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レーダー照準の高射砲は高校の時の恩師が開発に携わっていました。定年を迎えられたときお祝いの会で当時の話を聞きました。震電は父が働いていた工場で作って試験飛行をしたそうでザリガニのようだったと言ってました。2個も自分の関係者がいたのは驚きです。
そういう話を生で聞けるのは羨ましい。
久我山の十五センチ高射砲は、学生時代に知りました。B29が二機木っ端微塵に吹き飛んだ程の破壊力と聞きました。圧倒的航空優勢から、日本軍の高射砲を舐めていたのでしょう。
高射砲の操縦はセルシンモーターで二本のジョイスティックだったと言います。おそらく鉄人28号の操縦装置はその伝説から来ているはずです。この操縦装置はアニメ新作製作の際に批判されノートパソコンになりましたが笑うべしです。現在のドローンや無人戦闘車は、ゲームのリモコンを流用するなどすべて二つのジョイスティックで操作されていて、15㎝高射砲と鉄人28号の先進性を証明しています。
紫電でしょう 名前が違うと思う
あってるくない?
オレの大叔父は旧帝で学び技術将校として海軍で無線機の研究に従事していたが、どうも軍隊というか戦前の日本は発電機や電動機などの重電偏重の傾向があってレーダーとか大叔父の専門の無線機と弱電を要ったを軽視する風潮があったという、だから解っていても基礎研究などをスッ飛ばして『夢の兵器』とか追い求めたがる、細かいところは現場の精神力でとか訳の分からないことになると怒っていたよ。ところで話しは変わるが、第二位の局地戦闘機【震電】の組み立て工場跡地が、オレんちから徒歩圏内にあったと前に聞いてちょっと感慨深くなったよ😊
この高射砲は実際に戦果があったことが凄いですね。米国が派手に喧伝したほど、日本軍に対してB-29は無敵では無かったのは知ってましたが、日本技術者の意地である高射砲の話は非常に興味深かったです。
すぐにB-29に迂回されるようになりましたとさ
ドイツ戦線でも、コメートの配備基地を爆撃隊はやはり避けました。コメートは、ジェット機ではなくロケット戦闘機でした。ロケットエンジン点火から、稼働時間は4分程だといいます。速度差があり過ぎて、時間内に目標に命中弾を叩き込むのは至難の技だったとか。燃料を使い切ったら、無動力で滑空するしかなく、敵戦闘機の的になってしまったようです。また離陸時や、気難しい液体燃料のおかげで事故も多く起きたとか。戦後もジェットとロケットの混合動力機は製作されましたが、まともに結果を残した機体は無かったようです。ジェットのレスポンスや燃費の改善で、扱いにくいロケットは開発から外されました。
@@そのみどりこ この動画主にコメートの作戦行動半径を問うのは馬の耳に念仏です。当時のドイツよりも劣る日本のレーダーでの警戒能力でコメートを100%再現できても実用できるはずがない。まして一度迎撃を受ければ爆撃進入コースを変えれば無力化されるのは本家コメートと同じ。
この戦果は米軍の方ではそれに当たる記録がなく、信憑性には大いに疑問があるといわれていますね。
終戦時に元の照準器破壊していて米軍に引き渡しする際に簡易照準器つけていて砲の評価は高かったが照準器は…とか聞きましたね。
架空戦記そのままですが、まあこうした計画がなぜ間に合わなかったか考えると、戦前戦中の日本の問題点が浮かび上がりますね。
戦前の日本の工業力の不足に尽きますね。あの松下幸之助さんでも丁稚の使いみたいなお仕事してましたからね。戦前の軍事産業は利益率が低く国の保護がないと採算が合わなかったのもありますからね。まあ民間企業の育成なんてやらずに巨大財閥に丸投げしてたから、開発も生産も遅延したって私は思ってますけどね。
投稿お疲れ様です
富嶽のエンジンが羽田で掘り出されて成田の航空博物館にあったのですが先日行ったら展示されていませんでした、何処へ行ってしまったのかな
@@4l329l 外部に貸出中何処かは定かではない。
こういったテーマは、コメントが賛否で荒れたりするリスクがありますが、堂々と動画を作られるウプ主様の勇気や制作意欲を尊敬します。A-26(長距離戦略爆撃機キ74)なんて航空機もありましたね。私も、戦前の日本も高い水準の技術力を持っていたのだと思います。アイゼンハワー大統領が太平洋戦争に勝利した要因に、ジープ、C-47輸送機、バズーカ砲をあげていた話しがありますが、どれも地味でありふれた物だった事に意味があるのかなと感じます。大量に、一定の品質で配備出来る事が戦いの鍵になるのかなと感じました。また、レーダーの開発など新技術へリソースを割ける余裕もアメリカにはあって日本には無かったモノだったのかなと感じます。だから、日本はダメなんだと単純に言いたい訳ではなく、何を学び取れるかが大切なのかなと思っています。お話し面白かったです。長文すみません。
ありがとうございます!励みになります!
震電の武装は40mmではなく30mm機関砲4門ですよあと試験飛行の結果は初期的な問題が多発したはずです
たぶん本格的な試験飛行に入ったとしても、レイアウト故の反転トルクや失速特性の悪さが表面化したでしょう大馬力エンジンさえまともなものが作れれば手慣れた牽引式のレイアウトで、実用的な740km/h超えの戦闘機もできたでしょう。P-47Mは大きな空冷式エンジン搭載機でしたが、それでも760km/hを超えましたし、ドイツのTa152H(液冷)などはさらに速かったのです
日本では結局、定速プロペラの自主技術開発ができませんでした。日米開戦前は、ハミルトン・スタンダード社からライセンスを買って、その通り作ったものを、陸海軍機の大多数で採用しました。開戦後は技術更新が途切れ、四苦八苦した末、海軍向けは住友がドイツVDM社から技術導入を試みます。震電のプロペラは、大径の4翅が望まれたところ、日本の技術では開発できず、苦肉の策として、3翅用の治具を2つ組み合わせて、6翅のプロペラとしました。そのため所要の性能は得られず、強度不足や重量過多といった課題を当初から抱えることとなりました。
アニメで震電はジェット化もして活躍していますが、実際は空冷エンジンでオーバーヒートして400Kmh程度しか出ず、さらにプロペラ回転の反動で機体が右に傾いたそうです。開発初期段階の様です。
工業製品というのは、試作が出来たら、欠点・弱点を徹底的に抉り出し改善・改良を幾重も繰り返して一人前になる。少なくとも2年早くできていたら・・遅れてきてヒーロー。
是等の兵器が開発に成功したとしても運用面で難しかったと思う
特に最後の奴
震電の最大速力が計算上740kmで当時のレシプロ機の中で最速と言っているが、アメリカのP51マスタングの最終生産型のH型は量産機ですでに759kmを達成している。そして対日用に大量生産されているうちに終戦となった。このまま震電が開発されてもし計算通りの性能を発揮したとしても(そんなことはないと思うが)P51相手に手も足も出なかったばかりか、ジェット戦闘機のF80シューティングスターも実践配備中。
橘花がジェット機の割に大したスピードじゃないのは速く飛ばす以上に松根油のような質の悪い燃料でも飛ばせることを目指したからだと読んだことがあります。
橘花のエンジン推力知らないん?2基でやっとドイツのエンジン1基分相当の能力しか無い。高翼面荷重で速度全振りしてもあの程度の性能しか出ないのは自明の理と言える。
松根油はガソリンに混ぜて使うのが前提で単体では使わない。
ジェット燃料は現在も植物油を利用することが進んでいます。油は灯油やディーゼルに近いものに添加物を混ぜたモノです。ケロシンとは英語で灯油そのものの意味です。この点から日本は最初期からジェットエンジンに全振りするべきだったという意見が当時~終戦直後は強かったです。
松根油はテレピンの一種であり、ガソリンに近いものですね。当時はドイツの流行が来て作り出しました。松根油はガソリンに比すと低質ですが、ジェット燃料にするには低質では有りません。低質な油に混ぜて橘花用の燃料としたのです。wikiには関連の情報がありますので記憶を糺して下さい。
橘花に使うのは松根油でも重油の方で見た人の話ではドロッとしたタールみたいなモノだったそうでこんなのが使えるのか?と思ったそうです。ガソリンに混ぜるにしよかなり問題ありそうです。
富嶽は計画では20ミリ機関砲✕4で96門あったら爆弾も積めないし乗員も増える。的の大きい防空戦闘機?B2はアメリカのステルス爆撃機で元祖はドイツが開発してたHo229。
『潜水艦空母』を、早めにたくさん作られたら、アメリカ本土に被害が出たでしょうね?戦争が終わって、その潜水艦空母を見た米軍は、びっくりしたらしいです。
毎日楽しく拝見しています😌コメートはロケット推進です🤗
まあ日本の場合は噴進式ってジェットもロケットも両方該当するしネ20のTR20のTRはタービンロケットの事だから紛らわしい。
実は大戦中に日本の技術者が作った「翼形状の一般式」というのが1990代にアメリカで特許申請され、50年も前に日本が見つけていたというのが最大の新兵器。アメリカでは特許が出願順では無く先発明なので特許制度自体が揺るがされるほどの大事件だった。ネットではかなり隠蔽されているよ。ちなみにゴルゴ13ではネタにされています。
橘花は特殊攻撃機の略で特別攻撃機(神風特別攻撃隊)とは違いますよ。
かなり前のことになりますが、テレビ番組で富嶽を取り上げた特番がありました。番組後半で、イフの世界で、富嶽の大編隊がアメリカ本土を空爆、迎撃してくるアメリカ戦闘機を次々と撃破して、都市を火の海にする、という映像をCGで流していました。現実問題として、量産化は難しそうですが。番組の最後に、案内役の故 水野晴郎氏の「平和の尊さを感じます」との取ってつけたようなコメントが印象に残りました。
それまだ観れますよ。さらば空中戦艦富嶽で検索してみて下さい。
おそらく「さらば空中戦艦富嶽 幻のアメリカ本土空襲」ですね。1979年に日テレで放送されたと思います。検索すれば動画が出てくると思いますよ。
富嶽は量産したところでアメリカには中間冷却器付きの排気タービン(今風にいうとインタークーラーターボ)装備のP-47が実用化されているから100機変態で行っても過半は撃墜されて未帰還の未来しか無い。日時が高高度を飛ぶ戦略爆撃機を持たなかったのでP-47はその丈夫さ故に抵高度で運用する戦闘爆撃機として用いられたのが皮肉であったわけだけど、その頑丈さ故に迎撃に上がったP-47を富嶽が旋回機銃で応戦して返り討ちにとか当てることすら難しいしまぁ無理だろうね。B-29相手に高高度でフラフラ飛んでいる日本軍機相手に応戦するのとはわけが違う。
幻に終わったとは言え日本軍の新兵器は連合軍も恐怖した酸素魚雷もあったしな!
酸素魚雷は真珠湾攻撃に使用されましたが?
悲しい記憶ですが、実に誇らしいです。
震電の発想は、のちのジェットエンジンを積んだ戦闘機日本の開発者って本当に変態だと思う、いい意味で
震電はラジコンでもまともに飛ばないだからリアル航空機でもきつい、ファンタジーにしてゴジラー1・0にでてくるのがちょうどいい
ラジコンでは雷電もツラいよ。
震電は確か飛行試験は芳しくなかったような・・離陸でプロペラを破損とか、前が重くて下がっていくから、操縦桿を引いていないと水平飛行が難しかったとか
あのレイアウトでトルクの強いエンジンを装備し、しかも二重反転プロペラではありませんから常に機体が傾いて、操縦桿を横いっぱいに倒していなければ直線飛行もできませんでした。しかも脚を出しっぱなしで200km/h程度の速力しか出さなかったのに「推進式」の宿命で冷却不良になり、オーバーヒートしまくっていたようですもし時間的に余裕があっても、全開テストなんてできなかったでしょう
@@米山ともき-q6c 冷却できないのは推進式が原因ではなく境界層を剥離させるという概念が欧米と異なり日本にはなかった。昨今の戦闘機開発では空気抵抗となる境界層板を無くす設計がスパコンでシミュレートし推められていますがジェット戦闘機のダクトの境界層板って重要なんですよ。Bf109のF型以降の主翼のラジエーターやエンジン空気取り入れ口、P-51のラジエーターを見れば境界層の意味がわかって採用されたことがわかる。同じく胴体下部にラジエーター配置された三式戦は取り入れ口が胴体下部にべったり、P-51は境界層を剥離させるため浮かせて配置していたこれが事実です。
震電が配備されていたとしても優勢は1945年8月までですね。終戦時、すでに米軍のF-80がフィリピンで訓練中。実戦投入を待つ段階でした。
日本のレシプロエンジンには、ついぞ排気タービンが完成しませんでした。アメリカ軍は、初代ライトニングやサンダーボルト、マスタング等の排気タービン(ターボチャージャー)装備の戦闘機に支えられていました。日本は末期に誉エンジンの双発で高高度を目指した「天雷」という試作機を造りますが、誉エンジンの多くがキチンと稼働せず、天雷も機体に問題があり成功が見えない天雷は計画が中止されました。やはり、アメリカの技術レベルは日本の遥か彼方を行っていたのです。
それどころか、レシプロのP-51でさえH型は震電の計算上の最高速より高速でしたからね。F-80が出るまでもなかったでしょう。
橘花の2回目の飛行は先を見越したロケートブースターを装着した短距離離陸テスト中の事故、既に離陸していた事を操縦士が認識できず起きた事故です。更にジェットエンジンはスケッチのような略図を見ただけで制作出来たのは、既にジェットエンジンに関する研究が相当進んでいたからです・・・。日本初のレーダーは学生時代の恩師が開発に関わっていました、戦後ににり高電圧トランスなどは米国よりも日本の方が高性能だったそうです・・・。
離陸補助ロケットの取付角度が適切でなくパイロットがエンジン故障と判断する感覚を感じて離陸中止したがブレーキが零戦の転用で制動不足で止まれず海岸に突っ込んで破損した。
檜山良明先生の小説で富嶽があったな。
震電戦闘機は旧日本軍の機体の中でも、僕がとりわけ好きな機体です。STGゲーム19XXでもプレイヤー機になってました。
配備された試作機が戦う映画は良かったです
富嶽は世にも奇妙な物語で出てましたね😊
どんなお話ですか?。
懐かしいってか、あれ、富嶽だったんだ。
秘密裏に完成させてアメリカ本土へ出撃したけど濃霧から抜けたら現代のアメリカ本土を爆撃しに行ってたって話です。
@@隼膺飛膺-s3n 作中の機体名は「雷神」だった。
雷神計画でしたっけ?あれは感慨深い話しでした。
中島が当初提案したZ飛行機と富嶽は別物、あと96門はZ飛行機の掃射型で爆撃型とは別機体
富嶽の果たせなかった夢をアメリカのB36は形にしました。まさに富嶽36景。
震電はRUclipsで当時の映像を見ましたが、試験中にプロペラが地面に触れたようでした。とても3万Ftで接敵して攻撃できるレベルには程遠いように思えました。
ゴジラ-1.0みたいにはならないんだなぁ…
富嶽を中島知久平が軍に上申したのは日本が未だ勝っていた頃だったのだが爆撃機一機を製作するのにどれだけの戦闘機の製作が滞ると言われて断念した。
零戦と隼、紫電改と疾風等、似たような飛行機を陸海軍別々に開発していたのが勿体なくてしょうがない。個人的には震電が間に合って活躍してほしかった。
戦闘機が云々よりも結局は生産力。これに尽きますよ。アメリカが10作れても日本は2から3も作れなかったからね。
初期の零戦が優秀過ぎて、海軍は後継機開発を進めなかった。烈風は出たのがあまりに遅すぎた。
震電が間に合って活躍して欲しいって気持ちは確かにわかります。似たようなのを陸海で別個に作ってたのは、海軍が中島飛行機と仲が悪かったからと聞きました。中島知久平は海軍出身ですが、途中で海軍をやめて、そこでの経験を活かして中島飛行機を作って成功したため、あまり海軍側からしたら面白くなかったのかもしれません。海軍の機体は中島飛行機では殆ど作ってなかったそうです。
@@シャロム-t1q 零戦を生産したのは三菱よりも中島の方が多かった。いわゆる委託生産。どちらの会社で作られたか見分けられるように塗装が異なっていた。
震電の性能は全て推定値で3回の飛行試験は惨憺たるものだったし強力なトルクのせいで水平飛行するのがやっと着陸時は機首が勝手にあがり事故寸前だったとかエンジンは焼き付き寸前で境界層すら知らない当時の技術者が冷却問題を解決するのは100パー不可能
富嶽はロマンですね。車輪は重量を軽くする為に捨てており、ドイツには胴体着陸する予定だったとか。
わたくしの父上様は戦時中は富士航空に勤めて居り増して、光学式爆撃照準機を製作組み立て試験と大田区蒲田本社への御届け役も兼務されて居られました。
航空機では設計も着眼点も良かったし超々ジュラルミンとか材料も良かったが、ベアリングと真空管など基礎工業力の出来で負けてたなぁ。VTヒューズのアイディアはあっても発射Gに耐える真空管ができない、レーダーも空中電話も不調。戦後トランジスタで真空管を駆逐したことを思えば皮肉な話だ。
「紺碧の艦隊」に登場する物ですね
設計図は引けても、実用化する技術も生産力もなかったのが幻の兵器と呼ばれる所以。富嶽なんて、架空戦記小説では普通に大編隊を組めるほど大量生産されていたのに。
動画とは関係ないですが「ゴジラ−1.0」は素晴らしい映画でした震電や四式中戦車、重巡高雄、駆逐艦雪風、海防艦などが登場してゴジラと戦いました震電は初飛行は成功しましたが二回目は機種を上げ過ぎてプロペラを破損修理中終戦を迎えたので傑作機に成ったかどうかは判りません海外のラジコン飛行機マニアの人たちが自作で震電を作って飛ばしていますがあまり良い運動性ではなく仮に実戦に参加して傑作機になっていたとしたら格闘戦で戦うより一撃離脱戦法で戦ったなら活躍出来てたかも知れません動画内で震電のジェット化が言われましたがアニメの中の物語だそうで実際海軍や開発陣からはジェット化の話は無かったそうです
まともに飛ばなかったという話も
@@田中一朗-s2c まともに飛ぶ理由が一切ないw通常の牽引式であっても高出力化でプロペラのカウンタートルクの問題解決のために垂直尾翼の断面を左右非対称にするとか垂直尾翼そのものを斜めに取り付けるとかで対処していたけど、プロペラ後流を尾翼に当てることが出来ない震電ではカウンタートルクへの対処は2重反転プロペラ使う以外の方法はない。同様にプロペラ後流を当てられないから水平尾翼の昇降舵の効きが劣悪で、現在のジェット機のカナードのように水平尾翼ごと動かすようにしない限りは効きは見込めないだろうけどその発想すらなかった。エンジンの冷却はもっと致命的で当時の欧米のように境界層を剥いで冷却空気を取り入れるような考えはないしあの空気取り入れ口じゃエンジンを冷やすことは無理だろうね。if案件のジェット化だと燃焼用の空気取り入れとか境界層の概念なしだともっと無理がある。現用のジェット機の空気取り入れ口にある境界層板は建てについているわけではない。
震電はちょっとしかテストできなかったせいで「幻の新兵器」扱いになってますが、開発が半年早かったらアメリカのXP-55アセンダーのように欠陥機の烙印を押されて「世界の駄っ作機」に載っていたかもしれないです
@@米山ともき-q6c第13巻「旭日旗の秘密のカーテン」編 に収録
アセンダーは同じエンテ式ですが、当初は2000馬力級のエンジン搭載の予定が、従来のアリソンV1710という1000馬力クラスに変更されてから、墜落や様々なトラブルに見舞われました。製作会社は、ウォーホークを主力機にしたカーチス社でした。カーチス社に、未知の新型機を開発する余力があったのかが疑問です。リパブリック社のP47サンダーボルトのライセンス生産も任されていた筈です。当時は大手てしたが、この頃から怪しくなっていったようです。
日本は富嶽どころか4発の深山や連山も完成させられなかった・・・。アメリカは戦前既に排気過給機付き4発のB17の運用を開始、最終的にはB29で日本全土を焼き払った。実戦には間に合わなかったがB36という6発の巨人爆撃機を計画開始から1年半で初飛行させている!日米の基礎工業力の違いをハッキリ示された実例ですね。
12:58 12:58 30mm機関砲かと思ってた~
当時の現実だの実用性だのぜんぶとっぱらって、震電の機体外観をデザインした技師は見た目デザインの天才だろう。当時にあれだけサイバーなデザインどころか、今見てもど真ん中に中二病的にかっこいい形ってできないよ。
大戦末期の昭和19年に『風船爆弾』というものがあった。実際に実戦に使用され米本土で数名の死傷者をだしている。この兵器には生物兵器(ペスト菌やウィルス)搭載の計画もあったようだが中止になったようだ。実用化されていれば戦果はさておいて心理的な効果は大きなものがあったかもしれない。
米軍の報復が怖くてやめたんだよ細菌戦をやってたら、報復は原爆だけでなく毒ガスまで投入されていた。
『心理的な効果は大きなものがあったかもしれない。』リメンバー・パールハーバーなんてものでは済まない効果があったね。
戦果こそ少ないけど アメリカの勘違いで兵力削いだのは最大の嫌がらせ兵器ですね
@@田中一朗-s2c あれ、実は森林火災を起こすのが目的の一つだったりする。
@@コマ爺相手に相応の資源の無駄使いを強いるのが目的ですよね!
局地戦闘機に求められる性能は上昇力、素早い加速と最高速度、強力な武装。
「ヒットラー」の「列車砲技術」
但し五式15糎高射砲は大和級の副砲でも転用していればもっと早期に砲だけは作れた。理論上大和副砲でBー29やFー13は撃墜可能(高射砲同様18000メートルまで到達可能)だったからね。五式高射砲最大の戦果は新潟市を原爆投下から守った事実際新潟へ向かうには東京上空を通過するからそこで撃墜される
発射速度を考えたら無用の長物
高射砲はそうそう当たるものではない。実際2機同時に落としたと言われる久我山15サンチ砲でも実際には米国の報告書には撃墜の記録はない。以後久我山上空を飛ばなくなったというのも、もちろん米軍戦史にその記録は見当たらない。
大和の15cm副砲でふと思ったが、大和を沖縄に向かわせるのではなく、東京防衛のために横須賀で砲台に徹してたら、B29の進路計画を変えさせる抑止力にはなっていた・・・かな?あっさり沈められそうだし、46cm砲で3式弾をぶっ放しまくっても高速で飛来するB29にはそうそう当たらないと思われ。それより東京の目の前で大和が沈んだら、それこそ日本の士気が0になるか。
@@夢見る眠り猫 無視されていたんじゃないの。
最初のB29の字幕ががB2になってる
日本帝國が大型長距離爆撃機を実戦配備するとしたら二式大艇を改良する方が現実的でしたか?
二式大艇の改良&給油用潜水艦の開発の方が実現性高いし早かったかもですね
@@コマ爺 成程!補給や簡易整備できる潜水艦を太平洋と大西洋に配置すれば、米本土往復爆撃が可能だったかも…?(恍惚)
@@80fire71 プラスで伊400型の晴嵐を護衛機に特化させればベストかも
間違いなくそう。中島に「深山」を作らせるよりは数倍良かった筈。高空性能以外はB24に相当する機体に仕上がったであろう。一方、二式大艇は洋上離着水に随分な問題があり、PBYカタリナや九七飛行艇、零式水偵のようには離着水できなかった。この欠陥は川西でも気にしていたはずで戦後はうねりの中で離着水できる機能を極限まで極め、優秀な技術を蓄えている。二式大艇が洋上で過荷重離着水できたならば第二次K作戦失敗も無かったのである。陸攻を順次開発するとすれば大艇は離水性能を極めてどこででも潜水艦と会合し補給し合える作戦を遂行できたはずである。残念。
孫のUS-2くらいまで改良出来れば完璧なんですけどね そこまで行くと紺碧の艦隊ですけど
本土決戦用となると、結末はジリ貧😢
先生、メタルダーやジンラ號、機神兵団や鉄人28号は新兵器に入りますか🚀🛸(*´﹃`*)
戦う前に作っておくんだったな。
此に尽きる。初めから結果はわかっていた外交官の皆さんは既に戦後の事を考えていた、この国の将来の姿を
B29の1万mからの爆撃は戦果に乏しかったので、焼夷弾による無差別爆撃は低空で行なったとの話もあります
震電は飛行は出来ましたが、目標速度の半分も出しておらず、その状態でも真っ直ぐに飛ばすのはかなり大変だったそうです、エンジンも過熱気味でこれ以上の速度は無理だったようです。また、機銃は30ミリのはずですが?さらにジェット機化の話しは架空戦記等の後付けのロマンです、そもそもレシプロエンジンで高速を出す為に、あのレイアウトになったのですから…
震電のところで『ゴジラ-1.0』の話題をして欲しかったな〜
不要!!
5つもあげるので内容が薄く齟齬も出ます。1つを深掘りして5回分にしたほうが良いのでは?。
「震電」は、「旭日の艦隊」や「紺碧の艦隊」のOVAでは「蒼莱」(そうらい)という名前で実用化され、後にジェット化された墳式のものも登場し、1,2発の射撃で、アメリカやドイツの大型爆撃機を撃ち落としました。
こうした兵器を架空戦記で出すと面白いんですよね、ただ量産性と整備性が悪いものが多いですね特に海軍のものに。
すべて相手を見なければ画期的な兵器ではあるが、連合国側にも同等かさらに高性能な兵器が用意されてるからなぁ海外技術の導入が止まった戦時下では国際競争で出し抜くのは簡単ではない。
いい加減な動画ですね。震電の機銃は40ミリではなく30ミリです。それに試験の結果は異常振動が発生したなどで決して良好ではありませんでした。因みにこの時代のアメリカに空軍は存在していません。米空軍は1947年に陸軍航空軍が分離して創設されました。きちんと調べてから動画をアップした方がいいんじゃないですか?
マニアさんご苦労さん(⋈◍>◡<◍)。✧♡
@@anonwaravino9824 やかましいカス
まさに・・・
そういえば今の米陸軍の航空機はヘリが主体ですが海軍は戦闘機も有しているのでしたっけ?そういう経緯が影響しているのでしょうか。
ゴジラを引寄せるのに役に立つたかも😊
どんなにカタログスペックがすごくても、実際には完成してないし、開発もまともにいってないし、やはり幻っていうことなんでしょうね。高射砲は良さそうですが、どれも完成は難しかったのではないでしょうか。いくつかはドイツの劣化コピーだし、ほんとに日本独自で開発しようとしたものはどれだけあったのか、という疑問もありますねw もしもの話でいいなら、日本は核兵器を開発しようとしていたと思うんですが、それこそつくれたら、富岳以上の最高の武器になったでしょうね。
震電の機関砲は40mmだったんですね!テスト飛行結果が良好だった事も初めて知りました😄
五式30ミリ機銃だったハズだけどなぁ…
@@松尾直-q2j 紺碧の艦隊と知識がごっちゃになってる気が🤭
@@熊太郎-q5b あり得ますね。あれは震電ではなく蒼莱ですからね。
陸軍の「屠龍」は37ミリ搭載して飛んでましたけどね。
@@ササノンキ あれは機関砲と言うより速射砲を改造した砲を搭載したんですよね?
富嶽の発想は良いと思うが成功するのは最初の爆撃だけだと思う。アメリカは対応が早いから富嶽は迎撃されて稼働機がゼロになるだろう・・・アメリカですらB29を485機も失ったわけですから。
震電は『ゴジラ-1.0』に登場して最終決戦の切り札となる
日本に資源が潤沢にあればもっと開発が進んでいた可能性があるとこの動画を見て感じました。
資源よりも戦前の日本の工業力の低さと私は思いますよ。兵器開発は軍から財閥系企業に丸投げ。日本の国が民間企業の育成や保護(資金的な応援)をやってませんからね。
私は、本来作戦に無かった「真珠湾攻撃」をしていなかったら、東南アジア諸国の植民地を解放しつつ、石油、鉄、ニッケル、銅、ゴム等を輸入できたと思います。大東亜共栄圏 ver 欧米諸国 という世界の構図になっていたと思います。
もし富嶽量産されてもルフトバッフエ・RAF・アメリカ陸軍航空隊第8・20航空軍と同じ問題で苦慮する事になるのでは。それは爆撃機の足(航続距離)に護衛戦闘機がついていくことが出来ず非力な爆撃機が無防備な状態で敵の領空の深部に突入し深刻な損耗率の結果継続的な爆撃が不可能になるという事です。富嶽は爆撃機です。武装が強力といえども爆撃機の武装・旋回・航空性能・速度などたかがしれています。富嶽もアメリカ上空では戦闘機の餌でカモです。
橘花は命名が花の名前であることが気になる。桜花(言わずと知れたロケット特攻機)・梅花(パルスジェット仕様の特攻機)・藤花(陸軍の剣の海軍仕様機)全部特攻機なんだよね。震電はエンジンに問題があったと思う。フルカン継手は生まれ故郷の技術のドイツですら手を焼いて実用機はほぼ0。(そもそもドイツは空冷はあまり得意じゃないがw)震電と陸のキ93は多分故障だらけで使い物になったかどうかという気はする。
特殊攻撃機ってネーミングがね。
もう最近は幻の新兵器とかはウケなくなってるんだけどな〜。どうせやるなら、間違いだらけのコタツ記事じゃなくて徹底深堀で作って貰いたいだけどね。
日本の技術が後10年進んでいたらな〜
ま、侵入する前に落とさないと意味ないけどね。。。
初心者用って感じですかね。これを見た方は各機検索して掘り下げて欲しいです。震電は30mm✕4ですね。40mmの機関砲なんて機体が持ちません。またやっと不具合が洗い出せたレベルなので実戦には半年必要でしたね。
米空軍なんてありませんよ
当時は陸軍航空隊でしてね。陸軍から独立するのは、朝鮮戦争からです。
5式中戦車と3式中戦車の火力ならm4シャーマンの場合側面に攻撃すれば一撃で撃破出来るだろう
五式や四式なら多分正面からでも撃破できる。三式は急所狙えば。
もし当時、我が国の工業力、生産力が健在だったとして。富嶽を機数はともかく実戦配備するのには何年かかったでしょうね?5年?10年?それでもムリだった?
この中で実用に供し得るものはほぼ無い。一応実績があるのは15cm高射砲だが、砲身の摩耗に対する対処は考慮していないし、VT信管を使用できないので能力的な限界がある。ドイツでもこういった大口径高射砲は運用効率が悪いとして、対空ミサイルの開発に方向転換したのだが。チリ車は変な副砲を装備していることで評価を下げているが、実際に量産される際には廃止されるのは確実なので、そこはあまりマイナス要因ではない。最大の問題は、この時代にこんな副砲を求めてしまう、陸軍の空想的で稚拙な思考回路だろう。「橘花」はジェットエンジンを搭載はしていても、機体設計はかなり杜撰で、それ程真剣に開発された痕跡が見受けられない。どちらかと言うと、高オクタンガソリンが必要ではないという、燃料事情の反映のように思えてしまうのだが。まだしも実戦能力が期待出来そうな「震電」だが、境界層流をまるで考えていない冷却空気採り入れ口が問題を起こしそうだが。それ以前に、独特の飛行特性を持つエンテ翼機のパイロットをどう育成するか、という難題が待ち構えているのだが。「富嶽」は…もはやオカルト領域だろう…。
しかし、どういう頭の構造が、こうも否定的で高慢ちきな見解を言わせるのか理解に苦しむ。まず、その上から目線での物言いはこういう不特定者の意見空間では歓迎される物言いではない。貴殿が、どういう趣味、職業か知らないが、当時の時代背景、諸要因を無視した空論は何の意味も無い事を自覚するべきだ。
@@ササヤン1155残念でしょうがね、指摘が至極真っ当なんですね。動画の方がロマンチック過ぎてるので、ロマンチック大好き民からすると受け入れられないでしょうね。8月15日に戦争継続を叫んでた人も沢山居たみたいですから。
@@piccadillylily なるほど。
@@ササヤン1155 様俺は兵器を評価する際、技術データーや運用、量産法など、感情を排する方針でコメントしているつもりだ。科学的根拠に基づいた記述を「上から目線」と言われても困ってしまうのだが。実証的な俺のコメントを批判するなら、具体的な反証事例抜きでは、説得力に欠けると思うが。それ抜きで人格攻撃されても、何の生産性も感じない。
@@2001banekuro まともに解説されていてすばらしい。目から鱗の部分もあり勉強になりました。動画の内容が杜撰なので質が良い解説は助かります。
烈風は?
駄作。翼面荷重の設定からしてアナクロ。
80年前の「新兵器」
Bー29が650km/hってどこ情報?
動画に間違えが多いです。1つ目震電の武装は40mmとは違いますよ。30mmです。ゼロ戦は20mmと13mm又は7.7mmです。
2つ目は富嶽ですが何種類のを1つ種類としています。基本仕様の爆撃機は20tで機銃が4門です。大量の機銃で駐機場を攻撃する機体も存在します。それを同じ種類としています。
空母航空機でハワイを攻略兎に角空母航空機攻撃で決まり
秋水はかなり活躍したと思います!
Me163があの実績ですから・・・。
秋水好きですね。😂
日本の貧弱な化学工業力では多量に必要な燃料と酸化剤を供給出来ない。
@@straker1701 その通り。
@@straker1701 知りもせずに。朝鮮窒素の興南工場で大量にヒドラジンを製作し、ソ連軍侵攻に伴い貨物船に積んで自爆させたのが日本も原爆を保有していたという伝説になってロシアや朝鮮韓国発のネタとして十年おき4度くらい襲来している。
👍😊
富嶽の対空火器貧弱すぎん調べたけど
こんばんは😊😮😊😮
米空軍ではなく、米戦略爆撃航空団ですね
対日屈服の戦果を以て、後に米空軍の本体となっています。そのため占領期間中には最先端の頭脳集団で以て日本国を隈無く調査仕上げました。多くは公開資料とされ直後から利用可能だったので日本経済の飛躍に役立っています。焼け跡からの離陸にも手助けとなりました。一新された日本の造船業と鉄工業は1965までに米国のそれら産業を制圧しました。
当時の工業力では難しい。
ナンバー1は宇宙戦艦。他にも鉄腕アトムやガンダムなどがあります。
近代戦の兵器の動画の終わりに鎧兜で登録お願いしますと言われましても…得意の戦国を南北朝迄掘り下げた方が良いかと
B2かー
色々やっても既に手遅れで量産出来ないなら無意味。開戦初期に戦果を上げたゼロ戦に拘り、戦車は装甲は薄く攻撃力も貧弱
富嶽もできていればなぁ日本に資源さえあれば・・・
資源があったら戦争しなくてすみましたね。
あっても多分中国には侵攻したかもしれませんねより豊かになるために
エンジンが作れませんでした
「富嶽」とほぼ同じコンセプトで実戦配備されたアメリカのB36と比較すると彼我の工業力の差を痛感しますね。これでは戦争には勝てません。
やっぱりエンジンが開発できたか?疑問が残りますね。でも昭和20年まで戦争を継続する事で大量生産体制の仕組みが確立しましたからね。戦死された方や被害にあった民間人の方々にも申し訳ないと思いますが、この実績が戦後の日本の復興の礎になって行きますね。
日中戦争当時から開発するべきでしたね!でもアメリカは常にその上をいってましたから次なるB36を造ってましたから!要するに戦争するべきではなかった!と言う事ですね!結果裁判では日清日露までさかのぼり裁きたいとかノースクリプト判事だったか?虫が良すぎる事を石原氏に述べた人も居ました。ほんと戦争は数じゃない!作戦だと思いました!当時の日本には和平とか考えられないでしょうね!?もしドイツが原爆を先に開発していれば…戦局が変わっても長引くだけで日本は負けたでしょう。
1番の「幻」は戦争が無かった。これに尽きますわ。
全く誤った認識に思います。一部の人の言葉を日本全体の考え方の様に思うのは違うのでは?<でもアメリカは常にその上をいってましたから・・・零式戦闘機以上の飛行機をつくれなかった 貴殿は自虐史観に捉われすぎ<当時の日本には和平とか考えられない・・・誤った歴史認識 何の資料を基に和平とか考えられないという発想になるのか?<もしドイツが原爆を先に開発していれば・・・日本にはアメリカより先に原爆を2個完成し保有していたという記録も有る 昭和天皇は原爆使用を頑なに認めなかった 設計図売り渡し先はソ連で、ソ連崩壊時に一連の記録がオークションに売り出され、あるジャーナリストが買い取ったが発表を止められ、その後・・・。信憑性の有無は判らない。
陸軍は四式戦車は良い性能はあったとおもうが、五式戦車はかつてのソビエトのように多砲塔を捨てきれなかったのでしょうか。ソビエトは多砲塔を量産して独ソ戦に大量投入しましたが、多砲塔のコンセプトが破綻していて指揮の混乱や機動性な劣悪さ、大きくて重いから装甲はペラペラ。ドイツ軍の敵にはならず大半が深い塹壕などに落とされ、残りは放置されました。日本も多砲塔には夢があったのかも。
me163は動力がロケットだし、震電の武装は40mmじゃなくて30ミリ5式機関砲だし、いろいろガバりすぎ。タイトルの「幻に終わった」ってのも量産などがかなわなかっただけで試作はされてる訳だからそれを「幻」でまとめたのは如何なものかと思う。(まあ確かに富岳は計画で終わったけど)
伝説と言うよりポンコツ
結局すべてが、基礎技術の欠落による夢物語、歴史にもしもは存在しないと云う事
歴史じっくり紀行様、投稿お疲れ様です。ネタ、煮詰まってますよね?日本だけにこだわらず、全世界の「歴史じっくり紀行」でいいんじゃね?
動画視聴
なんせ当時の日本は基礎工業力がなかったからな~今の傾国みたいだった😂
お答えします。コレは利益率ですね、明治から始まる富国強兵政策で日本の基幹産業となった紡績業は利益率は40%、これに対して軍需産業の基幹となる重化学工業の利益率はその半分または開発も考えれば更に下。更に兵器開発は「財閥系企業」に丸投げ。当時の日本政府が今で言うベンチャー企業を育成し資金的な援助をしてなかったですからね。
レーダー照準の高射砲は高校の時の恩師が開発に携わっていました。定年を迎えられたときお祝いの会で当時の話を聞きました。震電は父が働いていた工場で作って試験飛行をしたそうでザリガニのようだったと言ってました。2個も自分の関係者がいたのは驚きです。
そういう話を生で聞けるのは羨ましい。
久我山の十五センチ高射砲は、学生時代に知りました。B29が二機木っ端微塵に吹き飛んだ程の破壊力と聞きました。圧倒的航空優勢から、日本軍の高射砲を舐めていたのでしょう。
高射砲の操縦はセルシンモーターで二本のジョイスティックだったと言います。おそらく鉄人28号の操縦装置はその伝説から来ているはずです。この操縦装置はアニメ新作製作の際に批判されノートパソコンになりましたが笑うべしです。
現在のドローンや無人戦闘車は、ゲームのリモコンを流用するなどすべて二つのジョイスティックで操作されていて、15㎝高射砲と鉄人28号の先進性を証明しています。
紫電でしょう 名前が違うと思う
あってるくない?
オレの大叔父は旧帝で学び技術将校として海軍で無線機の研究に従事していたが、どうも軍隊というか戦前の日本は発電機や電動機などの重電偏重の傾向があってレーダーとか大叔父の専門の無線機と弱電を要ったを軽視する風潮があったという、だから解っていても基礎研究などをスッ飛ばして『夢の兵器』とか追い求めたがる、細かいところは現場の精神力でとか訳の分からないことになると怒っていたよ。
ところで話しは変わるが、第二位の局地戦闘機【震電】の組み立て工場跡地が、オレんちから徒歩圏内にあったと前に聞いてちょっと感慨深くなったよ😊
この高射砲は実際に戦果があったことが凄いですね。
米国が派手に喧伝したほど、日本軍に対してB-29は無敵では無かったのは知ってましたが、
日本技術者の意地である高射砲の話は非常に興味深かったです。
すぐにB-29に迂回されるようになりましたとさ
ドイツ戦線でも、コメートの配備基地を爆撃隊はやはり避けました。コメートは、ジェット機ではなくロケット戦闘機でした。ロケットエンジン点火から、稼働時間は4分程だといいます。速度差があり過ぎて、時間内に目標に命中弾を叩き込むのは至難の技だったとか。燃料を使い切ったら、無動力で滑空するしかなく、敵戦闘機の的になってしまったようです。また離陸時や、気難しい液体燃料のおかげで事故も多く起きたとか。戦後もジェットとロケットの混合動力機は製作されましたが、まともに結果を残した機体は無かったようです。ジェットのレスポンスや燃費の改善で、扱いにくいロケットは開発から外されました。
@@そのみどりこ この動画主にコメートの作戦行動半径を問うのは馬の耳に念仏です。
当時のドイツよりも劣る日本のレーダーでの警戒能力でコメートを100%再現できても実用できるはずがない。
まして一度迎撃を受ければ爆撃進入コースを変えれば無力化されるのは本家コメートと同じ。
この戦果は米軍の方ではそれに当たる記録がなく、信憑性には大いに疑問があるといわれていますね。
終戦時に元の照準器破壊していて米軍に引き渡しする際に簡易照準器つけていて砲の評価は高かったが照準器は…とか聞きましたね。
架空戦記そのままですが、まあこうした計画がなぜ間に合わなかったか考えると、戦前戦中の日本の問題点が浮かび上がりますね。
戦前の日本の工業力の不足に尽きますね。
あの松下幸之助さんでも丁稚の使いみたいなお仕事してましたからね。
戦前の軍事産業は利益率が低く国の保護がないと採算が合わなかったのもありますからね。
まあ民間企業の育成なんてやらずに巨大財閥に丸投げしてたから、開発も生産も遅延したって私は思ってますけどね。
投稿お疲れ様です
富嶽のエンジンが羽田で掘り出されて成田の航空博物館にあったのですが先日行ったら展示されていませんでした、何処へ行ってしまったのかな
@@4l329l 外部に貸出中何処かは定かではない。
こういったテーマは、コメントが賛否で荒れたりするリスクがありますが、堂々と動画を作られるウプ主様の勇気や制作意欲を尊敬します。A-26(長距離戦略爆撃機キ74)なんて航空機もありましたね。私も、戦前の日本も高い水準の技術力を持っていたのだと思います。アイゼンハワー大統領が太平洋戦争に勝利した要因に、ジープ、C-47輸送機、バズーカ砲をあげていた話しがありますが、どれも地味でありふれた物だった事に意味があるのかなと感じます。大量に、一定の品質で配備出来る事が戦いの鍵になるのかなと感じました。また、レーダーの開発など新技術へリソースを割ける余裕もアメリカにはあって日本には無かったモノだったのかなと感じます。だから、日本はダメなんだと単純に言いたい訳ではなく、何を学び取れるかが大切なのかなと思っています。お話し面白かったです。長文すみません。
ありがとうございます!
励みになります!
震電の武装は40mmではなく30mm機関砲4門ですよ
あと試験飛行の結果は初期的な問題が多発したはずです
たぶん本格的な試験飛行に入ったとしても、レイアウト故の反転トルクや失速特性の悪さが表面化したでしょう
大馬力エンジンさえまともなものが作れれば手慣れた牽引式のレイアウトで、実用的な740km/h超えの戦闘機もできたでしょう。P-47Mは大きな空冷式エンジン搭載機でしたが、それでも760km/hを超えましたし、ドイツのTa152H(液冷)などはさらに速かったのです
日本では結局、定速プロペラの自主技術開発ができませんでした。日米開戦前は、ハミルトン・スタンダード社からライセンスを買って、その通り作ったものを、陸海軍機の大多数で採用しました。開戦後は技術更新が途切れ、四苦八苦した末、海軍向けは住友がドイツVDM社から技術導入を試みます。震電のプロペラは、大径の4翅が望まれたところ、日本の技術では開発できず、苦肉の策として、3翅用の治具を2つ組み合わせて、6翅のプロペラとしました。そのため所要の性能は得られず、強度不足や重量過多といった課題を当初から抱えることとなりました。
アニメで震電はジェット化もして活躍していますが、実際は空冷エンジンでオーバーヒートして400Kmh程度しか出ず、さらにプロペラ回転の反動で機体が右に傾いたそうです。開発初期段階の様です。
工業製品というのは、試作が出来たら、欠点・弱点を徹底的に抉り出し改善・改良を幾重も繰り返して一人前になる。少なくとも2年早くできていたら・・遅れてきてヒーロー。
是等の兵器が開発に成功したとしても運用面で難しかったと思う
特に最後の奴
震電の最大速力が計算上740kmで当時のレシプロ機の中で最速と言っているが、アメリカのP51マスタングの最終生産型のH型は量産機ですでに759kmを達成している。
そして対日用に大量生産されているうちに終戦となった。このまま震電が開発されてもし計算通りの性能を発揮したとしても(そんなことはないと思うが)
P51相手に手も足も出なかったばかりか、ジェット戦闘機のF80シューティングスターも実践配備中。
橘花がジェット機の割に大したスピードじゃないのは速く飛ばす以上に松根油のような質の悪い燃料でも飛ばせることを目指したからだと読んだことがあります。
橘花のエンジン推力知らないん?
2基でやっとドイツのエンジン1基分相当の能力しか無い。
高翼面荷重で速度全振りしてもあの程度の性能しか出ないのは自明の理と言える。
松根油はガソリンに混ぜて使うのが前提で単体では使わない。
ジェット燃料は現在も植物油を利用することが進んでいます。油は灯油やディーゼルに近いものに添加物を混ぜたモノです。ケロシンとは英語で灯油そのものの意味です。この点から日本は最初期からジェットエンジンに全振りするべきだったという意見が当時~終戦直後は強かったです。
松根油はテレピンの一種であり、ガソリンに近いものですね。当時はドイツの流行が来て作り出しました。松根油はガソリンに比すと低質ですが、ジェット燃料にするには低質では有りません。低質な油に混ぜて橘花用の燃料としたのです。wikiには関連の情報がありますので記憶を糺して下さい。
橘花に使うのは松根油でも重油の方で見た人の話ではドロッとしたタールみたいなモノだったそうでこんなのが使えるのか?と思ったそうです。
ガソリンに混ぜるにしよかなり問題ありそうです。
富嶽は計画では20ミリ機関砲✕4で96門あったら爆弾も積めないし乗員も増える。的の大きい防空戦闘機?B2はアメリカのステルス爆撃機で元祖はドイツが開発してたHo229。
『潜水艦空母』を、早めにたくさん作られたら、
アメリカ本土に被害が出たでしょうね?
戦争が終わって、その潜水艦空母を見た米軍は、びっくりしたらしいです。
毎日楽しく拝見しています😌
コメートはロケット推進です🤗
まあ日本の場合は噴進式ってジェットもロケットも両方該当するしネ20のTR20のTRはタービンロケットの事だから紛らわしい。
実は大戦中に日本の技術者が作った「翼形状の一般式」というのが1990代にアメリカで特許申請され、50年も前に日本が見つけていたというのが最大の新兵器。アメリカでは特許が出願順では無く先発明なので特許制度自体が揺るがされるほどの大事件だった。
ネットではかなり隠蔽されているよ。ちなみにゴルゴ13ではネタにされています。
橘花は特殊攻撃機の略で
特別攻撃機(神風特別攻撃隊)とは違いますよ。
かなり前のことになりますが、テレビ番組で富嶽を取り上げた特番がありました。
番組後半で、イフの世界で、富嶽の大編隊がアメリカ本土を空爆、迎撃してくるアメリカ戦闘機を次々と撃破して、都市を火の海にする、という映像をCGで流していました。
現実問題として、量産化は難しそうですが。
番組の最後に、案内役の故 水野晴郎氏の「平和の尊さを感じます」との取ってつけたようなコメントが印象に残りました。
それまだ観れますよ。
さらば空中戦艦富嶽で検索してみて下さい。
おそらく「さらば空中戦艦富嶽 幻のアメリカ本土空襲」ですね。1979年に日テレで放送されたと思います。検索すれば動画が出てくると思いますよ。
富嶽は量産したところでアメリカには中間冷却器付きの排気タービン(今風にいうとインタークーラーターボ)装備のP-47が実用化されているから100機変態で行っても過半は撃墜されて未帰還の未来しか無い。
日時が高高度を飛ぶ戦略爆撃機を持たなかったのでP-47はその丈夫さ故に抵高度で運用する戦闘爆撃機として用いられたのが皮肉であったわけだけど、その頑丈さ故に迎撃に上がったP-47を富嶽が旋回機銃で応戦して返り討ちにとか当てることすら難しいしまぁ無理だろうね。B-29相手に高高度でフラフラ飛んでいる日本軍機相手に応戦するのとはわけが違う。
幻に終わったとは言え日本軍の新兵器は連合軍も恐怖した酸素魚雷もあったしな!
酸素魚雷は真珠湾攻撃に使用されましたが?
悲しい記憶ですが、実に誇らしいです。
震電の発想は、のちのジェットエンジンを積んだ戦闘機
日本の開発者って本当に変態だと思う、いい意味で
震電はラジコンでもまともに飛ばないだからリアル航空機でもきつい、ファンタジーにしてゴジラー1・0にでてくる
のがちょうどいい
ラジコンでは雷電もツラいよ。
震電は確か飛行試験は芳しくなかったような・・
離陸でプロペラを破損とか、前が重くて下がっていくから、操縦桿を引いていないと水平飛行が難しかったとか
あのレイアウトでトルクの強いエンジンを装備し、しかも二重反転プロペラではありませんから常に機体が傾いて、操縦桿を横いっぱいに倒していなければ直線飛行もできませんでした。しかも脚を出しっぱなしで200km/h程度の速力しか出さなかったのに「推進式」の宿命で冷却不良になり、オーバーヒートしまくっていたようです
もし時間的に余裕があっても、全開テストなんてできなかったでしょう
@@米山ともき-q6c 冷却できないのは推進式が原因ではなく境界層を剥離させるという概念が欧米と異なり日本にはなかった。
昨今の戦闘機開発では空気抵抗となる境界層板を無くす設計がスパコンでシミュレートし推められていますがジェット戦闘機のダクトの境界層板って重要なんですよ。
Bf109のF型以降の主翼のラジエーターやエンジン空気取り入れ口、P-51のラジエーターを見れば境界層の意味がわかって採用されたことがわかる。
同じく胴体下部にラジエーター配置された三式戦は取り入れ口が胴体下部にべったり、P-51は境界層を剥離させるため浮かせて配置していたこれが事実です。
震電が配備されていたとしても優勢は1945年8月までですね。
終戦時、すでに米軍のF-80がフィリピンで訓練中。実戦投入を待つ段階でした。
日本のレシプロエンジンには、ついぞ排気タービンが完成しませんでした。アメリカ軍は、初代ライトニングやサンダーボルト、マスタング等の排気タービン(ターボチャージャー)装備の戦闘機に支えられていました。日本は末期に誉エンジンの双発で高高度を目指した「天雷」という試作機を造りますが、誉エンジンの多くがキチンと稼働せず、天雷も機体に問題があり成功が見えない天雷は計画が中止されました。やはり、アメリカの技術レベルは日本の遥か彼方を行っていたのです。
それどころか、レシプロのP-51でさえH型は震電の計算上の最高速より高速でしたからね。
F-80が出るまでもなかったでしょう。
橘花の2回目の飛行は先を見越したロケートブースターを装着した短距離離陸テスト中の事故、既に離陸していた事を操縦士が認識できず起きた事故です。
更にジェットエンジンはスケッチのような略図を見ただけで制作出来たのは、既にジェットエンジンに関する研究が相当進んでいたからです・・・。
日本初のレーダーは学生時代の恩師が開発に関わっていました、戦後ににり高電圧トランスなどは米国よりも日本の方が高性能だったそうです・・・。
離陸補助ロケットの取付角度が適切でなくパイロットがエンジン故障と判断する感覚を感じて離陸中止したがブレーキが零戦の転用で制動不足で止まれず海岸に突っ込んで破損した。
檜山良明先生の小説で富嶽があったな。
震電戦闘機は旧日本軍の機体の中でも、僕がとりわけ好きな機体です。STGゲーム19XXでもプレイヤー機になってました。
配備された試作機が戦う映画は良かったです
富嶽は
世にも奇妙な物語で
出てましたね😊
どんなお話ですか?。
懐かしい
ってか、あれ、富嶽だったんだ。
秘密裏に完成させてアメリカ本土へ出撃したけど
濃霧から抜けたら現代のアメリカ本土を爆撃しに行ってた
って話です。
@@隼膺飛膺-s3n
作中の機体名は「雷神」だった。
雷神計画でしたっけ?
あれは感慨深い話しでした。
中島が当初提案したZ飛行機と富嶽は別物、
あと96門はZ飛行機の掃射型で爆撃型とは別機体
富嶽の果たせなかった夢をアメリカのB36は形にしました。まさに富嶽36景。
震電はRUclipsで当時の映像を見ましたが、試験中にプロペラが地面に触れたようでした。
とても3万Ftで接敵して攻撃できるレベルには程遠いように思えました。
ゴジラ-1.0みたいにはならないんだなぁ…
富嶽を中島知久平が軍に上申したのは日本が未だ勝っていた頃だったのだが
爆撃機一機を製作するのにどれだけの戦闘機の製作が滞ると言われて断念した。
零戦と隼、紫電改と疾風等、似たような飛行機を陸海軍別々に開発していたのが勿体なくてしょうがない。
個人的には震電が間に合って活躍してほしかった。
戦闘機が云々よりも結局は生産力。
これに尽きますよ。
アメリカが10作れても日本は2から3も作れなかったからね。
初期の零戦が優秀過ぎて、海軍は後継機開発を進めなかった。烈風は出たのがあまりに遅すぎた。
震電が間に合って活躍して欲しいって気持ちは確かにわかります。
似たようなのを陸海で別個に作ってたのは、海軍が中島飛行機と仲が悪かったからと聞きました。
中島知久平は海軍出身ですが、途中で海軍をやめて、そこでの経験を活かして中島飛行機を作って成功したため、あまり海軍側からしたら面白くなかったのかもしれません。
海軍の機体は中島飛行機では殆ど作ってなかったそうです。
@@シャロム-t1q 零戦を生産したのは三菱よりも中島の方が多かった。いわゆる委託生産。どちらの会社で作られたか見分けられるように塗装が異なっていた。
震電の性能は全て推定値で3回の飛行試験は惨憺たるものだったし
強力なトルクのせいで水平飛行するのがやっと着陸時は機首が勝手にあがり事故寸前だったとか
エンジンは焼き付き寸前で境界層すら知らない当時の技術者が冷却問題を解決するのは100パー不可能
富嶽はロマンですね。車輪は重量を軽くする為に捨てており、ドイツには胴体着陸する予定だったとか。
わたくしの父上様は戦時中は富士航空に勤めて居り増して、光学式爆撃照準機を製作組み立て試験と大田区蒲田本社への御届け役も兼務されて居られました。
航空機では設計も着眼点も良かったし超々ジュラルミンとか材料も良かったが、ベアリングと真空管など基礎工業力の出来で負けてたなぁ。VTヒューズのアイディアはあっても発射Gに耐える真空管ができない、レーダーも空中電話も不調。戦後トランジスタで真空管を駆逐したことを思えば皮肉な話だ。
「紺碧の艦隊」に登場する物ですね
設計図は引けても、実用化する技術も生産力もなかったのが幻の兵器と呼ばれる所以。
富嶽なんて、架空戦記小説では普通に大編隊を組めるほど大量生産されていたのに。
動画とは関係ないですが「ゴジラ−1.0」は素晴らしい映画でした
震電や四式中戦車、重巡高雄、駆逐艦雪風、海防艦などが登場してゴジラと戦いました
震電は初飛行は成功しましたが二回目は機種を上げ過ぎてプロペラを破損
修理中終戦を迎えたので傑作機に成ったかどうかは判りません
海外のラジコン飛行機マニアの人たちが自作で震電を作って飛ばしていますが
あまり良い運動性ではなく仮に実戦に参加して傑作機になっていたとしたら格闘戦で戦うより
一撃離脱戦法で戦ったなら活躍出来てたかも知れません
動画内で震電のジェット化が言われましたが
アニメの中の物語だそうで実際海軍や開発陣からはジェット化の話は無かったそうです
まともに飛ばなかったという話も
@@田中一朗-s2c まともに飛ぶ理由が一切ないw
通常の牽引式であっても高出力化でプロペラのカウンタートルクの問題解決のために垂直尾翼の断面を左右非対称にするとか垂直尾翼そのものを斜めに取り付けるとかで対処していたけど、プロペラ後流を尾翼に当てることが出来ない震電ではカウンタートルクへの対処は2重反転プロペラ使う以外の方法はない。
同様にプロペラ後流を当てられないから水平尾翼の昇降舵の効きが劣悪で、現在のジェット機のカナードのように水平尾翼ごと動かすようにしない限りは効きは見込めないだろうけどその発想すらなかった。
エンジンの冷却はもっと致命的で当時の欧米のように境界層を剥いで冷却空気を取り入れるような考えはないしあの空気取り入れ口じゃエンジンを冷やすことは無理だろうね。if案件のジェット化だと燃焼用の空気取り入れとか境界層の概念なしだともっと無理がある。現用のジェット機の空気取り入れ口にある境界層板は建てについているわけではない。
震電はちょっとしかテストできなかったせいで「幻の新兵器」扱いになってますが、開発が半年早かったらアメリカのXP-55アセンダーのように欠陥機の烙印を押されて「世界の駄っ作機」に載っていたかもしれないです
@@米山ともき-q6c第13巻「旭日旗の秘密のカーテン」編 に収録
アセンダーは同じエンテ式ですが、当初は2000馬力級のエンジン搭載の予定が、従来のアリソンV1710という1000馬力クラスに変更されてから、墜落や様々なトラブルに見舞われました。製作会社は、ウォーホークを主力機にしたカーチス社でした。カーチス社に、未知の新型機を開発する余力があったのかが疑問です。リパブリック社のP47サンダーボルトのライセンス生産も任されていた筈です。当時は大手てしたが、この頃から怪しくなっていったようです。
日本は富嶽どころか4発の深山や連山も完成させられなかった・・・。
アメリカは戦前既に排気過給機付き4発のB17の運用を開始、最終的にはB29で日本全土を焼き払った。
実戦には間に合わなかったがB36という6発の巨人爆撃機を計画開始から1年半で初飛行させている!
日米の基礎工業力の違いをハッキリ示された実例ですね。
12:58 12:58
30mm機関砲かと思ってた~
当時の現実だの実用性だのぜんぶとっぱらって、震電の機体外観をデザインした技師は見た目デザインの天才だろう。当時にあれだけサイバーなデザインどころか、今見てもど真ん中に中二病的にかっこいい形ってできないよ。
大戦末期の昭和19年に『風船爆弾』というものがあった。実際に実戦に使用され米本土で数名の死傷者をだしている。この兵器には生物兵器(ペスト菌やウィルス)搭載の計画もあったようだが中止になったようだ。実用化されていれば戦果はさておいて心理的な効果は大きなものがあったかもしれない。
米軍の報復が怖くてやめたんだよ
細菌戦をやってたら、報復は原爆だけでなく毒ガスまで投入されていた。
『心理的な効果は大きなものがあったかもしれない。』
リメンバー・パールハーバーなんてものでは済まない効果があったね。
戦果こそ少ないけど アメリカの勘違いで兵力削いだのは最大の嫌がらせ兵器ですね
@@田中一朗-s2c
あれ、実は森林火災を起こすのが目的の一つだったりする。
@@コマ爺相手に相応の資源の無駄使いを強いるのが目的ですよね!
局地戦闘機に求められる性能は上昇力、素早い加速と最高速度、強力な武装。
「ヒットラー」の「列車砲技術」
但し五式15糎高射砲は大和級の副砲でも転用していればもっと早期に砲だけは作れた。理論上大和副砲でBー29やFー13は撃墜可能(高射砲同様18000メートルまで到達可能)だったからね。
五式高射砲最大の戦果は
新潟市を原爆投下から守った事
実際新潟へ向かうには東京上空を通過するからそこで撃墜される
発射速度を考えたら無用の長物
高射砲はそうそう当たるものではない。実際2機同時に落としたと言われる久我山15サンチ砲でも実際には米国の報告書には撃墜の記録はない。
以後久我山上空を飛ばなくなったというのも、もちろん米軍戦史にその記録は見当たらない。
大和の15cm副砲でふと思ったが、大和を沖縄に向かわせるのではなく、東京防衛のために横須賀で砲台に徹してたら、B29の進路計画を変えさせる抑止力にはなっていた・・・かな?
あっさり沈められそうだし、46cm砲で3式弾をぶっ放しまくっても高速で飛来するB29にはそうそう当たらないと思われ。
それより東京の目の前で大和が沈んだら、それこそ日本の士気が0になるか。
@@夢見る眠り猫 無視されていたんじゃないの。
最初のB29の字幕ががB2になってる
日本帝國が大型長距離爆撃機を実戦配備するとしたら二式大艇を改良する方が現実的でしたか?
二式大艇の改良&給油用潜水艦の開発の方が実現性高いし早かったかもですね
@@コマ爺 成程!補給や簡易整備できる潜水艦を太平洋と大西洋に配置すれば、米本土往復爆撃が可能だったかも…?(恍惚)
@@80fire71 プラスで伊400型の晴嵐を護衛機に特化させればベストかも
間違いなくそう。中島に「深山」を作らせるよりは数倍良かった筈。高空性能以外はB24に相当する機体に仕上がったであろう。一方、二式大艇は洋上離着水に随分な問題があり、PBYカタリナや九七飛行艇、零式水偵のようには離着水できなかった。この欠陥は川西でも気にしていたはずで戦後はうねりの中で離着水できる機能を極限まで極め、優秀な技術を蓄えている。二式大艇が洋上で過荷重離着水できたならば第二次K作戦失敗も無かったのである。陸攻を順次開発するとすれば大艇は離水性能を極めてどこででも潜水艦と会合し補給し合える作戦を遂行できたはずである。残念。
孫のUS-2くらいまで改良出来れば完璧なんですけどね そこまで行くと紺碧の艦隊ですけど
本土決戦用となると、結末はジリ貧😢
先生、メタルダーやジンラ號、機神兵団や鉄人28号は新兵器に入りますか
🚀🛸(*´﹃`*)
戦う前に作っておくんだったな。
此に尽きる。初めから結果はわかっていた外交官の皆さんは既に戦後の事を考えていた、この国の将来の姿を
B29の1万mからの爆撃は戦果に乏しかったので、焼夷弾による無差別爆撃は低空で行なったとの話もあります
震電は飛行は出来ましたが、目標速度の半分も出しておらず、その状態でも真っ直ぐに飛ばすのはかなり大変だったそうです、エンジンも過熱気味でこれ以上の速度は無理だったようです。また、機銃は30ミリのはずですが?さらにジェット機化の話しは架空戦記等の後付けのロマンです、そもそもレシプロエンジンで高速を出す為に、あのレイアウトになったのですから…
震電のところで『ゴジラ-1.0』の話題をして欲しかったな〜
不要!!
5つもあげるので内容が薄く齟齬も出ます。
1つを深掘りして5回分にしたほうが良いのでは?。
「震電」は、「旭日の艦隊」や「紺碧の艦隊」のOVAでは「蒼莱」(そうらい)という名前
で実用化され、後にジェット化された墳式のものも登場し、1,2発の射撃で、アメリカや
ドイツの大型爆撃機を撃ち落としました。
こうした兵器を架空戦記で出すと面白いんですよね、ただ量産性と整備性が悪いものが多いですね特に海軍のものに。
すべて相手を見なければ画期的な兵器ではあるが、連合国側にも同等かさらに高性能な兵器が用意されてるからなぁ
海外技術の導入が止まった戦時下では国際競争で出し抜くのは簡単ではない。
いい加減な動画ですね。
震電の機銃は40ミリではなく30ミリです。それに試験の結果は異常振動が発生したなどで決して良好ではありませんでした。
因みにこの時代のアメリカに空軍は存在していません。米空軍は1947年に陸軍航空軍が分離して創設されました。
きちんと調べてから動画をアップした方がいいんじゃないですか?
マニアさんご苦労さん(⋈◍>◡<◍)。✧♡
@@anonwaravino9824 やかましいカス
まさに・・・
そういえば今の米陸軍の航空機はヘリが主体ですが海軍は戦闘機も有しているのでしたっけ?そういう経緯が影響しているのでしょうか。
ゴジラを引寄せるのに役に立つたかも😊
どんなにカタログスペックがすごくても、実際には完成してないし、開発もまともにいってないし、やはり幻っていうことなんでしょうね。高射砲は良さそうですが、どれも完成は難しかったのではないでしょうか。いくつかはドイツの劣化コピーだし、ほんとに日本独自で開発しようとしたものはどれだけあったのか、という疑問もありますねw もしもの話でいいなら、日本は核兵器を開発しようとしていたと思うんですが、それこそつくれたら、富岳以上の最高の武器になったでしょうね。
震電の機関砲は40mmだったんですね!
テスト飛行結果が良好だった事も初めて知りました😄
五式30ミリ機銃だったハズだけどなぁ…
@@松尾直-q2j 紺碧の艦隊と知識がごっちゃになってる気が🤭
@@熊太郎-q5b あり得ますね。あれは震電ではなく蒼莱ですからね。
陸軍の「屠龍」は37ミリ搭載して飛んでましたけどね。
@@ササノンキ あれは機関砲と言うより速射砲を改造した砲を搭載したんですよね?
富嶽の発想は良いと思うが成功するのは最初の爆撃だけだと思う。
アメリカは対応が早いから富嶽は迎撃されて稼働機がゼロになるだろう・・・
アメリカですらB29を485機も失ったわけですから。
震電は『ゴジラ-1.0』に登場して最終決戦の切り札となる
日本に資源が潤沢にあればもっと開発が進んでいた可能性があるとこの動画を見て感じました。
資源よりも戦前の日本の工業力の低さと私は思いますよ。
兵器開発は軍から財閥系企業に丸投げ。
日本の国が民間企業の育成や保護(資金的な応援)をやってませんからね。
私は、本来作戦に無かった「真珠湾攻撃」をしていなかったら、東南アジア諸国の植民地を解放しつつ、石油、鉄、ニッケル、銅、ゴム等を輸入できたと思います。大東亜共栄圏 ver 欧米諸国 という世界の構図になっていたと思います。
もし富嶽量産されてもルフトバッフエ・RAF・アメリカ陸軍航空隊第8・20航空軍と同じ問題で苦慮する事になるのでは。
それは爆撃機の足(航続距離)に護衛戦闘機がついていくことが出来ず非力な爆撃機が無防備な状態で敵の領空の深部に突入し
深刻な損耗率の結果継続的な爆撃が不可能になるという事です。
富嶽は爆撃機です。武装が強力といえども爆撃機の武装・旋回・航空性能・速度などたかがしれています。
富嶽もアメリカ上空では戦闘機の餌でカモです。
橘花は命名が花の名前であることが気になる。
桜花(言わずと知れたロケット特攻機)・梅花(パルスジェット仕様の特攻機)・藤花(陸軍の剣の海軍仕様機)全部特攻機なんだよね。
震電はエンジンに問題があったと思う。フルカン継手は生まれ故郷の技術のドイツですら手を焼いて実用機はほぼ0。(そもそもドイツは空冷はあまり得意じゃないがw)
震電と陸のキ93は多分故障だらけで使い物になったかどうかという気はする。
特殊攻撃機ってネーミングがね。
もう最近は幻の新兵器とかはウケなくなってるんだけどな〜。
どうせやるなら、間違いだらけのコタツ記事じゃなくて徹底深堀で作って貰いたいだけどね。
日本の技術が後10年進んでいたらな〜
ま、侵入する前に落とさないと意味ないけどね。。。
初心者用って感じですかね。これを見た方は各機検索して掘り下げて欲しいです。
震電は30mm✕4ですね。40mmの機関砲なんて機体が持ちません。またやっと不具合が洗い出せたレベルなので実戦には半年必要でしたね。
米空軍なんてありませんよ
当時は陸軍航空隊でしてね。陸軍から独立するのは、朝鮮戦争からです。
5式中戦車と3式中戦車の火力ならm4シャーマンの場合側面に攻撃すれば一撃で撃破出来るだろう
五式や四式なら多分正面からでも撃破できる。三式は急所狙えば。
もし当時、我が国の工業力、生産力が健在だったとして。富嶽を機数はともかく実戦配備するのには何年かかったでしょうね?5年?10年?それでもムリだった?
この中で実用に供し得るものはほぼ無い。
一応実績があるのは15cm高射砲だが、砲身の摩耗に対する対処は考慮していないし、VT信管を使用できないので能力的な限界がある。
ドイツでもこういった大口径高射砲は運用効率が悪いとして、対空ミサイルの開発に方向転換したのだが。
チリ車は変な副砲を装備していることで評価を下げているが、実際に量産される際には廃止されるのは確実なので、そこはあまりマイナス要因ではない。
最大の問題は、この時代にこんな副砲を求めてしまう、陸軍の空想的で稚拙な思考回路だろう。
「橘花」はジェットエンジンを搭載はしていても、機体設計はかなり杜撰で、それ程真剣に開発された痕跡が見受けられない。
どちらかと言うと、高オクタンガソリンが必要ではないという、燃料事情の反映のように思えてしまうのだが。
まだしも実戦能力が期待出来そうな「震電」だが、境界層流をまるで考えていない冷却空気採り入れ口が問題を起こしそうだが。
それ以前に、独特の飛行特性を持つエンテ翼機のパイロットをどう育成するか、という難題が待ち構えているのだが。
「富嶽」は…もはやオカルト領域だろう…。
しかし、どういう頭の構造が、こうも否定的で高慢ちきな見解を言わせるのか理解に苦しむ。
まず、その上から目線での物言いはこういう不特定者の意見空間では歓迎される物言いではない。
貴殿が、どういう趣味、職業か知らないが、当時の時代背景、諸要因を無視した空論は何の意味も無い事を自覚するべきだ。
@@ササヤン1155残念でしょうがね、指摘が至極真っ当なんですね。
動画の方がロマンチック過ぎてるので、ロマンチック大好き民からすると受け入れられないでしょうね。
8月15日に戦争継続を叫んでた人も沢山居たみたいですから。
@@piccadillylily なるほど。
@@ササヤン1155 様
俺は兵器を評価する際、技術データーや運用、量産法など、感情を排する方針でコメントしているつもりだ。
科学的根拠に基づいた記述を「上から目線」と言われても困ってしまうのだが。
実証的な俺のコメントを批判するなら、具体的な反証事例抜きでは、説得力に欠けると思うが。
それ抜きで人格攻撃されても、何の生産性も感じない。
@@2001banekuro
まともに解説されていてすばらしい。
目から鱗の部分もあり勉強になりました。
動画の内容が杜撰なので質が良い解説は助かります。
烈風は?
駄作。翼面荷重の設定からしてアナクロ。
80年前の「新兵器」
Bー29が650km/hってどこ情報?
動画に間違えが多いです。
1つ目
震電の武装は
40mmとは違いますよ。
30mmです。
ゼロ戦は20mmと
13mm又は7.7mmです。
2つ目は
富嶽ですが
何種類のを1つ種類としています。
基本仕様の爆撃機は
20tで機銃が4門です。
大量の機銃で駐機場を攻撃する機体も存在します。
それを同じ種類としています。
空母航空機でハワイを攻略兎に角空母航空機攻撃で決まり
秋水はかなり活躍したと思います!
Me163があの実績ですから・・・。
秋水好きですね。😂
日本の貧弱な化学工業力では多量に必要な燃料と酸化剤を供給出来ない。
@@straker1701
その通り。
@@straker1701 知りもせずに。朝鮮窒素の興南工場で大量にヒドラジンを製作し、ソ連軍侵攻に伴い貨物船に積んで自爆させたのが日本も原爆を保有していたという伝説になってロシアや朝鮮韓国発のネタとして十年おき4度くらい襲来している。
👍😊
富嶽の対空火器貧弱すぎん
調べたけど
こんばんは😊😮😊😮
米空軍ではなく、米戦略爆撃航空団ですね
対日屈服の戦果を以て、後に米空軍の本体となっています。そのため占領期間中には最先端の頭脳集団で以て日本国を隈無く調査仕上げました。多くは公開資料とされ直後から利用可能だったので日本経済の飛躍に役立っています。焼け跡からの離陸にも手助けとなりました。一新された日本の造船業と鉄工業は1965までに米国のそれら産業を制圧しました。
当時の工業力では難しい。
ナンバー1は宇宙戦艦。他にも鉄腕アトムやガンダムなどがあります。
近代戦の兵器の動画の終わりに鎧兜で登録お願いしますと言われましても…得意の戦国を南北朝迄掘り下げた方が良いかと
B2かー
色々やっても既に手遅れで
量産出来ないなら無意味。
開戦初期に戦果を上げた
ゼロ戦に拘り、戦車は装甲は薄く攻撃力も貧弱
富嶽もできていればなぁ
日本に資源さえあれば・・・
資源があったら戦争しなくてすみましたね。
あっても多分中国には侵攻したかもしれませんね
より豊かになるために
エンジンが作れませんでした
「富嶽」とほぼ同じコンセプトで実戦配備されたアメリカのB36と比較すると彼我の工業力の差を痛感しますね。これでは戦争には勝てません。
やっぱりエンジンが開発できたか?疑問が残りますね。
でも昭和20年まで戦争を継続する事で大量生産体制の仕組みが確立しましたからね。
戦死された方や被害にあった民間人の方々にも申し訳ないと思いますが、この実績が戦後の日本の復興の礎になって行きますね。
日中戦争当時から開発するべきでしたね!
でもアメリカは常にその上をいってましたから次なるB36を造ってましたから!
要するに戦争するべきではなかった!と言う事ですね!
結果裁判では日清日露までさかのぼり裁きたいとかノースクリプト判事だったか?虫が良すぎる事を石原氏に述べた人も居ました。
ほんと戦争は数じゃない!作戦だと思いました!当時の日本には和平とか考えられないでしょうね!?
もしドイツが原爆を先に開発していれば…
戦局が変わっても長引くだけで日本は負けたでしょう。
1番の「幻」は戦争が無かった。
これに尽きますわ。
全く誤った認識に思います。一部の人の言葉を日本全体の考え方の様に思うのは違うのでは?
<でもアメリカは常にその上をいってましたから・・・零式戦闘機以上の飛行機をつくれなかった 貴殿は自虐史観に捉われすぎ
<当時の日本には和平とか考えられない・・・誤った歴史認識 何の資料を基に和平とか考えられないという発想になるのか?
<もしドイツが原爆を先に開発していれば・・・日本にはアメリカより先に原爆を2個完成し保有していたという記録も有る 昭和天皇は原爆使用を頑なに認めなかった 設計図売り渡し先はソ連で、ソ連崩壊時に一連の記録がオークションに売り出され、あるジャーナリストが買い取ったが発表を止められ、その後・・・。信憑性の有無は判らない。
陸軍は四式戦車は良い性能はあったとおもうが、五式戦車はかつてのソビエトのように多砲塔を捨てきれなかったのでしょうか。ソビエトは多砲塔を量産して独ソ戦に大量投入しましたが、多砲塔のコンセプトが破綻していて指揮の混乱や機動性な劣悪さ、大きくて重いから装甲はペラペラ。ドイツ軍の敵にはならず大半が深い塹壕などに落とされ、残りは放置されました。日本も多砲塔には夢があったのかも。
me163は動力がロケットだし、震電の武装は40mmじゃなくて30ミリ5式機関砲だし、いろいろガバりすぎ。
タイトルの「幻に終わった」ってのも量産などがかなわなかっただけで試作はされてる訳だからそれを「幻」でまとめたのは如何なものかと思う。(まあ確かに富岳は計画で終わったけど)
伝説と言うよりポンコツ
結局すべてが、基礎技術の欠落による夢物語、歴史にもしもは存在しないと云う事
歴史じっくり紀行様、投稿お疲れ様です。
ネタ、煮詰まってますよね?
日本だけにこだわらず、全世界の「歴史じっくり紀行」でいいんじゃね?
動画視聴
なんせ当時の日本は基礎工業力がなかったからな~
今の傾国みたいだった😂
お答えします。
コレは利益率ですね、明治から始まる富国強兵政策で日本の基幹産業となった紡績業は利益率は40%、これに対して軍需産業の基幹となる重化学工業の利益率はその半分または開発も考えれば更に下。
更に兵器開発は「財閥系企業」に丸投げ。
当時の日本政府が今で言うベンチャー企業を育成し資金的な援助をしてなかったですからね。