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いつも興味深いお話を取り上げて頂き、有り難うございます。切腹する方も大変ですが、首打ち役というのも、かなりの使い手でないと難しかったでしょうし、ストレスにもなったでしょうね。
外国人の前で切腹して内臓を投げつけた堺事件の武士たちのすごさよ…
じゃあアンタもやってみようそれだけリスペクトしてるんだからできるよね
@@MO7978 頭悪っ
実に面白い!ありがとうございます。
尾張藩で子供が刃傷沙汰起こした時の事、今の中学高校生位の年齢で切腹を申し渡されたそうですが、当然本人は切腹なんかしたくなくて逃げ出そうとしたそうですが、逃げ出されれば当然家門の恥が知られてしまうので、介添え人二人で無理やり押さえつけ、一人が用意されていた短刀で若者の腹を切り、そこで解釈人が首を討って終わらせたとか…。この辺まで来ると最早ホラー映画ですね。((+_+))
他の動画では、切腹は日本人の誇り、武士道美しいだとかなんとか、あの手の人達が盛り上がってたなあw
時代劇では介錯人なしで切腹し即死する場面が多く見られますが、腹を切っただけで即死はなんとも不自然に感じます。
即死する事はなく、もがき苦しむだけ。即死するには大動脈まで切り裂く必要があるが、自身ではそんな事は出来ないだろうな。
年末時代劇白虎隊の最後会津家臣の切腹シーンのように切腹のあと頸動脈を切って失血死かな
TVの脚色は多いですよね! 後、解釈人がいないと人件費が節約出来ますから!
最後の陸軍大臣阿南惟幾大将は酒を呑み夜半に切腹して介錯無しで朝迄苦しんで亡くなったらしい
ショック死したのかも
すでにコメントで触れてる方もおられますが、堺事件で詰め腹を切らされた土佐藩士の切腹が立ち合い・検分したフランス人武官始め外国人に強い衝撃を与え、また外信で報道されて「harakiri」が武士の様式として列強諸国に認知されてしまったのでしょうね。
見苦しいくらいに取り乱す自信があります。
俺だったら「フグの胆とトリカブトのお浸しと焼酎をお願いします。」と頼み泥酔してから毒を喰って自決したい。
「切腹」か「打ち首」かは「責任を取った」か「断罪された」かの違いでしょう。人生を「辞任した」か、文字通り「クビになった」かの違いとも言えますね。この違いが侍の面目にとって重要だったのでしょうね。
井伊直弼が暗殺されたときに彦根藩の武士で闘わず逃げた者とか軽症の者とかも切腹の命がくだされてるよね。あとは昭和時代の三島由紀夫さんがめちゃくちゃ切腹の印象あって介錯人が首をなかなか切断出来ずに数太刀振るってやっと切断出来たというから恐いわ😮
中村梅之助が大石内蔵助をやった忠臣蔵で、切腹のために待機しているシーンで隣にいた浪士から「恥ずかしながら切腹が恐ろしくて堪らんのです」と耳元に声をかけられると、「大丈夫、私もおそろしくて震えております」みたいな会話があったのを覚えている。
そういえば忠臣蔵の討ち入り時の吉良家家臣も、ろくに戦わずに逃げた者や情けない戦い方で生き延びた者は切腹になったとか。
「切腹の研究」このような題の本を50年前に読んだ。戦後の大東塾の切腹。15人、一人逃走、13人で決行。
この介錯、つまり刀で頚椎を断ち切るって作業が結構な高等技術らしく、武士が剣術習うときにまず教わるのが正しい介錯の方法だと聞いたことが。実際、昭和期に三島由紀夫が切腹した時は介錯が何回か失敗したと聞くし。
森田必勝氏ですね。若い頃からの行状から察するに、今で言う「ネトウヨ」を彷彿する御仁で、そのライトモチーフをひと言で表すなら「国士、カッケー 」に見えてしまいますね。
現代でも、軍人の処刑は原則として銃殺刑。絞首刑は不名誉極まりない罰だと言われてますが、当時の切腹も、そんな感覚だったのでしょうね‥
再生リスト作ってください。垂れ流しで見たいので。
一服の毒も、現代の青酸カリのようなものがあれば一瞬であまり苦しまずに済んだのだろうが、実際は当時の毒は一晩苦しんで死ぬことになるため、扇子腹の切腹の方がはるかに楽だったようです。
やっぱり、痛いものは痛いから失敗するとえらい苦しみそう…
切腹といえば三文字割腹の法を達成した武市瑞山が有名でしょうか。
5:53江戸時代の切腹は417人て結構少ないのですね('ω')9:03切腹人の装束は映画「切腹」では白装束、リメイクの「一命」では裃が灰色でしたが後者は恐らく大石内蔵助さんの絵を参考にしたと思うのですが、たしかに江戸時代の絵で浅葱色の裃は見ないですね('ω')
忠臣蔵で、直前になって一番若いやつが「わたくし切腹の作法を知りません。」と隣の老武士に尋ねる場面がありましたね。
一番若いのは、大石内蔵助の息子、大石主税になります刃傷の時にはまだ元服しておらず松之丞でした内蔵助は内匠頭の弟、浅野本家の大学を以てお家再興を望みましたが、それも却下された後に円山会議にて討入の決断を伝えてますこの時、内蔵助は京都の山科に家族で住んでおり円山会議の後に松之丞を除く者を但馬に帰していますそして松之丞を元服させているので、その際に切腹作法は教えている筈です次に若かった矢頭右衛門七は元服せずに討入しています連判状には当初父が連なっていますが討入迄に亡くなっており、その後右衛門七の意思で討入に参加しています切腹作法を知らないとすれば元服していない矢頭右衛門七だと思います
現在の政治家も、不祥事を起こしたら腹を斬る覚悟で仕事して欲しい。
昔切腹より重い罪として「刀を取り上げる」というのがあったと聞いたことがあるこの上ない生き恥をさらすことになるとのことで、なんとか切腹で済ませるよう一族総出で必死で嘆願したとか
赤穂浪士で実際に腹を切ったのは間新六です。コメントが間違っておられるかと。播州人より。
第二次大戦終結時に陸軍大臣ほか、介錯なしの切腹をしたそうですね。台湾空軍基地の将軍も。乃木希典将軍の殉死は自刃でしたか。
江戸時代中期以降は、武士の場合腹を斬った瞬間、介錯人が首をはねたと言われています。浅野長矩がその例です。
最後には扇子腹になった
佐野政言事件は来年の大河ドラマで取り上げられるのかな?あと、松倉勝家の場合、年貢減免を訴えた百姓を手打ちにして死体を屋敷内に隠したのが直接的な原因だったと言う説を聞いた事があります。
終戦日当日に解釈なしで切腹した阿南陸相の凄さが改めて分かる。
海軍特攻の産みの親ともいわれる、大西瀧治郎も同様。
済みません。「終戦当日に解釈なしで切腹と‥‥‥」とありますが、「介錯」ではありませんか?
故樋口清之氏の著書(名前は失念)によると、殿中つまり江戸城内の廊下を走ることはご法度だったが、これを破って走ったばかりに切腹を命じられた金沢藩士がいたそうだ。切腹と言えば昭和では三島由紀夫が思い浮かぶが、介錯人が失敗したので役目を交代してようやく成功したとのこと。
城内で、あの長~い袴をズルズル引きずりながら歩くのは、走れないようにする工夫だとか😅
@@kyoko7343 氏 あれは長裃(ながかみしも)と言い、「刃傷松の廊下」のようなときに裾(すそ)を踏んで転倒させ、それから押さえつけるためでもあったようだ。
赤穂浪士は間新六も本当に腹を切ったと言われてます。儀式としての切腹ではもろ肌脱いで三宝に乗っている脇差に手をかけたタイミングで首を落とすのですが、新六は肌も脱がないでいきなり脇差を手に取って腹を掻っ捌き、解釈人が慌てて首を落としたそうです。検視の役人は本当に腹を切った新六に駆け寄り見事だと褒め称えたと伝えられてます。
子連れ狼の阿部頼母の切腹のように取乱して暴れた人もいたのかな?
足利尊氏は切腹のプロだがメンヘラの割に腹は座っていたんだなぁ。
誰だって痛いの嫌だもんね
切腹の1つにさし腹があったと思う。さし腹は遺書に「○○に恨みあり、○○をされた事が無念〜」と書いて切腹すること。すると切腹した遺族が切腹した刀を遺書に記された相手に持っていく。渡された相手は絶対に切腹しなければならない。死して怨恨を晴らす最後の方法として、身分が下の者が上の者に行う最強の復讐法···😮。
乃木将軍や大西滝次郎中将、阿南惟幾陸軍大臣らは、近代での切腹です、、、ものすごい胆力と責任感ですね。腹を切るとか死ぬ死ぬというヤツに死んだヤツはいない!というのは、人間の心の弱さと威張り腐っていた人間に対する最高の侮辱ですね。
mtgc「えぇ・・・」
ご先祖様が農民であり、軍人ではない自分からすると扇子腹であろうが、臆病者だと思えないです。
扇子腹でも怖いですよね 汗
やっぱ明治維新でみんなあっさり武士を辞めたのはこういうのが嫌だったんだろうな
藩によっては ハラキリ専門の武士がいたとか藩に万が一のことがあったら 切腹するそのために俸禄を貰っている 藩に何もなければ生涯そのまま
武士道、騎士道‥道から外れる人間はいるよな
切腹と打首では遺族の扱いに天地の差があり、切腹を申し付けられると観念するしかなかったとか聞いたな遺族の生活が担保されるのが切腹。されないのが打首時代劇では「武士の情けを以て切腹申し付ける」とあったから、武士の恥晒しが打首になるんだろう自殺しろよ!の命令し従ったら褒美があるって感じかな?
扇子腹と言って、担当の代わりに扇子で切腹の動作だけして、介錯人が介錯する。(場合によっては事後、腹を切って偽装する。😅)
切腹は金と時間のかかる仕事。乃木将軍は、死後の姿まで予想して死んだ。介添えなしななので大変だった。終戦時に沢山の現役軍人が切腹したが、乃木さんのようにうまくできなかった。東条さんはメリケンドクタにすくわれ、阿南さんは切腹したがなかなしねず、副官が最後にトドメを刺した。杉山元帥は、なかなか自決せず奥さんがやきもきした。 その拳銃自殺の報告をうけ確認後奥さんも自決した。(国防婦人会会長責任)海軍の最高戦犯は死刑判決を免れ、刑務所中にカカとわらいごえがひびいた。(武藤将軍の無念のおもいー絞首刑)
神風特攻隊の創始者の一人、大西 瀧治郎海軍中将は終戦の翌日腹を十字に切り頸と胸を刺して自決したけど、ほぼ丸1日生きながらえたそうで💦💦でも、介錯も治療も拒んだまま苦痛の中で死ぬことを望んだ。本人は生前「俺は数多くの青年を死なせてしまった。俺のような奴は無間地獄に墜ちるべきだが、地獄のほうが入れてはくれんだろうな」と、述懐していたけど、割腹から亡くなるまでの間は、生きながらに地獄に堕ちたようなものですね😨😰
そりゃそーだ。自分も腹を切る自信は全くない。(服毒ならいけそう。)逆に戦国以前の武士の豪胆なことよ………
自分は服毒でもイヤですよ!死にたくないですもん!これじゃ武士になれませんね!1一般庶民で十分です!
たしかに、タヒなないのが一番!
利休居士は自刃じゃなかったですか?
当時の毒と斬首なら、どっちが信頼性が高かった(苦痛なく死ねた)かと考えてしまう。切腹させる側からすれば、掃除の手間が省ける分。一服の方が圧倒的によかっただろうけど。
護良親王ははらわたを放り投げたらしい!
昔ドラマ世にも奇妙な物語で、現代のアメリカのビジネスマンが商取引の為に日本にやって来ます。日本の会社では、仕事でミスをすると、未だに切腹させられるのを見るという話。アメリカのビジネスマンは産業スパイに重要書類を盗まれてしまい、日本企業から、当然お前も切腹だ、と言われたところで話は終わります。🤣
生存本能に逆らう切腹、つまり強制された自殺とか無理無理。
そういえばなんで彼らは「ハラキリ」で覚えるんですかね。日本語話者なら普通はハラキリなんて言わないよ。音読みの切腹(セップク)よりも訓読みのハラキリのほうが発音し易いかな。促音ができなくて、「セプク」 になっちゃうかもね。
命や人権が今ほど重くない時代自ら命を断つことほど馬鹿馬鹿しいことはない
我が地元でも、大阪で不祥事を、起こして、団体切腹で、外国の方々を、驚かしたが、そりゃそうだよな、戦国や江戸の家光君辺り迄はね。
昭和の時代に三島由紀夫割腹自害してる😮
山田朝右衛門
乃木希典夫妻が、明治天皇の跡を追って自刃していますね。本人は、割腹したあと、頸部を突いて絶命しています。乃木は国民の人気があったから、葬儀には人が集まりましたが、進歩的な人からは、当時すでに冷ややかな見方をされています。
時代劇は漫画、教科書は嘘、作り話であり実際はそう感じた。
いつも興味深いお話を取り上げて頂き、有り難うございます。
切腹する方も大変ですが、首打ち役というのも、かなりの使い手でないと難しかったでしょうし、ストレスにもなったでしょうね。
外国人の前で切腹して内臓を投げつけた堺事件の武士たちのすごさよ…
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できるよね
@@MO7978 頭悪っ
実に面白い!
ありがとうございます。
尾張藩で子供が刃傷沙汰起こした時の事、今の中学高校生位の年齢で切腹を申し渡されたそうですが、当然本人は切腹なんかしたくなくて逃げ出そうとしたそうですが、逃げ出されれば当然家門の恥が知られてしまうので、介添え人二人で無理やり押さえつけ、一人が用意されていた短刀で若者の腹を切り、そこで解釈人が首を討って終わらせたとか…。
この辺まで来ると最早ホラー映画ですね。((+_+))
他の動画では、切腹は日本人の誇り、武士道美しいだとかなんとか、あの手の人達が盛り上がってたなあw
時代劇では介錯人なしで切腹し即死する場面が多く見られますが、腹を切っただけで即死はなんとも不自然に感じます。
即死する事はなく、もがき苦しむだけ。即死するには大動脈まで切り裂く必要があるが、自身ではそんな事は出来ないだろうな。
年末時代劇白虎隊の最後会津家臣の切腹シーンのように切腹のあと頸動脈を切って失血死かな
TVの脚色は多いですよね! 後、解釈人がいないと人件費が節約出来ますから!
最後の陸軍大臣阿南惟幾大将は酒を呑み夜半に切腹して介錯無しで朝迄苦しんで亡くなったらしい
ショック死したのかも
すでにコメントで触れてる方もおられますが、堺事件で詰め腹を切らされた土佐藩士の切腹が
立ち合い・検分したフランス人武官始め外国人に強い衝撃を与え、また外信で報道されて「harakiri」が武士の様式として列強諸国に認知されてしまったのでしょうね。
見苦しいくらいに取り乱す自信があります。
俺だったら「フグの胆とトリカブトのお浸しと焼酎をお願いします。」と頼み泥酔してから毒を喰って自決したい。
「切腹」か「打ち首」かは「責任を取った」か「断罪された」かの違いでしょう。
人生を「辞任した」か、文字通り「クビになった」かの違いとも言えますね。この違いが侍の面目にとって重要だったのでしょうね。
井伊直弼が暗殺されたときに彦根藩の武士で闘わず逃げた者とか軽症の者とかも切腹の命がくだされてるよね。あとは昭和時代の三島由紀夫さんがめちゃくちゃ切腹の印象あって介錯人が首をなかなか切断出来ずに数太刀振るってやっと切断出来たというから恐いわ😮
中村梅之助が大石内蔵助をやった忠臣蔵で、切腹のために待機しているシーンで隣にいた浪士から「恥ずかしながら切腹が恐ろしくて堪らんのです」と耳元に声をかけられると、「大丈夫、私もおそろしくて震えております」みたいな会話があったのを覚えている。
そういえば忠臣蔵の討ち入り時の吉良家家臣も、ろくに戦わずに逃げた者や情けない戦い方で生き延びた者は切腹になったとか。
「切腹の研究」このような題の本を50年前に読んだ。戦後の大東塾の切腹。15人、一人逃走、13人で決行。
この介錯、つまり刀で頚椎を断ち切るって作業が結構な高等技術らしく、武士が剣術習うときにまず教わるのが正しい介錯の方法だと聞いたことが。
実際、昭和期に三島由紀夫が切腹した時は介錯が何回か失敗したと聞くし。
森田必勝氏ですね。若い頃からの行状から察するに、今で言う「ネトウヨ」を彷彿する御仁で、そのライトモチーフをひと言で表すなら「国士、カッケー 」に見えてしまいますね。
現代でも、軍人の処刑は原則として銃殺刑。
絞首刑は不名誉極まりない罰だと言われてますが、
当時の切腹も、そんな感覚だったのでしょうね‥
再生リスト作ってください。垂れ流しで見たいので。
一服の毒も、現代の青酸カリのようなものがあれば一瞬であまり苦しまずに済んだのだろうが、実際は当時の毒は一晩苦しんで死ぬことになるため、扇子腹の切腹の方がはるかに楽だったようです。
やっぱり、痛いものは痛いから失敗するとえらい苦しみそう…
切腹といえば三文字割腹の法を達成した武市瑞山が有名でしょうか。
5:53江戸時代の切腹は417人て結構少ないのですね('ω')
9:03切腹人の装束は映画「切腹」では白装束、リメイクの「一命」では裃が灰色でしたが
後者は恐らく大石内蔵助さんの絵を参考にしたと思うのですが、
たしかに江戸時代の絵で浅葱色の裃は見ないですね('ω')
忠臣蔵で、直前になって一番若いやつが「わたくし切腹の作法を知りません。」と隣の老武士に尋ねる場面がありましたね。
一番若いのは、大石内蔵助の息子、大石主税になります
刃傷の時にはまだ元服しておらず松之丞でした
内蔵助は内匠頭の弟、浅野本家の大学を以てお家再興を望みましたが、それも却下された後に円山会議にて討入の決断を伝えてます
この時、内蔵助は京都の山科に家族で住んでおり円山会議の後に松之丞を除く者を但馬に帰しています
そして松之丞を元服させているので、その際に切腹作法は教えている筈です
次に若かった矢頭右衛門七は元服せずに討入しています
連判状には当初父が連なっていますが討入迄に亡くなっており、その後右衛門七の意思で討入に参加しています
切腹作法を知らないとすれば元服していない矢頭右衛門七だと思います
現在の政治家も、不祥事を起こしたら腹を斬る覚悟で仕事して欲しい。
昔切腹より重い罪として「刀を取り上げる」というのがあったと聞いたことがある
この上ない生き恥をさらすことになるとのことで、なんとか切腹で済ませるよう一族総出で必死で嘆願したとか
赤穂浪士で実際に腹を切ったのは間新六です。コメントが間違っておられるかと。播州人より。
第二次大戦終結時に陸軍大臣ほか、介錯なしの切腹をしたそうですね。
台湾空軍基地の将軍も。
乃木希典将軍の殉死は自刃でしたか。
江戸時代中期以降は、武士の場合腹を斬った瞬間、介錯人が首をはねたと言われています。浅野長矩がその例です。
最後には扇子腹になった
佐野政言事件は来年の大河ドラマで取り上げられるのかな?
あと、松倉勝家の場合、年貢減免を訴えた百姓を手打ちにして死体を屋敷内に隠したのが直接的な原因だったと言う説を聞いた事があります。
終戦日当日に解釈なしで切腹した阿南陸相の凄さが改めて分かる。
海軍特攻の産みの親ともいわれる、大西瀧治郎も同様。
済みません。「終戦当日に解釈なしで切腹と‥‥‥」とありますが、「介錯」ではありませんか?
故樋口清之氏の著書(名前は失念)によると、殿中つまり江戸城内の廊下を走ることはご法度だったが、これを破って走ったばかりに切腹を命じられた金沢藩士がいたそうだ。切腹と言えば昭和では三島由紀夫が思い浮かぶが、介錯人が失敗したので役目を交代してようやく成功したとのこと。
城内で、あの長~い袴をズルズル引きずりながら歩くのは、
走れないようにする工夫だとか😅
@@kyoko7343 氏 あれは長裃(ながかみしも)と言い、「刃傷松の廊下」のようなときに裾(すそ)を踏んで転倒させ、それから押さえつけるためでもあったようだ。
赤穂浪士は間新六も本当に腹を切ったと言われてます。儀式としての切腹ではもろ肌脱いで三宝に乗っている脇差に手をかけたタイミングで首を落とすのですが、新六は肌も脱がないでいきなり脇差を手に取って腹を掻っ捌き、解釈人が慌てて首を落としたそうです。検視の役人は本当に腹を切った新六に駆け寄り見事だと褒め称えたと伝えられてます。
子連れ狼の阿部頼母の切腹のように取乱して暴れた人もいたのかな?
足利尊氏は切腹のプロだがメンヘラの割に腹は座っていたんだなぁ。
誰だって痛いの嫌だもんね
切腹の1つにさし腹があったと思う。
さし腹は遺書に「○○に恨みあり、○○をされた事が無念〜」と書いて切腹すること。
すると切腹した遺族が切腹した刀を遺書に記された相手に持っていく。渡された相手は絶対に切腹しなければならない。
死して怨恨を晴らす最後の方法として、身分が下の者が上の者に行う最強の復讐法···😮。
乃木将軍や大西滝次郎中将、阿南惟幾陸軍大臣らは、近代での切腹です、、、ものすごい胆力と責任感ですね。腹を切るとか死ぬ死ぬというヤツに死んだヤツはいない!というのは、人間の心の弱さと威張り腐っていた人間に対する最高の侮辱ですね。
mtgc「えぇ・・・」
ご先祖様が農民であり、軍人ではない自分からすると扇子腹であろうが、臆病者だと思えないです。
扇子腹でも怖いですよね 汗
やっぱ明治維新でみんなあっさり武士を辞めたのはこういうのが嫌だったんだろうな
藩によっては ハラキリ専門の武士がいたとか
藩に万が一のことがあったら 切腹する
そのために俸禄を貰っている 藩に何もなければ生涯そのまま
武士道、騎士道‥道から外れる人間はいるよな
切腹と打首では遺族の扱いに天地の差があり、切腹を申し付けられると観念するしかなかったとか聞いたな
遺族の生活が担保されるのが切腹。されないのが打首
時代劇では「武士の情けを以て切腹申し付ける」とあったから、武士の恥晒しが打首になるんだろう
自殺しろよ!の命令し従ったら褒美があるって感じかな?
扇子腹と言って、担当の代わりに扇子で切腹の動作だけして、介錯人が介錯する。(場合によっては事後、腹を切って偽装する。😅)
切腹は金と時間のかかる仕事。
乃木将軍は、死後の姿まで予想して死んだ。介添えなしななので大変だった。
終戦時に沢山の現役軍人が切腹したが、乃木さんのようにうまくできなかった。
東条さんはメリケンドクタにすくわれ、阿南さんは切腹したがなかなしねず、副官が最後にトドメを刺した。
杉山元帥は、なかなか自決せず奥さんがやきもきした。 その拳銃自殺の報告をうけ確認後奥さんも自決した。(国防婦人会会長責任)
海軍の最高戦犯は死刑判決を免れ、刑務所中にカカとわらいごえがひびいた。(武藤将軍の無念のおもいー絞首刑)
神風特攻隊の創始者の一人、大西 瀧治郎海軍中将は終戦の翌日
腹を十字に切り頸と胸を刺して自決したけど、ほぼ丸1日生きながらえたそうで💦💦
でも、介錯も治療も拒んだまま苦痛の中で死ぬことを望んだ。
本人は生前「俺は数多くの青年を死なせてしまった。俺のような奴は無間地獄に墜ちるべきだが、
地獄のほうが入れてはくれんだろうな」と、述懐していたけど、
割腹から亡くなるまでの間は、生きながらに地獄に堕ちたようなものですね😨😰
そりゃそーだ。
自分も腹を切る自信は全くない。
(服毒ならいけそう。)
逆に戦国以前の武士の豪胆なことよ………
自分は服毒でもイヤですよ!死にたくないですもん!これじゃ武士になれませんね!1一般庶民で十分です!
たしかに、タヒなないのが一番!
利休居士は自刃じゃなかったですか?
当時の毒と斬首なら、どっちが信頼性が高かった(苦痛なく死ねた)かと考えてしまう。
切腹させる側からすれば、掃除の手間が省ける分。一服の方が圧倒的によかっただろうけど。
護良親王ははらわたを放り投げたらしい!
昔ドラマ世にも奇妙な物語で、
現代のアメリカのビジネスマンが
商取引の為に日本にやって来ます。
日本の会社では、仕事でミスを
すると、未だに切腹させられる
のを見るという話。
アメリカのビジネスマンは産業
スパイに重要書類を盗まれてし
まい、日本企業から、当然お前
も切腹だ、と言われたところで
話は終わります。🤣
生存本能に逆らう切腹、つまり強制された自殺とか無理無理。
そういえばなんで彼らは「ハラキリ」で覚えるんですかね。日本語話者なら普通はハラキリなんて言わないよ。音読みの切腹(セップク)よりも訓読みのハラキリのほうが発音し易いかな。促音ができなくて、「セプク」 になっちゃうかもね。
命や人権が今ほど重くない時代
自ら命を断つことほど馬鹿馬鹿しいことはない
我が地元でも、大阪で不祥事を、起こして、団体切腹で、外国の方々を、驚かしたが、そりゃそうだよな、戦国や江戸の家光君辺り迄はね。
昭和の時代に三島由紀夫割腹自害してる😮
山田朝右衛門
乃木希典夫妻が、明治天皇の跡を追って自刃していますね。本人は、割腹したあと、頸部を突いて絶命しています。乃木は国民の人気があったから、葬儀には人が集まりましたが、進歩的な人からは、当時すでに冷ややかな見方をされています。
時代劇は漫画、教科書は嘘、作り話であり実際はそう感じた。