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ありがとうございます!
SuperThanks ありがとうございます! スタッフ一同
今の日本には河井継之助のような人物が必要です。
早く起きて野良仕事を一生懸命に真面目に働く農民。これこそが、このような民が国の財産なんだ!!。司馬遼太郎氏の『峠』を読んだ時に感度して涙が出
「峠」、河井継之助、映画公開に合わせてタイムリーな内容ありがとうございます若い頃、司馬遼太郎先生の原作を読んで感動した記憶が蘇ります😭「武装中立」「戊辰戦争停戦」など、河井継之助さん、素晴らしい思想を抱いていたんですね時代の流れに飲まれてしまい、残念に思います。その昔、大河ドラマ「花神」では、高橋英樹さんが河井継之助さんを演じていて、ガトリング砲をぶっ放したり、死の間際、自らの棺を火葬する炎を焚くよう家来に命じ、その様子を見守っているシーンが強く印象に残っています😌(私がまだ中学生くらいでしたが(笑))ほーりーがわかりやすく河井継之助さんのことを解説してくれて嬉しいです‼️さすが、「ナレーターほーりー」(笑)これを機に「峠」、河井継之助さんについて注目し直してみようかと思います。素晴らしい動画でしたありがとう
素晴らしいストーリーテリングでした。ありがとうございます。
今、この方のような政治家が望まれると思います。
民を思い、郷土を守り、国のことを考え続けた常在戦場の河井継之助のことをもっと知りたく成りました
お恥ずかしながら お名前初耳の方です。これほどの偉人を当時だからと言うより現代人から見てもこの先見の明は、とても感心しました。決して自分の回りや一部の人のみではなく 日本の礎となる民への考え方が学べるとても素敵な動画でした😃映画公開中とのことなので時間を作って見に行きたいと思います今回も動画ありがとうございます🙏
初めまして 私も 少しは 河井継之助の 事を 存じて居りますが 大変に良い解説だと 思いました 解説の中で 小千谷の話が ありましたが 相手に恵まれない事も ありましたが 私が思うところ 人間はその生まれた環境が その人物の信条心理の根底に あると思います 厳し日本海と 南の海では元々 考えに 大変な隔たり が有ると思います いかがでしょうか
アラカンの新潟県民です。約40年前、司馬遼太郎氏の『峠』を読んで感銘しました。余談ですが、当時の長岡藩家老に山本帯刀(読んだのが昔なので、役職・名前が違っていたらスマソ)というのがいて、この人が継之助を引き立て、抜擢したのですが、動画の中にあるように北越戦争で長岡は焦土と化しました。そして、山本帯刀の息子だったか孫だったのが山本五十六です。第二次大戦後期、アメリカは五十六の故郷の長岡を空爆し、またも焦土と化しました。大戦を経験した世代の人の中には「山本家のせいで、長岡は2度焦土と化した」と、悪い印象を持っている人も多かったといいます。
新潟には行ったことないけど、仕事の絡みでたびたび長岡市HPを見ています。今年は花火大会が復活‼︎継之介記念館は駅のそばだし、駅中には日本酒ワンコインショットバーもある。生姜ラーメンを食べてアルパカをなでなでして闘牛を見て…あぁ、長岡に行きたい。素敵な動画をありがとう😊
対話というのは互いに敬意をもった相手としか成立しないものだと感じました。官軍の大将が別な人だったら、歴史の流れも変わっていたかもしれませんね。
間違いなく変わってました。
いつも楽しく拝見してます!先人達の生きた時代に想いを馳せるのも大事ですね。相変わらず素敵な笑顔で癒されますぜ!
時代の波🌊には、抗えない。柔軟な発想が大事ですね~。
ほーりーさんの歴史解説、素晴らしいですね。いくつか動画を見ましたが、楽しい雰囲気で、また分かりやすく、大変勉強になってます。これからも見ていきたいと思っています。ありがとうございました。
最後うるっとしながらの語り沁み入りました。
長岡藩は幕末になっても畳は用いず、板敷に円座を用いたようですね。常在戦場「戦いの庭に在るぞと常にただ思ふ心をたもてもののふ」でしたかね。
ほ―り―様河井継之助は越後魂の英雄で御座います! 長岡藩と会津藩と庄内藩は幕藩体制のエリ―ト藩で江戸城に幕閣として君臨しておりましたね✌️カッコ良いでしたね。 外様の薩長は冷や飯を食わされた幕藩体制でしたね🤣 ボクサースピリットで幕府を倒し国民国家を創成しました! 矛盾点がありますが。衝突は必然的で、歴史は勝てば官軍で御座います。 現在の価値観はさて置き、歴史を楽しみましょうね💓河井継之助は日本人の精神史に銘記される最後の侍です🙌
一度継之助の旅行記「塵壺」をお読み下さい。この旅行の目的は備中松山藩の百姓上がりの者に私淑しに赴いた道中記です。
長岡行きたくなりました~ほーりーさんありがとう
玉島港の所に河井継之助の常宿だった看板があります、ここから備中高松の山田方谷さんに会いに行ったんですね。かわいつぐのすけ、と覚えてました。
すごく好きになりました。
「峠」封切り日に観に行きました。双方の勢力差の割に被害者は拮抗していたようですね。結果山県有朋と交渉してたらと思いました😄(理由はのち程)東山道楽勝ムードの岩村も土佐の板垣退助の存在も気になったのかね🤫山県有朋の人望は樋口兼光の墓地(上伊那辰野)に有朋が「彰忠碑」を建てたことからも伺えました😄(現地で見ました)😄*河井継之助の描いた長岡に行くのは涼しい秋頃か🤔-花火-🎇ね~😄
とても興味深く聞かせてもらいました。こうやって話で聞く分にはとても面白いのですが映画峠では河井継之助の良さが伝わってこなかったのが残念です。。
余談、新潟県は会津藩だった事もありますね。ですから、会津と新潟はかなり仲が良かったそうです。新潟県の新津に白虎隊の戦った跡地があります。また戦国時代、武田軍と上杉軍とは親戚関係者も多いと聞きます。河井継之助のガトリン銃は有名ですが、しかし歴史書はあまりにも表日本について書かれた本が多いですね。日本海側がいかに開かれた所であったかの歴史研究は無さすぎですます。
是非只見線を使って只見の河合継之助記念館にもお越しください。
合理的だったのに、心の土台は武士だった。それが結果多くの市民を犠牲にすることになってしまった。どうすればよかったのかは本当に答えが出ないです。
150年経った今でも、若輩者で無思慮、傲慢不遜な軍監の「岩村精一郎」は、すごく評判が悪いですよね。
ご紹介有難うございます^^
英雄として讃えられてはいない側面もあったのですね。ほーりーには、歴史の語り部であってほしいです
現在の日本に必要な考えですね。武装なくして外交はなし得ない。
ガトリング銃は、現在1分間に6,000発発射するバルカンファランクス砲(海自の主な艦艇にはほとんど装備されている)に繋がる銃です。ほーりーちゃんの言う通り、近代史における機関銃の元となったガトリング銃。手合しガトリング銃が幕末日本にあったとは聞いていましたが、長岡藩にあったんですね。いつも勉強になります。ありがとう😊
武装中立。まさに日本のスイスですね。
後で観に行って来ます!レイトショーで!河井つぎのすけの実年齢と役所広司の実年齢に違和感はありますが。
現代の国のリーダーには一ミリも無い政治思想ですね。
江戸時代もですが私は歴史がすきです。たまに見ています。
今の日本にも通じるところがあるな。先見性がすごい。「非武装中立」なんて言ってた連中は、その浅薄さを恥じるべし。
非武装中立なんてただのキ○○イなので語る価値も無い
これ、最近映画で見たんですけど、描ききれてなかったですねぇ😓
賛否両論あるんですよ。司馬遼太郎も短編で河井を書いていて「英雄児」という短編なんですが、彼のような天才が長岡藩という小さい藩にいたために、長岡が燃えてしまう大惨事を起こしてしまった。無能な人たちなら新政府に恭順するなり、さっさと降伏するなりして長岡の町が燃えるような惨事にはならなかっただろう。また長岡がもっと大きな藩なら、その力を背景に対話を通すこともできたかもしれない。もし興味あるなら短編の「英雄児」を読んでみてください。
只見町行ったことあるよ😊
ー小千谷談判直前に片貝で会津と薩長で戦があり、その際に長岡の五間梯子の幟を持った兵がおりました。長岡藩の正規軍の者ではなかった模様ですが、河井家老や三島憶二郎大参与も困惑する中での会談でした。これが運命を決めてしまったのかもしれません。 また、当時徳川慶喜公は上野寛永寺で謹慎、自重中、尾張や紀州徳川家に至っては東海道諸藩に戦わないよう指令を出すなどしており、會津とは真逆。色々と複雑かつ徳川方も不揃いな対応の目立った状況も大きかったと思います。 長岡藩牧野の殿様は譜代大名、江戸幕府の海防掛で江戸幕府老中。当時の越後には譜代も多く、それも左右したと思います。
ラジオ聞いています。
う、うれしいです・・・・・・・・・、ポッ(#^_^#)
ホーリーかわいいね🤣🤣仰ることも通り🤣🤣🤣さて、次のすてぷだね💗
継之助の実物大が小さくて驚いた記憶でも象山、松陰、海舟、継之助の時代ロックでかっけーんだよ
お疲れ様です。ええ話しやな〜。映画に成らんかな〜。〇〇さん達に聞かせたいな〜。教科書にも載せたいな〜。
金は命より重い。BY団塊バブル
山本五十六連合艦隊指令長官が尊敬していた人物が河井継之助でした。
坂本龍馬並みに日本の未来のあるべき姿を見通せていた人ではないでしょうか。長岡の、いや新潟の誇るべき偉人です。関心のある方は福島県只見町の河井継之助記念館にも是非お立ち寄りを。
坂本竜馬は人気一番の英雄ですね。其れ司馬遼太郎さんの小説の世界のお話しで御座いませんか?
河井継之助は日本の五大偉人の一人で有る。決して徳川家康や、豊臣秀吉や、織田信長では無い。最も豊臣秀吉は私の先祖の親方様では有るが偉人では無い。何よりも民は国の本、吏は民の雇いとの信念で行動した。当時から民主主義を理想として生きた人でした。当時民主主義なる言葉は無かったにも関わらずです。
司馬遼太郎「峠」で河井継之助のファンになった口です。期待度MAXで映画観ましたが、改めて司馬遼太郎の小説の映画化の無謀さを感じました。せめて役者ぐらいは遠藤憲一さんとか本人と似た風貌の俳優を起用してほしかったです。
司馬遼太郎のお陰様だよな‼️故人がいなかったら、どうだったか?
今町の戦い
長岡藩は、一応7万石の小藩ですが、実質は、約14万石の中規模藩でしたね……🐧(笑
長岡の英雄と言えば河井継之助と山本五十六ですね山本元帥の座右の銘も「常在戦場」です
そういえば役所さんおふたりとも演じてますね。
先の大戦というと、ほとんどの人は太平洋戦争を思い浮かべる。だが東北の人々は戊辰戦争だとさ。
それはイキって言うてるだけや。京都、洛内の自称代々京都人もそんな感じでイキって、応仁の乱とか言いよるで
司馬遼のお陰で竜馬も河井も未曾有の英雄として人口に膾炙されてしまった。小説の中の快男児と現実の本人が同一視されないように司馬遼もわざと「龍馬」を「竜馬」と表記した旨を語っているが、未だにそこを混同したまま作中の英雄像に心酔して歴史上の龍馬や河井を語る読者がいる。大人になってもフィクションとノンフィクションの区別がつかず英雄崇拝しているアポにも選挙権があるのは危険。ヨーロッパで最も民主的な憲法と云われたワイマール憲法下で英雄待望論の世論のもと、ヒトラー政権が誕生した現実がある。けどそれも民主主義…日本の浮沈も日本人の民度しだいだ。
写真、鈴木宗男にしか見えない。
庶民にとって被害が大きかったので、地元では今でも評判悪いと聞いたことがありますが。
岩村がムカつく💢
小説はおもしろかったけど、映画はいまいちでした。
今晩は!ホーリーさん今回は江戸を離れて越後の旅ですね。河井継之助は勿論知っていますが、司馬さんの峠は読んでいません。ですから河井継之助に関しては、断片的知識しか無いのですが、その拙い知識の中で「小千谷談判」について一言、言わせて下さい。新政府側代表の若干23才の岩村精一郎がいかに思慮が浅く短気で長岡藩を罵倒し罵ろうとも、河井継之助は平身低頭で一切逆らってはいけなかった、処があろう事か河井継之助は我慢出来ずに新政府側をなじる発言をしたと言われ、端っから聞く耳を持たない岩村精一郎を怒らせた、談判は必然的に決裂した、ある意味で相手の思う壺ですよ。河井継之助は日頃から相手を罵倒する癖が有ったらしい。長岡藩の将来が掛かっている話し合いですから、相手側がどの様な人物かを事前に探り、もう少し慎重に思慮深く発言して欲しかったですね。
ほーりーさんは民主主義という用語を誤解されてませんか。河井の言とされる「民は国のもと、吏は民の雇い」は、封建主義社会や絶対王政社会における為政者自身が心に留めるべき思想であって、民をして主権者として政治そのものは民の中から代表を任ずるのが民主主義でしょう。その当時のアメリカは特にそうだったわけで、ヨーロッパにしても「君臨すれども統治せず」の立憲君主制がありますが、それとは異なり、日本は長きにわたって論語を哲学の基礎としていたのですから「由らしむべし知らしむべからず(「論語」泰伯から。人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない)」が政治の基礎ではありませんか。榎本武揚が箱館にて役職者を選挙で決めた話なら、まだ民主主義と言えますが。
江戸じゃないよ。江戸は東京だよ。長岡は新潟だよ。
「戦争が起こったら武士は覚悟してるけど庶民には迷惑」←民主主義を否定する思想ですね!?民主主義国家に武士とか身分はないんですけど?国が戦争になったらこんな他人事の民が「国の本」なの?民主主義発祥の古代ギリシャ・ローマでは庶民が戦いましたよ?少しは歴史の勉強しなさい
此の様な事言うのはなんですが河井継之助の目指したと云う永世中立国はあの当時、イヤ現代でも不可能だと私は考えます。残念ですが。🇯🇵🌍🌎🌏😅
ありがとうございます!
SuperThanks ありがとうございます! スタッフ一同
今の日本には河井継之助のような人物が必要です。
早く起きて野良仕事を一生懸命に真面目に働く農民。これこそが、このような民が国の財産なんだ!!。司馬遼太郎氏の『峠』を読んだ時に感度して涙が出
「峠」、河井継之助、映画公開に合わせてタイムリーな内容ありがとうございます若い頃、司馬遼太郎先生の原作を読んで感動した記憶が蘇ります😭「武装中立」「戊辰戦争停戦」など、河井継之助さん、素晴らしい思想を抱いていたんですね時代の流れに飲まれてしまい、残念に思います。その昔、大河ドラマ「花神」では、高橋英樹さんが河井継之助さんを演じていて、ガトリング砲をぶっ放したり、死の間際、自らの棺を火葬する炎を焚くよう家来に命じ、その様子を見守っているシーンが強く印象に残っています😌(私がまだ中学生くらいでしたが(笑))ほーりーがわかりやすく河井継之助さんのことを解説してくれて嬉しいです‼️さすが、「ナレーターほーりー」(笑)これを機に「峠」、河井継之助さんについて注目し直してみようかと思います。素晴らしい動画でしたありがとう
素晴らしいストーリーテリングでした。ありがとうございます。
今、この方のような政治家が望まれると思います。
民を思い、郷土を守り、国のことを考え続けた常在戦場の河井継之助のことをもっと知りたく成りました
お恥ずかしながら お名前初耳の方です。これほどの偉人を当時だからと言うより現代人から見てもこの先見の明は、とても感心しました。決して自分の回りや一部の人のみではなく 日本の礎となる民への考え方が学べる
とても素敵な動画でした😃
映画公開中とのことなので時間を作って見に行きたいと思います
今回も動画ありがとうございます🙏
初めまして 私も 少しは 河井継之助の 事を 存じて居りますが 大変に良い解説だと 思いました 解説の中で 小千谷の話が ありましたが 相手に恵まれない
事も ありましたが 私が思うところ 人間はその生まれた環境が その人物の
信条心理の根底に あると思います 厳し日本海と 南の海では元々 考えに 大変な
隔たり が有ると思います いかがでしょうか
アラカンの新潟県民です。
約40年前、司馬遼太郎氏の『峠』を読んで感銘しました。
余談ですが、当時の長岡藩家老に山本帯刀(読んだのが昔なので、役職・名前が違っていたらスマソ)というのがいて、この人が継之助を引き立て、抜擢したのですが、動画の中にあるように北越戦争で長岡は焦土と化しました。
そして、山本帯刀の息子だったか孫だったのが山本五十六です。
第二次大戦後期、アメリカは五十六の故郷の長岡を空爆し、またも焦土と化しました。
大戦を経験した世代の人の中には「山本家のせいで、長岡は2度焦土と化した」と、悪い印象を持っている人も多かったといいます。
新潟には行ったことないけど、仕事の絡みでたびたび長岡市HPを見ています。今年は花火大会が復活‼︎継之介記念館は駅のそばだし、駅中には日本酒ワンコインショットバーもある。生姜ラーメンを食べてアルパカをなでなでして闘牛を見て…あぁ、長岡に行きたい。素敵な動画をありがとう😊
対話というのは互いに敬意をもった相手としか成立しないものだと感じました。官軍の大将が別な人だったら、歴史の流れも変わっていたかもしれませんね。
間違いなく変わってました。
いつも楽しく拝見してます!
先人達の生きた時代に想いを馳せるのも大事ですね。
相変わらず素敵な笑顔で癒されますぜ!
時代の波🌊には、抗えない。柔軟な発想が大事ですね~。
ほーりーさんの歴史解説、素晴らしいですね。いくつか動画を見ましたが、楽しい雰囲気で、また分かりやすく、大変勉強になってます。これからも見ていきたいと思っています。ありがとうございました。
最後うるっとしながらの語り沁み入りました。
長岡藩は幕末になっても畳は用いず、板敷に円座を用いたようですね。常在戦場「戦いの庭に在るぞと常にただ思ふ心をたもてもののふ」でしたかね。
ほ―り―様
河井継之助は越後魂の英雄で御座います! 長岡藩と会津藩と庄内藩は幕藩体制のエリ―ト藩で江戸城に幕閣として君臨しておりましたね✌️
カッコ良いでしたね。 外様の薩長は冷や飯を食わされた幕藩体制でしたね🤣 ボクサースピリットで幕府を倒し国民国家を創成しました! 矛盾点がありますが。
衝突は必然的で、歴史は勝てば官軍で御座います。 現在の価値観はさて置き、歴史を楽しみましょうね💓
河井継之助は日本人の精神史に銘記される最後の侍です🙌
一度継之助の旅行記「塵壺」をお読み下さい。この旅行の目的は備中松山藩の百姓上がりの者に私淑しに赴いた道中記です。
長岡行きたくなりました~ほーりーさんありがとう
玉島港の所に河井継之助の常宿だった看板があります、ここから備中高松の山田方谷さんに会いに行ったんですね。かわいつぐのすけ、と覚えてました。
すごく好きになりました。
「峠」封切り日に観に行きました。
双方の勢力差の割に被害者は拮抗していたようですね。
結果
山県有朋と交渉してたらと思いました😄
(理由はのち程)
東山道楽勝ムードの岩村も土佐の板垣退助の存在も気になったのかね🤫
山県有朋の人望は樋口兼光の墓地(上伊那辰野)に有朋が「彰忠碑」を建てたことからも伺えました😄
(現地で見ました)😄
*河井継之助の描いた長岡に行くのは涼しい秋頃か🤔
-花火-🎇ね~😄
とても興味深く聞かせてもらいました。
こうやって話で聞く分にはとても面白いのですが
映画峠では河井継之助の良さが伝わってこなかったのが残念です。。
余談、新潟県は会津藩だった事もありますね。ですから、会津と新潟はかなり仲が良かったそうです。新潟県の新津に白虎隊の戦った跡地があります。
また戦国時代、武田軍と上杉軍とは親戚関係者も多いと聞きます。
河井継之助のガトリン銃は有名ですが、しかし歴史書はあまりにも表日本について書かれた本が多いですね。日本海側がいかに開かれた所であったかの歴史研究は無さすぎですます。
是非只見線を使って只見の河合継之助記念館にもお越しください。
合理的だったのに、心の土台は武士だった。
それが結果多くの市民を犠牲にすることになってしまった。どうすればよかったのかは本当に答えが出ないです。
150年経った今でも、若輩者で無思慮、傲慢不遜な軍監の「岩村精一郎」は、すごく評判が悪いですよね。
ご紹介有難うございます^^
英雄として讃えられてはいない側面もあったのですね。
ほーりーには、歴史の語り部であってほしいです
現在の日本に必要な考えですね。武装なくして外交はなし得ない。
ガトリング銃は、現在1分間に6,000発発射するバルカンファランクス砲(海自の主な艦艇にはほとんど装備されている)に繋がる銃です。ほーりーちゃんの言う通り、近代史における機関銃の元となったガトリング銃。手合しガトリング銃が幕末日本にあったとは聞いていましたが、長岡藩にあったんですね。いつも勉強になります。ありがとう😊
武装中立。まさに日本のスイスですね。
後で観に行って来ます!レイトショーで!
河井つぎのすけの実年齢と役所広司の実年齢に違和感はありますが。
現代の国のリーダーには一ミリも無い政治思想ですね。
江戸時代もですが私は歴史がすきです。たまに見ています。
今の日本にも通じるところがあるな。先見性がすごい。「非武装中立」なんて言ってた連中は、その浅薄さを恥じるべし。
非武装中立なんてただのキ○○イなので語る価値も無い
これ、最近映画で見たんですけど、描ききれてなかったですねぇ😓
賛否両論あるんですよ。司馬遼太郎も短編で河井を書いていて「英雄児」という短編なんですが、彼のような天才が長岡藩という小さい藩にいたために、長岡が燃えてしまう大惨事を起こしてしまった。無能な人たちなら新政府に恭順するなり、さっさと降伏するなりして長岡の町が燃えるような惨事にはならなかっただろう。
また長岡がもっと大きな藩なら、その力を背景に対話を通すこともできたかもしれない。
もし興味あるなら短編の「英雄児」を読んでみてください。
只見町行ったことあるよ😊
ー小千谷談判直前に片貝で会津と薩長で戦があり、その際に長岡の五間梯子の幟を持った兵がおりました。長岡藩の正規軍の者ではなかった模様ですが、河井家老や三島憶二郎大参与も困惑する中での会談でした。これが運命を決めてしまったのかもしれません。
また、当時徳川慶喜公は上野寛永寺で謹慎、自重中、尾張や紀州徳川家に至っては東海道諸藩に戦わないよう指令を出すなどしており、會津とは真逆。色々と複雑かつ徳川方も不揃いな対応の目立った状況も大きかったと思います。
長岡藩牧野の殿様は譜代大名、江戸幕府の海防掛で江戸幕府老中。当時の越後には譜代も多く、それも左右したと思います。
ラジオ聞いています。
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ホーリーかわいいね🤣🤣
仰ることも通り🤣🤣🤣
さて、次のすてぷだね💗
継之助の実物大が小さくて驚いた記憶
でも象山、松陰、海舟、継之助の時代ロックでかっけーんだよ
お疲れ様です。ええ話しやな〜。映画に成らんかな〜。〇〇さん達に聞かせたいな〜。教科書にも載せたいな〜。
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山本五十六連合艦隊指令長官が尊敬していた人物が河井継之助でした。
坂本龍馬並みに日本の未来のあるべき姿を見通せていた人ではないでしょうか。
長岡の、いや新潟の誇るべき偉人です。
関心のある方は福島県只見町の河井継之助記念館にも是非お立ち寄りを。
坂本竜馬は人気一番の英雄ですね。
其れ司馬遼太郎さんの小説の世界のお話しで御座いませんか?
河井継之助は日本の五大偉人の一人で有る。決して徳川家康や、豊臣秀吉や、織田信長では無い。最も豊臣秀吉は私の先祖の親方様では有るが偉人では無い。何よりも民は国の本、吏は民の雇いとの信念で行動した。当時から民主主義を理想として生きた人でした。当時民主主義なる言葉は無かったにも関わらずです。
司馬遼太郎「峠」で河井継之助のファンになった口です。期待度MAXで映画観ましたが、改めて司馬遼太郎の小説の映画化の無謀さを感じました。せめて役者ぐらいは遠藤憲一さんとか本人と似た風貌の俳優を起用してほしかったです。
司馬遼太郎のお陰様だよな‼️
故人がいなかったら、どうだったか?
今町の戦い
長岡藩は、一応7万石の小藩ですが、実質は、約14万石の中規模藩でしたね……🐧(笑
長岡の英雄と言えば河井継之助と山本五十六ですね
山本元帥の座右の銘も「常在戦場」です
そういえば役所さんおふたりとも演じてますね。
先の大戦というと、ほとんどの人は太平洋戦争を思い浮かべる。
だが東北の人々は戊辰戦争だとさ。
それはイキって言うてるだけや。
京都、洛内の自称代々京都人もそんな感じでイキって、応仁の乱とか言いよるで
司馬遼のお陰で竜馬も河井も未曾有の英雄として人口に膾炙されてしまった。小説の中の快男児と現実の本人が同一視されないように司馬遼もわざと「龍馬」を「竜馬」と表記した旨を語っているが、未だにそこを混同したまま作中の英雄像に心酔して歴史上の龍馬や河井を語る読者がいる。大人になってもフィクションとノンフィクションの区別がつかず英雄崇拝しているアポにも選挙権があるのは危険。ヨーロッパで最も民主的な憲法と云われたワイマール憲法下で英雄待望論の世論のもと、ヒトラー政権が誕生した現実がある。けどそれも民主主義…
日本の浮沈も日本人の民度しだいだ。
写真、鈴木宗男にしか見えない。
庶民にとって被害が大きかったので、地元では今でも評判悪いと聞いたことがありますが。
岩村がムカつく💢
小説はおもしろかったけど、映画はいまいちでした。
今晩は!ホーリーさん
今回は江戸を離れて越後の旅ですね。
河井継之助は勿論知っていますが、司馬さんの峠は読んでいません。ですから河井継之助に関しては、断片的知識しか無いのですが、その拙い知識の中で「小千谷談判」について一言、言わせて下さい。
新政府側代表の若干23才の岩村精一郎がいかに思慮が浅く短気で長岡藩を罵倒し罵ろうとも、河井継之助は平身低頭で一切逆らってはいけなかった、処があろう事か河井継之助は我慢出来ずに新政府側をなじる発言をしたと言われ、端っから聞く耳を持たない岩村精一郎を怒らせた、談判は必然的に決裂した、ある意味で相手の思う壺ですよ。
河井継之助は日頃から相手を罵倒する癖が有ったらしい。
長岡藩の将来が掛かっている話し合いですから、相手側がどの様な人物かを事前に探り、もう少し慎重に思慮深く発言して欲しかったですね。
ほーりーさんは民主主義という用語を誤解されてませんか。河井の言とされる「民は国のもと、吏は民の雇い」は、封建主義社会や絶対王政社会における為政者自身が心に留めるべき思想であって、民をして主権者として政治そのものは民の中から代表を任ずるのが民主主義でしょう。その当時のアメリカは特にそうだったわけで、ヨーロッパにしても「君臨すれども統治せず」の立憲君主制がありますが、それとは異なり、日本は長きにわたって論語を哲学の基礎としていたのですから「由らしむべし知らしむべからず(「論語」泰伯から。人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない)」が政治の基礎ではありませんか。榎本武揚が箱館にて役職者を選挙で決めた話なら、まだ民主主義と言えますが。
江戸じゃないよ。江戸は東京だよ。長岡は新潟だよ。
「戦争が起こったら武士は覚悟してるけど庶民には迷惑」←民主主義を否定する思想ですね!?
民主主義国家に武士とか身分はないんですけど?国が戦争になったらこんな他人事の民が「国の本」なの?民主主義発祥の古代ギリシャ・ローマでは庶民が戦いましたよ?少しは歴史の勉強しなさい
此の様な事言うのはなんですが河井継之助の目指したと云う永世中立国はあの当時、イヤ現代でも不可能だと私は考えます。残念ですが。🇯🇵🌍🌎🌏😅