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毎日毎日貴重な映像ありがとうございます
毎日毎日ご覧いただき、ありがとうございます。
宗谷、サロベツがそれぞれキハ261系はまなすorラベンダー編成で運転されるようになったのが嬉しい。
利尻カッコいいなあ。車両はサロベツと同じキハ183なのに、「寝台」があって「夜行」ってだけで特別感を感じます。庶民派夜行復活してほしいなあ。ムーンライトながらみたいなのでいいから宗谷、オホーツク4号などから札幌→新函館北斗で新幹線のはやぶさ10号に乗り継げる列車が欲しくなります。かつてはS宗谷4号→はまなす→632M→はやぶさ4号という流れで稚内から一気に東京まで行けたので便利だったと思います。使う機会はまずありませんでしたが。っていうか最後の利尻と夜行おおぞらの併走が衝撃的です。こんなに夜行があった時代も今は寂しいですね。あの頃がキハ183の黄金時代だったのではないでしょうか?長々と失礼いたしました
特急時代は「利尻」と「おおぞら」の同時発車でしたが、急行時代には「利尻」と「はまなす」が同時発車をしておりました。惜しむらくは番線が離れていたので、「ライラック」と「すずらん」のような並走シーンにはならなかったことです。
宗谷本線に特急が走るようになったのは意外と最近なんですね
宗谷特急の誕生は2000年3月のダイヤ改正で、その前年の夏には臨時特急「わっかない」がキハ183系がお座敷車を組みこんだ編成で運転されています。
高校の時にバイトでお金を貯め、快速ダイヤの長距離普通列車で稚内行きに初挑戦。北海道の大きさを体感した一番好きな路線です。当時は日没の雪原の向こうの利尻島を山だと思っていました。特急列車はもちろん、最近は路線の存続さえも祈るばかりです。
宗谷線は沿線人口が少ない分だけ、駅間の沿線風景は建設当時とあまり変わっていないかもしれません。そういう所が旅情を一層かきたて印象的なものにするのでしょうか。まだ蒸気機関車が走っていた頃、稚内から旭川までそんな客車鈍行列車に乗車しましたが、夏だったのでず~と窓を開け放って外を眺めていたものです。大抵の駅には駅員が居た時代です。
matuno kura レスありがとうございます。今、アルバムを久々に見たところ旭川発の快速でした。DD51牽引でほぼ7時間40分!……確かに主要駅に駅員さんがいらっしゃり列車交換の度に周遊券に途中下車印を押して頂きはんこでいっぱいになった良い思い出です。そして本当に沿線の風景もほとんど変わっていませんね。また投稿を楽しみにお待ちしています!
今のサハリンが樺太として日本の領土だった戦前には、宗谷線は樺太と本土とを結ぶ重要な幹線でした。その表れとして、函館と稚内港とを結んでいた急行列車(食堂車・寝台車付き)は、苫小牧・岩見沢間は室蘭線を経由し、札幌は通りませんでした。
matuno kura えーっ!初めて知りました。戦前戦後の国鉄にも興味があるのでありがとうございます!
復刻版の古い時刻表を見て私も初めて知った事実でありました。決して経験ではございません。
真ん中の客車のりたかった
あれだけ全国を走っていた客車寝台車は、ものの見事に消えてしまいました。 改めて驚かされます。
最後の「おおぞら」「利尻」競いあってる感じ😅
両列車は同時発車なのですが、位置が悪いのでなかなかいい構図で撮れませんでした。
利尻でも最短は4両か・・・ そういえばオール先頭車のサロベツ(キハ183-200-キハ183-500-キハ183‐1500)があった気がする・・・
それは見た記憶がありません。サロベツはあまり撮影しなかったし・・・
スーパー宗谷は最大6両でしたけど、サロベツは5両だったみたいですね。(車両故障で6両になったことはあったらしいですが)利尻はお座敷含めて8両まで増結されたことがあったらしいですが、見たことはありましたか?
特急「利尻」の長い編成は記憶にありませんが、急行「利尻」なら10両編成を撮影しています。ruclips.net/video/9tRgHpTvX5c/видео.html
サロベツ 利尻 ラッピング車両 派手
正直キハ400の方が好きなのに...
毎日毎日貴重な映像ありがとうございます
毎日毎日ご覧いただき、ありがとうございます。
宗谷、サロベツがそれぞれキハ261系はまなすorラベンダー編成で運転されるようになったのが嬉しい。
利尻カッコいいなあ。車両はサロベツと同じキハ183なのに、「寝台」があって「夜行」ってだけで特別感を感じます。庶民派夜行復活してほしいなあ。ムーンライトながらみたいなのでいいから宗谷、オホーツク4号などから札幌→新函館北斗で新幹線のはやぶさ10号に乗り継げる列車が欲しくなります。かつてはS宗谷4号→はまなす→632M→はやぶさ4号という流れで稚内から一気に東京まで行けたので便利だったと思います。使う機会はまずありませんでしたが。っていうか最後の利尻と夜行おおぞらの併走が衝撃的です。こんなに夜行があった時代も今は寂しいですね。あの頃がキハ183の黄金時代だったのではないでしょうか?長々と失礼いたしました
特急時代は「利尻」と「おおぞら」の同時発車でしたが、急行時代には「利尻」と「はまなす」が同時発車をしておりました。惜しむらくは番線が離れていたので、「ライラック」と「すずらん」のような並走シーンにはならなかったことです。
宗谷本線に特急が走るようになったのは意外と最近なんですね
宗谷特急の誕生は2000年3月のダイヤ改正で、その前年の夏には臨時特急「わっかない」がキハ183系がお座敷車を組みこんだ編成で運転されています。
高校の時にバイトでお金を貯め、快速ダイヤの長距離普通列車で稚内行きに初挑戦。北海道の大きさを体感した一番好きな路線です。
当時は日没の雪原の向こうの利尻島を山だと思っていました。
特急列車はもちろん、最近は路線の存続さえも祈るばかりです。
宗谷線は沿線人口が少ない分だけ、駅間の沿線風景は建設当時とあまり変わっていないかもしれません。そういう所が旅情を一層かきたて印象的なものにするのでしょうか。まだ蒸気機関車が走っていた頃、稚内から旭川までそんな客車鈍行列車に乗車しましたが、夏だったのでず~と窓を開け放って外を眺めていたものです。大抵の駅には駅員が居た時代です。
matuno kura
レスありがとうございます。今、アルバムを久々に見たところ旭川発の快速でした。DD51牽引でほぼ7時間40分!……確かに主要駅に駅員さんがいらっしゃり
列車交換の度に周遊券に途中下車印を押して頂き
はんこでいっぱいになった良い思い出です。そして本当に沿線の風景もほとんど変わっていませんね。
また投稿を楽しみにお待ちしています!
今のサハリンが樺太として日本の領土だった戦前には、宗谷線は樺太と本土とを結ぶ重要な幹線でした。その表れとして、函館と稚内港とを結んでいた急行列車(食堂車・寝台車付き)は、苫小牧・岩見沢間は室蘭線を経由し、札幌は通りませんでした。
matuno kura
えーっ!初めて知りました。戦前戦後の国鉄にも興味があるので
ありがとうございます!
復刻版の古い時刻表を見て私も初めて知った事実でありました。決して経験ではございません。
真ん中の客車のりたかった
あれだけ全国を走っていた客車寝台車は、ものの見事に消えてしまいました。 改めて驚かされます。
最後の「おおぞら」「利尻」競いあってる感じ😅
両列車は同時発車なのですが、位置が悪いのでなかなかいい構図で撮れませんでした。
利尻でも最短は4両か・・・ そういえばオール先頭車のサロベツ(キハ183-200-キハ183-500-キハ183‐1500)があった気がする・・・
それは見た記憶がありません。サロベツはあまり撮影しなかったし・・・
スーパー宗谷は最大6両でしたけど、サロベツは5両だったみたいですね。(車両故障で6両になったことはあったらしいですが)利尻はお座敷含めて8両まで増結されたことがあったらしいですが、見たことはありましたか?
特急「利尻」の長い編成は記憶にありませんが、急行「利尻」なら10両編成を撮影しています。
ruclips.net/video/9tRgHpTvX5c/видео.html
サロベツ 利尻 ラッピング車両 派手
正直キハ400の方が好きなのに...