそうな内容を満載した一話(?)ですね。
舞踏と舞踊も重力関係逆転してるのが舞の東西できっぱり分かれてますね
改めて見るとめちゃめちゃ画質いいなぁ
スターウォーズのお約束セリフ「I have a bad feeling about this (嫌な予感がする)」も動作動詞ではなく状態動詞の have だから、「予感」の感じ方は日本語と近いのかも…
〜さる表現は津軽弁だけじゃないのだね。嬉しい
シコリティとシコラビリティの使い分け、面白いですね。状態形容詞と情意形容詞の連続性と通じる問題かと思いました。
17:32 「予兆がする」は日本語として言えない気がする
「予兆がある」「予兆がうかがえる」なんじゃないかと思う
(これから調べてみます)
自分がいつも見てる(聞いてる)ものが、間接的にバズっていたから見に来た。結構前のなのに掘り出されてくるなんて。他にももっとあるからさらに知られて欲しいな~。
水の東西って言われてすぐ思い出した😂懐かしいー
聞いていて「どうしようもなさ」の表現が発達したのは、日本が災害の多い環境だったからではないかと思いました。
台風、地震、地割れ、土砂崩れ、津波なんかは本当に来ることはどうしようもないですし、火事も発生して巻き込まれたらどうしようもないです(昔は火消しに建物を壊していたようなので、結局家が壊された)。台風は気象予報が発達してある程度対策できるようになった部類だと思いますが、昔は今以上に命がけだったでしょうし、台風自体を凌げてもそれによって発生する土砂崩れとか洪水は今でも割とどうしようもないです。
こういう自然要因による事象が身の回りに溢れていたからこそ、自分には何もできない、どうしようもないという表現が発達したと思います。
英語で丁寧に言うときもCould you~? って可能のcanの過去形で来るので、
日本語の尊敬語の「される」も可能→尊敬の流れで来てるのかと
勝手に思っていました。
ところで、〇〇でよろしかったですか?と過去形でやられることに
抵抗してきましたが、だんだん違和感がなくなってきました。
英語ではcan→couldで丁寧になるけど、日本語にそのルールはなかったはずが
日本語のルールに変革が起きましたね・・・
さらにところで、匂いがするの「する」のempty感は
It rains. の "it" のempty感と似てますね。
動詞と名詞の違いはありますが。
北海道のおじさんは、丁寧さを表すために「おはようございました」という。
最近 ○○みがあるって表現もありますよね。 「嬉しい」 ではなくて 「嬉しみがある」 みたいな。合ってるかな?
5:20
迷惑受け身ではないけど、ドイツ語にも自動詞の受け身はあるよ。
たとえば、kaempfen(戦う)はintransitivだから、
普通は、man kaempft.みたいに使うけど、
ES wird gekaempft.
と受け身で表現できる。
現象を客観的に自然現象のように表現したいときに使われるらしい。
北海道弁!と思ったらみんなコメントしてたw 便利だから全国的に使って欲しい表現
この動画のおかげでたくさん勉強された
北海道弁にある「押ささる」に通ずる話だな(笑)
取り上げられましたねw
大泉洋がボールペンで「書かさる」を熱弁するまで、方言と知らなかったは。
「どうでしょう」かな?
尊敬の説明で、敬意が自然と湧き出るから「る、らる」をつけたとすると、
「る、らる」=尊敬の意味が最初から認識されてないと行けない気がしました。
なんかおすすめに出てきた。
いろんな情報の掘り下げで聞いててすごくおもしろかったですが、「シコリティ」と「シコラビリティ」で台無しだよ(誉め言葉w)。言語学素人:堀元さんの訳の分からん話の展開がガチ勢を困惑させてる感がいいですよね(もっとやれw)。
この言葉の派生として、北海道弁の「押ささる」もこの範疇に入るような言葉ですよね。自分は道民じゃないのですが、例文の「お母さんが北海道から来ささった。」とかいうんだろうかとか気になってしまった。
あとはこの動画を見て、ら抜き言葉に関して常々、五段活用から見てイレギュラーの「来る」とかの活用で、可能と尊敬の活用が同じ形というのがシステマティック的に美しくない(ら抜き言葉は通常の人は音的に美しくないと思うようだが、システムエンジニアの自分としては、ら抜き言葉のほうが仕組み的に美しいと思ってしまう)と思っていたのだが、本質は同じなんだということから、この動画をみて五段活用のほうが間違ってんじゃね?という気になってしまったりする自分がいます。
てか、水野さんと堀元さんの緩い掛け合いが素敵です。内容もそこはかとなく面白く、今後の活躍を期待します。
シコラビリティは本当に頭いい
滝と噴水のくだりですが、鹿威しを連想しました。一般に鹿威しの効能(?)はコン、という音にあるようにとらえられていると思いますが、水によって上下運動が引き起こされているというところにも何かを感じていたのではないかと思いました。
シコリティはクオリティの語呂からきているのでは?
そう考えるとシコリティが高いはクオリティが高いというのと同じように使えますし、シコリティが高いです
日本の歴史上、他国に支配されていないのも、変化する自然を受け入れる文化の発展に寄与している気がする。
ヨーロッパは制圧しないと制圧される下地があると思うし。
市内の図書館で、残像に口紅を、が何十人も予約が入っていて借りられませんでした。お二人の影響がこんなに大きいのか!と驚いています。これでは予約をしても、借りられるまで2年くらいはかかりそうです笑
めっちゃ面白い
シコラビリティの高い物を見て我々はシコリティーを高めるのですね。
自発的にやっていることを外的要因のせいにするということであれば、最近よく言われる「させていただきます」とか「させていただいております。」というのもそうですよね。例えば「私共の会社ではこういう商品を販売させていただいております。」と言うのは自分たちで勝手に販売してるにもかかわらず人から(世間から)させられているという言い方に変えて表現してると思いますが、どうでしょう?目の前の人からそういわれると私なんか「俺はお前にそんなことさせた覚えはない!」と思ってしまいます。(笑)
尊敬の用法については、神や天皇などの行為を表す際に「(人間には)制御不可能な現象」を表すル・ラルが使われ、それが敬意の表現になっていったのかなあ、なんて聞きながら思いました。
13:25 「正確な述語」という意味なら、「シコリティ」は日本のインターネット掲示板の上で生まれたミームであり、更に「日本のインターネットの掲示板の上で“○○ビリティ”というミームは存在しない」ということを考えるとシコラビリティは不正確な熟語
話しが違いますけど、日本語は「~が在る」to exist「~で在る」to be identified as が簡単に区別出来ます。これ、凄くないですか?
I Am That I That אהיה אשר אהיה と、Εγώ Ειμί I Am 欧米語で思想する人には、日本人のように、私の存在と、私が何であるかとが、スパッと区別出来ないのが不思議。
I can fly
I'm able to flyと言えばどっかの研究所に連れて行かれそうですが
canだから若気の至りとして許される(?)んですね
外国人だけど、シコリティの話を含めて面白すぎるw
「しこる」の受動能動の関係が逆になってるのが問題なんだから「しこられる」から取ってシコラリティ しこられ可能性の意味を含めたいならシコララビリティ じゃないかな?
「僕が先生(とか目上の人)に~をされる」は、うる覚えですけど、朝鮮語の表現にあったと思うんですよね。日本語的には責任転嫁とか嫌味っぽく聞こえてしまうんですけど、日本語と朝鮮語の構造を考えたときに自然な分岐かなと思いました。(前提条件が間違ってたらすみません)
細かいですが「うろ覚え」です。揚げ足取りみたいですみません...
@@あらほんと うる覚えなのかうろ覚えなのか、まさしくうろ覚え。
ありがとうございます。
「うる覚え」や「やむおえず」は若者の間でよく見られるので若者言葉かもしれません。
ですが創作された単語というわけでなく、単純に、書籍などの校閲が入った文章からではなく、口語で言葉を学んでいるので聞いた感じに表記しているのかなって思っています。
うわーーーー!水の東西ってなんかあった気がする!!
教科書って言われて記憶の片隅にヒットした!何か知らんけど、「うわーーーあったーーー!」って感動した。
高校の時に下ネタの話で盛り上がって「シコリティが高い」と言ったら友人から「シコリティじゃなくて"fappability"な」って注意されたことを思い出しました
先生が話される
だと先生は自分より偉いので自分は先生の話を止めることはできないから"る、らる"を使うのかなと思いました
今、オリンピック前ですが、ヨーロッパではサッカーチャンピオンズリーグを観客を入れてる開催するのに、東京オリンピック首都圏では無観客で開催するそうです。
この辺も「コロナ収まらないからしょうがないんだ」隷属的日本と制圧的ヨーロッパの違いが出てる様な気がしますね。
國分功一郎の『中動態の世界』にあったような話ですね
る・らるの本質がそもそもおささると通じるものがあったのか
「できる」って動詞が「可能」と「誕生(自発?)」の意味を持つのも同じ感じだったりするんですかね?
12:20 Twitterでバズってるシコリティの話
『水の東西』は、教科書掲載範囲については、正確には「噴水と鹿威し」の比較である。
物理学的な論理よりも、時間と空間の対比が色濃い。
噴水が物質的で視覚的かつ空間的であるのに対し、鹿威しは目に見えない時間の流れを周期的な音で感じとるという意味で、抽象的で聴覚的かつ時間的であるとされる。
ひいては、目に見えるものの間や裏を縫うように物事を観察する、そのような「見えないものの大切さ」を重視する東洋文化を焦点化する文章である。
シコリティという単語にハッとさせられるとは思わなかった
水の東西懐かしすぎ
サピアもソシュールもチョムスキーも全否定じゃん、アツ!
迷惑の受け身は主語が一人称限定になるのでは、しかも主語が省略される事も前提になってる
「主語が省略される」のではなく、元々主語が無い、又は必要とされないのです。
「象は鼻が長い」観てね。
旦那は妻に先立たれた、とも言えるので主語は一人称でなくても良いと思います。彼は雨に降られた、もOKですね。
思うに日本語の受動態は自動詞であっても「○○に」を動作の対象としてとるものであれば、受け身を許容されるのかもしれません。
妻は旦那に先立った⇒旦那は妻に先立たれた
雨が彼に降った⇒彼は雨に降られた
彼は彼女に先んじて駅に着いた⇒彼女は彼に先んじて駅に着かれた
この形式では元の文の主語も「に」で受けるんですかね。
3つめの例文では厳密には「先んじる」を受け身にするべきようにも思いますが、「先んじて駅に着く」というまとまりの動詞として見て「着く」を受け身にすることが許容されるのかもしれません。
誰かと競争しているような状況を想定すれば、「あいつに先に着かれた」というような受け身は十分許容されると思います。
@@takashiumeda6276 『像の鼻』を主語と捉えるのか、『鼻が長い』を述語と捉えるかだけの話じゃね?
嫌な予感がするの「する」はhappenの感じですかね?自分もdoよりはずれてると思いました。happenも能動的に起こす方を思い付かないので、、
feelですかね。勝手に感覚に入ってくる。
senseだと能動的な感じがする。
母が東京から上京してきた
について..