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聖德太子の(未然本紀、未来記)はずいぶん読みました。結論だけ言いますと、江戸時代が終わって明治になった1870年頃から200年後の東京を中心とした関東一帯に(火山灰のような物が降り注いで)、その為に交通手段が駄目になり、食品の輸送などもストップする事により大惨事を招き、大都市圏が消滅して行く話が聖德太子の予言です。ただし日本全土が滅びるとは予言されていません。日本の東京周辺が大災害に見舞われる予言で、その災害が起こるのは明治時代が始まった1870年から200年後の事ですから、2070年の前後あたりの年になります。その(火山灰)の原因は(富士山)だろうと聖德太子の予言書を読んで思いました。しかし、来年の2025年7月の海底噴火の予言とは、まったく関係は有りません。別物であると聖德太子の預言を詳しく調べれば分かる筈です。来年の7月のたつき諒さんの予言ではなく、東南海地震の延長線上に起こる災害のように感じました。聖德太子の最後は悲惨なのもので、亡くなったその日の内に埋葬されてしまいます。誰にも太子の遺体を見せたくないから、その日の内に埋葬した訳で、つまり暗殺でした。次の天皇の座を約束された方が、亡くなったその日に埋葬されてしまいました。そして聖德太子が天皇の座に着くはずだった地位に着いたのが、中大兄皇子の母と父でした。中大兄皇子は配下の中臣鎌足(後の藤原家初代の藤原鎌足)に命じて聖德太子と、太子が死亡する前日に太子の妻が毒殺されていますが、それも中臣鎌足が実行しました。そして聖德太子の一族は法隆寺で自害した事になつていますが、実際は中臣鎌足の配下の者の手により暗殺されたと言われます。つまり主人の中大兄皇子の一族の力で日本を収めさせようとしました。しかし中大兄皇子の両親は政治を行う才能が有りませんでした。母は2回、父は1回天皇の座に着いていますがその仕事ぶりは、例えばお城を建てる際に石で土台を作りますが、その石を組む段階で組んだ石がボロボロと崩れてしまい、まともに城ひとつも作れない無能な天皇だったと記録されています。そして中大兄皇子の一族は、歴史上に突然現れた中大兄皇子の兄なのか弟なのかもはっきりしない兄弟により滅ぼされてしまいます。聖德太子の一族を影で葬った罰かもしれませんね。中大兄皇子一族は呪われているような一族でした。その後は部下だった中臣鎌足に政権を奪われてしまう訳ですから。また、この頃の歴史をつづった藤原鎌足の息子らが編纂した日本書紀には、この間に起きた事柄が記載されていますが、その内容は改ざんが多く、信頼に値しないとの評価も多い事で知られています。また中臣鎌足・藤原鎌足には謎も多く、実は日本人ではなく朝鮮・百済の最期の王・豊璋ではないかとも言われます。鎌足が歴史に登場するのと同じ頃に、朝鮮百済の豊璋が日本に来た話もあり、また百済に帰る時にも鎌足は日本から姿を消しています。それ以外にも何度も朝鮮に行っていた話も残っています。生没年も614〜669年とも言われますが、日本書紀や藤原家の文献には生没年がはっきり明記されていません。日本人か、朝鮮人だったのか?合戦になると部下よりも先に逃げた意気地なしと言われる鎌足は、謎多き人ですね。私は聖德太子の方が遥かに崇高で好きですが。ご返信を頂いた皆様に心よりお礼を申し上げます。聖德太子の時代は複雑すぎる人間関係を調べるにしても、それが正しい文献なのか分からずに苦労しました。こんな私の文書を読んで頂き、ありがとうございました😊
なんか現代のお皿とAの宮1族が浮かんでしまいました〜😂
中大兄皇子にしても実は生年が曖昧なんですよね。日本書紀では626年ですが北畠親房が記した神皇正統記では614年となっています。(とんでも説の域を出ないけれどこの部分から中大兄皇子と藤原鎌足が同一人物説を唱える人もいます。)そして、大海人皇子こと後の天武天皇こそ聖徳太子の末子であり、太子没後623年に生まれた遺児という説もある様です。(個人的にこの説は50%位信憑性があると考えます。)話は戻りますが現存する日本書紀は室町時代の写本で720年に完成した原本は行方不明です。その間に改竄が全く無かったとは言い切れません。現存している日本書紀の内容も完成当時の720年のものとどこまで同じなのかすら調べられない状態と聞いています。
続きです。千葉県にはとある蘇我氏の末裔を名乗る方がいらっしゃいます。その方は匿名でブログを運営なさっている上に私自身も面識が無いためお名前も性別も存じません。でも非常に興味深い事をブログの中で仰せでした。「蘇我氏は聖徳太子と天武天皇の乳人(事実上の育ての親)を勤めており太子の一族を〇してなどいない。むしろ忠臣として太子の一族を支えていた。真犯人は中臣を背乗りして乗っ取った藤原鎌足の父親と鎌足親子と亡命百済王族。」「蝦夷は太子の死後生まれた大海人皇子を助け出して入鹿と共に育てたけれど蝦夷・入鹿親子も亡命百済王族と藤原氏にクーデターで暗〇されてしまった。壬申の乱は大海人皇子が亡き父親と親代わりだった蘇我氏の仇を取るための戦いだった。」との事です。
私は全然詳しくないのですが、日本書紀より古事記の方が正確と聞いた事があります。😮
確かに法隆寺は聖徳太子一族の怨念を鎮めるための寺であると「隠された十字架」梅原猛著に記述されています。
6世紀の頃の人物って、予言者の中でもわりかし初期?の方なのかしら。やっぱ未来を知ることを、人は昔から欲していたんですね。投稿お疲れ様でした。聖徳太子の五千円、一万円が一番お札らしいお札、重厚感あって好きです^^
いつもコメントありがとうございます(^^)私も聖徳太子の1万円札好きでしたねーwなんか神なのにズシっていう重量感というか、しっかり感がありましたよねw聖徳太子はいなかったという話も多いですが、個人的にはなんか寂しいなとw別にいたってことで全然構わないし、それよりもっと違う歴史のウソを修正して欲しいなと思いますね(笑)
1万円札の人が厩戸王って言われてもピンとこないですよね😅1万円札はやはり聖徳太子でないとね。で、法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮めるお寺とは知りませんでした。怨霊などは神社で祀るのが主ですよね。今回も興味深い内容でありがとうございました。
いつもご視聴頂き有難うございます(^^)聖徳太子が教科書から消えるというのは何とも寂しい話ですw個人的には、いつの時代も1万円札は聖徳太子でいいと思ってます(笑)
聖徳太子様が、アカシックレコードにアクセス出来たなら、何故自分の運命を変えられなかったのか。ましてや呪いなど残すのか、色々と謎が残りますね。
これ、いつも思うんですよねー。アカシックレコードにアクセスして、預言者として『ドヤァ』って言うのはいいんですが、結局それだけやん(笑)と。せっかくアクセスできるなら、それを還元してくれーと思う訳ですよwで、そういう人が政治家になって欲しいですね(笑)
未来を予見していたので、一七条の憲法、「和を以って尊しとなす」と最初に定めたのです。人の運命とはそういう物なのではないでしょうか。
中学の修学旅行で法隆寺行った時に何故かスマホ使ったのがバレて先生怒られた人を沢山見かけた気がする……
今は日月神事でしょう。
予言と預言は全く違うものですよ。
楠正成のエピソードを聞いただけで笑いながら聞いとけというメッセージが明らかだからな、疑問に思ったらその時代を調べ直す事。
お二人様、動画🎥配信お疲れ様でございます❤
いつもコメントありがとうございます(^^)投稿の励みになっておりますwまたこれからも動画見て下さいねーm(__)m
夢殿にも秘密が有りますよね。
日本地図は、伊能忠敬以前にもありました。彼によって正確な測量による海岸図ができただけですね。江戸時代の写本の話ですが、写本という技術は色々議論を呼んでいますよね。同じ時代に作られた写本でも、微妙に内容が異なっていたり、これは写本なんだ!それより古いものがあった証拠だ!とか叫んでみたり。まぁ、都市伝説好きとしては、そこが面白かったりしますが。今後も楽しみにしております!
いつもコメントありがとうございます(^^)写本の歴史を調べると面白いですねw死海文書やエノク書なんかだと、原本を超えるような記述があって、もはやこれが原本なのでは?みたいなものもありますねw日本は圧倒的に識字率が高かった訳ですから、写本もたくさんありますし、それだけで動画投稿ネタが出来そうですねww
当時、世界の地理を理解してたりアカシックレコードにアクセス出来たなら、日本のために資源の豊富な北米大陸やオーストラリア大陸を開拓したり、医療技術を発展させたり出来ただろうに。蝦夷地すら開拓してないのは疑問しかない。
時間は流れてると考えるのがふつうですが、全ての物事が同時に存在してるという理屈なら予言もできるんですよね。脳内で時空をスライドすればいいだけですから。聖徳太子だけではなく色んな預言者が世界に点在してるのはそういう事だろうと思います。アカシックレコードは人類の想像の集合体だと考えると人類滅亡の未来も回避する未来も全て収納されているはずですから、それを読んでいたのかもしれません。然し、人間は人格をもってこの世界に出るので聖徳太子という人物がそのどちらともにアクセスしていたとしても人格の外に出るような予想は不可能だったと思います。聖徳太子という材料の中で最大限世界を表現されたのだろうと思います。これはアーティストが全員やっていることなのですが、政治家の子孫なのにアーティストというDAIGO的なポジにいたのですごく目立ったのではないのだろうかという大真面目に予測します。こういう話って楽しいですよね。
未来記…四天王寺辺りに埋まってたりして…
近年、教科書で「聖徳太子」を「厩戸王」として蔑む教育が進行していることに危機感を感じています。現在において未来の日本人の誇りを奪いたい勢力がいるものと推察します。もちろん「聖徳太子」というのは死後につけられた諡号です。伝えられている業績の全てが聖徳太子一人のものではないかも知れませんがそれくらい立派な人物が今から千四百年近く前の日本にいたことに誇りを持って欲しいと思います😊。
自然界が~爆発するの 地球温暖化もおきてるし めちゃくちゃになるのかな?お二人様どこに 逃げるんだよ
衝突太子…
予言なんて後付けで偶然でしか無いですので本気にしないで下さい。予言出来れば宝くじや競馬などで大儲け出来ますが該当者は現れません。
いやいや・・・・わいだって1万円札のイメージないぞw
日本の救世主候補、大事件と陰謀に巻き込まれお金もなく旦那候補はサイレント期間突入して嘆いてる説お金あったら直ぐにデビューできるんだが!
本当にいたのか?と言われているらしいです。
自分の息子の未来は、教えなかったのか?
聖徳太子って誰?
何歳?
@@marirink 62歳
教科書を作られている方とお見受けします。
聖德太子の(未然本紀、未来記)はずいぶん読みました。結論だけ言いますと、江戸時代が終わって明治になった1870年頃から200年後の東京を中心とした関東一帯に(火山灰のような物が降り注いで)、その為に交通手段が駄目になり、食品の輸送などもストップする事により大惨事を招き、大都市圏が消滅して行く話が聖德太子の予言です。ただし日本全土が滅びるとは予言されていません。日本の東京周辺が大災害に見舞われる予言で、その災害が起こるのは明治時代が始まった1870年から200年後の事ですから、2070年の前後あたりの年になります。その(火山灰)の原因は(富士山)だろうと聖德太子の予言書を読んで思いました。
しかし、来年の2025年7月の海底噴火の予言とは、まったく関係は有りません。別物であると聖德太子の預言を詳しく調べれば分かる筈です。来年の7月のたつき諒さんの予言ではなく、東南海地震の延長線上に起こる災害のように感じました。
聖德太子の最後は悲惨なのもので、亡くなったその日の内に埋葬されてしまいます。誰にも太子の遺体を見せたくないから、その日の内に埋葬した訳で、つまり暗殺でした。次の天皇の座を約束された方が、亡くなったその日に埋葬されてしまいました。そして聖德太子が天皇の座に着くはずだった地位に着いたのが、中大兄皇子の母と父でした。中大兄皇子は配下の中臣鎌足(後の藤原家初代の藤原鎌足)に命じて聖德太子と、太子が死亡する前日に太子の妻が毒殺されていますが、それも中臣鎌足が実行しました。そして聖德太子の一族は法隆寺で自害した事になつていますが、実際は中臣鎌足の配下の者の手により暗殺されたと言われます。つまり主人の中大兄皇子の一族の力で日本を収めさせようとしました。しかし中大兄皇子の両親は政治を行う才能が有りませんでした。母は2回、父は1回天皇の座に着いていますがその仕事ぶりは、例えばお城を建てる際に石で土台を作りますが、その石を組む段階で組んだ石がボロボロと崩れてしまい、まともに城ひとつも作れない無能な天皇だったと記録されています。そして中大兄皇子の一族は、歴史上に突然現れた中大兄皇子の兄なのか弟なのかもはっきりしない兄弟により滅ぼされてしまいます。聖德太子の一族を影で葬った罰かもしれませんね。中大兄皇子一族は呪われているような一族でした。その後は部下だった中臣鎌足に政権を奪われてしまう訳ですから。
また、この頃の歴史をつづった藤原鎌足の息子らが編纂した日本書紀には、この間に起きた事柄が記載されていますが、その内容は改ざんが多く、信頼に値しないとの評価も多い事で知られています。
また中臣鎌足・藤原鎌足には謎も多く、実は日本人ではなく朝鮮・百済の最期の王・豊璋ではないかとも言われます。鎌足が歴史に登場するのと同じ頃に、朝鮮百済の豊璋が日本に来た話もあり、また百済に帰る時にも鎌足は日本から姿を消しています。それ以外にも何度も朝鮮に行っていた話も残っています。生没年も614〜669年とも言われますが、日本書紀や藤原家の文献には生没年がはっきり明記されていません。日本人か、朝鮮人だったのか?合戦になると部下よりも先に逃げた意気地なしと言われる鎌足は、謎多き人ですね。私は聖德太子の方が遥かに崇高で好きですが。
ご返信を頂いた皆様に心よりお礼を申し上げます。聖德太子の時代は複雑すぎる人間関係を調べるにしても、それが正しい文献なのか分からずに苦労しました。こんな私の文書を読んで頂き、ありがとうございました😊
なんか現代のお皿とAの宮1族が浮かんでしまいました〜😂
中大兄皇子にしても実は生年が曖昧なんですよね。
日本書紀では626年ですが北畠親房が記した神皇正統記では614年となっています。(とんでも説の域を出ないけれどこの部分から中大兄皇子と藤原鎌足が同一人物説を唱える人もいます。)
そして、大海人皇子こと後の天武天皇こそ聖徳太子の末子であり、太子没後623年に生まれた遺児という説もある様です。(個人的にこの説は50%位信憑性があると考えます。)
話は戻りますが現存する日本書紀は室町時代の写本で720年に完成した原本は行方不明です。
その間に改竄が全く無かったとは言い切れません。
現存している日本書紀の内容も完成当時の720年のものとどこまで同じなのかすら調べられない状態と聞いています。
続きです。
千葉県にはとある蘇我氏の末裔を名乗る方がいらっしゃいます。その方は匿名でブログを運営なさっている上に私自身も面識が無いためお名前も性別も存じません。
でも非常に興味深い事をブログの中で仰せでした。
「蘇我氏は聖徳太子と天武天皇の乳人(事実上の育ての親)を勤めており太子の一族を〇してなどいない。むしろ忠臣として太子の一族を支えていた。真犯人は中臣を背乗りして乗っ取った藤原鎌足の父親と鎌足親子と亡命百済王族。」
「蝦夷は太子の死後生まれた大海人皇子を助け出して入鹿と共に育てたけれど蝦夷・入鹿親子も亡命百済王族と藤原氏にクーデターで暗〇されてしまった。壬申の乱は大海人皇子が亡き父親と親代わりだった蘇我氏の仇を取るための戦いだった。」との事です。
私は全然詳しくないのですが、日本書紀より古事記の方が正確と聞いた事があります。😮
確かに法隆寺は聖徳太子一族の怨念を鎮めるための寺であると「隠された十字架」梅原猛著に記述されています。
6世紀の頃の人物って、予言者の中でもわりかし初期?の方なのかしら。やっぱ未来を知ることを、人は昔から欲していたんですね。投稿お疲れ様でした。聖徳太子の五千円、一万円が一番お札らしいお札、重厚感あって好きです^^
いつもコメントありがとうございます(^^)
私も聖徳太子の1万円札好きでしたねーw
なんか神なのにズシっていう重量感というか、しっかり感がありましたよねw
聖徳太子はいなかったという話も多いですが、個人的にはなんか寂しいなとw
別にいたってことで全然構わないし、それよりもっと違う歴史のウソを修正して欲しいなと思いますね(笑)
1万円札の人が厩戸王って言われてもピンとこないですよね😅
1万円札はやはり聖徳太子でないとね。
で、法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮めるお寺とは知りませんでした。怨霊などは神社で祀るのが主ですよね。
今回も興味深い内容でありがとうございました。
いつもご視聴頂き有難うございます(^^)
聖徳太子が教科書から消えるというのは何とも寂しい話ですw
個人的には、いつの時代も1万円札は聖徳太子でいいと思ってます(笑)
聖徳太子様が、アカシックレコードにアクセス出来たなら、何故自分の運命を変えられなかったのか。ましてや呪いなど残すのか、色々と謎が残りますね。
これ、いつも思うんですよねー。
アカシックレコードにアクセスして、預言者として『ドヤァ』って言うのはいいんですが、結局それだけやん(笑)と。
せっかくアクセスできるなら、それを還元してくれーと思う訳ですよw
で、そういう人が政治家になって欲しいですね(笑)
未来を予見していたので、一七条の憲法、「和を以って尊しとなす」と最初に定めたのです。人の運命とはそういう物なのではないでしょうか。
中学の修学旅行で法隆寺行った時に何故かスマホ使ったのがバレて先生怒られた人を沢山見かけた気がする……
今は日月神事でしょう。
予言と預言は全く違うものですよ。
楠正成のエピソードを聞いただけで笑いながら聞いとけというメッセージが明らかだからな、疑問に思ったらその時代を調べ直す事。
お二人様、動画🎥配信お疲れ様でございます❤
いつもコメントありがとうございます(^^)
投稿の励みになっておりますw
またこれからも動画見て下さいねーm(__)m
夢殿にも秘密が有りますよね。
日本地図は、伊能忠敬以前にもありました。彼によって正確な測量による海岸図ができただけですね。
江戸時代の写本の話ですが、写本という技術は色々議論を呼んでいますよね。
同じ時代に作られた写本でも、微妙に内容が異なっていたり、
これは写本なんだ!それより古いものがあった証拠だ!とか叫んでみたり。
まぁ、都市伝説好きとしては、そこが面白かったりしますが。
今後も楽しみにしております!
いつもコメントありがとうございます(^^)
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日本は圧倒的に識字率が高かった訳ですから、写本もたくさんありますし、それだけで動画投稿ネタが出来そうですねww
当時、世界の地理を理解してたりアカシックレコードにアクセス出来たなら、日本のために資源の豊富な北米大陸やオーストラリア大陸を開拓したり、医療技術を発展させたり出来ただろうに。蝦夷地すら開拓してないのは疑問しかない。
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アカシックレコードは人類の想像の集合体だと考えると人類滅亡の未来も回避する未来も全て収納されているはずですから、それを読んでいたのかもしれません。
然し、人間は人格をもってこの世界に出るので聖徳太子という人物がそのどちらともにアクセスしていたとしても人格の外に出るような予想は不可能だったと思います。
聖徳太子という材料の中で最大限世界を表現されたのだろうと思います。これはアーティストが全員やっていることなのですが、政治家の子孫なのにアーティストというDAIGO的なポジにいたのですごく目立ったのではないのだろうかという大真面目に予測します。こういう話って楽しいですよね。
未来記…四天王寺辺りに埋まってたりして…
近年、教科書で「聖徳太子」を「厩戸王」として蔑む教育が進行していることに危機感を感じています。
現在において未来の日本人の誇りを奪いたい勢力がいるものと推察します。
もちろん「聖徳太子」というのは死後につけられた諡号です。
伝えられている業績の全てが聖徳太子一人のものではないかも知れませんがそれくらい立派な人物が今から千四百年近く前の日本にいたことに誇りを持って欲しいと思います😊。
自然界が~爆発するの 地球温暖化もおきてるし めちゃくちゃになるのかな?お二人様どこに 逃げるんだよ
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予言なんて後付けで偶然でしか無いですので本気にしないで下さい。
予言出来れば宝くじや競馬などで大儲け出来ますが該当者は現れません。
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本当にいたのか?と言われているらしいです。
自分の息子の未来は、教えなかったのか?
聖徳太子って誰?
何歳?
@@marirink
62歳
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