ハ45は量産の都合で冷却フィンを鋳造式に改悪して、慢性熱ダレエンジンになったと考える。熱ダレすると出力が大きく下がる。 しっかり整備すれば47戦隊のようにちゃんと飛ぶが、初期の頃のような高性能は発揮できなくなった。熱ダレエンジンになっても「カタログ値」はそのままだから、それを信じて設計された烈風や天雷は推算値を大きく下回る性能しか出なかったわけだ。実用機の四式戦や紫電改も同様の状況に陥っていたはずだ。そういう時期の四式戦 vs 五式戦の模擬空戦では上昇力の差がもろに出て五式戦に圧倒される結果となった。ハ45の出力が額面通りなら、五式戦程度に圧倒されるわけないからね。
個人的には日本機で疾風のスタイルが一番美しいと思う
スラっと優雅に伸びた横からの眺めが最高
私は飛燕も好きでした、
飛燕(空冷五式含む)、疾風どっちも好き
尾翼のラインは隼の方が好きなんだがなぁ
20年程前、少年飛行兵だった方の講演会に参加した。少飛では九五練(赤とんぼ)、九七高練、九七戦まで。部隊で一式戦、四式戦に乗った。一式は軽快で機関砲が機首なので命中率が良かった。四式は馬力ある優秀機だったけど工作と発動機に当たり外れがあった。昭和19年夏に中島飛行機太田工場で四式の新品を受領し、20機の隊で四日市、九州、沖縄、台湾、比島へ飛んだ。台湾からの洋上飛行は重爆が誘導したが四式と速度が合わずに苦労した。飛行中に発動機が不調になったら単独で引き返すよう指導を受けた。比島に着いたのは半数で、新しい機体は古参兵と将校のものとなった。ほぼ毎日、コンソリ(B24)かシコルスキ(P47?)が爆撃に来た。電探がなくて邀撃は十分にできず、部隊は約一月で飛行機を失った。部隊再編のため、何とか輸送機で内地に帰って来たが、米軍が比島へ上陸、特別攻撃が始まり、少飛の教官や四式の慣熟訓練中に終戦となった。同期の多くが戦タヒし、慰霊の為に陸軍機の絵を描いていると語った。坂井三郎氏と交友があり、氏が銃撃を受けた際の飛行帽(ガラスケース入り)を借りてきて見せてくれた。
リアルな体験談ですね。 シコルスキーはF4Uコルセアの事ですね。 戦時中の日本陸、海軍パイロットは、コルセアと呼ばずシコルスキーと呼んでいますね。 夏にフィリピンに移動した戦隊で有るならば。 第4航空軍に所属して、マッカーサーの上陸部隊と最初にぶつかった疾風の戦隊の一つでしょう。 この段階では、アメリカ海軍の支援は薄く、マッカーサーは陸軍航空部隊を主力に戦っています。 初期のレイテ方面の戦闘機の主力はP-38でした、爆撃機はB-24が主力。 第4航空軍は、マッカーサーが上陸したタクロバンを集中攻撃しており。 一時期ですが、レイテ島周辺の制空権を掌握しています。 飛行場攻撃、船団護衛、アメリカ陸軍航空機の迎撃と、4式戦は連日出撃。 多数の戦果を上げ。 マッカーサーが『危機的状態だ』と、アメリカ空母機動部隊の支援を要請する程でした。 活躍は、しましたが、損害も大きく、補充も継続できなくなっています。 この方は、内地に帰還できたので『運』が良かったですね。
亡父は戦時中フィリピンの北端にあった陸軍航空基地で砲兵将校をやっていましたが、この基地に戦闘機が来ると
出発時にパイロットに頼んでローパスをしてもらっていたそうで、確かに四式戦は速かったそうですが他にも
飛燕も負けず劣らず速かったとか、台湾沖航空戦の時は大量の海軍機が降りてきたけど、彼らに補給できたのは
パイロットへのご飯とガソリンくらいで、弾の方は海軍と規格が合わなくてできなかったそうです
若かりし頃、爺さんと話した時に聞いた話・・・、
隼は軽くてクルクル回るのには丁度良かった、鍾馗は離着陸が難しいけど高速域での運動性は比較的良い、けど連続した旋回戦は苦手だったから自分との相性は悪かった・・・。
疾風はブーストを上げるだけで手放しでもグングン上昇して行くから気持ち良かったけど舵が重くて曲がらなかった・・・。
疾風で危ないのは急降下する敵機を追いかけて行くと昇降舵が重くなって上昇できなくなり地面に突っ込んでしまいそうになるから敵機より速度計と高度計から目を離せなかった・・・。
五式は隼と疾風の良い所だけを組み合わせたような機体で、敵機が急降下で逃げ出しても隼のように浮き上がらず、敵機を見ながらとことん追いかけて行く事が出来た・・・。
五色が一番自分とは相性が良かった・・・。
疾風は今の評価の方が高くて不思議そうだった・・・。
私も五式戦が一番好きです。
疾風が高評価なのは、たぶんアメリカ軍の評価が、多大に影響してると思います。
当時のアメリカ軍は巴戦より一撃離脱が好きでしたから、スピードとパワーに優れた機体に目が行ったのでしょう。
五式は1500馬力級エンジンでそこそこの信頼性と性能を兼ね備えていたし、疾風より安定してて良い機体だと思う。だけど性能的に遅くとも1942年には完成していないといけない機体だった。
大正15年に陸軍第一期の戦闘機パイロットになり、その後も日中戦争まで現役で、太平洋戦争前半までは川崎航空機のテストパイロット、後半からはフィリピンの第32教育飛行隊の隊長だった松本強少佐は、二式複戦「屠龍」で昼間に米軍戦闘機相手に戦った猛者なので「飛べれば何でもいい」とか言うかもしれないです(結局終戦の日まで屠龍で戦い続けました)。とはいえテスパイとしては、川崎の五式じゃなくてキ84を一押しするのではないかと思います
結局巴戦というのは、どこまでも翼面荷重有利な複葉機の戦術であり、単葉機の取り柄は音速近くまで速度を上げられることなので、速度で大差のついた戦闘機がいかにくるくる回れようが、猛禽類が高いところから小鳥めがけて高速急降下であっという間に捕らえるように仕留められてしまいます。実際は時速で100km/h差があると、よほどの技量差がないと戦いにならないようです
日本のベテランパイロットの間では大戦初期でもう「一撃離脱の時代」というのが共通認識で、海軍の坂井三郎も著書で何度も強調しています。坂井の考える最良戦闘機は零戦と真逆なP-51でした。初心者パイロットたちは飛ばしやすい零戦や隼に好意を持っていたようですが、三次元空戦が普通にできる手練れだったら、疾風一択だったのではと思います
無茶な操作で空中分解しないように操縦系を重い設定にしたわけだが、そこは好まれなかった。そして、エンジンが大きく額面割れするようになり単に鈍重な戦闘機に落ちぶれた。
@@米山ともき-q6c そこいらを何故か頑なに信じない馬鹿者が沸いていて困ったものです、
彼らの信条の拠り所とするソースは一体何なんでしょうね?
ほんと、ソースも曖昧な間違った珍説を定説の様にぶちあげられては困ったものです、
知らない人は間違って覚えてしまいますからね。
正直言うと知り合いの爺さんがとかそういう話は幾らでも作れるから信じちゃいけないと思いますね。
疾風と言うと稼働率云々が言われるけど、当時は他の日本機でも似たり寄ったりだった。
2000馬力級戦闘機として連合軍戦闘機と対抗し得る機体だったと思う。実際フィリピン戦線でも米軍機と互角の戦いをした。
でもプラモ界では何故か人気薄なんだよね~。「疾風のエースパイロット」と言われてもすぐに思いつかないからかも。
また紫電改と比べて343空等の派手さが無かったのも理由だと思う。
実績も貢献度も疾風が上なんですけどねぇ。 陸軍の戦闘機は戦時中から新聞報道で国民に知られてましたから、むしろ戦時中は陸軍機の方がメジャーなんですけどね。 戦後に自衛隊のトップになり参議院議員になった源田氏の発言から『343空、剣部隊』が喧伝されてブームになったのが大きいですね。 疾風は、主力機として片っ端から機種転換したもんですから、隼や本土に残っていた97戦の部隊までイキナリ疾風に転換ですからねぇ。 そんな状況ではパイロットも整備員も持て余しますよね。 だから、戦後の疾風のイメージは悪くてね『エンジンが不調、重い、脚がよく折れた』なんてネガティブな証言が多発する元凶になってるんですよね。 不調の原因は、誉の品質低下もあるけどほとんどは整備不慣れ、馬力が出ないから『重い‼️』と認識され、隼や97戦の感覚で着陸するから『脚が折れる』になる訳でね。 大半がヒューマンエラーです。 紫電改は課題評価、疾風は過小評価。 これが答えですね。
戦闘機の性能はほぼエンジンで決定してしまう。ロールズロイズの液冷のマーリンエンジンやグリフォンエンジン、ナチス・ドイツのDBやJUMOエンジン。
日本は高出力の液冷エンジンは未消化だった。
同じ物を目指す以上は似たような形になるからエンジンの性能と整備力が決め手になるよな
異論ナシ。 なんだかんだ言われても。 610~650㎞/hを出せて、運動性能がマァマァで、急降下性能も800㎞/h程度出せて。 高度5000m6~7分で上がれた。 ハ-45の不調に泣かされた戦闘機だけどね。 整備さえしっかり出来れば、最低限の性能は発揮してくれたのも最近の資料では判明してるからね。 もう少し見直されても良い戦闘機。
ハ45は量産の都合で冷却フィンを鋳造式に改悪して、慢性熱ダレエンジンになったと考える。熱ダレすると出力が大きく下がる。 しっかり整備すれば47戦隊のようにちゃんと飛ぶが、初期の頃のような高性能は発揮できなくなった。熱ダレエンジンになっても「カタログ値」はそのままだから、それを信じて設計された烈風や天雷は推算値を大きく下回る性能しか出なかったわけだ。実用機の四式戦や紫電改も同様の状況に陥っていたはずだ。そういう時期の四式戦 vs 五式戦の模擬空戦では上昇力の差がもろに出て五式戦に圧倒される結果となった。ハ45の出力が額面通りなら、五式戦程度に圧倒されるわけないからね。
@@miyamiya2237さん。 誉の初期型は馬力は1800馬力に抑えていましたが、シリンダー冷却フィンがコストの掛かる分、冷却性能も良好で初期試作量産型100機は高い性能を発揮してましたね。 ご指摘の様に、生産性を上げる為に簡略化されたシリンダー冷却フィンへ設計を改めた時期に出力不足問題が発生します。 原因は複数ありますが、一番の原因は吸気バルブ位置の形状不良と判明して対策実施後には性能が回復しています。 烈風11型の試験時期が一番馬力が低下時期に辺り、中島飛行機でも原因究明中でした。 対策後は、2速全開で1500~1600馬力になっており、初期の誉の1400馬力より向上しており、烈風11型に搭載された誉22型の三菱の実測値の1200~1300馬力よりも300馬力も向上しています。 誉22型もクセものでして、あれ強制冷却ファンがついてますから、冷却フィン駆動分で馬力損失があったはずです。(そもそも烈風は最初から1280ミリのハ43装着を見越した機体設計だからデカイし重いから、明らかおかしい設計なんですよ)。 五式戦が登場時期は、誉本体の粗製乱造 以上に燃料品質低下とエンジンオイル品質低下がシビアに影響しており。 折角改善した性能がまたしても低下していました。そんな中でも馬力低下少なかった金星エンジンに換装した五式戦が速度性能以外で疾風を圧倒したので期待の戦闘機になったのです。 陸軍にしてみれば予想外の結果であり、あくまでもハ140の不足対策でしたから。 パイロットからは好評でしたけど、陸軍の本命はあくまでも疾風でした。
同意。平時に生まれて平和な世界線の日本で飛んでいれば整備も製造品質も問題なく高性能機として生涯をおくれただろうにww。スタイルもハラボテのムスタングなんかよりはるかに綺麗(^^)/
@@guston008 さん。返信どうも。
当時の日本の工業技術水準が列強より遅れていたのも事実ですが。
技術者は良く頑張ったとは想いますね。
最近はアンチサイトで『エンジンはパクりだ‼️』とか、全ての兵器がパクりだ‼️なんてアンチサイトやアンチ動画が声高に言ってますけど。
それを言ったら、軍用航空機のエンジンは最初に発明した国の技術がベースですし、航空機用の機銃もビッカースやエリコンやブローニングがベースですからね。
全ての国々がパクりまくってるんですけどね🤔
いつの時代も若い人の意見は重要ですね、年寄りがそれを尊重しアドバイスできるスキルを持つことが、その組織の命運を握る。
操縦者からは疾風は昇降舵が重いと言われていますが、あれの重さと機体強度や軽量化は無関係では?
「戦闘機は射撃する為の道具である」が小山技師長の根本理念で方向安定を強くしたのは射撃の座りを良くする為に重くしたと言ってますし
現に主翼の強度試験では危険荷重10.8Gでも破壊されず12Gまでかけても破壊されなかったので、これ以上ではバラストが崩れる恐れが
あったので強度試験を中止しています、計画上の最大荷重6Gの2倍かけても壊れない頑丈な主翼を与えられています
この件を知りたいと思ってました。
強度試験の経緯をちょっと存じ上げないのですが、御説の数字が本当ならやはり他の戦闘機一般よりも荷重設定そのものが低いと思います。
通常、戦闘機の荷重倍数は「7G」でこれに設計安全率「1.8」を乗じて主翼の強度は「12.6G」にしている筈でこれは零戦や隼のように強度不足が言われる機体であっても数字は同じ。ちなみに7Gは人間の失神限界値です。
疾風の場合はこの「7G」を「6G」で設定していた可能性はあり、米軍のマニュアルによると旋回の荷重制限は「5G」になっているらしい。またこれとは別に、当時中島でテスパイをされていた吉澤鶴寿氏の証言があり、機体の過度な強度追求を避けるためには操縦者の急な操作を制限する必要がある。その意味で、昇降舵を重くすることを提案し採用された、と言う話があり、これはwikiにも載ってます。
特に陸軍機においては「隼」では急旋回時の強度不足、からの空中分解が課題となり。「鍾馗」においては同じく高速時の急な操作で水平スピンに陥る不意自転が課題となっていた。そのため「7G」という急な操作を見直す動きはあったとしても然程不自然ではないと思われるのですが…これは単なる臆測です。疾風のマニュアルがあればハッキリするかも
ゼロ戦が部隊での試験飛行で10Gを記録してしまい、機体よりも操縦者が色々な検査を受ける羽目になった・・・。という手記を読んだ記憶が有る・・・。
よって機体強度の為に操縦性を悪化させていたとは思えないですね・・・。
@@BBS335 さま
有難うございます。10Gとは!私もこの人、興味あります😅
さて機体強度の方ですが…古の某軍事掲示板を眺めていて下記を見つけました。
昭和19年1月3日付の陸軍航空審査部「『キ八十四』操縦法」より
「急降下 750km/時以下」「加速度 5G以下」「速度大なる場合の引き起こしは加速度4G以内なるを要す」なお、「大迎角引き起こし」時の荷重倍数は保安 7.0 規定 12.6、また冒頭には「本機は其の性能発揮のため各部の構造巧緻にして」「飛行機愛護の精神を堅持しあるを要す。」
と言う訳で急降下引き起こしなどには従来通りの運用で耐えるが、旋回等の機動に対する制限が加えられていた可能性。つまり舵の引けない強度に対して「引きにくくする」チューニングだった可能性はやはりあるのかなと思います。米軍機における旋回機動の強度規定は大抵7-7.5Gなので先の超人のような方には米軍機が向いているかも。
ただそもそもこの荷重倍数には1.8とか現代だと1.5とかの安全率は確保されているのでその瞬間に壊れる訳ではなく。大事なことは「舵は重いが思い切り引ける」機体だったと言うことかと思います。そもそも一般人なら5Gくらいからグロッキーになる訳ですし。
それと先に述べた通りではありますが、中島飛行機において「隼」は思い切り引くと空中分解、「鍾馗」の方は思い切り引くと不意自転で制御不能、という失策が続いていた事情があるのと、更に後の五式戦に対する過度な評価なども加味すれば、四式戦における操縦制限は然程不自然ではなく。一撃離脱の時代に格闘戦前提の過剰な強度を見切る、そのことによって米軍機にはない加速性、上昇性能を希求したことは潔い、先見性ある判断ではなかったかと私は思っております。あとは誉が本気を出すだけでしたが…
Wikipedia コピペ
「そこで私は翼桁を太くするより操縦桿を重くして欲しいといった。エルロンは軽目でもいいが、昇降舵と方向舵は重目でなければいけないというのが私の考え。それというのもキ27から日本人は舵の軽いのに慣れてきた。その方が器用に扱え、空中戦もこなせるからであった。ところが、キ43クラスになると操縦桿を思わず引っぱりすぎて空中分解を起こすケースも出てきた。これを避けるには翼桁を太くすればよいかもしれないが、それでは機体が大きく重くなる。これに対し、アメリカ、イギリス、ドイツのは実に舵が重い。どんなに引っ張っても、われわれ日本人の力では効かないぐらい重い。これはひとつにはスティックの長さが違うこともある。日本のは長い。当然、レシオが異なってくるわけで、この点を改めたいと思っていたわけだ」
- 吉沢鶴寿、井口修道「軍用機メカ・シリーズ7」中の『異色のテス・パイ“疾風”を語る』(光人社)より
鍾馗では、一時昇降系にスプリングをいれて、無理な操作にならないようにした。零戦の剛性低下方式と同じ発想だ。 中島はこの手法を使うことなく、四式戦のように操縦系を重くする方向になったわけだ。
とても美しい機体ですよね!日本製品の美学を感じます!
高校生の時、嵐山美術館で四式戦を見ました。
隣には零戦も、以来疾風のファンです。
疾風、美しい飛行機です❗❗
飛行機は、性能がスタイルに現れやすいですから、高性能を確信しました。
当時は、最高速度624キロ。
上昇力5000メートルまで、6分26秒、が信じられていましたが😰
高校生だった私でも、そんな低性能なわけないと思ってました。
今では、これは運転制限のエンジン、さらに推力式集合排気管装備の試作機が出した性能である事が知られていますね。
生産機数も3500機、私の中では日本一の戦闘機です。
米軍からの評価が高い疾風ですが、ビルマで戦った飛行第64戦隊の空中勤務者からは稼働率が低く機体の挙動が重いから対戦闘機戦では扱いづらいとされ、隼II型やIII型甲の方が航続距離が長く敵に襲撃されてもヒラヒラと躱せると評価されてもいます。結局は扱う人次第なんでしょうね。
重戦を軽戦と同じ扱いで使用したらあかんよ
ビルマ戦線では低中高度の空戦が多く、また、この方面の英、米戦闘機パイロットは。 太平洋方面のパイロットよりもドックファイトを好む傾向にあったのか?。 果敢にドックファイトを展開しています。 ドックファイトに応じてくれるならば、隼で対抗できますからねぇ。 ビルマ戦線が隼に都合が良かったとも言えますね。 逆に、レイテ方面では、疾風が活躍していますから。 相手パイロットの出方次第だったのでしょう。
疾風の真価は隼でどうにもならなかったダイブで逃げる敵を追い詰めることができ
鍾馗でどうにもならなかった随伴力を持ってたこと
飛燕?稼動率低いわ燃費悪いわ運動性もへなちょこだわで・・・
@@呑龍ハルカ 飛燕の稼働率は当時の日本工業力では冶金技術が追いついて無いので燃費(出力)含めて仕方ない
飛燕は隼を軽戦、疾風を重戦とするならばどっち付かずの中戦とでも言えばいいかな?
ダイブなら液冷の重さも有り本来なら評価上がると思うよ(実際に米軍評価と当時の技術者が渡米した際の軍での講義?に零戦の堀越氏は聴講少なく飛燕の土井氏は質問等も活発だった話はある(外見等でP51と同類みたいな共感はあるかも))
飛燕(海軍なら液冷彗星)はエンジンで失敗作扱いが正解かな
P−51マスタングも自国アリソン捨てて英国マーリンで復活したしね
飛燕胴体の空冷五式の評価を見るとエンジン自体で化ける機体ポテンシャルはあったんじゃないかな?
@@gvuygfdhdxh
稼働率が高くても本家Bf109EでスピットⅤに勝てないと嘆いてたDB601エンジンの劣化品だからお察し
鍾馗のようなバケモノじみた上昇力もないから一撃離脱に使いにくいし
運動性もF4FやF6Fに遠く及ばないから米軍から一番組みしやすい相手とされてた
8:47 エンジン積載量→燃料積載量
15:11 エンジンカウルに赤い塗装→スピンナーに赤い塗装
では?
俺の親父は終戦時18で軍事工場で誉を作っていて、工作精度の悪さに屁奇癖していた。
絶対回らないエンジンを納めていた。
貴重な話しですね。 誉は、増産態勢になってから、シリンダー冷却フィンの簡略化や様々な仕様変更して、少しでも生産性を上げる努力をしました。 また、兵器の生産を管理する『軍需省』の生産ノルマは大変厳しく、生産現場は混乱。 また、多数の部品は下請け工場が生産してメーカーに納入していたが。 品質にバラツキが多く、更にメーカーの生産現場は混乱しており。 部品点数の多いエンジンは、生産に手間どっていたが。 不良部品の頻発で、更に量産現場は混乱。 飛燕どころか、日本の軍用航空機は首ナシ機が工場周辺に溢れていたのです。 また、誉エンジンは、当たり外れが激しい(粗製乱造で)ので。 ある戦隊の整備班では、パイロットが空輸してきた疾風を直ぐに、エンジンを下ろし、全部分解して不良個所を治した上で、再搭載する程でした。
昔親父に大陸に参戦していたとき疾風はどうだったのか聞いた?ら親父の所属が大陸の斥候隊分隊長で誇らしく思っていた。
疾風と紫電改を完全整備、ハイオクタンガソリンで性能比較してみたい。
その条件なら五式戦も混ぜてあげたいです😊
飛燕は好き嫌いではなく別カテゴリーってことで😅
@@loveyamaga5108さん。 ハイオクガソリンを入れても格段に性能向上するわけではありません😅。 しかしながら、ハイオクを入れるとエンジンのポテンシャルを上げることは可能になります。 スピットファイアMk,2を例にとると、アメリカ製のハイオクガソリンを入れることにより最大速度560~570㎞/hだったのが580㎞/h以上に向上しています。 ハイオクガソリンによる性能向上はありますが、50㎞/hも最大速度が上がることは残念ながらないんですよ😅。 五式戦にハイオクを入れても良くて590~600㎞/h程度だったでしょうね。 そもそも、五式戦のエンジンである金星62型には水メタノール噴射が装備されています。 日本は100オクタン価ガソリンが入手不可能(開発はしてましたけど)で92オクタン価が限界でした。 92オクタン価ガソリンで100オクタン価ガソリン同等の効果を発揮するために水メタ噴射をしているのであって、結果的には100オクタン価相当のガソリンで飛行しているのと同じなんです。 辛口な判定をすれば、五式戦の最大速度は560㎞/h程度だったとの証言もありますから。 アメリカ製の100オクタン価ガソリンとエンジンオイル、プラグ、プラグコードをフル装備しても580㎞/h程度だったかもしれません😅
米軍のテストで疾風が高性能(最高速度680km/h)というのは、ハイオクタン燃料の恩恵もあるが、武装を外して軽量化していることが大きいと丸メカに記述があったはずだけど。
@@まじめかマン さん。TAICのテストデータに関しては、最近の方が正確です。 『WW2戦闘機の性能』で検索して見て下さい。 一次資料をベースに詳しく解説と考察をしているブログがありますよ。
@@まじめかマン さん
そうなんですよね。結局どの機体も武装状態の86オクタンでは、600km/hなんて出てなかったはずで、整備性、操縦性、上昇力、頑丈性(急降下能力)など、結構な部分で五式戦は及第点だった、という搭乗者の方のお話を何処かで読んだことがあります。
疾風の動画で五式戦のことをああだこうだいうのも😂ですが。
日本航空技術の一任者、木村秀政氏も疾風を高く評価していましたね、
(木村秀政日大教授、鳥人間コンテストでは大会委員長を務めていました)
それまでの日本軍の宿痾であった「単葉機でも水平面の旋回半径で優位に立つ」という思想を捨て、「単葉機らしく等速性能とダイブ・ズームで戦う」方向にようやく切り替えできたのが疾風。それまでにも陸海軍のベテランたちは「旋回戦闘は単葉機の戦術ではなく、複葉機よりも遙かに優れた速度を武器に戦うのが常道」という認識に立っていたが、上層部は現場を馬鹿にしていっさい着きれることがなかった。海軍は最後まで複葉機的な戦闘機を要求して、烈風は失敗した
実際には速度が100km/hも違ったら手も足も出なかった。この傾向は「音の壁」が立ちはだかるまで続いた
なお、「主翼部分の胴体のくびれ」は超音速の時代になって「エリア・ルール」として再発見されることとなりました
>「単葉機でも水平面の旋回半径で優位に立つ」という思想を捨て
鍾馗「は?」
>「単葉機らしく等速性能とダイブ・ズームで戦う」方向
P-51・スピット・Yak-3「は?」「はぁ?」「はぁああああ?!!!」
@@呑龍ハルカ
Bf109「俺様が世界一の直線番長だぜ!!」
@@米山ともき-q6c
連合&枢軸「「東西で制空権失って負けてんじゃねーか!!」」
かつて圧倒してたI-16相手に後期型相手に完敗しType27では「ドイツ機相手にこのエンジンは勿体ない」ってデチューンされる始末だし
以降La-5とか名機を出してきたのにドイツには後継機がないのはお察し
@@呑龍ハルカ
P-51、スピットファイア、Yakとかラーヴァチキン、グラマンズ「では俺たちがジーク相手に一撃離脱ではなく水平面旋回勝負を挑むような単細胞脳筋だとでも??(笑)」
翼面積がキロとかエンジン積載量とか・・・頑張ってね。
第五航空軍の司令部は本来、別系統であるテスト部隊の飛行22戦隊を試験を超えた私的な作戦への流用酷使で機体もパイロット整備士全て疲弊させて戦訓等を纏めるべき隊長含む幹部を空に散らしたロクデナシ
カタログスペックは良いんだけど、故障が多かったらしい。俺は確実に動く隼の方に乗りたい。
日本の2000馬力エンジンは設計の余裕が無いから本当にデリケートだったらしい。😅
よく知らない人だと零戦がどうとか紫電改がどうとか言うんだけど、陸軍機の方が先進的な名機が多いですよね。
一番好きな戦闘機
誉エンジンもまともな燃料があれば実力発揮出来ただろうに
前縁がピシッと一直線なとこがカッコいい
それと小さな垂直尾翼がカワイイ
5:17 翼面積17.4キロは入力ミスでしょうかね、大きな問題ではありませんが一応書かせていただきます
四式戦はスラッと少し長めの機体に翼で格好が良いですね。飛んでいる様は姿、音、共に美しいのだろうと想像します。実際に見てみたいものですが色々難しいと思うのでこればかりは仕方ないですね
さん。その主翼面積は初期計画値。 度重なる戦訓による追加要求で19㎡に変更して設計作業を継続。 試作1号機は19㎡で完成します。 しかし、1号機製作段階で既に主翼面積が足りないとされており。 2号機以降から量産機と同じ主翼面積で設計されています。
@@三浦英則17.4平方キロメートルは平方メートルに換算すると17400000平方メートルですので入力ミスと思われます
疾風見る度に同じコメント書いて申し訳ないが疾風の一大特徴。
実際に操縦してた人の感想「とにかく寒い飛行機だった」戦闘機の暖房は排気の一部を操縦席内のパイプに通すだけの簡単なものだったのに疾風にはついてなかった。電熱下着を入れれば電圧下がって無線が聞こえなくなるし設計した奴を殴りたかった。そうです。
別チャンネルで、別ネームの方が、同様なコメをいれているのですが?。 同一人物でしょうか?🤔 さて、疾風に限らず、日本陸、海軍の戦闘機(軍用航空機)に暖房を搭載した機体は聞いた事もありませんが? いかなる、情報ソースなんでしょうか?🤔。 当時の軍用航空機は、基本的に防寒飛行服の着用ないしは、電熱入り飛行服の着用で対応している筈です。 ドイツ、イギリス、ソ連、アメリカも基本的には同様です。 知る限りでは、P-51とP-47には暖房が有ったとされています。 ご指摘の『疾風は寒かった』は、どの情報でしょう?。 ちなみに、排気ガスの排熱を利用した暖房は、ムリがありますから。 何かと勘違いしてませんでしょうか?。 P-51Dは、液冷ですからラジエーターの熱を利用したヒーターは可能でしょう。 P-47は、排気タービンダクトがありますから。 排熱を利用した可能性はありますが。 通常の戦闘機では、取り回しがきついとおもいますよ。 電熱飛行服は、ご指摘の様に、バッテリーの性能が悪いため『効きが悪かった』と言われているのは、書籍でしっていますが。 排気熱を利用したヒーターはコックピット図面でも存在が確認できません。
「寒い飛行機・電熱下着」の部分は老人健康保健施設で働いてた頃、実際に乗ってた人から聞いた話です。隼から疾風に乗り換えたら・・から出た談話。排気ガス利用の暖房装置は丸メカニックで読んで知ってたので本当だったんだと納得しました。
戦争が進み戦闘高度が上がってくるのに暖房は必須だったでしょう。排気ガスの一部を分岐して流量を調整する簡単なバルブで温度調節も可能ですから軽量・合理的で現代のスチーム暖房も同じ仕組みです。
私はネーム変えたコトはありませんが、かつてはローマ字で表示されてたのが漢字になってますね。
@@伊藤雲黒斎別人でしたか、失礼。 先ほど、私も丸メカを引っ張りだして見たのですが。 暖房機能は見当たりませんでしたねぇ。 所有する、隼関連書籍で、詳細が不明なので『一式戦闘機研究所』と言うサイトがあるので。 見直したのですが、暖房に該当するものはなく、やはり電熱飛行服を使用する事が前提となっていたと解説されております。 隼も、疾風も配電盤に『電熱』と明記されたスイッチがあります。 南方においても、高度5000mを超える飛行の場合は、電熱飛行服を着用が基本で有ったようです。
@@三浦英則 さん 丸メカしまい込んでいるので再検証しますね。ウチのは2機種合併した本だったと思います。「暖房が疾風には無かった・なぜ付けなかったのか」という記事でした。暖房装置としての解説ではありませんでした。ご老人の証言で得心いきました。隼の想定戦闘高度はせいぜい6-7000mぐらいだったのでしょうがB17・B29が跋扈し始めると高度も上がり簡単な装置だから後付けも可能だったのでは。友人が電熱下着(肌着と飛行服の間に着込む)の実物を持ってますがまぁお粗末なモノでしたよ。
@伊藤雲黒斎 自分のも同じ合併号。 ある方は、丸メカ33号の疾風の特集本に記載されていた話しとしています。 残念ながら、私は所有していません😌。 電熱服は、飛行服の内側に着るベストタイプの他に、つなぎ服(良く写真でみる冬服のつなぎ)型があったのがネット上で確認できますね。 しかし、隼のコックピットのイラストや写真をみても。 外気導入管すら見当たらないのが謎です。 零戦と雷電は、確認できますが『冷房』とされていて。 レバー操作で弁を開閉して温度調整したそうです。
誉は設計段階から無理があったそうだから。努力すれば何でもできる、は日本人の欠点。
誉は調整が難しかったそうな
もっと〇〇なら、は意味のない話。
与えられた条件下で最善の結果を出せるものこそ、軍用品としての実力。
そういう意味では、疾風は日本軍最良の戦闘機ではったことは事実。
じゃあなにが「日本軍最良の戦闘機」なんだよ
@@シュペールエタンダール 相応の性能でちゃんと動いて必要な時に必要な数が揃ったという意味では、個人的には一式か零式じゃないですかね。
どちらかと言われると、用途とかの細かい所で変わってくるので何とも言えない。
要は「Best」な物なんて世の中にほとんどないってことです。
@@kuura0316 Bestは「完璧」という意味じゃないんですが。いろいろある中で一番いいもの、ということで、弱武装低速の一式戦、防御力ゼロ・機体強度の脆弱なゼロ戦などに比べて疾風のほうが武装・防御力・速力の点で優ってるのは明らかで、敵の米軍でさえ「日本最良」と認めてるんだから疾風が最良でしょう。
@@シュペールエタンダール 「個」としての最良と「兵器」としての最良では、視点が全然違うんですよ。
戦力評価のような個として見るなら四式が最良でしょうが、兵器として見るなら話が変わってくる。
第二次世界大戦当時にF15が一機あった所で、整備もできないし数も揃わないしでまともに戦力化できない。
戦場レベルで優位でも、兵器は戦争の趨勢に関わる以上必要な時に必要な性能を必要な数揃えられ、且つ整備や生産といった戦力化も必要な水準を満たしていないといけない。
そういう意味で、紙装甲でも武装が貧弱でも、纏まった数が運用でき広大な戦場である程度敵国から制空権を確保し続けた2機種が「兵器としては」最良なのでは?
工業品の優劣を決めるのは、必ずしもスペックではありませんからね。
@@kuura0316 そんなこと言ったら米海軍最良の戦闘機はF4UよりF6FやF4Fになってしまうんだけどww
海軍の烈風に開発時間を費やすぐらいなら疾風量産すれば戦況は少なからず好転したはず
燃料や潤滑油も重要ですが日本機の高空性能が悪いのは電線の品質が低いのが一番の原因だと思います。電線の絶縁性が悪いと空気の薄い高空でプラグの点火不良が頻発して馬力が低下します。地上では再現出来ないので現場での対策は難しそう。
ちゃんとした電線さえ作れていたら米軍機より重量の軽い日本機は高空でもっと活躍出来たでしょう。
四式戦だって700km/h近く出せていたかも知れない。
ちょうど今プラモ作ってるからモチベ上がる
頑張って👍
4式5式紫電改がもう少し早く出ていればまた違ったのかな
紫電改は海軍。
海軍も紫電改やめて疾風にした方が良かったんじゃないの
紫電改はともかくとして。 疾風を海軍も採用する可能性はありましたよ。 本土決戦に備えて、機種の統合が陸、海軍で話し合われていて。 中高度戦闘機としては、疾風が有力な候補でした。 海軍も、疾風を借りてテストはしています。 残念ながら、評価は不明。 借りた疾風は、終戦後にアメリカ軍が撮影しており、海軍の追浜基地に有ったのが確認されています。
日本の戦闘機では、ゼロ戦と疾風だと思います
栄エンジンって1000馬力級エンジンでは超優秀だぞ
1000馬力級戦闘機で零戦より優秀な機体ってある?
後続機が遅れて時代遅れになっただけ
零戦の真価って開戦当時、艦載機の零戦が敵陸上機を圧勝したことでしょ
なぜ劣ってるって嘘つくん?
一定数のアンチが存在していて、尚且つ、零戦の弱点部分を切り取り過度に歪曲、誇張するサイトやブログ、最近ではRUclipsrの一部が、アンチ情報をこれまた言葉巧みに歪曲して広めたからです。
最近は、隼の戦歴を詳細に分析した軍事ライターの梅本氏の書籍で、隼の活躍が脚光を浴びた結果。
隼が過大に評価されていますが、梅本氏の書籍には、隼の戦闘機としての評価や問題点も記述されているのですが、零戦アンチ派が、隼の活躍部分だけを引用して零戦と比較して隼を持ち上げ、零戦を扱き下ろすネタに使っています。
アンチ派は残念ながらカルト宗教信者に近い思考なので、自分の信じた情報しか信用しませんし、正しい情報を学習すらしません。
指摘すると、確実に逆切れと罵詈雑言だけとなります。
4式戦は、上昇力では明らかに2式戦には及びません。その他は4式戦の方が上ですが。また、燃料については劣悪なものだったという話でしたが、実は93オクタンのものが終戦時まで供給されていたことが判明していますので、特に劣悪とは言えなかったようです。もちろん米英軍の方がオイルを含めていいものを使ってましたが。
褒めるアメリカの余裕よ。
当時の「軍の無茶振りな要求性能」はいつものことで、一式戦隼も零戦もそんな無茶振りの産物。しかも「旋回性能が九六式艦戦/九七式戦より悪い」という理由でどちらも非採用になりかけていたという…
やっぱりエンジン、最後までエンジン。でも中島飛行機!
対戦相手のアメリカすら日本軍最優秀って言うんだから凄かったんだろう
ただ残念ながら同じ待望の烈風と揃ってモノになって早期投入が出来た所で敵もただ見てるだけでなく当然次世代機を投入して来る訳で…
疾風•烈風「どうだ!?」
Hマス•スパコル•米流星「中々面白いじゃないか?」
って更に恐ろしい現実が待ってるんだ
中島飛行機のノウハウが今のスバルに脈々と受け継がれていることを知るZ世代はいるのかな?
疾風は「カタログスペック」と「初期の約100機」は実戦で活躍が出来た「名機」だけど、兵站と補給に難がある日本軍では戦争が長引いて「劣化した機体」になったのが残念、実際のところ「疾風の評価」はこの初期の約100機に集中している。
エンジンピストンも「擦り合わせ」で1基ずつ組み立てられた為、送られてきた交換部品をそのまま取り付けると密着せず、特に海外の戦場では「稼働率の低下」に繋がったと言われてる。
末期の本土防空戦になって、戦場と「工場」が陸続きになって盛り返したが「低品質オイル」などで、高性能だが飛べない疾風より、そこそこだけど飛べる5式戦の配備を、と渇望された悲しい「名機」。
機体は同等
エンジンは5年遅れ
プロペラは10遅れ
と戦後の調査でアメリカが評価していましたが…
プロペラの10年遅れとはどういう意味?良く言われる四式戦のプロペラが短いという話?
@@mkat2087さん。 日本陸、海軍の軍用航空機のプロペラは、最後まで自力開発ができない分野でした。 海軍は、アメリカのハミルトン社製と、ドイツのVDM社製のプロペラをライセンス契約して。 多少の改良を加えて採用していました。 ハミルトン社のプロペラは、1000~1500馬力迄のエンジンには対応できましたが。 独自設計で更に改良ができず。 1800~2000馬力用には、同盟国のVDM社製のプロペラを採用しましたが。 VDMのプロペラは、電動モーター制御だったのですが。 精密なギヤと精度の高いモーターが国産化できず。 VDMをベースにハミルトン式の油圧制御に変更したプロペラになっており。 折角の無段階制御が可能な電動プロペラを旧式な油圧作動にしてしまい。 性能が幾分犠牲になっています。 一方、陸軍ですが。 海軍同様、ハミルトン式を採用。爆撃機の一部と疾風に、フランスのラチェ社の電動プロペラを採用。 こちらは、何とか電動モーターを実用化して採用しましたが。 オリジナルのプロペラの可変スピードが速すぎて、日本の電装技術では制御不能だった為に。 モーターの出力を落として、可変速度を低くして対応しました。 結局、此方も、性能低下に目をつぶって我慢しています。 本家のアメリカでは、ハミルトン式も大馬力エンジンに対応して進化していましたが。 日本では、ハミルトン式をそこまで改良出来ませんでした。 零戦や隼、鍾馗、飛燕が使用したハミルトン式は、1930年代の旧式であり。 鹵獲したアメリカ軍の技術者は失笑するレベルでした。
@@mkat2087
プロペラのピッチ角を回転速度に応じて変える制御機構の旧式だと評価されていました。
日本の基礎工業力の貧弱さが・・・・ですね
一時とはいえ制空権取り返されたし
タクロバンに集めたエース半減食らっておいてよく言えるわw
エンジン積載量❓燃料積載量のコト❓
全ては零戦の戦時後半は中島が生産したから開発が遅れたんですよ。
初歩的なことだけど、エンジン積載量って?
燃料の間違いでしょう。
@@jx6004 さん、ご教示ありがとうございますと言いたいところですが、文脈でわかります。ただ、テキストのクオリティを上げるべきという意味でコメントしました。
戦後、米に鹵獲され、良質な燃料とオイルを入れたらホントの実力が発揮できたのでは。😅
隼の華奢さが無くなって見た目から高性能が見て取れる、設計値640キロは伊達じゃない
疾風は戦後じゃなくて戦中の1944年に飛行可能なものがフィリピンで鹵獲され試験されているが、TAICマニュアルに書かれた日本側のスペックを大幅に上回る最大速度は出力定格を用いて算出した推定値であり、実際に飛行させて出した速度ではない
@@SSGB 未だに、TAICのデータを信じてる方々が多いですよね(プロでも)。
その説を否定したサイトがあります。「米軍テストによる四式戦闘機「疾風」の最高速度687kmは推定値ではなく実測値であると考えられる理由」でググってみて下さい。
@@おたま-k2s しかし一方、燃料とプラグを換えただけで速度がそれほどまでに向上する、というのも機械的におかしな話だという指摘もありますが
@@おたま-k2s さん。 私は、レポートの原文を読んだ事は無いですが。 レポートには推定であること、全力飛行が不可能だったことが明記されているそうです。 それはそれとして、疾風の最大速度の最初の要求値は680㎞/hでした。その後に中島飛行機側がエンジン馬力と搭載するプロペラ、航続性能と予想される重量から660㎞/h程度と推算されて陸軍と協議して試作が進行します。 設計段階から戦訓に伴う追加要求から予定重量が度々変更となり主翼面積を17,4㎡から19㎡に変更。 試作1号機は19㎡で完成しますが、2号機以降は量産型と同じ主翼面積に変更されています。 そんな中で疾風の試作機(おそらく3号機)が624㎞/hを発揮します。 計画値の680㎞/hに及ばず、中島の推算にも届かない性能ですから陸軍が悲観するかと思いきや性能試験に満足しています。 計画値より約60㎞/hも低いのに陸軍が了承した理由は試作機が搭載した『誉』が予定の21型2000馬力ではなくて11型相当の1800馬力であった事によります。 エンジン馬力が2000馬力となれば計画値ないしは中島飛行機の推算値は達成可能と予想されたので624㎞/hで了承され、正式採用となりカタログにはそのまま624㎞/hが明記されることとなります。 その後、試作4号機が631㎞/hを記録、条件が不明ながら640㎞/hも記録と確実に速度性能が向上していきます。 しかもこの性能は、1800馬力の誉で達成した性能です。 その後、推力式単排気管への改修が実施され中島飛行機の計算では15~20㎞/hの速度増大が予測されていて、陸軍の木村技術少佐の戦時中のメモには疾風の速度は655㎞/hと残されています。 この性能も1800馬力の誉で出した性能となります。 また、疾風乙型試作機が条件が不明ながら660㎞/hを発揮したとの証言もあります。 この時期の誉は21型となってはいましたが、2000馬力には以前達しておらず1900馬力程度でしたが一応は中島飛行機が推算した目標値660㎞/hは馬力未達のエンジンで達成したことになります。 残念なのは、誉21型は最後まで2000馬力が発揮できない状態で終戦を迎えたことです。では、アメリカ陸軍が鹵獲した疾風は何時の時期の疾風なのか?。 機体ナンバーからすれば誉21型装備で馬力が幾分改善した時期にあたると予想されています。 ですが、疾風はよく知られた『無塗装』の疾風の他に2機がアメリカに持ち帰られておりますが。 いずれもエンジン不調で全開運転ができなかったと記録されています。 それでもアメリカTAICは諦め切れ無かったのか誉21型を分解整備してテストに挑んだのですが、やはり全開運転は出来ずに終了。 推定値として687㎞/hを記載となっています。 じゃあ疾風は680㎞/hが不可能だったのか?と言われると『可能性はあった』とだけは言えます。 1800馬力で650㎞/hを発揮していた記述と1900馬力程度で660㎞/hを出したとの証言から予測すれば2000馬力が達成できていれば670~680㎞/hを発揮していた可能性は高いです。 しかもこの性能は92オクタン価と水メタ噴射で達成したものですから。 アメリカに持ち帰った疾風の誉が完調であったなら燃料やエンジンオイルの品質良好なアメリカであれば92オクタン価でも充分680㎞/hは達成可能だったとは予想はできます。 2000馬力も最後まで達成できず、日本の最悪な条件下でも非公式とは言え660㎞/hを達成したのですから頑張ったのではないでしょうか?
@@おたま-k2s 追伸。 指摘のサイトを探しましたが。 ワード検索でもヒットしませんでした(涙)。 私が参考にするブログがあります『WW2戦闘機の性能』と検索するとヒットする個人のブログですが、国会図書館資料、一次資料、海外のテストデータの一次資料を事細かに調べて解説している『大変ありがたいブログ』があります。 一度ご覧あれ、疾風に限らず、様々な戦闘機の性能を調べて掲載しています。 無料でここまで閲覧させてくれるブログは存在しませんから。 是非とも見て下さい、疾風や日本の戦闘機の実際の性能が理解できますよ。
この機体、アメリカレベルの工業力で造ったらどえらい戦闘機になっただろーなぁ…。😅
【凄い機体だったの?】
機体自体はエンジン径に合わせたスマートなものだが、極めてオーソドックスで奇を衒(てら)ったものではない非常に「普通」。それが王道であり正解だったと言える。
私個人的な見解だが...この機体で素直に評価したくない部分がある。それは機首武装(12.7㎜又は20㎜機銃)で、エンジン馬力を吸収するため四翅(し)プロペラを装着したので機首武装のプロペラ同調が厳しかったこと。四式戦闘機「疾風」に対抗する連合国(米国&英国)軍戦闘機は、武装は全て主翼に収められ、胴体前部は防漏・防弾式燃料タンクに充てられていた。ソレに比べると少々旧式な感じがしないでもない。(←こう言う意味では、ドイツとソ連も機首武装に拘り過ぎて、日本以上に無茶なことをしているが...)
単に発射可能な間隔が4分の3になった、レベルではないよね。
機軸に機銃を装備するのは、単純に命中精度が良好になること。 また、重量物の機銃を機軸に寄せる事で。 ロール性能を良くする事を目指したのでしょう。 Fw190も、一見、主翼武装が主流になっていますが。 機首機銃も、主翼20ミリも基本的にプロペラ回転圏内に装備しています。 外翼の20ミリは、実質的にオプション扱いで。 大概のパイロットはロール性能と旋回性能が低下するので外しています。 ソ連の戦闘機が機首や胴体に機銃を装備したのは、木製主翼に機銃を搭載するのが困難だったからでしょう(一部例外はありますけど)。 イギリスとアメリカが主翼に機銃を搭載する方式になったのは多銃装備になったからではないでしょうか?。 アメリカ陸、海軍は初期には機首と主翼に機銃を分散装備していましが。 直ぐに、主翼装備に移行していますね。 理由は定かではありませんが。 プロペラ同調による発射速度の低下を嫌ったのかも知れないですね。 日本陸軍は、ホ-5 20ミリ実用化後も、機首装備を継続したのは命中精度を重視したのと、搭載スペースの問題でしょうね。 海軍は、20ミリを機首に装備する気がさらさらありませんでしたが。 機首武装を諦めた訳でもなくて、紫電改31型では機首機銃を復活させていますし。 雷電にも機首機銃の復活が検討されていたそうです。
時代に則した名機だね、格闘戦の時代なんてとうの昔に終わってるのよw
軽戦から重戦に移行した陸軍は海軍よりもこの点のみに関しては柔軟だったといえる。
疾風に乗っていた知り合いの爺さんが講演会でそう言ってたよ、OK?w
コメント欄なら俺の爺さんが~とか幾らでも吹かせるからコロッと騙されちゃダメよw
日本の技術です。疾風旧陸軍の戦闘機です。
疾風のハ45エンジンが安定運用出来て、1万機も製造していたら、1944年の戦局は多少変わっていたかも。
でもハ45、海軍名称誉が何とか安定運用できるようになったのは終戦の年1945年なので遅すぎたし、五式戦闘機の方が重宝されたらしいしから上手くいかなかったのだろうな。
当時の日本航空技術の限界は、工作機械や金属材料に制限されていたのかも知れない。
現在の半導体製造のようなものではないか。
製造装置と半導体素材がないと高性能半導体は製造できないでしょう。
五式戦闘機は、稼働率はあまり良くないと言う真実がある。水メタノール噴射の調整に苦労したのが現実。
@二見裕司-r6t 小林少佐と檜少佐の過大評価だけが一人歩きしてしまい、五式戦は実態以上に性能が誇張されていますね。
格闘戦特化の隼と組ませたことで真価を発揮
F6Fに劣る格闘戦能力も隼が援護すればすぐに跳ね返せるし
ダイブで逃げることは疾風のダイブで許されなかった
鍾馗もP-51Aですら匙を投げるほどの強さの上では文句ないけれど航続距離がね…
エンジン無理したからね。無理したエンジンがちゃんと動けば最強なのは当然だろうが、ちゃんと動かなかったからね。42年からダブルワスプ運用してた米軍の勝ちです。
欧米に劣っている事実は技術者が一番理解しています。 だからこそムリを承知で持てる技術リソースを用いて2000馬力エンジンを開発した訳です。 方針としては間違ってはいないとは思います。 誉を海軍に提案した際に『誉の実用化には高いオクタン価の燃料が必須条件』と海軍航空本部に中島飛行機側は言ってるのですが。 海軍側は『燃料は確保する‼️』と公言した訳ですけど確約では無いんですよね。 それを鵜呑みにして100オクタン価ガソリンが前提の誉の開発に踏み切った中島飛行機が問題でした。 設計主務の中川氏は、栄21型の改良と馬力向上を当時担当していたのですが、その過程で栄が試験で1400馬力を出し、1500馬力を目指していました。 上司の小谷氏との技術的雑談のなかで『栄が1気筒100馬力が行けそうだ、1500馬力も目処がたってきた』との話しに『1気筒100馬力か?だったら18気筒にしたら1800馬力、上手くしたら2000馬力も行けそうだな❗』と小谷氏の返答にインスパイアされた結果誕生したのが誉。 栄えで培った燃焼プロファイルを利用してサイズを極小化、冷却に対応するために前後シリンダー間隔を拡大して設計した結果。エンジン直径を栄えと同等に押さえる事に成功。 悪いことに、初期の目標値である1800馬力を易々とクリア。 92オクタン価のガソリンでも充分な性能を発揮したことから。小型軽量高馬力エンジンとして採用されてしまいます。 実際、誉は1800馬力まではトラブルも少なく(初期不良はありましたが)。 極めて素性の良いエンジンと判定されています。 1800馬力程度で熟成させれば、欠陥エンジンと呼ばれることもなかったでしょう。
当時の技術で大量運用可能な最良の機体は五式戦。
そもそも「栄」は米国から製造ラインを輸入したエンジンである。
そのラインで2000馬力エンジンを量産するのは無理があった。
当時は分からなかったが、工作機の加工精度不足、合金の含有率のバラつきが原因と推測される。
栄は、構造にP&Wの影響はありますが。 純国産エンジンですよ。
図面や工作機械から職工の給与配分まで輸入品です。
@@高田健一-l7l システム全般と言いたい訳ですね。 当然です。 先行する欧米の技術移入、海外技術者の雇用。国家の近代化には欠かせません。 模倣から始まり、1920年代から、自力設計までたどり着いたのです。 模倣を否定したら、欧州各国も、狭い地域で戦争と交流を繰り返して機械、科学を進歩させたのですからね。 模倣の連鎖で工業技術は進化したのです。 『日本は、欧米のパクり』と、蔑むのは、某半島や某大陸の方々と同じ、貧しい思想ですよ。
ruclips.net/video/1WHEA1dK7DE/видео.html ハヤテのごとく負け戦
中国戦線で疾風と戦ったムスタングはB型又はC型だったのでそれほど性能は良くありませんでしたよ。
さん。 P-51B,C型は、カタログスペックはD型と同等です(水メタ噴射しない条件で)。 実際に、1機だけ鹵獲されたC型は、陸軍航空審査部でテストを実施。 カタログスペックの700㎞/h以上を出しています(具体的な数値は不明ですが、パイロットの証言ですが)。 さて、22戦隊と85戦隊の運用した疾風は、初期試作量産機100機に該当するモノで。 比較的、精度の高い誉エンジンと優秀な整備員のお陰で。 大体、620~650㎞/h程度を発揮していて。 上昇性能も5000m迄で5~6分程度を出していました。 中国方面での空戦は、高高度での空戦は稀だった様子で。 おそらく、高度3000~7000m付近での空戦が主体となっています。 この高度は、疾風にとっては最も性能が発揮できる高度となりますが、対するP-51CやP-47Bは5000~6000m付近だとP-51Cで650~670㎞/h、 P-47Bだと640㎞/h程度になるますし。 上昇性能もP-51Cで6000m付近で約6~7分、P-47Bだと9分程度なになるので。 疾風にとっては有利な条件だったと言えます。
乗るパイロット、燃料がないんだから意味ない
個人的に「疾風」で思うのは、主脚の設計能力の不足がかなりイタい。
当時の日本の航空機設計者にありがちな傾向は、空を飛んでいる状態のことしか考えない辺りだ。
「疾風」の主脚も、殆ど工夫が感じられないかなりおざなりな設計。
それが空力的に重要な、プロペラ直系を制限してしてしまったのは、致命的な設計ミスだった。
とりあえず俺が第二次大戦中のレシプロ戦闘機で一番注目するのは主脚の構造だ。
日本では、一応海軍機では工夫が見られるが、陸軍機ではこの部分が呆れる程杜撰な傾向がある。
?。中島は国産実用単発機の引き込み脚を、初めて実用化したメーカーですよ?。 それも、空母艦載機で、着艦衝撃が厳しい条件をクリアした引き込み脚を実用化したメーカーですけど?。 何か、不具合がありますかね?。 疾風の主脚が折れるトラブルの最大の原因は、パイロットの不慣れによるミスとも言われています。 疾風は、バルーニング現象を起こし易い機体であったので。 着陸時に上手く速度を殺せないと、オーバーランになる危険性があります。 バルーニングで尾車輪が中々設置しない状態になると、パイロットはオーバランを危惧して、急ブレーキと、強引なラダー操作をして。 急激な方向転換をした可能性があります。 飛行機は、地上滑走で急激な方向転換は想定していませんから。 過負荷で脚が折れるのです。 とわ言え、事故は事故ですから対策として、都合2回の主脚強度の向上を実施したと伝えられています。 残念ながら、それでも着陸事故が多かったと言われています。 疾風は、決戦機として、次々と部隊配備を急がれたのも問題で。 隼からの機種転換、本土配備で未だに97戦が配備されていた部隊も次々と機種転換を急いでいます。 軽量な、97戦や
隼しか知らないパイロットが、いきなり着陸速度150~160㎞/hの疾風に転換するのですから。 事故の多発は必然と言えます。
あなたみたいな拾った情報でyoutubeする人をもっと応援したいです
This looks like a fake.👎
ガラクタ、、、全てに凡庸な機体です。