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6:401976年だと、野茂投手はまだ小学生です。
とにかく欲しくて欲しくて親に頼み込んで誕生日かクリスマスかに買って貰って遊びつくしました。しかしある時期を境に全く触る事すらなくなりました。ファミコンのベースボールが家に来たからです(笑)
野茂投手のMLBデビューは1995年ですよ1976年だと王さんの本塁打記録もまだ生まれていない時代ですね😄
子供の頃、ボードゲームが大好きで、人工芝球場の野球盤を買ってもらって、友達を家によんで遊んでいました。バッターを実在の選手に見立て、リアル実況しながら楽しむのが、定番でした。
30年以上前、家が近かった従兄の兄さんと良く遊んだなぁ~ 本当に懐かしい。
こちらの動画のお陰で、小学生の頃に友人の家で野球盤AM型を遊んだ思い出が鮮やかに蘇りました。ありがとうございました。
私はとても貧しい家庭に生まれたので、玩具を買ってもらえることがありませんでした。裕福な同級生が野球盤を買ったと聞くと、母親におにぎりを作ってもらい、それを土産に遊ばせてくれないかと頭を下げて遊ばせてもらいました。でも、ルールは持ち主次第で、なにも面白いことはありませんでした。おにぎりがもったいないな、お腹が空いたなと思ったことだけを今でも思い出します。私には、辛くて、きらいな遊びです。
自分が買ってもらった野球盤は、安いタイプでスコアボードは差し込むだけだったけど、友達が持っていた野球盤は、スコアボードに球団名や得点を切った紙を差し込むタイプでその係りをするのが楽しかったです。
一人で野球盤をしていたこともあったなあ。その時は高校野球全国大会と称して名前をわざわざスコアボードサイズに作って遊んでました。池田・箕島・PLetc・・
マニヤだ・・・・!
スコアラーだわ。
AM型を持っていました。(1975年ごろ)。消える魔球を打とうとしたら、時々、地盤とバットの間にボールが挟まって固まる…という事象が発生したのを覚えています。数年後(1975~1980年ごろ)、守備位置を自由に動かせるタイプの野球盤が発売された記憶があります。(友達が買っていました。)それまでの「守備位置に固定の穴がありその上に選手人形が立っている」というのではなく、「プラスチックの台座(中に磁石が入っている)に選手人形が立っている」というやつです。台座の中に磁石が入っているので、その台座にボールがひっついたらアウトというルールでした。各選手を台座ごと自由に移動できるので、例えば2塁と3塁の間にすべての守備選手を並べたりできました。(「○○選手シフト」などと言って遊んでいました。)私の感想として、ボールが磁石でくっつく守備より、従来の固定穴式の守備の野球盤の方が好きでした。
懐かしいですね!買って貰った記憶はないけど、家にありました。子供の頃よく遊んでました。まだ、ファミコンがない時代で、全く同じ野球盤を隣の友達が持ってたので、夏休みとか野球盤2つで集まってリーグ戦とかしてましたね。その時のローカルルール?では、消える魔球は反則という事でセロハンテープ貼って使えないようにしてたし、1塁と3塁のベースにマッチ棒を置き、フェアかファールか分かりやすくしてましたね。じゃないと、熱中してたから、揉めたりした事もあるから・・・。
野球盤の思い出といえば、昭和50年代前半の小学生の時、クリスマスの前日に親がクリスマスプレゼント用に押入れに隠していた野球盤を二つ上の兄と一緒に見つけてしまったこと😁兄と相談して、見なかったことにしようとなりましたが、クリスマス当日は、なんか気持ちがソワソワして落ち着かなかったのをおぼえています。その野球盤はスタンド席の色が黄色で投球が単発式のCM型でした。兄と一緒に飽きるほど遊びましたが、やっぱり“消える魔球”でしょっちゅうケンカになりました。一人で遊ぶ時は、消える魔球のプレートをちょっとだけ下げて固定し、プレートの段差の所に球を置いて打つとゴロではなくフライが打てるので、スタンド超えの場外ホームランを狙って遊んでいました。動画の様に球をまとめてセットして投げる事もしましたが、自分たちは“増える魔球”ではなくアニメ『侍ジャイアンツ』の影響で“分身魔球”とよんでいました⚾⚾⚾あと、球がすぐにどっかにいってしまうのでパチンコ玉で代用していました😄
私もCM型を持っていましたが、昭和40年代半ばなんで、このタイプも息の長かったんですね。ちなみに私は自分のお年玉で買いましたが、家族皆んなで使い回した記憶が。
近所のツレと遊ぶ時「消える魔球」は禁止ということにされていた。やはりトラブルの元になるからと思われ。トミーのポケットメイトシリーズにも野球盤を小さくしたようなのがあった気がする。
たまにばっちりタイミングが合うとものすごい場外ホームランになって子供ながらにバッティングにはタイミングが必要と感じた。
とても、懐かしいです。当時の人気プロ野球選手がイラスト入りで販売されていた野球盤が好きでした。
野茂英雄氏のメジャー挑戦は1995年です。
野球盤が2000年以降も出てるのが一番の驚きだった。ファミコンの発売以降はゲームに押されて無くなったと勝手に思ってた。
パーフェクト野球盤A型、持ってました。消える魔球を投げる前に使って見せて直前で取り消したり、タイミングによってはボールをホップさせることもできました。ランナーを出したり引っ込めたりして「リーリーリー」とかもやってたな。
守備側の子がバネ全力で引いてガチャッと全速投球すると、攻撃側の子がそれに合わせてバットを振る。これを数回やったのち、守備側の子が投球ではなく魔球メカだけガチャッと動かすと、なぜか(笑)攻撃側の子がバット空振りしてくれる・・・懐かしい思い出。
消える魔球って、穴に落ちる瞬間狙って打つとよく飛ぶんだよな。いい感じにホップしてスタンドに入る。
スコアボードが斬新でしたね。出始めの頃は、ライオンズがまだ「クラウン」だった。
私の時代は太平洋だったよッ♪
「クラウン」から「西武」に身売りしたのでチーム名の用紙の裏面に書き直しました。また、MLBや高校野球も楽しみました。
とんねるずの「リアル野球盤」が好きでした🤗
プラスチックタイプ、人工芝タイプの後者を持っていました。連続投球可能になってから進化は激しく、LED内蔵とか、実際に投げるのまで。フード付きも出たね。完全なLEDは昭和時代に7000円ぐらい。親父が電気関連の仕事だったので、興味があり、高いのに買ってきて夢中になっていた。プレイボールと音声が流れていた。ゲーム終了とか。いい時代だった。
東京ドーム型を父に買ってもらった記憶がある。楽しかったなぁ
野球盤、パーフェクトボウリング、魚雷戦ゲーム・・・これを見て、一気に当時の懐かしいゲームたちを思い出した。
四十路五十路オッサン涙目動画有り難う御座います。ここから自分語りになってしまいますが、今から30年位まえ自分は学童保育と言う両親が共働きの小学生低学年の子供を預かってくれる施設があり、(親の仕事が終わるまでの時間まで)そこでこの野球版を知りました。当時その野球版で遊びたかったのですが、何時も上級生が遊んでて自分は遊べなかったから遠くから眺めてただけでしたが運良く自分が野球版で遊べる時がありましたが一緒に野球版で遊んでくれる友達がいなかったから一人でガチャガチャいじくってたら、見かねた学童保育の職員さんが遊び相手になってくれました。今となっては懐かしい記憶です。
小学生の頃はめっちゃやったわ野球盤wもちろん消える魔球あった野球盤それと両指でおもっきりバチコーンて投げる速いストレートも投げてたわw
同じことやってる人発見w
なんか、消える玉のもありましたね、打てなかったわ。エポック社製って、懐かしいわ😭
フォーク(消える魔球)は場外ホームランを打たれやすい諸刃の剣でした
エポック社ではないんですが、30年以上前にヨネザワのビッグエアロドームっていう野球盤を遊んでました。発泡スチロールの球を空気で浮かせて投げる3D野球盤の元祖みたいなやつです。今は金属球が宙に浮く時代になったんだなあ
小さな野球盤ともいえる、トミー・ポケットメイト野球ゲームは未だに愛用しています。
ノーアウトやワンアウトでランナー1塁の時に、内野ゴロを打つとダブルプレー成立同じく、ランナー3塁で外野フライだと犠牲フライ成立とか、独自のルールを作って遊んでた😆
自分もそれやってましたw あとは打者に当たる(スローボールで打者方向に曲げるとたまにある)、かつバットを振らないとデッドボール成立とか、サイコロを使った盗塁チャレンジとか。
投球レバーを指で弾くと豪速球が投げられる(リアルなら160キロ以上かな)消える魔球も半開きにして通過時にタイミング良く戻すと、玉がジャンプして浮き上がってバットが空を切る。
ピッグエッグまでが昭和だけど、この辺はもうファミスタしてましたね友達の家にあったのはパーフェクト野球盤、原辰徳のA型野球盤でしたスコアボード、投球装填球数、左打席、ランナー跳ね上げレバー式、差し込み式の差だったと記憶
AM型持ってました。当時押しのチームはクラウンライターライオンズ!
シンプルなAM型持ってました。よく弟と遊んだのを思い出します。
野球盤、持ってました❗小3のクリスマスに親に無理言って買ってもらったヤツです‼️先日二階の屋根裏倉庫から出てきました‼️😆😁😙
自分も当時バネを強力して豪速球して遊んでいましたね。
バネを強力にしなくても投球するピンを人差し指と中指で挟んで引いてから、人差し指ではじくとものすごい剛速球が「投げられた」よw
AM型でしたが消える魔球の装置を使って玉をジャンプさせるのはもちろん、バネを少ししか引かずに投球すればスローボールになるので変化の大きいカーブ、シュートが投げられるので回数制限など設けずに消える魔球とバットの届かない玉のみボールにして7色の変化球で遊んでいました。
野球盤懐かしい~😂最後に見たのはゲーセンでした😅今から15年位前だったかな100円で4回裏までで200円で9回裏までだったかなぁメーカーは憶えていませんが野球盤が懐かしくて連コインした記憶が有ります。
本当に好きだった。磁石を使ってカーブ、シュートでコースを分けるって簡単だけど凄いアイディアだったね。自分が持てるのは「消える魔球」が付いてないやつだった。
自分が最初に買ってもらった野球盤は1967年くらいの野球盤で上部にふたみたいのがあり守備位置が穴でアウトになるとスコアボード下に戻ってくるタイプだったと思う。その後A,B,Cと値段によって機能に変化をつけたものがあった。それにしても当時はバスケットやサッカー、ボーリングなど実際の球を使ったゲームがいっぱいあったが今はどうなっているんだろう?後、”花山”の野球ゲームは紅白のサイコロをふって1-1がでたらホームランなんてんてのもあった。
私が親父に買って貰った野球盤にはスコアボードに貼るチームの名称が「東映」「東京」とか付いた物でした
消える魔球はホームランになりやすいという弱点があった。あとインコースに入ってくるシュートもホームランになりやすかった。ボタン式しかやったことないな。
実際の野球盤も持っていたが、以外にも「自作」して弟と遊んでた!大き目のカレンダーの裏の白いトコを使って、球場を鉛筆で書いて、紙か消しゴムを丸めたボールを造って指で弾いてゲームをした想えば、アノ頃は¥のかからない遊びを開発してたんですよねぇ~・・・
年の離れた兄達が消える魔球機能付きのを持ってました。で、必ずそれで泣かされて...というので、あまり一緒には遊ばなかったなぁ。たまに暇つぶしに一人で選手のコマを使ってごっこ遊びしてました(笑)。「巨人の星」も懐かしいけど、「侍ジャイアンツ」も好きでした。
なんか現代の野球盤の進化がすごいですな。これは一度遊んでみたいものです。自分は80年代の場面で出てきたパーフェクト野球盤で原辰徳選手をフィーチャーしたB型というのを持ってました。しかし、昔は友達の家には1台は野球盤があるくらい人気でしたな。なもんで、みんな結構ガチでプレイしてて、投手サイドになった時は投球レバーをデコピンの要領ではじくことで剛速球を投げたり、消える魔球のフタをちょっとだけ開けてボールを飛ばして相手を直接攻撃したりと、割とバーリトゥードでした(笑
私も子供の頃に「原辰徳のパーフェクト野球盤B型」を祖母に買って貰い大切にしていました。当時の私は関西人でも無いのに大の阪神ファンで巨人は大嫌いだったので、玩具屋にこれしか置いてなくて悩ましかったですね(苦笑)投球レバーをデコピンで剛速球を投げようとして連投用の蓋が吹っ飛んだり、デコピン剛速球に対抗してバットをデコピンで強振したり、やり過ぎで人差し指の爪が痛くなってましたねwあとボールの代わりに野手人形など違うものをセットして投げて打って城外ホームランして遊んだりしていました。
エポックメイキングって日本語では画期的って意味だし、エポック社って名前は当に名は体を表すの画期的な玩具メーカーだったよね👍確かエポック社はサッカーのゲームも発売していて、こちらの方も立体的なリアルを追求したようなゲームだった😁ただプレーヤーのフィギュアの足が壊れやすかったが…。
野球盤懐かしい、、小学生の頃、「原辰徳の野球盤」と言うネーミングの野球盤持ってた。(正式名称だったかは忘れた)バットのバネ強化したり、消える魔球の板を使って玉を浮かせたり、いろいろやった記憶。デジタル時代全盛期に、今でもアナログチックな野球盤売ってるのに驚いた。まあ、かなり進化はしてるけど、今でも需要あるとは驚き。
原辰徳の野球盤うちにもある。
兄がAM型を持っていました。あと、同じくエポック社製のカードゲーム型野球盤もありました。
うちのはツクダオリジナルのナイター照明付き野球盤でした。守備人形が磁石になっていて王シフトとか出来たんです。実際に部屋の電気消してやってました。
消える魔球スロープとバットがボールを挟み込む事が何回かあったなあちなAM型
AM型(連続投球無し)を持ってました。消える魔球は1イニングにつき1回ルールでした。バットを差し込む時に角度を90度変えてセットすると、バネの力が強くなって場外ホームランになるんですよね。チーム名のカードには太平洋があって、巨人、阪神、阪急、近鉄くらいしか知らなかった私には大洋と太平洋の区別が付きませんでしたw
同じの持ってました。バネがバカになったあとはグリップのところを振りぬくことで場外ホームランしたり、消える魔球をすくい打ったりしてました。ピッチャーも負けずに指ではじくことで剛速球にしたりしてましたねえ。
太平洋クラブライオンズ懐かしい
動画を観て息子と遊びたくなりポチってみました。
野球盤火、懐かしいな、小学校時代に友達の家でやってましたね。
この『野球盤』は本当に画期的でよく出来てるオモチャで、よくクラスメイトのお家で遊んだものですよ(持っていなかった)、、、。小学生時代に休みの日にやる事がなくてヒマをもて余してた時、クラスで浮いてるちょっと変わり者の子を誘って『野球盤』の手法を使って空き地でキックベース(これならちょっと大きめなボール1個だけで遊べる)をやったモノでしたよ。棒っきれで地面に穴掘って、そこに収まったらアウト。ピッチャーの後方に壁やフェンスがあって、そこの所に2HIT・3HIT・アウトとか書いて、ボールが指定の箇所を通ったり(乗ったり)したらそこに書いてある指示に従ってゲームを進める、、、なんて巨大野球盤的な遊び方が出来たのもオリジナルの『野球盤』の偉大さがよくわかるのだ、、、。
小学生の頃に78年のAM型人工芝野球場を持っていました。投球レバーを引っ張って指を離すのでは無く引っ張ったレバーを持ったまま押し込むという方法で決め球に剛速球を投げてた子がいましたが衝撃で野球盤が動いてしまうほどだと禁止にされてました。
記憶にあるのはAM型、なんだよな…外野のヒットゾーンのシールがアレだった🎵ただ、ワシの周りで流行ってたのは電子野球板だったなぁ…
というか、未だにあったこと自体知りませんでしたw雨の日はファミコンやるか、カードダス整理か、ワイルドミニ四駆走らせるか叔父さんや姉貴と野球盤が定番でしたね動画で出てきたパーフェクト野球盤Aでした、うちにあったのは
従兄弟が野球盤を持っていて遊びに行くたびに野球盤で遊んでいた。消える魔球という名前じゃなかったと思うけれど(その時代の人間じゃないから)、投球はレバーを引いて離すと投げるだと思う。バッターはボタンを押すだけ。従兄弟がこの野球盤に飽きてきた年代の頃にレバーを指ではじいて超剛速球にする技を覚えて試合が勝ち負けがつかなくなってしまった。一度偶然が起きて笑った。剛速球が後ろの壁に当たり宙に浮いて前に飛び、振り遅れたバットに丁度当たり、放物線を描いて(ほとんどライナーだけど)スタンド入り。振り遅れだからホームランじゃないけれど、珍しい物を見たと二人で大喜び。けど、もう野球盤に飽きたからすぐに従兄弟の所に行っても遊ぶことはなくなったなあ。
AM型人工芝球場持ってました。消える魔球を打つのは得意だったなあ…上手い事タイミング合わせると球が跳ね上がってスタンドへライナーで飛び込むんですよw
消える魔球はちばてつやの『ちかいの魔球』の方が先です。一試合3球しか投げていけない魔球を、完全試合達成の為4回投げて肩を壊してしまった。ほとんど『巨人の星』のストーリーと同じです
魔球「打者の直前でストップしふんわり浮き上がる」新魔球「球が何個にも分かれて見える」消える魔球「まさしく消える、草野球でおじいさんが使っていて教わった」こんな感じじゃなかったでしたっけ?
あ~懐かしい!親父に野球盤を買ってもらったのはいいけど、友達があまりいなかったからプラスチックの玉を使って1人でバッティング練習をしました。もちろん場外ホームランが多かった。
ファール判定用に1塁と3塁線におうかんを置いて当たるとファールにしていた。投げるときに投球レバーを指ではじくと、超速球になってほとんど打つことが不可能になるんだな。
友達の家にはTVゲームでなければ野球盤、人生ゲーム、オセロのどれかがあったな。
これな・・遊んでるうちに頭に血が昇って・・最後には場外乱闘になるお決まりのパターンだったな!近所でやっても、兄弟でやっても!それだけのめり込むほどオモロかったってことかな( ´艸`))
子供の時はAM型を買ってもらってはまってた
お中元などで頂いた商品の空き箱を利用して兄が手作りで野球盤を作ってくれた😀投球はパチンコ玉、バットはえんぴつだったかな-w:
これなら俺も分かります小さい頃児童館で遊んでたな今でも続いてます
野茂のメジャー挑戦が1976年はいくらなんでも早すぎ
19年後ですね
こう言うミスされると、全く野球に興味ない若い人が作ってる事が想像されて萎えるんですよね。
野茂氏まだ御子様やん・・・・
「野球盤」俺が子供の頃、欲しかったおもちゃ。でも買ってもらえなかったので、友達の家で遊んだ記憶がある。高いのはカーブが投げれるのもあった。
パーフェクト野球盤やな❗
ランナーをレバーで操作できて、盗塁のアウト、セーフが判定できるルーレット(ダイヤル?)が付いたやつを持っていました。
たしかAM型を持っていました。スコアボードに点数やチーム名をボール紙で入れる方式で、太平洋と大洋がありました(笑)
「熱闘12球団ペナントレース」のこともたまには思い出してあげてくだしあ・・・・
遊んでいたのはAM人工芝だったけど、あれって投球レバーを中指で弾くととんでもない剛速球になるんだよね。
野球盤がほしくてほしくて買ってみたものの、友達みんなが持ってて結局自分の野球盤はあんまり使わなかったな。友達んちでばかりやってた。一人でも遊べるボーリングゲームの方が家ではよく利用していたっけ。
外野の1塁打には入れば、🏃の進塁は2つとか、外野のアウトならタッチアップとかルールを決めてたな。(クリスマスなぜ伴を誘わない、飛雄馬?)
消える魔球って穴に落ちる前に、早めのタイミングで打ってたからあまり苦にしなかったな。消える魔球を連投すれば勝てると思っていた友人をボッコボコにしてた。
いとこからもらった野球盤が1970年のデラックス野球盤だった。スコアボードに差し込む紙に西鉄があったなぁ。専用の小さな銀玉だったと思うがすぐに無くして、結局パチンコ玉でやってた。塁上に刺す白い選手のフィギュアは1本足打法だったりして、多分巨人がモチーフだったと思う。
我が家の野球盤は人工芝球場でパリーグにクラウンがあったから78年製かな?高校の時学校に持っていったら人工芝部分にチョークで落書きされてめっちゃ凹んだ
投球のときレバーを放すのではなくゆっくりジワリと戻すとカーブやシュートが初代ファミスタのえがわのスローカーブくらい曲がる。バットが物理的に届かないから消える魔球同様うちでは禁じ手になりました。
反則技、消える魔球侍ジャイアンツ思い出しました海老投げハイジャンプ大回転魔球などあのアニメ巨人の星より好きですねこんばんは番場蛮です(笑)
小学生当時にAM型のものを、高校生くらいの従兄から貰って遊んでたな
プロ野球チーム同士の対戦が飽きた時は、スコアボードに填めるプロ野球チーム名の裏に高校野球の強豪校(PLや池田etc)を手書きして遊んでいました。
野球をやる子供は減っているだろうに、未だに販売しているのがスゴい
作中のセリフで出た麻雀の全自動卓の歴史をお願いします
私は小学生の頃は、地域の野球チームで野球もやってましたが、M商事のチームでサッカーを主にやっていたので、野球盤は持って無かったです。友達が、確か人工芝の野球盤を持っていたので、それで一緒に遊んだ記憶があります。当時は消える魔球は、1打席に1回って決めてやってた覚えがあります。でも、数回しかやったことが無いです。どちらかというと、ファミコンのファミスタの方が色々と思い出があります^^
自分が買って貰ったのは1974年版の連続投球装置付き型だったなw自慢だけど小中学生の時に長嶋茂雄さんと次男と4、5回くらい一緒に少年野球やったわwまだ多摩川の巨人軍グランドが巨人のホームグラウンドだった時代だったから選手に会いたい時はかなり簡単に会えた時代でもあったわw
長嶋さんも野球盤にハマったという
兄(鬼籍)と野球盤で試合してたんですけど場外ホームラン連発するんですよ。その方法を知ってる方居られますか。😭💦
ビッグエッグ野球盤持ってたよ(^-^)
帝京野球部OB芸能人達か対戦相手のプロ達の土下座でも名物
祖父にねだり百貨店やおもちゃ屋をハシゴして探してもらったなぁ懐かしい
ライジングボールというと、消える魔球のギミックを使ってやってた人も多いのでは?消える魔球のギミックにさしかかった瞬間に弾くと飛んだし尚タイミングを見切られて打たれた時の場外ホームランや場外ファールっぷりは必見
のだぽんでしでし|*・ω・)ノ。野球盤と双璧をなしているのが、サッカー⚽️盤だな。こちらの解説もお願いいたしますでしでし🐣。なにげにレバーで回したり上下動かしたりで、劣化したのを思い出す😱😅
ピッチャー用のレバーを指で弾いて豪速球を繰り出していたよ
今はデジタル化が進んでいるとはいえ、トイザらスを見ても分かるとおりアナログの玩具もまだまだ人気(親からも)なんですよね。ただどうしても手に入らないものが一つ、年齢が近い対戦相手。スキマ時間にいつでもというのはどうにも。
野球盤とは懐かしい、実家にもあったな、スコワボードをただ差し込むだけの奴消える魔球禁止令、遊び方をイマイチちゃんと理解していなくて最後までちゃんと遊んだ記憶がない
多分、冒険王だったかな、雑誌の付録で野球盤がついてきた。紙製で自分で切ったりして組み立てるものだった。どなたか覚えてませんかね?
バットが折れたときは「セメダイン」か「アロンアルファ」で接着しましたが、違和感ありありだった。
持ってた!
6:40
1976年だと、野茂投手はまだ小学生です。
とにかく欲しくて欲しくて
親に頼み込んで誕生日かクリスマスかに
買って貰って遊びつくしました。
しかしある時期を境に全く触る事すらなくなりました。
ファミコンのベースボールが家に来たからです(笑)
野茂投手のMLBデビューは1995年ですよ
1976年だと王さんの本塁打記録もまだ生まれていない時代ですね😄
子供の頃、ボードゲームが大好きで、人工芝球場の野球盤を買ってもらって、友達を家によんで遊んでいました。バッターを
実在の選手に見立て、リアル実況しながら楽しむのが、定番でした。
30年以上前、家が近かった従兄の兄さんと良く遊んだなぁ~ 本当に懐かしい。
こちらの動画のお陰で、小学生の頃に友人の家で野球盤AM型を
遊んだ思い出が鮮やかに蘇りました。ありがとうございました。
私はとても貧しい家庭に生まれたので、玩具を買ってもらえることがありませんでした。裕福な同級生が野球盤を買ったと聞くと、母親におにぎりを作ってもらい、それを土産に遊ばせてくれないかと頭を下げて遊ばせてもらいました。でも、ルールは持ち主次第で、なにも面白いことはありませんでした。おにぎりがもったいないな、お腹が空いたなと思ったことだけを今でも思い出します。私には、辛くて、きらいな遊びです。
自分が買ってもらった野球盤は、安いタイプでスコアボードは差し込むだけだったけど、友達が持っていた野球盤は、スコアボードに球団名や得点を切った紙を差し込むタイプでその係りをするのが楽しかったです。
一人で野球盤をしていたこともあったなあ。その時は高校野球全国大会と称して名前をわざわざスコアボードサイズに作って遊んでました。池田・箕島・PLetc・・
マニヤだ・・・・!
スコアラーだわ。
AM型を持っていました。(1975年ごろ)。
消える魔球を打とうとしたら、時々、地盤とバットの間にボールが挟まって固まる…という事象が発生したのを覚えています。
数年後(1975~1980年ごろ)、守備位置を自由に動かせるタイプの野球盤が発売された記憶があります。(友達が買っていました。)
それまでの「守備位置に固定の穴がありその上に選手人形が立っている」というのではなく、「プラスチックの台座(中に磁石が入っている)に選手人形が立っている」というやつです。
台座の中に磁石が入っているので、その台座にボールがひっついたらアウトというルールでした。
各選手を台座ごと自由に移動できるので、例えば2塁と3塁の間にすべての守備選手を並べたりできました。(「○○選手シフト」などと言って遊んでいました。)
私の感想として、ボールが磁石でくっつく守備より、従来の固定穴式の守備の野球盤の方が好きでした。
懐かしいですね!買って貰った記憶はないけど、家にありました。子供の頃よく遊んでました。
まだ、ファミコンがない時代で、全く同じ野球盤を隣の友達が持ってたので、
夏休みとか野球盤2つで集まってリーグ戦とかしてましたね。
その時のローカルルール?では、消える魔球は反則という事でセロハンテープ貼って
使えないようにしてたし、1塁と3塁のベースにマッチ棒を置き、フェアかファールか
分かりやすくしてましたね。じゃないと、熱中してたから、揉めたりした事もあるから・・・。
野球盤の思い出といえば、昭和50年代前半の小学生の時、クリスマスの前日に親がクリスマスプレゼント用に押入れに隠していた野球盤を二つ上の兄と一緒に見つけてしまったこと😁
兄と相談して、見なかったことにしようとなりましたが、クリスマス当日は、なんか気持ちがソワソワして落ち着かなかったのをおぼえています。
その野球盤はスタンド席の色が黄色で投球が単発式のCM型でした。
兄と一緒に飽きるほど遊びましたが、やっぱり“消える魔球”でしょっちゅうケンカになりました。
一人で遊ぶ時は、消える魔球のプレートをちょっとだけ下げて固定し、プレートの段差の所に球を置いて打つとゴロではなくフライが打てるので、スタンド超えの場外ホームランを狙って遊んでいました。
動画の様に球をまとめてセットして投げる事もしましたが、自分たちは“増える魔球”ではなくアニメ『侍ジャイアンツ』の影響で“分身魔球”とよんでいました⚾⚾⚾
あと、球がすぐにどっかにいってしまうのでパチンコ玉で代用していました😄
私もCM型を持っていましたが、昭和40年代半ばなんで、このタイプも息の長かったんですね。
ちなみに私は自分のお年玉で買いましたが、家族皆んなで使い回した記憶が。
近所のツレと遊ぶ時「消える魔球」は禁止ということにされていた。やはりトラブルの元になるからと思われ。トミーのポケットメイトシリーズにも野球盤を小さくしたようなのがあった気がする。
たまにばっちりタイミングが合うとものすごい場外ホームランになって
子供ながらにバッティングにはタイミングが必要と感じた。
とても、懐かしいです。当時の人気プロ野球選手がイラスト入りで販売されていた野球盤が好きでした。
野茂英雄氏のメジャー挑戦は1995年です。
野球盤が2000年以降も出てるのが一番の驚きだった。ファミコンの発売以降はゲームに押されて無くなったと勝手に思ってた。
パーフェクト野球盤A型、持ってました。消える魔球を投げる前に使って見せて直前で取り消したり、タイミングによってはボールをホップさせることもできました。ランナーを出したり引っ込めたりして「リーリーリー」とかもやってたな。
守備側の子がバネ全力で引いてガチャッと全速投球すると、攻撃側の子がそれに合わせてバットを振る。これを数回やったのち、守備側の子が投球ではなく魔球メカだけガチャッと動かすと、なぜか(笑)攻撃側の子がバット空振りしてくれる・・・懐かしい思い出。
消える魔球って、穴に落ちる瞬間狙って打つとよく飛ぶんだよな。いい感じにホップしてスタンドに入る。
スコアボードが斬新でしたね。出始めの頃は、ライオンズがまだ「クラウン」だった。
私の時代は太平洋だったよッ♪
「クラウン」から「西武」に身売りしたのでチーム名の用紙の裏面に書き直しました。また、MLBや高校野球も楽しみました。
とんねるずの「リアル野球盤」が好きでした🤗
プラスチックタイプ、人工芝タイプの後者を持っていました。連続投球可能になってから進化は激しく、LED内蔵とか、実際に投げるのまで。フード付きも出たね。完全なLEDは昭和時代に7000円ぐらい。親父が電気関連の仕事だったので、興味があり、高いのに買ってきて夢中になっていた。プレイボールと音声が流れていた。ゲーム終了とか。いい時代だった。
東京ドーム型を父に買ってもらった記憶がある。楽しかったなぁ
野球盤、パーフェクトボウリング、魚雷戦ゲーム・・・
これを見て、一気に当時の懐かしいゲームたちを思い出した。
四十路五十路オッサン涙目動画有り難う御座います。
ここから自分語りになってしまいますが、今から30年位まえ自分は学童保育と言う両親が共働きの
小学生低学年の子供を預かってくれる施設があり、(親の仕事が終わるまでの時間まで)そこでこの野球版を知りました。
当時その野球版で遊びたかったのですが、何時も上級生が遊んでて自分は遊べなかったから遠くから眺めてただけでしたが
運良く自分が野球版で遊べる時がありましたが一緒に野球版で遊んでくれる友達がいなかったから一人でガチャガチャ
いじくってたら、見かねた学童保育の職員さんが遊び相手になってくれました。
今となっては懐かしい記憶です。
小学生の頃はめっちゃやったわ野球盤w
もちろん消える魔球あった野球盤
それと両指でおもっきりバチコーンて投げる速いストレートも投げてたわw
同じことやってる人発見w
なんか、消える玉のもありましたね、打てなかったわ。
エポック社製って、懐かしいわ😭
フォーク(消える魔球)は場外ホームランを打たれやすい諸刃の剣でした
エポック社ではないんですが、30年以上前にヨネザワのビッグエアロドームっていう野球盤を遊んでました。発泡スチロールの球を空気で浮かせて投げる3D野球盤の元祖みたいなやつです。今は金属球が宙に浮く時代になったんだなあ
小さな野球盤ともいえる、トミー・ポケットメイト野球ゲームは未だに愛用しています。
ノーアウトやワンアウトでランナー1塁の時に、内野ゴロを打つとダブルプレー成立
同じく、ランナー3塁で外野フライだと犠牲フライ成立とか、独自のルールを作って遊んでた😆
自分もそれやってましたw あとは打者に当たる(スローボールで打者方向に曲げるとたまにある)、かつバットを振らないとデッドボール成立とか、サイコロを使った盗塁チャレンジとか。
投球レバーを指で弾くと豪速球が投げられる(リアルなら160キロ以上かな)
消える魔球も半開きにして通過時にタイミング良く戻すと、玉がジャンプして浮き上がってバットが空を切る。
ピッグエッグまでが昭和だけど、この辺はもうファミスタしてましたね
友達の家にあったのはパーフェクト野球盤、原辰徳のA型野球盤でした
スコアボード、投球装填球数、左打席、ランナー跳ね上げレバー式、差し込み式の差だったと記憶
AM型持ってました。当時押しのチームはクラウンライターライオンズ!
シンプルなAM型持ってました。
よく弟と遊んだのを思い出します。
野球盤、持ってました❗小3のクリスマスに親に無理言って買ってもらったヤツです‼️先日二階の屋根裏倉庫から出てきました‼️😆😁😙
自分も当時バネを強力して豪速球して遊んでいましたね。
バネを強力にしなくても投球するピンを人差し指と中指で挟んで引いてから、人差し指ではじくとものすごい剛速球が「投げられた」よw
AM型でしたが消える魔球の装置を使って玉をジャンプさせるのはもちろん、バネを少ししか引かずに投球すればスローボールになるので変化の大きいカーブ、シュートが投げられるので回数制限など設けずに消える魔球とバットの届かない玉のみボールにして7色の変化球で遊んでいました。
野球盤懐かしい~😂
最後に見たのはゲーセンでした😅
今から15年位前だったかな
100円で4回裏までで
200円で9回裏までだったかなぁ
メーカーは憶えていませんが
野球盤が懐かしくて連コイン
した記憶が有ります。
本当に好きだった。
磁石を使ってカーブ、シュートでコースを分けるって簡単だけど凄いアイディアだったね。
自分が持てるのは「消える魔球」が付いてないやつだった。
自分が最初に買ってもらった野球盤は1967年くらいの野球盤で上部にふたみたいのがあり
守備位置が穴でアウトになるとスコアボード下に戻ってくるタイプだったと思う。
その後A,B,Cと値段によって機能に変化をつけたものがあった。
それにしても当時はバスケットやサッカー、ボーリングなど実際の球を使ったゲーム
がいっぱいあったが今はどうなっているんだろう?後、”花山”の野球ゲームは
紅白のサイコロをふって1-1がでたらホームランなんてんてのもあった。
私が親父に買って貰った野球盤にはスコアボードに貼るチームの名称が「東映」「東京」とか付いた物でした
消える魔球はホームランになりやすいという弱点があった。
あとインコースに入ってくるシュートもホームランになりやすかった。
ボタン式しかやったことないな。
実際の野球盤も持っていたが、以外にも「自作」して弟と遊んでた!
大き目のカレンダーの裏の白いトコを使って、球場を鉛筆で書いて、紙か消しゴムを丸めたボールを造って指で弾いてゲームをした
想えば、アノ頃は¥のかからない遊びを開発してたんですよねぇ~・・・
年の離れた兄達が消える魔球機能付きのを持ってました。で、必ずそれで泣かされて...というので、あまり一緒には遊ばなかったなぁ。たまに暇つぶしに一人で選手のコマを使ってごっこ遊びしてました(笑)。「巨人の星」も懐かしいけど、「侍ジャイアンツ」も好きでした。
なんか現代の野球盤の進化がすごいですな。これは一度遊んでみたいものです。
自分は80年代の場面で出てきたパーフェクト野球盤で原辰徳選手をフィーチャーしたB型というのを持ってました。
しかし、昔は友達の家には1台は野球盤があるくらい人気でしたな。なもんで、みんな結構ガチでプレイしてて、投手サイドになった時は投球レバーをデコピンの要領ではじくことで剛速球を投げたり、消える魔球のフタをちょっとだけ開けてボールを飛ばして相手を直接攻撃したりと、割とバーリトゥードでした(笑
私も子供の頃に「原辰徳のパーフェクト野球盤B型」を祖母に買って貰い大切にしていました。
当時の私は関西人でも無いのに大の阪神ファンで巨人は大嫌いだったので、玩具屋にこれしか置いてなくて悩ましかったですね(苦笑)
投球レバーをデコピンで剛速球を投げようとして連投用の蓋が吹っ飛んだり、デコピン剛速球に対抗してバットをデコピンで強振したり、やり過ぎで人差し指の爪が痛くなってましたねw
あとボールの代わりに野手人形など違うものをセットして投げて打って城外ホームランして遊んだりしていました。
エポックメイキングって日本語では画期的って意味だし、エポック社って名前は当に名は体を表すの画期的な玩具メーカーだったよね👍
確かエポック社はサッカーのゲームも発売していて、こちらの方も立体的なリアルを追求したようなゲームだった😁
ただプレーヤーのフィギュアの足が壊れやすかったが…。
野球盤懐かしい、、
小学生の頃、「原辰徳の野球盤」と言うネーミングの野球盤持ってた。
(正式名称だったかは忘れた)
バットのバネ強化したり、
消える魔球の板を使って玉を浮かせたり、いろいろやった記憶。
デジタル時代全盛期に、
今でもアナログチックな野球盤売ってるのに驚いた。
まあ、かなり進化はしてるけど、
今でも需要あるとは驚き。
原辰徳の野球盤うちにもある。
兄がAM型を持っていました。
あと、同じくエポック社製のカードゲーム型野球盤もありました。
うちのはツクダオリジナルのナイター照明付き野球盤でした。守備人形が磁石になっていて王シフトとか出来たんです。実際に部屋の電気消してやってました。
消える魔球スロープとバットがボールを挟み込む事が何回かあったなあ
ちなAM型
AM型(連続投球無し)を持ってました。
消える魔球は1イニングにつき1回ルールでした。
バットを差し込む時に角度を90度変えてセットすると、バネの力が強くなって場外ホームランになるんですよね。
チーム名のカードには太平洋があって、巨人、阪神、阪急、近鉄くらいしか知らなかった私には大洋と太平洋の区別が付きませんでしたw
同じの持ってました。バネがバカになったあとはグリップのところを振りぬくことで場外ホームランしたり、消える魔球をすくい打ったりしてました。
ピッチャーも負けずに指ではじくことで剛速球にしたりしてましたねえ。
太平洋クラブライオンズ懐かしい
動画を観て息子と遊びたくなりポチってみました。
野球盤火、懐かしいな、小学校時代に友達の家でやってましたね。
この『野球盤』は本当に画期的でよく出来てるオモチャで、よくクラスメイトのお家で遊んだものですよ(持っていなかった)、、、。
小学生時代に休みの日にやる事がなくてヒマをもて余してた時、クラスで浮いてるちょっと変わり者の子を誘って『野球盤』の手法を使って空き地でキックベース(これならちょっと大きめなボール1個だけで遊べる)をやったモノでしたよ。
棒っきれで地面に穴掘って、そこに収まったらアウト。ピッチャーの後方に壁やフェンスがあって、そこの所に2HIT・3HIT・アウトとか書いて、ボールが指定の箇所を通ったり(乗ったり)したらそこに書いてある指示に従ってゲームを進める、、、なんて巨大野球盤的な遊び方が出来たのもオリジナルの『野球盤』の偉大さがよくわかるのだ、、、。
小学生の頃に78年のAM型人工芝野球場を持っていました。
投球レバーを引っ張って指を離すのでは無く引っ張ったレバーを持ったまま押し込むという方法で
決め球に剛速球を投げてた子がいましたが衝撃で野球盤が動いてしまうほどだと禁止にされてました。
記憶にあるのはAM型、なんだよな…外野のヒットゾーンのシールがアレだった🎵
ただ、ワシの周りで流行ってたのは電子野球板だったなぁ…
というか、未だにあったこと自体知りませんでしたw
雨の日はファミコンやるか、カードダス整理か、ワイルドミニ四駆走らせるか
叔父さんや姉貴と野球盤が定番でしたね
動画で出てきたパーフェクト野球盤Aでした、うちにあったのは
従兄弟が野球盤を持っていて遊びに行くたびに野球盤で遊んでいた。消える魔球という名前じゃなかったと思うけれど(その時代の人間じゃないから)、投球はレバーを引いて離すと投げるだと思う。バッターはボタンを押すだけ。従兄弟がこの野球盤に飽きてきた年代の頃にレバーを指ではじいて超剛速球にする技を覚えて試合が勝ち負けがつかなくなってしまった。一度偶然が起きて笑った。剛速球が後ろの壁に当たり宙に浮いて前に飛び、振り遅れたバットに丁度当たり、放物線を描いて(ほとんどライナーだけど)スタンド入り。振り遅れだからホームランじゃないけれど、珍しい物を見たと二人で大喜び。けど、もう野球盤に飽きたからすぐに従兄弟の所に行っても遊ぶことはなくなったなあ。
AM型人工芝球場持ってました。
消える魔球を打つのは得意だったなあ…上手い事タイミング合わせると球が跳ね上がってスタンドへライナーで飛び込むんですよw
消える魔球はちばてつやの『ちかいの魔球』の方が先です。一試合3球しか投げていけない魔球を、完全試合達成の為4回投げて肩を壊してしまった。ほとんど『巨人の星』のストーリーと同じです
魔球「打者の直前でストップしふんわり浮き上がる」
新魔球「球が何個にも分かれて見える」
消える魔球「まさしく消える、草野球でおじいさんが使っていて教わった」
こんな感じじゃなかったでしたっけ?
あ~懐かしい!親父に野球盤を買ってもらったのはいいけど、友達があまりいなかったからプラスチックの玉を使って1人でバッティング練習をしました。もちろん場外ホームランが多かった。
ファール判定用に1塁と3塁線におうかんを置いて当たるとファールにしていた。投げるときに投球レバーを指ではじくと、超速球になってほとんど打つことが不可能になるんだな。
友達の家にはTVゲームでなければ野球盤、人生ゲーム、オセロのどれかがあったな。
これな・・遊んでるうちに頭に血が昇って・・最後には場外乱闘になるお決まりのパターン
だったな!近所でやっても、兄弟でやっても!それだけのめり込むほどオモロ
かったってことかな( ´艸`))
子供の時はAM型を買ってもらってはまってた
お中元などで頂いた商品の空き箱を利用して兄が手作りで野球盤を作ってくれた😀投球はパチンコ玉、バットはえんぴつだったかな-w:
これなら俺も分かります小さい頃児童館で遊んでたな今でも続いてます
野茂のメジャー挑戦が1976年は
いくらなんでも早すぎ
19年後ですね
こう言うミスされると、全く野球に興味ない若い人が作ってる事が想像されて萎えるんですよね。
野茂氏まだ御子様やん・・・・
「野球盤」俺が子供の頃、欲しかったおもちゃ。でも買ってもらえなかったので、友達の家で遊んだ記憶がある。高いのはカーブが投げれるのもあった。
パーフェクト野球盤やな❗
ランナーをレバーで操作できて
、盗塁のアウト、セーフが判定できるルーレット(ダイヤル?)が付いたやつを持っていました。
たしかAM型を持っていました。スコアボードに点数やチーム名をボール紙で入れる方式で、太平洋と大洋がありました(笑)
「熱闘12球団ペナントレース」のこともたまには思い出してあげてくだしあ・・・・
遊んでいたのはAM人工芝だったけど、あれって投球レバーを中指で弾くととんでもない剛速球になるんだよね。
野球盤がほしくてほしくて買ってみたものの、友達みんなが持ってて結局自分の野球盤はあんまり使わなかったな。友達んちでばかりやってた。一人でも遊べるボーリングゲームの方が家ではよく利用していたっけ。
外野の1塁打には入れば、🏃の進塁は2つとか、外野のアウトならタッチアップとかルールを決めてたな。
(クリスマスなぜ伴を誘わない、飛雄馬?)
消える魔球って穴に落ちる前に、早めのタイミングで打ってたからあまり苦にしなかったな。
消える魔球を連投すれば勝てると思っていた友人をボッコボコにしてた。
いとこからもらった野球盤が1970年のデラックス野球盤だった。
スコアボードに差し込む紙に西鉄があったなぁ。
専用の小さな銀玉だったと思うがすぐに無くして、結局パチンコ玉でやってた。
塁上に刺す白い選手のフィギュアは1本足打法だったりして、多分巨人がモチーフだったと思う。
我が家の野球盤は人工芝球場でパリーグにクラウンがあったから78年製かな?
高校の時学校に持っていったら人工芝部分にチョークで落書きされてめっちゃ凹んだ
投球のときレバーを放すのではなくゆっくりジワリと戻すと
カーブやシュートが初代ファミスタのえがわのスローカーブくらい曲がる。
バットが物理的に届かないから消える魔球同様うちでは禁じ手になりました。
反則技、消える魔球
侍ジャイアンツ思い出しました
海老投げハイジャンプ
大回転魔球など
あのアニメ巨人の星より好きですね
こんばんは
番場蛮です(笑)
小学生当時にAM型のものを、高校生くらいの従兄から貰って遊んでたな
プロ野球チーム同士の対戦が飽きた時は、スコアボードに填めるプロ野球チーム名の裏に高校野球の強豪校(PLや池田etc)を手書きして遊んでいました。
野球をやる子供は減っているだろうに、未だに販売しているのがスゴい
作中のセリフで出た麻雀の全自動卓の
歴史をお願いします
私は小学生の頃は、地域の野球チームで野球もやってましたが、M商事のチームでサッカーを主にやっていたので、野球盤は持って無かったです。友達が、確か人工芝の野球盤を持っていたので、それで一緒に遊んだ記憶があります。当時は消える魔球は、1打席に1回って決めてやってた覚えがあります。でも、数回しかやったことが無いです。どちらかというと、ファミコンのファミスタの方が色々と思い出があります^^
自分が買って貰ったのは1974年版の連続投球装置付き型だったなw
自慢だけど小中学生の時に長嶋茂雄さんと次男と4、5回くらい一緒に少年野球やったわw
まだ多摩川の巨人軍グランドが巨人のホームグラウンドだった時代だったから
選手に会いたい時はかなり簡単に会えた時代でもあったわw
長嶋さんも野球盤にハマったという
兄(鬼籍)と野球盤で試合してたんですけど場外ホームラン連発するんですよ。その方法を知ってる方居られますか。😭💦
ビッグエッグ野球盤持ってたよ(^-^)
帝京野球部OB芸能人達か対戦相手のプロ達の土下座でも名物
祖父にねだり百貨店やおもちゃ屋をハシゴして探してもらったなぁ
懐かしい
ライジングボールというと、消える魔球のギミックを使ってやってた人も多いのでは?
消える魔球のギミックにさしかかった瞬間に弾くと飛んだし
尚タイミングを見切られて打たれた時の場外ホームランや場外ファールっぷりは必見
のだぽんでしでし|*・ω・)ノ。野球盤と双璧をなしているのが、サッカー⚽️盤だな。こちらの解説もお願いいたしますでしでし🐣。なにげにレバーで回したり上下動かしたりで、劣化したのを思い出す😱😅
ピッチャー用のレバーを指で弾いて豪速球を繰り出していたよ
今はデジタル化が進んでいるとはいえ、トイザらスを見ても分かるとおりアナログの玩具もまだまだ人気(親からも)なんですよね。ただどうしても手に入らないものが一つ、年齢が近い対戦相手。スキマ時間にいつでもというのはどうにも。
野球盤とは懐かしい、実家にもあったな、スコワボードをただ差し込むだけの奴
消える魔球禁止令、遊び方をイマイチちゃんと理解していなくて
最後までちゃんと遊んだ記憶がない
多分、冒険王だったかな、雑誌の付録で野球盤がついてきた。紙製で自分で切ったりして組み立てるものだった。どなたか覚えてませんかね?
バットが折れたときは「セメダイン」か「アロンアルファ」で接着しましたが、違和感ありありだった。
持ってた!