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「作品を批判されても決して怒らず、次の作品のネタにする」と、まさに筒井康隆氏が言ってましたが、その精神なのかな。
留美子「じゃあお前に現実を見せてやろうか?」で生まれた傑作が人魚シリーズ。特に人魚の傷は今では絶対にTVでは放送できない。というかTV版でもこの話だけ見送られた;
高橋留美子作品は人魚の森が1番面白い。らんまもうる星やつらも好きじゃなかったけど人魚の森は本当に面白かった
高橋留美子バッシング……大塚英志が90年代にネチネチ書いていたのは読んだ。今回も良かった。語りに息を呑んで聞き行っているきたがわさん込みで山田先生良かった。漫画家がこの分析を口にするのは相当な勇気がいったはずだ。
これでこそ、「本質翻訳家、山田玲司」作品に描かれている表層と真相を解説して、更には作家の心根(こころね)を時代から読み解く。素晴らしい読み解きです。漫画を愛するがゆえに見える風景があるのでしょう。これからも応援しています。本質翻訳家山田玲司先生、きたがわ翔先生頑張って下さい。追伸:この本質的議論に辿り着けて良かったです。
山田玲司先生の解説をお聞きして人魚シリーズ3冊を購入しました。先生の解説通り裏留美子先生面白かったです。
山岸涼子の漫画にも、人魚を食べる話があります。天涯孤独で友人もいない少女を狙ってクラスメート(実は人魚)は家に誘う。その家にいる家族は全員同じ顔と体。という気持ち悪い話でした。実は人が人魚を食べるのではなく人魚が人の精を吸って、脱皮のように分裂して二体になる、というような話だったと思います。
不老不死=連載を続けられる。ヒット作品を続けられる漫画家。なりそこない=連載途中で挫折。そもそも描くことが出来なくなり己を失う人たち。人魚の森10代の頃から何故か観てたけれど、20代後半になって「なるほどぉ!!そういう解釈も確かにわかる」と思いましたー!
パトレイバー2では、他のスタッフと衝突して決別状態になってたけど、あとで実写版やったりねオリジナルやりたいけどコケるから屈折して、借りてきた受けてるものへの破壊衝動があるのかね
確かにビューティフルドリーマーはクソ過ぎたけど押井=なりそこないってのは皮肉が効いてて最高だなw
「カウンターとしての、原作者による創作」という着想は、斬新で説得力がある…と感心しました。その視点で見直すと、『人魚の森』だけでなく、映画BD公開後の『うる星やつら』原作は、「スクリーンを通じて、監督から突きつけられた批判」に対するカウンターの要素を、最終回に至るまで、常に含んだものであったのでは…とも思えてきます。劇中には、「閉じた小宇宙でループし続けることへの批判」に限らず、「バクを伴う夢邪鬼」を「著作権を手に握る原作者」と読み替えたときに、原作者にはひどく不快に感じられたであろう…と想像されるシーンが、多々あります。➀夢邪鬼(=原作者)は、「夢を紡ぐ仕事」に疲れ、自死さえ考えるほど苦しむ➁夢邪鬼(=原作者)は、ラムを偏愛し、その他は容赦なく切り捨てる③夢邪鬼(=原作者)は、「あたるのオトコゴロロ」を理解していないし、女性ゆえ理解できない④あたるの夢は「ラムを含めたハーレム」と要約される⑤ラムの夢は「楽しい高二の生活が繰り返されること」と要約されるスクリーンを通じて突きつけられた、これらの “批判”に対し、原作者は、連載中の原作で、ただちに反証を行います。まずは③④を反証の対象に選び、「女性である原作者より、男性である自分の方が、オトコゴコロは、正しく理解できている」と表明したも同然の監督には想像もできないであろう、あたるの「漢らしい言動」を、原作の「第221話」で描くことによって…。「近い将来、ラムは美貌を全喪失し、(おそらくは)言葉を交わすこともできなくなる」という、原作中で最もダークといえるであろう試練を課されたあたるが、ラムに対して「終生の愛を貫く覚悟」を、一片の躊躇もなくストレートに示す…という場面を含むこのエピソードが、映画BD封切り(1984年2月11日)の直後(同月22日)というタイミングで描かれたのは、決して偶然などではなく、「映画BDのあたるは、『るーみっくわーるど』のあたるとは、別人です」ということを、原作者が直ちに宣言する意図があってのもの…と理解されます。そして、以後、長い年月をかけて、インタビューや、最終回に至るまでの連載を通じて、原作者は➀~⑤を、丁寧に否定・反証していったように見えます。❶「マンガを描く以上に楽しいことを、私は知りません」と一貫して発言する❷「登場人物みんながそれぞれハッピーであることを心がけている」とコメントし、実際、最終回を迎えるまでに、主要キャラには「相思相愛の相手」を、もれなく配置(特に「しのぶ」については、「こけるの母に」という黒未来のゼロクリアと、「母性本能を刺激する美男で、しのぶに一途な因幡との出会い」を巧みに両立)❸上記の、「因幡」のエピソード中、「未来ドアが一斉落下する」シーンで、あたるが「ハーレム実現の未来」よりも「ラムと結婚する未来」を重視するシーンを描く❹「あいつらには進歩とか成長とかいうもんが、からっきしないからなぁ。一生やっとれ」という、映画BD のラストシーンの“捨てゼリフ”とよく似た表現を敢えて採用しつつも、意味内容は「進歩・成長しても、生涯あたると共に生きることが、ラムの夢」と読める応答で、原作の最終回の最終コマを締め括る真珠貝は、体内に入り込んでしまった異物を核にして、美しい真珠を形成する…そうですが、もしかしたら、監督の原作批判は、笑いと驚きと温かみが溢れる「るーみっくわーるど」を、結果的に、より豊かに輝かせることに貢献した…のかもしれません。
人魚シリーズ大好き。小学生の時読んで、衝撃的だった。
留美子さんがビュードリを批評してたのはそういう背景があって気づいてたからなのね。なるほどな〜
るーみっくわーるど大好き。多分全部持ってます。人魚の森一番好きです。
終わらない日常が実は終わるっていうとタイムボカンでいつものメンバーが爺さん婆さんになってる未来だかIFだかの話を思い出す。マンネリ天丼な作品だけど登場人物はいずれ老いるんだよと別に永遠に若いピーターパンじゃないよと示すのはドリーマーより好き(というかドリーマーも押井も嫌い)。
「人魚の森」はまさにそういう作品ですよね。終わらない日常というと火の鳥だと猿田彦より、永遠に同じ人生を生きざるを得なくなった八百比丘尼が強烈でしたね。
鬼滅を読んで既視感が有りました。それは高橋先生の人魚の森と、ネタや画のタッチが非常によく似ていたからです。ワニ先生が女性と聞いて、全く驚かなかったです。
前回お二人の話に凄いおいてけぼり感あったんだけれど今回は凄い面白かった。漫画家も作家ですからね〜
人魚の森の解釈は、もっと広範囲な職業に拡張できる気がします。成程、自分は「成りそこない」か。納得できます。玲司さんの解釈も面白いし、読み返すと倍面白い。そろそろ令和版うる星やつらが流されます。楽しみですね。
これノーカットなの、高橋 留美子・先生は凄いな
なりそこない分かる。押井監督も結局、ビューティフルドリーマーの時は、化け物なりそこないだったわけよ。嫉妬、ジレンマ。だって高橋留美子さんは一次創作者、監督は違うもの。並びたい、ともすれば超えたいという無意識がでる。
水木しげる先生の影響も感じることがありますねトリックスターのキャラ錯乱坊、あたる、八方斎、はねずみ男(水木しげる先生の投影)と似たような醒めた視点と愛嬌ある俗物性を持ってる印象です
まぁ高橋留美子さんに限らず、どの業界でも起こることだよな
うわ好きです
人形の森怖かったけど、今回の話し聞いて良かったよ❗
この話は漫画を作る側になろうとした人ほどわかってしまう話だ漫画家志望者の末路も本当に悲惨で多くのやつは大変なことになる化け物になって死ぬと変わらんちゃんと社会復帰出来る人間は少なさそうまあ漫画は総合芸術なんでイラレとかよりは潰しは効くらしいが地縛霊となって後進の害になるやつは多い
人魚シリーズの先にいるのが、虚構推理の先輩になるのかな。
テレビシリーズでの「みじめ 愛とさすらいの母」だったかな(うろ覚え)「自分は、何者なんだろう?」という哲学的かつ素朴で深い疑問を派手に劇場アニメで展開した点でビューティフルドリーマーは、傑作高橋留美子は「読者に夢を見せる」という役割に誇りをもって仕事をしてる“職人”押井守は、原作者の夢の焼き直しでは満足できないアーティストだった。その押井守の自由奔放(?)さを羨ましいと嫉妬したと思います。押井守をうる星やつらの監督から降ろして後釜に座った山崎和男は、ただひたすら焼き直しをしていただけに見えました。そのためか、劇場版パート3、4と人気は急降下しテレビシリーズも終了もしもあのまま押井守に続けさせていたら・・・・?
留美子さんのその解答は少し論点ずらしにような気もしないでもない。だってあの終わらない気分をずっと引き摺ってドタバタする雰囲気には魔力があって押井さんだって嫌いではなかったはずだから。これは後で語っている。果たして本当に永遠に続くことが読者にとって幸せなのかは、その麻薬的作用を擁護するのとはまた違うのではないかとそういえばぶらどらぶ11話は○○回でしたね いやそう考えると大変興味深いです
これも、初版かも・・・少なくとも第二弾は初版なはず
映画ビューティフルドリーマーの子豚の尻にパテントマーク、ラストに©封印を解除して世界を崩壊させる。つまりアレは原作者高橋留美子の扱いであって 押井はスゴイ、作品レイプどころか原作者レイプをしてしかもそれはすべて アバンだから本編はあのED歌であってだからあの曲が記憶に残るというMTVの構成なんだよね。
♫またあなたの気まぐれが動き出した 悲しいわ これっきりね〜今まで出さなかったタイトル「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」を最後に出すそしてかかる「愛はブーメラン」曲の終わりに鳴る始まりを告げるチャイム これで映画の冒頭にループする作中、あたるは夢から脱出するが、EDにしてOP曲という演出で作品自体を終わらない夢としてパッケージしてしまったこの作品はうる星にはない、少なくとも留美子さんが言わないテーマな事は確かだし確かに押井さんはうる星の世界に不満を持っていたのは事実ただ、押井さんからの批判というのは急速にバカっぽくなっていく80's文化やラブコメ全盛になっていくぬるさに向けてで、留美子さん個人にではないと、個人的には思う80年代を謳歌する様に見えてそれを批判する槍玉に上がったのは致し方ないんじゃないかそれくらい高橋留美子とあだち充はこの時代強かった押井さんは意外とダンディズムの人で、負け犬の悲哀も含まれる部分がよく表現され、きしくも留美子さんの数少ない弱点を突く形になったそんな留美子さんが白黒合わせた犬夜叉を90年代にヒットさせたのは面白い現象だな
@@dramrodt3090 さん、むしろ、大林宣彦のザ・ハウスや相米しんじの台風クラブ、逆に、すかんぴんウォークの大森一樹は逆に、ゴジラVSビオランテでの沢口靖子最強伝説を撮るのだから面白い、金子は美少女ものに行くしw
いしかわ〇⚪︎〇は漫画家の成れの果てか??俺はそう思わない。
玲司先生にいつかBSマンガ夜話について語ってくれると嬉しい。
@@taberubegatturi4138 BSマンガ夜話のオッサン達の解説とセレクトに納得がいかなくてれいとしょうを始めたヤンサンですからね。
もしジョジョの荒木先生が人魚を食べたことで不老不死になったという話を書いたら主人公と一緒に食べた漁師仲間が不老不死を悪用する展開で、やがて主人公が人魚から波紋を教わり、不老不死になった元仲間と戦う話になりそうそしてその仲間のリーダーがDIOみたいで、日本を核保有国にしようとしている
「作品を批判されても決して怒らず、次の作品のネタにする」と、まさに筒井康隆氏が言ってましたが、その精神なのかな。
留美子「じゃあお前に現実を見せてやろうか?」
で生まれた傑作が人魚シリーズ。
特に人魚の傷は今では絶対にTVでは放送できない。というかTV版でもこの話だけ見送られた;
高橋留美子作品は人魚の森が1番面白い。らんまもうる星やつらも好きじゃなかったけど人魚の森は本当に面白かった
高橋留美子バッシング……大塚英志が90年代にネチネチ書いていたのは読んだ。
今回も良かった。語りに息を呑んで聞き行っているきたがわさん込みで山田先生良かった。
漫画家がこの分析を口にするのは相当な勇気がいったはずだ。
これでこそ、「本質翻訳家、山田玲司」
作品に描かれている表層と真相を解説して、更には作家の心根(こころね)を時代から読み解く。
素晴らしい読み解きです。
漫画を愛するがゆえに見える風景があるのでしょう。
これからも応援しています。本質翻訳家山田玲司先生、きたがわ翔先生頑張って下さい。
追伸:この本質的議論に辿り着けて良かったです。
山田玲司先生の解説をお聞きして
人魚シリーズ3冊を購入しました。
先生の解説通り裏留美子先生面白かったです。
山岸涼子の漫画にも、人魚を食べる話があります。天涯孤独で友人もいない少女を狙ってクラスメート(実は人魚)は家に誘う。その家にいる家族は全員同じ顔と体。という気持ち悪い話でした。実は人が人魚を食べるのではなく人魚が人の精を吸って、脱皮のように分裂して二体になる、というような話だったと思います。
不老不死=連載を続けられる。ヒット作品を続けられる漫画家。
なりそこない=連載途中で挫折。そもそも描くことが出来なくなり己を失う人たち。
人魚の森10代の頃から何故か観てたけれど、20代後半になって「なるほどぉ!!そういう解釈も確かにわかる」と思いましたー!
パトレイバー2では、他のスタッフと衝突して決別状態になってたけど、あとで実写版やったりね
オリジナルやりたいけどコケるから屈折して、借りてきた受けてるものへの破壊衝動があるのかね
確かにビューティフルドリーマーはクソ過ぎたけど
押井=なりそこないってのは皮肉が効いてて最高だなw
「カウンターとしての、原作者による創作」という着想は、斬新で説得力がある…と感心しました。
その視点で見直すと、『人魚の森』だけでなく、映画BD公開後の『うる星やつら』原作は、
「スクリーンを通じて、監督から突きつけられた批判」に対するカウンターの要素を、
最終回に至るまで、常に含んだものであったのでは…とも思えてきます。
劇中には、「閉じた小宇宙でループし続けることへの批判」に限らず、
「バクを伴う夢邪鬼」を「著作権を手に握る原作者」と読み替えたときに、原作者には
ひどく不快に感じられたであろう…と想像されるシーンが、多々あります。
➀夢邪鬼(=原作者)は、「夢を紡ぐ仕事」に疲れ、自死さえ考えるほど苦しむ
➁夢邪鬼(=原作者)は、ラムを偏愛し、その他は容赦なく切り捨てる
③夢邪鬼(=原作者)は、「あたるのオトコゴロロ」を理解していないし、女性ゆえ理解できない
④あたるの夢は「ラムを含めたハーレム」と要約される
⑤ラムの夢は「楽しい高二の生活が繰り返されること」と要約される
スクリーンを通じて突きつけられた、これらの “批判”に対し、原作者は、連載中の原作で、
ただちに反証を行います。
まずは③④を反証の対象に選び、
「女性である原作者より、男性である自分の方が、オトコゴコロは、正しく理解できている」
と表明したも同然の監督には想像もできないであろう、あたるの「漢らしい言動」を、
原作の「第221話」で描くことによって…。
「近い将来、ラムは美貌を全喪失し、(おそらくは)言葉を交わすこともできなくなる」
という、原作中で最もダークといえるであろう試練を課されたあたるが、ラムに対して
「終生の愛を貫く覚悟」を、一片の躊躇もなくストレートに示す
…という場面を含むこのエピソードが、映画BD封切り(1984年2月11日)の直後(同月22日)
というタイミングで描かれたのは、決して偶然などではなく、
「映画BDのあたるは、『るーみっくわーるど』のあたるとは、別人です」ということを、
原作者が直ちに宣言する意図があってのもの…と理解されます。
そして、以後、長い年月をかけて、インタビューや、最終回に至るまでの連載を通じて、
原作者は➀~⑤を、丁寧に否定・反証していったように見えます。
❶「マンガを描く以上に楽しいことを、私は知りません」と一貫して発言する
❷「登場人物みんながそれぞれハッピーであることを心がけている」とコメントし、
実際、最終回を迎えるまでに、主要キャラには「相思相愛の相手」を、もれなく配置
(特に「しのぶ」については、「こけるの母に」という黒未来のゼロクリアと、
「母性本能を刺激する美男で、しのぶに一途な因幡との出会い」を巧みに両立)
❸上記の、「因幡」のエピソード中、「未来ドアが一斉落下する」シーンで、
あたるが「ハーレム実現の未来」よりも「ラムと結婚する未来」を重視するシーンを描く
❹「あいつらには進歩とか成長とかいうもんが、からっきしないからなぁ。一生やっとれ」という、
映画BD のラストシーンの“捨てゼリフ”とよく似た表現を敢えて採用しつつも、
意味内容は「進歩・成長しても、生涯あたると共に生きることが、ラムの夢」と読める応答で、
原作の最終回の最終コマを締め括る
真珠貝は、体内に入り込んでしまった異物を核にして、美しい真珠を形成する…そうですが、
もしかしたら、監督の原作批判は、笑いと驚きと温かみが溢れる「るーみっくわーるど」を、
結果的に、より豊かに輝かせることに貢献した…のかもしれません。
人魚シリーズ大好き。
小学生の時読んで、衝撃的だった。
留美子さんがビュードリを批評してたのはそういう背景があって気づいてたからなのね。
なるほどな〜
るーみっくわーるど大好き。
多分全部持ってます。
人魚の森一番好きです。
終わらない日常が実は終わるっていうとタイムボカンでいつものメンバーが爺さん婆さんになってる未来だかIFだかの話を思い出す。マンネリ天丼な作品だけど登場人物はいずれ老いるんだよと別に永遠に若いピーターパンじゃないよと示すのはドリーマーより好き(というかドリーマーも押井も嫌い)。
「人魚の森」はまさにそういう作品ですよね。終わらない日常というと火の鳥だと猿田彦より、永遠に同じ人生を生きざるを得なくなった八百比丘尼が強烈でしたね。
鬼滅を読んで既視感が有りました。
それは高橋先生の人魚の森と、ネタや画のタッチが非常によく似ていたからです。
ワニ先生が女性と聞いて、全く驚かなかったです。
前回お二人の話に凄いおいてけぼり感あったんだけれど今回は凄い面白かった。漫画家も作家ですからね〜
人魚の森の解釈は、もっと広範囲な職業に拡張できる気がします。成程、自分は「成りそこない」か。納得できます。
玲司さんの解釈も面白いし、読み返すと倍面白い。そろそろ令和版うる星やつらが流されます。楽しみですね。
これノーカットなの、高橋 留美子・先生は凄いな
なりそこない分かる。
押井監督も結局、ビューティフルドリーマーの時は、化け物なりそこないだったわけよ。嫉妬、ジレンマ。だって高橋留美子さんは一次創作者、監督は違うもの。並びたい、ともすれば超えたいという無意識がでる。
水木しげる先生の影響も感じることがありますね
トリックスターのキャラ錯乱坊、あたる、八方斎、は
ねずみ男(水木しげる先生の投影)と似たような醒めた視点と愛嬌ある俗物性を持ってる印象です
まぁ高橋留美子さんに限らず、どの業界でも起こることだよな
うわ好きです
人形の森怖かったけど、今回の話し聞いて良かったよ❗
この話は漫画を作る側になろうとした人ほどわかってしまう話だ
漫画家志望者の末路も本当に悲惨で多くのやつは大変なことになる
化け物になって死ぬと変わらん
ちゃんと社会復帰出来る人間は少なさそう
まあ漫画は総合芸術なんで
イラレとかよりは潰しは効くらしいが
地縛霊となって後進の害になるやつは多い
人魚シリーズの先にいるのが、虚構推理の先輩になるのかな。
テレビシリーズでの「みじめ 愛とさすらいの母」だったかな(うろ覚え)
「自分は、何者なんだろう?」という哲学的かつ素朴で深い疑問を派手に劇場アニメで展開した点で
ビューティフルドリーマーは、傑作
高橋留美子は「読者に夢を見せる」という役割に誇りをもって仕事をしてる“職人”
押井守は、原作者の夢の焼き直しでは満足できないアーティストだった。
その押井守の自由奔放(?)さを羨ましいと嫉妬したと思います。
押井守をうる星やつらの監督から降ろして
後釜に座った山崎和男は、ただひたすら焼き直しをしていただけに見えました。
そのためか、劇場版パート3、4と人気は急降下し
テレビシリーズも終了
もしもあのまま押井守に続けさせていたら・・・・?
留美子さんのその解答は少し論点ずらしにような気もしないでもない。
だってあの終わらない気分をずっと引き摺ってドタバタする雰囲気には魔力があって
押井さんだって嫌いではなかったはずだから。これは後で語っている。
果たして本当に永遠に続くことが読者にとって幸せなのかは、その麻薬的作用を
擁護するのとはまた違うのではないかと
そういえばぶらどらぶ11話は○○回でしたね いやそう考えると大変興味深いです
これも、初版かも・・・少なくとも第二弾は初版なはず
映画ビューティフルドリーマーの子豚の尻にパテントマーク、ラストに©封印を解除して世界を崩壊させる。つまりアレは原作者高橋留美子の扱いであって
押井はスゴイ、作品レイプどころか原作者レイプをしてしかもそれはすべて アバン
だから本編はあのED歌であってだからあの曲が記憶に残るというMTVの構成なんだよね。
♫またあなたの気まぐれが動き出した 悲しいわ これっきりね〜
今まで出さなかったタイトル「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」を最後に出す
そしてかかる「愛はブーメラン」
曲の終わりに鳴る始まりを告げるチャイム これで映画の冒頭にループする
作中、あたるは夢から脱出するが、EDにしてOP曲という演出で作品自体を終わらない夢としてパッケージしてしまった
この作品はうる星にはない、少なくとも留美子さんが言わないテーマな事は確かだし
確かに押井さんはうる星の世界に不満を持っていたのは事実
ただ、押井さんからの批判というのは急速にバカっぽくなっていく80's文化やラブコメ全盛になっていくぬるさに向けてで、留美子さん個人にではないと、個人的には思う
80年代を謳歌する様に見えてそれを批判する槍玉に上がったのは致し方ないんじゃないか
それくらい高橋留美子とあだち充はこの時代強かった
押井さんは意外とダンディズムの人で、負け犬の悲哀も含まれる部分がよく表現され、きしくも留美子さんの数少ない弱点を突く形になった
そんな留美子さんが白黒合わせた犬夜叉を90年代にヒットさせたのは面白い現象だな
@@dramrodt3090 さん、むしろ、大林宣彦のザ・ハウスや相米しんじの台風クラブ、
逆に、すかんぴんウォークの大森一樹は逆に、ゴジラVSビオランテでの沢口靖子最強伝説を撮るのだから面白い、金子は美少女ものに行くしw
いしかわ〇⚪︎〇は漫画家の成れの果てか??俺はそう思わない。
玲司先生にいつかBSマンガ夜話について語ってくれると嬉しい。
@@taberubegatturi4138 BSマンガ夜話のオッサン達の解説とセレクトに納得がいかなくて
れいとしょうを始めたヤンサンですからね。
もしジョジョの荒木先生が人魚を食べたことで不老不死になったという話を
書いたら主人公と一緒に食べた漁師仲間が不老不死を悪用する展開で、やがて
主人公が人魚から波紋を教わり、不老不死になった元仲間と戦う話になりそう
そしてその仲間のリーダーがDIOみたいで、日本を核保有国にしようとしている