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学生時代歴史が大の苦手で、特に平安時代は訳が分からなかったのですが『光る君へ』をきっかけに先生の動画に出会い、再び勉強させて頂いてます。こんな私にもこの時代への理解を深まる分かり易い説明をして頂き本当にありがとうございます。
これだけ、わかりやすく説明してくれる先生が学生の時、側にいたらもっと歴史も楽しかっただろうと思います。この年で改めて楽しく学ばせてもらってます。
お話しが上手で良くわかりました。素晴らしい🎉
一度だけではなかなか理解出来ない所が同じ動画を繰り返しみるとすっかり呑み込めてスッキリですこれだけ詳しく丁寧に説明為て下さる先生は他にいらっしゃらないので毎回愉しみに何度もみて楽しんでいます❤😂
見応えがありました!!解りやすい解説をありがとうございました。
なるほど!院政がひかれてった経緯がよくわかりました。毎回素晴らしい解説、有難うございます✌️😊
有り難う御座います。韓国人 朴が 日本歴史勉強中。最高講義 思います。
ひかる君へ→平清盛にようやく繋がった!平清盛では、師実、頼道が藤原摂関家の再興のために頑張っていたけど、道長と繋がってちょっとホッとした。ありがとう!ドラマ平清盛では、清盛の最初のお嫁さんのお父さんと清盛が初めて会った時、家系は紫式部とつながる、と言っていたので、ひかる君へ→平清盛がつながる動画があると嬉しいです。
髪の色🩵少し変わって、お似合いですね♪
何代にも渡る歴史をわかりやすく解説していただき、ありがとうございます。道長、望月のかけたることもなしと思えばって、すぐにボロボロにかけちゃったよね。
道長の息子頼道の系図がわからなかったので詳しくありがとうございます😊そして院生から鎌倉殿へ続く流れ歴史の流れが知れてよかったです
よくお似合いです❤
歴史は全く興味なかったのが、家系図から江戸後期の先祖が分かり天皇家に関わる人物で「歴史ディレクトリ」のサイトで、古代から先祖迄の家系と先祖達の生き様を調べてるうちに歴史への興味が湧いてました。先祖の男系先祖が兼家、道長、頼通で頼通の大好きな隆姫王女でなく藤原頼成の娘の祇子(ぎし)との3人の息子の橘俊綱、藤原師実、藤原定綱から繋がっています。又お話の紫式部も先祖です。先祖達のゆかりの地を巡るのが趣味になり、興福寺、平等院、泉涌寺に参りましたが、たまたま泉涌寺近くに屋根に平等院とそっくりの鳳凰が飾られたお寺が気になり参りましたら偶然に橘俊綱のお寺の即成院でした。鳳凰は平等院を向いてるそうです。又彼は造園に造詣が深かったそうです。道長と倫子の子は頼通と彰子、妍子、嬉子4人と明子との子は尊子と長家、頼宗の3人で7人が先祖です。頼通の息子の頼宗と藤原伊周の娘との息子の俊家から繋がってます。お話の尊仁(後三条天皇)、親仁(後冷泉天皇)や白河、鳥羽天皇、平清盛、源義朝も先祖で先祖々と煩いですが、源義朝の母は藤原道長の子孫であり頼朝を助けた先祖の池禅尼は藤原隆家の子孫と分かった時はちょっと驚きでした。又藤原頼通の玄孫の藤原(坊門)信隆は藤原隆家の子孫でもあり伊周の子孫の藤原通基の娘との娘の藤原殖子が高倉天皇の後宮になり後鳥羽天皇の生母となり藤原道隆と頼通の望みを果たしております。分かり難い文章で申し訳ありません。やすひろさんのお話は耳に優しく分かりやすいです。😊
道長が頼通に第二皇子を東宮にするといったとき怪訝な顔をしていた様に思った。だから敦康親王が養女の婿と言うだけでないように おもう。
結局藤原頼通に実子の娘がたくさんいたら... そして健康な皇子を産んでくれていたら...😢 という話ですよねー
頑張ったかもしれないけどやっぱり無能。
学生時代歴史が大の苦手で、特に平安時代は訳が分からなかったのですが
『光る君へ』をきっかけに先生の動画に出会い、再び勉強させて頂いてます。
こんな私にもこの時代への理解を深まる分かり易い説明をして頂き
本当にありがとうございます。
これだけ、わかりやすく説明してくれる先生が学生の時、側にいたらもっと歴史も楽しかっただろうと思います。この年で改めて楽しく学ばせてもらってます。
お話しが上手で良くわかりました。
素晴らしい🎉
一度だけではなかなか理解出来ない所が同じ動画を繰り返しみるとすっかり呑み込めてスッキリです
これだけ詳しく丁寧に説明為て下さる先生は他にいらっしゃらないので毎回愉しみに何度もみて楽しんでいます❤😂
見応えがありました!!
解りやすい解説をありがとうございました。
なるほど!院政がひかれてった経緯がよくわかりました。毎回素晴らしい解説、有難うございます✌️😊
有り難う御座います。韓国人 朴が 日本歴史勉強中。最高講義 思います。
ひかる君へ→平清盛にようやく繋がった!平清盛では、師実、頼道が藤原摂関家の再興のために頑張っていたけど、道長と繋がってちょっとホッとした。ありがとう!
ドラマ平清盛では、清盛の最初のお嫁さんのお父さんと清盛が初めて会った時、家系は紫式部とつながる、と言っていたので、ひかる君へ→平清盛がつながる動画があると嬉しいです。
髪の色🩵少し変わって、お似合いですね♪
何代にも渡る歴史をわかりやすく解説していただき、ありがとうございます。
道長、望月のかけたることもなしと思えばって、すぐにボロボロにかけちゃったよね。
道長の息子頼道の系図がわからなかったので
詳しくありがとうございます😊
そして院生から鎌倉殿へ続く流れ
歴史の流れが知れてよかったです
よくお似合いです❤
歴史は全く興味なかったのが、家系図から江戸後期の先祖が分かり天皇家に関わる人物で「歴史ディレクトリ」のサイトで、古代から先祖迄の家系と先祖達の生き様を調べてるうちに歴史への興味が湧いてました。
先祖の男系先祖が兼家、道長、頼通で頼通の大好きな隆姫王女でなく藤原頼成の娘の祇子(ぎし)との3人の息子の橘俊綱、藤原師実、藤原定綱から繋がっています。
又お話の紫式部も先祖です。
先祖達のゆかりの地を巡るのが趣味になり、興福寺、平等院、泉涌寺に参りましたが、たまたま泉涌寺近くに屋根に平等院とそっくりの鳳凰が飾られたお寺が気になり参りましたら偶然に橘俊綱のお寺の即成院でした。鳳凰は平等院を向いてるそうです。又彼は造園に造詣が深かったそうです。
道長と倫子の子は頼通と
彰子、妍子、嬉子4人と明子との子は尊子と長家、頼宗の3人で7人が先祖です。
頼通の息子の頼宗と藤原伊周の娘との息子の俊家から繋がってます。
お話の尊仁(後三条天皇)、親仁(後冷泉天皇)や白河、鳥羽天皇、平清盛、源義朝も先祖で先祖々と煩いですが、源義朝の母は藤原道長の子孫であり頼朝を助けた先祖の池禅尼は藤原隆家の子孫と分かった時はちょっと驚きでした。
又藤原頼通の玄孫の
藤原(坊門)信隆は藤原隆家の子孫でもあり
伊周の子孫の藤原通基の娘との娘の藤原殖子が高倉天皇の後宮になり後鳥羽天皇の生母となり藤原道隆と頼通の望みを果たしております。
分かり難い文章で申し訳ありません。
やすひろさんのお話は耳に優しく分かりやすいです。😊
道長が頼通に第二皇子を東宮にするといったとき怪訝な顔をしていた様に思った。だから敦康親王が養女の婿と言うだけでないように おもう。
結局藤原頼通に実子の娘がたくさんいたら... そして健康な皇子を産んでくれていたら...😢 という話ですよねー
頑張ったかもしれないけどやっぱり無能。