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伊賀は体術・武術・工作術を得意とし、甲賀は火薬や毒薬をはじめ 塗り薬や飲み薬の精製を得意としていたようです。全てのケースでとは断言しませんが伊賀と甲賀は上忍同士で繋がっていて密やかに連携し合っていたとされます。常日頃の平素からの交流と併せて 戦場で相まみえた時の為に合言葉を掛け合って相討ちを回避するなどの対応をしていました。ちょっと余談にお付き合いください。忍者が持つ忍刀と呼ばれる短い直刀は低コストであり 長い太刀と比べ攻撃力は劣るものの 重量が軽い事で移動時での身体負担を軽減すると同時に素早い動きに適応し 更に狭い場所での移動でも邪魔にならなかった事が利点。刀を納める鞘は先端が筒抜けで潜水時にスノーケルとしての代用が可能だった事と 当然ながら水が容易に抜け落ちるようになっていた事 。刀の鍔(つば)は正方形で壁に立て掛けられて高い場所へ移動する時の踏み台代わりに使うのが可能だった事。着衣ですがドラマや映画で観る黒装束ではなく 周防染めといって暗闇や地面に溶け込む茶褐色の染め生地を用いていて 周防染めは殺菌力があり泥水を濾過して飲用したり 布を傷口にあてるなどにも活用されました。長々とすみませんでした。
すごい!詳しいお話興味深く読みましたご先祖様が忍びだったとか?じゃないですよね
@@nara3178何代か前の先祖の実家が甲賀だったという事です。そんな事もあって自発的に調べあげた情報も含めてのコメントを致しました。謀略を主体とした兵法、そして忍び装束や刀を含めた忍具などなど 全てが合理性と機能性を基調として生み出されてきました。大河ドラマに登場する忍者(乱破)達や知略を兼ね備えた謀将が登場しますが、その歴代の大河ドラマの中で最もそれらしい脚色・演出・衣装・時代考証の効果に溢れていたのは大河ドラマ【武田信玄】の中に登場した西田敏行が演じた 乱破あがりの謀将である山本勘助と、織田方の間者と、上杉方の忍者達ですね。お時間のある時に要所要所をリピートしながら御覧になられると良いかと思います。映画だと【梟(フクロウ)の城】あたりが他の作品と比べてマシなほうかなと。
@@user-dk5yb2jf6c 有難うございます!私は、最近なぜか忍びとか、武道とか興味が湧いてきて、RUclipsなど見ています忍びの国や、梟の城も面白く観ましたでも実際に忍びの共同体に生まれたら長生きは難しそうですね
相当の忍者好きですね^^;。伊賀と甲賀で同士うちをさけるためにそのようなことがあったとは知りませんでした(言われてみれば、普通にそうしますよね)。なるほど・・な感じです。うちの中では伊賀と甲賀は傭兵組組織的なので、お互いが商売敵きなイメージなのです(なので、ライバルではあるけど、親の仇的なイメージではない)。創作の「甲賀忍法帖」では互いが代理戦争をさせるようなお話しでしたけど。忍者のメインは直接的な戦闘ではなく、諜報活動(その得た情報をいかに持ち帰るか?)が重要なので、忍刀は短刀で漆か何かを塗った黒色刀でした(可視光線を吸収しますので)。その辺は物理学の最先端を実体験と経験で網羅していた凄い人達やったのやと思います。追記すると、「梟の城」は、信長の「第二次天成伊賀の乱」の話なので、創作です。石川五右衛門が架空の人物ですからねw。
@@user-zo8jb6xx8d たっぷりとしたコメントをありがとうございます!おっしゃる通りです。梟の城は思い切りフィクションですね。活劇主体の他の作品群と比較するとマシな内容かなという感じですね。忍者としての戦場での有効な働きを想定するならば、胴丸を身に付け 敵軍の旗指し物を持ってしまえば一介の足軽として敵勢の中に混ざり込む事は容易だったのではと思われます。敵の陣内でやらかす事をあげると、嘘八百な噂を流したり、飲用に使われる水場に下剤を混入したりなどなど、タイミングをみての工作を容易に行なっていたと思われます。諜報活動と併せて偽情報を流す事によって戦略に支障をきたし始めたり、毒物で体調を崩す者が出始めたりと。それらを後目に敵情報を手土産にして敵の陣中からフェイドアウトする訳です。忍具の殆どが艶消しの漆黒色をしていますが、鉄製の忍具を造り上げる最後の仕上げとして熱した忍具を真綿で擦る事により程良い艶消しの漆黒の色合いが得られます。
昔 甲賀の忍者村に行きましたが、入り口横でおばあちゃんたちが椎茸を干してたり展示物がホコリまみれだったり ゆるゆるで楽しかったです
ふ...ただのシイタケと思うたか😎
@@tengu.8260 おばあちゃん「この椎茸の秘密に気付いた者を葬るのがお役目なのじゃが、近頃はだれも気付かんのう。前に苦無を打ったのは、はて二十年も前じゃったか、、」
ちゃんと「こうか」って発音してるのすごい
地域開拓者は鹿深臣と言われていて「日本書紀」に「敏達十三年秋九月 百済より鹿深臣きたり、弥勒石仏一躯あり」と記録されいます。甲賀の地名も、この人物の名から”かふか”と呼ばれ、甲賀は”こうが”では無く、濁らずに”こうか”と・・本来は呼びます。
伊賀のど田舎出身なので取り上げてくれて嬉しいです!子どもの頃に近所の蔵からクナイ出てきたの思い出しました😂
苗字を名乗れますか?いえいえ、個人情報なので名乗らなくて結構です。クナイの情報をありがとうございます!
子供の頃に見た『忍者ハットリくん』(特撮)で「伊賀」と「甲賀」という名前を覚えました。
伊賀と甲賀。この集団は根本的に違いますよね。時には伊賀同士で争ったり甲賀とも争いはあったでしょう。
甲賀地方には製薬会社が多くて、なんだろうと思っていましたが、そのようなことが原因の一つだったのですね。
越中富山の薬売りもそんな感じと思います。全国を行商して廻る事は情報収集するのにうってつけ!
子供の頃から白土三平の大ファンで、彼の作品は殆ど読み込んで来たが、現実の忍者とフィクションの中の忍者は、全く異なっていたという事が改めて分かった。忍者はもういなくなったのか? という質問には私なら胸を張ってNo!! と答える。今の時代黒装束なんかで街を歩いていたら目立ってしょうがない。一般人と同様にキチンとしたスーツに身を包み、様々な場所で暗躍しているのである。
白土三平の劇画の1つである忍者武芸帳?だったかで 蒼眼で片脚が不自由なのに超人的な体術を備え持つ『四貫目』という忍者が登場しますよね。その 四貫目といわれる人物像なのですが どうしても被ってきてしまい モデルとなっていた部分が拭えないのが、今川方の間者を経た後に 乱破あがりとして 武田方の謀将として身を置いていた【山本勘助】が脳裏をチラついてしまいます。
伊賀、甲賀忍者は、その成り立ち、生き方がスイスに似たとこあるのうw(山岳地方、傭兵稼業)
うちの祖母が甲賀市甲賀町の出身で雑煮などは滋賀の白みその丸餅でなく、江戸雑煮と呼ばれるすまし汁の角餅で隣町に嫁いだ時に文化や習慣が違って最初はとても困ったという事を言っていました。おそらく甲賀忍者は全国を薬屋として行脚していて自然と江戸文化が沁みついたのかなと思ってます。
近江商人の脚力は忍びでの鍛錬の賜物と聞いてます。
否,逆に忍びの者の里らしくない事こそが 忍びの者の里らしい。
@@user-db8id7np8o それについては「草」でしょう。普通に創作の忍者漫画にでてきますが、普段は農民や他にやつしていた人たちです。その生涯で「有事」がなければ、そのまま農民等で生涯を終えていました。
今回紹介された様に代表的な忍びは甲賀、伊賀ですね。しかしそれ以外にも忍びは存在していたらしいです。その痕跡は地名にあると言います。甲賀、伊賀、この賀と言う文字がつく地名は忍の者がいたと言われています。才賀、雑賀、多賀、敦賀、加賀、等地名などに残っています。また各地の忍びは横のネットワークがあったとか、いわゆる忍び道と言われる道もあったとか。基本隠密行動なので詳しい事も正確には残っていない様ですが。
先祖が甲賀地方出身でした。室町時代まではお侍さんで、江戸時代から漆器職人でした。忍者だったは聞いてみませんが、バイオリンの形をした携帯用の薬をはかる秤や、薬箪笥、某大手製薬会社創業者と同姓同名の方がいたりしてバブルの頃一度週刊誌が話を聞きに来たことがあります。でも私を含め体も弱いし怪我の治りも早くないし何もないとこでこけるし、一族の身体能力を考えるととても忍者になれるような・・・おっと誰かきたようだ
「共に風に吹かれし時、共に夢を刻みし時、ふと思う事があるのでございます。弦之介様とわたくしとは、遠い昔一つの魂だったのではないかと。 二つに分かたれた魂が、あるべき姿に戻りたがっているのではないかと。 なればこそ、わたくしはこんなにも弦之介様に…。」 弦「一つの魂ならば、必ずあい寄るじゃろう。 例え幾世を隔たれようと、幾世を生きようと必ず…必ず。」
伊賀忍者と繋がりの有る服部半蔵は徳川16神将の1人として活躍し、現代では東京の皇居西側に有る半蔵門は服部半蔵が由来。かつては江戸城の西側を守っていた半蔵門の事ですね。
伊賀3忍(やったかな?)の1つ服部家は世襲なので、初代は槍半蔵・保永。伊賀超えにも関係のあった2代目・鬼半蔵こと服部半蔵正成は徳川幕府を見ずに病死してます。織田信長の第二次天成伊賀の乱によって壊滅した伊賀忍は、伊賀超えの時の恩で、幕府成立後、「伊賀同心組」として復活させたとされています。この時のまとめ役の一人が3代目・半蔵です(二つ名は知らない)。・・と、伝えられています。
現在の四谷にあるエリアの一部に伊賀屋敷が集まっていました。それがなんと驚く事に!あの大ヒットしたアニメ映画である【君の名は】で、二人がすれ違った後に振り返る階段でのラスシーンがありましたが、あの階段を降りきった先のエリアが伊賀屋敷が集まっていたエリアなのです!
甲賀は生産職がいるのが強み。阿呆茶とか称して麻の葉っぱ煎じて飲ませていたのは本当にゾッとする話だった。
毒物💥恐ろしいですね。甲賀衆のなかには鉄砲や爆薬など火器を取り扱う者もいて、火薬をはじめ・毒薬・飲み薬・塗り薬などの精製も行っていました。毒物として用いられいた物に、チョウセンアサガオの根があります。根の部分を切り刻み ゴボウなどの根菜類と取り混ぜて 標的となる人物と その周囲の者達に気付かれないように少量ずつ食事に混ぜて与え続けますと、数日以内に呼吸停止状態に陥り命を落とす結果となります。もちろん毒見役によって回避していた事例もあるかとは思われますが、歴史の中で病死と伝えられている人達が 実は毒物による暗殺だったという裏の事実も少なからず含まれている。そしてそれは充分に有り得る事と考えて良いと思います。
ハットリくんとケムマキは実は親友。その事実を知ると伊賀と甲賀は仲が悪くなかったと言わざるを得ない。
「一人対一人なら伊賀が勝つ、10人対10人なら甲賀が勝つ、と言われています」元忍者、風車の弥七談。
たしか甲賀忍者は天保の百姓一揆にも協力していたと思います。忠誠心は強いですが決して弱い者を見捨てる訳では有りません。ちなみに甲賀忍者の家計は家紋が六角氏と良く似ています。
だと助かります甲賀と伊賀の違いもあまり意味ないとは思いますけどね一応分類は可能なのでしょうね
まあ、今でいう六角忍者は一向一揆の時の忍者(反乱分子)ですからね。創作のせいか、英雄扱いされとる信長は忍者嫌いなので、伊賀も甲賀も滅ぼそうとしてたので(実際に伊賀は一時期滅びました)そういう見解もあるのかもしれません。真田忍者が有名ですが、六角の一向衆(六角忍者)も足利義尚が六角氏を攻めた時に甲賀に頼ってこれを撃退。その時参加した甲賀武士を「甲賀53家」、武勲のあった家が「甲賀21家」です。望月家がその代表。徳川幕府が出来てからは、伊賀は「伊賀同心組」として、甲賀は秀吉に追放されましたが、家康により「甲賀100人衆」として取り立てられ「甲賀古武士二十一家」として名門の家になってます。
不戦の約定解かれ殺し合いに…なんてことはなかったんですね
映画だけど「梟の城」かな。歴史家からは地雷呼ばわりされている司馬遼太郎の原作だけど忍者フィクションとして観ても面白いよ。
風神の門が好き
10人づつ選んで殺し合ってたよ!パチンコ屋で…
メンタームは忍者直伝のお薬って思うとちょっとはかどる
身体能力が優れてサバイバルにも長け、今で言うと山岳部隊のスペシャリストで産業スパイをやっている感じでしょうか。
無足とは扶持(米)が出ないことなので。食う分は自作で警備警護等の仕事に給金が出た。
バジリスクは歴史の教科書
第二次天正伊賀の乱のとき「おまえの先祖、がんばって信長と戦ったんやで」と書かれた人の末裔です。伊賀でふつうに聞く苗字では服部、藤林、百地はありますね。今の職場の同僚、同級生、学校の後輩なんかにふつうにいます。さすがに忍びの技を伝授されている家はありませんが、やっぱりルーツは調べてしまいますね。我が家は10代遡っても農家でした!去年伊賀忍者と甲賀忍者を題材にしたアニメがありましたが、ゲンナリしました…。
実際忍者の中にも普段は表向きは農業をやり、仕事が入れば忍者になる人もいたとかいないとか。忍者の末裔の可能性はあるかも知れません。
普通にあなたの祖先凄いですw。歴史上言われてることなので、合ってるのかは分かりませんが、第一次は信長本人ではなく親類に指揮をまかせて甲賀を攻略しようとしましたが見事に惨敗。なので第二次は本腰いれたそうです。やからなのか伊賀の福地城まで跡形もなく・・・「服部半蔵」「藤林長門」「百地丹羽守」は伊賀の3上忍とされる世襲の名前ですね。ただ、名前を聞いたことある人も多いであろう少し有名な「百地三太夫」に関しては、「太閤記」にて、架空の人物である石川五右衛門の部下として登場しますので、架空の人物の部下は架空なんじゃ?ということで存在してない可能性が高いです。ま、第二次で滅亡寸前に追い込まれた伊賀忍の生き残りが各地にちりじりにちらばったおかでで、火薬や薬学などの忍びの知識が普及したのかも?という説もあるので、不幸中の幸いということもあるのかもしれません。
同じ苗字でも株が違うとかいろいろありまして、うちの場合は下忍家の傍流っぽいんですよね。基本、忍びは普段農民だったので。@@anakano3230
第一次は伊勢国の神戸氏に養子で行っていた信長次男の信雄が北畠氏を乗っ取り、親父に「まだ自重しとけ」って言われたのに南伊賀に攻め込んでボッコボコにされた戦でしたね。ちなみに福地城は超地元です。真っ先に裏切って柘植口から侵入した織田勢を案内してました。末裔が近所にいます笑@@user-zo8jb6xx8d
伊賀甲賀のわかりやすい関係はハットリくんとケムマキくん
カマキリと五平次たちの会話は何の小説の引用ですか?司馬遼太郎ぽい会話ですが…
そりゃ司馬遼太郎さんの妄想小説ですよ。
猿飛佐助は物語上の人物ですが、実は最近甲賀衆の文献から『佐助』の文字が発見されたとか。もちろん珍しい名前ではないので何とも言えないですが、なんかロマン感じますよね〜。
両者の地域は平成の大合併によって、滋賀県甲賀市と三重県伊賀市となりました。😅しかし、甲賀市はエリアが分散され中心部がはっきりしないのに対して、伊賀市は藤堂高虎公によって整備された伊賀上野エリアを中心地となっています。😮
市川雷蔵主演の「忍びの者」が面白かった。
子供の頃の忍者漫画で伊賀者はいい忍者、甲賀者は悪い者忍者は姿を見せないのが本当外国ではカラー鮮やかな服が流行ってるw
伊賀忍者:忍者ハットリくん(善玉) 甲賀忍者:ケム巻ケム蔵(悪玉)
やっぱり、長谷川卓かな、先日まで亡くなったことを知らず嶽陣伝の次回作を待ちわびていた・・・。合掌。
甲賀は町工場の社長が商工会議所会員って感じで、商工会議所で仕事を請け負って町工場の社長に仕事を割り振ってる感じ伊賀は町工場の社長が商工会議所会員だけど各町工場の社長が商工会議所を通さず仕事を取ってくる感じかな。
伊賀越は津市の「伊賀越」と言う峠だと思います、鈴鹿山系には江戸時代から「まんぼ」と言う地下用水が有り今も機能していますが鈴鹿山系南部の「まんぼ」は伊賀忍者も掘削に加わっていたと言う説も有ります、三重県北部に引っ越して来なかったら歴史が苦手なままでした。
忍者ファンとしては、少しツッコミ所がありますが、甲賀のアトラクションの他に、甲賀系の戸隠やとまだ忍者屋敷とその所有者が第5?代(忘れた)戸隠忍者の後継者になってます。行ったことはないのですけど、忍者屋敷のからくりが残っていて、当時の忍具が展示されているそうです。3大忍術書の1つ、紹介された「萬川集海」も展示されているそうです(22巻で正忍、将知、陽忍、陰忍、天時、忍器の6編からなっているので全部かは分からない)。この忍術書に浮蜘蛛も載っているのですが、寸法が記載されていないので、実は折り畳み式の携帯できる船のようなもので、これを組みたてて逃走に利用した・・・という説が有力です。薬師というのは、各地の情報をえるのに身分をいつわった、所謂「七宝出」の1つ。「富山の薬売り」の大部分はこれにあたると思うので、その名残かもしれませんね。関所ができてからは、大工が多かった。苦無やかすがいみたいな武器にも道具にもなるものを持っていても「大工です」って言えばすみましたからねw。
仕事で松阪に行き奈良方面に帰る道中…ドライバーが道を間違って甲賀~伊賀の山の中を彷徨う羽目になったが…甲賀と伊賀が隣接していた事を知り…そりゃ昔なら忍者同士で小競り合いにもなるやろな~と要らん想像をしてもうた九州人のワイw
そこからちょっと奈良方面に行くと柳生にも出ますよw
@@jimmy-qu7tj ありがとうございますドライバーもそこまで迷走しなかったので気付けませんでしたwでも甲賀の田舎道(失礼)で焚火を見付け、「おい!部外者の侵入(自分ら)に気付いて警戒の狼煙がでてるぞ!早く脱出するんだ!!」…とか…色々失礼な脱出ゲームごっこをしたっけ…(爆)※本当に追われていたのはレンタカーの返却時間w
伊賀や甲賀は今でいう派遣会社(忍者専用の)みたいなもので、服部半蔵の服部党の様にチームで徳川(当時は松平)に仕えたり、一時的に助っ人として仕事を請け負ったり様々で、大河「どうする家康」でも今川から瀬名たちを奪還するのために、甲賀衆を雇っていましたさて、甲賀の中にも(もちろん伊賀にも)金でどうにでも転ぶ者もいれば最後まで忠義を尽くす者もいると思います、例えば六角氏から織田に寝返った甲賀衆は金で転んだのだと思います、ただ、運よく大口契約が取れる大名(六角や織田)が甲賀にはあるが伊賀には無かっただけだと思います、実際、服部党の様に徳川に忠義を尽くす伊賀者もいたわけですから
伊勢の藤堂家、鳥羽伏見の時、一夜で寝返って、会津藩や新選組に砲弾の雨を降らせて、藩祖高虎の人柄が藩風に染み付いていると言われて、敵味方双方から評判が悪かったんだの〜。
それただのやっかみだから
花の慶次で服部半蔵→伊賀真田幸村・猿飛佐助→甲賀風魔 小太郎→知ら~ん骨・捨三 →?を学んだ
幸村って忍者???
風魔小太郎は風魔の里では?
村主(すぐり)も忍者の家系池波正太郎「夜の戦士」お勧め
なるほど、なるほど! 忍者と言えば、『風魔』も異質で興味深いですけれどね😊
伊賀は「いが」、甲賀は「こうか」。昔、伊賀の影丸の番組があったがそれで一般的に甲賀が「こうが」呼びになったと聞いた。数人の知り合いが甲賀市に住んでいる。因みに滋賀の米原は元々は「まいはら」読みだったらしいが間違い読みが多過ぎて「まいばら」読みに変わったらしい。琵琶湖大橋の西にある堅田(かたた読み)はそのまま、堅田地名の由来は知らない。
忍者、忍びの歴史には凄く興味がありました。最初の当時は図書館で本を借りて調べていました。忍びの世界では抜け忍とありましたが、あれは、現在の小説、舞台の偽作であった為、抜け忍とはなかったようです。伊賀と甲賀の忍びは、互いに仲が悪くはなかったようです。そして、殺人集団ではなく、情報を探るのが仕事のようです。忍び刀は、身を守る護身として扱っていたようです。武術と鍛練には長けていた!手裏剣は、実際に使った試しは無かったと聞いた事があります。服部半蔵は実在はしたけど、16代将軍服部半蔵でして、忍びでは無かったと聞きます。ガックリしました。猿飛佐助は真田幸村に使えていた忍びでしたが甲賀ではなかった!猿飛佐助は架空の人物だと知りました!ガックリしました。真田十勇士は、実在はしたのは確かですけど、名乗る人物は架空人物なので、ガックリしました。
小説なら「梟の城」と「風神の門」が好き。特に風神の門の、霧隠才蔵vs宮本武蔵のシーンは熱かった。
漫画だけど「Gの影忍(こやま基夫)」。講談物のようなロマンをスケールアップした作品。MSで隠密活動をする「MS忍者」が描かれる。MSのビームサーベルを生身で白刃どりしたり「飯綱落とし」で大気圏突入したりした。最終章「百騎夜行」では、太陽系の外から侵入者が観測されるが、第二次ネオジオン抗争を目前に動けない正規軍に代わってMS忍者連合軍が結成された。
伊賀と甲賀以外に有名なのは北条に仕えた風魔、世界忍者戦ジライヤで知られる戸隠でしょうか。
「素波」「突波」「乱波」。すっぱぬくとかとっぱないやつの語源になったとか。トッパは知らないけど、武田スッパ、それに対抗して上杉が作ったのきざる。北条は基本ラッパですね。風魔一族もいたらしい(風魔小太郎も実在したらしい)のやけど、こちらはかなり謎なのですよ。戸隠は甲賀の派生ですが、忍者屋敷に現在5?代目戸隠忍者もおって「萬川集海」も残っているという凄いところです。八方手裏剣や十字手裏剣や忍具も数多く当時のもが展示されているとか・・。
信濃での知名度としては戸隠流が勝りますが、実は南信濃の伊那地方に伊那流忍術というのも実存していました。
半蔵の門っていう漫画なんかいいかも
うろ覚えですがどこかで見たのは初めて忍者や忍術ってワードが出たのは宝島って雑誌の自来也だったとか
あれ?昔何かの本で伊賀も甲賀も互いに共栄共存的で情報交換とかを行っていたらしく大名達からすれば大して使えなかったらしいって書いてあったような気がしたが⁉️
伊賀野カバ丸❤🤣👉主人公の大好物は焼きそば❤
これとさすがの猿飛がごっちゃになっている。
明智と徳川が本能寺の時にそうであれば、1607年生まれのそんな徳川天下の時代の剣術指南家(これも忍者出身っぽいw)の息子に明智光秀の息子と全く同じ下の名前つけるかね?柳生十兵衛は諱を三厳(みつよし)という。明智光秀の子供の名前は明智光義(みつよし)なんだけど、明智軍紀ではに十兵衛光義ってあるんだよwもし動画通り明智逃れであれば、こんな事徳川氏として許すんかな?ちなみに家康が没したのは確かに十兵衛元服前だろうけど、秀忠でも覚えてるだろ伊賀越えはw自分が思うに伊賀越えは筑前守逃れだと思う。(自説では、中国大返しからして明智に謀反を勧めた同じ人(または勢力)が明智の謀反を羽柴に漏らしたと思っている)
そういや、昔鉄の頃、空想ディーゼル急行に「忍者」ってあってねw京都発、草津から草津線に入って「甲賀」行ってから柘植出て「伊賀」上野から笠置(橋を渡ると「柳生」の里)木津から奈良に出て高田でスイッチバックして「吉野」から五条、岩出(「根来」の里)経由で和歌山行きw
最後の甲賀忍者.藤田西湖をご存じですか?陸軍中野学校の武術教官をやり馬賊王.伊達順之助とも交友があり中国武術のパイオニア松田隆智氏が少年時代憧れて自宅に押し掛けたとか。南蛮殺到流とか言う怪しげな拳法を伝承してたとか。
少し前、三重県で捕まった熊が滋賀県で放されたというニュースが有ったな。
忍者は傭兵なので伊賀忍者同士が敵味方になって戦うこともあったと聞く。
忍者のイメージって大名との金銭なんかの取引で傭兵・諜報・工作する自治領を認められた傭兵集団のイメージかな
上忍中忍下忍は普通に腕の違いだったという事を知り漫画の情報もあんまりあてにならないなと思った。
地理的にお隣さんですよね~甲賀は地場産業クスリ
伊賀と甲賀 猿飛はどっちだったか よく混乱する(;^_^A飛騨の赤影は判る❗|*・ω・)ノ
討幕派(倒幕)だったら、幕府の敵なのでは?
伊賀忍にしても甲賀忍にしても、誰に仕えるかは時代とともに変わってきたんですよ。幕末に幕府を見限り討幕軍に仕えたとしてもおかしくはありませんよ
他カタカタかたたきたか
ただ肩たたカからくる帰るかもしれないけど?沙汰機ケ刀木期がかかったキ木方かーか、聞きたい神化?グリルこあかたか
肩歌高橋
まぁ他所は知らず隣り合わせの同業者だし、表向きはともかく実情は持ちつ持たれつの、互いの得意分野を融通し合う、なぁなぁだったと考えるのが自然なんじゃないかな。そうすればどちらかが困窮しても一方が支えて(下請けとして使う、とか)最悪共倒れだけは免れる…今でも珍しくはない業界の構図。結局ババを引かされるのは現場の下っ端のみよ…。
江戸幕府に於いて、甲賀衆は与力、伊賀衆は同心で甲賀の方が位も待遇も良かったのでは?
島原では方言がきつくあまり活躍出来なかったはず。
影の軍団。好きだったなぁ~
メンタームは忍者薬だったのか!?
こんだけ具体的に歴史の説明があるしそもそも忍者はスパイみたいなもんなのに、かの国は何故か自国が起源!って主張するんだよなぁ…
日本が弥生時代(卑弥呼が健在)の頃に 既に中国大陸では三國志の全面戦争の真っ只中にありました。その中の兵法で必然的に生まれたのが、敵を欺いたり罠に陥れる謀略術として蜂起し始めたのが原型の始まりなのですがそれらの謀略術が鎌倉時代に日本に伝わり各地に広まる中で、古くから住んでいた国人衆らがそれらの謀略術の需要に目を付け具現化させていき、更にはその合理性に重きを置いた発想から斬新な武器や道具や着衣(忍び装束)をも生み出していった訳です。そんな中で伊賀・甲賀にて定着し 最も特化されて登場したのが日本固有の忍術であり忍者達であったという経緯があります。
江戸時代、幕府に隠密とか御庭番といった忍者がするような仕事があって、各藩の動向を探って問題があれば取り潰しや改易させると言った話を昔の時代劇とかで見た事があります。それは、フィクションなのですか。フィクションでなければ、伊賀や甲賀の忍者が最適だと思いますが、もし伊賀や甲賀の忍者が使われなかったとしたら、どのような人たちが携わったのでしょう。まさか、柳生一族ですか?😅
お庭番は将軍直属の忍び。隠密は幕府の諜報組織。当時勢力を伸ばしていた柳生新陰流の道場が武力もあるので、隠密の任をになった。なので、隠密は確かに幕府の組織として各大名を見張る諜報組織ではあったが忍者とはいいがたい。柳生剣術に関してはうろ覚えやけど、創始者に2人の拮抗する弟子がおって、相続できなかった方が「陰流」をおこした。さらにその後、何らかの相違で「新陰流」が派生。その道場がめちゃ流行して勢力のばしたので、武力もあるし~ということで「隠密」にとりあげたとか何とか・・うろ覚えなので、間違ってるかもしれないけど。
まー忍は、つまり傭兵なんよ!だから、手柄をたてても恩賞だけだったから、出世とか無いんよ!
ウィザードリィのクラスチェンジってあながち間違ってなかったのか
じゃあ草生えるは、曲者がおるぞってことか
バジリスクのイメージが強すぎて😅
影の軍団ぉ☝後で見よ‥っと😅💭
山本一氏では無く、中村一氏だな。
根来衆・雑賀衆・風魔衆
大河ドラマで、徳川家康が伊賀忍者に捕まり殺されかけてた、忍者ってやばい存在だったんだね😃
今日18200枚でお預けくらいましたわ
だいたいケムマキくんのせい
赤影ってどっちや?
飛騨忍者
飛騨やで
今のおじさん世代はハットリくんの影響すごいな〜 あとはゲームとか
歴史動画のコメント欄は自分の知ってる知識を自慢する場と化してるそれが事実なのかどうか怪しいし、結構な確率で〜の子孫ですっていう人発生しがち
今、最も有名な忍者はロブ・フリードマンだと思う🥷😆
そんな忍者各位にリ●ビタンAを勧めたら面白そうだ。
伊勢の国と近江の国 伊賀・甲賀と近い存在なれど そこまで伊勢国と滋賀国は遠い 同じく伊勢国と紀伊国 これも遠い伊勢国は大河が隔てているとは言え 通じて来たは尾張の国三重県人が向かうのも尾張大阪江戸 で三重と滋賀は非常に関係薄い三重と和歌山も同じく関係薄い 元伊勢人だからわかる伊勢国人の在り方?難しいですわ
伊賀の忍者赤影でも幻妖斎などの甲賀衆は悪役だったな…
カマキリの話、最後のドロンで一気に後生の創作っぽくなってなんかガッカリしたww
忍者カッコいい。侍とか忍者はアメリカで人気が高い。🥷🥷🥷🥷🥷🥷🥷🥷🥷🥷
甲賀は、隠密になったんやなかったっけ?
忍者ハットリくんでは、甲賀忍者が悪者扱いでかわいそう。
あっ忍術とか無いからね!
伊賀は体術・武術・工作術を得意とし、甲賀は火薬や毒薬をはじめ 塗り薬や飲み薬の精製を得意としていたようです。
全てのケースでとは断言しませんが伊賀と甲賀は上忍同士で繋がっていて密やかに連携し合っていたとされます。常日頃の平素からの交流と併せて 戦場で相まみえた時の為に合言葉を掛け合って相討ちを回避するなどの対応をしていました。
ちょっと余談にお付き合いください。
忍者が持つ忍刀と呼ばれる短い直刀は低コストであり 長い太刀と比べ攻撃力は劣るものの 重量が軽い事で移動時での身体負担を軽減すると同時に素早い動きに適応し 更に狭い場所での移動でも邪魔にならなかった事が利点。
刀を納める鞘は先端が筒抜けで潜水時にスノーケルとしての代用が可能だった事と 当然ながら水が容易に抜け落ちるようになっていた事 。
刀の鍔(つば)は正方形で壁に立て掛けられて高い場所へ移動する時の踏み台代わりに使うのが可能だった事。
着衣ですがドラマや映画で観る黒装束ではなく 周防染めといって暗闇や地面に溶け込む茶褐色の染め生地を用いていて 周防染めは殺菌力があり泥水を濾過して飲用したり 布を傷口にあてるなどにも活用されました。
長々とすみませんでした。
すごい!詳しいお話興味深く読みました
ご先祖様が忍びだったとか?じゃないですよね
@@nara3178何代か前の先祖の実家が甲賀だったという事です。
そんな事もあって自発的に調べあげた情報も含めてのコメントを致しました。
謀略を主体とした兵法、そして忍び装束や刀を含めた忍具などなど 全てが合理性と機能性を基調として生み出されてきました。
大河ドラマに登場する忍者(乱破)達や知略を兼ね備えた謀将が登場しますが、その歴代の大河ドラマの中で最もそれらしい脚色・演出・衣装・時代考証の効果に溢れていたのは大河ドラマ【武田信玄】の中に登場した西田敏行が演じた 乱破あがりの謀将である山本勘助と、織田方の間者と、上杉方の忍者達ですね。
お時間のある時に要所要所をリピートしながら御覧になられると良いかと思います。
映画だと【梟(フクロウ)の城】あたりが他の作品と比べてマシなほうかなと。
@@user-dk5yb2jf6c 有難うございます!
私は、最近なぜか忍びとか、武道とか興味が湧いてきて、RUclipsなど見ています
忍びの国や、梟の城も面白く観ました
でも実際に忍びの共同体に生まれたら長生きは難しそうですね
相当の忍者好きですね^^;。伊賀と甲賀で同士うちをさけるためにそのようなことがあったとは知りませんでした(言われてみれば、普通にそうしますよね)。なるほど・・な感じです。
うちの中では伊賀と甲賀は傭兵組組織的なので、お互いが商売敵きなイメージなのです(なので、ライバルではあるけど、親の仇的なイメージではない)。創作の「甲賀忍法帖」では互いが代理戦争をさせるようなお話しでしたけど。
忍者のメインは直接的な戦闘ではなく、諜報活動(その得た情報をいかに持ち帰るか?)が重要なので、忍刀は短刀で漆か何かを塗った黒色刀でした(可視光線を吸収しますので)。その辺は物理学の最先端を実体験と経験で網羅していた凄い人達やったのやと思います。
追記すると、「梟の城」は、信長の「第二次天成伊賀の乱」の話なので、創作です。石川五右衛門が架空の人物ですからねw。
@@user-zo8jb6xx8d たっぷりとしたコメントをありがとうございます!
おっしゃる通りです。梟の城は思い切りフィクションですね。活劇主体の他の作品群と比較するとマシな内容かなという感じですね。
忍者としての戦場での有効な働きを想定するならば、
胴丸を身に付け 敵軍の旗指し物を持ってしまえば一介の足軽として敵勢の中に混ざり込む事は容易だったのではと思われます。敵の陣内でやらかす事をあげると、嘘八百な噂を流したり、飲用に使われる水場に下剤を混入したりなどなど、タイミングをみての工作を容易に行なっていたと思われます。諜報活動と併せて偽情報を流す事によって戦略に支障をきたし始めたり、毒物で体調を崩す者が出始めたりと。それらを後目に敵情報を手土産にして敵の陣中からフェイドアウトする訳です。
忍具の殆どが艶消しの漆黒色をしていますが、鉄製の忍具を造り上げる最後の仕上げとして熱した忍具を真綿で擦る事により程良い艶消しの漆黒の色合いが得られます。
昔 甲賀の忍者村に行きましたが、入り口横でおばあちゃんたちが椎茸を干してたり展示物がホコリまみれだったり ゆるゆるで楽しかったです
ふ...ただのシイタケと思うたか😎
@@tengu.8260
おばあちゃん
「この椎茸の秘密に気付いた者を葬るのがお役目なのじゃが、近頃はだれも気付かんのう。前に苦無を打ったのは、はて二十年も前じゃったか、、」
ちゃんと「こうか」って発音してるのすごい
地域開拓者は鹿深臣と言われていて「日本書紀」に「敏達十三年秋九月 百済より鹿深臣きたり、弥勒石仏一躯あり」と記録されいます。甲賀の地名も、この人物の名から”かふか”と呼ばれ、甲賀は”こうが”では無く、濁らずに”こうか”と・・本来は呼びます。
伊賀のど田舎出身なので取り上げてくれて嬉しいです!
子どもの頃に近所の蔵からクナイ出てきたの思い出しました😂
苗字を名乗れますか?
いえいえ、個人情報なので名乗らなくて結構です。
クナイの情報をありがとうございます!
子供の頃に見た『忍者ハットリくん』(特撮)で「伊賀」と
「甲賀」という名前を覚えました。
伊賀と甲賀。この集団は根本的に違いますよね。時には伊賀同士で争ったり甲賀とも争いはあったでしょう。
甲賀地方には製薬会社が多くて、なんだろうと思っていましたが、そのようなことが原因の一つだったのですね。
越中富山の薬売りもそんな感じと思います。全国を行商して廻る事は情報収集するのにうってつけ!
子供の頃から白土三平の大ファンで、彼の作品は殆ど読み込んで来たが、現実の忍者とフィクションの中の忍者は、全く異なっていたという事が改めて分かった。
忍者はもういなくなったのか? という質問には私なら胸を張ってNo!! と答える。
今の時代黒装束なんかで街を歩いていたら目立ってしょうがない。一般人と同様にキチンとしたスーツに身を包み、様々な場所で暗躍しているのである。
白土三平の劇画の1つである忍者武芸帳?だったかで 蒼眼で片脚が不自由なのに超人的な体術を備え持つ『四貫目』という忍者が登場しますよね。
その 四貫目といわれる人物像なのですが どうしても被ってきてしまい モデルとなっていた部分が拭えないのが、今川方の間者を経た後に 乱破あがりとして 武田方の謀将として身を置いていた【山本勘助】が脳裏をチラついてしまいます。
伊賀、甲賀忍者は、その成り立ち、生き方がスイスに似たとこあるのうw(山岳地方、傭兵稼業)
うちの祖母が甲賀市甲賀町の出身で雑煮などは滋賀の白みその丸餅でなく、江戸雑煮と呼ばれるすまし汁の角餅で隣町に嫁いだ時に文化や習慣が違って最初はとても困ったという事を言っていました。
おそらく甲賀忍者は全国を薬屋として行脚していて自然と江戸文化が沁みついたのかなと思ってます。
近江商人の脚力は忍びでの鍛錬の賜物と聞いてます。
否,逆に忍びの者の里らしくない事こそが 忍びの者の里らしい。
@@user-db8id7np8o それについては「草」でしょう。普通に創作の忍者漫画にでてきますが、普段は農民や他にやつしていた人たちです。その生涯で「有事」がなければ、そのまま農民等で生涯を終えていました。
今回紹介された様に代表的な忍びは甲賀、伊賀ですね。
しかしそれ以外にも忍びは存在していたらしいです。
その痕跡は地名にあると言います。
甲賀、伊賀、この賀と言う文字がつく地名は忍の者がいたと言われています。才賀、雑賀、多賀、敦賀、加賀、等地名などに残っています。また各地の忍びは横のネットワークがあったとか、いわゆる忍び道と言われる道もあったとか。基本隠密行動なので詳しい事も正確には残っていない様ですが。
先祖が甲賀地方出身でした。
室町時代まではお侍さんで、
江戸時代から漆器職人でした。
忍者だったは聞いてみませんが、
バイオリンの形をした携帯用の薬をはかる秤や、
薬箪笥、某大手製薬会社創業者と同姓同名の方がいたりして
バブルの頃一度週刊誌が話を聞きに来たことがあります。
でも私を含め体も弱いし怪我の治りも早くないし
何もないとこでこけるし、
一族の身体能力を考えるととても忍者になれるような・・・
おっと誰かきたようだ
「共に風に吹かれし時、共に夢を刻みし時、ふと思う事があるのでございます。弦之介様とわたくしとは、遠い昔一つの魂だったのではないかと。
二つに分かたれた魂が、あるべき姿に戻りたがっているのではないかと。
なればこそ、わたくしはこんなにも弦之介様に…。」
弦「一つの魂ならば、必ずあい寄るじゃろう。
例え幾世を隔たれようと、幾世を生きようと必ず…必ず。」
伊賀忍者と繋がりの有る服部半蔵は徳川16神将の1人として活躍し、現代では東京の皇居西側に有る半蔵門は服部半蔵が由来。かつては江戸城の西側を守っていた半蔵門の事ですね。
伊賀3忍(やったかな?)の1つ服部家は世襲なので、初代は槍半蔵・保永。伊賀超えにも関係のあった2代目・鬼半蔵こと服部半蔵正成は徳川幕府を見ずに病死してます。織田信長の第二次天成伊賀の乱によって壊滅した伊賀忍は、伊賀超えの時の恩で、幕府成立後、「伊賀同心組」として復活させたとされています。この時のまとめ役の一人が3代目・半蔵です(二つ名は知らない)。・・と、伝えられています。
現在の四谷にあるエリアの一部に伊賀屋敷が集まっていました。
それがなんと驚く事に!あの大ヒットしたアニメ映画である【君の名は】で、二人がすれ違った後に振り返る階段でのラスシーンがありましたが、あの階段を降りきった先のエリアが伊賀屋敷が集まっていたエリアなのです!
甲賀は生産職がいるのが強み。阿呆茶とか称して麻の葉っぱ煎じて飲ませていたのは本当にゾッとする話だった。
毒物💥恐ろしいですね。
甲賀衆のなかには鉄砲や爆薬など火器を取り扱う者もいて、火薬をはじめ・毒薬・飲み薬・塗り薬などの精製も行っていました。
毒物として用いられいた物に、チョウセンアサガオの根があります。根の部分を切り刻み ゴボウなどの根菜類と取り混ぜて 標的となる人物と その周囲の者達に気付かれないように少量ずつ食事に混ぜて与え続けますと、数日以内に呼吸停止状態に陥り命を落とす結果となります。
もちろん毒見役によって回避していた事例もあるかとは思われますが、歴史の中で病死と伝えられている人達が 実は毒物による暗殺だったという裏の事実も少なからず含まれている。そしてそれは充分に有り得る事と考えて良いと思います。
ハットリくんとケムマキは実は親友。
その事実を知ると伊賀と甲賀は仲が悪くなかったと言わざるを得ない。
「一人対一人なら伊賀が勝つ、10人対10人なら甲賀が勝つ、と言われています」元忍者、風車の弥七談。
たしか甲賀忍者は天保の百姓一揆にも協力していたと思います。忠誠心は強いですが決して弱い者を見捨てる訳では有りません。ちなみに甲賀忍者の家計は家紋が六角氏と良く似ています。
だと助かります
甲賀と伊賀の違いもあまり意味ないとは思いますけどね
一応分類は可能なのでしょうね
まあ、今でいう六角忍者は一向一揆の時の忍者(反乱分子)ですからね。創作のせいか、英雄扱いされとる信長は忍者嫌いなので、伊賀も甲賀も滅ぼそうとしてたので(実際に伊賀は一時期滅びました)そういう見解もあるのかもしれません。
真田忍者が有名ですが、六角の一向衆(六角忍者)も足利義尚が六角氏を攻めた時に甲賀に頼ってこれを撃退。その時参加した甲賀武士を「甲賀53家」、武勲のあった家が「甲賀21家」です。望月家がその代表。徳川幕府が出来てからは、伊賀は「伊賀同心組」として、甲賀は秀吉に追放されましたが、家康により「甲賀100人衆」として取り立てられ「甲賀古武士二十一家」として名門の家になってます。
不戦の約定解かれ殺し合いに…なんてことはなかったんですね
映画だけど「梟の城」かな。歴史家からは地雷呼ばわりされている司馬遼太郎の原作だけど
忍者フィクションとして観ても面白いよ。
風神の門が好き
10人づつ選んで殺し合ってたよ!
パチンコ屋で…
メンタームは忍者直伝のお薬って思うとちょっとはかどる
身体能力が優れてサバイバルにも長け、今で言うと山岳部隊のスペシャリストで産業スパイをやっている感じでしょうか。
無足とは扶持(米)が出ないことなので。
食う分は自作で警備警護等の仕事に給金が出た。
バジリスクは歴史の教科書
第二次天正伊賀の乱のとき「おまえの先祖、がんばって信長と戦ったんやで」と書かれた人の末裔です。
伊賀でふつうに聞く苗字では服部、藤林、百地はありますね。今の職場の同僚、同級生、学校の後輩なんかにふつうにいます。
さすがに忍びの技を伝授されている家はありませんが、やっぱりルーツは調べてしまいますね。我が家は10代遡っても農家でした!
去年伊賀忍者と甲賀忍者を題材にしたアニメがありましたが、ゲンナリしました…。
実際忍者の中にも普段は表向きは農業をやり、仕事が入れば忍者になる人もいたとかいないとか。
忍者の末裔の可能性はあるかも知れません。
普通にあなたの祖先凄いですw。
歴史上言われてることなので、合ってるのかは分かりませんが、第一次は信長本人ではなく親類に指揮をまかせて甲賀を攻略しようとしましたが見事に惨敗。なので第二次は本腰いれたそうです。やからなのか伊賀の福地城まで跡形もなく・・・
「服部半蔵」「藤林長門」「百地丹羽守」は伊賀の3上忍とされる世襲の名前ですね。ただ、名前を聞いたことある人も多いであろう少し有名な「百地三太夫」に関しては、「太閤記」にて、架空の人物である石川五右衛門の部下として登場しますので、架空の人物の部下は架空なんじゃ?ということで存在してない可能性が高いです。
ま、第二次で滅亡寸前に追い込まれた伊賀忍の生き残りが各地にちりじりにちらばったおかでで、火薬や薬学などの忍びの知識が普及したのかも?という説もあるので、不幸中の幸いということもあるのかもしれません。
同じ苗字でも株が違うとかいろいろありまして、うちの場合は下忍家の傍流っぽいんですよね。
基本、忍びは普段農民だったので。@@anakano3230
第一次は伊勢国の神戸氏に養子で行っていた信長次男の信雄が北畠氏を乗っ取り、親父に「まだ自重しとけ」って言われたのに南伊賀に攻め込んでボッコボコにされた戦でしたね。
ちなみに福地城は超地元です。真っ先に裏切って柘植口から侵入した織田勢を案内してました。末裔が近所にいます笑@@user-zo8jb6xx8d
伊賀甲賀のわかりやすい関係はハットリくんとケムマキくん
カマキリと五平次たちの会話は何の小説の引用ですか?司馬遼太郎ぽい会話ですが…
そりゃ司馬遼太郎さんの妄想小説ですよ。
猿飛佐助は物語上の人物ですが、実は最近甲賀衆の文献から『佐助』の文字が発見されたとか。
もちろん珍しい名前ではないので何とも言えないですが、なんかロマン感じますよね〜。
両者の地域は平成の大合併によって、滋賀県甲賀市と三重県伊賀市となりました。😅
しかし、甲賀市はエリアが分散され中心部がはっきりしないのに対して、伊賀市は藤堂高虎公によって整備された伊賀上野エリアを中心地となっています。😮
市川雷蔵主演の「忍びの者」が面白かった。
子供の頃の忍者漫画で伊賀者はいい忍者、甲賀者は悪い者
忍者は姿を見せないのが本当
外国ではカラー鮮やかな服が流行ってるw
伊賀忍者:忍者ハットリくん(善玉) 甲賀忍者:ケム巻ケム蔵(悪玉)
やっぱり、長谷川卓かな、先日まで亡くなったことを知らず嶽陣伝の次回作を待ちわびていた・・・。
合掌。
甲賀は町工場の社長が商工会議所会員って感じで、商工会議所で仕事を請け負って町工場の社長に仕事を割り振ってる感じ
伊賀は町工場の社長が商工会議所会員だけど各町工場の社長が商工会議所を通さず仕事を取ってくる感じかな。
伊賀越は津市の「伊賀越」と言う峠だと思います、
鈴鹿山系には江戸時代から「まんぼ」と言う地下用水が有り今も機能していますが
鈴鹿山系南部の「まんぼ」は伊賀忍者も掘削に加わっていたと言う説も有ります、
三重県北部に引っ越して来なかったら歴史が苦手なままでした。
忍者ファンとしては、少しツッコミ所がありますが、甲賀のアトラクションの他に、甲賀系の戸隠やとまだ忍者屋敷とその所有者が第5?代(忘れた)戸隠忍者の後継者になってます。行ったことはないのですけど、忍者屋敷のからくりが残っていて、当時の忍具が展示されているそうです。3大忍術書の1つ、紹介された「萬川集海」も展示されているそうです(22巻で正忍、将知、陽忍、陰忍、天時、忍器の6編からなっているので全部かは分からない)。この忍術書に浮蜘蛛も載っているのですが、寸法が記載されていないので、実は折り畳み式の携帯できる船のようなもので、これを組みたてて逃走に利用した・・・という説が有力です。
薬師というのは、各地の情報をえるのに身分をいつわった、所謂「七宝出」の1つ。「富山の薬売り」の大部分はこれにあたると思うので、その名残かもしれませんね。関所ができてからは、大工が多かった。苦無やかすがいみたいな武器にも道具にもなるものを持っていても「大工です」って言えばすみましたからねw。
仕事で松阪に行き奈良方面に帰る道中…ドライバーが道を間違って甲賀~伊賀の山の中を彷徨う羽目になったが…
甲賀と伊賀が隣接していた事を知り…そりゃ昔なら忍者同士で小競り合いにもなるやろな~と要らん想像をしてもうた九州人のワイw
そこからちょっと奈良方面に行くと柳生にも出ますよw
@@jimmy-qu7tj ありがとうございます
ドライバーもそこまで迷走しなかったので気付けませんでしたw
でも甲賀の田舎道(失礼)で焚火を見付け、
「おい!部外者の侵入(自分ら)に気付いて
警戒の狼煙がでてるぞ!早く脱出するんだ!!」
…とか…色々失礼な脱出ゲームごっこをしたっけ…(爆)
※本当に追われていたのはレンタカーの返却時間w
伊賀や甲賀は今でいう派遣会社(忍者専用の)みたいなもので、服部半蔵の服部党の様にチームで徳川(当時は松平)に仕えたり、一時的に助っ人として仕事を請け負ったり様々で、大河「どうする家康」でも今川から瀬名たちを奪還するのために、甲賀衆を雇っていました
さて、甲賀の中にも(もちろん伊賀にも)金でどうにでも転ぶ者もいれば最後まで忠義を尽くす者もいると思います、例えば六角氏から織田に寝返った甲賀衆は金で転んだのだと思います、
ただ、運よく大口契約が取れる大名(六角や織田)が甲賀にはあるが伊賀には無かっただけだと思います、実際、服部党の様に徳川に忠義を尽くす伊賀者もいたわけですから
伊勢の藤堂家、鳥羽伏見の時、一夜で寝返って、会津藩や新選組に砲弾の雨を降らせて、藩祖高虎の人柄が藩風に染み付いていると言われて、敵味方双方から評判が悪かったんだの〜。
それただのやっかみだから
花の慶次で
服部半蔵→伊賀
真田幸村・猿飛佐助→甲賀
風魔 小太郎→知ら~ん
骨・捨三 →?
を学んだ
幸村って忍者???
風魔小太郎は風魔の里では?
村主(すぐり)も忍者の家系
池波正太郎「夜の戦士」お勧め
なるほど、なるほど! 忍者と言えば、『風魔』も異質で興味深いですけれどね😊
伊賀は「いが」、甲賀は「こうか」。昔、伊賀の影丸の番組があったがそれで一般的に甲賀が「こうが」呼びになったと聞いた。数人の知り合いが甲賀市に住んでいる。因みに滋賀の米原は元々は「まいはら」読みだったらしいが間違い読みが多過ぎて「まいばら」読みに変わったらしい。琵琶湖大橋の西にある堅田(かたた読み)はそのまま、堅田地名の由来は知らない。
忍者、忍びの歴史には凄く興味がありました。最初の当時は図書館で本を借りて調べていました。忍びの世界では抜け忍とありましたが、あれは、現在の小説、舞台の偽作であった為、抜け忍とはなかったようです。
伊賀と甲賀の忍びは、互いに仲が悪くはなかったようです。
そして、殺人集団ではなく、情報を探るのが仕事のようです。
忍び刀は、身を守る護身として扱っていたようです。武術と鍛練には長けていた!
手裏剣は、実際に使った試しは無かったと聞いた事があります。
服部半蔵は実在はしたけど、16代将軍服部半蔵でして、忍びでは無かったと聞きます。
ガックリしました。
猿飛佐助は真田幸村に使えていた忍びでしたが甲賀ではなかった!
猿飛佐助は架空の人物だと知りました!
ガックリしました。
真田十勇士は、実在はしたのは確かですけど、名乗る人物は架空人物なので、ガックリしました。
小説なら「梟の城」と「風神の門」が好き。
特に風神の門の、霧隠才蔵vs宮本武蔵のシーンは熱かった。
漫画だけど「Gの影忍(こやま基夫)」。
講談物のようなロマンをスケールアップした作品。MSで隠密活動をする「MS忍者」が描かれる。MSのビームサーベルを生身で白刃どりしたり「飯綱落とし」で大気圏突入したりした。最終章「百騎夜行」では、太陽系の外から侵入者が観測されるが、第二次ネオジオン抗争を目前に動けない正規軍に代わってMS忍者連合軍が結成された。
伊賀と甲賀以外に有名なのは北条に仕えた風魔、世界忍者戦ジライヤで知られる戸隠でしょうか。
「素波」「突波」「乱波」。すっぱぬくとかとっぱないやつの語源になったとか。
トッパは知らないけど、武田スッパ、それに対抗して上杉が作ったのきざる。北条は基本ラッパですね。風魔一族もいたらしい(風魔小太郎も実在したらしい)のやけど、こちらはかなり謎なのですよ。戸隠は甲賀の派生ですが、忍者屋敷に現在5?代目戸隠忍者もおって「萬川集海」も残っているという凄いところです。八方手裏剣や十字手裏剣や忍具も数多く当時のもが展示されているとか・・。
信濃での知名度としては戸隠流が勝りますが、実は南信濃の伊那地方に伊那流忍術というのも実存していました。
半蔵の門っていう漫画なんかいいかも
うろ覚えですがどこかで見たのは初めて忍者や忍術ってワードが出たのは宝島って雑誌の自来也だったとか
あれ?
昔何かの本で伊賀も甲賀も互いに共栄共存的で情報交換とかを行っていたらしく大名達からすれば大して使えなかったらしいって書いてあったような気がしたが⁉️
伊賀野カバ丸❤🤣👉主人公の大好物は焼きそば❤
これとさすがの猿飛がごっちゃになっている。
明智と徳川が本能寺の時にそうであれば、1607年生まれのそんな徳川天下の時代の剣術指南家(これも忍者出身っぽいw)の息子に明智光秀の息子と全く同じ下の名前つけるかね?
柳生十兵衛は諱を三厳(みつよし)という。明智光秀の子供の名前は明智光義(みつよし)なんだけど、明智軍紀ではに十兵衛光義ってあるんだよw
もし動画通り明智逃れであれば、こんな事徳川氏として許すんかな?ちなみに家康が没したのは確かに十兵衛元服前だろうけど、秀忠でも覚えてるだろ伊賀越えはw
自分が思うに伊賀越えは筑前守逃れだと思う。(自説では、中国大返しからして明智に謀反を勧めた同じ人(または勢力)が明智の謀反を羽柴に漏らしたと思っている)
そういや、昔鉄の頃、空想ディーゼル急行に「忍者」ってあってねw
京都発、草津から草津線に入って「甲賀」行ってから柘植出て「伊賀」上野から笠置(橋を渡ると「柳生」の里)
木津から奈良に出て高田でスイッチバックして「吉野」から五条、岩出(「根来」の里)経由で和歌山行きw
最後の甲賀忍者.藤田西湖をご存じですか?陸軍中野学校の武術教官をやり馬賊王.伊達順之助とも交友があり中国武術のパイオニア松田隆智氏が少年時代憧れて自宅に押し掛けたとか。南蛮殺到流とか言う怪しげな拳法を伝承してたとか。
少し前、三重県で捕まった熊が滋賀県で放されたというニュースが有ったな。
忍者は傭兵なので伊賀忍者同士が敵味方になって戦うこともあったと聞く。
忍者のイメージって大名との金銭なんかの取引で傭兵・諜報・工作する自治領を認められた傭兵集団のイメージかな
上忍中忍下忍は普通に腕の違いだったという事を知り
漫画の情報もあんまりあてにならないなと思った。
地理的にお隣さんですよね~
甲賀は地場産業クスリ
伊賀と甲賀 猿飛はどっちだったか よく混乱する(;^_^A
飛騨の赤影は判る❗|*・ω・)ノ
討幕派(倒幕)だったら、
幕府の敵なのでは?
伊賀忍にしても甲賀忍にしても、誰に仕えるかは時代とともに変わってきたんですよ。
幕末に幕府を見限り討幕軍に仕えたとしてもおかしくはありませんよ
他カタカタかたたきたか
ただ肩たたカからくる帰るかもしれないけど?沙汰機ケ刀木期がかかったキ木方かーか、聞きたい神化?グリルこあかたか
肩歌高橋
まぁ他所は知らず隣り合わせの同業者だし、表向きはともかく実情は持ちつ持たれつの、互いの得意分野を融通し合う、なぁなぁだったと考えるのが自然なんじゃないかな。そうすればどちらかが困窮しても一方が支えて(下請けとして使う、とか)最悪共倒れだけは免れる…今でも珍しくはない業界の構図。結局ババを引かされるのは現場の下っ端のみよ…。
江戸幕府に於いて、甲賀衆は与力、伊賀衆は同心で甲賀の方が位も待遇も良かったのでは?
島原では方言がきつくあまり活躍出来なかったはず。
影の軍団。好きだったなぁ~
メンタームは忍者薬だったのか!?
こんだけ具体的に歴史の説明があるしそもそも忍者はスパイみたいなもんなのに、かの国は何故か自国が起源!って主張するんだよなぁ…
日本が弥生時代(卑弥呼が健在)の頃に 既に中国大陸では三國志の全面戦争の真っ只中にありました。
その中の兵法で必然的に生まれたのが、敵を欺いたり罠に陥れる謀略術として蜂起し始めたのが原型の始まりなのですが
それらの謀略術が鎌倉時代に日本に伝わり各地に広まる中で、古くから住んでいた国人衆らがそれらの謀略術の需要に目を付け具現化させていき、更にはその合理性に重きを置いた発想から斬新な武器や道具や着衣(忍び装束)をも生み出していった訳です。
そんな中で伊賀・甲賀にて定着し 最も特化されて登場したのが日本固有の忍術であり忍者達であったという経緯があります。
江戸時代、幕府に隠密とか御庭番といった忍者がするような仕事があって、各藩の動向を探って問題があれば取り潰しや改易させると言った話を昔の時代劇とかで見た事があります。それは、フィクションなのですか。フィクションでなければ、伊賀や甲賀の忍者が最適だと思いますが、もし伊賀や甲賀の忍者が使われなかったとしたら、どのような人たちが携わったのでしょう。まさか、柳生一族ですか?😅
お庭番は将軍直属の忍び。隠密は幕府の諜報組織。当時勢力を伸ばしていた柳生新陰流の道場が武力もあるので、隠密の任をになった。なので、隠密は確かに幕府の組織として各大名を見張る諜報組織ではあったが忍者とはいいがたい。柳生剣術に関してはうろ覚えやけど、創始者に2人の拮抗する弟子がおって、相続できなかった方が「陰流」をおこした。さらにその後、何らかの相違で「新陰流」が派生。その道場がめちゃ流行して勢力のばしたので、武力もあるし~ということで「隠密」にとりあげたとか何とか・・うろ覚えなので、間違ってるかもしれないけど。
まー忍は、つまり傭兵なんよ!
だから、手柄をたてても恩賞だけだったから、出世とか無いんよ!
ウィザードリィのクラスチェンジってあながち間違ってなかったのか
じゃあ草生えるは、曲者がおるぞってことか
バジリスクのイメージが強すぎて😅
影の軍団ぉ☝後で見よ‥っと😅💭
山本一氏では無く、中村一氏だな。
根来衆・雑賀衆・風魔衆
大河ドラマで、徳川家康が
伊賀忍者に捕まり殺され
かけてた、忍者ってやばい
存在だったんだね😃
今日18200枚でお預けくらいましたわ
だいたいケムマキくんのせい
赤影ってどっちや?
飛騨忍者
飛騨やで
今のおじさん世代はハットリくんの影響すごいな〜 あとはゲームとか
歴史動画のコメント欄は自分の知ってる知識を自慢する場と化してる
それが事実なのかどうか怪しいし、結構な確率で〜の子孫ですっていう人発生しがち
今、最も有名な忍者は
ロブ・フリードマンだと思う
🥷😆
そんな忍者各位にリ●ビタンAを勧めたら面白そうだ。
伊勢の国と近江の国 伊賀・甲賀と近い存在なれど そこまで
伊勢国と滋賀国は遠い 同じく伊勢国と紀伊国 これも遠い
伊勢国は大河が隔てているとは言え 通じて来たは尾張の国
三重県人が向かうのも尾張大阪江戸 で三重と滋賀は非常に関係薄い
三重と和歌山も同じく関係薄い 元伊勢人だからわかる伊勢国人の在り方?
難しいですわ
伊賀の忍者赤影でも幻妖斎などの甲賀衆は悪役だったな…
カマキリの話、最後のドロンで一気に後生の創作っぽくなってなんかガッカリしたww
忍者カッコいい。侍とか忍者はアメリカで人気が高い。🥷🥷🥷🥷🥷🥷🥷🥷🥷🥷
甲賀は、隠密になったんやなかったっけ?
忍者ハットリくんでは、甲賀忍者が悪者扱いでかわいそう。
あっ忍術とか無いからね!