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もう25年ほど前に三陸に旅行にいった。小学生のちびっこでも、要塞みたいな防波堤に圧倒され、崖の上の方にある津波到達地点のラインにそんな馬鹿なと驚き、津波体験館にいき再現ドラマを見てゾッとした。そのあと笛吹岩に見学に行ったらマジで地震があり死ぬかと思った。リアス式海岸の断崖絶壁を覗きこみ、こんな垂直な岩の壁を水が駆け上がるのかと信じられなかった。まさか、自分に人生のうちに、その津波体験館が津波にのまれてしまいとは思いもよらなかった…
宮古生まれの私は小学生の頃から三陸大津波の話しを耳にタコが出来るくらい聞いていたそれでも従兄弟は3.11の時に海を見に行くと言ってその後結局帰ってこなかった…この先いつ起きるかわからないけどまた津波が来るような事があったら絶対に皆が海に近づかないようにこの三陸大津波の事も3.11の事もしっかりと子供達に教えていかなければならないと思う次第です
小学生の時に社会の授業で三陸沖の地震について習いました。テストに出るポイントは『リアス式海岸』でした。大人になって友達が仙台に長期出張へ行っていたのですが、震災の4年前に『地震が来るから(60年に一度ぐらいで習ったきがします)会社辞めて帰ってきた』と言っていて、他の方は学校で習っていないのか、まったく気にしていなかったそうです。
明らかに危険で危険な目に合っても、ここでしか仕事が無いと言う声が今でも出てるし難しい話なんでしょうね
そこまで来るともはや執着の領域だと思いますね。仕事なんか土地や職種を選ばなければどこでもある。命に変えられるものはない。
若い頃、旅行業界に勤務。ある日の仕事中、担当旅行者の身内が、奥尻震災(北海道南西沖地震)で被災死した事を知りました。奥尻島の洋々荘に宿泊中、地震で裏の崖が崩落。建物ごと下敷きになったというものでした。居場所で生き死にが決まる天災。その非情さを実感しました。
岩手の沿岸南部住みだけど、地元には明治三陸津波の石碑と小学校では明治三陸津波と昭和8年三陸津波とチリ地震津波を郷土史を授業でやりますね。近所にはチリ地震津波での復興住宅が未だに建っています。あと、ばあちゃん家が綾里ですが田舎過ぎで何も無いです
対策しても、被害が出る時はその上を越えてくる。ただ三陸の海の恵みは津波の恐ろしさよりも、何を置いても代えがたい価値ある物だから、また海に戻る人たちを非難出来ないな。
>震度は小さいが広範囲で揺れたため巨大津波。>夜間で海の様子を視認できなかった。うわっ。最悪の条件。明確な巨大地震より避難が困難で怖い。
ここで乃木希典の名を聞くとは思わなかった。見識が広がり、有難いことです。
志津川高校にかなりの人が避難していたのをユーチューブで見ましたが、恐らく今回の地震が教訓になって、代々口伝されていたのですね。
仙台で津波被害に遭った荒浜小学校の遺構を見てきましたが、小学校の屋上から海岸までを眺めたら家が基礎だけ残して原っぱになっている。これほど歴史的に数多く津波被害が繰り返されるのに、こんな海の近くぎりぎりにニュータウン??みたいに住宅が並んでいたなんて、人は忘れてはまた暮らすものなのかと驚きました。もうさすがにあの辺りに再び住宅は建てないようですが、昔は年数を経るとかくも津波の恐ろしさが伝わらないものだったのですね、、、もう、繰り返されることがないよう祈ります。
仙台平野は三陸と違ってこれまで津波が来なかった場所。1000年前にあったという形跡が見つかったのも後の話。住宅を建てないのではなく、10年以上経っても元に戻らないほど、平野の奥の方まで全部が薙ぎ払われてしまったため。これまで仙台市の震災は5年に一回ぐらいあるものだったけど、津波被害は一度もなかった。まさか三陸沖から宮城県沖→福島沖までドミノ倒しのように連動していくなんて誰も予測出来ないシロモノだしな。この震災は備えていても、いなくても、関係無く皆やられてしまった。仙台湾の漁業は少しずつ戻ってきているけど、あんな被害の様を見て、とてもじゃないけど復興なんて軽々しく言えないと思ったよ。
@@モア-s9n 最近、仙台の津波被害に遭った人と話をしたのですが、揺れた後に津波が来ると思って海から500メーターほどの商店から逃げたそうです。そんなに長年津波が来なかったのに、とっさに来ると思って逃げたのはすごいことだったのですね。その人のいた店は三階だての大きな建物で逃げなかった人は店で夜過ごしたらしいです。犠牲者もでたそうです。津波は来たのです。この人の話から海に近い仙台の人は津波を警戒していたのだと思っていました。1000年も無かったとは意外です。
繰り返すと思います。毎度、災害はまさか、が繰り返される。
人間は忘れやすい。そう、感じます。一千万人以上の犠牲を出した、第一次世界大戦。その後、20年程度で2回目のより悲惨な戦争が勃発。それと、重なりました。
津波の被害を考えて城下町を内陸に造営した貞山公の慧眼には恐れ入ります。
災害に関してはネタに尽きないよな。
東北地方太平洋沖地震のアウターライズ地震がまだ控えている事実
一度2012年にきてるけどなぁ。また来るのか。
@@tk-cj6sqM8クラスが想定されてますね…
昭和三陸地震より南のアウターライズエリアは動いてないんだよね。西暦95年に起きた福島沖のアウターライズが最後の活動と見られてる。ちなみにこの地震は3.11超えの巨大津波を引き起こしたのではないかという説がある。
@@Apul276 そもそも巨大地震で-0.5以内の地震が来てないのって東日本大震災くらいなんだよなぁ。
風よ悲しみの歌を海に返してほしい風に涙は乾いても この悲しみは消えない→沖縄戦の哀悼の歌だけど明治三陸地震を思い出す。明治三陸地震は岩手県の三陸沖で起きた地震で、2万人以上の犠牲者を出した。
東日本の津波は、世界一の防潮堤があっても30㍍超えですからね。もし防潮堤が無かったら、と思うと恐ろしいです。
海を完全に埋め立てないと津波はなくせないからね……個人的にはそれでも良いけど
怖いですね😟家も東京湾側の街ですが、海に向かってかなり傾斜してる高台側なので、今心配されている東京湾の首都直下地震など大丈夫だと思いたい😰
震度が低くても、この手の地震は長周期地震動でかなり揺れてそう
50-100ねんだからちょうど2世代(平均寿命が短い)、津波を経験した世代が死んだり風化したころに津波が来るという因果いまでも15年喰らった人以外はほぼ風化した・・喰らった後でこの証言や絵を見るとガチでこうだったってわかるけど
これはホントに忘れちゃいけない三陸は津波常襲地帯だもの
見方を変えると、東日本大震災はこれまでの災害の教訓から学び、あれだけの規模で死者・行方不明者が2万人強「で済んだ」とも言えるのか。
教訓が活かされていたなら死者はゼロじゃなきゃおかしい。一人でも死者が出て、倒壊家屋があるのなら教訓が活かされていたとは言えない。これだけの地震災害大国なのに、被害を全くゼロに出来ないと言うのはいかに怠慢か。
@@makamu1126 では、震度6レベルの揺れがまだ建物の中で続いていて、なおかつ沿岸にものすごく近い状態で、震源が陸に限りなく近い海底で大津波が1分以内に到達する時(元日の能登半島地震はそうでした)、あなたはどうしますか?
@@makamu1126被害0なんてできるわけねぇだろw何をどうやったら0にできるんだよ東日本、石川能登の二回とも喰らった友人に教えてやってくれよ
@@makamu1126M9.0の地震で死者0、倒壊家屋0じゃなきゃ教訓が活かされてないとかお前頭狂ってんの?????wwwww
@@makamu1126あなた1人だけだったら被害は0で済むでしょうね!ただ何万人もいれば誰かしら死人が出るのはわかるだろ!それに毎回同じ条件で災害は起きるわけじゃない!教訓を生かすのがいかに難しいかがわかるよ
年寄りの話や昔の文献でしか知らないしいつ来るかも分からない津波の心配よりも、今日明日の飯の心配が先、と職住接近に流れていくのも仕方がない…というか、当時の生活の厳しさや高台移転の負担の重さを思えば現実として当然だったでしょうね。防災はいつどう起きるか分からない災害にどれだけコストをかけ続けられるか、どれくらいの確率と被害予想なら容認するかの問題ですよねえ…🐱
その年寄りの昔話が今日明日実現する可能性もあるわけで。個人的には防災減災はコスト度外視でどんな地震津波台風竜巻土砂災害等でも人や建物や都市機能が傷一つつかないようにすべきだと思いますね。
年寄りの昔話が今日明日実現する可能性は当然ありますが……当時の今日明日の飯すら怪しいような人々にとって後回しでも仕方ないという話なんですが、文意をご理解の上でその切り返しなのでしょうか。日本なんてそもそも、国民全員の生活と未来を捨てて国と国民の資産を全部突っ込んでも、数年だけだって100%の防災は無理ですし。人々の生命や生活や未来のために防災をするのであってその逆ではありませんから、コスト度外視で完璧にすべきというのは理想論にしても極端かなあ😸💦
当時から各地からの義援金や軍の派兵など日本の災害に対する意識の高さを感じる。
同じような大地震のスパンって短くても数十年、長いと数千年その災害を知っている世代がボケるかいなくなった後に起きる
昭和三陸地震と同様に地震による被害が少ないと言うのは、南海トラフで言及した慶長地震と似ていますが、あれも似たようなメカニズムの可能性があるのでしょうか。また、日本に被害を及ぼした遠地地震としては、カスケード地震にも興味があります。
今日ですね…
昭和三陸もやるのかな?
東北地方は今度大きな津波が来ても、避難しない人が多くいて、被害者が多数出るだろうな。当分大きいのは来ないから、日本で一番安全な地域なのさ、という意見に拍手した人多かった😵
緩慢な自殺
陸前陸中陸奥で三陸だと思ってたけど
現在では三国の沿岸部を指すようになっていますね
津波被害を語るなら、宝永大地震の資料をベースに語るべきです。南海トラフ地震の被害想定に九州太平洋沿岸地域の被災状況が資料としてはかなり役立つと思いますよ。
明治三陸地震?
明治三陸津波の陣頭指揮者が日露戦争で有名な乃木希典なのがビックリ!災害派遣で最初に軍艦を繰り出した激甚災害!震度3や4でも巨大津波は襲い掛かる現実!肝に銘じるべき!CGを駆使しドラマ化すべきですね!あ、乃木希典将軍役は渡辺謙様で!(o´∀`)🇯🇵
三陸地震津波の話だよね?東日本の話と錯覚するくらい東日本の単語が多すぎて、どっちの解説かわからなくなります。比較対象とはいえ、論点がブレブレです。きちんとフォーカスして下さい。よろしくお願いします。
もう25年ほど前に三陸に旅行にいった。小学生のちびっこでも、要塞みたいな防波堤に圧倒され、崖の上の方にある津波到達地点のラインにそんな馬鹿なと驚き、津波体験館にいき再現ドラマを見てゾッとした。そのあと笛吹岩に見学に行ったらマジで地震があり死ぬかと思った。リアス式海岸の断崖絶壁を覗きこみ、こんな垂直な岩の壁を水が駆け上がるのかと信じられなかった。まさか、自分に人生のうちに、その津波体験館が津波にのまれてしまいとは思いもよらなかった…
宮古生まれの私は小学生の頃から三陸大津波の話しを耳にタコが出来るくらい聞いていた
それでも従兄弟は3.11の時に海を見に行くと言ってその後結局帰ってこなかった…
この先いつ起きるかわからないけどまた津波が来るような事があったら絶対に皆が海に近づかないようにこの三陸大津波の事も3.11の事もしっかりと子供達に教えていかなければならないと思う次第です
小学生の時に社会の授業で三陸沖の地震について習いました。
テストに出るポイントは『リアス式海岸』でした。
大人になって友達が仙台に長期出張へ行っていたのですが、震災の4年前に『地震が来るから(60年に一度ぐらいで習ったきがします)会社辞めて帰ってきた』と言っていて、他の方は学校で習っていないのか、まったく気にしていなかったそうです。
明らかに危険で危険な目に合っても、ここでしか仕事が無いと言う声が今でも出てるし
難しい話なんでしょうね
そこまで来るともはや執着の領域だと思いますね。
仕事なんか土地や職種を選ばなければどこでもある。
命に変えられるものはない。
若い頃、旅行業界に勤務。ある日の仕事中、担当旅行者の身内が、奥尻震災(北海道南西沖地震)で被災死した事を知りました。奥尻島の洋々荘に宿泊中、地震で裏の崖が崩落。建物ごと下敷きになったというものでした。居場所で生き死にが決まる天災。その非情さを実感しました。
岩手の沿岸南部住みだけど、地元には明治三陸津波の石碑と小学校では明治三陸津波と昭和8年三陸津波とチリ地震津波を郷土史を授業でやりますね。近所にはチリ地震津波での復興住宅が未だに建っています。あと、ばあちゃん家が綾里ですが田舎過ぎで何も無いです
対策しても、被害が出る時はその上を越えてくる。ただ三陸の海の恵みは津波の恐ろしさよりも、何を置いても代えがたい価値ある物だから、また海に戻る人たちを非難出来ないな。
>震度は小さいが広範囲で揺れたため巨大津波。
>夜間で海の様子を視認できなかった。
うわっ。最悪の条件。明確な巨大地震より避難が困難で怖い。
ここで乃木希典の名を聞くとは思わなかった。
見識が広がり、有難いことです。
志津川高校にかなりの人が避難していたのをユーチューブで見ましたが、恐らく今回の地震が教訓になって、代々口伝されていたのですね。
仙台で津波被害に遭った荒浜小学校の遺構を見てきましたが、小学校の屋上から海岸までを眺めたら家が基礎だけ残して原っぱになっている。
これほど歴史的に数多く津波被害が繰り返されるのに、こんな海の近くぎりぎりにニュータウン??みたいに住宅が並んでいたなんて、人は忘れてはまた暮らすものなのかと驚きました。もうさすがにあの辺りに再び住宅は建てないようですが、昔は年数を経るとかくも津波の恐ろしさが伝わらないものだったのですね、、、もう、繰り返されることがないよう祈ります。
仙台平野は三陸と違ってこれまで津波が来なかった場所。1000年前にあったという形跡が見つかったのも後の話。
住宅を建てないのではなく、10年以上経っても元に戻らないほど、平野の奥の方まで全部が薙ぎ払われてしまったため。
これまで仙台市の震災は5年に一回ぐらいあるものだったけど、津波被害は一度もなかった。まさか三陸沖から宮城県沖→福島沖までドミノ倒しのように連動していくなんて誰も予測出来ないシロモノだしな。
この震災は備えていても、いなくても、関係無く皆やられてしまった。仙台湾の漁業は少しずつ戻ってきているけど、あんな被害の様を見て、とてもじゃないけど復興なんて軽々しく言えないと思ったよ。
@@モア-s9n 最近、仙台の津波被害に遭った人と話をしたのですが、揺れた後に津波が来ると思って海から500メーターほどの商店から逃げたそうです。そんなに長年津波が来なかったのに、とっさに来ると思って逃げたのはすごいことだったのですね。その人のいた店は三階だての大きな建物で逃げなかった人は店で夜過ごしたらしいです。犠牲者もでたそうです。津波は来たのです。この人の話から海に近い仙台の人は津波を警戒していたのだと思っていました。1000年も無かったとは意外です。
繰り返すと思います。毎度、災害はまさか、が繰り返される。
人間は忘れやすい。そう、感じます。一千万人以上の犠牲を出した、第一次世界大戦。その後、20年程度で2回目のより悲惨な戦争が勃発。それと、重なりました。
津波の被害を考えて城下町を内陸に造営した貞山公の慧眼には恐れ入ります。
災害に関してはネタに尽きないよな。
東北地方太平洋沖地震のアウターライズ地震がまだ控えている事実
一度2012年にきてるけどなぁ。また来るのか。
@@tk-cj6sqM8クラスが想定されてますね…
昭和三陸地震より南のアウターライズエリアは動いてないんだよね。西暦95年に起きた福島沖のアウターライズが最後の活動と見られてる。ちなみにこの地震は3.11超えの巨大津波を引き起こしたのではないかという説がある。
@@Apul276 そもそも巨大地震で-0.5以内の地震が来てないのって東日本大震災くらいなんだよなぁ。
風よ悲しみの歌を海に返してほしい
風に涙は乾いても この悲しみは消えない
→沖縄戦の哀悼の歌だけど明治三陸地震を思い出す。明治三陸地震は岩手県の三陸沖で起きた地震で、2万人以上の犠牲者を出した。
東日本の津波は、世界一の防潮堤があっても30㍍超えですからね。もし防潮堤が無かったら、と思うと恐ろしいです。
海を完全に埋め立てないと津波はなくせないからね……個人的にはそれでも良いけど
怖いですね😟
家も東京湾側の街ですが、海に向かってかなり傾斜してる高台側なので、今心配されている東京湾の首都直下地震など大丈夫だと思いたい😰
震度が低くても、この手の地震は長周期地震動でかなり揺れてそう
50-100ねんだからちょうど2世代(平均寿命が短い)、
津波を経験した世代が死んだり風化したころに
津波が来るという因果
いまでも15年喰らった人以外はほぼ風化した・・
喰らった後でこの証言や絵を見るとガチでこうだったってわかるけど
これはホントに忘れちゃいけない
三陸は津波常襲地帯だもの
見方を変えると、東日本大震災はこれまでの災害の教訓から学び、あれだけの規模で死者・行方不明者が2万人強「で済んだ」とも言えるのか。
教訓が活かされていたなら死者はゼロじゃなきゃおかしい。
一人でも死者が出て、倒壊家屋があるのなら教訓が活かされていたとは言えない。
これだけの地震災害大国なのに、被害を全くゼロに出来ないと言うのはいかに怠慢か。
@@makamu1126 では、震度6レベルの揺れがまだ建物の中で続いていて、なおかつ沿岸にものすごく近い状態で、震源が陸に限りなく近い海底で大津波が1分以内に到達する時(元日の能登半島地震はそうでした)、あなたはどうしますか?
@@makamu1126被害0なんてできるわけねぇだろw
何をどうやったら0にできるんだよ
東日本、石川能登の二回とも喰らった友人に教えてやってくれよ
@@makamu1126M9.0の地震で死者0、倒壊家屋0じゃなきゃ教訓が活かされてないとかお前頭狂ってんの?????wwwww
@@makamu1126あなた1人だけだったら被害は0で済むでしょうね!ただ何万人もいれば誰かしら死人が出るのはわかるだろ!それに毎回同じ条件で災害は起きるわけじゃない!教訓を生かすのがいかに難しいかがわかるよ
年寄りの話や昔の文献でしか知らないしいつ来るかも分からない津波の心配よりも、今日明日の飯の心配が先、
と職住接近に流れていくのも仕方がない…というか、当時の生活の厳しさや高台移転の負担の重さを思えば現実として当然だったでしょうね。
防災はいつどう起きるか分からない災害にどれだけコストをかけ続けられるか、どれくらいの確率と被害予想なら容認するかの問題ですよねえ…🐱
その年寄りの昔話が今日明日実現する可能性もあるわけで。
個人的には防災減災はコスト度外視でどんな地震津波台風竜巻土砂災害等でも人や建物や都市機能が傷一つつかないようにすべきだと思いますね。
年寄りの昔話が今日明日実現する可能性は当然ありますが……当時の今日明日の飯すら怪しいような人々にとって後回しでも仕方ないという話なんですが、文意をご理解の上でその切り返しなのでしょうか。
日本なんてそもそも、国民全員の生活と未来を捨てて国と国民の資産を全部突っ込んでも、数年だけだって100%の防災は無理ですし。
人々の生命や生活や未来のために防災をするのであってその逆ではありませんから、コスト度外視で完璧にすべきというのは理想論にしても極端かなあ😸💦
当時から各地からの義援金や軍の派兵など日本の災害に対する意識の高さを感じる。
同じような大地震のスパンって短くても数十年、長いと数千年
その災害を知っている世代がボケるかいなくなった後に起きる
昭和三陸地震と同様に地震による被害が少ないと言うのは、南海トラフで言及した慶長地震と似ていますが、あれも似たようなメカニズムの可能性があるのでしょうか。
また、日本に被害を及ぼした遠地地震としては、カスケード地震にも興味があります。
今日ですね…
昭和三陸もやるのかな?
東北地方は今度大きな津波が来ても、避難しない人が多くいて、被害者が多数出るだろうな。当分大きいのは来ないから、日本で一番安全な地域なのさ、という意見に拍手した人多かった😵
緩慢な自殺
陸前陸中陸奥で三陸だと思ってたけど
現在では三国の沿岸部を指すようになっていますね
津波被害を語るなら、宝永大地震の資料をベースに語るべきです。
南海トラフ地震の被害想定に九州太平洋沿岸地域の被災状況が資料としてはかなり役立つと思いますよ。
明治三陸地震?
明治三陸津波の陣頭指揮者が日露戦争で有名な乃木希典なのがビックリ!災害派遣で最初に軍艦を繰り出した激甚災害!震度3や4でも巨大津波は襲い掛かる現実!肝に銘じるべき!CGを駆使しドラマ化すべきですね!あ、乃木希典将軍役は渡辺謙様で!(o´∀`)🇯🇵
三陸地震津波の話だよね?
東日本の話と錯覚するくらい東日本の単語が多すぎて、どっちの解説かわからなくなります。
比較対象とはいえ、論点がブレブレです。きちんとフォーカスして下さい。
よろしくお願いします。