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川の流れが、二手に分かれて流れているのが見たかった。
筑紫野には、二手に流れる川、という分かりやすいものはないと思います。(あるのでしたらすみません)排水溝があっちとこっちに流れる、ぐらいのところです。
(2年前の動画が急におすすめに上がってきたのでコメント)「太古の昔、筑後川は博多湾に流れていた」という話を何処かで聞いたのですが、ネットを探しても文献がないのです。ただ、何かをきっかけに筑紫野市内の地殻が盛り上がって筑後川が北に流れられなくなり、徐々に流れが南に変わって行って今の位置に落ち着いた、と考えれば、国道386号付近の地形がなだらかなのも、大きな川が流れ込まないのに筑紫平野が形成されたもの自分的には納得できるんですよね。
筑紫野の辺りが平坦であれば流れていたかもしれませんが、どうなんでしょう。僕も資料は見つけられず😢筑後川がかなり流路を変えながら流れていたことは確かで、その痕跡が河岸段丘に残っています。ちなみに、国道386号付近がなだらかなのは、山が崩れてきた段丘や扇状地が広がっているからです。川というより、山によって作られた地形ですね。
この地味な谷中分水嶺をバイク目線で検証する天才動画ですね。
ありがとうございます😊️谷中分水嶺は日本全国にありますが、ここまで住宅街でみっちりなのは珍しいのです。
太宰府の、筑紫野市との境に近いところに住んでいました。小学校の社会の授業で目の前の川が御笠川水系で博多湾に注ぐのを教わり子供ながら驚きで、翻って裏山の住宅街を越えると全て宝満川有明海に注ぐことに気が付き、1人悦に入っていました。あれから40年ほどしてコンビニの前でタバコをふかしているとその日は大雨でそのことをふと思い出しました。いい動画だと思います。
おー、小学校の時に随分マニアックなことに気づきましたね。僕も小学生の頃、地図帳で川や線路を追いかけるのが大好きでした。ありがとうございます。
私の立っていたコンビニの場所が谷中分水嶺のようです。今回のバイク動画は映った瞬間にどこか判ってしまうほどの地元民でした。30年以上離れてしまい、懐かしい光景でした。
筑紫野市に住んでいる地形大好き親父ですが、全く知りませんでした。貴重な動画ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます!実は僕も知ったのは最近で、先日見に行きました。知っている場所に意外な珍しさがあると面白いですね。
山口川は筑後川に合流して有明海。高尾川は御笠川に合流して博多湾。山口川と高尾川はほんとに近いのに注ぐ海が違う。これには以前からロマンを感じておりました。
分水界には小高い場所があるだけなのですが、ほんの少しの違いで全然違うのが面白いですよね。水の運命の分かれ目です。
筑紫野市民です。最近こちらの動画を拝見しました。天拝山駅から役所方面が上り坂で途中から下になってるのは気がついていましたが、この高さで分水領だったとは!もし機会があれば夜の車が少ない時間帯に天拝山駅側から市役所に向かって走ってみてください。坂になってるのがよりはっきりわかりますよ!
そうです、本当に微妙な丘なんですが、分水嶺なんです。夜に走ると、車も少ないし起伏がよく分かりそうですね。ありがとうございます。
生まれも育ちも朝倉街道駅のそば(筑後川水系)です。小学校は二日市東小学校(御笠川水系)に通っていました!毎日、谷中分水嶺を越えてたんですね!確かに行きも帰りも途中まで登りでそのあと下り坂でした。
おー、分水嶺を越えて通学ですか!あの辺りだと充分あり得ますね。面白いお話ありがとうございます。行きも帰りも上って下るとは。良いですねー。
最近この動画を見つけましたまさに谷中分水嶺の筑紫野市民です御笠川水系と筑後川(宝満川)水系があるのが納得出来ずに筑紫野市に住んでて、やっと腑に落ちました。
ぜひ筑紫野の方にはご覧いただきたい動画です。見つけていただきありがとうございます。水系が2つあることに気づかれる時点で、素晴らしいですね😁谷の中に1m単位の微妙な起伏があって、そこが分水界になっているのです。面白いですよね。
まっつぁん 小学4年生まで桜台(部落の名前は永岡)に住んでいました。西鉄大牟田線の朝倉街道駅から甘木方面へ1キロ程の所に「針摺峠」というところがあります。余り高度はないがここが谷中分水嶺ではないか。宝満川からも近い。
ありがとうございます。針摺峠も谷中分水嶺の一部ですね😊️
おお! 昔から思ってましたよ、ここ分水嶺じゃねって てかうちの実家うつってるしw「小学生の頃に気が付いてたら夏休みの自由研究とかに使えたんじゃね」とか思ってましたマルキョウの辺りが御笠川水系の源流?ですね あそこから川が出来てますんで市役所辺り(数年帰ってなかったらあんな所に役場が もしかして森永の有った所か)が確か筑後川水系だったと思いますまてよ・・ 森永の排水が御笠川系に流れ込んできてたから源流は役場の辺りになるのかな?
なんとなく気づいている、というだけでも地理オタクのセンスがおありだと思います😁自由研究で取り上げるとめちゃめちゃ面白そうですね。ここはあくまでも分水嶺なので、源流は山の方にあります。御笠川の源流は宝満山の方になると思います。
@@chiri_rider あっ やっぱり「源流」ってのは違いましたか コメして暫くして「まてよあれは不味いか」とは思っていたのですが忘れてました(;^_^Aただマルキョウが立つ前はあそこは東側の石崎の丘陵?と旧3号線に囲まれた田んぼになってましてそこで湿地からの川発生って感じでしたね後 旧道・・・ 今どう表現してるんだろう(旧長崎街道?)の方だと石崎の辺りが峠になってるのがよく分かります
分水嶺がこれだけ平たいので、分水嶺で水が溜まっているのがまた独特ですね。旧長崎街道は、冷水峠から山家を通っていくので随分離れています。おそらく、旧日田街道のことかと思います。
@@chiri_rider 今グーグルアースで確認したら「日田住環朝倉街道」って書いてありますねこの道は学生の頃、自転車で甘木方面へ行くときによく使ってました
先生、漢字が違います。日田往還(おうかん)です。この日田街道の朝倉までの区間を朝倉街道とも呼ぶわけですね。
これは面白い。地理ライダーさんの面目躍如ですね。
ありがとうございます。かなり最初の方に作った動画ですが、ずっとこんな調子です笑
タモリさんとか知っていそう・・
タモリさん好きそうですね😎
糸島の瑞梅寺川と雷山川も九大糸島キャンパスの南側で左右に分かれるような地形ですね
ここは谷中分水嶺というか、もともとは島だった糸島が地続きになった平野部ですね。
長い間に瑞梅寺川と雷山川で埋まっていって糸島平野が形成され、それが伸びて九大糸島の山にぶつかって左右に別れた状況でしょうね。周船寺から北側の平野はずっと砂地で、広大な砂浜みたいなもんです。谷中分水嶺というよりは海中分水嶺とでもいえるでしょうか。
めちゃマニアックな旅でしたね!
旅というほどの距離でもありませんけどね。ありがとうございます。
兵庫県丹波市付近の加古川水系と由良川水系が、国内で最も標高が低い分水嶺であると聞いた事があります。
ありますね。もっと低い分水嶺はたくさんありますが、日本海と太平洋の谷中分水嶺としては最も低いというかなりマニアックな地点です。
丹波市にあるのは、本州で最も低い分水嶺で川が二手に分かれて流れています。最も低い分水嶺は、北海道の千歳空港付近に有ります。長良川水系と庄川水系は、源流が同じです。「水分れ」で検索すれば出てきます。
谷中分水嶺と言えば個人的にキングオブ分水嶺と思う兵庫県丹波の水別れも衝撃的ですね。あまりの勾配の少なさで、言われないと(言われても)わからない具合も筑紫野市に負けていません笑
中国山地の中には、地味な谷中分水嶺が多いんですよね〜。ぜひ見に行ってみたいです。
@@chiri_rider 地理ライダーさんは、もうとっくにご存じと思いますが、広島には丹波よりちょっと高低差はありますが谷中(中央)分水嶺と、異様に太平洋側に寄った中央分水嶺で起こる河川争奪の現場が、わりと近接してありますので、良ければ行ってみてください。地理ライダーさんの解説をいつか聞いてみたいです😀
自動車だと気付き難いけど、自転車だとつくづく実感します桜台から市役所前まで少々ペダルが重いけど、市役所あたりを通過するとペダルが軽くなります
おーなるほど。自転車だとわずかな傾斜でもすぐわかりますね。バイクだと正直ほとんど分からない差でしたが、教えていただきありがとうございます。
いやあ、勉強になりました。「谷中分水嶺」なんか小説のタイトルになりそうですね。
ありがとうございます。小説のタイトルにしてはけっこう地味ですけどね笑
自転車で走ったことあるので頂上の箇所は正しいです。近所にこんな所があったとは!驚きです!ありがとうございました(^^)
バイクなのでハッキリと体感できていなかったのですが、あっていたようでよかったです😌筑紫野ってごく普通の住宅街のイメージなので、こんな重大な地点があるとは気づきませんよね。
昔の国道三号線かな。1500年前の水城はちゃんと交通の要衝を塞ぐ役目を果たしていたと感心した記憶があります。
そうですね、旧国道三号だったはずです。現在の等高線を見ても真っ直ぐな堤が続いていて、そくこんな巨大なものを千年以上前にと感心します。
今千葉県に住んでいますが、7年前までここに住んでいました。分水嶺との指摘の場所の左にGUが見えるその手前のマンションに単身赴任していました。懐かしい土地です。分水嶺である事は知っていましたが、「谷中」とは初めて聞く言葉でした。両側から山が迫り、標高は高くないのに玄界灘と有明海を流れる気流が狭い谷を上昇しながら通過し、しばしば高地で見るような雲が立ち上っていました。
なんと、実は特別な分水嶺の上にお住まいだった、というわけですね!😁雲のことを気にされるコメント、非常に面白いです。ありがとうございます。筑紫野の辺りは、特に夏は急な雨が多いように思います。気象のことは詳しくありませんが、谷で集まった風が逃げ場を失い上にあがって上昇気流ができるんでしょうか。
令和6年8月に、このRUclipsを見ました。チャリライダーとしては、いかないかんですね。暑いから、ちょっと涼しくなって、探検しよう。
自転車乗りにも優しい、ゆるやかな峠?谷?越えです。涼しくなれば気持ちが良いと思います😊️水の運命の分かれ道、ぜひ探検してみてください。
すごい動画ありがとう❗私説*の補強になりました。*魏志倭人伝は、御笠川を上がり、そして筑後川を下ったと想像します。
邪馬台国九州説ですか。魏志倭人伝の記述を全く知りませんでしたが、そうかもしれません。久留米説でしょうか?
@@chiri_rider 様九州、特に「平塚川添遺跡」が有力かと。。。ベタですが…。 wwwタモリ的(地質、高低差)視点って、面白いですよね。また、これ↓は目から鱗ですよ↓『草書体で解く邪馬台国の謎 書道家が読む魏志倭人伝』(著:井上 悦文氏)
おお、同志が。私も魏志倭人伝の水行の一部は海でなくて川だと思っていました。ただ、御笠川から先が分からなかったんですよね。だからほんの思いつきだけで、やっぱり違うよねと思っていました。そうか、筑後川水系と接しているのか、至近距離で。
太宰府あたりに御笠川と宝満川の源流があって非常に近いので、しばしば、博多湾から有明海まで水路で繋がっていたという説が見受けられます。まあ、少なくとも太宰府政庁は御笠川を水路に使っていたのはほぼ間違いないと思います。
来年、筑紫野市役所のある石崎に引っ越すことになりましたので面白く視聴しました。他に日田街道の動画がありましたが、日田街道ではもっとしっかり分水嶺が分かったのではないかと思います。ところが残念ながらその動画では分水嶺は吹っ飛ばされてしまいました。
分水嶺にお引越しされるんですね😄日田街道の分水嶺は、確かカメラの不調で音声が取れていなくてばっさりカットした気がします。GoProはすぐ不具合を起こすのです😢
私もそこら辺に住んでいて、水害警報が出るとなんでこうなるのかなと、高尾川の平成橋あたりは、よく増水するのですよ。 それで高低差を見ていました。平野なので「分水界」だと思ってたんですが、谷中分水嶺って言うんですね。
分水界といっても正しいです。ただ、谷でも尾根でもあるという特殊な場所なので、谷中分水嶺と呼ばれます。分水界なので、水は溜まりにくいと思います。
とても面白いと思いました。別動画で、古代、御笠川系と筑後川系は筑紫野市あたりで水路でつながっていたという内容のものがありましたが、水路が運輸の要であったことを考えると、博多湾と有明海はつながっていたのですね。筑紫の語源は「尽くし」(通るのに難しいという意味)であるという説がありますが、水路的にも、地勢的(山が両側からせり出している)にも、経済的(有料の関所があった?山賊?)にも「尽くし」だったかもしれませんね。そして、吉野ケ里遺跡の位置も、そう考えると海運的優位であったり、背後に背振山系(防衛上)があったり、目の前は湿地で稲作に有利であったり、すぐそばは海(佐賀平野はほぼ海。ほぼ穏やかな良港がつくれる。遠浅だけど。)だったりして、統治者が拠点にするには有利だったような気がします。この動画をきっかけに想像が膨らみました。ありがとうございました。
御笠川水系と筑後川水系の分水嶺はほとんど起伏がなく、市街地が続いていますので、水運ができるような水路で繋がっていたのかは分かりませんが、今も排水溝などあちこちで繋がっていると思いますよ。「つくし」の地名の由来は色々言われていますね。「通るのに難しい」と仰るとおり、馬の鞍を「擦りつくす」ほどの坂があったから(筑後国風土記逸文)とか。この分水嶺の緩やかさを考えると、その坂は一体どこのことだろうと思いますが笑吉野ヶ里遺跡は謎が多いですね。なぜここなのか…当時のまともな記録がない分、逆に色々想像を膨らませられるのが面白いですね。
じぃちゃんの家映ってて帰った気分になりました。ありがとう
コメントありがとうございます!ご実家は谷中分水嶺のそばなんですね、喜んで頂きよかったです。
動画見ながら、GoogleMapで場所の確認するのが、楽しみになりました。。筑紫野市は地元ではないけど、112号線よく通る場所で、GUも知ってます。太宰府の35号線も良く通る道です。御笠川、宝満川、そー言われてみたら、真逆に流れてるんですね^ ^。
地図を見ながら楽しんでいただけているとのこと、良い楽しみ方をしていただいているようで、大変嬉しいです。住宅街で何の変哲も無い場所のようですが、実は逆方向に流れる川の境目なんです。
@@chiri_rider 動画の最後の方に「地味ですねー!」て言葉を連発されてるけど、知ってる道(場所)なだけに、私は凄く感激しながら何度も見てます^ ^
見ている皆さんにとっては地味かなあ…と思ってましたが、そう思っていただけているなら嬉しい限りです😊
水関連で水道道路特集やりませんか?
へえ、水道道路!そんな道路があるんですね。今度見に行ってみようと思います。ありがとうございます。
面白いことをする人だなあ
これを面白いと思えるのが素晴らしいことです😄
これは面白いですね❗️御笠川は御笠川水系なのに近くを流れる宝満川が筑後川水系なのでこんな所で水系が違うんだなぁとは昔から思ってましたが、分水嶺があったとは……ちょうどこの筑紫野市辺りは雨も雪も多くよく福岡市内から筑後方面に抜ける時もこの筑紫野市周辺だけ大雨……という事もしょっちゅうwしかしこれが同じ水系だと豪雨の時はもっと被害が甚大になっていた可能性も?違う水系により雨水が博多湾と有明海に分散され被害が同じ水系だった場合に比べて被害が抑えられてるのかもしれませんね。
水系が変わる=分水界が存在するということで、微妙な起伏ですがどこかに分水界があるんです。筑紫野周辺は山が狭まっているからか、雨が多いですよね。僕もそう感じます。水害については流域の面積と環境(森林なのか、田んぼなのか、宅地なのか…)によって大きく変わりますね。御笠川の宅地率は約70%と連続した市街地になっているので、森林に比べると浸透能は低いですが、流域が分断されているので、雨水が2つの河川に分散することで被害が軽減されている、という面は間違いなくあると思います。
お疲れ様です。😄😄筑紫野市の天拝坂というところに住んでいます。私も前から気になって、周りの者に説明するのですが、(ほー)とか(おー)とか言っていますが、いまいち反応が鈍いです。😂😂😂ただ、意外と重要だなと思ったのは、線上降水帯などで大雨が降った時に普段はどっちに流れているか分からないような溝みたいな川があふれる事があるからです。 近くに住んでいるならば、頭に入れていたほうがいいような気がします。ちなみに家の横の、天拝の湯の下(天拝山の北側)に流れている小さな川はJR二日市駅の近所を通って博多湾へ、勤務先の天拝湖(福岡市の飲料水)の横の山口川は豊満川に合流して有明海に流れています。天拝湖は上流から流れ込む水はほぼゼロなので、筑後川から取水してポンプアップして貯水しています、その大きなパイプが古くなったので、横に新たなパイプの設置工事をしているようです。 水資源公団がやっていますので、国の仕事です。近くに来たら寄って下さい。古いバイクがあります。人間も古いですけど!✌️✌️✌️
筑紫野の谷中分水嶺は完全に都市化していて、ぱっと見では起伏がさっぱり分からないのでピンとこないかもしれません。今は線状降水帯が頻繁にやって来ますから、どこでも気をつけないといけませんね。天拝坂は知っています。人工の池があったと思いますが、あそこのことですかね?汲み上げ式の溜池になっていたとは、面白いですね。あのあたりは通過してしまいがちですので、情報ありがとうございます😁
谷でも標高が高いとこなのかな、
そうです。谷なのに標高が高く、尾根にもなっているというのが面白いですね。
佐賀県有田町と長崎県佐世保市の国道35号線、JR九州佐世保線の県境も谷中分水嶺ですね!
そうです、仰るとおり有田の辺りにも谷中分水嶺が続いていますよ。
大野城在住のバイク乗りです。最初の城跡も行った事がなく激戦があった場所だったのですね。大変面白かったですが、分水嶺がまさかに地元にしかもこんな珍しい形であるとは、知りませんでした。はじめ動画を拝見しましたが、とても面白かったです。
嗚呼壮烈、岩屋城址…らしいですが、「大野城」の地名の由来も、この辺りの山城ですよ。谷間に分水「嶺」があるなんて思いもしませんよね。ありがとうございます。
@@chiri_rider 近くの新たな面白さを探していたらたどり着いた動画で大変参考になりました。ありがとうございます。
岩屋城は立花宗茂が新宮立花山の立花道雪に養子に行くまで住んでた城ですよ。後に柳川藩立花家で、弟は、宝満山にある宝満城に居城、後に三池藩立花家と成ります。うろ覚えですけど、初代学習院大学の初代学長だったと思います。
川の流れが、二手に分かれて流れているのが見たかった。
筑紫野には、二手に流れる川、という分かりやすいものはないと思います。(あるのでしたらすみません)
排水溝があっちとこっちに流れる、ぐらいのところです。
(2年前の動画が急におすすめに上がってきたのでコメント)
「太古の昔、筑後川は博多湾に流れていた」という話を何処かで聞いたのですが、ネットを探しても文献がないのです。
ただ、何かをきっかけに筑紫野市内の地殻が盛り上がって筑後川が北に流れられなくなり、徐々に流れが南に変わって行って今の位置に落ち着いた、
と考えれば、国道386号付近の地形がなだらかなのも、大きな川が流れ込まないのに筑紫平野が形成されたもの自分的には納得できるんですよね。
筑紫野の辺りが平坦であれば流れていたかもしれませんが、どうなんでしょう。僕も資料は見つけられず😢
筑後川がかなり流路を変えながら流れていたことは確かで、その痕跡が河岸段丘に残っています。
ちなみに、国道386号付近がなだらかなのは、山が崩れてきた段丘や扇状地が広がっているからです。川というより、山によって作られた地形ですね。
この地味な谷中分水嶺をバイク目線で検証する天才動画ですね。
ありがとうございます😊️
谷中分水嶺は日本全国にありますが、ここまで住宅街でみっちりなのは珍しいのです。
太宰府の、筑紫野市との境に近いところに住んでいました。
小学校の社会の授業で目の前の川が御笠川水系で博多湾に注ぐのを教わり子供ながら驚きで、
翻って裏山の住宅街を越えると全て宝満川有明海に注ぐことに気が付き、1人悦に入っていました。
あれから40年ほどしてコンビニの前でタバコをふかしているとその日は大雨でそのことをふと思い出しました。
いい動画だと思います。
おー、小学校の時に随分マニアックなことに気づきましたね。
僕も小学生の頃、地図帳で川や線路を追いかけるのが大好きでした。
ありがとうございます。
私の立っていたコンビニの場所が谷中分水嶺のようです。
今回のバイク動画は映った瞬間にどこか判ってしまうほどの地元民でした。
30年以上離れてしまい、懐かしい光景でした。
筑紫野市に住んでいる地形大好き親父ですが、全く知りませんでした。貴重な動画ありがとうございます。
ご視聴ありがとうございます!
実は僕も知ったのは最近で、先日見に行きました。知っている場所に意外な珍しさがあると面白いですね。
山口川は筑後川に合流して有明海。高尾川は御笠川に合流して博多湾。山口川と高尾川はほんとに近いのに注ぐ海が違う。これには以前からロマンを感じておりました。
分水界には小高い場所があるだけなのですが、ほんの少しの違いで全然違うのが面白いですよね。水の運命の分かれ目です。
筑紫野市民です。最近こちらの動画を拝見しました。
天拝山駅から役所方面が上り坂で途中から下になってるのは気がついていましたが、この高さで分水領だったとは!
もし機会があれば夜の車が少ない時間帯に天拝山駅側から市役所に向かって走ってみてください。坂になってるのがよりはっきりわかりますよ!
そうです、本当に微妙な丘なんですが、分水嶺なんです。
夜に走ると、車も少ないし起伏がよく分かりそうですね。ありがとうございます。
生まれも育ちも朝倉街道駅のそば(筑後川水系)です。小学校は二日市東小学校(御笠川水系)に通っていました!
毎日、谷中分水嶺を越えてたんですね!確かに行きも帰りも途中まで登りでそのあと下り坂でした。
おー、分水嶺を越えて通学ですか!
あの辺りだと充分あり得ますね。面白いお話ありがとうございます。
行きも帰りも上って下るとは。良いですねー。
最近この動画を見つけました
まさに谷中分水嶺の筑紫野市民です
御笠川水系と筑後川(宝満川)水系があるのが納得出来ずに筑紫野市に住んでて、やっと腑に落ちました。
ぜひ筑紫野の方にはご覧いただきたい動画です。見つけていただきありがとうございます。
水系が2つあることに気づかれる時点で、素晴らしいですね😁
谷の中に1m単位の微妙な起伏があって、そこが分水界になっているのです。面白いですよね。
まっつぁん 小学4年生まで桜台(部落の名前は永岡)に住んでいました。西鉄大牟田線の朝倉街道駅から甘木方面へ1キロ程の所に「針摺峠」というところがあります。余り高度はないがここが谷中分水嶺ではないか。宝満川からも近い。
ありがとうございます。
針摺峠も谷中分水嶺の一部ですね😊️
おお! 昔から思ってましたよ、ここ分水嶺じゃねって てかうちの実家うつってるしw
「小学生の頃に気が付いてたら夏休みの自由研究とかに使えたんじゃね」とか思ってました
マルキョウの辺りが御笠川水系の源流?ですね あそこから川が出来てます
んで市役所辺り(数年帰ってなかったらあんな所に役場が もしかして森永の有った所か)
が確か筑後川水系だったと思います
まてよ・・ 森永の排水が御笠川系に流れ込んできてたから源流は役場の辺りになるのかな?
なんとなく気づいている、というだけでも地理オタクのセンスがおありだと思います😁
自由研究で取り上げるとめちゃめちゃ面白そうですね。
ここはあくまでも分水嶺なので、源流は山の方にあります。御笠川の源流は宝満山の方になると思います。
@@chiri_rider あっ やっぱり「源流」ってのは違いましたか コメして暫くして「まてよあれは不味いか」とは
思っていたのですが忘れてました(;^_^A
ただマルキョウが立つ前はあそこは東側の石崎の丘陵?と旧3号線に囲まれた田んぼになってまして
そこで湿地からの川発生って感じでしたね
後 旧道・・・ 今どう表現してるんだろう(旧長崎街道?)の方だと石崎の辺りが峠になってるのがよく分かります
分水嶺がこれだけ平たいので、分水嶺で水が溜まっているのがまた独特ですね。
旧長崎街道は、冷水峠から山家を通っていくので随分離れています。
おそらく、旧日田街道のことかと思います。
@@chiri_rider 今グーグルアースで確認したら「日田住環朝倉街道」って書いてありますね
この道は学生の頃、自転車で甘木方面へ行くときによく使ってました
先生、漢字が違います。日田往還(おうかん)です。
この日田街道の朝倉までの区間を朝倉街道とも呼ぶわけですね。
これは面白い。地理ライダーさんの面目躍如ですね。
ありがとうございます。
かなり最初の方に作った動画ですが、ずっとこんな調子です笑
タモリさんとか知っていそう・・
タモリさん好きそうですね😎
糸島の瑞梅寺川と雷山川も九大糸島キャンパスの南側で左右に分かれるような地形ですね
ここは谷中分水嶺というか、もともとは島だった糸島が地続きになった平野部ですね。
長い間に瑞梅寺川と雷山川で埋まっていって糸島平野が形成され、それが伸びて九大糸島の山にぶつかって左右に別れた状況でしょうね。周船寺から北側の平野はずっと砂地で、広大な砂浜みたいなもんです。谷中分水嶺というよりは海中分水嶺とでもいえるでしょうか。
めちゃマニアックな旅でしたね!
旅というほどの距離でもありませんけどね。ありがとうございます。
兵庫県丹波市付近の加古川水系と由良川水系が、国内で最も標高が低い分水嶺であると聞いた事があります。
ありますね。もっと低い分水嶺はたくさんありますが、
日本海と太平洋の谷中分水嶺としては最も低い
というかなりマニアックな地点です。
丹波市にあるのは、本州で最も低い分水嶺で川が二手に分かれて流れています。
最も低い分水嶺は、北海道の千歳空港付近に有ります。
長良川水系と庄川水系は、源流が同じです。
「水分れ」で検索すれば出てきます。
谷中分水嶺と言えば個人的にキングオブ分水嶺と思う兵庫県丹波の水別れも衝撃的ですね。
あまりの勾配の少なさで、言われないと(言われても)わからない具合も筑紫野市に負けていません笑
中国山地の中には、地味な谷中分水嶺が多いんですよね〜。
ぜひ見に行ってみたいです。
@@chiri_rider
地理ライダーさんは、もうとっくにご存じと思いますが、広島には丹波よりちょっと高低差はありますが谷中(中央)分水嶺と、
異様に太平洋側に寄った中央分水嶺で起こる河川争奪の現場が、わりと近接してありますので、良ければ行ってみてください。
地理ライダーさんの解説をいつか聞いてみたいです😀
自動車だと気付き難いけど、自転車だとつくづく実感します
桜台から市役所前まで少々ペダルが重いけど、市役所あたりを通過するとペダルが軽くなります
おーなるほど。自転車だとわずかな傾斜でもすぐわかりますね。
バイクだと正直ほとんど分からない差でしたが、教えていただきありがとうございます。
いやあ、勉強になりました。「谷中分水嶺」なんか小説のタイトルになりそうですね。
ありがとうございます。
小説のタイトルにしてはけっこう地味ですけどね笑
自転車で走ったことあるので頂上の箇所は正しいです。近所にこんな所があったとは!驚きです!ありがとうございました(^^)
バイクなのでハッキリと体感できていなかったのですが、あっていたようでよかったです😌
筑紫野ってごく普通の住宅街のイメージなので、こんな重大な地点があるとは気づきませんよね。
昔の国道三号線かな。1500年前の水城はちゃんと交通の要衝を塞ぐ役目を果たしていたと感心した記憶があります。
そうですね、旧国道三号だったはずです。
現在の等高線を見ても真っ直ぐな堤が続いていて、そくこんな巨大なものを千年以上前にと感心します。
今千葉県に住んでいますが、7年前までここに住んでいました。分水嶺との指摘の場所の左にGUが見えるその手前のマンションに単身赴任していました。
懐かしい土地です。分水嶺である事は知っていましたが、「谷中」とは初めて聞く言葉でした。両側から山が迫り、標高は高くないのに玄界灘と有明海を流れる気流が狭い谷を上昇しながら通過し、しばしば高地で見るような雲が立ち上っていました。
なんと、実は特別な分水嶺の上にお住まいだった、というわけですね!😁
雲のことを気にされるコメント、非常に面白いです。ありがとうございます。
筑紫野の辺りは、特に夏は急な雨が多いように思います。
気象のことは詳しくありませんが、谷で集まった風が逃げ場を失い上にあがって上昇気流ができるんでしょうか。
令和6年8月に、この
RUclipsを見ました。
チャリライダーとしては、
いかないかんですね。
暑いから、ちょっと
涼しくなって、探検しよう。
自転車乗りにも優しい、ゆるやかな峠?谷?越えです。
涼しくなれば気持ちが良いと思います😊️
水の運命の分かれ道、ぜひ探検してみてください。
すごい動画ありがとう❗
私説*の補強になりました。
*魏志倭人伝は、御笠川を上がり、そして筑後川を下ったと想像します。
邪馬台国九州説ですか。魏志倭人伝の記述を全く知りませんでしたが、そうかもしれません。
久留米説でしょうか?
@@chiri_rider 様
九州、特に「平塚川添遺跡」が有力かと。。。
ベタですが…。 www
タモリ的(地質、高低差)視点って、面白いですよね。
また、これ↓は目から鱗ですよ↓
『草書体で解く邪馬台国の謎 書道家が読む魏志倭人伝』(著:井上 悦文氏)
おお、同志が。私も魏志倭人伝の水行の一部は海でなくて川だと思っていました。ただ、御笠川から先が分からなかったんですよね。だからほんの思いつきだけで、やっぱり違うよねと思っていました。そうか、筑後川水系と接しているのか、至近距離で。
太宰府あたりに御笠川と宝満川の源流があって非常に近いので、しばしば、博多湾から有明海まで水路で繋がっていたという説が見受けられます。まあ、少なくとも太宰府政庁は御笠川を水路に使っていたのはほぼ間違いないと思います。
来年、筑紫野市役所のある石崎に引っ越すことになりましたので面白く視聴しました。他に日田街道の動画がありましたが、日田街道ではもっとしっかり分水嶺が分かったのではないかと思います。ところが残念ながらその動画では分水嶺は吹っ飛ばされてしまいました。
分水嶺にお引越しされるんですね😄
日田街道の分水嶺は、確かカメラの不調で音声が取れていなくてばっさりカットした気がします。GoProはすぐ不具合を起こすのです😢
私もそこら辺に住んでいて、水害警報が出るとなんでこうなるのかなと、高尾川の平成橋あたりは、よく増水するのですよ。 それで高低差を見ていました。
平野なので「分水界」だと思ってたんですが、谷中分水嶺って言うんですね。
分水界といっても正しいです。
ただ、谷でも尾根でもあるという特殊な場所なので、谷中分水嶺と呼ばれます。
分水界なので、水は溜まりにくいと思います。
とても面白いと思いました。別動画で、古代、御笠川系と筑後川系は筑紫野市あたりで水路でつながっていたという内容のものがありましたが、水路が運輸の要であったことを考えると、博多湾と有明海はつながっていたのですね。筑紫の語源は「尽くし」(通るのに難しいという意味)であるという説がありますが、水路的にも、地勢的(山が両側からせり出している)にも、経済的(有料の関所があった?山賊?)にも「尽くし」だったかもしれませんね。そして、吉野ケ里遺跡の位置も、そう考えると海運的優位であったり、背後に背振山系(防衛上)があったり、目の前は湿地で稲作に有利であったり、すぐそばは海(佐賀平野はほぼ海。ほぼ穏やかな良港がつくれる。遠浅だけど。)だったりして、統治者が拠点にするには有利だったような気がします。この動画をきっかけに想像が膨らみました。ありがとうございました。
御笠川水系と筑後川水系の分水嶺はほとんど起伏がなく、市街地が続いていますので、
水運ができるような水路で繋がっていたのかは分かりませんが、今も排水溝などあちこちで繋がっていると思いますよ。
「つくし」の地名の由来は色々言われていますね。「通るのに難しい」と仰るとおり、馬の鞍を「擦りつくす」ほどの坂があったから(筑後国風土記逸文)とか。
この分水嶺の緩やかさを考えると、その坂は一体どこのことだろうと思いますが笑
吉野ヶ里遺跡は謎が多いですね。なぜここなのか…当時のまともな記録がない分、逆に色々想像を膨らませられるのが面白いですね。
じぃちゃんの家映ってて帰った気分になりました。ありがとう
コメントありがとうございます!ご実家は谷中分水嶺のそばなんですね、喜んで頂きよかったです。
動画見ながら、GoogleMapで場所の確認するのが、
楽しみになりました。。
筑紫野市は地元ではないけど、
112号線よく通る場所で、
GUも知ってます。
太宰府の35号線も良く通る道です。
御笠川、宝満川、そー言われてみたら、
真逆に流れてるんですね^ ^。
地図を見ながら楽しんでいただけているとのこと、
良い楽しみ方をしていただいているようで、大変嬉しいです。
住宅街で何の変哲も無い場所のようですが、実は逆方向に流れる川の境目なんです。
@@chiri_rider
動画の最後の方に「地味ですねー!」て言葉を連発されてるけど、知ってる道(場所)なだけに、
私は凄く感激しながら何度も見てます^ ^
見ている皆さんにとっては地味かなあ…と思ってましたが、
そう思っていただけているなら嬉しい限りです😊
水関連で水道道路特集やりませんか?
へえ、水道道路!そんな道路があるんですね。今度見に行ってみようと思います。ありがとうございます。
面白いことをする人だなあ
これを面白いと思えるのが素晴らしいことです😄
これは面白いですね❗️
御笠川は御笠川水系なのに近くを流れる宝満川が筑後川水系なのでこんな所で水系が違うんだなぁ
とは昔から思ってましたが、分水嶺があったとは……
ちょうどこの筑紫野市辺りは雨も雪も多くよく福岡市内から筑後方面に抜ける時もこの筑紫野市周辺だけ大雨……
という事もしょっちゅうw
しかしこれが同じ水系だと豪雨の時はもっと被害が甚大になっていた可能性も?
違う水系により雨水が博多湾と有明海に分散され被害が同じ水系だった場合に比べて被害が抑えられてるのかもしれませんね。
水系が変わる=分水界が存在するということで、微妙な起伏ですがどこかに分水界があるんです。
筑紫野周辺は山が狭まっているからか、雨が多いですよね。僕もそう感じます。
水害については流域の面積と環境(森林なのか、田んぼなのか、宅地なのか…)によって大きく変わりますね。
御笠川の宅地率は約70%と連続した市街地になっているので、森林に比べると浸透能は低いですが、
流域が分断されているので、雨水が2つの河川に分散することで被害が軽減されている、という面は間違いなくあると思います。
お疲れ様です。😄😄
筑紫野市の天拝坂というところに住んでいます。
私も前から気になって、周りの者に説明するのですが、(ほー)とか(おー)とか言っていますが、いまいち反応が鈍いです。😂😂😂
ただ、意外と重要だなと思ったのは、線上降水帯などで大雨が降った時に普段はどっちに流れているか分からないような溝みたいな川があふれる事があるからです。 近くに住んでいるならば、頭に入れていたほうがいいような気がします。
ちなみに家の横の、天拝の湯の下(天拝山の北側)に流れている小さな川はJR二日市駅の近所を通って博多湾へ、勤務先の天拝湖(福岡市の飲料水)の横の山口川は豊満川に合流して有明海に流れています。
天拝湖は上流から流れ込む水はほぼゼロなので、筑後川から取水してポンプアップして貯水しています、その大きなパイプが古くなったので、横に新たなパイプの設置工事をしているようです。 水資源公団がやっていますので、国の仕事です。
近くに来たら寄って下さい。
古いバイクがあります。
人間も古いですけど!✌️✌️✌️
筑紫野の谷中分水嶺は完全に都市化していて、ぱっと見では起伏がさっぱり分からないのでピンとこないかもしれません。
今は線状降水帯が頻繁にやって来ますから、どこでも気をつけないといけませんね。
天拝坂は知っています。人工の池があったと思いますが、あそこのことですかね?
汲み上げ式の溜池になっていたとは、面白いですね。あのあたりは通過してしまいがちですので、情報ありがとうございます😁
谷でも標高が高いとこなのかな、
そうです。谷なのに標高が高く、尾根にもなっているというのが面白いですね。
佐賀県有田町と長崎県佐世保市の国道35号線、JR九州佐世保線の県境も谷中分水嶺ですね!
そうです、仰るとおり有田の辺りにも谷中分水嶺が続いていますよ。
大野城在住のバイク乗りです。最初の城跡も行った事がなく激戦があった場所だったのですね。大変面白かったですが、分水嶺がまさかに地元にしかもこんな珍しい形であるとは、知りませんでした。
はじめ動画を拝見しましたが、とても面白かったです。
嗚呼壮烈、岩屋城址…らしいですが、「大野城」の地名の由来も、この辺りの山城ですよ。
谷間に分水「嶺」があるなんて思いもしませんよね。ありがとうございます。
@@chiri_rider 近くの新たな面白さを探していたらたどり着いた動画で大変参考になりました。ありがとうございます。
岩屋城は立花宗茂が新宮立花山の立花道雪に養子に行くまで住んでた城ですよ。後に柳川藩立花家で、弟は、宝満山にある宝満城に居城、後に三池藩立花家と成ります。うろ覚えですけど、初代学習院大学の初代学長だったと思います。