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子供の頃から映画とか観て…風防開けっ放しで飛んでるのが、とても不思議に思ってました。
視界の問題は風防のガラスやアクリルの成形技術に難があったからかもしれませんね。それよりも松本零士の40年以上経つ戦場まんがシリーズが兵器好きの共通言語として通用してることが感慨深かった。
全く同感😂
風防があると視界が遮られるけど、零戦以降は高々度戦闘にもなって来たのでパイロットへの寒さ対策も重要になって来ましたね。機体設計は各々で個性が出ますね。今の目で見れば『当時は何故こんな設計にしたんだろう?』と考えながら図面を読むと色々と見えて来ますよね。
日本はパイロットの意見に技術者が折れますが、bf109についてはR・ルッサーのデザインを社長のW・メッサーシュミットが押し通して、パイロット側が後方視界の悪さをカバーするロッテ戦法・シュバルム隊形・一撃離脱戦法を考え出した点が、両国の技術者の地位の違いを反映してますね。
Great job!! 👏👏👏👏
衝撃降下90度のお話しが出たところで、あの物語の主役、松本先生がデザインされたキ‐99を、架空機ではありますがぜひプラモ化していただきたいです!
円谷英二は、空を飛んで日本を守るこれを見てウルトラマンの色を決めたのかなー、と九六式を見る度に思う。
ちなみに堀越さんは自著で(十二試の時かな?)「これであと人の乗るとこと武装を外せば完璧な飛行機になるぞ!」とか言ってたw
ウルトラマンをデザインしたのは成田亨さんなので、円谷英二は関係ありません。
@@akasaka1816 監修に名前あるぞ?w
ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E4%BA%A8
零戦の試作機である12試艦戦もドーサルフィンなのか胴体後方の下に付いてますよね。ファインモールドさんの72セットを作っていてシルエットがずいぶん変わるなと。零戦になると水平尾翼の位置が上がったからかなくなりましたが。
十二試艦戦のフィンがなくなったのは、胴体を延長したため横安定が良くなったため不要になったという話も聞きますね😊
海軍の個艦優越主義ですね。ところで、零戦が落ち着けば、雷電やらないですか。確か、堀越さんは自分が作った飛行機では雷電が一番いい飛行機だったと言われていたとか読んだことがあります。ずんぐりした機体ですが、プラモで組むとめちゃめちゃかっこいいです。
戦車のイメージが強い社長。 軍用機にも強いですね😊流石‼️生粋のミリオタ😊。 急降下制限速度が低い『零戦』だけど、改良の度に改善されていて。 600㎞/hで空中分解したのは11型と21型の極初期だけですね。 それ以降は平気で制限速度を無視しまくって飛んでます😅。 もっとも、初期型のフラッター分解墜落のイメージが最前線のパイロットにも浸透していた様子で開戦初頭の米軍戦闘機との空戦の戦訓報告で『P-40の急降下性能大、550㎞/hを超えても降下を続けて追尾困難』としていて、制限速度が630㎞/hに改善された後も最前線のパイロットが零戦を労って急降下していたのが伝わります。 ですが、ガダルカナル島やソロモン諸島を巡る空戦ではP-39やP-40のパイロットが『ゼロはいつまでも急降下で追いかけて来た😰』『急降下で逃げたがゼロをなかなか振り切れなかった😱』とも報告されていますから。 この頃から、零戦は制限速度をある程度無視して空戦しています。 また、制限速度630㎞/hと言われる21型ですが、整備マニュアルには制限速度670㎞/hと記載されていますから。 生産途中かろ何らかの補強が実施された可能性もありそうです。 343空で紫電改の胴体が捩れる事故が数件発生したのは790㎞/hの制限速度を超えて急機動を加えた結果の事故でしたが。 事故の原因が制限速度オーバーである事、制限速度の厳守を技術者が説明したところ。 パイロットの反応は『零戦は制限速度を超えても壊れなかった🤔』と不満げな態度だったとか😅。 そこで、最終速度が零戦より高い紫電改は、飛行条件によっては亜音速に近いので云々と言っても『何?それ?🤔』と納得しなかったとか😅この事実から、少なくとも零戦22型以降の経験が大半のパイロットが主流の343空のパイロット達は、670㎞/hや740㎞/hの制限速度なんて無視していたのが解ります。 零戦は虚弱印象よりも頑丈だったとも言えます
同じようなコメント書きかけてました、流石。自分としてはこの急降下制限速度と言うのは引き起こし動作に対する十分な余裕を取った運用値であり超過即、分解リスクではないこと。630kmがかなり暫定的な運用だったらしいこと。P38やP47のような機体でも急降下制限はあり空中分解を起こしていたことなどを補足したいです。隼が実戦で空中分解、強度不足が露呈していたことは社長さん述べられている通りだし、343空のエピソードも英則様ご指摘の通り、紫電改も何度か空中分解を起こしていました。しかし零戦は41年7月の下川事故で対策以来、意外にも実戦での分解事故は報告されてませんね。SNSだと恣意的なアンチコメが湧いてくるのでたいへん僭越ながら念押しでした。
@@comete5d361 度々どうも😅。 対零戦対策で、アメリカ陸海軍のマニュアルに『零戦は持続して降下できない』のが弱点とされていますし、それを裏付けする様に『アクタンゼロ』も飛行テストで急降下性能が良くないと判定されています。 その結果から零戦に追われたら急降下が有効と通達した訳ですが。 まず第一に、零戦の補強対策後も日本海軍のパイロットが600㎞/hを超えない飛行を続けていた事。 実際に、急降下で逃げるアメリカ戦闘機を積極的に追いかけない描写も戦記でも記述されています。 この状況を体験したアメリカ軍パイロット達も『ゼロは急降下をすると追尾して来ない‼️』と噂が拡がります。 そこに『アクタンゼロ』の零戦の特性が通達される訳ですから『零戦→急降下性能低い』の根拠としてアメリカ戦闘機パイロットに浸透したと自分は想っています。 ここで注意するポイントは『アクタンゼロ』が『不時着した破損機体』だったこと。 再飛行するまでに修復をしたとは言え、裏返しになる程の『墜落機体』ですから、機体には相応のダメージが有ったのは確実ですから。 アメリカ海軍でのテスト飛行で『100%』の零戦21型の性能を発揮していたとは言えません。 実際に『アクタンゼロ』の最大速度は510㎞/h程度しか出せていませんし、急降下速度も測定数値が私の知る限りの情報では見た事がありません。 もしかしたら、破損修復機体なので許容過重制限をしていたと見るべきでしょう。 初期に体験したアメリカ軍パイロットの情報と不完全な『アクタンゼロ』から推定された性能情報から零戦21型は不当に急降下速度を低く思われてしまったのが真実ではないでしょうか? 逆に、零戦のパイロットは実戦が続くウチに『オヤ?600㎞/h超えたけど?何ともないぞ🤔』となって行ったのではないでしょうか?。 そうなると『零戦の急降下制限速度の630㎞/hまでなら大丈夫‼️なんなら、少しぐらい超過しても壊れんぞ😤』と強度不安が払拭されたとするとソロモン諸島で対峙したアメリカ陸海軍パイロットの『ゼロがいつまでも追尾してくる😱』に繋がっていったのではないか? アメリカ軍は諸条件が不幸に重なり『間違った認識』を流布してしまい、その間に、日本海軍パイロットは『零戦の本来の性能を理解して実戦に生かした』のが真相だと個人的には想っています。 もう1つ『隼』の存在があります、開戦から暫くの期間、米英軍パイロットは零戦と隼を区別できていなく、隼を零戦の武装違いの機体と認識していた節があります。 ご存知でしょうが、隼1型は、過度な軽量構造の為に、補強対策後も主翼が折れる墜落事故を実戦上でも発生させていて。 隼のパイロットは急降下速度を550㎞/h~600㎞/h以内に抑えて飛行しており、急降下で離脱する米英戦闘機の追尾には消極的でした。 隼に関しては、急降下性能が改善するのは隼2型が配備される1942年末以降になってからなので。 同一戦域で対戦した『隼1型』を『急降下して来ないゼロ』と誤認していた可能性も否定できません。
@@三浦英則 さま有難うございます。私もアクタンゼロの戦訓についてはまだ研究の余地があると思います。珊瑚海を戦った米海軍は既に「急降下で離脱すると追いかけてこない」という戦訓を持ち帰っていたりしますよね。それで私が着目するのは「急降下時マイナスGでエンジン停止」です。「栄」の優れた特徴の一つにどんな姿勢でも息継ぎしない、という新山氏らのキャブレター新機構があり零戦&隼の運動性優位を下支えしていたはずで、英則様ご指摘の通り、墜落時の破損を示唆する内容だと思ってます。その一方で高速時の補助翼の重さなどの過負荷を要しない分析なんかは正しかった。でも急降下限界は把握していない。そうして見ると米軍機が急降下で離脱するというのは、制限速度一杯のチキンレースに持ち込む、と言うよりも速度を稼いで高速域での運動性勝負に賭ける、といった側面もあったのかも知れませんね。あと「隼」の認識は全く同じです。そしてこの関係性は興味深いですね。長らくzeroとしてみなされたのも事実。そして零戦以上に強度不足に悩まされていたのも事実で、南方作戦へ投入した機材はほぼ100%消耗していた様子が戦史叢書に載っています、戦闘損失より消耗損失が大きいというF6Fのような現象。梅本書を見た感じだと改修に昭和18年半ばくらいかかっている様子で英則様と社長さんのご説を裏付ける形です。本来それぞれの機体に別個の対策を運用すべきところ両者混同され「急降下で逃げれば何とかなる」と言った形でごく簡易的に運用された可能性は十分あると思う次第です。
@@comete5d361 零戦21型の補助翼の重さは、日本海軍パイロットも認める程の重さで、330㎞/h付近から重くなり始め、全速飛行や急降下では『両腕でも動かない😰』と言われた代物でしたから。 零戦を飛ばしたアメリカ海軍のパイロットも直ぐに実感した事でしょう。 仰有る通りで、急降下チキンレース以上に、零戦の補助翼の重さを逆手に取った戦術だとも想います。 アメリカ陸海軍戦闘機は急降下速度でも補助翼の効きが比較的に良好でしたから、機体にムリが掛からない程度に補助翼を効かせれば、反対側にロールして離脱も可能だったでしょう。 しかし、追われるパイロットの心理はかなり焦っている状態でしょうから、急降下はしたけど一直線、あるいは一定方向への降下旋回を続けてしまう可能性も高いでしょうから。 そうなると、追う側である零戦は、急降下の過負荷 だけに注意して追撃できます。 これが『いつまでも追いかけてきた‼️』になるのでしょう。 手練れであれば、零戦の動きを見てロールを打てるでしょうが、中々できる事ではないですね。 かなり昔に読んだ戦記で、上空から一撃離脱を仕掛けてきたP-40の攻撃を辛くも回避。 追撃に移りましたが『急降下しながら信じられない急横転の連続と急旋回』で逃げたP-40の話しがあります。 こんな機動は、頑丈なアメリカ戦闘機ならではと言えますが、かなり無茶苦茶な飛行です😰。 アクタンゼロのレポートでマイナスGに弱いとされていますが。 どうやら、中島式気化器の修復が不完全だったと思われ、単純に『弱点』とされています。 整備マニュアルも無い状態での手探り作業でしょうから仕方ないですけどね。 マイナスGに弱いと信じたパイロットには悲劇しかなさそうで不憫です😣。
@@三浦英則 さま補助翼、ロール性能について言うと艦上戦闘機というそもそもの使用用途から見て低速時の効きを重視するのはある程度しょうがなかったんですよね、しかしエルロン・リバーサルの可能性はありそう。20mm機銃の当たらない理由と共通しますが主翼の剛性不足はやはり否めないことになります。(と、自分で書いていて気づいたんですがアンチ達はこの「剛性」と「強度」を取り違えている可能性がありそう)米軍のように油圧アシストに出来れば面白かったとも思いますが今度はシール技術が課題になるのかな、せっかく南方で良い天然ゴムを入手していたのに…と思ってみたり。52型では翼幅短縮と補助翼翼幅短縮などで対策していたのでその辺りをこの素晴らしい「令和の零戦」キットを眺めながら考えてみたいと思う次第です。
このメーカーが48で現用機やり出したら無敵。
風貌のオープンは視界をよくするためと話されていますが、私の聞いた話では事故が起きたとき風防が変形して脱出できなくなる不安の声が多くてこうしたとのことでした。
アメリカが零戦より隼や鐘馗、疾風が評価高ったかよくわかりました。
それぞれ最も速度が出る高度帯で比較しているから隼は遅いとか思われがちですが低高度での隼3型の速度はP-47よりも早かったとか聞いたことはあります
@@陣風-f8h速度ではなくて、加速性能ですね。 いつまでも飛んでいれば最終速の高いP-47やP-38に追い付かれます😅。 戦闘機の速さには『最大速度』の速さと『加速性能の速さ』があります。 自動車でも似たような事ありますよね。 排気量が小さいけど軽量でレスポンスの良いエンジンの車の方が『出足が速い』けど、いずれジリジリと追い抜かれる😅。 これに近いですかね。
うわぁ、こんな会社に入りたかったぁ〜〜〜〜!ヒコーキやクルマ作っている会社なのに誰もヒコーキやクルマの話をしないんですよ・・・。
会話の内容が短かく濃いめで良かったです。零戦の防弾が良く言われるけど社長の言われる通り、帝国海軍は本格的な消耗戦を経験してないんですよね。そして用兵思想上も消耗戦を想定していない、一度きりの艦隊決戦主義。駆逐艦も巡洋艦も攻撃機も皆この思想が徹底したことが逆に対米戦では裏目に出てしまった面はありますね。ガ島、ソロモン辺りで発想を切り替えて防空に専念して主翼タンク廃止、防弾マシマシ局地戦バージョンの零戦など投入出来れば面白かったかもと思ったりもするけど所詮、消耗戦になれば日本国に勝機がないのもまた現実ですね。あとキットがどれも素晴らしい出来映え!画面越しだけども何と言うか活き活きして見える、不思議。うまく言葉にできないけども他社様とは違うノウハウがあるのかな。今後この動画シリーズを継続されるなら、社長のご尊顔もさることながら、キットの方もじっくり眺めてみたいです。失礼!
三菱でも堀越技士と久保技師だとその開発機体に類似性が見受けられないんだよね。軽く造って強度不足なら補強する足し算はまだ簡単だけど、強度計算ミスで重くなりすぎた場合の引き算による軽量化って設計やり直したほうがマシなのが惨式戦の状態。1型時点でエンジン歩留まりはあったし主翼に陸軍制式装備のホー5載らないという欠陥機だからいくらでも主翼再設計の時間はあったはずだけどやらなかったのが土井技師が売国奴と罵られる所以でもある。防弾板にしてもF4Fでも開戦当初にはなかったはず。装備されたタイプは42年になってからと覚えているけど現場パイロットからは飛行性能の悪化が嫌われたとのこと。
想像ですが、堀越技士と久保技士との設計の違いは、海軍担当と陸軍担当の違いもあるかも知れませんね。聞くところによると、同じ社内でも海軍担当部署と陸軍担当部署では、お互いどんな仕事をしてるか殆ど知らなかったという話もありますし。米軍も航空消耗戦を経験したのは、シェンノートを除くと真珠湾以降になりますから、日本海軍と似た状況だったのかも知れませんね。その後の生産能力に雲泥の差があった訳ではありますが…
@@user-candy_iloveyou 小山技師とか隼のことは一言も言っていないんだけど(笑)急降下制限速度850㎞/hってのが過強度&過重量を如実に証明しているけど(笑)陸軍はそんな急降下制限速度を要求していないし強度試験で設計荷重を超えたら壊れないといけないのに壊れなかった。戦後土井技師は強度計算ミスを認めている。実戦で急降下制限速度は高くともP/Wレシオとプロペラ効率が悪いため急降下の初期加速が遅く米軍からはカモ扱いされていたことも知らないんだなぁ。グリフォンやセントーラスクラスのエンジンの目処が立っていたのなら別だけど(笑)マウザー銃?弾薬国産化が果たせないため陸軍が正式採用したホ-5が主翼に載らない時点でオワコンなのが惨式/誤式なんだけどね。大型高出力のエンジンを積むと機首武装不可になるから産業廃棄物確定なのは4式戦がさらなる大型高出力エンジン搭載を計画していたのとは対照的でだし、満州国で計画された金星疾風は誤式戦より軽かったと言う話も聞きますね。このあたりは両機のエンジン重量や必要な潤滑油量などで試算すれば4式のほうが機体そのものは軽い論はうなづけるものだと思いますよ。
@@プラモデルメーカーファインモールドの放 完全な縦割り社会で陸海軍に横のつながりがなかったのが痛いですよね。工業力に劣る日本陸海軍が個別に航空機銃開発して銃弾の互換性ももちろん無かったのに対して米軍は6門積むか8門積むかでブローニングにほぼ統一、工業力に劣る日本が陸海でてんでにやっていたら勝てる戦も勝てません。まぁブローニングはGでジャミングを起こしやすいから多銃装備にしておけば数門打てなくなっても戦闘続行できるだろうと言う考えだったとも聞きますけど。
マウザー砲は搭載したし、ホ5は同町装置を開発して機首装備した。翼の構造上、無理があったのでしょう。三式戦が正式化するころ(1942年末)はまだホ5はないのだから、ホ5登載が考慮されていなくも仕方ない。
@@miyamiya2237 先にも書いていますが自主的に改設計を行う時間はいくらでもあった。ホ-5のアウトラインがわかったあとでもね。当時の土井技師は三菱の堀越技師を一方的にライバル視してからか自身の過ちを認めたくなかった。更に戦後堀越くんはと上から目線でもっと早く零戦に金星を積むべきだったとかマウントを取った発言しているけど、実際零戦に金星積むのは早い時期に検討されていたけど航続距離の大幅な低下が問題となって見送られ続けて局地戦闘機と化した大戦末期に実現しただけのことなんだけど、戦中の時期に莫大な資源と工数を使って産業廃棄物を5000機余り造った土井技師は売国奴としか言いようがない。
フルインテリアまで求めないから、1/35スケールで飛行機模型が欲しい。
陸軍のノモンハン事件での教訓は海軍に共有されなかったわけですね…(いつものこと)
海軍も重慶爆撃で96陸攻が大量に撃墜されてしまい、墜落原因の大半が『火災』と判定しており。防弾の必要性を認識しますが。 防弾装備の追加で失われる航続性能と爆弾搭載量の減少は容認できないモノとして現場サイドから強固に拒否されてしまいます。 陸攻のパイロットとの対話でも『防弾装備追加で性能が低下するのは容認できない‼️爆弾搭載量が減少するなど許せない‼️』と更に強烈に拒否される始末😰。 逆に、300㎏も防弾で増えるなら、爆弾搭載量を増やして欲しい‼️、防御機銃を増設してくれれば敵戦闘機を撃墜できる‼️と、攻撃力の向上を求められ、防弾装備の追加は廃案になります😢。 防弾自体を諦めた訳ではなく時期陸攻には可能な限りの防弾も要求されており、一式陸攻では不完全ながらもインテグラルタンクの前後と側面に『ささやかな防弾ゴム』を最初から装備していましたが気休め程度の効果しかありませんでした。 むしろ、強化されたのは防御機銃の増設と防御機銃の射角改善でした。 先の『防御機銃を増やせ‼️』に対応したわけです。 海軍が防弾対策として力を入れたのは『消火装置』でした。 防弾ゴムや防弾鋼板ではなくて『消火』を選択したのでした。
分割式はともかく後部胴体の骨と外板のつくりは高速戦闘向きじゃないよね単純な曲げには良いかもしれないけど円筒形がひしゃげること、ひねりが加わることへの配慮が少ないそこはもうちょい厚板を使うことと円方向の強化が欲しかったとこ
そうですね。堀越チームは紡錘形に呪縛されてますね。
@@tsuyosaku5002 さん。当時の日本のエンジン馬力は欧米の同クラスのエンジンより1~2割も低いので、その不利を機体でフォローする必要がありました。 零戦の外板構成を見ると理解できますが、負荷が強い部分は厚く、負荷が低い部分は極力薄くする何とも手間の掛かるチマチマした造形でした。 勿論、欧米の機体も同様な手法で軽量化していますが、板も厚目で、日本の軍用航空機ほどパッチワーク的ではないですね。 零戦で最初から厚板工法を採用していたら、多分あの性能は不可能ですね😌。 堀越技師は機体のフレームに多数の軽め穴を開けさせたので有名ですが、軽量化だけでなくて穴を開ける事で応力分散も計算に容れていますから、強度を保持しながら軽量化しています。 確かに、初期型の零戦は外板が極端に薄かったので撓みが激しくて水平最大速度や急降下速度にマイナスな影響を与えていますが。 主翼は0,2ミリの増厚で、最大速度が20㎞/h向上、急降下速度も120~160㎞/hも21型で改善しています。 しかもフレームは現状のままでね。 華奢に見える構造ですが、余裕を持たせた設計でもありました。 ちなみに、頑丈なスピットファイアも零戦の様にパッチワーク構造で軽量化をしていて。 同じマーリンを搭載して機体寸法も同等のP-51より1t近く軽量で調査したノースアメリカン社も外板の細分化に関心を持ち、P-51FやHの機体設計時の軽量化に応用したと言われています。
ゼロ戦は航続距離と大火力を重視して開発されたいたと思いますよ決してあれもこれもではありません、防弾性能や速度性能(軽いので加速は良かったと思う)より上記を優先した結果です航続距離は日本の国力の限界から戦域に対して航空基地が足りず、広いエリアをカバーするために必要でした20㎜機銃の威力は予想される数的劣勢を時間効率でカバーするためでしょう着艦に必要な低翼面荷重は運動性能にも寄与し、操縦性も優秀でしたゼロ戦はパイロットの思い通りの挙動をしめし坂井三郎さんは自分の体の様に感じ、寝返りするよりゼロ戦でロールする方が楽だと言っていますベテランパイロットが操縦性に勝る機体に搭乗すれば後ろ取られる可能性は低く、取られても旋回で逃れられるこの状態なら防弾性能の要求は低いでしょうこれはレバー比やバネ性を何種も試したという剛性低下式の操縦索の成果ですバネ特性はプログレッシブレートという事になり、機械式のコンピュータによるフライバイワイヤだと私は思います艦上戦闘機は要求強度が高く、航法用機器も必要で、おまけに燃料は重い、空戦中も帰りの燃料のハンデを超えて、逃げろ命令されるくらい空戦で米軍機(露軍機ではなく)を圧倒しています世界最初の防弾装備は英スピットファイヤでこれはゼロ戦登場後ではありませんか?1年後のはやぶさと比較するなら、まず機体性能と、装備で比較すべきです
@@imagine.h-w2z さん。 零戦の最大の優位点である航続距離ですが、基地から遠方までのエアカバーが目的ではなくて、艦隊上空での防空の為でした。 来襲するアメリカ陸海軍の偵察機、弾着観測機の迎撃と艦隊攻撃にくるアメリカ軍機を長時間迎撃できる様に6時間以上の航続時間(距離ではなく)を求められています。 結果として、実用化までに運用環境が変化して長距離護衛が可能な戦闘機となりましたが。 計画当初の目的は上記の理由だったのです。 20ミリ機銃の採用は敵の双発以上の爆撃機を一撃で破壊できる火力として期待されて装備が成されています。 これは、中国方面で陸上基地展開をしていた際に、ソ連製のSB-2の奇襲に悩まされ、しかも主力の96艦戦の7,7ミリ機銃では撃墜が困難だった事が問題となり欧米でも戦闘機に搭載可能な20ミリ機銃の実用化が始まっていたので。 当時、海軍航空部門のトップでもあった『山本五十六』が強く20ミリ機銃の採用をプッシュしていました。 20ミリ機銃の当初の目的は『爆撃機の撃墜』だったのです。 あと、1930年代は欧米列強の戦闘機も防弾装備は皆無でした。 一番最初に防弾を実施したのはノモンハンで日本陸軍の97戦に撃墜されまくったソ連が最初ですね。 途中からなかなか撃墜できなくなり、撃墜されたソ連のI-16戦闘機やSB-2爆撃機を調査したら防弾鋼板が装備されていることを日本陸軍が確認し、その教訓から日本陸軍も軍用機の防弾の必要性を強く認め研究を開始。 97重爆からスタートして隼移行の戦闘機にも防弾装備が施されています。
子供の頃から映画とか観て…風防開けっ放しで飛んでるのが、とても不思議に思ってました。
視界の問題は風防のガラスやアクリルの成形技術に難があったからかもしれませんね。
それよりも松本零士の40年以上経つ戦場まんがシリーズが兵器好きの共通言語として通用してることが感慨深かった。
全く同感😂
風防があると視界が遮られるけど、零戦以降は高々度戦闘にもなって来たのでパイロットへの寒さ対策も重要になって来ましたね。
機体設計は各々で個性が出ますね。
今の目で見れば『当時は何故こんな設計にしたんだろう?』と考えながら図面を読むと色々と見えて来ますよね。
日本はパイロットの意見に技術者が折れますが、bf109についてはR・ルッサーのデザインを社長のW・メッサーシュミットが押し通して、パイロット側が後方視界の悪さをカバーするロッテ戦法・シュバルム隊形・一撃離脱戦法を考え出した点が、両国の技術者の地位の違いを反映してますね。
Great job!! 👏👏👏👏
衝撃降下90度のお話しが出たところで、あの物語の主役、松本先生がデザインされたキ‐99を、
架空機ではありますがぜひプラモ化していただきたいです!
円谷英二は、空を飛んで日本を守るこれを見てウルトラマンの色を決めたのかなー、と九六式を見る度に思う。
ちなみに堀越さんは自著で(十二試の時かな?)「これであと人の乗るとこと武装を外せば完璧な飛行機になるぞ!」とか言ってたw
ウルトラマンをデザインしたのは成田亨さんなので、円谷英二は関係ありません。
@@akasaka1816 監修に名前あるぞ?w
ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E4%BA%A8
ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E4%BA%A8
零戦の試作機である12試艦戦もドーサルフィンなのか胴体後方の下に付いてますよね。
ファインモールドさんの72セットを作っていてシルエットがずいぶん変わるなと。
零戦になると水平尾翼の位置が上がったからかなくなりましたが。
十二試艦戦のフィンがなくなったのは、胴体を延長したため横安定が良くなったため不要になったという話も聞きますね😊
海軍の個艦優越主義ですね。
ところで、零戦が落ち着けば、
雷電やらないですか。
確か、堀越さんは自分が作った飛行機では雷電が一番いい飛行機だったと言われていたとか読んだことがあります。
ずんぐりした機体ですが、プラモで組むとめちゃめちゃかっこいいです。
戦車のイメージが強い社長。 軍用機にも強いですね😊流石‼️生粋のミリオタ😊。 急降下制限速度が低い『零戦』だけど、改良の度に改善されていて。 600㎞/hで空中分解したのは11型と21型の極初期だけですね。 それ以降は平気で制限速度を無視しまくって飛んでます😅。 もっとも、初期型のフラッター分解墜落のイメージが最前線のパイロットにも浸透していた様子で開戦初頭の米軍戦闘機との空戦の戦訓報告で『P-40の急降下性能大、550㎞/hを超えても降下を続けて追尾困難』としていて、制限速度が630㎞/hに改善された後も最前線のパイロットが零戦を労って急降下していたのが伝わります。 ですが、ガダルカナル島やソロモン諸島を巡る空戦ではP-39やP-40のパイロットが『ゼロはいつまでも急降下で追いかけて来た😰』『急降下で逃げたがゼロをなかなか振り切れなかった😱』とも報告されていますから。 この頃から、零戦は制限速度をある程度無視して空戦しています。 また、制限速度630㎞/hと言われる21型ですが、整備マニュアルには制限速度670㎞/hと記載されていますから。 生産途中かろ何らかの補強が実施された可能性もありそうです。 343空で紫電改の胴体が捩れる事故が数件発生したのは790㎞/hの制限速度を超えて急機動を加えた結果の事故でしたが。 事故の原因が制限速度オーバーである事、制限速度の厳守を技術者が説明したところ。 パイロットの反応は『零戦は制限速度を超えても壊れなかった🤔』と不満げな態度だったとか😅。 そこで、最終速度が零戦より高い紫電改は、飛行条件によっては亜音速に近いので云々と言っても『何?それ?🤔』と納得しなかったとか😅この事実から、少なくとも零戦22型以降の経験が大半のパイロットが主流の343空のパイロット達は、670㎞/hや740㎞/hの制限速度なんて無視していたのが解ります。 零戦は虚弱印象よりも頑丈だったとも言えます
同じようなコメント書きかけてました、流石。自分としてはこの急降下制限速度と言うのは引き起こし動作に対する十分な余裕を取った運用値であり超過即、分解リスクではないこと。630kmがかなり暫定的な運用だったらしいこと。P38やP47のような機体でも急降下制限はあり空中分解を起こしていたことなどを補足したいです。隼が実戦で空中分解、強度不足が露呈していたことは社長さん述べられている通りだし、343空のエピソードも英則様ご指摘の通り、紫電改も何度か空中分解を起こしていました。しかし零戦は41年7月の下川事故で対策以来、意外にも実戦での分解事故は報告されてませんね。SNSだと恣意的なアンチコメが湧いてくるのでたいへん僭越ながら念押しでした。
@@comete5d361 度々どうも😅。 対零戦対策で、アメリカ陸海軍のマニュアルに『零戦は持続して降下できない』のが弱点とされていますし、それを裏付けする様に『アクタンゼロ』も飛行テストで急降下性能が良くないと判定されています。 その結果から零戦に追われたら急降下が有効と通達した訳ですが。 まず第一に、零戦の補強対策後も日本海軍のパイロットが600㎞/hを超えない飛行を続けていた事。 実際に、急降下で逃げるアメリカ戦闘機を積極的に追いかけない描写も戦記でも記述されています。 この状況を体験したアメリカ軍パイロット達も『ゼロは急降下をすると追尾して来ない‼️』と噂が拡がります。 そこに『アクタンゼロ』の零戦の特性が通達される訳ですから『零戦→急降下性能低い』の根拠としてアメリカ戦闘機パイロットに浸透したと自分は想っています。 ここで注意するポイントは『アクタンゼロ』が『不時着した破損機体』だったこと。 再飛行するまでに修復をしたとは言え、裏返しになる程の『墜落機体』ですから、機体には相応のダメージが有ったのは確実ですから。 アメリカ海軍でのテスト飛行で『100%』の零戦21型の性能を発揮していたとは言えません。 実際に『アクタンゼロ』の最大速度は510㎞/h程度しか出せていませんし、急降下速度も測定数値が私の知る限りの情報では見た事がありません。 もしかしたら、破損修復機体なので許容過重制限をしていたと見るべきでしょう。 初期に体験したアメリカ軍パイロットの情報と不完全な『アクタンゼロ』から推定された性能情報から零戦21型は不当に急降下速度を低く思われてしまったのが真実ではないでしょうか? 逆に、零戦のパイロットは実戦が続くウチに『オヤ?600㎞/h超えたけど?何ともないぞ🤔』となって行ったのではないでしょうか?。 そうなると『零戦の急降下制限速度の630㎞/hまでなら大丈夫‼️なんなら、少しぐらい超過しても壊れんぞ😤』と強度不安が払拭されたとするとソロモン諸島で対峙したアメリカ陸海軍パイロットの『ゼロがいつまでも追尾してくる😱』に繋がっていったのではないか? アメリカ軍は諸条件が不幸に重なり『間違った認識』を流布してしまい、その間に、日本海軍パイロットは『零戦の本来の性能を理解して実戦に生かした』のが真相だと個人的には想っています。 もう1つ『隼』の存在があります、開戦から暫くの期間、米英軍パイロットは零戦と隼を区別できていなく、隼を零戦の武装違いの機体と認識していた節があります。 ご存知でしょうが、隼1型は、過度な軽量構造の為に、補強対策後も主翼が折れる墜落事故を実戦上でも発生させていて。 隼のパイロットは急降下速度を550㎞/h~600㎞/h以内に抑えて飛行しており、急降下で離脱する米英戦闘機の追尾には消極的でした。 隼に関しては、急降下性能が改善するのは隼2型が配備される1942年末以降になってからなので。 同一戦域で対戦した『隼1型』を『急降下して来ないゼロ』と誤認していた可能性も否定できません。
@@三浦英則 さま
有難うございます。私もアクタンゼロの戦訓についてはまだ研究の余地があると思います。珊瑚海を戦った米海軍は既に「急降下で離脱すると追いかけてこない」という戦訓を持ち帰っていたりしますよね。
それで私が着目するのは「急降下時マイナスGでエンジン停止」です。「栄」の優れた特徴の一つにどんな姿勢でも息継ぎしない、という新山氏らのキャブレター新機構があり零戦&隼の運動性優位を下支えしていたはずで、英則様ご指摘の通り、墜落時の破損を示唆する内容だと思ってます。その一方で高速時の補助翼の重さなどの過負荷を要しない分析なんかは正しかった。でも急降下限界は把握していない。そうして見ると米軍機が急降下で離脱するというのは、制限速度一杯のチキンレースに持ち込む、と言うよりも速度を稼いで高速域での運動性勝負に賭ける、といった側面もあったのかも知れませんね。
あと「隼」の認識は全く同じです。そしてこの関係性は興味深いですね。長らくzeroとしてみなされたのも事実。そして零戦以上に強度不足に悩まされていたのも事実で、南方作戦へ投入した機材はほぼ100%消耗していた様子が戦史叢書に載っています、戦闘損失より消耗損失が大きいというF6Fのような現象。梅本書を見た感じだと改修に昭和18年半ばくらいかかっている様子で英則様と社長さんのご説を裏付ける形です。本来それぞれの機体に別個の対策を運用すべきところ両者混同され「急降下で逃げれば何とかなる」と言った形でごく簡易的に運用された可能性は十分あると思う次第です。
@@comete5d361 零戦21型の補助翼の重さは、日本海軍パイロットも認める程の重さで、330㎞/h付近から重くなり始め、全速飛行や急降下では『両腕でも動かない😰』と言われた代物でしたから。 零戦を飛ばしたアメリカ海軍のパイロットも直ぐに実感した事でしょう。 仰有る通りで、急降下チキンレース以上に、零戦の補助翼の重さを逆手に取った戦術だとも想います。 アメリカ陸海軍戦闘機は急降下速度でも補助翼の効きが比較的に良好でしたから、機体にムリが掛からない程度に補助翼を効かせれば、反対側にロールして離脱も可能だったでしょう。 しかし、追われるパイロットの心理はかなり焦っている状態でしょうから、急降下はしたけど一直線、あるいは一定方向への降下旋回を続けてしまう可能性も高いでしょうから。 そうなると、追う側である零戦は、急降下の過負荷 だけに注意して追撃できます。 これが『いつまでも追いかけてきた‼️』になるのでしょう。 手練れであれば、零戦の動きを見てロールを打てるでしょうが、中々できる事ではないですね。 かなり昔に読んだ戦記で、上空から一撃離脱を仕掛けてきたP-40の攻撃を辛くも回避。 追撃に移りましたが『急降下しながら信じられない急横転の連続と急旋回』で逃げたP-40の話しがあります。 こんな機動は、頑丈なアメリカ戦闘機ならではと言えますが、かなり無茶苦茶な飛行です😰。 アクタンゼロのレポートでマイナスGに弱いとされていますが。 どうやら、中島式気化器の修復が不完全だったと思われ、単純に『弱点』とされています。 整備マニュアルも無い状態での手探り作業でしょうから仕方ないですけどね。 マイナスGに弱いと信じたパイロットには悲劇しかなさそうで不憫です😣。
@@三浦英則 さま
補助翼、ロール性能について言うと艦上戦闘機というそもそもの使用用途から見て低速時の効きを重視するのはある程度しょうがなかったんですよね、しかしエルロン・リバーサルの可能性はありそう。20mm機銃の当たらない理由と共通しますが主翼の剛性不足はやはり否めないことになります。
(と、自分で書いていて気づいたんですがアンチ達はこの「剛性」と「強度」を取り違えている可能性がありそう)
米軍のように油圧アシストに出来れば面白かったとも思いますが今度はシール技術が課題になるのかな、せっかく南方で良い天然ゴムを入手していたのに…と思ってみたり。
52型では翼幅短縮と補助翼翼幅短縮などで対策していたのでその辺りをこの素晴らしい「令和の零戦」キットを眺めながら考えてみたいと思う次第です。
このメーカーが48で現用機やり出したら無敵。
風貌のオープンは視界をよくするためと話されていますが、私の聞いた話では事故が起きたとき風防が変形して脱出できなくなる不安の声が多くてこうしたとのことでした。
アメリカが零戦より隼や鐘馗、疾風が評価高ったかよくわかりました。
それぞれ最も速度が出る高度帯で比較しているから隼は遅いとか思われがちですが低高度での隼3型の速度はP-47よりも早かったとか聞いたことはあります
@@陣風-f8h速度ではなくて、加速性能ですね。 いつまでも飛んでいれば最終速の高いP-47やP-38に追い付かれます😅。 戦闘機の速さには『最大速度』の速さと『加速性能の速さ』があります。 自動車でも似たような事ありますよね。 排気量が小さいけど軽量でレスポンスの良いエンジンの車の方が『出足が速い』けど、いずれジリジリと追い抜かれる😅。 これに近いですかね。
うわぁ、こんな会社に入りたかったぁ〜〜〜〜!
ヒコーキやクルマ作っている会社なのに誰もヒコーキやクルマの話をしないんですよ・・・。
会話の内容が短かく濃いめで良かったです。零戦の防弾が良く言われるけど社長の言われる通り、帝国海軍は本格的な消耗戦を経験してないんですよね。そして用兵思想上も消耗戦を想定していない、一度きりの艦隊決戦主義。駆逐艦も巡洋艦も攻撃機も皆この思想が徹底したことが逆に対米戦では裏目に出てしまった面はありますね。ガ島、ソロモン辺りで発想を切り替えて防空に専念して主翼タンク廃止、防弾マシマシ局地戦バージョンの零戦など投入出来れば面白かったかもと思ったりもするけど所詮、消耗戦になれば日本国に勝機がないのもまた現実ですね。
あとキットがどれも素晴らしい出来映え!画面越しだけども何と言うか活き活きして見える、不思議。うまく言葉にできないけども他社様とは違うノウハウがあるのかな。今後この動画シリーズを継続されるなら、社長のご尊顔もさることながら、キットの方もじっくり眺めてみたいです。失礼!
三菱でも堀越技士と久保技師だとその開発機体に類似性が見受けられないんだよね。
軽く造って強度不足なら補強する足し算はまだ簡単だけど、強度計算ミスで重くなりすぎた場合の引き算による軽量化って設計やり直したほうがマシなのが惨式戦の状態。1型時点でエンジン歩留まりはあったし主翼に陸軍制式装備のホー5載らないという欠陥機だからいくらでも主翼再設計の時間はあったはずだけどやらなかったのが土井技師が売国奴と罵られる所以でもある。
防弾板にしてもF4Fでも開戦当初にはなかったはず。装備されたタイプは42年になってからと覚えているけど現場パイロットからは飛行性能の悪化が嫌われたとのこと。
想像ですが、堀越技士と久保技士との設計の違いは、海軍担当と陸軍担当の違いもあるかも知れませんね。聞くところによると、同じ社内でも海軍担当部署と陸軍担当部署では、お互いどんな仕事をしてるか殆ど知らなかったという話もありますし。
米軍も航空消耗戦を経験したのは、シェンノートを除くと真珠湾以降になりますから、日本海軍と似た状況だったのかも知れませんね。その後の生産能力に雲泥の差があった訳ではありますが…
@@user-candy_iloveyou 小山技師とか隼のことは一言も言っていないんだけど(笑)急降下制限速度850㎞/hってのが過強度&過重量を如実に証明しているけど(笑)陸軍はそんな急降下制限速度を要求していないし強度試験で設計荷重を超えたら壊れないといけないのに壊れなかった。戦後土井技師は強度計算ミスを認めている。
実戦で急降下制限速度は高くともP/Wレシオとプロペラ効率が悪いため急降下の初期加速が遅く米軍からはカモ扱いされていたことも知らないんだなぁ。
グリフォンやセントーラスクラスのエンジンの目処が立っていたのなら別だけど(笑)
マウザー銃?弾薬国産化が果たせないため陸軍が正式採用したホ-5が主翼に載らない時点でオワコンなのが惨式/誤式なんだけどね。
大型高出力のエンジンを積むと機首武装不可になるから産業廃棄物確定なのは4式戦がさらなる大型高出力エンジン搭載を計画していたのとは対照的でだし、満州国で計画された金星疾風は誤式戦より軽かったと言う話も聞きますね。
このあたりは両機のエンジン重量や必要な潤滑油量などで試算すれば4式のほうが機体そのものは軽い論はうなづけるものだと思いますよ。
@@プラモデルメーカーファインモールドの放 完全な縦割り社会で陸海軍に横のつながりがなかったのが痛いですよね。
工業力に劣る日本陸海軍が個別に航空機銃開発して銃弾の互換性ももちろん無かったのに対して米軍は6門積むか8門積むかでブローニングにほぼ統一、工業力に劣る日本が陸海でてんでにやっていたら勝てる戦も勝てません。
まぁブローニングはGでジャミングを起こしやすいから多銃装備にしておけば数門打てなくなっても戦闘続行できるだろうと言う考えだったとも聞きますけど。
マウザー砲は搭載したし、ホ5は同町装置を開発して機首装備した。翼の構造上、無理があったのでしょう。
三式戦が正式化するころ(1942年末)はまだホ5はないのだから、ホ5登載が考慮されていなくも仕方ない。
@@miyamiya2237 先にも書いていますが自主的に改設計を行う時間はいくらでもあった。ホ-5のアウトラインがわかったあとでもね。
当時の土井技師は三菱の堀越技師を一方的にライバル視してからか自身の過ちを認めたくなかった。更に戦後堀越くんはと上から目線でもっと早く零戦に金星を積むべきだったとかマウントを取った発言しているけど、実際零戦に金星積むのは早い時期に検討されていたけど航続距離の大幅な低下が問題となって見送られ続けて局地戦闘機と化した大戦末期に実現しただけのことなんだけど、戦中の時期に莫大な資源と工数を使って産業廃棄物を5000機余り造った土井技師は売国奴としか言いようがない。
フルインテリアまで求めないから、1/35スケールで飛行機模型が欲しい。
陸軍のノモンハン事件での教訓は海軍に共有されなかったわけですね…(いつものこと)
海軍も重慶爆撃で96陸攻が大量に撃墜されてしまい、墜落原因の大半が『火災』と判定しており。防弾の必要性を認識しますが。 防弾装備の追加で失われる航続性能と爆弾搭載量の減少は容認できないモノとして現場サイドから強固に拒否されてしまいます。 陸攻のパイロットとの対話でも『防弾装備追加で性能が低下するのは容認できない‼️爆弾搭載量が減少するなど許せない‼️』と更に強烈に拒否される始末😰。 逆に、300㎏も防弾で増えるなら、爆弾搭載量を増やして欲しい‼️、防御機銃を増設してくれれば敵戦闘機を撃墜できる‼️と、攻撃力の向上を求められ、防弾装備の追加は廃案になります😢。 防弾自体を諦めた訳ではなく時期陸攻には可能な限りの防弾も要求されており、一式陸攻では不完全ながらもインテグラルタンクの前後と側面に『ささやかな防弾ゴム』を最初から装備していましたが気休め程度の効果しかありませんでした。 むしろ、強化されたのは防御機銃の増設と防御機銃の射角改善でした。 先の『防御機銃を増やせ‼️』に対応したわけです。 海軍が防弾対策として力を入れたのは『消火装置』でした。 防弾ゴムや防弾鋼板ではなくて『消火』を選択したのでした。
分割式はともかく後部胴体の骨と外板のつくりは高速戦闘向きじゃないよね
単純な曲げには良いかもしれないけど円筒形がひしゃげること、ひねりが加わることへの配慮が少ない
そこはもうちょい厚板を使うことと円方向の強化が欲しかったとこ
そうですね。堀越チームは紡錘形に呪縛されてますね。
@@tsuyosaku5002 さん。当時の日本のエンジン馬力は欧米の同クラスのエンジンより1~2割も低いので、その不利を機体でフォローする必要がありました。 零戦の外板構成を見ると理解できますが、負荷が強い部分は厚く、負荷が低い部分は極力薄くする何とも手間の掛かるチマチマした造形でした。 勿論、欧米の機体も同様な手法で軽量化していますが、板も厚目で、日本の軍用航空機ほどパッチワーク的ではないですね。 零戦で最初から厚板工法を採用していたら、多分あの性能は不可能ですね😌。 堀越技師は機体のフレームに多数の軽め穴を開けさせたので有名ですが、軽量化だけでなくて穴を開ける事で応力分散も計算に容れていますから、強度を保持しながら軽量化しています。 確かに、初期型の零戦は外板が極端に薄かったので撓みが激しくて水平最大速度や急降下速度にマイナスな影響を与えていますが。 主翼は0,2ミリの増厚で、最大速度が20㎞/h向上、急降下速度も120~160㎞/hも21型で改善しています。 しかもフレームは現状のままでね。 華奢に見える構造ですが、余裕を持たせた設計でもありました。 ちなみに、頑丈なスピットファイアも零戦の様にパッチワーク構造で軽量化をしていて。 同じマーリンを搭載して機体寸法も同等のP-51より1t近く軽量で調査したノースアメリカン社も外板の細分化に関心を持ち、P-51FやHの機体設計時の軽量化に応用したと言われています。
ゼロ戦は航続距離と大火力を重視して開発されたいたと思いますよ
決してあれもこれもではありません、防弾性能や速度性能(軽いので加速は良かったと思う)より上記を優先した結果です
航続距離は日本の国力の限界から戦域に対して航空基地が足りず、広いエリアをカバーするために必要でした
20㎜機銃の威力は予想される数的劣勢を時間効率でカバーするためでしょう
着艦に必要な低翼面荷重は運動性能にも寄与し、操縦性も優秀でした
ゼロ戦はパイロットの思い通りの挙動をしめし坂井三郎さんは自分の体の様に感じ、寝返りするよりゼロ戦でロールする方が楽だと言っています
ベテランパイロットが操縦性に勝る機体に搭乗すれば後ろ取られる可能性は低く、取られても旋回で逃れられる
この状態なら防弾性能の要求は低いでしょう
これはレバー比やバネ性を何種も試したという剛性低下式の操縦索の成果です
バネ特性はプログレッシブレートという事になり、機械式のコンピュータによるフライバイワイヤだと私は思います
艦上戦闘機は要求強度が高く、航法用機器も必要で、おまけに燃料は重い、
空戦中も帰りの燃料のハンデを超えて、逃げろ命令されるくらい空戦で米軍機(露軍機ではなく)を圧倒しています
世界最初の防弾装備は英スピットファイヤでこれはゼロ戦登場後ではありませんか?
1年後のはやぶさと比較するなら、まず機体性能と、装備で比較すべきです
@@imagine.h-w2z さん。 零戦の最大の優位点である航続距離ですが、基地から遠方までのエアカバーが目的ではなくて、艦隊上空での防空の為でした。 来襲するアメリカ陸海軍の偵察機、弾着観測機の迎撃と艦隊攻撃にくるアメリカ軍機を長時間迎撃できる様に6時間以上の航続時間(距離ではなく)を求められています。 結果として、実用化までに運用環境が変化して長距離護衛が可能な戦闘機となりましたが。 計画当初の目的は上記の理由だったのです。 20ミリ機銃の採用は敵の双発以上の爆撃機を一撃で破壊できる火力として期待されて装備が成されています。 これは、中国方面で陸上基地展開をしていた際に、ソ連製のSB-2の奇襲に悩まされ、しかも主力の96艦戦の7,7ミリ機銃では撃墜が困難だった事が問題となり欧米でも戦闘機に搭載可能な20ミリ機銃の実用化が始まっていたので。 当時、海軍航空部門のトップでもあった『山本五十六』が強く20ミリ機銃の採用をプッシュしていました。 20ミリ機銃の当初の目的は『爆撃機の撃墜』だったのです。 あと、1930年代は欧米列強の戦闘機も防弾装備は皆無でした。 一番最初に防弾を実施したのはノモンハンで日本陸軍の97戦に撃墜されまくったソ連が最初ですね。 途中からなかなか撃墜できなくなり、撃墜されたソ連のI-16戦闘機やSB-2爆撃機を調査したら防弾鋼板が装備されていることを日本陸軍が確認し、その教訓から日本陸軍も軍用機の防弾の必要性を強く認め研究を開始。 97重爆からスタートして隼移行の戦闘機にも防弾装備が施されています。