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この事故では避難誘導していた、指導機関士が殉職しています。
1969年の国鉄は何を考えていたんだろうか
国鉄車両は好きだけど1960年代の国鉄自体は最悪だったんだな
北陸新幹線の敦賀延伸開業が間近に迫る中、この事故を多くの人に知らしめたいですね。開業後は、この北陸トンネルには特急が走らなくなりますから事故を知らないどころか、特急列車が走っていたことすら想像もつかない世代も今後増えてくるはず
今年の夏に北陸トンネルを走行中の電車が存在しない列車からの防護無線を受信したという身の毛もよだつ騒ぎがありました。
日本海の運転士さん、英雄なのに規定違反で処分って可哀想やん。後に処分が取り消されて良かった。変な規定に拘ったり、消防署の忠告も無視するとか、当時の国鉄の傲慢さが分かりますね。
お役所が絡むと碌な事がない
何でも感でもマニュアルは良くない。状況判断も大事。
確かにトンネル内で火災発生時した場合には「トンネル外に出てから緊急停車する」のが正しいと思う。そう考えれば1969年の日本海の乗務員の判断は正しいことをした。むしろ個人的にはその乗務員に表彰してほしいぐらいだ。ましてや北陸トンネルは、上越線にある新清水トンネル(全長13.5kmで群馬県と新潟県の境目にある)より長いトンネルなだけあって、しかもほぼトンネル中央で火災が起きたのだから、あの状況から考えれば当時の乗客たちはもはや万事休すだっただろう・・・。これから北陸トンネルのある区間はJRから第三セクターの『ふくいハピネスライン』になるが、トンネル内での災害対策訓練が定期的に行われるそうだ。第三セクター鉄道になっても、鉄道に対する安全意識を守って欲しいものである。
国鉄=お役所体質が一層被害を大きくした面もありますね。また事故の内容は全く違うけど、あの福知山脱線事故も結局JRになっても国鉄時代の悪い面が燻ぶっていたから起きてしまった事故だと思います。
北陸隧道の大工事だった。北陸隧道の急ぎ過ぎた工事が大火災の原因になった。
あの事故が死者33名の犠牲者が出た。今も、北陸隧道では、幽霊列車が今も出る。
ギャー😱
トンネル内に留まる規定を定めた役員の責任!
北陸トンネル10分以上電波通じないけど轟音の走行音がたまらないから飽きない。トンネル走行としては長い10分といえ短いタイミングでトンネル内で火災とか不運でしかない。
思うに…日本海の火災事故の時何故機関士は機転を利かしてトンネルを抜け出たのか?恐らくブルトレも担当する位だから腕も立ち乗務経験も長い人。と言うことは北陸トンネル開通前の旧線時代そこを蒸機に乗務していた経験がありトンネル内で煙に巻かれる恐ろしさを知っていたから咄嗟の判断で抜け出せたのだろう。北陸トンネル開通前の敦賀~今庄間は全国屈指の難所でトンネルと急勾配の連続だった。それでいて幹線鉄道で輸送量も多く列車単位も大きかったから大変だった。実際トンネル内で窒息事故もあり殉職した乗務員もいたから。ただ、現場は皮膚感覚でわかっている危険性も報告書の数字しか見ていない上層部は其の辺り理解していないってのは旧国鉄に限らず一般の民間企業でもザラにある話。そしてこの事故に対する[不当な処分]が他の乗務員達にも重くのし掛かって誤判断を招いてしまった。火災の発見があと10分前後にずれていれば或は列車はトンネル外で停車することが出来ただろうしそうであればたとえ出火車輌は焼損しても人的被害は軽微で済んでいたのでは?と思うと切ない話ではある。さて、本件で顔面蒼白になった国鉄当局はその後大胆な実験も行なった。実際に車輌に火を付けトンネル内を走行させるなんて事も行なった。其の結果…火元の車輌より前方の車両はまず被害を受けない後方の車輌も通路の扉を閉めておけば影響は殆ど無い床が鋼製であれば車体が燃えても台車や足回りには影響が殆ど無いなどのデータが得られその後の車輌設計に活かされまた在来車にも改良が為された。鉄道に限らず公共交通機関などの安全対策の影には数多の墓標があること忘れてはならない。そして其れをこれ以上増やさないことが運営企業はもとより、其れを利用する側にも求められている(即ちルールを守りマナーを弁え節度を持って利用すること。そして係員の支持があれば其れに従い勝手な行動はとらないこと)。
この事故により、雑型客車で編成された急行列車から食堂車が完全に外されました。またブルートレインも、電源車による集中電源方式の20系から、編成両端の車両床下の電源モーターによる分散電源方式の14系に置き換わる途上だったが、14系をそのまま集中電源方式の24系に増備を変更した。
重箱の隅を突いて恐縮ですが…[雑型客車]は不適切。この場合は在来一般型客車或は旧型客車と呼ぶのが無難です。(本来雑型とは旧国鉄の規定によらない、鉄道国有化法や戦時買収で国鉄に編入された民鉄出自の車輌などに対して使われる表現です。形式が雑多で解りづらいとしても仮にも鉄道省~国鉄制式客車に対しての呼称としては不適切です。但し…現在JR東日本ではイベント用に残っているオハ47・スハフ42・オハニ36などは[その他客車・雑型]との扱いらしいのですが最早例外的な規定と愚考します)
トンネル内で停車したためにとんでもない引金を引くことになった
14系も後々隊か性能を強化した形体が量産されました
現在の電車でも非常ボタンは「火災時には押さないで」と書かれてあります。場所を選べず問答無用で停まると困るので(小田急沿線のジム火災でよりによって火災現場の前で停車…)。東海道新幹線放火事件も運転士が鉄橋を避けて平地まで運転したことが評価されましたが、もし新丹那トンネル内で放火の上で非常ボタンを押されていたらと思うと恐ろしくなります。
これが何よりの大間違い
トンネル内では、押さないでください、ですよね。火災報知機ですから。小田急の例はお粗末でしたね。現場目の前で止まったなら、即座に再移動できなかったものか、と思います。
小田急の参宮橋のボクシングジム火災の件は、たまたま近くにいた警察官が火災発生で近くの踏切の非常ボタンを押して列車が火災現場近くに停車したので、一概には警察官が悪いとは言えない。電車は火災現場近くに停車して電車に火🔥が付いたが、火🔥がついたのは3000形8両の屋根の一部。火🔥が付いたと言っても屋根を焦がした程度であり、客室内は全く被害が無かったのは、3000形はステンレス車であり、地上線でも地下鉄線と同等の不燃化構造で作られているので、大きな被害が無かった。焦がした屋根は日本車輌に持っていって修理しました。火元🔥の参宮橋のボクシングジムは、オザキボクシングジムで、タバコ🚬の不始末が原因。余談であるが、ここのボクシングジムに通っていた方の奥さんと弁護士が不倫関係となり、怒った旦那が不倫関係の弁護士のシンボルを切り落とす事件を起こしています。この件は、火元のオザキボクシングジムの調査で判明したとか。
お役所仕事は人命を軽んじる!はっきりわかんだね
昔の「国鉄」は闇が多い(というか思考できない人間が多い)からな。
遺族からしたら死ぬ可能性がある長大トンネル内で列車止めて切り離して(しかもしようとしたら停電になって立ち往生というオマケ付き)対処しようとしたんだか国鉄にコ☓されたも同じようなものですからね、その悔しさは言葉に出来ないでしょう。ちなみにネット界隈で有名になった北陸本線の青色の幽霊列車はこの客車と機関車の組み合わせのようです。JR西の乗務員の間でも幽霊に遭遇して急ブレーキで停車するという怪奇現象が後を絶たないと有名だとか。
止めなかったら多分安全に通過できた可能性が高いとかね。なお、その後北海道の狩勝実験線での実験等をして「トンネル内火災の場合は原則通過」となりました。なお、トンネル内の消灯は当時の国労等からの申し入れという形のクレームでした。
結局処分の撤回も人命をもって贖われたんじゃ当人は嬉しくないだろうね。21世紀の現代でも京王線での事件にみる乗客と乗員での意思疎通の困難さや、現状とは乖離した規則とかは根の部分でどこまで変わったといえるだろうね。
みんな寝ていて気づかない
規定の遵守は安全の要件であるで思考が止まった奴の末路。枕木に並行な黄色い線の内側に下がれとか言う駅員や南行徳の駅員、アカオ君を始めとする南行徳の警備員も似た様なもん。自分も鉄道で働く人間ですのでそう言う思考が停止したのにはならない様に努力しますw
そもそもオシ172018の電気暖房のいい加減な施工(「マロネ49改造だから昭和5年製の老朽車で石炭レンジを使っていたから」とマスコミが言ったが、実際マロネ49から流用した部品は台枠のみ。しかも原因は石炭レンジではなく電気暖房回路のショート)を行った高砂工場とそれをロクにチェックしなかった宮原客車区が元凶。これがもし尾久所属(担当工場は大宮もしくは土崎)で十和田と共通運用(十和田もオシ17を連結していた)の車両を使っていればこの惨事は起きなかったかと。
この事故以前の夜行急行列車はかなり食堂車を連結していたので各々の形式までは特定しにくいのですが、十和田は食堂車連結が2往復、うち1往復はオシ17、もう1往復はビュッフェタイプのオシ16だったと思います。ただオシ16は少数でオシ17よりも早く消滅したから、投稿者様の言われている事が正しいと思われます。西日本では急行「瀬戸」にもオシ16か使われていましたが、14系寝台車を試験的に連結した直前は確かオシ17でしたから。
@@坂田庄司-g6n 事故の半年前のダイヤ改正でオシ16は全廃、「瀬戸」は特急格上げで電化キッチンのナシ20になっており、当時の急行の食堂車はオシ17の十和田1往復ときたぐにの2列車だけでした。あと「昭和一桁の老朽車」のマスコミ報道ですが、台枠だけなら一緒に連結されていたグリーン車の方が古いです(大正時代の木造客車)。ちなみに2013年の北海道のエンジン出火事故も「国鉄時代の古い車両」と報道されましたが事故車両はJR化後に製造されたNN183系です。
再三敦賀消防署から防火面の不備を指摘されたにも関わらず当時の国鉄はそれを無視しました。
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1コメしてくださって嬉ぴすぎます( ˙༥˙ )
この事故では避難誘導していた、指導機関士が殉職しています。
1969年の国鉄は何を考えていたんだろうか
国鉄車両は好きだけど1960年代の国鉄自体は最悪だったんだな
北陸新幹線の敦賀延伸開業が間近に迫る中、この事故を多くの人に知らしめたいですね。
開業後は、この北陸トンネルには特急が走らなくなりますから
事故を知らないどころか、特急列車が走っていたことすら想像もつかない世代も今後増えてくるはず
今年の夏に北陸トンネルを走行中の電車が存在しない列車からの防護無線を受信したという身の毛もよだつ騒ぎがありました。
日本海の運転士さん、英雄なのに規定違反で処分って可哀想やん。後に処分が取り消されて良かった。
変な規定に拘ったり、消防署の忠告も無視するとか、当時の国鉄の傲慢さが分かりますね。
お役所が絡むと碌な事がない
何でも感でもマニュアルは良くない。状況判断も大事。
確かにトンネル内で火災発生時した場合には「トンネル外に出てから緊急停車する」のが正しいと思う。
そう考えれば1969年の日本海の乗務員の判断は正しいことをした。むしろ個人的にはその乗務員に表彰してほしいぐらいだ。
ましてや北陸トンネルは、上越線にある新清水トンネル(全長13.5kmで群馬県と新潟県の境目にある)より長いトンネルなだけあって、しかもほぼトンネル中央で火災が起きたのだから、あの状況から考えれば当時の乗客たちはもはや万事休すだっただろう・・・。
これから北陸トンネルのある区間はJRから第三セクターの『ふくいハピネスライン』になるが、トンネル内での災害対策訓練が定期的に行われるそうだ。
第三セクター鉄道になっても、鉄道に対する安全意識を守って欲しいものである。
国鉄=お役所体質が一層被害を大きくした面もありますね。
また事故の内容は全く違うけど、あの福知山脱線事故も結局JRになっても国鉄時代の悪い面が燻ぶっていたから起きてしまった事故だと思います。
北陸隧道の大工事だった。北陸隧道の急ぎ過ぎた工事が大火災の原因になった。
あの事故が死者33名の犠牲者が出た。今も、北陸隧道では、幽霊列車が今も出る。
ギャー😱
トンネル内に留まる規定を定めた役員の責任!
北陸トンネル10分以上電波通じないけど轟音の走行音がたまらないから飽きない。
トンネル走行としては長い10分といえ短いタイミングでトンネル内で火災とか不運でしかない。
思うに…日本海の火災事故の時何故機関士は機転を利かしてトンネルを抜け出たのか?恐らくブルトレも担当する位だから腕も立ち乗務経験も長い人。と言うことは北陸トンネル開通前の旧線時代そこを蒸機に乗務していた経験がありトンネル内で煙に巻かれる恐ろしさを知っていたから咄嗟の判断で抜け出せたのだろう。北陸トンネル開通前の敦賀~今庄間は全国屈指の難所でトンネルと急勾配の連続だった。それでいて幹線鉄道で輸送量も多く列車単位も大きかったから大変だった。実際トンネル内で窒息事故もあり殉職した乗務員もいたから。ただ、現場は皮膚感覚でわかっている危険性も報告書の数字しか見ていない上層部は其の辺り理解していないってのは旧国鉄に限らず一般の民間企業でもザラにある話。
そしてこの事故に対する[不当な処分]が他の乗務員達にも重くのし掛かって誤判断を招いてしまった。火災の発見があと10分前後にずれていれば或は列車はトンネル外で停車することが出来ただろうしそうであればたとえ出火車輌は焼損しても人的被害は軽微で済んでいたのでは?と思うと切ない話ではある。
さて、本件で顔面蒼白になった国鉄当局はその後大胆な実験も行なった。実際に車輌に火を付けトンネル内を走行させるなんて事も行なった。其の結果…
火元の車輌より前方の車両はまず被害を受けない
後方の車輌も通路の扉を閉めておけば影響は殆ど無い
床が鋼製であれば車体が燃えても台車や足回りには影響が殆ど無い
などのデータが得られその後の車輌設計に活かされまた在来車にも改良が為された。
鉄道に限らず公共交通機関などの安全対策の影には数多の墓標があること忘れてはならない。そして其れをこれ以上増やさないことが運営企業はもとより、其れを利用する側にも求められている(即ちルールを守りマナーを弁え節度を持って利用すること。そして係員の支持があれば其れに従い勝手な行動はとらないこと)。
この事故により、雑型客車で編成された急行列車から食堂車が完全に外されました。またブルートレインも、電源車による集中電源方式の20系から、編成両端の車両床下の電源モーターによる分散電源方式の14系に置き換わる途上だったが、14系をそのまま集中電源方式の24系に増備を変更した。
重箱の隅を突いて恐縮ですが…[雑型客車]は不適切。この場合は在来一般型客車或は旧型客車と呼ぶのが無難です。
(本来雑型とは旧国鉄の規定によらない、鉄道国有化法や戦時買収で国鉄に編入された民鉄出自の車輌などに対して使われる表現です。形式が雑多で解りづらいとしても仮にも鉄道省~国鉄制式客車に対しての呼称としては不適切です。但し…現在JR東日本ではイベント用に残っているオハ47・スハフ42・オハニ36などは[その他客車・雑型]との扱いらしいのですが最早例外的な規定と愚考します)
トンネル内で停車したためにとんでもない引金を引くことになった
14系も後々隊か性能を強化した形体が量産されました
現在の電車でも非常ボタンは「火災時には押さないで」と書かれてあります。場所を選べず問答無用で停まると困るので(小田急沿線のジム火災でよりによって火災現場の前で停車…)。東海道新幹線放火事件も運転士が鉄橋を避けて平地まで運転したことが評価されましたが、もし新丹那トンネル内で放火の上で非常ボタンを押されていたらと思うと恐ろしくなります。
これが何よりの大間違い
トンネル内では、押さないでください、ですよね。火災報知機ですから。
小田急の例はお粗末でしたね。現場目の前で止まったなら、即座に再移動できなかったものか、と思います。
小田急の参宮橋のボクシングジム火災の件は、たまたま近くにいた警察官が火災発生で近くの踏切の非常ボタンを押して列車が火災現場近くに停車したので、一概には警察官が悪いとは言えない。
電車は火災現場近くに停車して電車に火🔥が付いたが、火🔥がついたのは3000形8両の屋根の一部。
火🔥が付いたと言っても屋根を焦がした程度であり、客室内は全く被害が無かったのは、3000形はステンレス車であり、地上線でも地下鉄線と同等の不燃化構造で作られているので、大きな被害が無かった。
焦がした屋根は日本車輌に持っていって修理しました。
火元🔥の参宮橋のボクシングジムは、オザキボクシングジムで、タバコ🚬の不始末が原因。
余談であるが、ここのボクシングジムに通っていた方の奥さんと弁護士が不倫関係となり、怒った旦那が不倫関係の弁護士のシンボルを切り落とす事件を起こしています。
この件は、火元のオザキボクシングジムの調査で判明したとか。
お役所仕事は人命を軽んじる!はっきりわかんだね
昔の「国鉄」は闇が多い(というか思考できない人間が多い)からな。
遺族からしたら死ぬ可能性がある長大トンネル内で列車止めて切り離して(しかもしようとしたら停電になって立ち往生というオマケ付き)対処しようとしたんだか国鉄にコ☓されたも同じようなものですからね、その悔しさは言葉に出来ないでしょう。ちなみにネット界隈で有名になった北陸本線の青色の幽霊列車はこの客車と機関車の組み合わせのようです。JR西の乗務員の間でも幽霊に遭遇して急ブレーキで停車するという怪奇現象が後を絶たないと有名だとか。
止めなかったら多分安全に通過できた可能性が高いとかね。
なお、その後北海道の狩勝実験線での実験等をして「トンネル内火災の場合は原則通過」となりました。
なお、トンネル内の消灯は当時の国労等からの申し入れという形のクレームでした。
ギャー😱
結局処分の撤回も人命をもって贖われたんじゃ当人は嬉しくないだろうね。21世紀の現代でも京王線での事件にみる乗客と乗員での意思疎通の困難さや、現状とは乖離した規則とかは根の部分でどこまで変わったといえるだろうね。
みんな寝ていて気づかない
規定の遵守は安全の要件であるで思考が止まった奴の末路。枕木に並行な黄色い線の内側に下がれとか言う駅員や南行徳の駅員、アカオ君を始めとする南行徳の警備員も似た様なもん。自分も鉄道で働く人間ですのでそう言う思考が停止したのにはならない様に努力しますw
そもそもオシ172018の電気暖房のいい加減な施工(「マロネ49改造だから昭和5年製の老朽車で石炭レンジを使っていたから」とマスコミが言ったが、実際マロネ49から流用した部品は台枠のみ。しかも原因は石炭レンジではなく電気暖房回路のショート)を行った高砂工場とそれをロクにチェックしなかった宮原客車区が元凶。これがもし尾久所属(担当工場は大宮もしくは土崎)で十和田と共通運用(十和田もオシ17を連結していた)の車両を使っていればこの惨事は起きなかったかと。
この事故以前の夜行急行列車はかなり食堂車を連結していたので各々の形式までは特定しにくいのですが、十和田は食堂車連結が2往復、うち1往復はオシ17、もう1往復はビュッフェタイプのオシ16だったと思います。ただオシ16は少数でオシ17よりも早く消滅したから、投稿者様の言われている事が正しいと思われます。西日本では急行「瀬戸」にもオシ16か使われていましたが、14系寝台車を試験的に連結した直前は確かオシ17でしたから。
@@坂田庄司-g6n 事故の半年前のダイヤ改正でオシ16は全廃、「瀬戸」は特急格上げで電化キッチンのナシ20になっており、当時の急行の食堂車はオシ17の十和田1往復ときたぐにの2列車だけでした。あと「昭和一桁の老朽車」のマスコミ報道ですが、台枠だけなら一緒に連結されていたグリーン車の方が古いです(大正時代の木造客車)。ちなみに2013年の北海道のエンジン出火事故も「国鉄時代の古い車両」と報道されましたが事故車両はJR化後に製造されたNN183系です。
再三敦賀消防署から防火面の不備を指摘されたにも関わらず当時の国鉄はそれを無視しました。
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