Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
私は一様仏法の教学を持っています!一般の人が知っているのは経験と見た目知らない!間違った捉えかたをしている
間違いを教えちゃだめですよ。
@@藤原孝弘-n6p 釈迦の教え=日本仏教=浄土真宗基礎知識のない人は、それを当然として受け入れてしまうそれが大問題です、日本仏教だけでも様々な宗派があり、決して浄土真宗が最もスタンダードな教えという訳じゃありませんむしろ他に比べ、異端な教義の宗派ですただ日本最大の既成仏教宗派という事で、スタンダードで当り障りのない事を言ってる宗派だと思い混んでる人が非常に多いそしてこの動画を配信した団体自体は、浄土真宗という伝統宗派の教えを説いてますから、新興宗教とは言えないかもしれませんだから一般の新興宗教とかに比べ、非常に勧誘がしやすい富山県射水市に本部があります
@@風太-u7o タイトル見ると、仏教宗派全体の見解による教えと誤解される、それが狙いなんだろうけど「浄土真宗、親鸞に学ぶ幸福論」というタイトルなら、まだ誤解が余り無いそして哲学や道徳的観念主体の方便の教えでは、霊的問題は解決しない
般若経の「色即是空」という思想を知っても安らぐことが無い、と断定しています。断定してはいけない。まずここが詭弁的です。次に、不安を煽っておいて「はい、だから浄土三部経」と、まるで出来が悪い洗剤のコマーシャルのような構成です。浄土三部経を持ち出す流れも詭弁的。そもそも浄土真宗で般若心経を読まないのは「空の思想を体得せねば、と煮詰まってしまうのも良くない」からではないのですか?あなたが思ったこと(色)は条件反射に過ぎない(空)、というモデルで説明可能なケースが多いような気がします。今は昔に比べて語彙が増えたのです。煮詰まらずに済むのではありませんか?般若心経を解禁してもいいのではないのでしょうか?真宗は最終的な悟りも菊谷さんが言う「本当の安らぎ」とやらも求めてないのでは?阿弥陀如来は「草の葉一枚成仏しないうちは私も成仏しない」と誓ったお方です。その方にに帰依するということは、せめて他人が成仏できるようにできる限りお手伝いをさせていただこう、と誓って実行することではないのですか?それは、財布を拾って猫糞せず届けるとか、履物をそろえる、とか。そういうことを積み重ねていくとこの世が良くなる(極楽浄土になる)という。つまりは真宗の目的は「民度の底上げ」ではないんですか?到底納得がいかない説法でした。
私は自分が落ち着きたい時に般若心経を読経します。安心できますよ。
我が家は浄土真宗だったので般若心経を聞くことがずっと無かった理由が今、初めて良く分かり納得できました。ありがとうございました。
般若心経は、大般若経のダイジェスト版執着を離れ、成仏に導く内容内容が解らず、読誦するだけでも一定のご利益があります対し真宗では、般若経自体が凡夫には無理な事を説いてる、末法の世という事もあり、この世で執着を離れ悟りに至ろうとするのは所詮は無理阿弥陀如来の本願力に縋り、往生する事こそ、救いの道とされてます
般若心経より正信偈を読みましょうと言ってるだけで、般若心経を何故読まないかについては何も語ってないのでは?般若心経も読んでいいですよ、くらいの懐の深さを持ちましょうよ。
木原久枝と申します。いまロサンゼルスに住んでいます。菊谷さんもロスに住んでおられたということですね。15年前に亡くなった主人は浄土真宗の僧侶でした。いま改めて菊谷さんの講座を聞きながら浄土真宗を勉強しなおしております。ロスにいらっしゃることがありましたらぜひお目に掛かりたいです。講義を聞けば聞くほど、88歳になる自分の幸せ度があがり感謝しております。どの法話もとても勉強になります。ありがとうございます。
この方は浄土真宗ではなく、親鸞会ですよ
@@skg1747 親鸞会は浄土真宗の団体です、既成仏教の真宗の寺だけが、浄土真宗ではありません問題は仏教講座と称し、浄土真宗親鸞会の教えを説き勧めてる事です今回の動画では、般若心経よりも正信偈の方を勧める内容ですそれならば、浄土真宗親鸞会ときちんと名乗るべきでないと、仏教の総合講座だと誤解を招きます勿論それが目的でしょうね
かは
@@skg1747 貴方は、本願寺派や大谷派等の真宗連合に属する既成仏教の浄土真宗は真っ当な宗教で、親鸞会をヤバい新興宗教と考えてる様ですが、偏見による観念に過ぎないのではないですか?どれも浄土真宗ですよ
@@skg1747同じ事でせう
私は仏壇の前に座ったら、お経を読むのではなく、自分の言葉で感謝を述べるようにしています、おっしゃる通り、お経の意味も分からず唱えるよりも、仏様の生き様から学ぶ事の方が私は大切だと思います。
(2)NHKの講座で般若心経を知り、散歩がてら朗読し、暗誦しました。先生が仰る「魔除け」や「御利益」などに関連する文字はこれには無いように思います。
菊谷先生。深い素晴らしい仏教の教えをありがとうございました。🙏
親鸞会は賛否両論有るけど、教えを噛み砕いて現代人に解り易く解説するのは上手いですね。お経もただ唱えてるだけでは意味が無い。一般的なお坊さんも「今から唱えるお経にはこんな意味が有りますよ。では皆さんもご一緒に」くらいやったら良いと思います。仏教は死んだ人の弔いの為に有るのでは無く、今を生きる人の為の智慧だから。
やってますよ
勉強になりました。うちは浄土真宗で私たち家族もみんな般若心経は唱えてました。般若心経の内容はあまり理解していないですが、唱えると自身の気が若干生成されるので日々使ってます。私は浄土真宗ですが、日蓮宗のお経と神道を好んでます。どの宗派も人の幸せを願って作られたもので素晴らしいものだと思いますが、個人的には宗教は人を洗脳して金銭が支払われる仕組みが組み込まれているので好きじゃないです。私が大切にしているのは宗教ではなく、神様・仏様だけですね。
浄土で真言で日蓮やと?どこが宗教ぞおまえとこ?
昔、釈迦教団は、外見的には、乞食をして、生活してました。布施がないと、教団は、成り立たないし、坊さんも、生きていけません。やはり、賛同者の喜捨がないとやれません。
貴方の言うとうりですね、私もそう思います。人間の弱さにつけ込んで寄付やお布施を要求するのが今の宗教ですね神仏を信じましょう。
元は同じ。 お前呼ばわり@@tanishi7920
@@鳩田歩歩 さん喜捨といっても、賛同者がものすごく貧乏だったら布施をねだるわけにもいくまい。宗教者といえども、宗教以外で収入の途を得なければいけまい。浄土真宗はこのように考えて幼稚園を経営したりしているのではないか、と思っています。
むかし、私の檀家寺のご住職が私に向かってわたしの祖母の事を「おばあちゃんは本当の念仏者だ。どんなことにも南無阿弥陀仏とおっしゃる」と言ってくれましたが、その当時は私には何のことかさっぱりわかりませんでした。この年になり少しだけ解るようになり、自分には念仏者の血が受け継がれている事を誇りに、これから勉強したく思っております。
生まれた家が浄土真宗でした。やはり訳もわからず唱えるより、意味を知ることでより心からの深い理解に繋がることがわかりました。。今の私にとってとても必要なお話でした。ありがとうございました。
一見、浄土真宗の正信念仏偈は、般若心経より深い教えにも思えるでしょう悟りや成仏なんて所詮凡夫には自力では無理だから、阿弥陀仏に委ね、往生させて貰ってから成仏を目指せば良い罪の自覚と信心や感謝の気持ちさえあれば、現世では阿弥陀仏に丸投げで良いとする宗教ですよ
私には、むつかしい部分がありますが、お話を聞いているだけで元気になります。
いつも勉強になるお話を有り難うございます。私のご先祖様は浄土真宗だと父から聴いて参りました。曾祖母は南無阿弥陀仏をいつも唱えていたそうです。
わたしの実家は浄土真宗(東本願寺派)です。正信偈も般若心経も毎晩8時に家族全員で唱えるのが日課でした。床の間には父が書いた般若心経の掛け軸が掛かっています。
般若心経の「阿耨多羅三藐三菩提」を唱えていれば いつかレインボーマンになれるかと思いながら もう50年近くなりますが、まだまだです
般若心経は難しいですよ。あれは究極の内容です。あの内容が分かれば宇宙の全てが理解出来ますw。
インドの山奥に行って、再修行して下さい‼️🤐
その後に『レインボーダッシュ!〇〇の化身』と叫ばないからですよ。
@@susumubecak139 そこまで難しい内容とは思えないですが
浄土真宗の霊園に父母のお墓があります。一昨年に母親がなくなったときに、霊安室や自宅で不思議な音が聴こえました🎵その後も時々聴こえます。やはり魂とは存在するんだなと思いました。
そういうの、浄土真宗では原則対応してません対応出来る宗派のお寺や霊能者等をあたった方が良いかと
投稿日:令和4年2月8日。言われてみたら仰(おっしゃ)るとおりです。今からじっくり視聴させていただきますです。貴重な解説を有り難うございました。
浄土宗各派・時宗・融通念仏宗は般若心経を読誦し、そして時宗は神道の神々を尊崇しますよね。私は浄土宗の信徒ですが、妙法蓮華経如来寿量品・妙法蓮華経観世音菩薩普門品・延命十句観音経・般若心経・地蔵菩薩本願経嘱類品・舎利礼文などを日々代わるがわる読誦しお念仏をお唱えさせていただいてます。理由は御仏の法に優劣は無いと思っているからです。
「仏法に優劣は無い」・・・それは間違っています。中村元博士著作の原始仏典の解説書に於いてでも「川を渡った後までイカダを大事にかつぎ歩くような愚を犯してはならない」という例を引いて釈尊が劣る経を捨てるように教えておられます。衆生に説教するときには時と機根を考えることが大切なのであり、よく世間でも「人を見て法を説け」といわれます。釈迦の説いた仏典自体にも「この経は諸経の中で第一である」というような優劣をつける文言が釈尊の言葉として書かれています。天台大師は「法華は折伏にして権門の理を破す」といわれております。教法の優劣・浅深を正しく捉えることが宗教批判の原則です。第一、諸法無我というのは釈尊がインドのバラモン教で はびこっていた間違った生命の永遠性を打ち破る意味で「苦・空・無常・無我」を仏教創始の旗印として小乗教説法の時期に説いた教えですがこれが後に「常・楽・我・常」というまったく逆の説法を大乗仏教で打ち立てています。
@@aidahopoteto5723私は 無学なので深い意味はわからないです。それで日々において大きな功徳をいただいているのでそう信じてます。
@@aidahopoteto5723 釈迦出生の本懐は法華経です!法華経以前の教えは仮の教えです
@@藤原孝弘-n6p 天台大師も五時八教を立てて爾前権教を破折しています。そのことを前回にも「法華は折伏にして権門の理を破す」と申し上げました。権門とは仮の教えと云うことです。
犬鳴山さん、私もまったく同じ考えを持っていました。神さまに祈ってはダメとか、座禅のような雑修をしないとか、親鸞さんさんは、めんどくさいと思うのです。
分かり易い説明で良かったです。ありがとうございます。私の実家の宗教は、真言宗ですが葬式で般若心経を読経します。私は、凄く気に入ってます。親族を失った者に対する浅い慰めの言葉よりも常なる物が一切無い事を受け入れて頂く事だと思います。般若心経は、仏教の真髄と思いますが、何故否定するのかもう少し理由を知りたいです。
般若心経は修行僧の為のもの。親鸞上人の教えは、修行の縁に恵まれない衆生の為のものと理解しております。どちらも悟りに至る道を指し示すものではありますが、凡夫の身には般若心経は敷居が高いと感じます。私には浄土真宗のお経は分かりやすく、腑に落ちます。
般若心経は修行僧の為の物、特にそんな事はありません「一切は空だから執着を離れよ、楽になるから」そんなニュアンスの事が説かれてますねそして浄土真宗は、そんな事は凡夫には無理だから、執着心持ったままでも救って下さる阿弥陀仏を信仰しろ、と言ってます正信偈は、真宗を信じる事で、全ての人の極楽往生が決定してるから、安心して感謝の生活を送るべきという内容になってますねでもそれで、本当に問題ないでしょうか?亡くなった方は、本当にみんな往生してて、供養に拘る必要ないでしょうか?世の中には、明らかに霊現象や因縁からくる現象に悩ませられてる方もいます亡くなった方の供養を気にする人もいます浄土真宗では、そういった方に、本人の迷いによる物と断言します本当に正しい考え方だと思いますか?執着心、すなわち煩悩を無くして成仏なんて、凡夫には無理だから極楽往生してから、それを目指せば良い一理ありますが、それでも自分で出来る限りの事をする事に意味はあるのではないでしょうか?亡くなった方の供養や因縁浄化とかもそうです、「阿弥陀仏に全部任せれば良い、どうせ凡夫には完璧な事なんて出来るわけないから」この考え方も疑問です、阿弥陀仏を信仰してても、亡くなった方の供養は、出来る範囲でやるべきではないですか?
森羅万象、悉皆成仏全てのものを憐れみる事が仏法の教えでは。
尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
今日部下に切れる寸前までいきました。でも耐えた。先生の教え、哲学の教え。ありがたいです。ありがとうございます。
般若心経朝晩読むのが大変ですねと言いつつ、正信偈を朝晩読めという矛盾。釈迦は悟る事により苦しみや恐怖から解放されると説いているはず。私はタイにいますが、明らかに日本の仏教と目指しているものが違います。私にはいわゆる小乗仏教の方がしっくりきます。どの経を読もうが構いません。いかに悟るかです。
お釈迦様の仏教教えも、時の流れとともに宗派が別れ、どこかの国の様な宗教派閥争いにならない事を願う
今回の教えも繰り返し聞いて、よく理解することが大事であることがわかりました。最終的には信楽に到達することなのですね。
毎日、正信偈の御勤めをしています。意味が解る部分となかなか難しい部分と有ります🤔でもなんだか読んでる内に身体に染み込んで来るような気がして不思議です。親鸞聖人が解りやすくあげやすい様につくってくれた正信偈に感謝ですね🙇🙇🙇
仏教の始まりはシャカ様です他に有りません他に理由ずけずけしない、私は浄土新宗から真言宗に変わりました真言宗はすごい霊能力、祈願、邪気払いの現実を身を持って体験しました。私は密教真言宗の住職に死の直前で救われました朝3時に起き洞窟で修行されています
私が般若心経を唱える時には、常に御釈迦様から質問を投げかけられているつもりで唱えています。
菊谷先生 ありがとうございます。正信げ読ませていただきたいです🙏
ありがとうございます
意味より、無心で般若心経。神様仏様に感謝。
我が家の宗派は真言宗で、法事には、家族揃って意味も分からぬまま般若心経のお経を読んでいました。今回も尊いご法話ありがとうございます。
意味が分からないと功徳がない訳ではありませんが、出来れば知った方がいいですねくれぐれも、特定宗派の教えのみを一方的に聞かない方がいいです色々聞いて自分で判断する姿勢が大事です浄土真宗は確かに、日本最大の既成仏教宗派ですですが、決して日本仏教のスタンダードな教えではありませんこれも特定宗派に過ぎず、他宗派に比べ、かなり異端な教えである事も理解しましょう般若心経を読誦する宗派の考え方も参考にすべきかと
人の道はそれぞれ、真理への道もそれぞれです。浄土真宗も絶対ではありません。自分の真理探究の道に合う人と合わない人々が現実にいらっしゃいます。浄土真宗が確立して何百年を経ていますが、世界的な規模でみると、普遍性を獲得するにはまだまだです。他宗をみて自らの依り頼むものを比較して優れている、間違っている、劣っている、と批判してみることも大切ですが、一意専心、門徒であれば門徒として他を見ずに自らの学びと精進をこつこつつみ重ねることが大切だと思います。
そうは思いませんが?親鸞聖人が説いた「絶対他力」ですが、「天は自らを助けるものを助ける」という思想と同じだと思います。念仏も、阿弥陀如来に帰依する=せめて他人が成仏するのをお助けしようと誓い実行する=大乗仏教の真髄では?これはキリスト教の「汝の隣人を愛しなさい」と基本的に同じではないのでしょうか?世界的な規模で見ると普遍性を獲得していないと感じるのは、他の国々が大乗仏教的な考えではなくてよく言えば小乗仏教的、悪く言えば我田引水的な考えに支配されているからではないのでしょうか?そしてそれは、キリストの言葉にすら反しています。
善人になりたいわけで無し、浄土三部経とか知らなくても、むしろ知ろうとせずに南無阿弥陀仏を唱えれば良いんじゃないかしら。
ありがとうございます。大宇宙の法である真理という知識を本当の崩れない絶対の幸福になるための最高の智慧に変えるすべを教え説かれたお釈迦様と仏法、そしてそれをわかりやすく説かれた親鸞聖人とその聖教、そしてすべての全知識の皆様に感謝ですね。菊谷先生いつも本当にありがとうございます。自然法爾の念仏〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝
成程 素晴らしい教えです。 ありがとうございます。
11:25 あたりから論理が飛躍しています。イチャモンと言って良いぐらい論理的ではない般若心経の否定。この論法なら般若心経と正信偈の順序を入れ替えても成立するのでは。
良く分りました。どうも有難う。私は曹洞宗なので般若心経を良く覚えて唱えています。なぜ浄土真宗で使わないのか長らく不思議に思っていました。
禅宗は3つに分かれて曹洞宗/黄檗宗/臨済宗と言って、禅宗とい言う宗派は無いです!位置づけで言えば種類、禅宗は教化別伝といって教えは経文否定を言いながら経文を唱えている正に禅天魔の教え!以心伝心は禅宗の言葉
@@藤原孝弘-n6p 座禅はやりすぎると、身体の機能に障害を齎します、程々なら身体や頭脳に良い効果をもたらしますが仏陀の悟りのきっかけにもなった通り、何事もバランス感覚が大事だと思います元々シナでは曹洞宗が先で、そこから臨済宗が派生しましたが、日本では臨済宗が先に伝わり、その後に弟子だった方が曹洞宗を開いてますね黄檗宗も実は臨済宗の一派で、後から日本に伝わった宗派です個人的には臨済宗が親しみ易いです
インテリ向けの小乗仏教と、大衆向けの大乗仏教の関係は殆どの宗派にも当てはまり、真言宗と天台宗、浄土宗と浄土真宗、臨済宗と曹洞宗、日蓮宗と日蓮正宗となります。浄土真宗が般若心経を重視しないのは、空概念=悟りが大衆には難解だからで、それよりもシンプルに「ありのままの生き方」を説いた方が分かりやすいからです。ただし、「ありのまま」に任せることは、無理な抵抗や作為(執着)をしないという意味で勇気が要り、実は極めて難しいことなのです。😊
菊谷先生のユーチューブに出逢いーとても感動、有難う御座います!!今までのテーマは実に貴重なもの、
飛んで仕舞いました!! 未だ拝見してない物も沢山有ります。時間がある時ー見ていきたいと思います。先生のお話に心が~あらわれます!!有難う御座います!!
ありがとうございます🙏
すみませんがこの動画では、何故般若心経を読まないかの説明が全く分かりません。
続編があるのかな?正信偈を読めとか言ってるけど。
うちはお西です。確かに般若心経は唱えませんね、お西では。お葬式でも49日でも、七回忌でも般若心経は唱えたことも聞いたこともありません。其の理由が分からなかったんですが、これで理解できました。ありがとうございます。
単位所得と受験対策に特化したきらいのあった、学生時代の物理と数学。それらに納得できなかった自分の何かが氷解した、晴れ晴れとした気持ちまで湧いてきました。ありがとうございます。
真理がわかっても目の前の現実は変わりませんものね😅
先生、いつもありがとうございます。
般若心経も正信偈もよい勉強になります。我が身の安泰を求めての読経したり唱えたりするものではありません。父母を無くしてから、お仏壇に向かい正信偈を読み覚えました。浅学の身の上ですから、細かな意味は分かりかねますがその意は少し伝わってくる気がします。
般若心経はずっと前にみたことがありますが、浄土真宗の教えはよく知らないので、いまはよく聴聞しています。
今は末法の時代です!釈迦仏法に功徳は無い!念仏無限地獄幸せになれないです般若心経を読誦しても意味を無い!
浄土真宗の教えは阿弥陀如来を一心に信じて自分の心の悪(汚れた心)を改める事で阿弥陀如来の光に導かれて菩薩と昇華する事を言います。よく悪人をも救うと言われますが、仏教での⌈悪人⌋とは犯罪者では無くて自分の心を見つめて自分の中の悪(怒り、嫉妬、嘆き悲しみ、寂しさ)を知る事です、⌈自分はなんて悪人なんだろう、そんな自分をも阿弥陀如来は救って下さる⌋と言う有難い教えなんです
どうもありがとうございます。精進します。
どうもありがとう是巣の
ありがとうございました。(視聴メモ)★般若心経を浄土真宗で読まない理由とは1.ご利益がある(魔除け・悪霊退散)2.色即是空(諸法無我、固定不変の実体がない、因縁⇒果)真理だが?3.正信偈(正しい信心、絶対の幸福、信楽)智慧のない凡夫がありのままで救われる。
浄土真宗ですが般若心経読んでいます。
相変わらず素晴らしいです。ありがとうございます。
心経しんぎょう ですね。私は、真宗から真言宗へ宗旨替え(訳あって)しました。基は同じだと思います。
元は同じでも、教えは大きく違います
@@棺桶の錠-g4f そうは思いません。
@@kickoff8341 真言宗は、あらゆる仏様の力や手段を使って、願望成就や成仏に向わせる宗教ですが、浄土真宗は、阿弥陀如来のみの力と称名念仏を重要視します小難しい教えより、気になるのは、神仏とちゃんと繋がり、物事の成就に繋がるかと言う点では、完全に真言宗に軍配があがると思いますそして仏像や位牌やお墓の性根入れ性根抜きは、真宗には出来ませんよ一応お経を上げて、それらしき行為をしますが、それは他の宗派の真似をして誤魔化してるに過ぎませんあくまで儀式的な物ですそもそも霊の存在を否定してますし、当然そんな事が出来る様な修行はしてません更に、もし阿弥陀如来と関係ない仏様を拝む時でも、南無阿弥陀仏でOKとされてます全ての仏様は、阿弥陀如来から派生した物だからという、独自理論が根拠だからです阿弥陀経による阿弥陀仏の第十八願は、名号を唱える全ての信者を救うとは宣言してません、やはり条件付きです真宗は、その事を伏せて独自理論を説いてますそして本格的な供養や因縁浄化とかの厄介な案件では、真宗ではどうしようもないですそういった事を幾ら訴えても、真宗の教義により、故人は全て極楽往生しており、霊になって留まる事はありえない、だから供養等気にするな本人の気の迷い、インチキに騙されるなその一点張りです真宗の強みと言えば、他の宗派に比べて、手間や費用がかからない事ぐらいですもっともそれが重要視されて、日本最大の既成仏教宗派になりましたがつまり現代社会の価値観を味方につけ、大きくなった特殊な宗教といえます明治以後は、特にその傾向が強いですね
お釈迦様の教えはすべての仏法に存在しますネ。
父の葬儀の際に、浄土真宗大谷派と知りました。それ以降も、浄土真宗について模索する事なく般若心経写経しておりました。仏壇の引き出しの中に正心偈のお経見つけました。意味は分かりませんが読んでみたいと思います。浄土真宗では、他宗派のお経は、仏壇に入れておくのはタブーとされていました。仏壇から出した方が良いので しょうか?菊谷先生のRUclipsに出会えたご縁もあり、浄土真宗についての教えを学んでいけたらと思います。
疫病などで国家的危機に瀕したとき、科学、医療が未発達の当時仏教の経典とりわけ般若心経に救いを求めたという事は逆に言えば般若心経は素晴らしい経典だと私は思いますが?!
毎朝般若心経を唱えております。しかしながらその意味をわからぬままでいます。ただ自分に災いが訪れないようにという気持ちだけで唱えています。大変勉強になりました。繰り返しこの講座を聴いて勉強します。
般若心経はいわゆる、我々が五感で認識している物事は錯覚(空)であり、一時的に形を取ったもの(色)であるという万物の道理を説いたもので、ちょうど錯覚アートのように現代物理学、心理学、脳科学でも究明されていることで間違いではないですよ要するに諸行無常ですよと私生活ではあまりピンと来ない事象にもスポットを当てたお経なだけで、これも真理です誤解なきように
別に意味があるお経じゃないので大丈夫ですよ。旧訳は、阿弥陀経、法華経で有名な訳経僧鳩摩羅什。経題は「般若波羅蜜多明呪経」明呪がメインのお経であって、観音菩薩のくだりの意味はあまり深く問っていないです。それが、新訳、玄奘訳では明呪を心と訳してしまったがため、掴みがないというか、深みが増してしまったみたいです。玄奘の弟子、道昭(日本人)も口伝で是大神ー呪、是大明ー呪、と強調してぎゃーていぎゃーていの部分(明呪)を強調して読めと言っています。
門徒の坊さんが来た時以外なら、般若心経だろうが観音経だろうが、その他のお経や真言陀羅尼を呼んで構わないと思います意味は理解出来れば尚いいですが、読経や写経だけでもご利益はあります
生かじり仏教徒と自称しておりますが。般若心経は深いです。釈迦の教えの奥の奥と思っております。難しいと言うの違って宇宙の根源に到る教えなので頭で考える知識というものではなくて心の世界だと思います。さらに言うと感じる宇宙観とでも言えそうですね。心を研ぎすませましょう。楽しい仏教の世界を味わいたく思います。
@@susumubecak139 真宗が般若心経を否定する理由は、悟りを促す内容だからでしょう末法の世において、凡夫には無理な事を言ってると解釈だから阿弥陀如来にすがり、極楽に行ってから修行させて貰えば良いとでも完璧が無理でも、悟りに近づく努力は重要だと思いますけどね
門徒なのに、知らずに浄土宗の寺に行って写経してきました。自分の思っていたことが、全部書かれていました。自分オリジナルの考えだと思いこんでいたが、仏様の手のひらの中で踊っていた孫悟空でした。どうして、みんなわかってくれないかと、悩んでいたが、お釈迦様の権威にお縋りして、説法すればいいと、初めて、他力本願の意味が躰でわかりました。
動画Upありがとうございます。勉強になりました。ところで、タイトルの「般若心経を浄土真宗で読まない理由」について、どの部分(何分何秒あたり?)でお話いただいているのでしょうか?この動画の全体でということでしょうか?
ブッダの教えをどう捉えるか、お経もどれを主眼に置くのかによって解釈も違うし、文化、教養レベルによって理解度も違う。翻訳によっても時代によっても少しずつ変化して時代にあわせていく柔軟性も仏教は持っている。硬直化したイスラム教と比較すればよくわかる。一日中働き詰めの農家がお経を学習出来るほど暇じゃない。どんどん単純化、簡素化が進んでいくのは自然だと思う。浄土真宗はその様な進化の一つだと思う。とても自由度が高いけれど、要点は押さえてあると思う。お布施等のお金の流れや寺の上下関係など宗派で違いがあると聞いたが、そのあたりも知りたいです。
浄土真宗では般若心経を読まない、というのは間違いです。今の時代はたまたま読まれなくなりましたが、蓮如上人御存命のとき、石山本願寺にて読まれた記録があります。赤本が整備されて以降は今の勤行本にないだけで、蓮如上人はこれを「読むな」と言われたことは一度もありません。なぜならば、般若心経も最後はガーテー、ガーテーと浄土に誘うお経です。ただ庶民には難しかろうと思っておられたことでしょう。へんな先入観を持たない方がいいです。
ガテーガテーハラガテーハラソーガテーボウヂスバーファ(行こう、行こう、彼岸に行こう、さちあれ)だったみたいな気がします。
でも実際、大部分の真宗寺院では、般若心経は読みません表立った強い否定がないだけでは?他との論争を避ける傾向が強い宗派ですからね地域のニーズや慣習に合わせて、読む場合はあるでしょうでも般若心経は、悟りに導き成仏を促す内容のお経対し浄土真宗は、凡夫は現世での悟りや成仏を気にしなくて良い阿弥陀仏はそんなの関係なく、往生に導くからという教え教義に合わないお経をわざわざ唱える事は、当然好ましくないと考えてるでしょう
ガーテーから後半は後世になってから他の人に付け足された文言という認識です。そこから空気(匂い)が変わります。急に“それらしい”ことを言うので、逆に深遠さが薄まっております。
@@tenten0321 あれ、般若菩薩の真言なんだよね
ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてーはらそーぎゃーてーですけどね
抽象化すれば全てが簡単になります。具体化すれば全てが複雑で難しくなります。でも同じものを見て感じているはずなんです。
なるほど。真宗や浄土宗が般若心経を否定しているんじゃなくて、「凡夫には理解しがたい難しい真理」ということでこれを判りやすく説いた「浄土教」で人々を教え、救おうとしたというのは初めて納得いくお話しでありました。日蓮宗でも般若心経は扱わないように思いましたが、じゃあ日蓮宗ではなぜ?なんだろうな。
日蓮宗は「法華経こそ正しいのだ。他の経(般若経、阿含経、華厳経、浄土三部経、観音経などなど)あるが、法華経だけ知っていればいい。他の経を知ると迷う」という考えだからです。
なお「色即是空」ですが、「あなたが何かを見たり聞いたりして、心に思い描いた事(色)は、条件反射に過ぎない(空)」と現代の語彙を使って表現できると思います。これでかなりの部分が表現できるのではないかと思っています。時代が進むと、語彙は増えます。意味は限定的になりますがピンポイントで正確なイメージを掴むことが可能となります。
なーるほど!ありがとうございます。空=条件反射、これは腑に落ちる説明です。
阿弥陀様を前に浄土三部経を読む、というのはわかりました。それ以外の御経を読まない理由もわかりました。疑問があります。例えば観音様とか地蔵様を拝む、頼りたい凡夫である私。観音様なら観音経や延命十句観音経、だけどどうして観音様は阿弥陀様の脇仏なのに観音経は阿弥陀経じゃなくて法華経の中にあるんだろう?っていつも不思議に思っております。
父は浄土真宗で、雇われ坊主でしたが般若心経を読んでましたよ🤔
浄土真宗は佛説阿彌陀經を勉強をしました。浄土三部経も 取り入れてる寺院もありますね
詳しい説明有難ございます
お釈迦様の教えより、親鸞聖人の考え方の方が浄土真宗では重視していると言う事ですよね。人の数だけ考え方が異なるのでいろんな宗派に分かれるし、これからも分かれて増えるでしょう。
ありがとうございます!
「耳無し芳一」は小坊主では無くて琵琶法師ですよ。平家琵琶の演奏が上手いので滅亡した平家の亡霊に死の世界に連れていかれようとしたので全身にお経を書いて亡霊に連れていかれ無い様にしましたが耳にだけお経を書き忘れて耳だけ取られたのです。
上手な解説ありがとうございます!
動画(9:18あたり)で、ミロのビーナスは、エーゲ海に沈んでいたものを引き上げたものだと説明していますが、そうではありません。1820年にミロス島の土の中から発見されたものです。発見場所にプレートがあります。この動画の本筋ではありませんが、ご参考にしてください。
家は浄土真宗です、が般若心経を詠みます。ただ、何時も詠む訳では無いのでそう思われて居るのでしょうね。だから浄土真宗は般若心経を詠まないと言うのは正しくはありません。
菊谷先生宗派よって違いありますね宗派関する動画ありがとうございます凄く勉強になりましたご先祖様や日々感謝して生きる僕はそう思います個人的な意見です
色即是空 空即是色色:物質の素空:エネルギーE=mc2エネルギーをギュッと凝縮すると、質量・物質に為る。
歌ってくれないと、どれが、どのお経かわからないのが、自分として、悲しいです。。、うちのお寺さんは、良いお声なので、なんとなく、音程で、これはこれ、みたいな仏様へのお唱えの違いを理解してました。。。
子供のころから毎日。正信偈を唱和する家で育ちました。父は絶えず「南無阿弥陀仏」を唱える毎日で、亡くなるときまで唱えて、大往生でした。私自身は般若心経を知ってからは、そちらの方に心が向いて行きました。今でも、帰郷すると家の仏壇では正信偈を謳いはします。他力自力の相互関係の中で、自分には般若心経の方に魅せられました。 阿弥陀仏の救済を敢えて願うことなどぜす、ただ、「存在の本態」を識ることが自分の本望。色即是空、空即是色は存在と時間の本態の考え方と思っています。魂などあってもなくてもいい。真理の追求が自分の人生に課せられたもの。 佛教からはその参考になる一番重要な、「考え方」、つまり哲学としての智恵を拝借してはいます。
書き忘れましたが、般若心経の「色即是空」は「諸行無常」とは明らかに意味が違いますね。
うん。確かに違うね…でも諸行無常なんて言葉はこの動画の中に出てきてないのに何を言ってるんだい?恥ずかしい勘違いでどやるのは…見ているこっちが恥ずかしくなるから早く消しなさいね👍下のコメも日本語がおかしいよ。ちゃんと見た上できちんと人に伝えられる文章でコメントしようね👍
@@じんじん-u5f ごめんなさい。諸法無我でした。
@@弥勒ロイド いえいえ、こちらこそすみません。ちょっとキツイと言うか、嫌みっぽい言い回しをしてしまったかと反省しておりました。
@@じんじん-u5f いえいえ、間違いを指摘してくださって有難うございます。
浄土真宗ですので阿弥陀経を唱えます。 でも母親が般若心経も唱えていたいたので私が代わりに唱えてます。 ただ、変な霊がやってきます。 阿弥陀経ではやってきません。 昼間はきませんが夜になると来る場合があるので般若心経は主に明るいうちに唱えます。 どちらでもよいですが真剣に唱えると知らない霊までお礼してくる時がありました。 聞こえました。
経典は教科書の様なものでその内容に意味が有り、教えとして日々の生活、人生を改めて行く教本なんで有って唱えれば霊力が発動すると言うものではありません、だから亡くなった人に唱える時はその内容を頭の中で思いながら相手の成仏、あの世での幸せを願いながら、相手が迷わぬ様に教え唱える様にする事です
母子家庭で育った 私が19才の時 母は 私一人を残して自害しました母は私がまだ幼い時に 般若心経を教えました 般若心境が 貴方を救ってくれるそんな言葉を記憶しています。
菊谷先生いつもありがとうございますわたしも最初は般若心経から仏教に興味を覚えて「空」の思想を勉強しましたですか菊谷先生の講座を拝聴し親鸞聖人に深く傾倒するようになりました
明らかにそれまでの仏教経典にない、親鸞上人のオリジナル解釈の教えですけどね凡人(悪人)は悟りを得るのは難しいから、まず阿弥陀如来に極楽往生させて貰ってから、修行をすれば良いという阿弥陀仏の請願十八願には、名前を呼ぶ全ての者を救うとありますが、条件付きです浄土真宗では、その事を伏せてます般若経等で言われてる、一切は空という説は、執着を離れ悟りに至る道に導いてます確かに親鸞上人の言われてる様に、現実には一般人には難しい事かもしれませんですが、少しでもそれを目指す事が重要ではないでしょうか?それすら否定するのは、前向きな教えではないと思います阿弥陀仏信仰や称名念仏は否定しませんが、自戒の気持ちぐらいは持った方がいいし、先祖供養とかも出来る範囲ですべきだと思いますそれを自力だの阿弥陀仏への信心が足りないと考えるのはおかしいです
失礼します。お釈迦様が直接お話された(説法された)こと、お釈迦様が直接お書きになられたこと。それこそが仏教だと思います。それがどれだけ現在、残っているのか?それが知りたいです。仏教と呼ばれるもの全ては、十大弟子から始まり後世の方々が口伝や書写で伝承し続けてきたものですよね。お釈迦様の本当の本物の真意が、現在どれだけ伝わっているのか?大変興味があります。失礼しました。
般若心経であれ正信偈であれ、意味を知りたいと学ぶことはとても良いことだし、読経も習慣になるくらい自分のものにしましょう。そして大切なことはあなたの人生に活かすことです。別に無理に悟らなくてもいいのです。
私の家では先祖代々「浄土真宗大谷派」です。般若心経が浄土真宗ではお教えになっていなかった事を今回、菊谷先生のお話で初めて知りました。就きましては、「私を幸せにさせない5つの間違った常識」をお送り下さい。これからも良いお話をお聞かせ下さい。
ご解説ありがとうございます。知ることと信じることは違うし、言葉を変えるなら知識と智慧は別次元ということでしょうか?有るとか無いとか、そういうものを超えた世界に普遍の真実があるという…抽象的理解になってしまいましたが。
仰る通り、知識と知恵は全く違います。
般若心経は玄奘三蔵がサンスクリット語の発音をそのまま漢文に翻訳した文字もあって、他の哲学者や高僧によっては 唱えるだけでも良いとされている。宗派の違いがあるように考え方も人それぞれで仏教らしい。
意味を理解しなくてもご利益はありますが、理解すると尚良いと考えて下さい
観自在菩薩は自在なル菩薩を見ると、という意味!です!
@@えいたなくん 変な日本語だなw観察しながら、自在に姿を変える菩薩の意味じゃないのか?因みに菩薩とは、菩提薩埵の略
浄土真宗には般若心経に代わる正信偈があるのでそれを先に読みなさい 般若心経を読みたければその後読めばいい こんな理解ですが間違っていませんか 家が浄土真宗のため以前から不思議でした また十三仏様についても教えていただけませんか 浄土真宗での考え方
はい、正信偈をまず読んでいただければと思います。
般若心経より正信偈の方が優れてるという考え方だからです何故なら般若心経は、「一切は空だから執着を離れよ、その方が楽になる」とか末法の世の凡夫にはムリゲーな事を言ってるだから浄土三部経を奉じる開祖や七高僧を称え、真宗を拠り所にしましょうそしたら悟りに至らない罪業を抱えた凡夫でも、修行無しで極楽往生出来ますよ正信偈ってこういう内容ですつまり般若心経等のお経や、その他の行では、所詮救われないと言いたいのです十三仏は真言宗で成立した、亡くなった方が、成仏に至る過程を順番に助ける十三の仏様です一週間ごとの交代の四十九日、百日目、一周忌、それ以後の回忌法要の本尊になります宗派や寺により、基本の十三仏以外の本尊も加え、回忌法要が続く事もあります般若心経を唱える宗派で広まりました当然、浄土真宗とは関係ないので、お寺さんの前では祀らない方が無難です
よくわかりました。有難うございます。
佐保田鶴治大阪大学名誉教授の書かれた、「般若心経の真実」をお勧めいたします。般若心経が書かれた目的は、そのような般若の教えを説くためのものではないそうです。
何時も貴重なお話を有り難うございます。1つ疑問があるのですが、般若心経は大乗仏教の根本的経典だそうですが、一方でお釈迦様の教えそのものとも言われ、それなら小乗仏教ということになるので、矛盾を感じます。
よくわかりました。ありがとうございます。
般若心経は大切な経典ですし、般若心経に説かれる観自在菩薩は色々な経典の大事な部分に必ず現れ説かれます 阿弥陀来迎には観音様と勢至菩薩が付き添います 法華経には独立して観音経普門たぼんが説かれ、悟りの入口を必ず示して居ます其々の経典は全て一つの悟り色々な方向視点から説かれたものです おかしな例え話しは真意を歪めます 正信偈の『帰命無量寿如来』の真意をきちんと説かれた方が良いのではないですか
浄土真宗の人が、他の宗派とあまり対立しない理由は、ある程度色々知ってる人と論争をした場合、不利になるからです更に争わない事で、反社会性のない無難な教えであると印象付けする効果もありますお寺では阿弥陀仏を単独で祀り、仏壇の阿弥陀仏の脇侍は、親鸞上人と源空上人になってる為、観音菩薩や勢至菩薩の事を知らない方も多いですね他の一般宗派の基礎知識が殆どない方が多いです阿弥陀仏が全ての仏様の根源仏だから、どの仏様を拝む時も南無阿弥陀仏でOKとか、阿弥陀仏は信者を無条件で救うと阿弥陀経で宣言してるとか、独自理論が目立ちます間違いの証拠を突きつければ、簡単に論破可能な宗派ですですが、簡単で費用も他の宗派に比べかからない為、日本最大の既成仏教となっており、社会を味方に付けてしまってるのが、非常に厄介です
浄土真宗での教えの間違い·勘違いデノン即身仏ですが、実際の教えはこの身とこの世では親鸞自身が仏に迄の悟りが得られななかった為、せめて阿弥陀如来の本願にすがって浄土に生まれ変わってから最終的な涅槃の境地に至って仏に成る為に唱名すると云う事も余り知られていないようですね 私は、大まかには仏教信仰なので、余り各宗派を論破とかはしませんが、キリスト教などは教えそのものが元から破綻しているので諌めるかたちで論破はしますね ムスリムはキリスト教とは親戚宗教ですがイスラム教の聖典をムスリム信者が直接読むことは禁じられている為に、逆にコーランなどの内容を説いて信者として正しく教えを理解するように諭して居ます 日本では日本語の現代語訳から英語や各国語でのコーランなどが読めますからね 本当はもっと日本人に大乗仏典だけでなく、ジャータカ物語やスッタニパータや阿含経などの原初経典から大乗仏典)禅語録などを読み進めて貰うと、仏教に付いてより深く解ってもらえると感じて居ます 他にもベックや鈴木大拙氏の著書は必読ですね
@@354e2 亡くなった人がどういう境遇になるかは、自己責任生きてる側は、自分達が信仰を貫きながら、今の生活を前向きに生きれば良い亡くなった人の供養やら、前世とか家系の因縁とかに囚われる必要無しアブラハム系を始めとする、海外の宗教は殆どそうです教義を持たない土着信仰とかは別ですが、それで納得いかない現象の報告は、古今東西あります宗教と関係ない霊媒師やお祓い師も居れば、霊を否定してる宗教に属してるのに、何故かそういうのに対応してる専門家も居ますね日本の仏教宗派も多くは、霊の存在を否定してますが、実際は建前でしかない事が多いです教祖の代は否定してても、後からそうでなくなっていった物が多いです曹洞宗なんか、その代表でしょう
般若心経て、この現象界も見えない世界も同じと言えるけれども、でも異世界ですよと言ってますよね。それは「水波の例え」とか「金獅子の例え」とか言われてます。その理解は坊主や住職や段階によって違うけど、でも一緒にマントラを共に唱えましょう!というお経だと空海は解説しています。親鸞さんはメチャクチャ頭脳明晰だったようですが、なぜそれがわからなかったのでしょう、と私は思っています。
説明はいつもわかりやすいです。勉強になります。自分は只管打坐で指導をうけた呼吸法で天(浄土真宗なら阿弥陀様、キリスト教なら神)とつながれることを会得しました。南無阿弥陀仏を一心に唱える(息を吐く)ことで同じことが起きると思います。経典の内容は所詮方便、振り向かせる言葉や慰めでしかなく天や阿弥陀様につながれるとは思いません。一心不乱に唱える点では宗派は関係ないのではないかと思っています。繋がるまでは自力、繋がってからは本当の意味で他力を知り、自力も他力も楽しめれると思います。
すごいですね、でも浄土真宗の教義からはかけ離れた行為ですwやはりそういう修行をして、能力を得た人が居てこそ、救われる方も多いと思います絶対他力の哲学だけで、どうにもならない事は、実際には多いですから
@@棺桶の錠-g4f 思うに、親鸞さんは他力といいながら、自力を導き出していると推測します。只ひたすら南無阿弥陀仏と唱えるとは禅で只ひたすら息を吐いていくのと同じです。だだひたすら、座して呼吸するのは無味乾燥で体得は難しいけど、阿弥陀仏を念じ只ひたすら唱えることで同じ現象がおこると思います。デメリットはそれに御利益の欲の意識が天?阿弥陀仏?のエネルギーと繋がることを妨げてします可能性があるので純粋無垢に唱えることが親鸞流のコツであり、他力=自力であると思います。
@@ryukiaumori5090 臨済宗における「他力の中にも自力あり、その逆も然り」って事ですねそして浄土真宗は、曹洞宗と相通じる物があります要は黙々禅修行の、一向専修みたいな宗教ですから日本での曹洞宗開祖は、無茶苦茶厳しい人でしたただ、弟子を破門にした時のエピソードとか聞く限り、厳しいを通り越して、病的な感じがしなくもないです黄檗宗はまさに、臨済宗に阿弥陀信仰の称名念仏を取り入れた物ですね浄土真宗で一番気になるのは、亡くなった方の供養や、信心や念仏が無理な存在を救う方法が確立してない事です実際の処、独自哲学や一向専修の教えに背くとして、突き放してる様に思えてなりません霊体験や超常現象に対してもそうでしょう霊体験なんてした事ない人が、世の中大部分です社会を味方にして、心霊否定を多数決で押し切って来たのでしょうね某真理教の幹部だった人の入信きっかけなんかを聞くと、予知夢とかの体験が度々あったそうですでも周りにそれを訴えても、まともな対応はされなかった心霊否定や無神論主導の社会と、それに追従する既成宗教は宛にならないその中で超常現象を肯定してくれる宗教とかにたまたま出会ったから、そのままはまっていったんだと思う周りに的確な突っ込みが出来る人が居なかったんだろうね
@@棺桶の錠-g4f 開祖はそんなに厳しい人だったんですね!私はラッキーかも!? 山岡鉄舟が再建してくれた臨済禅のお寺ですが説教は無し、面倒見て下さった和尚さんは禅の塊みたいな人で、孤児としてずっと禅寺で育てられた人でした。読経と座禅と作務を淡々と繰り返します。その中で色々な気付きが有り的確ななアドバイスを絶妙なタイミングで頂けました。色んな人が預けられて来たり体験に来られますが、ズルするひとには厳しく、一生懸命やって失敗して笑われたりした時、人払いされ私にだけ知恵を授けて下さりました。厳しさの中に知恵とほのぼのとした愛情が有り、和尚と同じ空間で一緒に呼吸しているだけで幸せを感じたのを覚えています。XX真理教ですか、修行してる人は真面目な人が多いと思いますが、良い指導者に巡り会うのは難しい。良い縁を求める努力が必要です。天高く目指す幹を登るのは難しく、枝葉になるフルーツに引き寄せられそれ以上へ進化出来なくなることが多いと心して修行すべきと考えます。世の中、枝葉の芸術は数知れず有りますがいつでも手放して、幹に戻れる事が魂の進化に大切と心してます。霊と会話出来る人や見える人とご縁が有り、見えるようにしてあげましょうかと言われましたがお断りしました。必要な時が来れば自ずとそうなると思うからです。ただ向こうの世界から色々アドバイスを受ける中で気づいた事は、向こうの世界は過去未来現在が同時に見えていて、今と言う時間を捉える事が難しいようで、こちらの今とにズレがある。今と言う刹那は絶えず動いているからだとおもいます。そこを頭に置いて会話することが必要ですね!超能力も枝葉のフルーツですが、その源は何か何故かを見極めることが大切で、使える様になると自分が神になったと勘違いし、そこで魂の進化を止めないようにすることが大切と考えます。
@@ryukiaumori5090 超能力や霊感があると嘘をついて、人を惑わす詐欺師と、本当に力があるけど、低級霊が取り憑いたタイプの霊能者、世の中この二通りのインチキが居るのですが、大部分の人は、そこまでの発想に至らないようです①霊能者なんて全てインチキ②本物と偽物が居るこの2極に別れており、①のタイプは、そもそも心霊や神仏否定論者だったり、肯定は現実逃避の間違った教えと考える方が多いです②のタイプは、本物の力がある人に出会うと、人格者だと思いこんでしまい、全面的に信用する傾向の人が多い人格と能力は別であり、やり方や得意分野の差があります能力の程度だって個人差がありますが、そこまでの発想に行き着けない人が多い因みに仏教では、霊の存在を否定してるという説は、全体の教義をみれば、対機説法による方便てある事が判りますでもその方便の部分を、真実と受け取る宗派が厄介です霊や死後の世界の事を気にしてる場合じゃない人や、供養さえすれば良いと考える人への戒めの為の方便を、釈尊は霊や供養を否定してると受け取ってしまってるその代表の一つが、浄土真宗でしょう霊感等持たない、大部分の人の気休めに重点を置きすぎてるのです結果、問題解決からどんどん遠のいていった人は多いでしょう
般若心経、名前しか 知りませんでした。ありがとうございました。🙇♀️
般若心経の事をもっと知りたくなりました、
動画主は浄土真宗親鸞会の方なので、般若心経より正信偈を推す目的で、動画をアップしたんですけどねw般若心経を推す方の動画を見た方が、きちんとした解説されてると思います「仏教に学ぶ幸福論」というタイトル見ると、まるで特定の宗派に拘らない、仏教の総合講座かと思ってしまいますね、要注意です
お釈迦の教えは中国から日本に伝来するまでに、かなり尾ひれが付いた教えに変化している可能性が大きいと思います。
そもそも神様も無く「仏陀の境地に至るための教え」だったのにね。まぁでも宗教は解釈の変化・違いや後継者争いで分派するものなんで。
昔、末法思想というものが流行したことがあります。お釈迦様入滅後2000年後にそうなる、という思想が流行したのですが、修行しても悟りを得られなくなる理由というのは実は尾ひれを付けて仏教を説いた、各宗派の創始者に責任があるのでは?自分らが釈迦の教えとは違うことを説いてるから(阿弥陀如来に帰依すれば死後極楽に行けるなんて、釈迦は説いていない。もともと阿弥陀如来はヒンズー教の多数の神様の一柱です。)釈迦の説くことが伝わらくなったのでは?という疑問はあります。各宗派の創始者や伝承者が悪いのだが、それを逆に「末法の世」と言ってる。因果関係が逆、というイメージです。
尚、釈迦の教えそのものは「人生を楽に生きられるようになる哲学」という意味だったと思います。それを「悟り」と称していたと思います。が、浄土真宗の目指すところは民衆の底上げで、悟りではないような気がします。最終的な悟りに至るまで、大悟十八回、小悟数を知らず、と言います。大悟と小悟を可能な限り経験してもらおう、という所が目的かと。
浄土三部経が長過ぎるので親鸞がその三部経のエッセンスを纏めた正信偈を書いた。つまり、正信偈はお釈迦様では無くて親鸞聖人により書かれた親鸞経みたいなものですか。で、その正信偈なら短いので毎日読経しなさいと奨めるのなら、般若心経はもっと短いのだから、両方とも読経すれば良いのでは?つまり、浄土真宗においては何故般若心経を読経しないのかの根拠のある合理的説明としては説得力に欠けると、視聴していてそのような感想を持ちました。
『悪霊退散』はほんとにありますよ✨でも本当に毎日お務めで護摩して読経してというかたでないと力はないです。。肉を食って臭いのあるものを平気で食べてる人の言葉に力はないです。屁理屈ではないです。漢字は凄く考えられて無駄ではないですが当て字なので。
本日初めて拝聴致しました。60歳では有りますがまだまだ幼少です。一日一日学んで行きます。
(1)二つの語が結合した場合、後ろの語の語頭が濁音に変わる変音現象が日本語にはよくあるようです。ですから「心」と「経」なら「しんぎょう」と発音され、「草」と「花」なら「くさばな」、「本」と「尊」なら「ほんぞん」と濁るようです。
私は般若心経を読むとき五つの段落で読みます。空の世界、無の世界、功徳の世界、真言の世界、呪文です。まだまだ奥が深いです。
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。
peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
私は一様仏法の教学を持っています!一般の人が知っているのは経験と見た目知らない!間違った捉えかたをしている
間違いを教えちゃだめですよ。
@@藤原孝弘-n6p
釈迦の教え=日本仏教=浄土真宗
基礎知識のない人は、それを当然として受け入れてしまう
それが大問題です、日本仏教だけでも様々な宗派があり、決して浄土真宗が最もスタンダードな教えという訳じゃありません
むしろ他に比べ、異端な教義の宗派です
ただ日本最大の既成仏教宗派という事で、スタンダードで当り障りのない事を言ってる宗派だと思い混んでる人が非常に多い
そしてこの動画を配信した団体自体は、浄土真宗という伝統宗派の教えを説いてますから、新興宗教とは言えないかもしれません
だから一般の新興宗教とかに比べ、非常に勧誘がしやすい
富山県射水市に本部があります
@@風太-u7o
タイトル見ると、仏教宗派全体の見解による教えと誤解される、それが狙いなんだろうけど
「浄土真宗、親鸞に学ぶ幸福論」というタイトルなら、まだ誤解が余り無い
そして哲学や道徳的観念主体の方便の教えでは、霊的問題は解決しない
般若経の「色即是空」という思想を知っても安らぐことが無い、と断定しています。
断定してはいけない。まずここが詭弁的です。
次に、不安を煽っておいて「はい、だから浄土三部経」と、まるで出来が悪い洗剤の
コマーシャルのような構成です。浄土三部経を持ち出す流れも詭弁的。
そもそも浄土真宗で般若心経を読まないのは「空の思想を体得せねば、と
煮詰まってしまうのも良くない」からではないのですか?
あなたが思ったこと(色)は条件反射に過ぎない(空)、というモデルで
説明可能なケースが多いような気がします。
今は昔に比べて語彙が増えたのです。煮詰まらずに済むのではありませんか?
般若心経を解禁してもいいのではないのでしょうか?
真宗は最終的な悟りも菊谷さんが言う「本当の安らぎ」とやらも求めてないのでは?
阿弥陀如来は「草の葉一枚成仏しないうちは私も成仏しない」と誓ったお方です。
その方にに帰依するということは、せめて他人が成仏できるようにできる限り
お手伝いをさせていただこう、と誓って実行することではないのですか?
それは、財布を拾って猫糞せず届けるとか、履物をそろえる、とか。
そういうことを積み重ねていくとこの世が良くなる(極楽浄土になる)という。
つまりは真宗の目的は「民度の底上げ」ではないんですか?
到底納得がいかない説法でした。
私は自分が落ち着きたい時に般若心経を読経します。
安心できますよ。
我が家は浄土真宗だったので般若心経を聞くことがずっと無かった理由が今、初めて良く分かり納得できました。ありがとうございました。
般若心経は、大般若経のダイジェスト版
執着を離れ、成仏に導く内容
内容が解らず、読誦するだけでも一定のご利益があります
対し真宗では、般若経自体が凡夫には無理な事を説いてる、末法の世という事もあり、この世で執着を離れ悟りに至ろうとするのは所詮は無理
阿弥陀如来の本願力に縋り、往生する事こそ、救いの道とされてます
般若心経より正信偈を読みましょうと言ってるだけで、般若心経を何故読まないかについては何も語ってないのでは?般若心経も読んでいいですよ、くらいの懐の深さを持ちましょうよ。
木原久枝と申します。いまロサンゼルスに住んでいます。菊谷さんもロスに住んでおられたということですね。15年前に亡くなった主人は浄土真宗の僧侶でした。いま改めて菊谷さんの講座を聞きながら浄土真宗を勉強しなおしております。ロスにいらっしゃることがありましたらぜひお目に掛かりたいです。講義を聞けば聞くほど、88歳になる自分の幸せ度があがり感謝しております。どの法話もとても勉強になります。ありがとうございます。
この方は浄土真宗ではなく、親鸞会ですよ
@@skg1747
親鸞会は浄土真宗の団体です、既成仏教の真宗の寺だけが、浄土真宗ではありません
問題は仏教講座と称し、浄土真宗親鸞会の教えを説き勧めてる事です
今回の動画では、般若心経よりも正信偈の方を勧める内容です
それならば、浄土真宗親鸞会ときちんと名乗るべき
でないと、仏教の総合講座だと誤解を招きます
勿論それが目的でしょうね
かは
@@skg1747
貴方は、本願寺派や大谷派等の真宗連合に属する既成仏教の浄土真宗は真っ当な宗教で、親鸞会をヤバい新興宗教と考えてる様ですが、偏見による観念に過ぎないのではないですか?
どれも浄土真宗ですよ
@@skg1747同じ事でせう
私は仏壇の前に座ったら、お経を読むのではなく、自分の言葉で感謝を述べるようにしています、おっしゃる通り、お経の意味も分からず唱えるよりも、仏様の生き様から学ぶ事の方が私は大切だと思います。
(2)NHKの講座で般若心経を知り、散歩がてら朗読し、暗誦しました。先生が仰る「魔除け」や「御利益」などに関連する文字はこれには無いように思います。
菊谷先生。深い素晴らしい仏教の教えをありがとうございました。🙏
親鸞会は賛否両論有るけど、教えを噛み砕いて現代人に解り易く解説するのは上手いですね。お経もただ唱えてるだけでは意味が無い。一般的なお坊さんも「今から唱えるお経にはこんな意味が有りますよ。では皆さんもご一緒に」くらいやったら良いと思います。仏教は死んだ人の弔いの為に有るのでは無く、今を生きる人の為の智慧だから。
やってますよ
勉強になりました。うちは浄土真宗で私たち家族もみんな般若心経は唱えてました。般若心経の内容はあまり理解していないですが、唱えると自身の気が若干生成されるので日々使ってます。私は浄土真宗ですが、日蓮宗のお経と神道を好んでます。どの宗派も人の幸せを願って作られたもので素晴らしいものだと思いますが、個人的には宗教は人を洗脳して金銭が支払われる仕組みが組み込まれているので好きじゃないです。私が大切にしているのは宗教ではなく、神様・仏様だけですね。
浄土で真言で日蓮やと?どこが宗教ぞおまえとこ?
昔、釈迦教団は、外見的には、乞食をして、生活してました。
布施がないと、教団は、成り立たないし、坊さんも、生きていけません。
やはり、賛同者の喜捨がないとやれません。
貴方の言うとうりですね、私もそう思います。人間の弱さにつけ込んで寄付やお布施を要求するのが今の宗教ですね神仏を信じましょう。
元は同じ。 お前呼ばわり@@tanishi7920
@@鳩田歩歩 さん
喜捨といっても、賛同者がものすごく貧乏だったら布施をねだるわけにもいくまい。
宗教者といえども、宗教以外で収入の途を得なければいけまい。
浄土真宗はこのように考えて幼稚園を経営したりしているのではないか、と思っています。
むかし、私の檀家寺のご住職が私に向かってわたしの祖母の事を「おばあちゃんは本当の念仏者だ。どんなことにも南無阿弥陀仏とおっしゃる」と言ってくれましたが、その当時は私には何のことかさっぱりわかりませんでした。この年になり少しだけ解るようになり、自分には念仏者の血が受け継がれている事を誇りに、これから勉強したく思っております。
生まれた家が浄土真宗でした。やはり訳もわからず唱えるより、意味を知ることでより心からの深い理解に繋がることがわかりました。。今の私にとってとても必要なお話でした。ありがとうございました。
一見、浄土真宗の正信念仏偈は、般若心経より深い教えにも思えるでしょう
悟りや成仏なんて所詮凡夫には自力では無理だから、阿弥陀仏に委ね、往生させて貰ってから成仏を目指せば良い
罪の自覚と信心や感謝の気持ちさえあれば、現世では阿弥陀仏に丸投げで良いとする宗教ですよ
私には、むつかしい部分がありますが、お話を聞いているだけで元気になります。
いつも勉強になるお話を有り難うございます。私のご先祖様は浄土真宗だと父から聴いて参りました。曾祖母は南無阿弥陀仏をいつも唱えていたそうです。
わたしの実家は浄土真宗(東本願寺派)です。正信偈も般若心経も毎晩8時に家族全員で唱えるのが日課でした。床の間には父が書いた般若心経の掛け軸が掛かっています。
般若心経の「阿耨多羅三藐三菩提」を唱えていれば いつかレインボーマンになれるかと思いながら もう50年近くなりますが、まだまだです
般若心経は難しいですよ。あれは究極の内容です。あの内容が分かれば宇宙の全てが理解出来ますw。
インドの山奥に行って、再修行して下さい‼️🤐
その後に『レインボーダッシュ!〇〇の化身』と叫ばないからですよ。
@@susumubecak139
そこまで難しい内容とは思えないですが
浄土真宗の霊園に父母のお墓があります。一昨年に母親がなくなったときに、霊安室や自宅で不思議な音が聴こえました🎵その後も時々聴こえます。やはり魂とは存在するんだなと思いました。
そういうの、浄土真宗では原則対応してません
対応出来る宗派のお寺や霊能者等をあたった方が良いかと
投稿日:令和4年2月8日。
言われてみたら仰(おっしゃ)るとおりです。今からじっくり視聴させていただきますです。貴重な解説を有り難うございました。
浄土宗各派・時宗・融通念仏宗は般若心経を読誦し、そして時宗は神道の神々を尊崇しますよね。
私は浄土宗の信徒ですが、妙法蓮華経如来寿量品・妙法蓮華経観世音菩薩普門品・延命十句観音経・般若心経・地蔵菩薩本願経嘱類品・舎利礼文などを日々代わるがわる読誦しお念仏をお唱えさせていただいてます。理由は御仏の法に優劣は無いと思っているからです。
「仏法に優劣は無い」・・・それは間違っています。中村元博士著作の原始仏典の解説書に於いてでも「川を渡った後までイカダを大事にかつぎ歩くような愚を犯してはならない」という例を引いて釈尊が劣る経を捨てるように教えておられます。衆生に説教するときには時と機根を考えることが大切なのであり、よく世間でも「人を見て法を説け」といわれます。釈迦の説いた仏典自体にも「この経は諸経の中で第一である」というような優劣をつける文言が釈尊の言葉として書かれています。天台大師は「法華は折伏にして権門の理を破す」といわれております。教法の優劣・浅深を正しく捉えることが宗教批判の原則です。第一、諸法無我というのは釈尊がインドのバラモン教で はびこっていた間違った生命の永遠性を打ち破る意味で「苦・空・無常・無我」を仏教創始の旗印として小乗教説法の時期に説いた教えですがこれが後に「常・楽・我・常」というまったく逆の説法を大乗仏教で打ち立てています。
@@aidahopoteto5723私は 無学なので深い意味はわからないです。それで日々において大きな功徳をいただいているのでそう信じてます。
@@aidahopoteto5723 釈迦出生の本懐は法華経です!法華経以前の教えは仮の教えです
@@藤原孝弘-n6p 天台大師も五時八教を立てて爾前権教を破折しています。そのことを前回にも「法華は折伏にして権門の理を破す」と申し上げました。権門とは仮の教えと云うことです。
犬鳴山さん、私もまったく同じ考えを持っていました。
神さまに祈ってはダメとか、座禅のような雑修をしないとか、
親鸞さんさんは、めんどくさいと思うのです。
分かり易い説明で良かったです。ありがとうございます。私の実家の宗教は、真言宗ですが葬式で般若心経を読経します。私は、凄く気に入ってます。親族を失った者に対する浅い慰めの言葉よりも常なる物が一切無い事を受け入れて頂く事だと思います。般若心経は、仏教の真髄と思いますが、何故否定するのかもう少し理由を知りたいです。
般若心経は修行僧の為のもの。
親鸞上人の教えは、修行の縁に恵まれない衆生の為のものと理解しております。
どちらも悟りに至る道を指し示すものではありますが、凡夫の身には般若心経は敷居が高いと感じます。私には浄土真宗のお経は分かりやすく、腑に落ちます。
般若心経は修行僧の為の物、特にそんな事はありません
「一切は空だから執着を離れよ、楽になるから」
そんなニュアンスの事が説かれてますね
そして浄土真宗は、そんな事は凡夫には無理だから、執着心持ったままでも救って下さる阿弥陀仏を信仰しろ、と言ってます
正信偈は、真宗を信じる事で、全ての人の極楽往生が決定してるから、安心して感謝の生活を送るべきという内容になってますね
でもそれで、本当に問題ないでしょうか?
亡くなった方は、本当にみんな往生してて、供養に拘る必要ないでしょうか?
世の中には、明らかに霊現象や因縁からくる現象に悩ませられてる方もいます
亡くなった方の供養を気にする人もいます
浄土真宗では、そういった方に、本人の迷いによる物と断言します
本当に正しい考え方だと思いますか?
執着心、すなわち煩悩を無くして成仏なんて、凡夫には無理
だから極楽往生してから、それを目指せば良い
一理ありますが、それでも自分で出来る限りの事をする事に意味はあるのではないでしょうか?
亡くなった方の供養や因縁浄化とかもそうです、「阿弥陀仏に全部任せれば良い、どうせ凡夫には完璧な事なんて出来るわけないから」
この考え方も疑問です、阿弥陀仏を信仰してても、亡くなった方の供養は、出来る範囲でやるべきではないですか?
森羅万象、悉皆成仏全てのものを憐れみる事が仏法の教えでは。
尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
今日部下に切れる寸前までいきました。
でも耐えた。
先生の教え、哲学の教え。
ありがたいです。
ありがとうございます。
般若心経朝晩読むのが大変ですねと言いつつ、正信偈を朝晩読めという矛盾。
釈迦は悟る事により苦しみや恐怖から解放されると説いているはず。
私はタイにいますが、明らかに日本の仏教と目指しているものが違います。
私にはいわゆる小乗仏教の方がしっくりきます。
どの経を読もうが構いません。
いかに悟るかです。
お釈迦様の仏教教えも、時の流れとともに宗派が別れ、どこかの国の様な宗教派閥争いにならない事を願う
今回の教えも繰り返し聞いて、よく理解することが大事であることがわかりました。最終的には信楽に到達することなのですね。
毎日、正信偈の御勤めをしています。意味が解る部分となかなか難しい部分と有ります🤔でもなんだか読んでる内に身体に染み込んで来るような気がして不思議です。親鸞聖人が解りやすくあげやすい様につくってくれた正信偈に感謝ですね🙇🙇🙇
仏教の始まりはシャカ様です他に有りません
他に理由ずけずけしな
い、私は浄土新宗から真言宗に変わりました
真言宗はすごい霊能力、祈願、邪気払いの現実を身を持って体験しました。私は密教真言宗の住職に死の直前で救われました
朝3時に起き洞窟で修行されています
私が般若心経を唱える時には、常に御釈迦様から質問を投げかけられているつもりで唱えています。
菊谷先生 ありがとうございます。正信げ読ませていただきたいです🙏
ありがとうございます
意味より、無心で般若心経。神様仏様に感謝。
我が家の宗派は真言宗で、法事には、家族揃って意味も分からぬまま般若心経のお経を読んでいました。今回も尊いご法話ありがとうございます。
意味が分からないと功徳がない訳ではありませんが、出来れば知った方がいいですね
くれぐれも、特定宗派の教えのみを一方的に聞かない方がいいです
色々聞いて自分で判断する姿勢が大事です
浄土真宗は確かに、日本最大の既成仏教宗派です
ですが、決して日本仏教のスタンダードな教えではありません
これも特定宗派に過ぎず、他宗派に比べ、かなり異端な教えである事も理解しましょう
般若心経を読誦する宗派の考え方も参考にすべきかと
人の道はそれぞれ、真理への道もそれぞれです。浄土真宗も絶対ではありません。自分の真理探究の道に合う人と合わない人々が現実にいらっしゃいます。
浄土真宗が確立して何百年を経ていますが、世界的な規模でみると、普遍性を獲得するにはまだまだです。
他宗をみて自らの依り頼むものを比較して優れている、間違っている、劣っている、と批判してみることも大切ですが、一意専心、門徒であれば門徒として他を見ずに自らの学びと精進をこつこつつみ重ねることが大切だと思います。
そうは思いませんが?
親鸞聖人が説いた「絶対他力」ですが、「天は自らを助けるものを助ける」という思想と同じだと思います。
念仏も、阿弥陀如来に帰依する=せめて他人が成仏するのをお助けしようと誓い実行する=大乗仏教の真髄では?
これはキリスト教の「汝の隣人を愛しなさい」と基本的に同じではないのでしょうか?
世界的な規模で見ると普遍性を獲得していないと感じるのは、他の国々が大乗仏教的な考えではなくて
よく言えば小乗仏教的、悪く言えば我田引水的な考えに支配されているからではないのでしょうか?
そしてそれは、キリストの言葉にすら反しています。
善人になりたいわけで無し、浄土三部経とか知らなくても、むしろ知ろうとせずに南無阿弥陀仏を唱えれば良いんじゃないかしら。
ありがとうございます。大宇宙の法である真理という知識を本当の崩れない絶対の幸福になるための最高の智慧に変えるすべを教え説かれたお釈迦様と仏法、そしてそれをわかりやすく説かれた親鸞聖人とその聖教、そしてすべての全知識の皆様に感謝ですね。菊谷先生いつも本当にありがとうございます。自然法爾の念仏〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝
成程 素晴らしい教えです。 ありがとうございます。
11:25 あたりから論理が飛躍しています。イチャモンと言って良いぐらい論理的ではない般若心経の否定。この論法なら般若心経と正信偈の順序を入れ替えても成立するのでは。
良く分りました。どうも有難う。私は曹洞宗なので般若心経を良く覚えて唱えています。なぜ浄土真宗で使わないのか長らく不思議に思っていました。
禅宗は3つに分かれて曹洞宗/黄檗宗/臨済宗と言って、禅宗とい言う宗派は無いです!位置づけで言えば種類、禅宗は教化別伝といって教えは経文否定を言いながら経文を唱えている正に禅天魔の教え!以心伝心は禅宗の言葉
@@藤原孝弘-n6p
座禅はやりすぎると、身体の機能に障害を齎します、程々なら身体や頭脳に良い効果をもたらしますが
仏陀の悟りのきっかけにもなった通り、何事もバランス感覚が大事だと思います
元々シナでは曹洞宗が先で、そこから臨済宗が派生しましたが、日本では臨済宗が先に伝わり、その後に弟子だった方が曹洞宗を開いてますね
黄檗宗も実は臨済宗の一派で、後から日本に伝わった宗派です
個人的には臨済宗が親しみ易いです
インテリ向けの小乗仏教と、大衆向けの大乗仏教の関係は殆どの宗派にも当てはまり、真言宗と天台宗、浄土宗と浄土真宗、臨済宗と曹洞宗、日蓮宗と日蓮正宗となります。浄土真宗が般若心経を重視しないのは、空概念=悟りが大衆には難解だからで、それよりもシンプルに「ありのままの生き方」を説いた方が分かりやすいからです。ただし、「ありのまま」に任せることは、無理な抵抗や作為(執着)をしないという意味で勇気が要り、実は極めて難しいことなのです。😊
菊谷先生のユーチューブに出逢いーとても感動、有難う御座います!!今までのテーマは実に貴重なもの、
飛んで仕舞いました!! 未だ拝見してない物も沢山有ります。時間がある時ー見ていきたいと思います。先生のお話に心が~あらわれます!!有難う御座います!!
ありがとうございます🙏
すみませんがこの動画では、何故般若心経を読まないかの説明が全く分かりません。
続編があるのかな?
正信偈を読めとか言ってるけど。
うちはお西です。
確かに般若心経は唱えませんね、お西では。
お葬式でも49日でも、七回忌でも般若心経は唱えたことも聞いたこともありません。
其の理由が分からなかったんですが、これで理解できました。
ありがとうございます。
単位所得と受験対策に特化したきらいのあった、学生時代の物理と数学。それらに納得できなかった自分の何かが氷解した、晴れ晴れとした気持ちまで湧いてきました。ありがとうございます。
真理がわかっても目の前の現実は変わりませんものね😅
先生、いつもありがとうございます。
般若心経も正信偈もよい勉強になります。
我が身の安泰を求めての読経したり唱えたりするものではありません。
父母を無くしてから、お仏壇に向かい正信偈を読み覚えました。
浅学の身の上ですから、細かな意味は分かりかねますがその意は少し伝わってくる気がします。
般若心経はずっと前にみたことがありますが、浄土真宗の教えはよく知らないので、いまはよく聴聞しています。
今は末法の時代です!釈迦仏法に功徳は無い!
念仏無限地獄幸せになれないです
般若心経を読誦しても意味を無い!
浄土真宗の教えは阿弥陀如来を一心に信じて自分の心の悪(汚れた心)を改める事で阿弥陀如来の光に導かれて菩薩と昇華する事を言います。よく悪人をも救うと言われますが、仏教での⌈悪人⌋とは犯罪者では無くて自分の心を見つめて自分の中の悪(怒り、嫉妬、嘆き悲しみ、寂しさ)を知る事です、⌈自分はなんて悪人なんだろう、そんな自分をも阿弥陀如来は救って下さる⌋と言う有難い教えなんです
どうもありがとうございます。精進します。
どうもありがとう是巣の
ありがとうございました。
(視聴メモ)
★般若心経を浄土真宗で読まない理由とは
1.ご利益がある(魔除け・悪霊退散)
2.色即是空(諸法無我、固定不変の実体がない、因縁⇒果)真理だが?
3.正信偈(正しい信心、絶対の幸福、信楽)
智慧のない凡夫がありのままで救われる。
浄土真宗ですが般若心経読んでいます。
相変わらず素晴らしいです。ありがとうございます。
心経しんぎょう ですね。私は、真宗から真言宗へ宗旨替え(訳あって)しました。基は同じだと思います。
元は同じでも、教えは大きく違います
@@棺桶の錠-g4f そうは思いません。
@@kickoff8341
真言宗は、あらゆる仏様の力や手段を使って、願望成就や成仏に向わせる宗教ですが、浄土真宗は、阿弥陀如来のみの力と称名念仏を重要視します
小難しい教えより、気になるのは、神仏とちゃんと繋がり、物事の成就に繋がるかと言う点では、完全に真言宗に軍配があがると思います
そして仏像や位牌やお墓の性根入れ性根抜きは、真宗には出来ませんよ
一応お経を上げて、それらしき行為をしますが、それは他の宗派の真似をして誤魔化してるに過ぎません
あくまで儀式的な物です
そもそも霊の存在を否定してますし、当然そんな事が出来る様な修行はしてません
更に、もし阿弥陀如来と関係ない仏様を拝む時でも、南無阿弥陀仏でOKとされてます
全ての仏様は、阿弥陀如来から派生した物だからという、独自理論が根拠だからです
阿弥陀経による阿弥陀仏の第十八願は、名号を唱える全ての信者を救うとは宣言してません、やはり条件付きです
真宗は、その事を伏せて独自理論を説いてます
そして本格的な供養や因縁浄化とかの厄介な案件では、真宗ではどうしようもないです
そういった事を幾ら訴えても、真宗の教義により、故人は全て極楽往生しており、霊になって留まる事はありえない、だから供養等気にするな
本人の気の迷い、インチキに騙されるな
その一点張りです
真宗の強みと言えば、他の宗派に比べて、手間や費用がかからない事ぐらいです
もっともそれが重要視されて、日本最大の既成仏教宗派になりましたが
つまり現代社会の価値観を味方につけ、大きくなった特殊な宗教といえます
明治以後は、特にその傾向が強いですね
お釈迦様の教えはすべての仏法に存在しますネ。
父の葬儀の際に、浄土真宗
大谷派と知りました。
それ以降も、浄土真宗につ
いて模索する事なく般若心経
写経しておりました。仏壇の
引き出しの中に正心偈のお経
見つけました。意味は分かり
ませんが読んでみたいと思い
ます。浄土真宗では、他宗派
のお経は、仏壇に入れておく
のはタブーとされていました。
仏壇から出した方が良いので
しょうか?
菊谷先生のRUclipsに出会え
たご縁もあり、浄土真宗につ
いての教えを学んでいけたら
と思います。
疫病などで国家的危機に瀕したとき、科学、医療が未発達の当時仏教の経典とりわけ般若心経に救いを求めたという事は逆に言えば般若心経は素晴らしい経典だと私は思いますが?!
毎朝般若心経を唱えております。しかしながらその意味をわからぬままでいます。ただ自分に災いが訪れないようにという気持ちだけで唱えています。大変勉強になりました。繰り返しこの講座を聴いて勉強します。
般若心経はいわゆる、我々が五感で認識している物事は錯覚(空)であり、一時的に形を取ったもの(色)であるという万物の道理を説いたもので、ちょうど錯覚アートのように現代物理学、心理学、脳科学でも究明されていることで間違いではないですよ
要するに諸行無常ですよと
私生活ではあまりピンと来ない事象にもスポットを当てたお経なだけで、これも真理です
誤解なきように
別に意味があるお経じゃないので大丈夫ですよ。旧訳は、阿弥陀経、法華経で有名な訳経僧鳩摩羅什。経題は「般若波羅蜜多明呪経」明呪がメインのお経であって、観音菩薩のくだりの意味はあまり深く問っていないです。それが、新訳、玄奘訳では明呪を心と訳してしまったがため、掴みがないというか、深みが増してしまったみたいです。玄奘の弟子、道昭(日本人)も口伝で是大神ー呪、是大明ー呪、と強調してぎゃーていぎゃーていの部分(明呪)を強調して読めと言っています。
門徒の坊さんが来た時以外なら、般若心経だろうが観音経だろうが、その他のお経や真言陀羅尼を呼んで構わないと思います
意味は理解出来れば尚いいですが、読経や写経だけでもご利益はあります
生かじり仏教徒と自称しておりますが。般若心経は深いです。釈迦の教えの奥の奥と思っております。難しいと言うの違って宇宙の根源に到る教えなので頭で考える知識というものではなくて心の世界だと思います。さらに言うと感じる宇宙観とでも言えそうですね。心を研ぎすませましょう。楽しい仏教の世界を味わいたく思います。
@@susumubecak139
真宗が般若心経を否定する理由は、悟りを促す内容だからでしょう
末法の世において、凡夫には無理な事を言ってると解釈
だから阿弥陀如来にすがり、極楽に行ってから修行させて貰えば良いと
でも完璧が無理でも、悟りに近づく努力は重要だと思いますけどね
門徒なのに、知らずに浄土宗の寺に行って写経してきました。自分の思っていたことが、全部書かれていました。自分オリジナルの考えだと思いこんでいたが、仏様の手のひらの中で踊っていた孫悟空でした。どうして、みんなわかってくれないかと、悩んでいたが、お釈迦様の権威にお縋りして、説法すればいいと、初めて、他力本願の意味が躰でわかりました。
動画Upありがとうございます。勉強になりました。ところで、タイトルの「般若心経を浄土真宗で読まない理由」について、どの部分(何分何秒あたり?)でお話いただいているのでしょうか?この動画の全体でということでしょうか?
ブッダの教えをどう捉えるか、お経もどれを主眼に置くのかによって解釈も違うし、文化、教養レベルによって理解度も違う。翻訳によっても時代によっても少しずつ変化して時代にあわせていく柔軟性も仏教は持っている。硬直化したイスラム教と比較すればよくわかる。
一日中働き詰めの農家がお経を学習出来るほど暇じゃない。どんどん単純化、簡素化が進んでいくのは自然だと思う。
浄土真宗はその様な進化の一つだと思う。とても自由度が高いけれど、要点は押さえてあると思う。
お布施等のお金の流れや寺の上下関係など宗派で違いがあると聞いたが、そのあたりも知りたいです。
浄土真宗では般若心経を読まない、というのは間違いです。今の時代はたまたま読まれなくなりましたが、蓮如上人御存命のとき、石山本願寺にて読まれた記録があります。赤本が整備されて以降は今の勤行本にないだけで、蓮如上人はこれを「読むな」と言われたことは一度もありません。なぜならば、般若心経も最後はガーテー、ガーテーと浄土に誘うお経です。ただ庶民には難しかろうと思っておられたことでしょう。へんな先入観を持たない方がいいです。
ガテーガテーハラガテーハラソーガテーボウヂスバーファ(行こう、行こう、彼岸に行こう、さちあれ)だったみたいな気がします。
でも実際、大部分の真宗寺院では、般若心経は読みません
表立った強い否定がないだけでは?
他との論争を避ける傾向が強い宗派ですからね
地域のニーズや慣習に合わせて、読む場合はあるでしょう
でも般若心経は、悟りに導き成仏を促す内容のお経
対し浄土真宗は、凡夫は現世での悟りや成仏を気にしなくて良い
阿弥陀仏はそんなの関係なく、往生に導くからという教え
教義に合わないお経をわざわざ唱える事は、当然好ましくないと考えてるでしょう
ガーテーから後半は後世になってから他の人に付け足された文言という認識です。
そこから空気(匂い)が変わります。急に“それらしい”ことを言うので、逆に深遠さが薄まっております。
@@tenten0321
あれ、般若菩薩の真言なんだよね
ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてーはらそーぎゃーてーですけどね
抽象化すれば全てが簡単になります。具体化すれば全てが複雑で難しくなります。でも同じものを見て感じているはずなんです。
なるほど。真宗や浄土宗が般若心経を否定しているんじゃなくて、「凡夫には理解しがたい難しい真理」ということでこれを判りやすく説いた「浄土教」で人々を教え、救おうとしたというのは初めて納得いくお話しでありました。日蓮宗でも般若心経は扱わないように思いましたが、じゃあ日蓮宗ではなぜ?なんだろうな。
日蓮宗は「法華経こそ正しいのだ。他の経(般若経、阿含経、華厳経、浄土三部経、観音経などなど)あるが、法華経だけ知っていればいい。
他の経を知ると迷う」という考えだからです。
なお「色即是空」ですが、「あなたが何かを見たり聞いたりして、心に思い描いた事(色)は、条件反射に過ぎない(空)」と
現代の語彙を使って表現できると思います。
これでかなりの部分が表現できるのではないかと思っています。
時代が進むと、語彙は増えます。意味は限定的になりますがピンポイントで正確なイメージを掴むことが可能となります。
なーるほど!ありがとうございます。
空=条件反射、これは腑に落ちる説明です。
阿弥陀様を前に浄土三部経を読む、というのはわかりました。それ以外の御経を読まない理由もわかりました。疑問があります。例えば観音様とか地蔵様を拝む、頼りたい凡夫である私。観音様なら観音経や延命十句観音経、だけどどうして観音様は阿弥陀様の脇仏なのに観音経は阿弥陀経じゃなくて法華経の中にあるんだろう?っていつも不思議に思っております。
父は浄土真宗で、雇われ坊主でしたが般若心経を読んでましたよ🤔
浄土真宗は佛説阿彌陀經を
勉強をしました。浄土三部経も
取り入れてる寺院もありますね
詳しい説明有難ございます
お釈迦様の教えより、親鸞聖人の考え方の方が浄土真宗では重視していると言う事ですよね。
人の数だけ考え方が異なるのでいろんな宗派に分かれるし、これからも分かれて増えるでしょう。
ありがとうございます!
「耳無し芳一」は小坊主では無くて琵琶法師ですよ。平家琵琶の演奏が上手いので滅亡した平家の亡霊に死の世界に連れていかれようとしたので全身にお経を書いて亡霊に連れていかれ無い様にしましたが耳にだけお経を書き忘れて耳だけ取られたのです。
上手な解説ありがとうございます!
動画(9:18あたり)で、ミロのビーナスは、エーゲ海に沈んでいたものを引き上げたものだと説明していますが、そうではありません。1820年にミロス島の土の中から発見されたものです。発見場所にプレートがあります。この動画の本筋ではありませんが、ご参考にしてください。
家は浄土真宗です、が般若心経を詠みます。
ただ、何時も詠む訳では無いのでそう思われて居るのでしょうね。
だから浄土真宗は般若心経を詠まないと言うのは正しくはありません。
菊谷先生宗派よって違いありますね宗派関する動画ありがとうございます凄く勉強になりましたご先祖様や日々感謝して生きる僕はそう思います個人的な意見です
色即是空 空即是色
色:物質の素
空:エネルギー
E=mc2
エネルギーをギュッと凝縮すると、質量・物質に為る。
歌ってくれないと、どれが、どのお経かわからないのが、自分として、悲しいです。。、
うちのお寺さんは、良いお声なので、なんとなく、音程で、これはこれ、みたいな仏様へのお唱えの違いを理解してました。。。
子供のころから毎日。正信偈を唱和する家で育ちました。父は絶えず「南無阿弥陀仏」を唱える毎日で、亡くなるときまで唱えて、大往生でした。
私自身は般若心経を知ってからは、そちらの方に心が向いて行きました。今でも、帰郷すると家の仏壇では正信偈を謳いはします。他力自力の相互関係の中で、自分には般若心経の方に魅せられました。 阿弥陀仏の救済を敢えて願うことなどぜす、ただ、「存在の本態」を識ることが自分の本望。色即是空、空即是色は存在と時間の本態の考え方と思っています。
魂などあってもなくてもいい。真理の追求が自分の人生に課せられたもの。 佛教からはその参考になる一番重要な、「考え方」、つまり哲学としての智恵を拝借してはいます。
書き忘れましたが、般若心経の「色即是空」は「諸行無常」とは明らかに意味が違いますね。
うん。確かに違うね…でも諸行無常なんて言葉はこの動画の中に出てきてないのに何を言ってるんだい?恥ずかしい勘違いでどやるのは…見ているこっちが恥ずかしくなるから早く消しなさいね👍下のコメも日本語がおかしいよ。ちゃんと見た上できちんと人に伝えられる文章でコメントしようね👍
@@じんじん-u5f
ごめんなさい。
諸法無我でした。
@@弥勒ロイド
いえいえ、こちらこそすみません。ちょっとキツイと言うか、嫌みっぽい言い回しをしてしまったかと反省しておりました。
@@じんじん-u5f
いえいえ、間違いを指摘してくださって有難うございます。
浄土真宗ですので阿弥陀経を唱えます。 でも母親が般若心経も唱えていたいたので私が代わりに唱えてます。 ただ、変な霊がやってきます。 阿弥陀経ではやってきません。 昼間はきませんが夜になると来る場合があるので般若心経は主に明るいうちに唱えます。 どちらでもよいですが真剣に唱えると知らない霊までお礼してくる時がありました。 聞こえました。
経典は教科書の様なものでその内容に意味が有り、教えとして日々の生活、人生を改めて行く教本なんで有って唱えれば霊力が発動すると言うものではありません、だから亡くなった人に唱える時はその内容を頭の中で思いながら相手の成仏、あの世での幸せを願いながら、相手が迷わぬ様に教え唱える様にする事です
母子家庭で育った 私が19才の時 母は 私一人を残して自害しました
母は私がまだ幼い時に 般若心経を教えました 般若心境が 貴方を救ってくれる
そんな言葉を記憶しています。
菊谷先生いつもありがとうございますわたしも最初は般若心経から仏教に興味を覚えて「空」の思想を勉強しましたですか菊谷先生の講座を拝聴し親鸞聖人に深く傾倒するようになりました
明らかにそれまでの仏教経典にない、親鸞上人のオリジナル解釈の教えですけどね
凡人(悪人)は悟りを得るのは難しいから、まず阿弥陀如来に極楽往生させて貰ってから、修行をすれば良いという
阿弥陀仏の請願十八願には、名前を呼ぶ全ての者を救うとありますが、条件付きです
浄土真宗では、その事を伏せてます
般若経等で言われてる、一切は空という説は、執着を離れ悟りに至る道に導いてます
確かに親鸞上人の言われてる様に、現実には一般人には難しい事かもしれません
ですが、少しでもそれを目指す事が重要ではないでしょうか?
それすら否定するのは、前向きな教えではないと思います
阿弥陀仏信仰や称名念仏は否定しませんが、自戒の気持ちぐらいは持った方がいいし、先祖供養とかも出来る範囲ですべきだと思います
それを自力だの阿弥陀仏への信心が足りないと考えるのはおかしいです
失礼します。お釈迦様が直接お話された(説法された)こと、お釈迦様が直接お書きになられたこと。それこそが仏教だと思います。
それがどれだけ現在、残っているのか?それが知りたいです。
仏教と呼ばれるもの全ては、十大弟子から始まり後世の方々が口伝や書写で伝承し続けてきたものですよね。お釈迦様の本当の本物の真意が、現在どれだけ伝わっているのか?大変興味があります。失礼しました。
般若心経であれ正信偈であれ、意味を知りたいと学ぶことはとても良いことだし、読経も習慣になるくらい自分のものにしましょう。そして大切なことはあなたの人生に活かすことです。別に無理に悟らなくてもいいのです。
私の家では先祖代々「浄土真宗大谷派」です。般若心経が浄土真宗ではお教えになっていなかった事を今回、菊谷先生のお話で初めて知りました。就きましては、「私を幸せにさせない5つの間違った常識」をお送り下さい。これからも良いお話をお聞かせ下さい。
ご解説ありがとうございます。知ることと信じることは違うし、言葉を変えるなら知識と智慧は別次元ということでしょうか?有るとか無いとか、そういうものを超えた世界に普遍の真実があるという…抽象的理解になってしまいましたが。
仰る通り、知識と知恵は全く違います。
般若心経は玄奘三蔵がサンスクリット語の発音をそのまま漢文に翻訳した文字もあって、他の哲学者や高僧によっては 唱えるだけでも良いとされている。
宗派の違いがあるように考え方も人それぞれで仏教らしい。
意味を理解しなくてもご利益はありますが、理解すると尚良いと考えて下さい
観自在菩薩は自在なル菩薩を見ると、という意味!です!
@@えいたなくん
変な日本語だなw
観察しながら、自在に姿を変える菩薩の意味じゃないのか?
因みに菩薩とは、菩提薩埵の略
浄土真宗には般若心経に代わる正信偈があるのでそれを先に読みなさい 般若心経を読みたければその後読めばいい こんな理解ですが間違っていませんか 家が浄土真宗のため以前から不思議でした また十三仏様についても教えていただけませんか 浄土真宗での考え方
はい、正信偈をまず読んでいただければと思います。
般若心経より正信偈の方が優れてるという考え方だからです
何故なら般若心経は、「一切は空だから執着を離れよ、その方が楽になる」とか末法の世の凡夫にはムリゲーな事を言ってる
だから浄土三部経を奉じる開祖や七高僧を称え、真宗を拠り所にしましょう
そしたら悟りに至らない罪業を抱えた凡夫でも、修行無しで極楽往生出来ますよ
正信偈ってこういう内容です
つまり般若心経等のお経や、その他の行では、所詮救われないと言いたいのです
十三仏は真言宗で成立した、亡くなった方が、成仏に至る過程を順番に助ける十三の仏様です
一週間ごとの交代の四十九日、百日目、一周忌、それ以後の回忌法要の本尊になります
宗派や寺により、基本の十三仏以外の本尊も加え、回忌法要が続く事もあります
般若心経を唱える宗派で広まりました
当然、浄土真宗とは関係ないので、お寺さんの前では祀らない方が無難です
よくわかりました。
有難うございます。
佐保田鶴治大阪大学名誉教授の書かれた、「般若心経の真実」をお勧めいたします。般若心経が書かれた目的は、そのような般若の教えを説くためのものではないそうです。
何時も貴重なお話を有り難うございます。1つ疑問があるのですが、般若心経は大乗仏教の根本的経典だそうですが、一方でお釈迦様の教えそのものとも言われ、それなら小乗仏教ということになるので、矛盾を感じます。
よくわかりました。ありがとうございます。
般若心経は大切な経典ですし、般若心経に説かれる観自在菩薩は色々な経典の大事な部分に必ず現れ説かれます
阿弥陀来迎には観音様と勢至菩薩が付き添います
法華経には独立して観音経普門たぼんが説かれ、悟りの入口を必ず示して居ます
其々の経典は全て一つの悟り
色々な方向視点から説かれたものです
おかしな例え話しは真意を歪めます
正信偈の『帰命無量寿如来』の真意をきちんと説かれた方が良いのではないですか
浄土真宗の人が、他の宗派とあまり対立しない理由は、ある程度色々知ってる人と論争をした場合、不利になるからです
更に争わない事で、反社会性のない無難な教えであると印象付けする効果もあります
お寺では阿弥陀仏を単独で祀り、仏壇の阿弥陀仏の脇侍は、親鸞上人と源空上人になってる為、観音菩薩や勢至菩薩の事を知らない方も多いですね
他の一般宗派の基礎知識が殆どない方が多いです
阿弥陀仏が全ての仏様の根源仏だから、どの仏様を拝む時も南無阿弥陀仏でOKとか、阿弥陀仏は信者を無条件で救うと阿弥陀経で宣言してるとか、独自理論が目立ちます
間違いの証拠を突きつければ、簡単に論破可能な宗派です
ですが、簡単で費用も他の宗派に比べかからない為、日本最大の既成仏教となっており、社会を味方に付けてしまってるのが、非常に厄介です
浄土真宗での教えの間違い·勘違いデノン即身仏ですが、実際の教えはこの身とこの世では親鸞自身が仏に迄の悟りが得られななかった為、せめて阿弥陀如来の本願にすがって浄土に生まれ変わってから最終的な涅槃の境地に至って仏に成る為に唱名すると云う事も余り知られていないようですね
私は、大まかには仏教信仰なので、余り各宗派を論破とかはしませんが、キリスト教などは教えそのものが元から破綻しているので諌めるかたちで論破はしますね
ムスリムはキリスト教とは親戚宗教ですがイスラム教の聖典をムスリム信者が直接読むことは禁じられている為に、逆にコーランなどの内容を説いて信者として正しく教えを理解するように諭して居ます
日本では日本語の現代語訳から英語や各国語でのコーランなどが読めますからね
本当はもっと日本人に大乗仏典だけでなく、ジャータカ物語やスッタニパータや阿含経などの原初経典から大乗仏典)禅語録などを読み進めて貰うと、仏教に付いてより深く解ってもらえると感じて居ます
他にもベックや鈴木大拙氏の著書は必読ですね
@@354e2
亡くなった人がどういう境遇になるかは、自己責任
生きてる側は、自分達が信仰を貫きながら、今の生活を前向きに生きれば良い
亡くなった人の供養やら、前世とか家系の因縁とかに囚われる必要無し
アブラハム系を始めとする、海外の宗教は殆どそうです
教義を持たない土着信仰とかは別
ですが、それで納得いかない現象の報告は、古今東西あります
宗教と関係ない霊媒師やお祓い師も居れば、霊を否定してる宗教に属してるのに、何故かそういうのに対応してる専門家も居ますね
日本の仏教宗派も多くは、霊の存在を否定してますが、実際は建前でしかない事が多いです
教祖の代は否定してても、後からそうでなくなっていった物が多いです
曹洞宗なんか、その代表でしょう
般若心経て、この現象界も見えない世界も同じと言えるけれども、でも異世界ですよと言ってますよね。それは「水波の例え」とか「金獅子の例え」とか言われてます。その理解は坊主や住職や段階によって違うけど、でも一緒にマントラを共に唱えましょう!というお経だと空海は解説しています。親鸞さんはメチャクチャ頭脳明晰だったようですが、なぜそれがわからなかったのでしょう、と私は思っています。
説明はいつもわかりやすいです。勉強になります。
自分は只管打坐で指導をうけた呼吸法で天(浄土真宗なら阿弥陀様、キリスト教なら神)と
つながれることを会得しました。
南無阿弥陀仏を一心に唱える(息を吐く)ことで同じことが起きると思います。
経典の内容は所詮方便、振り向かせる言葉や慰めでしかなく天や阿弥陀様につながれるとは思いません。
一心不乱に唱える点では宗派は関係ないのではないかと思っています。
繋がるまでは自力、繋がってからは本当の意味で他力を知り、自力も他力も楽しめれると思います。
すごいですね、でも浄土真宗の教義からはかけ離れた行為ですw
やはりそういう修行をして、能力を得た人が居てこそ、救われる方も多いと思います
絶対他力の哲学だけで、どうにもならない事は、実際には多いですから
@@棺桶の錠-g4f 思うに、親鸞さんは他力といいながら、自力を導き出していると推測します。只ひたすら南無阿弥陀仏と唱えるとは禅で只ひたすら息を吐いていくのと同じです。だだひたすら、座して呼吸するのは無味乾燥で体得は難しいけど、阿弥陀仏を念じ只ひたすら唱えることで同じ現象がおこると思います。デメリットはそれに御利益の欲の意識が天?阿弥陀仏?のエネルギーと繋がることを妨げてします可能性があるので純粋無垢に唱えることが親鸞流のコツであり、他力=自力であると思います。
@@ryukiaumori5090
臨済宗における「他力の中にも自力あり、その逆も然り」って事ですね
そして浄土真宗は、曹洞宗と相通じる物があります
要は黙々禅修行の、一向専修みたいな宗教ですから
日本での曹洞宗開祖は、無茶苦茶厳しい人でした
ただ、弟子を破門にした時のエピソードとか聞く限り、厳しいを通り越して、病的な感じがしなくもないです
黄檗宗はまさに、臨済宗に阿弥陀信仰の称名念仏を取り入れた物ですね
浄土真宗で一番気になるのは、亡くなった方の供養や、信心や念仏が無理な存在を救う方法が確立してない事です
実際の処、独自哲学や一向専修の教えに背くとして、突き放してる様に思えてなりません
霊体験や超常現象に対してもそうでしょう
霊体験なんてした事ない人が、世の中大部分です
社会を味方にして、心霊否定を多数決で押し切って来たのでしょうね
某真理教の幹部だった人の入信きっかけなんかを聞くと、予知夢とかの体験が度々あったそうです
でも周りにそれを訴えても、まともな対応はされなかった
心霊否定や無神論主導の社会と、それに追従する既成宗教は宛にならない
その中で超常現象を肯定してくれる宗教とかにたまたま出会ったから、そのままはまっていったんだと思う
周りに的確な突っ込みが出来る人が居なかったんだろうね
@@棺桶の錠-g4f 開祖はそんなに厳しい人だったんですね!
私はラッキーかも!? 山岡鉄舟が再建してくれた臨済禅のお寺ですが説教は無し、面倒見て下さった和尚さんは禅の塊みたいな人で、孤児としてずっと禅寺で育てられた人でした。読経と座禅と作務を淡々と繰り返します。その中で色々な気付きが有り的確ななアドバイスを絶妙なタイミングで頂けました。
色んな人が預けられて来たり体験に来られますが、ズルするひとには厳しく、一生懸命やって失敗して笑われたりした時、人払いされ私にだけ知恵を授けて下さりました。厳しさの中に知恵とほのぼのとした愛情が有り、和尚と同じ空間で一緒に呼吸しているだけで幸せを感じたのを覚えています。
XX真理教ですか、修行してる人は真面目な人が多いと思いますが、良い指導者に巡り会うのは難しい。良い縁を求める努力が必要です。
天高く目指す幹を登るのは難しく、枝葉になるフルーツに引き寄せられそれ以上へ進化出来なくなることが多いと心して修行すべきと考えます。
世の中、枝葉の芸術は数知れず有りますがいつでも手放して、幹に戻れる事が魂の進化に大切と心してます。
霊と会話出来る人や見える人とご縁が有り、見えるようにしてあげましょうかと言われましたがお断りしました。必要な時が来れば自ずとそうなると思うからです。ただ向こうの世界から色々アドバイスを受ける中で気づいた事は、向こうの世界は過去未来現在が同時に見えていて、今と言う時間を捉える事が難しいようで、こちらの今とにズレがある。今と言う刹那は絶えず動いているからだとおもいます。そこを頭に置いて会話することが必要ですね!
超能力も枝葉のフルーツですが、その源は何か何故かを見極めることが大切で、使える様になると自分が神になったと勘違いし、そこで魂の進化を止めないようにすることが大切と考えます。
@@ryukiaumori5090
超能力や霊感があると嘘をついて、人を惑わす詐欺師と、本当に力があるけど、低級霊が取り憑いたタイプの霊能者、世の中この二通りのインチキが居るのですが、大部分の人は、そこまでの発想に至らないようです
①霊能者なんて全てインチキ
②本物と偽物が居る
この2極に別れており、①のタイプは、そもそも心霊や神仏否定論者だったり、肯定は現実逃避の間違った教えと考える方が多いです
②のタイプは、本物の力がある人に出会うと、人格者だと思いこんでしまい、全面的に信用する傾向の人が多い
人格と能力は別であり、やり方や得意分野の差があります
能力の程度だって個人差がありますが、そこまでの発想に行き着けない人が多い
因みに仏教では、霊の存在を否定してるという説は、全体の教義をみれば、対機説法による方便てある事が判ります
でもその方便の部分を、真実と受け取る宗派が厄介です
霊や死後の世界の事を気にしてる場合じゃない人や、供養さえすれば良いと考える人への戒めの為の方便を、釈尊は霊や供養を否定してると受け取ってしまってる
その代表の一つが、浄土真宗でしょう
霊感等持たない、大部分の人の気休めに重点を置きすぎてるのです
結果、問題解決からどんどん遠のいていった人は多いでしょう
般若心経、名前しか
知りませんでした。
ありがとうございました。🙇♀️
般若心経の事をもっと知りたくなりました、
動画主は浄土真宗親鸞会の方なので、般若心経より正信偈を推す目的で、動画をアップしたんですけどねw
般若心経を推す方の動画を見た方が、きちんとした解説されてると思います
「仏教に学ぶ幸福論」というタイトル見ると、まるで特定の宗派に拘らない、仏教の総合講座かと思ってしまいますね、要注意です
お釈迦の教えは中国から日本に伝来するまでに、かなり尾ひれが付いた教えに変化
している可能性が大きいと思います。
そもそも神様も無く「仏陀の境地に至るための教え」だったのにね。
まぁでも宗教は解釈の変化・違いや後継者争いで分派するものなんで。
昔、末法思想というものが流行したことがあります。
お釈迦様入滅後2000年後にそうなる、という思想が流行したのですが、修行しても悟りを得られなくなる理由というのは
実は尾ひれを付けて仏教を説いた、各宗派の創始者に責任があるのでは?
自分らが釈迦の教えとは違うことを説いてるから(阿弥陀如来に帰依すれば死後極楽に行けるなんて、釈迦は説いていない。
もともと阿弥陀如来はヒンズー教の多数の神様の一柱です。)釈迦の説くことが伝わらくなったのでは?
という疑問はあります。
各宗派の創始者や伝承者が悪いのだが、それを逆に「末法の世」と言ってる。因果関係が逆、というイメージです。
尚、釈迦の教えそのものは「人生を楽に生きられるようになる哲学」という意味だったと思います。
それを「悟り」と称していたと思います。
が、浄土真宗の目指すところは民衆の底上げで、悟りではないような気がします。
最終的な悟りに至るまで、大悟十八回、小悟数を知らず、と言います。大悟と小悟を可能な限り経験してもらおう、という所が目的かと。
浄土三部経が長過ぎるので親鸞がその三部経のエッセンスを纏めた正信偈を書いた。つまり、正信偈は
お釈迦様では無くて親鸞聖人により書かれた親鸞経みたいなものですか。で、その正信偈なら短いので
毎日読経しなさいと奨めるのなら、般若心経はもっと短いのだから、両方とも読経すれば良いのでは?
つまり、浄土真宗においては何故般若心経を読経しないのかの根拠のある合理的説明としては説得力に
欠けると、視聴していてそのような感想を持ちました。
『悪霊退散』はほんとにありますよ✨でも本当に毎日お務めで護摩して読経してというかたでないと力はないです。。肉を食って臭いのあるものを平気で食べてる人の言葉に力はないです。
屁理屈ではないです。
漢字は凄く考えられて無駄ではないですが当て字なので。
本日初めて拝聴致しました。60歳では有りますがまだまだ幼少です。一日一日学んで行きます。
(1)二つの語が結合した場合、後ろの語の語頭が濁音に変わる変音現象が日本語にはよくあるようです。ですから「心」と「経」なら「しんぎょう」と発音され、「草」と「花」なら「くさばな」、「本」と「尊」なら「ほんぞん」と濁るようです。
私は般若心経を読むとき五つの段落で読みます。空の世界、無の世界、功徳の世界、真言の世界、呪文です。まだまだ奥が深いです。