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ベスおに譲ったとしお君!!お前、さいっこうに格好良いぜ!!!ラゴスにゃ俺も泣かされたよ!!「何もない壁に進む」が分からなくて、ガチで二ヶ月くらい足踏みしてた。
親が「行列出来てたから並んだら新作ファミコンソフトだったらしいから買った」で買ってきたのがドラクエ2でした。ふっかつのじゅもんは書き取りミスで1つ前のじゅもんで再開せざるえなくなったり、何故か装備が強化されてラッキーってなったり悲喜交々。戦闘の時は無意味にボタン連打してましたw アクションやシューティングばかりだった弊害ですかね。
手書きでミスすることに加えてブラウン管TVでボヤけて文字が正しく認識できないのはこの時期特有だよねまあ今は今で引き継ぎコードのスクショ紛失したりとか似たようなケースはあるけどw
としお君みたいに友達と買いに行って譲った事あるけど、先にプレイさせて飽きたりクリアしたりして興味がなくなったら借りるって事してた。迷ったらアドバイスも聞けるし、交流にもなって一石二鳥。あとはマザーのラスボス戦でドライヤーのコンセントと間違えられて、母親にファミコンのアダプターを抜かれた事がありますwちなみにその遊んでたマザーはゴミ捨て場に魔境と一緒に捨てられてたものですね。すげえ時代だ。
昔のオカンはゲームしてる横で『遊んでないで勉強しろ』のプレッシャーをかけるために掃除機かけること多かったけど、結果として掃除機が本体にあたってバグって信仰不能になるケースが多発してた。似たケースで友達が似たようなことをやらかしてドラクエ3の冒険の書が消し飛んだのを俺のせいにされたのは今も覚えてる濡れ衣案件。
ゲーム機のアダプターだけ隠されたりしたコトあったなぁ。親がPTAの会議に出かけてる隙にこっそり持ち出してきてバラモスを倒したのは (その後の衝撃展開も合わせて) 今でもよく覚えてます。
本当はドラクエの日に合わせて投稿したかったんだろうなと少し勘繰りました。エピソード2に近いことはDQ7の時ありましたw石板のかけらがどこにあるのかわからんって友達のお兄さんから電話がかかってきたことありました。状況が分かりづらかったので家に行って教えに行ったりもしました。
10:04お母さんって、バラモスじゃねーかw コンセントを抜いた際には、きっとバシルーラを使ったに違いないw
私は、DQナンバリング作品を、FC版・DQ1の頃から、ほぼリアルタイムでプレイしてきた、DQ大好きおじさんです。どれも、面白いエピソードでした!子供ゲーマにとって、ラスボスをも上回る最強の敵は「かあちゃん」でしょうね。そして、その「かあちゃん」が装備している最強の武器は、「掃除機」でした。バッテリーバックアップが搭載されたFC版・DQ3では、掃除機を装備したかあちゃんの「かいしんのいちげき!」(子供にとっては「つうこんのいちげき!」ですが)により、本体やカセットがショックを受け、「ぼうけんのしょ」が消えてしまい、茫然とした子供も、多かったことでしょう。本動画で登場したのは、掃除機を装備していなくて、「素手」だけど、ACアダプタを引っこ抜くという最強(最恐・最狂・最凶などと表記してもよさそうですww)技を身に付けた、魔王バ〇モス(中身はかあちゃん)でしたねww私は、当時すでに社会人になっていたので、自分が稼いだお金でFC本体やソフトを買いましたし、自分の余暇に自由にプレイできました。ですので、最強かあちゃんと戦ったり、掃除機から「みをまもる」必要はありませんでしたので、幸せだったといえます。ここで、ちょっと思い出を語ります。私が初めてプレイしたDQが、FC版・DQ2。ただ、DQ2発売当時(1987年1月)はまだFC本体を入手していなくて、同年夏頃、ようやくFC本体を購入、DQ2のカセットは、中古で購入しました。発売から半年以上が経っていたので、本数が出回っていた(FC版・DQ2の公称出荷本数は240万本)DQ2の中古品は、どの店にもたくさん並んでいました。購入後は、仕事から帰宅すると、寝る間も惜しんでプレイ。休みの日は、朝から晩までプレイ。それこそ子供のように、夢中になってプレイしていましたね。DQ2をクリアしたあと、FC版・DQ1をさかのぼって購入(これも中古)し、プレイしました。FC版・DQ3は、有給休暇を取得し、近所の店に並んで整理券をゲット、無事購入しました。その後の作品も、たいていは、発売日に購入し、楽しみました。あと少し、当時をリアルに知るおじさんとして、語ります。1987年は、1985年9月発売の「スーパーマリオブラザーズ」で爆発したファミコンブームも、ひと段落した頃。ソフトのクオリティが上がり、ラインナップも充実し、FC市場が成長期から安定期に入った頃、という感じでしょうか。そして、TVニュースで、FC版・DQ2について「人気ゲームソフトが発売され、量販店に行列ができた」と報じられました。こういったことが、一般のニュースで報じられたのは、おそらく、FC版・DQ2が初めてでしょう。はっきりとした根拠はないですし、私の記憶が確かならば、ですけれどね。(ファミコンブームでFC本体が品切れという話題や、子供がゲームに夢中になってしまう問題などは、それまでに何度も報じられてはいましたが。)今でも語り草の「社会現象」となった、翌・1988年2月発売の、FC版・DQ3ほどではないですが、FC版・DQ2の前評判は高く、本動画のトシオ君のように、多くのファンが、発売直後は入手できず、泣きを見たのです。また、人気ソフトを買うには、ク〇ゲーも一緒に買わなければならないという、いわゆる「抱き合わせ販売」も、一部で行われるようになっていましたね。FC版・DQ3およびFC版・DQ4(1990年2月発売)で、その問題が大きく取り上げられ、独占禁止法に抵触するとして、その後は行われなくなりました。そんな私は、今でも、DQ10オンラインをプレイし続けています。もう10年半になります。いわゆる「アラカン」で、おじさんではなく、おじいさんと呼ばれてもおかしくない年代に、あと数年で手が届く私ですが、まだまだ、DQを楽しんでいきたいと思っています。長文失礼いたしました。
マリオカートが欲しくて兄弟3人のお小遣いを合わせて買ったのはいい思い出
最近ゴッホのひまわりを見た俺にタイムリーな安田火災
ファミコン一日1時間発言はまじで許されざる悪行
小学生低学年で微妙に校区外な駄菓子屋さんで見つけて…、チャリとばして代金を家に取りに戻り買いに行ったな。
SFCの聖剣伝説3なんだがセーブする時のカーソルの初期位置がプレイ中のデータではなく前回セーブしたデータになっているしかも一度ボタンを押すと確認のはい、いいえもなく上書きされるせいで何度も間違って兄弟のデータを消してしまった他のスクウェアのゲームは前作である聖剣伝説2も含めてプレイ中のデータがセーブ時の初期位置になっているし確認のメッセージも出る何故聖剣3だけこうなってしまったのか
かーちゃんには本体じゃなくアダプター隠されてたなぁ。金持ちの子に秘蔵のビックリマンシール3枚とアダプター交換してもらって夜中やってたわ懐かしい。
兄弟で遊んでて兄貴の冒険の書を上書きしたり、またはされたりでケンカしましたね。今はオートセーブで甘やかしてくれるから今のちびっこ達は大丈夫なのかもですね。
昔、女子プロレスラーのライオネス飛鳥さんがゲーム王国だかファミっ子大集合だかの司会やってたな。知らない人から電話ってのはさすがになかったけど、小学生なのに夜の10時過ぎに友だちから電話かかってきてゲームの攻略法教えてってのはあった。
当時は、中学2年生。この頃は、大手のオモチャ屋やチェーン店で、売れると判断したファミコンソフトに対しての予約制が始まった頃でした。残念ながら、私の住んでいた所では個人店のオモチャ屋しかなく予約制も無いので、発売日当日に手に入れたいので、熱があるみたいだって嘘をつき体温計を操作して、見事に早退する事に成功し、手に入れて遊んでました。クラスの中では、攻略トップでしたが言い触らしたりする事がなく、黙って静観してました。後に、ドラクエⅡの売れ行きを観た個人店でも、予約制をスタートさせました。ドラクエⅡの影響で、ドラクエⅢでは、先生の巡回パトロールを始めた学校もあります。
兄貴がいる子ってセーブ周辺地域での戦闘しか許されない「ガチる要員」としてコキ使われる😅もちろんたまったお金で買い物もダメ、ドロップのふくびきけんでゴールドカード当てて理不尽にも兄貴に殴られてた友人がいたなぁ😨
10:08 自分のブログを書きながらこの動画を流していたのですが、その最中、突然現れた「母親」の画像を横目で見て声出して笑いましたwどんだけ邪悪な存在なんだよwwまあ当時のキッズ的にはファミコンを隠されるのはまだ序の口でして、眼の前でファミコンを叩き壊されたという同級生もいた覚えがあります。(モデルガンを破壊された知人もいたようなw)あと、本体は買ってもらえずカセットだけ買ってもらった友達とか。今思えば、各ご家庭で色々事情があったんだろうなあ。知人の純一くんは、何年経ってもスーパーカセットビジョンを更新してもらえませんでした。
カセットをそのまま引っこ抜かれた。
いいですねぇ(*´∀`*)ファミ通のゲーム帝国にも、こういうエピソードとか投稿されたりしてましたね。リアルタイムで遊んでいたので、どれも共感出来るものばかりです。自力では無理だったので、攻略本見ながらでしたけど、ロンダルキアの洞窟を抜けた後の、祠に着く前のザラキの洗礼に、しばらく投げ出してました( ̄▽ ̄;)
SFCのキャプテン翼3の最終話のドイツ戦は苦戦は必至ですね。マーガスのブラストヘッド、カペロマンのサイドワインダー、シュナイダーのネオファイアーに対してシリーズ最弱と言われる若林(若島津の方が強い)カルツとシェスターの暴れぶりにボールを前線にも送れず、何とか送ったとしても日向のライトニングタイガーすら簡単に止めるミューラーと初見で勝った人居るの?ってレベルでした。仕様的にCPUは必殺技使い放題ですからね。負けたら経験値を入手して再試合か1つ前の試合に戻される仕様もウィンキー的優しさを感じますね。
ドラクエシリーズが日本のコマンド式RPGを作ったのだねぇロールプレイングゲームとは何ぞやを定義づけしたシリーズそれ以前はキングスナイトすらジャンルとしてはRPGだったわけだしまぁ現代においては主人公の個性が前に押し出されるようになってプレイヤーの「ロール」はどこにある状態ですが…観客?
いや、最後の奴……、自分で最初からやり込めよ……(苦笑)
ふっかつのじゅもん書き間違えは何度もやらかしたなぁ。一番のしくじりはふっかつのたまゲットしてそれを使ったじゅもんを書き損じたことだね
ゴールドカード当たった時のふっかつのじゅもんが通らなかった💧
2ってそんなに買い難かった思い出が無いなー。3買うときの行列にダウボーイもって並んでいた人が忘れられないwあれは猛者だねw
2だったかな?ドラクエかつあげがあったのは
3や4の時もニュースになってましたね。
有名なの3かなぁ?
ワイは3からとおぼえちょりますな
ご飯呼ばれてアダプター引き抜かれて、怒りでちゃぶ台クラッシュ!親父にファミコン叩き壊されたのは思い出…
トシオyee
抱き合わせは4だっけ?
ゲーム帝国……昔のファミ通にあったなぁ…懐かしいわ…😢
復活の呪文を書き間違い?
ベスおに譲ったとしお君!!お前、さいっこうに格好良いぜ!!!
ラゴスにゃ俺も泣かされたよ!!「何もない壁に進む」が分からなくて、ガチで二ヶ月くらい足踏みしてた。
親が「行列出来てたから並んだら新作ファミコンソフトだったらしいから買った」で買ってきたのがドラクエ2でした。
ふっかつのじゅもんは書き取りミスで1つ前のじゅもんで再開せざるえなくなったり、何故か装備が強化されてラッキーってなったり悲喜交々。
戦闘の時は無意味にボタン連打してましたw アクションやシューティングばかりだった弊害ですかね。
手書きでミスすることに加えてブラウン管TVでボヤけて文字が正しく認識できないのはこの時期特有だよね
まあ今は今で引き継ぎコードのスクショ紛失したりとか似たようなケースはあるけどw
としお君みたいに友達と買いに行って譲った事あるけど、先にプレイさせて飽きたりクリアしたりして
興味がなくなったら借りるって事してた。迷ったらアドバイスも聞けるし、交流にもなって一石二鳥。
あとはマザーのラスボス戦でドライヤーのコンセントと間違えられて、母親にファミコンのアダプターを抜かれた事がありますw
ちなみにその遊んでたマザーはゴミ捨て場に魔境と一緒に捨てられてたものですね。
すげえ時代だ。
昔のオカンはゲームしてる横で『遊んでないで勉強しろ』のプレッシャーをかけるために掃除機かけること多かったけど、結果として掃除機が本体にあたってバグって信仰不能になるケースが多発してた。似たケースで友達が似たようなことをやらかしてドラクエ3の冒険の書が消し飛んだのを俺のせいにされたのは今も覚えてる濡れ衣案件。
ゲーム機のアダプターだけ隠されたりしたコトあったなぁ。親がPTAの会議に出かけてる隙にこっそり持ち出してきてバラモスを倒したのは (その後の衝撃展開も合わせて) 今でもよく覚えてます。
本当はドラクエの日に合わせて投稿したかったんだろうなと少し勘繰りました。
エピソード2に近いことはDQ7の時ありましたw
石板のかけらがどこにあるのかわからんって友達のお兄さんから電話がかかってきたことありました。
状況が分かりづらかったので家に行って教えに行ったりもしました。
10:04
お母さんって、バラモスじゃねーかw
コンセントを抜いた際には、きっとバシルーラを使ったに違いないw
私は、DQナンバリング作品を、FC版・DQ1の頃から、ほぼリアルタイムでプレイしてきた、DQ大好きおじさんです。
どれも、面白いエピソードでした!
子供ゲーマにとって、ラスボスをも上回る最強の敵は「かあちゃん」でしょうね。
そして、その「かあちゃん」が装備している最強の武器は、「掃除機」でした。
バッテリーバックアップが搭載されたFC版・DQ3では、掃除機を装備したかあちゃんの「かいしんのいちげき!」(子供にとっては「つうこんのいちげき!」ですが)により、本体やカセットがショックを受け、「ぼうけんのしょ」が消えてしまい、茫然とした子供も、多かったことでしょう。
本動画で登場したのは、掃除機を装備していなくて、「素手」だけど、ACアダプタを引っこ抜くという最強(最恐・最狂・最凶などと表記してもよさそうですww)技を身に付けた、魔王バ〇モス(中身はかあちゃん)でしたねww
私は、当時すでに社会人になっていたので、自分が稼いだお金でFC本体やソフトを買いましたし、自分の余暇に自由にプレイできました。
ですので、最強かあちゃんと戦ったり、掃除機から「みをまもる」必要はありませんでしたので、幸せだったといえます。
ここで、ちょっと思い出を語ります。
私が初めてプレイしたDQが、FC版・DQ2。
ただ、DQ2発売当時(1987年1月)はまだFC本体を入手していなくて、同年夏頃、ようやくFC本体を購入、DQ2のカセットは、中古で購入しました。
発売から半年以上が経っていたので、本数が出回っていた(FC版・DQ2の公称出荷本数は240万本)DQ2の中古品は、どの店にもたくさん並んでいました。
購入後は、仕事から帰宅すると、寝る間も惜しんでプレイ。
休みの日は、朝から晩までプレイ。
それこそ子供のように、夢中になってプレイしていましたね。
DQ2をクリアしたあと、FC版・DQ1をさかのぼって購入(これも中古)し、プレイしました。
FC版・DQ3は、有給休暇を取得し、近所の店に並んで整理券をゲット、無事購入しました。
その後の作品も、たいていは、発売日に購入し、楽しみました。
あと少し、当時をリアルに知るおじさんとして、語ります。
1987年は、1985年9月発売の「スーパーマリオブラザーズ」で爆発したファミコンブームも、ひと段落した頃。
ソフトのクオリティが上がり、ラインナップも充実し、FC市場が成長期から安定期に入った頃、という感じでしょうか。
そして、TVニュースで、FC版・DQ2について「人気ゲームソフトが発売され、量販店に行列ができた」と報じられました。
こういったことが、一般のニュースで報じられたのは、おそらく、FC版・DQ2が初めてでしょう。
はっきりとした根拠はないですし、私の記憶が確かならば、ですけれどね。
(ファミコンブームでFC本体が品切れという話題や、子供がゲームに夢中になってしまう問題などは、それまでに何度も報じられてはいましたが。)
今でも語り草の「社会現象」となった、翌・1988年2月発売の、FC版・DQ3ほどではないですが、FC版・DQ2の前評判は高く、本動画のトシオ君のように、多くのファンが、発売直後は入手できず、泣きを見たのです。
また、人気ソフトを買うには、ク〇ゲーも一緒に買わなければならないという、いわゆる「抱き合わせ販売」も、一部で行われるようになっていましたね。
FC版・DQ3およびFC版・DQ4(1990年2月発売)で、その問題が大きく取り上げられ、独占禁止法に抵触するとして、その後は行われなくなりました。
そんな私は、今でも、DQ10オンラインをプレイし続けています。
もう10年半になります。
いわゆる「アラカン」で、おじさんではなく、おじいさんと呼ばれてもおかしくない年代に、あと数年で手が届く私ですが、まだまだ、DQを楽しんでいきたいと思っています。
長文失礼いたしました。
マリオカートが欲しくて兄弟3人のお小遣いを合わせて買ったのはいい思い出
最近ゴッホのひまわりを見た俺にタイムリーな安田火災
ファミコン一日1時間発言はまじで許されざる悪行
小学生低学年で微妙に校区外な駄菓子屋さんで見つけて…、チャリとばして代金を家に取りに戻り買いに行ったな。
SFCの聖剣伝説3なんだが
セーブする時のカーソルの初期位置がプレイ中のデータではなく前回セーブしたデータになっている
しかも一度ボタンを押すと確認のはい、いいえもなく上書きされるせいで何度も間違って兄弟のデータを消してしまった
他のスクウェアのゲームは前作である聖剣伝説2も含めてプレイ中のデータがセーブ時の初期位置になっているし確認のメッセージも出る
何故聖剣3だけこうなってしまったのか
かーちゃんには本体じゃなくアダプター隠されてたなぁ。
金持ちの子に秘蔵のビックリマンシール3枚とアダプター交換してもらって夜中やってたわ懐かしい。
兄弟で遊んでて兄貴の冒険の書を上書きしたり、またはされたりでケンカしましたね。今はオートセーブで甘やかしてくれるから今のちびっこ達は大丈夫なのかもですね。
昔、女子プロレスラーのライオネス飛鳥さんがゲーム王国だかファミっ子大集合だかの司会やってたな。
知らない人から電話ってのはさすがになかったけど、小学生なのに夜の10時過ぎに友だちから電話かかってきてゲームの攻略法教えてってのはあった。
当時は、中学2年生。
この頃は、大手のオモチャ屋やチェーン店で、売れると判断したファミコンソフトに対しての予約制が始まった頃でした。
残念ながら、私の住んでいた所では個人店のオモチャ屋しかなく予約制も無いので、発売日当日に手に入れたいので、熱があるみたいだって嘘をつき体温計を操作して、見事に早退する事に成功し、手に入れて遊んでました。クラスの中では、攻略トップでしたが言い触らしたりする事がなく、黙って静観してました。
後に、ドラクエⅡの売れ行きを観た個人店でも、予約制をスタートさせました。
ドラクエⅡの影響で、ドラクエⅢでは、先生の巡回パトロールを始めた学校もあります。
兄貴がいる子ってセーブ周辺地域での戦闘しか許されない「ガチる要員」としてコキ使われる😅
もちろんたまったお金で買い物もダメ、ドロップのふくびきけんでゴールドカード当てて理不尽にも兄貴に殴られてた友人がいたなぁ😨
10:08 自分のブログを書きながらこの動画を流していたのですが、その最中、突然現れた「母親」の画像を横目で見て声出して笑いましたw
どんだけ邪悪な存在なんだよww
まあ当時のキッズ的にはファミコンを隠されるのはまだ序の口でして、眼の前でファミコンを叩き壊されたという同級生もいた覚えがあります。
(モデルガンを破壊された知人もいたようなw)
あと、本体は買ってもらえずカセットだけ買ってもらった友達とか。
今思えば、各ご家庭で色々事情があったんだろうなあ。
知人の純一くんは、何年経ってもスーパーカセットビジョンを更新してもらえませんでした。
カセットをそのまま引っこ抜かれた。
いいですねぇ(*´∀`*)
ファミ通のゲーム帝国にも、こういうエピソードとか投稿されたりしてましたね。
リアルタイムで遊んでいたので、どれも共感出来るものばかりです。
自力では無理だったので、攻略本見ながらでしたけど、
ロンダルキアの洞窟を抜けた後の、祠に着く前のザラキの洗礼に、しばらく投げ出してました
( ̄▽ ̄;)
SFCのキャプテン翼3の最終話のドイツ戦は苦戦は必至ですね。マーガスのブラストヘッド、カペロマンのサイドワインダー、シュナイダーのネオファイアーに対してシリーズ最弱と言われる若林(若島津の方が強い)カルツとシェスターの暴れぶりにボールを前線にも送れず、何とか送ったとしても日向のライトニングタイガーすら簡単に止めるミューラーと初見で勝った人居るの?ってレベルでした。仕様的にCPUは必殺技使い放題ですからね。負けたら経験値を入手して再試合か1つ前の試合に戻される仕様もウィンキー的優しさを感じますね。
ドラクエシリーズが日本のコマンド式RPGを作ったのだねぇ
ロールプレイングゲームとは何ぞやを定義づけしたシリーズ
それ以前はキングスナイトすらジャンルとしてはRPGだったわけだし
まぁ現代においては主人公の個性が前に押し出されるようになって
プレイヤーの「ロール」はどこにある状態ですが
…観客?
いや、最後の奴……、自分で最初からやり込めよ……(苦笑)
ふっかつのじゅもん書き間違えは何度もやらかしたなぁ。一番のしくじりはふっかつのたまゲットしてそれを使ったじゅもんを書き損じたことだね
ゴールドカード当たった時のふっかつのじゅもんが通らなかった💧
2ってそんなに買い難かった思い出が無いなー。3買うときの行列にダウボーイもって並んでいた人が忘れられないwあれは猛者だねw
2だったかな?ドラクエかつあげがあったのは
3や4の時もニュースになってましたね。
有名なの3かなぁ?
ワイは3からとおぼえちょりますな
ご飯呼ばれてアダプター引き抜かれて、怒りでちゃぶ台クラッシュ!
親父にファミコン叩き壊されたのは思い出…
トシオyee
抱き合わせは4だっけ?
ゲーム帝国……
昔のファミ通にあったなぁ…
懐かしいわ…😢
復活の呪文を書き間違い?