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誤解が生じかねない点がいくつか有るので補足します。イラストでは男女混合という印象を受けますが、部員は全員が男性です。極地法を用いる場合は、基本的に全員が、ルート工作、前進キャンプの設営及び物資の運搬にあたります。最初からアタックメンバーを決めておく事は、普通はまず有りません。軽装という表現が使われていますが、服装については「全員完全装備といってよかった。」という記述が昭和40年(1965)に刊行された『この山にあふれる誓い』富山県警察本部編に見られ、遺留品と登山日誌から、ツェルト二張りとラディウス、非常食、ラジオ等のビヴァーク装備を携行しており、登山日誌の記述から、ビヴァーク翌日の一月三日の登山日誌が書かれた時点では、全員が生存していたと推測できます。この遭難の一番の問題点は、極地法の訓練が目的であったのに、C1設営後にBCの太郎小屋に帰投せずに、全員でアタックを行った事だといわれています。彼らが何故そのような行動に出たのかは、永遠の謎です。
軽装ってのは服装の事だけを指すわけではありませんからね。ツェルト二張りとラディウス、非常食、ラジオ等のビヴァーク装備って、本来アタックメンバーの分なので、メンバー全員を賄える量では有りません。登山に必須の地図やコンパスまでテントに置きっぱなしにしたうえ、全員で山頂アタックしてるのだから、客観的に見て軽装以外の何物でもありません。
@@keiichi6059 様御指摘ありがとうございます。風雪の中を、あの人数で山頂アタックを行うには、あまりに不十分な装備であった事は御指摘の通りだと思います。地図と磁石が小屋で見つかったのは知っていましたが、テント内にも残されて居た事は初めて知りました。御指摘、御教示ありがとうございました。
話に引き込まれました!大変良かったです。これからの季節 海の遭難事故も取り上げて下さい
なんの証拠も無いけれども、後から来たチームに追い抜かれて、かつ自分たちとは違うアルパインスタイルだった事に影響を受けてしまった後輩達が「急いで登頂したい」と声を上げ、それを先輩が受け入れてしまった、というのが一説に言われているようですね。自分もそう思います。本来の目的を忘れてしまい、いち早く登頂することに躍起になってしまったから地図やコンパス、そしてテントと言った冬季登山の必需品を置いてでも出発してしまったのだろうな…と。残されたノートに「荷物を置いてきてしまった後悔」について書かれていなかったのが個人的に一番しっくり来るところです。みんなの納得の上で、結果的に死出の旅に踏み出してしまったのだろうなぁと。
荷物を減らして身軽に山頂を目指すのは、テントに戻れないときに命取りだね・・・
この遭難に関しては 軽装よりも 小屋に辿り着けなかった事が全てのように感じます。テントがあっても 道迷いをした時点で厳しかったような‥
動画を見る前は、てっきりアルパインスタイルで挑んだ方が全滅したのかと思っていた。
全体で人数が増えると統率も難易度がますのでしょうね。1年生も多かったのも難しい状況に拍車がかからなかったのかも。イラストの頑張ってる表情が良いです。
現在のひとは、スマートフォンだけあればなんとかなると考えてる人が多い。でも、電話は基地局が範囲にないと、電話もできない。無線機を登山者に貸し出して連絡くらいできないとさがすことから始めることになる。こうなるなら、無免許でも無線機もたせたほうが
初めまして。幾つか拝見した上で新田次郎氏の「春富士遭難」(だったと記憶しますが間違えたら申し訳ありません)を思い出しました。その作品では「その場にいない者には判らない」とありました。また作家の谷甲州氏は複数の選択肢があり結果が良くなかった時に他の選択をすればと思っても それが最善とは限らないと言う意味の話を著作の中でされていました。うぷ主さんも仰っている様に様々な事故から学ぶしかないのでしょうか。
違いか、、、人数では?多くなるほど個々の主体性が薄れて判断も行動も人任せになるのは、普段でもよくあること。低体温になれば思考も判断もできない。それがリーダーなら全滅する。何事も適正な人数があるのでは?
そういえば八甲田山も2つの連隊があったね。片方は全員無事生還し、片方は有名になり映画にもなった。ただし天には見放されたけど。
なんでコンパスも置いてった…?
誰かが持っていると思った。まさかリーダーまで持っていないとは思わなかった。
先日のコメントに事実誤認が有りましたので訂正します。一月二日に設営したのはC1では無くC3でした。また、太郎小屋がC2で、C1の位置は手持ちの資料では確認できませんでした。C3の設営場所も、薬師平付近というところまでしか絞り込めませんでしたが、C3がACという位置付けだった様に思われます。ところで、問題の地図と方位磁石ですが、私は遭難後に何らかの原因で失われた可能性も有ると思います。C3設営の為の出発時に、持たずに出たとは考えにくいので。
実際にテントに地図とコンパスは残されていました。地図とコンパスが有れば、少なくとも見当違いの方向へ迷い込む事は無かったと思われます。
@@keiichi6059 様御指摘ありがとうございます。小屋に有ったと認識していました。
いくらなんでも山岳部ですから、たとえ地図が無くともコンパスさえあれば90度もずれた方向へ延々と進むことはことはありません。道を間違えた事に気づいたのが遅すぎるので、コンパスは持っていなかったのでしょう。
画面左にA大学.右にB大学 を表示し,後で画面右のグループが遭難のイラストになってるからアルパインスタイルをとったB(東京の)大学が帰還できなかったと思った。
なんでそもそもこんな冬の寒き危険な時期に登山するの?そこから疑問をもたないというのがもう正気の沙汰じゃないですね
リーダーの判断の差になった感じかな
メンバーの中で誰一人、コンパス・地図を持たず準備・装備の欠如メンバーの構成・技量及び技術の低さ判断ミス何より最大のマイナスがメンバーの中に夏に下見を兼ねて薬師岳に登った時に薬師岳は夏季は比較的登頂が簡単だが冬は顔が全く変わると知らなかった・調べようとしなかったそして登頂したメンバーの中には安易に家族に薬師岳は平坦な山で伊吹山ほど嶮しくないと言っていた事も自体が大きく最悪のマイナスに傾いた原因でもある総評:メンバーの技量及び技術が未熟だった装備・準備が欠如しとても冬山を登頂出来るレベルではなかった夏場の下見レベルの情報での報告が上記の装備・準備の欠如に繋がりそれが致命的な判断ミスに繋がるそもそも、登る前に天候を予め調べる機会・タイミングは幾らでもあったのにしなかったそう言ったいくつもの不備が相互作用し起きたある意味当然の結果の人災と言える
登山について素人で恐縮ですが、厳冬期?の登山はやめませんか。
死ぬときは何やったって死ぬけどな
慢心の二文字だと思います。人は必ずと言っていいほど間違いを起こすので、そのための合議ですが。その合議に経験の生むが入るので、その経験則に依らないものが含まれる合議は、合議の結果を揺らがしかねませんからね。決めさせてあげるのは大事ですが、普段なら何重に働くはずのリスクヘッジも、なにかのタイミングではすぐにOFFになるので......
船頭多くして船山に上り、遭難しちゃったのかな。大人数だからこその極地法が悪い方向に作用してしまったんだと思う
多分、その【山岳部を退部した3年生】に聞いてみれば理由が分かると思われ🤔参加チームの【人間関係】に問題があったセンが濃厚だ😑
私も、この遭難事故の別の動画を数本見ましたが、3年生の退部理由については、全く触れられていません°・(ノД`)・°・😭考えられるのは、疎外感を感じていたとか、そういう事かも…。
@@佐藤香里-p7y さん:答えはほぼ気付いているでしょうが…。【敢えて、故人の悪口を言いたくない】というのが、当時の人々の一般的思考なんですよねぇ😅で、一般論で言っちゃいますが【組織の成否はTOPの能力が大部分】が経営者の通例ですし、【極地法】なんて普通のリーダーでは選ばない方法を選んだ時点で…😁
なんで、れんたちは亡くなっているのに、その行動がわかるのか
メモが残されていたからでは?登山者は基本的に毎日山行記録を書きますよ
@@battleonline初めて知った
機種替えたら、ゆっくり解説、柿、マタイその他佳作前機種の作品が消えた。メーカーー、代理店の問題だと思う。会社側理解できず😢点検をお願いです。
誤解が生じかねない点がいくつか有るので補足します。
イラストでは男女混合という印象を受けますが、部員は全員が男性です。
極地法を用いる場合は、基本的に全員が、ルート工作、前進キャンプの設営及び物資の運搬にあたります。
最初からアタックメンバーを決めておく事は、普通はまず有りません。
軽装という表現が使われていますが、服装については「全員完全装備といってよかった。」という記述が昭和40年(1965)に刊行された『この山にあふれる誓い』富山県警察本部編に見られ、遺留品と登山日誌から、ツェルト二張りとラディウス、非常食、ラジオ等のビヴァーク装備を携行しており、登山日誌の記述から、ビヴァーク翌日の一月三日の登山日誌が書かれた時点では、全員が生存していたと推測できます。
この遭難の一番の問題点は、極地法の訓練が目的であったのに、C1設営後にBCの太郎小屋に帰投せずに、全員でアタックを行った事だといわれています。
彼らが何故そのような行動に出たのかは、永遠の謎です。
軽装ってのは服装の事だけを指すわけではありませんからね。
ツェルト二張りとラディウス、非常食、ラジオ等のビヴァーク装備って、本来アタックメンバーの分なので、メンバー全員を賄える量では有りません。
登山に必須の地図やコンパスまでテントに置きっぱなしにしたうえ、全員で山頂アタックしてるのだから、客観的に見て軽装以外の何物でもありません。
@@keiichi6059 様
御指摘ありがとうございます。
風雪の中を、あの人数で山頂アタックを行うには、あまりに不十分な装備であった事は御指摘の通りだと思います。
地図と磁石が小屋で見つかったのは知っていましたが、テント内にも残されて居た事は初めて知りました。
御指摘、御教示ありがとうございました。
話に引き込まれました!大変良かったです。これからの季節 海の遭難事故も取り上げて下さい
なんの証拠も無いけれども、後から来たチームに追い抜かれて、かつ自分たちとは違うアルパインスタイルだった事に影響を受けてしまった後輩達が「急いで登頂したい」と声を上げ、それを先輩が受け入れてしまった、というのが一説に言われているようですね。
自分もそう思います。本来の目的を忘れてしまい、いち早く登頂することに躍起になってしまったから地図やコンパス、そしてテントと言った冬季登山の必需品を置いてでも出発してしまったのだろうな…と。残されたノートに「荷物を置いてきてしまった後悔」について書かれていなかったのが個人的に一番しっくり来るところです。みんなの納得の上で、結果的に死出の旅に踏み出してしまったのだろうなぁと。
荷物を減らして身軽に山頂を目指すのは、テントに戻れないときに命取りだね・・・
この遭難に関しては 軽装よりも 小屋に辿り着けなかった事が全てのように感じます。
テントがあっても 道迷いをした時点で厳しかったような‥
動画を見る前は、てっきりアルパインスタイルで挑んだ方が全滅したのかと思っていた。
全体で人数が増えると統率も難易度がますのでしょうね。1年生も多かったのも難しい状況に拍車がかからなかったのかも。
イラストの頑張ってる表情が良いです。
現在のひとは、スマートフォンだけあればなんとかなると考えてる人が多い。でも、電話は基地局が範囲にないと、電話もできない。無線機を登山者に貸し出して連絡くらいできないとさがすことから始めることになる。こうなるなら、無免許でも無線機もたせたほうが
初めまして。
幾つか拝見した上で新田次郎氏の「春富士遭難」(だったと記憶しますが間違えたら申し訳ありません)を思い出しました。
その作品では「その場にいない者には判らない」とありました。
また作家の谷甲州氏は複数の選択肢があり結果が良くなかった時に他の選択をすればと思っても それが最善とは限らないと言う意味の話を著作の中でされていました。
うぷ主さんも仰っている様に様々な事故から学ぶしかないのでしょうか。
違いか、、、
人数では?
多くなるほど個々の主体性が薄れて判断も行動も人任せになるのは、普段でもよくあること。
低体温になれば思考も判断もできない。それがリーダーなら全滅する。
何事も適正な人数があるのでは?
そういえば八甲田山も2つの連隊があったね。片方は全員無事生還し、片方は有名になり映画にもなった。ただし天には見放されたけど。
なんでコンパスも置いてった…?
誰かが持っていると思った。
まさかリーダーまで持っていないとは思わなかった。
先日のコメントに事実誤認が有りましたので訂正します。
一月二日に設営したのはC1では無くC3でした。また、太郎小屋がC2で、C1の位置は手持ちの資料では確認できませんでした。
C3の設営場所も、薬師平付近というところまでしか絞り込めませんでしたが、C3がACという位置付けだった様に思われます。
ところで、問題の地図と方位磁石ですが、私は遭難後に何らかの原因で失われた可能性も有ると思います。
C3設営の為の出発時に、持たずに出たとは考えにくいので。
実際にテントに地図とコンパスは残されていました。
地図とコンパスが有れば、少なくとも見当違いの方向へ迷い込む事は無かったと思われます。
@@keiichi6059 様
御指摘ありがとうございます。
小屋に有ったと認識していました。
いくらなんでも山岳部ですから、たとえ地図が無くともコンパスさえあれば90度もずれた方向へ延々と進むことはことはありません。
道を間違えた事に気づいたのが遅すぎるので、コンパスは持っていなかったのでしょう。
画面左にA大学.右にB大学 を表示し,後で画面右のグループが遭難のイラストになってるからアルパインスタイルをとったB(東京の)大学が帰還できなかったと思った。
なんでそもそもこんな冬の寒き危険な時期に登山するの?そこから疑問をもたないというのがもう正気の沙汰じゃないですね
リーダーの判断の差になった感じかな
メンバーの中で誰一人、コンパス・地図を持たず準備・装備の欠如
メンバーの構成・技量及び技術の低さ
判断ミス
何より最大のマイナスがメンバーの中に夏に下見を兼ねて薬師岳に登った時に
薬師岳は夏季は比較的登頂が簡単だが
冬は顔が全く変わると知らなかった・調べようとしなかった
そして登頂したメンバーの中には安易に家族に
薬師岳は平坦な山で伊吹山ほど嶮しくないと言っていた事も
自体が大きく最悪のマイナスに傾いた原因でもある
総評:メンバーの技量及び技術が未熟だった
装備・準備が欠如しとても冬山を登頂出来るレベルではなかった
夏場の下見レベルの情報での報告が上記の装備・準備の欠如に繋がり
それが致命的な判断ミスに繋がる
そもそも、登る前に天候を予め調べる機会・タイミングは幾らでもあったのにしなかった
そう言ったいくつもの不備が相互作用し起きた
ある意味当然の結果の人災
と言える
登山について素人で恐縮ですが、厳冬期?の登山はやめませんか。
死ぬときは何やったって死ぬけどな
慢心
の二文字だと思います。
人は必ずと言っていいほど間違いを起こすので、そのための合議ですが。
その合議に経験の生むが入るので、その経験則に依らないものが含まれる合議は、
合議の結果を揺らがしかねませんからね。
決めさせてあげるのは大事ですが、普段なら何重に働くはずのリスクヘッジも、
なにかのタイミングではすぐにOFFになるので......
船頭多くして船山に上り、遭難しちゃったのかな。大人数だからこその極地法が悪い方向に作用してしまったんだと思う
多分、その【山岳部を退部した3年生】に聞いてみれば理由が分かると思われ🤔
参加チームの【人間関係】に問題があったセンが濃厚だ😑
私も、この遭難事故の別の動画を数本見ましたが、3年生の退部理由については、全く触れられていません°・(ノД`)・°・😭考えられるのは、疎外感を感じていたとか、そういう事かも…。
@@佐藤香里-p7y さん:
答えはほぼ気付いているでしょうが…。
【敢えて、故人の悪口を言いたくない】というのが、当時の人々の一般的思考なんですよねぇ😅
で、一般論で言っちゃいますが【組織の成否はTOPの能力が大部分】が経営者の通例ですし、【極地法】なんて普通のリーダーでは選ばない方法を選んだ時点で…😁
なんで、れんたちは亡くなっているのに、その行動がわかるのか
メモが残されていたからでは?
登山者は基本的に毎日山行記録を書きますよ
@@battleonline初めて知った
機種替えたら、ゆっくり解説、柿、マタイその他佳作前機種の作品が消えた。メーカーー、代理店の問題だと思う。会社側理解できず😢点検をお願いです。