1967年 第4回 日本グランプリ 富士スピードウエイ
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- Опубликовано: 6 сен 2024
- 日程と開催場所
日程: 1967年5月3日
開催場所: 富士スピードウェイ(静岡県)
富士スピードウェイ
富士スピードウェイは、1965年に開業したサーキットで、当時の全長は6.0キロメートル。富士山を背景にした壮大な景観が特徴です。
レースの特徴
カテゴリー: このレースはスポーツカーとGTカーが混走する形式で行われました。
人気ドライバー: 日本国内外の有名ドライバーが多数参戦しました。特に日本人ドライバーの活躍が注目されました。
使用車両: トヨタ、日産、プリンスなどの日本メーカーの車両が多数参戦し、外国車両とも競いました。
主な出来事と結果
トヨタ7のデビュー: このレースで特に注目されたのは、トヨタのプロトタイプレーシングカー「トヨタ7」のデビューです。トヨタ7はトヨタ自動車の新たな挑戦として開発されたもので、高い性能を誇りました。
接戦: レースは終始接戦が繰り広げられ、多くの観客がその迫力に魅了されました。
優勝: 優勝はプリンス・R380A-IIに乗る砂子義一が獲得しました。プリンス・R380A-IIは高い性能を持つスポーツカーで、砂子のドライビング技術と相まって見事な走りを見せました。
レースの影響
1967年の日本GPは、日本のモータースポーツが国際的に注目される契機となりました。また、国内メーカーの技術力向上とレース活動の活発化に寄与しました。トヨタ7のような高性能車両の登場は、日本の自動車産業の進化を象徴する出来事でもありました。
このレースは、その後の日本モータースポーツの発展に大きな影響を与え、多くのファンにとって記憶に残るイベントとなりました。
あらビックリ!この映像、初めて観ました。
なんとこの日は私が生まれた日です!感動しながら全部見入ってしまいました。
物心ついたときから自動車に興味を持ち、いつかは自分もレースを!とマッハGOGOやグランプリの鷹を視てました。
色々考えて日産のディーラーに就職し、マーチレースをするまでにこぎつけ、その他ワンメイクレースばかり数年やってました。
今はもうライセンスも切らしてますがまた走って見たいものですね❗
流石日産と言うかプリンスの技術が際立っておりますな-。素晴らしいエンジンです。
貴重な映像をありがとうございます。
このレースは我が国のレース史における「名勝負」のひとつに数えられるものですね。
ポルシェの生沢選手の著書を読んだことがありますが、
当時のポルシェのシフトフィールは「ハチミツに棒を突っ込んでような感じ」で
シフトチェンジが難しかったそうです。
その結果、シフトミスをしてしまいスピン。
同じくスピンしたR380の高橋選手とは「お互いスピンしながら目が合った」と。
一方、故高橋選手は「レース後、生沢クンがわざわざ謝りに来てくれてね・・・」と
懐かしそうにインタビューに答えていました。
30℃バンクでの大事故やオイルショックがなければ、
日本のモータースポーツももっと盛り上がったでしょうね・・・。
1990年台のポルシェ911でもMTはグニュグニュした感じで難しかったです。まあアルファロメオでもどこに入ってるかわからなかったりしましたけど。
@@grhugh 様
奇遇ですね。
当方、02年式アルファロメオGTV(3.0V6)所有ですが、比較的シフトフィールは良好です。
ポルシェは運転したことがありませんが、MTはクセがあるのでしょうかね?
@@mallardsuper4785 私は1965のMG-B乗ってましたが、周りにアルファロメオスパイダーとか2000GTV、ポルシェ911、928...色々居ましたので乗り比べはしました。MG-Bやエランはシフトがカチカチ入るんですが、ポルシェはエンジン回転の上下も激しいので、シフト位置確かめながらのダブルアクセルとかで忙しかったです。アルファはシフトの付け根がちょっと奥の方で斜めに生えててこれもなかなか慣れませんでした。でも回転数上がってくると気持ちよくて、パワーバンドで回し続けられたらこんな面白い車ないなって思いましたよ。GTVは乗ったことないです。最後に乗ったアルファは155Q4。運良く乗る機会が得られました(海外)。興奮しまくりであまり記憶ないです(笑)
@@grhugh 様
ご丁寧な返信ありがとうございます。
クセのあるシフトフィールも、慣れれば気持ちよく扱えるということなんでしょうね。
アルファ155Q4を海外でドライブされたとは、なんとも羨ましい限りです!
155はけっこう日本国内で人気でしたが、Q4はほとんど見たことがないですからね。
ネット上での久々のクルマ談義、楽しかったです。ありがとうございました(^^)
この頃は 日本もすでにマイカーの時代が完全に始まっていたものね
自分でも まだ小6 教師達の乗る車を校舎から眺めていたもの
パブリカ・N360・キャロル など軽四ばかり 2年後くらいに
カローラに乗る教師が出て来たね でセリカやらGTOの時代に代わった
時から現代(今)へと 時代の変わり目?をある意味見てきましたね
高松宮?も鈴鹿では見かけましたですね 脚を組み座る気軽な姿が記憶にあります
皇族でも脚組むかね ってね 親しみ?にも似た感じで良いことと?
この後のGTレースは皆サニーGXばかり?オンリーのレースで何か
「ツマラナイ」?とも思える時代でもありましたですね
30度バンク いかなところか?とも考えていた時代でもありましたね
後に実際観て走ってみれば その凄さ 30度バンクを経験した当時のドライバー達は
・・・皆もうジジだけど皆皆凄い?凄かったですね
ガンさん若い!vw type2 の救急車!貴重な資料をありがとうございます。
よく見つけましたね。
馬の背は当時でも物凄いスピードですな。
恐ろしい。
日産のフェアレディ SR311は本格的なスポーツカーだったと言うがリア・サスペンションは板バネでしたね。私が小学校に入学する前に走っているのを見て凄い車だなと思っていました😊ゼッケン10の高橋選手は国さんですよね。
日産制作の映画だけあって、メインレース優勝の選手に一切触れずw
WWW
Greetings from the USA 🤗. This is truly an amazing race!! Where was this track located? The banking looks incredible. This was such a great era in motorsports!!👍
Fuji Speed Way(Old track)
It's Fuji Speedway. Yes, the banking is incredible. So in fact, that banking no longer exists because there were so many accidents on it. This is another interesting race held at the old Fuji Speedway.
ruclips.net/video/-FxRKMD071o/видео.html
貴重な映像ですね、ありがとうございます!
ニッサンR 380とポルシェカレラ6のデッドヒートが懐かしいなぁ~😂
前年にプリンスと合併した日産このS54スカイラインは旧プリンス自動車のスカイラインですよね。日産はフエアレデイがメイン。
4輪はバンク使っていたんですね。2輪のグランプリはバンク使いませんでした。バンクは迫力が有りますが、危険ですね。
国さんと徹ちゃんのデッドヒート!
R380ー2当時のイタリアンレーサーに似てる。1でも2でも市販者として発売してほしい。
SR311をちょくちょくメンドウみてる時期があって、感心したのはステアリング剛性感
ベレットはラック&ピニオンなのになんか緩い 次のフェアレディS30でも(構造見ればわざとなんだけど)
英車を範としてたSP SRと根本が違うんだろうね。
当時のレギュレーション知らないけど、SR2000とS800一緒に走っててS800が勝てる訳が無い。
ほんまでっせ。
誰がGPを制したのかぐらいはナレーション有って良さそうですが広報Vってこんなw
国光さんの380は速かったですね
R380の下廻りから見れるとは…
こんな時代もあったな。日産が早かった時代。トヨタもいい結果出してた時代。昔の日本の工場には職人がいた。やはり、教育で楽して金を稼ぐ事がどんなに虚しく意味がない事を教えるべき!
丁寧な仕事でいいものを造るのがMad in japan.肉体労働者の報酬を上げる事が日本再生。Japan as no1 よ、もう一度。
プリンス様様で
世界のトヨタはいないし
R380のエンジンはS20の前身だね。
当時の若者の憧れの的だった生沢徹の優勝に何ら賛辞も贈らず、日産(と言ってもこの時点ではプリンス主導のレース活動だった)車だけの自己満足的な偏った編集には辟易して居る。プライベーターの生沢・酒井・滝さん達に負けた事実は変わらない。
スポーツタイプと言ってもサスペンションはまだ板バネが主の時代。トラックと一緒だからヘアピンなどではコケちゃう。