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自宅の前が貸本屋さんでした。五円で店の番台にすわつて本を読み十円で本を自宅に持ち帰りできて翌日返しにいつてました。楳図かずおさんの漫画怖かったけどつい手にとつてました。手塚治虫さんの漫画に一番夢中でしたね。後から出て来た白土三平さんの忍者武芸帖は衝撃でした。😊
ご苦労様でした。こうした文化の潮流の最中にあり、熱烈な支持をしていたという自負はありつつもこのような大業にお目にかかることができるとは思いませんでした。古きにどっぷり浸かっているためこうしたことは紙媒体でしか成せないものと思い込んでいました。動画媒体でカウンターカルチャー、サブカルチャー史が見られるとは。恐れ入りました。他の動画も拝見させていただきます。
素晴らしい編集です!戦前の漫画文化をここまでよくまとめてくださいました。とても参考になります。
確か、小学4年〜5年頃母ちゃんが貸本屋をやってました。1年も続かなかった!懐かしい。今73歳です。
敬愛する楳図かずお先生!いつまでもお元気で🙇
町に2件の貸本屋がありました。本を買って貰えないので貸本屋によく通っていました。月刊誌の付録も買ったりしていました。
私の小学生低学年の頃、近所に貸本屋が数軒ありましたな。手塚治虫の「0マン」はハードカバー本で、全巻(3巻くらい?)読みました。私は当時はギャグマンガ派で、山根赤鬼、青鬼の「よたろう君」を借りて読んでました。小学校高学年になると今のサイズ装丁のコミック本が出版されるようになって、白土三平の「カムイ伝」「真田剣流」を全巻読破しました。
貸本屋 オキナワだから…なかったのかな? 年配の方に聞いても…貸本屋⁉️って反応ですネ😭
東京ですが、近所に貸本屋が二軒ありました。月刊誌や週刊誌の本誌は本屋で立読み、「ふろく本」は貸本屋で借りました。「影」等では大阪がよく出てきた理由が今日の動画で理解できました。小学生時代の良い思い出です。UP有難う御座います。
Upありがとうございます 私も貸本漫画で育った世代です 紹介されている漫画ほとんど読んだことがあります。しかも当時のオリジナル!の 影 や 街 等の漫画今も大切に保存しています! 私は特に 永島慎二先生の青春物が好きでした 勿論 さいとうたかお 佐藤まさあき 辰巳ヨシヒロ 平田弘司先生達の作品も沢山読みました 台風五郎シリーズ!わかる人いますか?😊😊😊
大成功した今から振り返れば、まあ才能あったから。で、済ましがちですが。水木先生の前向きさ、創作者としてのバイタリティは本当に凄く尊敬に値します。時代に翻弄され、戦争に召集され片腕無くしても、失望したり運命をうらんだりせず、あれほどの質と量の仕事をされる、というのは本当に凄い。自分もウエブの片隅にマンガを発表していますが、作家としても人としても本当に見習いたい方ですね。しかも90代まで活躍されたのですから、もう脱帽です。
小学校低学年の時、毎日のように貸本屋で漫画を借りて夢中で読みました。住所、名前の確認は、米穀通帳を持って行きました。借り賃は1回5円でした。そのうち読む対象が貸本から月刊誌に移り、週刊誌が出て週刊誌に移りましたが、中学生になると漫画は卒業という風潮があり、漫画は読まなくなりました。懐かしい貸本屋の動画を制作して頂き、有難うございました。
実は私の父も貸本漫画時代の漫画家「北条ひでお」だった。鶴書房や東京漫画出版から刊行された貸本漫画が家にある。父からも少年漫画雑誌の時代に変わって貸本では飯が食えなくなった事が筆を折った理由と聞いた。5~60年代にこれほど貸本が隆盛を極めていたとは知らなかったが、その頃が父にとっても青春時代だったんだなぁ。
私は、貸本漫画が好きで読んでいます。北条秀夫先生の漫画を当時読んでいたわけではありませんが、数冊手に入れて読みました。貸本漫画全般に言えることですが、特に1950年代あたりのものは中々手に入りません。先生の漫画は素晴らしい描写力と構図で飽きません。そのような実力を持っていても筆を折ってしまう厳しい世界なんですね。先生はお元気でしょうか。
よくまとめられています。貸本世代でしたので懐かしく鑑賞いたしました。鉄腕アトムや鉄人28合は少年雑誌「少年画報」ほかなどで愛読しました。懐かしい話です。
「鉄人28号」も「鉄腕アトム」も連載は光文社の「少年」です。
動画見たらちゃんと出ているじゃないですか。取り下げます。
自分は貸本→週刊少年漫画誌の時代に育った齡70の者です。貸本での記憶はほぼありませんが、「ロボット三等兵」はかすかな記憶があります。サンデーやマガジンが少年向けに毎週発売される様になって小学校での貸し借りが多くなって自分はサンデー、友達はマガジン、月刊少年などを買っていました。床屋では待ち時間に「ぼくら」や「少年画報」をむさぼり読んでいました。こども向け漫画週刊誌の表紙が読売巨人軍の長嶋茂雄選手や大相撲横綱朝潮関が載っているのも時代を感じます。当時社会が長島さんや朝潮関を好んでいたのがよく分かります。懐かしい思い出を動画にしてくれてありがとうございます。
良い動画ですね。この様な仕事をなさる方をずっと待っていたような気がします☺
レアな内容の動画ですね。都内で少女漫画研究を行っており同時にわたくしは、貸本歴史マニアが読む 貸本マンガ研究誌精読者です。劇画工房の方がた 裏トキワ荘グループ いい味出しています。世間ではトキワ荘 そうそうたる重鎮漫画家を生んだが メジャーですが(個人的には時代とリンクした エッジのきいた太い描線の 現在もご健在つのだじろう氏は大好きです。)今は知る方もいなくなった K・元美津氏のファンです。メジャーな方では辰巳さんや佐藤まさあき氏のストリーテラーが好きです。早く漫画を描くのを山られた松本正彦氏 劇画工房とはかかわりが薄いようでしたがその漫画人生グッとくるものがあります。劇画工房とは直接かかわっておられないようでしたが有名なりぼん誌で活躍された埼玉県草加にお住まいだった5年ひばり組 巴里夫氏作品は大好きです。
昭和36年(1961年)生まれです。子供時代、大宮市(今のさいたま市)に住んでいました。当時地元で一番大きな病院に妹が交通事故で長期入院し、小学校低学年だった自分は毎週親と病院に通いましたが、その病院の目の前に小さな貸本屋があったことを覚えています。怪奇漫画(水木しげる先生だったかも?)を借りて読んでいました。子供時代の記憶を辿っても、それ以外に貸本屋の記憶がありません。あの頃がギリギリ貸本屋の時代だったのかな?と思います。
平田弘史さんの時代劇劇画が大好きでした、貸本屋さんで、魔像で読みました懐かしいです❗
佐藤まさあき先生のファンです。稚拙なタッチでしたけど、怨念・憎悪・哀愁という負の情感が、社会的でリアリティを感じました。。
本日、初めてこちらのチャンネルを拝見しました。敗戦後の公職追放が、漫画編集者にも及んだ事。『赤本』という言葉の意味。それらを、この動画で初めて知りました。
古い漫画だと高をくくっていたら今では全くない人間描写 社会風刺 心に響く作品の数々に衝撃を受けました当時の描写そのままで完全復活で復刊してほしいですね 全部みたいわ~~~😭
今65ですが貸まんが家通い詰めてました、ロボット3等兵大好きでした。
小さい時、散髪屋の待合に貸本漫画が置いてありどちらかと言うと大人向けのイメージがありました。黒っぽい背表紙で劇画調の貸本漫画がなぜか怖くて少年雑誌の方を読んでた記憶があります。年齢がいってあれ読みたいなあと思ったころにはもう時代が変わっていて貸本屋も無くなり見かけなくなりました。
私の近くでは、駄菓子屋と貸本屋が一緒になっていて少ない小遣いの全てを投入して通った思い出。
昭和31(1956)年生まれです。当時の貸本屋では時代劇やミステリー作品は子供心に怖くて、野球まんがなんかを借りていました。懐かしいなぁ。
おもちゃと一緒で昔の電話帳頼りに貸本屋調べて昭和40年代から50年代にマニアが日本中探しまくってましたね。 初代まんだらけ社長が言ってました。
うーん、懐かしくも面白かったです。まさに、幼少期から青年期へ、の時代でした。
今まで色々漫画を読んできました、楳図かずお・古賀新一・水木しげる・白土三平先生・・・等恐い漫画も読みましたが一番印象に残っている怖い・恐ろしくてそしてグロかった漫画は、平田弘史先生の「血だるま剣法」と「つんではくずし」です。あの時代だから書けたのか、青少年に見せる漫画ではなかったと思います。
「血だるま剣法」は部落解放同盟の抗議(と言うか脅し)によって絶版、回収になりました。でも、少年の私もあの作品の載った「魔像」を近所の床屋で読み、トラウマ級の衝撃を受けました。
平田弘史先生の絵がうまくて感心しました。
私の好きな貸本漫画は、水木しげるさんの「地底の足音」です。
ギリギリ貸本屋は存在してたね。 でも貸本と言っても普通に売ってる本をお小遣いで安く借りられる位の70年代後半ですわ。で、普通に本屋に行くと復刻版で「黄金バット」が 小さい頃テレビで見たのとあまりに違う! コドモには値段が高くて買えず
漫画雑誌の源流として興味深いです…
創刊(1959)時点の読者層が小学4年~中学2年と推定すると、彼らは現在75~79歳(1945~1949年生)。少なくとも団塊から昭和30年代前半生まれまでは、別に親に言われずとも自然に中学入学と同時に漫画雑誌は「引退」していた。
今の漫画作家も劇画を真似れば良いのに。皆んなおんなじ顔だから
平田弘史「つんではくずし」😮佐藤 まさあき「堕靡泥の星」😮さいとうたかお「武芸紀行」😮
単行本は5円で借りていた。影、オッスなど
30年くらい前には、無名の多くの貸本漫画は古本屋にたくさん並んでいてしかも激安だったけど今はどうかな
宮原啓一、悲しき少年ジュリアン、佐藤まさあき、苦い札束 佐藤先生は足元を描くのが苦手みたい
大阪府警
自宅の前が貸本屋さんでした。五円で店の番台にすわつて本を読み十円で本を自宅に持ち帰りできて翌日返しにいつてました。楳図かずおさんの漫画怖かったけどつい手にとつてました。手塚治虫さんの漫画に一番夢中でしたね。後から出て来た白土三平さんの忍者武芸帖は衝撃でした。😊
ご苦労様でした。こうした文化の潮流の最中にあり、熱烈な支持をしていたという自負はありつつも
このような大業にお目にかかることができるとは思いませんでした。古きにどっぷり浸かっているため
こうしたことは紙媒体でしか成せないものと思い込んでいました。動画媒体でカウンターカルチャー、
サブカルチャー史が見られるとは。恐れ入りました。他の動画も拝見させていただきます。
素晴らしい編集です!
戦前の漫画文化をここまでよくまとめてくださいました。
とても参考になります。
確か、小学4年〜5年頃母ちゃんが貸本屋をやってました。1年も続かなかった!懐かしい。今73歳です。
敬愛する楳図かずお先生!いつまでもお元気で🙇
町に2件の貸本屋がありました。本を買って貰えないので貸本屋によく通っていました。
月刊誌の付録も買ったりしていました。
私の小学生低学年の頃、近所に貸本屋が数軒ありましたな。手塚治虫の「0マン」はハードカバー本で、全巻(3巻くらい?)読みました。私は当時はギャグマンガ派で、山根赤鬼、青鬼の「よたろう君」を借りて読んでました。小学校高学年になると今のサイズ装丁のコミック本が出版されるようになって、白土三平の「カムイ伝」「真田剣流」を全巻読破しました。
貸本屋 オキナワだから…なかったのかな? 年配の方に聞いても…貸本屋⁉️って反応ですネ😭
東京ですが、近所に貸本屋が二軒ありました。
月刊誌や週刊誌の本誌は本屋で立読み、「ふろく本」は貸本屋で借りました。
「影」等では大阪がよく出てきた理由が今日の動画で理解できました。
小学生時代の良い思い出です。UP有難う御座います。
Upありがとうございます 私も貸本漫画で育った世代です 紹介されている漫画ほとんど読んだことがあります。しかも当時のオリジナル!の 影 や 街 等の漫画今も大切に保存しています! 私は特に 永島慎二先生の青春物が好きでした 勿論 さいとうたかお 佐藤まさあき 辰巳ヨシヒロ 平田弘司先生達の作品も沢山読みました 台風五郎シリーズ!わかる人いますか?😊😊😊
大成功した今から振り返れば、まあ才能あったから。で、済ましがちですが。水木先生の前向きさ、創作者としてのバイタリティは本当に凄く尊敬に値します。時代に翻弄され、
戦争に召集され片腕無くしても、失望したり運命をうらんだりせず、あれほどの質と量の仕事をされる、というのは本当に凄い。自分もウエブの片隅にマンガを発表していますが、
作家としても人としても本当に見習いたい方ですね。しかも90代まで活躍されたのですから、もう脱帽です。
小学校低学年の時、毎日のように貸本屋で漫画を借りて夢中で読みました。
住所、名前の確認は、米穀通帳を持って行きました。借り賃は1回5円でした。
そのうち読む対象が貸本から月刊誌に移り、週刊誌が出て週刊誌に移りましたが、
中学生になると漫画は卒業という風潮があり、漫画は読まなくなりました。
懐かしい貸本屋の動画を制作して頂き、有難うございました。
実は私の父も貸本漫画時代の漫画家「北条ひでお」だった。鶴書房や東京漫画出版から刊行された貸本漫画が家にある。
父からも少年漫画雑誌の時代に変わって貸本では飯が食えなくなった事が筆を折った理由と聞いた。
5~60年代にこれほど貸本が隆盛を極めていたとは知らなかったが、その頃が父にとっても青春時代だったんだなぁ。
私は、貸本漫画が好きで読んでいます。北条秀夫先生の漫画を当時読んでいたわけではありませんが、数冊手に入れて読みました。貸本漫画全般に言えることですが、特に1950年代あたりのものは中々手に入りません。先生の漫画は素晴らしい描写力と構図で飽きません。そのような実力を持っていても筆を折ってしまう厳しい世界なんですね。先生はお元気でしょうか。
よくまとめられています。貸本世代でしたので懐かしく鑑賞いたしました。鉄腕アトムや鉄人28合は少年雑誌「少年画報
」ほかなどで愛読しました。懐かしい話です。
「鉄人28号」も「鉄腕アトム」も連載は光文社の「少年」です。
動画見たらちゃんと出ているじゃないですか。
取り下げます。
自分は貸本→週刊少年漫画誌の時代に育った齡70の者です。貸本での記憶はほぼ
ありませんが、「ロボット三等兵」はかすかな記憶があります。
サンデーやマガジンが少年向けに毎週発売される様になって小学校での貸し借りが
多くなって自分はサンデー、友達はマガジン、月刊少年などを買っていました。
床屋では待ち時間に「ぼくら」や「少年画報」をむさぼり読んでいました。
こども向け漫画週刊誌の表紙が読売巨人軍の長嶋茂雄選手や大相撲横綱朝潮関が
載っているのも時代を感じます。当時社会が長島さんや朝潮関を好んでいたのが
よく分かります。懐かしい思い出を動画にしてくれてありがとうございます。
良い動画ですね。この様な仕事をなさる方をずっと待っていたような気がします☺
レアな内容の動画ですね。都内で少女漫画研究を行っており同時に
わたくしは、貸本歴史マニアが読む 貸本マンガ研究誌精読者です。
劇画工房の方がた 裏トキワ荘グループ いい味出しています。
世間ではトキワ荘 そうそうたる重鎮漫画家を生んだが メジャーですが
(個人的には時代とリンクした エッジのきいた太い描線の 現在もご健在つのだじろう氏は大好きです。)
今は知る方もいなくなった K・元美津氏のファンです。メジャーな方では
辰巳さんや佐藤まさあき氏のストリーテラーが好きです。
早く漫画を描くのを山られた松本正彦氏 劇画工房とはかかわりが薄いようでしたがその漫画人生グッとくるものがあります。
劇画工房とは直接かかわっておられないようでしたが
有名なりぼん誌で活躍された埼玉県草加にお住まいだった5年ひばり組 巴里夫氏作品は大好きです。
昭和36年(1961年)生まれです。子供時代、大宮市(今のさいたま市)に住んでいました。当時地元で一番大きな病院に妹が交通事故で長期入院し、小学校低学年だった自分は毎週親と病院に通いましたが、その病院の目の前に小さな貸本屋があったことを覚えています。怪奇漫画(水木しげる先生だったかも?)を借りて読んでいました。
子供時代の記憶を辿っても、それ以外に貸本屋の記憶がありません。あの頃がギリギリ貸本屋の時代だったのかな?と思います。
平田弘史さんの時代劇劇画が大好きでした、貸本屋さんで、魔像で読みました懐かしいです❗
佐藤まさあき先生のファンです。
稚拙なタッチでしたけど、怨念・憎悪・哀愁という負の情感が、社会的でリアリティを感じました。。
本日、初めてこちらのチャンネルを拝見しました。敗戦後の公職追放が、漫画編集者にも及んだ事。『赤本』という言葉の意味。それらを、この動画で初めて知りました。
古い漫画だと高をくくっていたら今では全くない人間描写 社会風刺 心に響く作品の数々に衝撃を受けました
当時の描写そのままで完全復活で復刊してほしいですね 全部みたいわ~~~😭
今65ですが貸まんが家通い詰めてました、ロボット3等兵大好きでした。
小さい時、散髪屋の待合に貸本漫画が置いてありどちらかと言うと大人向けのイメージがありました。
黒っぽい背表紙で劇画調の貸本漫画がなぜか怖くて少年雑誌の方を読んでた記憶があります。
年齢がいってあれ読みたいなあと思ったころにはもう時代が変わっていて貸本屋も無くなり見かけなくなりました。
私の近くでは、駄菓子屋と貸本屋が一緒になっていて少ない小遣いの全てを投入して通った思い出。
昭和31(1956)年生まれです。当時の貸本屋では時代劇やミステリー作品は子供心に怖くて、野球まんがなんかを借りていました。懐かしいなぁ。
おもちゃと一緒で昔の電話帳頼りに貸本屋調べて昭和40年代から50年代にマニアが日本中探しまくってましたね。 初代まんだらけ社長が言ってました。
うーん、懐かしくも面白かったです。
まさに、幼少期から青年期へ、の時代でした。
今まで色々漫画を読んできました、楳図かずお・古賀新一・水木しげる・白土三平先生・・・等恐い漫画も読みましたが
一番印象に残っている怖い・恐ろしくてそしてグロかった漫画は、平田弘史先生の「血だるま剣法」と「つんではくずし」
です。あの時代だから書けたのか、青少年に見せる漫画ではなかったと思います。
「血だるま剣法」は部落解放同盟の抗議(と言うか脅し)によって絶版、回収になりました。
でも、少年の私もあの作品の載った「魔像」を近所の床屋で読み、トラウマ級の衝撃を受けました。
平田弘史先生の絵がうまくて感心しました。
私の好きな貸本漫画は、水木
しげるさんの「地底の足音」です。
ギリギリ貸本屋は存在してたね。 でも貸本と言っても普通に売ってる本をお小遣いで安く借りられる位の70年代後半ですわ。
で、普通に本屋に行くと復刻版で「黄金バット」が 小さい頃テレビで見たのとあまりに違う! コドモには値段が高くて買えず
漫画雑誌の源流として興味深いです…
創刊(1959)時点の読者層が小学4年~中学2年と推定すると、彼らは現在75~79歳(1945~1949年生)。少なくとも団塊から昭和30年代前半生まれまでは、別に親に言われずとも自然に中学入学と同時に漫画雑誌は「引退」していた。
今の漫画作家も劇画を真似れば良いのに。皆んなおんなじ顔だから
平田弘史「つんではくずし」😮
佐藤 まさあき「堕靡泥の星」😮
さいとうたかお「武芸紀行」😮
単行本は5円で借りていた。
影、オッスなど
30年くらい前には、無名の多くの貸本漫画は古本屋にたくさん並んでいてしかも激安だったけど今はどうかな
宮原啓一、悲しき少年ジュリアン、佐藤まさあき、苦い札束 佐藤先生は足元を描くのが苦手みたい
大阪府警
宮原啓一、悲しき少年ジュリアン、佐藤まさあき、苦い札束 佐藤先生は足元を描くのが苦手みたい