竹内街道・横大路(大道)歴史講演会『竹内街道・横大路を通って運ばれたモノ』

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  • Опубликовано: 5 янв 2025

Комментарии • 3

  • @abcdef-p5t3h
    @abcdef-p5t3h Год назад

    とても面白かったです。春に八木札の辻交流館の近くに宿泊しました。どうしてこんなに道が狭いのかと思っていましたが、理解できました。世界遺産になるといいですね。9月にまた同じ宿泊施設に泊まり桜井市を訪ねる予定です。橿原市桜井市を見るポイントもわかってきましたので、じっくり散策してみます。

  • @正直ポチ
    @正直ポチ 2 года назад

    オープニングから最後のまとめまで、学術的な濃い内容を、素人の私でも楽しめるようにお話しいただき、有難うございました。 先ずは、橿原市役所分庁舎・展望フロアに伺わせていただきます。

  • @buluemoon2008
    @buluemoon2008 2 года назад

    発掘されている宮で、正南北方位で造営されているのは、現時点で飛鳥板蓋宮(643)が最古。舒明天皇の飛鳥岡本宮(630)まで正方位で造営されていない。したがって、推古天皇の時代に正方位の道路(難波大道、横大路、下ツ道等)を作る測量技術はない。さらに、前期難波宮(650)と難波大道はほぼ同じ方位(約25分東偏前後)で造営されている。なので難波大道は敷設は653年となる。また、横大路の現在の道路の方位は約28分の西偏(東で北偏)となり、真北から逆方向にほぼ同じ方位。これは北極星を使って測量をしているため。したがって、難波大道から竹内街道、横大路への正方位の道は当然ながら653年までない。