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ジャンプステッカー、当時話題になりましたね♪
もうTVは熱くさせる、興味がなく何気なく見ていていつの間にか虜になるような番組は無くなってしまった様に思えますね。日本人を熱くさせまいとしている様にしか思えてなりません。トミさん3ARは日本を熱くさせましたよ_(┐「ε:)_bありがと〜
MP4/6の蛍光レッド懐かしいです。1991年鈴鹿GPのマクラーレンホンダは圧倒的強さでしたね。
セナが乗ってたマシンめっちゃかっこいい…
MP4/6、今まで蛍光って知らなかったし、テレビで蛍光に見えてませんでした。でも、この動画は蛍光で見えてます!
マクラーレンMP-4には驚きました
ポルシェ962は、ヘッドが水冷です。
今度のG-TRはVTECturboなのか?
杉の貫ようの板では可哀想 😢せめて桧舞台 ならぬ桧板がよかったかな、メカには無関係のようですが!
CLT(直交集成板)ですね。 林業の盛んな真庭市には日本初のCLTの量産工場もありますので、真庭ならではの舞台かも。
世界選手権のナショナルカラーの説明が間違ってます。ホンダが参戦した時の日本のナショナルカラーは白色ではなく白地に赤丸です。白色は米国のナショナルカラーです。ちなみに本田宗一郎は当初「金色」に塗ったマシンで参戦しようとしましたが、金色は南アフリカのナショナルカラーだったので白字に真っ赤の日の丸カラーになった経緯がありました。イタリアが赤イギリスが緑フランスが青ドイツが銀色
@ ココの話は金色HONDA RA-270の後で参戦したRA-271が白地に真っ赤な色になった経緯を言っている。下記を参照されたい。List of international auto racing colours
@@択捉ぱがーに 参照先を確認されたい。米国=白との記述を読んでから「すみませんでした」と、頓珍漢な言い掛かりを謝罪しろ。
② ホンダのHPの記述ナショナルカラーを決定するためにFIAへ出かける際、携えていったデザイン画の複写。すでに日の丸が描かれている。当初、本田宗一郎はHondaF1マシンの車体色、すなわち日本のナショナルカラーとなる色を金色にしようと考え、「車体を金色に塗れ、できれば金箔を貼れ」と言い、実際に初期の開発作業の中で実験車両RA270は金色に塗られた。当時の担当者はこう証言する。「オヤジ(本田宗一郎)は最初、金箔を貼れ!と言い出したんですよ。でも、当時塗装室にいた職人気質の頑固親爺、でも大変優れた方がいて、『いくらオヤジが言ったからって、そんなことできるわけがねえじゃねえか!』って。それでもなんとか、金色にしようと考えたんです。当時、工場の近くにあった肉屋さんが使っている秤が金色だったなと思い出して、あれがいいとわざわざ一緒に見に行き、当時の塗料メーカーにできるだけ近い色をつくってくれと無理を言った。金色とはいってもかなり目が粗いフレーク塗装というやつでね、そこにクリアを厚く塗ったから、まあ派手にビカビカ光るんです。オヤジも文句を言わなかったからこれで良かったんでしょう(笑)」本田宗一郎がなぜそこまで金色にこだわったのか今となっては真相は分からないが、ただ派手にしたかったのではないかという説もあれば、本田宗一郎にとって日本のイメージ色は金色だったのだろうという説もある。しかし、1964年にF1にデビューした実戦車両RA271は結局は金色ではなく白地に赤い日の丸を描いたカラーリングで彩られていた。ナショナルカラーがこの色の組み合わせに決まった経緯については、FIA側から提案があったとする説があったが、他の説が今回の取材で得られた。HondaはFIAとの交渉以前にすでに金色が南アフリカのナショナルカラーとして登録されているのを知っており、白は米国のナショナルカラーだった。但し1964年頃の米国ではインディ500等のレースが主であってヨーロッパで戦うフォーミュラ1世界選手権は冷ややかだった。白黒フィルムのニュース映画を観た場合に白い車体はドイツのシルバーに似ているので白地に日の丸の組み合わせを採用したということだった。F1初代監督の中村良夫が、当時FIAへ交渉に行く際に携えていったというカラーリング原画は、実験車両のRA270をベースに白地に日の丸を描いたものである。前出の開発担当者によれば、「あの日の丸は、『このへんにこれくらいの丸いの!』とオヤジさんが身振り手振りで決めました。直径は何センチで、とかそういう話ではなく、グルグルやってる手の動きを見て、こんなもんだったかなって。そもそも、オヤジのイメージ、実現したい形とか色とか大きさをそれだけで理解できないと殴られちゃう(笑)。わたし自身は悪くない色だなと思うけど、良い悪いを超えた話でしたね。オヤジが決めちゃったんだもの。個人的には、ラインを入れた方が良かったかなとは思いますけどね」ということになる。こうした証言に加えて、その後実験車両のRA270も金色からホワイトに塗り替えられて試走をしている記録もあり、白地に日の丸というナショナルカラーは、現在言われているよりも前の段階で、案としてHonda内部で(というよりも本田宗一郎の頭の中で)イメージされていたものとも思われる。
@@択捉ぱがーに 若年性痴呆症の君は、自らの努力で病状を回復する努力が必要だ。
私が調べもせずに頭の中の知識の直感だけで喋ってしまいこのような事態になった事をお詫びします。どうかお納め頂けたらと思います。
962C?、トミタクサンが言われるウォーターポンプ、タービンのコンプレッサーハウジングじゃないですか?タービンからインタークーラーに入ってサージタンクへ。違いますかね。レーシングカーが水冷式のインタークーラー(あまり温度さがらないから)では効率が悪いと思うんですが。博士にこんなこと言ってすいません🙇
パッと見ただけのコメントなので、私が間違っていると思います。すみません🙇
@@tomitaku3AR さん生意気なこと言ってすいません。
@@tomitaku3ARトミタクさんの見た通りウォーターポンプで間違いありませんでしたよ。空冷インタークーラーとラジエーターが一体になって居て、その下に排気菅とタービンが有り、タービン直後の車体側面が排気口となってます。
ジャンプステッカー、当時話題になりましたね♪
もうTVは熱くさせる、興味がなく何気なく見ていていつの間にか虜になるような番組は無くなってしまった様に思えますね。
日本人を熱くさせまいとしている様にしか思えてなりません。
トミさん3ARは日本を熱くさせましたよ_(┐「ε:)_bありがと〜
MP4/6の蛍光レッド懐かしいです。1991年鈴鹿GPのマクラーレンホンダは圧倒的強さでしたね。
セナが乗ってたマシンめっちゃかっこいい…
MP4/6、今まで蛍光って知らなかったし、テレビで蛍光に見えてませんでした。でも、この動画は蛍光で見えてます!
マクラーレンMP-4には驚きました
ポルシェ962は、ヘッドが水冷です。
今度のG-TRはVTECturboなのか?
杉の貫ようの板では可哀想 😢せめて桧舞台 ならぬ桧板がよかったかな、メカには無関係のようですが!
CLT(直交集成板)ですね。 林業の盛んな真庭市には日本初のCLTの量産工場もありますので、真庭ならではの舞台かも。
世界選手権のナショナルカラーの説明が間違ってます。
ホンダが参戦した時の日本のナショナルカラーは白色ではなく白地に赤丸です。
白色は米国のナショナルカラーです。
ちなみに本田宗一郎は当初「金色」に塗ったマシンで参戦しようとしましたが、金色は南アフリカのナショナルカラーだったので白字に真っ赤の日の丸カラーになった経緯がありました。
イタリアが赤
イギリスが緑
フランスが青
ドイツが銀色
@
ココの話は金色HONDA RA-270の後で参戦したRA-271が白地に真っ赤な色になった経緯を言っている。
下記を参照されたい。
List of international auto racing colours
@@択捉ぱがーに 参照先を確認されたい。米国=白との記述を読んでから「すみませんでした」と、頓珍漢な言い掛かりを謝罪しろ。
② ホンダのHPの記述
ナショナルカラーを決定するためにFIAへ出かける際、携えていったデザイン画の複写。すでに日の丸が描かれている。
当初、本田宗一郎はHondaF1マシンの車体色、すなわち日本のナショナルカラーとなる色を金色にしようと考え、「車体を金色に塗れ、できれば金箔を貼れ」と言い、実際に初期の開発作業の中で実験車両RA270は金色に塗られた。当時の担当者はこう証言する。
「オヤジ(本田宗一郎)は最初、金箔を貼れ!と言い出したんですよ。でも、当時塗装室にいた職人気質の頑固親爺、でも大変優れた方がいて、『いくらオヤジが言ったからって、そんなことできるわけがねえじゃねえか!』って。それでもなんとか、金色にしようと考えたんです。当時、工場の近くにあった肉屋さんが使っている秤が金色だったなと思い出して、あれがいいとわざわざ一緒に見に行き、当時の塗料メーカーにできるだけ近い色をつくってくれと無理を言った。金色とはいってもかなり目が粗いフレーク塗装というやつでね、そこにクリアを厚く塗ったから、まあ派手にビカビカ光るんです。オヤジも文句を言わなかったからこれで良かったんでしょう(笑)」
本田宗一郎がなぜそこまで金色にこだわったのか今となっては真相は分からないが、ただ派手にしたかったのではないかという説もあれば、本田宗一郎にとって日本のイメージ色は金色だったのだろうという説もある。
しかし、1964年にF1にデビューした実戦車両RA271は結局は金色ではなく白地に赤い日の丸を描いたカラーリングで彩られていた。ナショナルカラーがこの色の組み合わせに決まった経緯については、FIA側から提案があったとする説があったが、他の説が今回の取材で得られた。
HondaはFIAとの交渉以前にすでに金色が南アフリカのナショナルカラーとして登録されているのを知っており、白は米国のナショナルカラーだった。但し1964年頃の米国ではインディ500等のレースが主であってヨーロッパで戦うフォーミュラ1世界選手権は冷ややかだった。
白黒フィルムのニュース映画を観た場合に白い車体はドイツのシルバーに似ているので白地に日の丸の組み合わせを採用したということだった。
F1初代監督の中村良夫が、当時FIAへ交渉に行く際に携えていったというカラーリング原画は、実験車両のRA270をベースに白地に日の丸を描いたものである。
前出の開発担当者によれば、「あの日の丸は、『このへんにこれくらいの丸いの!』とオヤジさんが身振り手振りで決めました。直径は何センチで、とかそういう話ではなく、グルグルやってる手の動きを見て、こんなもんだったかなって。そもそも、オヤジのイメージ、実現したい形とか色とか大きさをそれだけで理解できないと殴られちゃう(笑)。わたし自身は悪くない色だなと思うけど、良い悪いを超えた話でしたね。オヤジが決めちゃったんだもの。個人的には、ラインを入れた方が良かったかなとは思いますけどね」ということになる。
こうした証言に加えて、その後実験車両のRA270も金色からホワイトに塗り替えられて試走をしている記録もあり、白地に日の丸というナショナルカラーは、現在言われているよりも前の段階で、案としてHonda内部で(というよりも本田宗一郎の頭の中で)イメージされていたものとも思われる。
@@択捉ぱがーに 若年性痴呆症の君は、自らの努力で病状を回復する努力が必要だ。
私が調べもせずに頭の中の知識の直感だけで喋ってしまいこのような事態になった事をお詫びします。
どうかお納め頂けたらと思います。
962C?、トミタクサンが言われるウォーターポンプ、タービンのコンプレッサーハウジングじゃないですか?
タービンからインタークーラーに入ってサージタンクへ。違いますかね。
レーシングカーが水冷式のインタークーラー(あまり温度さがらないから)では効率が悪いと思うんですが。
博士にこんなこと言ってすいません🙇
パッと見ただけのコメントなので、私が間違っていると思います。
すみません🙇
@@tomitaku3AR さん
生意気なこと言ってすいません。
@@tomitaku3ARトミタクさんの見た通りウォーターポンプで間違いありませんでしたよ。空冷インタークーラーとラジエーターが一体になって居て、その下に排気菅とタービンが有り、タービン直後の車体側面が排気口となってます。