奈良時代の人々の暮らし/小宮まゆみ/第51回港南歴史講座
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- Опубликовано: 11 фев 2025
- 第51回港南歴史講座
奈良時代の人々の暮らし
〜港南の地にも都とむすぶ暮らしがあった〜
講師:小宮まゆみ
日時:2023年3月15日 14:00
会場:港南区社会福祉協議会 会議室
主催:特定非営利活動法人港南歴史協議会
konanrekishi.h...
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大変興味深いお話です。当時の生活が目に浮かぶようで、肌感覚で歴史を感じることができました。
素晴らしい講演ありがとうございました。たいへん勉強になりました。
奈良時代の久良郡のお話し楽しかったです。
目からうろこ! 奈良時代にすでに日本の官僚による優れた行政があったのですね。 このような先生から日本歴史を学ぶことが出来たら幸せでしょうね? 本当に良い講座でした。
小宮まゆみ先生のご講義、わかりやすいご説明に感服しました。ありがとうございました。
面白かったです。これらのシステムがゆっくりゆっくり熟成されて武士の台頭につながっていくのだなあ、と。
国府津でも幅のある道の遺構が発見されているとの記憶があります。山北から足柄峠へ向かうルートは現行の道と重なるだろうけど、12m幅で構築できたかは、疑問。さらに峠に近づくと、箱根越え以上に険しくなり、12mの道をつくるのは無理だったろうと思っています。三島にも遺構があったような?構想はしても地形的に実現できなかったという疑問です。これは口分田についても同じように思っているし、こちらについては、人口との数的整合困難もあります。
租の1把、1束の関係は江戸期の農書にも記載があり、当地でもごく最近までこの関係は行われていました。鎌で刈って左手ににぎりながら、10回刈った左手に握ったものを稲わらで結い把にします。その把を田面に並べながら刈り進みます。後に、この把10ないし12を「つなぎ紐」で結ったものが束です。2束を穂を上にして互いに寄りかからせ、立てて田に整然と並べる乾燥法を当地では「結立て」と言っています。並べた様子で遠くから見てもでも「出来高」の見当がつきます。律令期や江戸期農書の記載と現代農民の作業法が同じなので知っておどろきました。律令期の収量について記録が残っているのですか?
1人役という言葉が残っていて、田作業の面積単位として、男(正丁)ひとりの担当面積を言うが、当該農地の難易度で変化します。平野部で300坪、山間部で200坪だと古老は言っていました。不慣れな私が実際に手作業での稲作をやった経験で、妥当な数字かなと思いました。口分田の時代、かなり粗放で生産性が低い稲作であったろうと感じました。農業技術の進展と養える人口=マルサスだなと思いました。
把と束のお話、大変興味深いです。ありがとうございました。
奈良県立歴史民俗博物館(笑い飯)
大変勉強になりました。もっといろいろなところで講演してください。
素晴らしい。
とても勉強になりました。
ありがとうございます。
港南区レベル高ぇEEEEEEEEE
我が保土ヶ谷区完敗w
意図的に外したと思いますが、律令国家は軍事国家です。民衆と軍事についてのアプローチも欲しかった
古代の貴族はただ遊んで暮らしていると思っていました。源氏物語を読むとあまり働いているところがないのでしょうか。
誤変換連絡です
協議会が競技会になってます
ありがとうございました。早速直してもらいました。