浮見堂と虹

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  • Опубликовано: 25 авг 2023
  • 「映像作家の日記」
    18TのHDDにトラブル発生で2ヶ月分以上の映像データが取り出せなくなった。決して安価なHDDではない。最新で購入から半年しか経っていないので、油断してバックアップをとっていなかったのは私の落ち度。
    バックアップの必要性は勿論よく分かっているが、現実は厳しい。
    4kでの撮影を続けながら今の活動をこれまでと同じペースで続けて行くには、1ヶ月間で外付けHDDだけでも10万円以上の出費になり、同時にバックアップするなら、その2倍は必要になる。
    映像作家としてそれだけの収入はない。かといって4k映像で奈良の365日を撮影するという今の活動スタイルを変えるわけにはいかない。
    なぜなら、今私がやりたいこと、伝えたい事、試行錯誤の末にたどり着いたのが今の形だからだ。続けてきた結果、NHKでの放送や月に一度の上映会開催につながっている。
    バックアップを怠っていたのは、収入がなかったから。でも、やり続ければ道は開けるだろうと、騙し騙しやり続けて来た。
    収入のほぼすべてを撮影経費に注ぎ込み、ギリギリの生活が続いていた。
    私の身なりを見ればそれが表れている。例えば8月の上映会。ステージの私は散髪に行けずボサボサの頭。服はプレゼント、靴は上映会が始まってから4年間も同じ靴。なんとも情けない姿。
    でも、上映する作品には自信があった。作品の為ならすべてを犠牲に出来る。喜んで。
    そんな危ういバランスの上で私の映像作家としての活動は成り立っていた。
    言い換えれば綱渡りの活動。
    今回、HDDに問題があり、運の悪さを嘆くより、しっかりと自立した活動が出来ていなかった自分の不甲斐なさを恥じた。心底情けない。
    そして、これからはこんなことを続けて行くわけにはいかないと思う。
    確かに上映会では上映会存続のためのご支援を頂く。私の活動に対しても支えて下さる方がいらっしゃる。
    そんな恩人の存在があって、今の私がある。感謝の気持ちを忘れたことはない。
    毎月、上映会が始まる前と終わりに、私を支援して下さる恩人に対して改めて感謝することが、私にとっての喜びの瞬間である。
    「あなたがいてくれて、本当に良かった。おかげで私はこの時を迎えることが出来ました」いつの心から感謝している。
    でも、それに甘えてはいけないことも分かっている。
    なんとしてでも自立しなければならない。映像作家としての収入で今の活動と生活を維持出来るようにならなくてはならない。1日でも早く。
    テレビ放送が打ち切りになって1年が過ぎ、今の私は失業者に他ならない。現状は映像作家として自立したい望みから次第に遠ざかっていく。
    これだけ頑張っているのに、まったく前へは進まず、予期せぬ悪いことばかりが続く。奈良県庁の記者会見から始まった誹謗中傷、スタッフの病気に訃報、私の病気、東京での失敗、悪いことを数えるとキリがない。
    そんな時に起こったHDDのトラブル。ファイル救出が高額になることは承知している。
    でも、お金の問題ではない。これは何かの啓示なのかもしれない。
    HDDのトラブルは、春日大社様への奉納作品が完成した直後だった。
    春日大社様に迷惑をかけることなく無事に納品を終えたのは私にとってとても幸運で光栄なこと。でも、そのタイミングに天からの意思を感じた。
    人の支援を受けながら活動を続けて行くことをそろそろやめなさいと言われているような気がした。
    人を巻き込むのはもうやめなさい。と天から聞こえて来た。
    私は良かれと思って、ラジオや上映会をより質の高いものにする為に頑張っているつもりだった。でも、それは周りの人から見たら迷惑なのかもしれない。私がいなければ、人を巻き込まなければ、周りの人は平和なのかもしれない。私が望むことに共感を得られていないのかも知れない。
    知らぬ間に私はお世話になった周りに人々に迷惑や厄介をかけているのかも知れない。
    そんなことを冷静に客観的に俯瞰して考えてみると、私がいない方がみんなは幸せになれるのではないか、今はそう思っている。
    おそらくそれが真実。
    HDDのトラブルは天が私にそれを気付かせる為ではないか。
    今はそう思っている。私が消えればみんな平和になる。
    悲しいけど、そのことに私ややっと気が付いた。
    でも、私は撮り続ける。
    4kは経済的に諦める。よってテレビ放送も諦める。赤字が続くバスターミナルでの上映会は継続出来なくても、昔のようにお金のかからない少人数の上映会は出来るかも知れない。身の丈にあった活動は出来るかも知れない。人に頼らない自立した活動は出来るはずだ。
    10年前に病気で倒れるまで、テレビ業界で活躍は出来たが友達は出来なかった。そして、この10年も同じことを繰り返している。私は周りの人の本当に気持ちを理解することが、お互いに分かり合えることが出来なかった。一度の人生で同じ間違いを繰り返す。私は人間的に救いようのない存在。カメラマンとしてではなく、映像作家としてではなく、人間として失格なのだと、今になって思い知らされる。
    さだまさしさんは本当に良くして下さった。それなのに何も返せていない。いろんな人から頂いたご恩を次につなぐことが出来なかった。
    人として情けない。
    最近、全く感情がなくなり、心が空っぽになったのか、ボーッとしている時がある。そんな状態で長い時間が流れる。ふと我に帰ると涙が止まらない。頑張っても頑張っても泥沼に次第に沈んで行く。
    上映会などを急にストップすれば、各方面に迷惑をかけるので、丁寧に終わらなければならない。しっかりとすべてを終わらせる。
    感謝を込めて、立つ鳥跡を濁さず。

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