「生きている時に往生できる」親鸞聖人の教え
HTML-код
- Опубликовано: 1 июн 2023
- 親鸞聖人の教えを表した言葉に「不体失往生」があります。
「不体失」とは「体を失わずして」ですから、つまり生きている只今、往生できる、仏の救いに遇うんだ、と言われています。
往生と聞くと死んでからのこととばかり思っている人が多いですが、親鸞聖人は「生きているときに往生できる」と言われた方でした。
それでそのことを「現生正定聚」ともいいます。
現在生きている只今「正定聚」になれるということで、「正定聚」とは「絶対の幸福」ですから、現在生きている時に絶対の幸福に成れる事を「現生正定聚」とも言われるのです。
このように生きている現在、本当の幸せになれるのが仏教だと、親鸞聖人は徹底して教えられた方であり、そのことを今回の動画では、お話しします。
『本願成就文』とか『改邪鈔』とか、ちょっと仏教の言葉が多々出てきて、難しく感じられるかもしれませんが、大事な言葉ばかりなので、よく知っていただきたいと思い、お話ししました。
-----------------------------------------------------------------
20回の無料メール講座はこちら
-----------------------------------------------------------------
peraichi.com/landing_pages/vi...
↑無料メール講座では、仏教に説かれている「生きる意味」の答えを明らかにしています。
登録された方には、特典小冊子「あなたを幸せにさせない5つの間違った常識」をプレゼント!
-----------------------------------------------------------------
RUclipsチャンネル登録はこちら
-----------------------------------------------------------------
/ @bybuddhism
-----------------------------------------------------------------
ブログ
「生きる意味がハッキリ分かる親鸞の教え」
-----------------------------------------------------------------
shinran-mail.com/
-----------------------------------------------------------------
自己紹介
-----------------------------------------------------------------
shinran-mail.com/profile/
(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
-------------------------------------------------------------------------------
プレゼント
-------------------------------------------------------------------------------
◆小冊子「あなたを幸せにさせない5つの間違った常識」
peraichi.com/landing_pages/vi...
#生きる意味を親鸞に学ぶ無料メール講座はブログから登録ください
素晴らしい教えですね。
自分の生まれた場所や境遇がどうであろうと、往生出来る道があるというのはほんとうに救われますね。
菊谷隆太先生、こんばんは。🌃🤱🌆🤱🌇🤱今日も、ありがとうございます。😁🤱😄🤱😆🤱
勉強になりました。
ありがとうございます。
菊谷先生
ありがとうございました。
🙇♀️
正しいご解説、ありがとうございます。これからも聴聞を重ね、信心していこうと思います。。
勉強になりました。ありがとうございます。関西だけかも知れませんが、「車が途中で故障して往生した。」と「往生」という言葉を「困った」という意味で使います。何故こういう使い方をするのか不思議ですね。
学びになりました。
ありがとうございます💐
今日も、大変、勉強に、なりました。生きている時に、往生しなければ、です。尊い、お話し誠に、ありがとうございました。
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐は一向専念無量寿仏とその布教のみである〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無不可思議光如来 帰命尽十方無碍光如来〜三戸拝🙏🙏🙏
いつも有難う御座います。
此岸から彼岸へ
あの世に行く事、ではなく、
この世を浄土にすること。
でしょうか。
有難う御座いました。
そもそも生命とは無に帰することに 逆らう 抗おうとするから欲が生まれ 更に増やそうと欲が膨らむから毒を帯びます 無へ帰ろうとすることは命あることに於ける心や魂の怯えです 最低限 生命保存の気持ちによって 行動活動して無でなくなろう この葛藤が生じるのが命です 出来事ないことは果がありません 因や果がないと 無であることにも逆らい抗いません こういう無での安堵が浄土での仏になる一つ境地なのでしょう ありがとうございました
ありがとうございました。🙏
(菊谷隆太先生動画視聴視聴メモ)
★「生きている時に往生できる」親鸞聖人の教え
1.本願成就文【釈迦、即得往生】
往生(浄土へ往って仏になる)、
不体失往生(生きている時に往生)親鸞聖人
2.改邪鈔
生死流転の本源=疑情=無明の闇
金剛心=絶対の幸福(信心決定)
〝最期の一念に 善悪の正を 引く〟 誰にでも必ずその時がやって来る 覚悟を決れば 残された人生 の生き方が かわってくると 感じます
自らの心の声を聞き、仏を見出す…しかしまた…我々はDNAの運び屋に過ぎないかも知れないし…
動画で大分県では、警察官が犯人に手錠をかけて
「往生したか。もう往生せい」と言っていたが。
あきらめよの意味?愛媛県では、犬が吠えて
往生したと。苦労した、困ったの意味。
仏様とは、すべての死者に最大限の敬意を示した言葉である。お釈迦様と同じということ。本来の意味ではない。
即得往生=不体失往生に関して疑問です。
即、仏として生まれたということは今生で親鸞仏(如来)になられたのか?では娑婆世界もまた極楽浄土の一部なのか?ならば文言は"即得往生"ではなく"即往生"ではないのか?
金剛なる不退心にて絶対の幸福は得たとしても、自ら凡夫と称して今生で成仏したと親鸞聖人は仰るでしょうか?
あと、極楽浄土に生まれるのみで仏に生まれるという文言はなく、成仏はまた別の話ではないでしょうか。
「自力を捨てて他力に帰する」の一言で終わってしまう。ありがたいお釈迦様の教えはどうなってしまうのか?地球外生物の阿弥陀様にゆだねてしまって本当に大丈夫なのか?
自力でも悟ることはできる。他力より限りなく難しいと言われるが。釈迦は自力で悟ったように思う、釈迦の悟りの方法も他力だったのか?
即身成仏というのはよく聞く、同じこと?釈迦は生きながらに仏となった。つまり、生きて往生するとは、生きながらにして仏になること?釈迦や阿弥陀仏と同列にならぶ仏になり、信仰の対象になり、あまねく衆生を救う仏になることなのだろうか?
日本仏教の新興宗教の第一号元祖が親鸞の浄土新宗であります‼️。
浄土新宗でなくて浄土真宗です。
それでは、真宗大谷派の現世往生が正しいことになります。肉体を持つ限り煩悩を持っています。いつ大きな罪を犯すかもしれません。現世往生は間違っていると思います。
言葉の捉え方の問題となりますが、往生が「浄土に往って仏に生まれる」と定義されるのであれば、生きている時に往生できるとはなりません。
悟りを得た際には「生まれは尽きた」と明確に認識すると言われています。
また、悟りとは真理を自らはっきりと認識することであり、「認識したことを無かったことにする」ことなんて出来ませんから、その時点で涅槃に往くことは確定した状態となります。
そういう意味だと「生きている時に往生できる」ということは、言いたいことは分かるのですが、、、
日本語としては少々おかしなことになっていますので、表現方法は見直した方が良いのかもしれませんね。