【2ch歴史】戦国の戦術とは?車懸り、騎馬隊、釣り野伏せ、歴史ファンの議論が面白い!

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  • Опубликовано: 16 янв 2025

Комментарии • 36

  • @桜花43
    @桜花43 2 месяца назад +3

    釣り野伏せってかかると武将も逃げられない事が多いから有力武将も討ち死して家そのものをズタズタにするのがエグい

  • @rKK-p1f
    @rKK-p1f 2 месяца назад +2

    武田信玄は補給部隊を囮にして突出してきた敵部隊を狙うって戦術が良く見られると思う

  • @やーうえい-g1s
    @やーうえい-g1s 2 месяца назад +4

    戦は高い所から陣取ることが多いから
    馬乗者は指揮者に限られてるんじゃない?
    周りの状況みないといけないし
    突撃や退却のタイミングも判断しないといけないからね
    騎馬隊もいたと思うけどいっぱいだと
    高所からは気付きやすいし音で気付かれる
    当時の馬なんてポニーより大きい程度らしいし

  • @げきしんしらぬい
    @げきしんしらぬい 2 месяца назад +3

    西洋の騎馬は大型で重装備にて職業軍人である騎士がある程度数を揃って平地にて突撃陣形でやって出来る。日本では地形に起伏が激しいし、馬が小型。

  • @my-eg8ge
    @my-eg8ge 2 месяца назад +4

    そもそも複雑な戦術を実行するためには訓練と実戦が必要になる。常備軍により訓練の回数を増やし、経済力によって兵力を増やした信長が急速に伸長したのは必然だったのだろう。

  • @又兵衛-y2o
    @又兵衛-y2o 2 месяца назад +4

    正面を向き合って戦うと、ほとんど死傷者は出ない。 正面と側面攻撃を同時に受けてはじめて死傷者がで始める。 陣形とはいかに敵の側面を効率よく突けるかが鍵になる。 前から攻撃される分には効果が薄い。 横槍をいかにいれるかが合戦の課題。

  • @matukawatositane
    @matukawatositane 2 месяца назад +5

    派手な作戦や戦術はだいたい後世の創作って話になっちゃうのよね

  • @NY-cz5to
    @NY-cz5to 2 месяца назад +4

    いうて戦国時代の合戦や戦法なんてほとんどが後世の創作とは思っているけど、
    島津家だけは敵の大将クラスを討ち取る確率が異様に高いのでなんかガチ感がある

  • @塚地風幸
    @塚地風幸 2 месяца назад +3

    島津の釣り野伏せにしても、捨てがまりにしても、「屈強かつ死を恐れない」から強いだけだと思っています。
    本当の命令のように動かして捨て駒に使う。命を落としてもいい殿。徳川家もそりゃビックリしたでしょ。

    • @matukawatositane
      @matukawatositane 2 месяца назад +4

      釣り野伏せも捨てがまりも実態が怪しいという話もあるそうな

    • @asuna795
      @asuna795 2 месяца назад +4

      島津の話は江戸後期に急に生えてきたものばっかりだからあんまり間に受けないほうがいいよ。
      釣りの伏せもステがまりも現実には役に立った記録がなくて、それは「人数差で押し切られたから」ってことになってるけど、なぜか少なかったはずの選抜隊に負けたのすら人数がーって言い訳してるしね。

    • @くるわたろう
      @くるわたろう 2 месяца назад +2

      釣り野伏せはどこも似たようなことはやっているし、捨てがまりは部下への配慮で常套戦術にしてたとは思えないけど、島津家に死を恐れない異様な突撃能力だけはあったように思える。戦果にこれがないと説明がつかない。

    • @matukawatositane
      @matukawatositane 2 месяца назад +1

      @@くるわたろう 沖田畷は間違いなくそれでしょうね

    • @yesmamaok
      @yesmamaok 2 месяца назад

      島津は例外、日本のスパルタ。

  • @notewave3228
    @notewave3228 2 месяца назад +2

    捨てガマリという戦法は、関ヶ原での島津の退き口でしか資料にないと読んだことがある。
    長距離を文字通り必死で走って、力尽きた兵士が自発的に居残り、最後の力を振り絞ったという説が有力に思う。

  • @minorunaka-p8v
    @minorunaka-p8v 2 месяца назад +1

    今回は 『戦国時代の戦術・戦略について騙ろう』 、、、という回ですか

  • @へいへいほー-r7i
    @へいへいほー-r7i 2 месяца назад +2

    騎馬というかお馬さんてすぐ暴れちゃいそうじゃない?接敵して矢なんか刺さっちゃったら…機動力はあるにしても…どうなんですかね?

  • @芝鯖ロン
    @芝鯖ロン Месяц назад +1

    馬を集団運用するには去勢は必須なのだが日本にはその技術もしくは考え方が無かった。
    したがって軍団と呼べるような集団運用は不可能。

  • @川井良隆
    @川井良隆 2 месяца назад +1

    手取川の戦いで柴田勝家を上杉謙信が打ち破ったけれど、関東でも北条氏を対象に同じ戦略を練っていた。小田氏治を攻め北条氏に救援を出させ利根川を渡らせて退路を断ち一気に攻めるというもので、北条氏は佐竹義重を坂東太郎(利根川のこと)はおそろしいのうwなどとしからかっていた
    小田氏治は戦国最弱なんて言われているけど上杉、佐竹と組んで北条氏を誘引しようとたくらんだ結果であり、上杉謙信は唐沢山城で同じことしてるよね
    佐竹義重は鬼義重とよばれ、北条方の武士を一瞬で数名切り伏せたといわれるがかなり怒りっぽい性格で、これも本拠地から誘引するための挑発かもしれないです
    挑発して怒らせて利根川を渡らせたうえで、伊達政宗と連携し背後を襲うという戦略でしょう。
    かめわり柴田は手取川を渡り背水の陣を引いてしまったってことですね。七尾城を上杉謙信が攻めたのは、小田氏治を攻めたときとそっくりです

  • @最上正明
    @最上正明 2 месяца назад +1

    鉄砲騎馬隊。銃声で騎乗してる馬がパニクリそうだな。

    • @あぼぼです
      @あぼぼです 2 месяца назад +2

      仔馬の頃から何度も銃声を効かせて、ある程度慣らすことは出来たようです。

  • @heinyamu6992
    @heinyamu6992 2 месяца назад +1

    騎馬関連で西洋ではどうの言ってるのがいたが、西洋でもこの時代にはもう馬首揃えての突撃は既に廃れてる
    騎馬民族の侵出が昔から多いのでその対策として長柄(ハルバート)での馬の脚刈り戦術が確立している事や
    そもそも西洋でも騎馬兵になるのは指揮官クラスだし、馬は重要な財産だしで失うリスクが大きすぎる事
    そもそもアジアと違って合戦の参加人数がそもそも少ないこと等で実戦での騎馬突撃は廃れ
    代わりに騎士同士での競技としての騎馬突撃(トーナメント)に変わって行った
    更にこの頃になるとアラブ馬等の大型品種が入ってきて、その改良も行われ始めているため馬自体も日本とはだいぶ違う
    その状況で西洋はこうだから、は通じないんだよな

  • @notewave3228
    @notewave3228 2 месяца назад +1

    車掛りの陣も甲陽軍鑑にしか出てないんじゃなかったっけ?
    行軍隊形のまま霧の中から次々に出てくる上杉軍を見て、武田軍が「あれが噂に聞く車掛りの陣だ」と勘違いしたものかと。

  • @Okawa-Shumei
    @Okawa-Shumei 2 месяца назад +1

    長篠の戦いで討ち死にした武将って脳筋かつ信玄信者の古参ばかりなので取った戦法も古かったんじゃないの?

    • @AK_ezoshika
      @AK_ezoshika 2 месяца назад +1

      戦略面でも戦術面でも必敗の状態で開戦してるから、古参が信玄の基本思想の「戦う前に勝て」を守ってないぞ。
      どう考えてもボコボコにされるはずなのにそれなりに織田側に被害出てるあたり、実際強かったのだろう。

    • @matukawatositane
      @matukawatositane 2 месяца назад +3

      長篠は戦わなくともジリ貧だから野戦に勝利して血路を切り開くしかなかったんやろなぁ

    • @大岡忠相-y9f
      @大岡忠相-y9f 2 месяца назад +2

      @@matukawatositane
      せやな
      そもそも野戦築城、そして守備主体の戦場で相手に攻撃をさせるように誘引した織田、徳川軍を褒めるべきだと思う

    • @ごんごんちゃん-c3e
      @ごんごんちゃん-c3e 2 месяца назад +1

      長篠については、信長の鉄砲の弾の保有数を、勝頼が見誤ったのが原因やで。
      勝頼側も、もう無くなったやろと耐えてから突撃したら、信長側がまだまだ弾切れしてなかったというオチ。
      兵の質的には武田の兵はやはり強くて、普通に押し込まれてはいた。

  • @nao-kf3xz
    @nao-kf3xz 2 месяца назад +3

    車がかりって、テーベ軍の斜線陣みたいなもんか?

    • @ごんごんちゃん-c3e
      @ごんごんちゃん-c3e 2 месяца назад +1

      多分そうやと思う。
      でも、キングダムであったみたいに、簡単にはできんと思う。
      謙信が前線で常に指揮をとっていたり、突撃のタイミング、兵を抑えられるカリスマ性と統率力があるからできる芸当。
      現代の戦争でも、その辺りは変わらんとは思う。
      ビジネスでも同じ。
      やはり、カリスマ性がある総司令官が最前線にいると、現場の士気がめちゃくちゃ上がるし、指示がタイムラグ無しで通じる。
      戦争してるから余計に差が出るとは思う。

  • @元吉-z5u
    @元吉-z5u 2 месяца назад +1

    その時代の馬っポニーぐらいの大きさだっけ?

    • @ごんごんちゃん-c3e
      @ごんごんちゃん-c3e 2 месяца назад

      馬は基本的に運搬用だから、ポニーサイズでも良いんやで。馬の馬力や悪路走破能力とスタミナの方が重要。
      私は実際に引退したとはいえ、サラブレッドに乗馬したことはあるが、スピードは驚異的だけど、悪路走破能力はあるとは言えん。大きすぎるから狭い道を通るのも不利だと思う。
      あと、馬の種類も西と東では個体差があるみたいで、東の馬の方が良質らしい。また、馬の産地が多いため馬術訓練自体も豊富で練度が違ってるらしい。
      よって、行軍スピードが速かったり、戦場でも馬が怖がらずに使えたりなど、騎兵が強い国はやはり強い。
      悪路走破能力と速度が速いため、奇襲とかもやりやすそうではある。

    • @元吉-z5u
      @元吉-z5u 2 месяца назад

      @@ごんごんちゃん-c3e お返事ありがとうございます ナポレオンもロバ使ってたというからか適材適所での戦略ですね~